2008年09月10日

高校演劇

 おもに団員の方々向けの記事です。


 皆さまこんにちは。
 このカテゴリでは、いわゆる一般的な演劇というものについて少しお送りしたく。
 
 今回は、高校演劇について。


○原体験

 自分にとって、演劇というとまず高校演劇なんですね。
 高校演劇、好きです。
 若い子たちが一生懸命になってる姿ってステキ。

 私が高校2年のとき、同級生の女の子が演劇部を立ち上げたのです。それまではなかった。
 すごくブレイヴだなぁと思って、感嘆して見ていました。
 実は自分も、入らない? と誘ってもらって、内心すごく入りたかったのですが、ちょっと事情があってそのときは入れなかったのです。

 初演は文化祭で、<銀河鉄道の夜>だった。
 とってもとっても感動して、あれが自分のなかで<演劇>の原点になってると言ってもいいくらい。
 さそり座の赤いライト、闇に響く「カムパネルラ!」という絶望の叫び、今でもあの暗幕を垂らした教室の椅子に座っているかのように、ありありとよみがえります。
 その子たちは、のちには野田秀樹の<半神>だの、そういったえらく難しいのをやることになるのですが、自分的にいちばん印象的だったのは初演。
 とにかくその世界に完全に引き込まれて、我を忘れて見入りました。

 なんかそういうのが、演劇というものの原点じゃないかなぁ、という気がします。
 いかに見る側を引き込み、いわば魔法をかけて、我を忘れさせることができるか。・・・

 カタルシスといふコトバ、もとはギリシャ悲劇の演劇用語から来ているんだそうですね。
 いつもいつでもつねに自分であり続けるってことは退屈だし、疲れます。
 日常の自分をいっとき忘れ去って舞台の上の別の人生に完全に同化し、ともに泣き笑い、感情を燃やし尽くすことでスカッとする、いちど己れを無の状態にリセットする・・・ そういう精神衛生上の浄化作用。
 元来はそれをカタルシスといったらしい。
 それはほんとにひとつの魔法・・・ 芸術の魔法です。
 わが劇団も、最終的にはそういうところを目指したい。
 我々の物語は、それだけの力をもっているはずだから。


○文化祭
 
 ここ数か月で、思いがけなくいくつかの高校演劇を見る機会がありました。
 6月には、何のシンクロニシティか、生徒さんのひとりが文化祭の出し物で演劇をやることになり、つくば市内の某高校にお邪魔してきました。
 リア王、しかも英語劇。
 練習、たいへんだったみたいだけれど、その成果が出てよくまとまっていました。
 ほかにも、バンドとかファッションショーとかいろいろ、若い力が炸裂してる感じですばらしかった。
 自分で演劇をつくりあげるさいにインスピレーションをもらえるのは、同じ演劇からだけじゃないと思うのです。
 ステージでやることってある意味ぜんぶ演劇だと思うのです、ドラマだという点ではね。
 そういう意味では、私はせまい意味での演劇経験はないに等しいけれど、いままで色んな別のところからたくさんのインスピレーションをもらってきてるんじゃないかという気がします。


○高校演劇祭

 そこでたまたま教えていただいて、7月の末には県南高校演劇祭にお邪魔してきました。演劇部の県南大会みたいなもので、知らなかったのですけど、一般公開してるんですね。
 二日間かけて、色んなタイプの舞台を見ました。
 ものすごく長くて凝ったのもあって、高校生でここまでやるのはすごいなぁと。・・・

 でも幸か不幸か、自分自身が高校生だったときのように我を忘れて引き込まれるところまでいったのは・・・ うーん、正直、あまりなかったかも。・・・
 それは、へんに客観的に見てしまったせいかもしれないし。
 あの頃はあまり免疫がなかったせいもあるのかもしれないし。
 いまの自分は少し大きくなりすぎてしまったのかもしれないし。

 でも、これから我々の舞台を見てくれる人たちで、やっぱり大きくなりすぎてしまった人たちというのはたくさんいるはずだ。
 我々はそういう人たちをも動かせるような舞台を目指さなくては。・・・

 などと、いろいろ考えさせられたことでした。


○その講評

 この日なんといってもいちばん興味深かったのは、さいごの講評だったのです。
 講評担当の先生がふたりいらして、総括的なアドバイスから、ひとつひとつの舞台に至るまで、すごく細かい講評をされていました。
 それがほんとに聴いてて勉強になって。

 演劇部の先生方って、ご自分でも脚本書いてる方がけっこういらっしゃるんですね。
 しかもかなり長年やってらっしゃる方が多い。
 それは勉強になるはずです。
 ・・・すぐにそれらを自分の舞台に適用するかどうかはともかくですね。

 自分、このあと授業のため途中で抜けてしまったので、さいごまで聴けなかったのがほんとに残念だったのですが、走り書きしたメモが手元に残っているので、以下、お話の内容を少し挙げてみます。甚だ不完全な再現ですが。

「プロットだけだと点。
 肉づけ、つくりこみしてゆく過程で点を線につなげていかないといけない。

 そしてやはり芸術性・・・ 含みがあること。
 うしろに深い世界が広がっていることを感じさせるような。」

「今回は全体として、すごくオーソドックスで一般的な・・・ 行っちゃえばお行儀のいいテーマが多かった気がするけど。
 不安定な人間のぐちゃぐちゃな内面を放り出してそのまま、みたいな そういうのがあってもいい。」

「暗転、曲、ほんとうに必要か?
 ぜひとも必要な場面以外では使わないこと。」

「暗転中はセリフなし。
 セリフにおっかぶせて音楽入れない方がいい。
 舞台だと音楽はセリフの邪魔をする。」
 
「自分で名シーンだと思うところはほとんどカットして間違いなし。」
 (名言だ!)

