2021年04月02日
サクラサク2021

(画像:O先生)
今年の受験生はほんとに大変だったなぁ。
この一年は、O先生が竜一のようすを毎回投稿してくれてたおかげで、自分も受験生のときをいろいろ思い出す機会が多かった。
いまの自分を生きながら、同時にあの頃をも追体験してるようでした。
以前にも書いたと思うけど、私は「やっぱり大学受けとくか」って思ったのが3年の夏すぎで、だから6ヵ月くらいしか受験生やってないのです。
出口の見えないトンネル、というより、もう向こうに出口が見えてきたくらいのタイミングであわてて走り始めて。
とにかく時間がなくて。
とにかく必死で、苦しいとかしんどいとか、スランプとか言ってるひまがなかった。
でもあれくらいでよかったと思うな。
1年のときから受験勉強なんかやってたら、途中で飽きて疲れちゃう。
あれでも長かったくらいです。
6ヵ月でも飛ばしすぎたのか、途中で疲れてきて、さいごのほうは「ふぅ、疲れたな。早く試験の当日にならないかな」と思っていた。
私が受けた大学は私立文系でもとりわけ後ろの方で、2月の末とかだったのです。
卒業式のほんの2,3日手前。
でも、受験生のときはいい思い出しかないな。
好きな教科しか受けなかったから、好きな勉強しかしなかったし。
だから、楽しかったですよ。
一日12時間くらい勉強してたけど、おかげで気が散るとかもとくになかったな。
ほかの家事とかいろんな活動も続けていたし、夜はちゃんと8時間くらい寝てました。
自由登校になってからは、週一くらい、小論の原稿を見てもらいに行っていたかな。
英語についてはK先生がいたし、国語についてはO先生がいたし、なので分からないことがあれば何でも聞けた。
最強の心強いサポート体制のおかげで不安もなし。
でも、その頃になるとおかげさまで、とくに分からなくて困ることもなかったです。
当日の朝、駅まで家族が車で送ってくれたのだけど、その車の中で、文学史のプリントをまとめたファイルとかを見返していたんですよね。
そしたら母親が心配して、「あんまり勉強しすぎると頭がおかしくなるからもうやめなさい」ってw
でもそのとき見返してた内容が試験に出たんですよ。
たった一日の、一回の試験ですべてが決まっちゃうっていう、ある意味酷な、でもある意味潔い世界でした。
これも前に書いたけど、私、子供のころから一度も塾とか予備校とか行ったことがなかった。
習ってたのはピアノだけです。
でも、いま思うと、そのピアノがけっこう役立ったのじゃないかと思うの。
別に音大じゃないので直接役立ったわけじゃないですよ。
でも、小さい頃から年に一度とか二度とか発表会があるわけですよ。
大きな舞台にひとりで出て、演奏する。
あれってけっこういい訓練だったなぁって思うの。
当日を見据えて、計画的に練習を重ねていく。
練習も、すればするほどいいってものでもないみたい。
その人がその曲をいちばんいい状態で弾けるピークみたいのがあるようだ。
そのピークが、ちょうどコンサートの当日になるようにもっていく。
「この曲はこれ以上やるとあれだから、この辺にしておきましょう」みたいに言われることもあって、なるほどそうかも、って分かる気がしたこともあった。
何度か経験するうちに、緊張のタイミングをコントロールすることができるようになってくる。
舞台の袖にいるあいだにいったん緊張のピークに達して、そのあとは1レベル上がった「舞台モード」みたいな状態になって、緊張はしてるのだけどわりと自分の思った通りにふるまえるようになる。
この「緊張のピーク」は、ぜひとも舞台に出ていく前に迎えておかないといけない。
舞台に出てしまったあと、弾いてる最中とかにこのピークが来ると悲惨なことになる。
いわゆる「頭の中が真っ白になる」みたいな。
私、ピアノではあまりそういうことなかったけど。
よく映画のことを「時間の芸術」っていうけど、私、昔から思っていたの。
いやいや、音楽こそ時間の芸術でしょ。
自分のために一日のプロクラムのなかでその位置に組まれた、一曲3分とか5分のあいだにすべてを表現しきらないといけなくて、すべての音符を決められた順序で、速度で、調子で、その瞬間瞬間に正確に弾いていかないとならなくて、一音でもミスったら曲全体が台無しになる。
そういうのを小さいうちに経験できたのって、すごくよかったのじゃないかな、と思えるの。
なんというか「本番力」が鍛えられた、というか。
大学受験で、一回の試験ですべてが決まってしまうって、けっこうシビアなことに思える。
けれど、それでも、コンサートでピアノを演奏するのとかに比べたら。
一科目1時間とか2時間とか時間があって、別にみんなから注目されるでもなく自分のペースで取り組めて、問題も、どんな順序で解いていこうと自由で、間違ったと思ったら後戻りして訂正したりさえできる。
いや、全然余裕!って思えたのよね。
当日に風邪とかひいてなくて、目覚まし時計がちゃんと機能して時間通りに起きられて、電車が遅延したりせずにちゃんと動いてさえいれば、あとはまぁ大丈夫!って思っていたの。
あとは採点者が採点ミスさえしなければ、って。
いや、たとえ採点ミスされても、って。
採点ミスというのはときどきしかニュースにならないけど、人間がやってる限りはふつうにあると思うよ、正直。
どこかの医大みたいに女子の点数を一律低く換算するみたいのは言語道断だけど、意図的じゃなくても常にありうると思う。
私は、はっきり言って、たとえ採点ミスで10点や20点間違って引かれても、それでも受かるくらいの点数を取らなければダメだと思っていたの。
採点ミスで1点引かれたくらいで不合格になるようじゃそもそもダメだと思っていた。
受験者の側では、検証しえないんだもの。
それが現実だ。
…それが現実。
そう考えると、今年の受験生はほんとに、一律50点の減点を食らったくらいに、いろんな点で大変だったと思う。
このコロナ禍で、政府の対策もグダグダなままで、勉強に集中しつづけるってどれだけ大変だっただろう。
みんな、ほんとによくがんばったよ。
いや、私、ひとりも知らないけどね。
色んな方々がSNSに投稿してくださるおかげで、遠くにいてもお花見、楽しめています。
今年の桜の美しさは、この一年大変だった生徒たち、先生方のがんばりを包み込むよう。
みんな、幸あれ。。