「オープニングは大切。
 ちゃんと人がついて作りこんだ方がいい。
 そこでぐわーっと人を引き込めるかどうかが決まるから。」

「音楽とか蝉の声とかは、場面切り替わる前から。」

「舞台装置や背景が単純な場合、そのシーンの具体的なイメージを、役者間で話し合って共有する作業が必要。」
 (これはすごく参考になりました。ほんとにその通りだと思う。)

「つねに動きっぱなしじゃなく、いったん動作をとめて、見る人をぐーっと引き入れる。
 歌舞伎でいう<見栄を切る>ってやつ。
 日本のアニメーション、アメリカなんかのとどこが違うか分かる?
 日本のアニメには、動きをとめる場面っていうのがあるんです。歌舞伎の感覚が引き継がれてるのね。
 アメリカのアニメは、つねに動きっぱなしなんです。」
 (これも、なるほど! と。) 


 なかにひとつ、ものすごく陰惨なのがあったんですね。
 学園ものなんだけど、生徒が次々と殺されていって、さいごにはみんな死んじゃう、みたいな。
 それの講評が、自分が聴けた中ではいちばん印象的でした。

「少し前までは高校生がこういうの上演すると批判されたもんなんですが・・・ いまやほんとにこんな事件が身近で起きるようになっちゃいましたからねぇ。

 でもね、陰惨なら陰惨でいいんですよ、殺し合いなら殺し合いでいい。
 ただ、さいごになにかポーンとつきぬける感じ、あれもあれでいいよな、と納得させるだけの説得力があれば。

 今回のは、そういう点でちょっと・・・ やってる側にまだ迷いがある、縛られてる。
 だから見ている側になんだか煮え切らない思いが残るんですね。

 ・・・やるんならやっちゃえば。
 中途半端はいけません。」
 
 ・・・こういうの聴いてて、高校演劇も変わったなぁ、というか高校の先生たちも変わったなぁ、と思う一方、たぶん自分はこのひとが言わんとしていることの具体的なイメージを完全には掴めていないのだけれど、こういうことが言えるのってなんかすごくかっこいいなぁ、と思ったことでした。

(ボイスレコーダーとか持ってたわけではないので、じっさいその場でおっしゃってたのとは多少表現が違うかもしれません。その旨お断りしておきます。)

 
○サプライズ

 ここから先は演劇とは直接関係ないのですが、実はこの日、さらにおまけでうれしいことが。
 高校のとき、現代文を教わっていた先生にばったり再会したのです。(別の高校に転任されていました。)
 私の方はすぐ分かったのですが、先生の方は私の担任でもなかったし、担当の学年さえ違った気がする。なので覚えてらっしゃるわけがないと思って、改めて自己紹介しようとしたら・・・

 なんと私のこと、覚えててくださったのです。しかも下の名前まで。
「いやぁ、なんか見たことある人がいるなーと思って。
 実はね、去年くらいに片づけしてたら君の書いたメモみたいのが出てきて、それをいまの生徒たちに見せて話をしてたんだよ。だから覚えてた」

 何を書いたのだか覚えていないけれど、たぶんその頃の自分というのはまだ自分の人生を生きていなくて、ただ生半可な知識を振り回しているにすぎなかったはず。
 そんなの、とっといてくださったなんて。

 そしてなんだか身に余るお褒めの言葉をいただいたのですが、とてもそんなのに値する自分じゃないって分かってるので恐縮で。
 でも、それはそれとして、ともかく自分の書いたものによって覚えていてもらえるというのは、もの書きとして願いうる最高のこと。
 ほんとにほんとにうれしくて、ありがたい。
 
 そしてまたこんなにずっと疎遠だったのに私のこと覚えててくださったことや、気さくにご自身のことをいろいろ話してくださったことがつくづくとうれしく。・・・

「なんでいまになって演劇なの?」と聞かれて(そりゃ、ふつう思いますよね)いろいろお話すると、変な顔もせずに聴いてくださいました。

「こんなふうに、高校で演劇部に入って演劇やるっていうのなら、制度が整っていてやることだから、自然だし、だれもふしぎに思わない。
 だけど、自分でいろいろ模索してゆくなかで演劇にたどりついたというのなら、それがあなたにとっての必然なのだし、あなたにとっての潮どきなのだ。だからまわりを気にしないで、どんどんやったらいい」 
 というようなこと、言ってはげましてくださった。
 こういうような内容をですね。この通りの表現ではないけれど。

 そういうことは、もちろん自分でも思っていたのだけれど。
 ひとさまから言っていただくとほんとに力づけられます。
 そしてつくづくと知るのです。
 自分の無謀な情熱と、思いこみのままに突っ走ってゆくことだ。・・・必ず励ましてくれたり、助けてくれたりする人が現れる。
 いまの自分にとっては、ほかならぬ皆さんが、その、助けてくれている人たちです。
 ほんとに心から感謝しています。
 

 次回は、ここ数ヶ月の間に連絡をとったり見に行ったりした、つくば近辺の演劇関連の団体さん方について少しご報告の予定。

 中島 迂生

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Posted by 中島迂生 at 01:15│Comments(0)演劇一般
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