(画像:K先生)
こちらはK先生の勤務校の桜。この画像めっちゃ綺麗~!!
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2021年01月19日
お気に入りの単語帳

厳密にいうと高校の話ってわけではないけれど、高校時代の話っていうことで、このカテゴリに入れておきます。
少し前に、あたらしく始めた<ココナラ>というクラウドソーシングサービス経由で、「中高生向けの英語のおすすめの市販教材のレビューを書いてほしい」っていう依頼があった。
けれど私、中高生に教えていたときは塾なり予備校なりのオリジナル教材を使っていたので、自分で市販教材を選ぶっていうことがあまりなかったのですよ。
そのあとは、企業や団体で教えていたし。
そんなわけで、自分自身が受験のときに使ったもので、内容が古くなっていなくて、今も出ているもの… ということで、気に入っていた単語帳のことを書いた。
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テキスト名:<ターゲット1900>
自分自身受験で使い、講師としてお仕事するようになってからもときどき見返す一冊です。
表紙を外した本体は、水色にシルバーのタイトルで、当時の単語帳としてはなかなかスタイリッシュ。
いかにもの押しの強い表紙デザインが多いなかで、すっと爽やか、手に取りたい気分になりました。参考書だって外見は重要です。
レビューのなかには中3~高1レベルと書いている先生もいらっしゃるようで驚きますが、私自身は受験本番の2カ月くらい前から、さいごの確認と総仕上げ、あちこちの隙間を埋める感じで使いました。
大学受験レベルの単語に関しては、もちろんすべてではないが、多くの部分を網羅していると思います。
これ一冊ぜんぶ完璧に覚えたら、あとは類推で何とかなるレベルです。
英語でお仕事するようになってからも、これが単語力の土台となっていて、この土台の上に順次色々積み上げてきた感じです。
ほかと比べていいなと思う点は、場合に応じて派生語の付記があったり、意味の似たような単語群がひとまとめになっていたりして、「つなげて覚える」ための工夫がなされていること。
Achieve, attain, accomplish など、今でもオートマティックに覚えています。
単語の勉強というとひとつひとつ、一対一対応で覚えていくイメージがありますが、それでは効率が悪すぎる。個々でひとつひとつ覚えるよりグループで関連付けて覚えたほうが、ぜったいに効率がいいし真に身につくのです。
ばらばらのブドウの実を何十個もいちどに手でつかむのは大変ですが、房になってつながっていれば簡単です。それと同じこと。
派生語だったらもとのだいたいの意味をつかんでいれば、名詞形で出てこようが動詞形で出てこようが文脈で意味が取れます。
語源を知っていれば意味だけ忘れるということはまずありません。
英語に限らず、語源とは言葉の歩んできた歴史です。
できれば歴史的なところまで含めて立体的に知っていた方が、のちのちぜったいに生きた力になります。
それは日本語だって同じこと。
とはいえ忙しい受験生にいちいち単語の語源まで自分で調べろとは言えません。
思うに、教える側自身がそのような認識を持って、折に触れ派生語や関連語を挙げたり、語源のエピソードを話してあげたりするといいのです。
若い知性の吸収力や応用力には想像を超えたものがありますから、多くの場合、自分で派生語を意識したり語源を考えてみたりするようなくせがうつっていきます。
点が線でつながっていき、ばらばらの単語から単語群として考えられるようになり、部分から全体をとらえられるようになっていくのです。
こうした視点から考えると、生徒の「連想をつなげる力」を養ううえで役立つ本書は一助としておすすめです。
その遺伝子を引き継いだ新版、多くの先生方が手に取ってくださることを期待しています。
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…と、最後はいかにものレビューっぽく結んでみた。。
去年かな、新版が出たそうですよ。ロングセラーですね。
犬の表紙はあまり記憶になくて、こんな表紙だったっけ?と思ったけれど。
表紙カバーを外した水色の本体の感じが気に入ってました。
受験までに使った単語帳の中で、いちばん好きだったな。
これは学校で配られたのではなく、自分で書店で買った。
それまでも色んな単語帳を使っていたけれど、だいたい網羅して、さいごの仕上げにもうひとつくらい、なるだけ難しそうで総仕上げになりそうなやつを、と思って探した。
なので、自分的にはこれ1冊あればそれまでやったすべての単語帳の内容をカバーし、凌ぐ感じ、最強。それも好きな理由かも。
さらにいうと、Achieve, attain あたりはフランス語にも相当するような動詞があって、意味も似たようなもの。
何といまだにあの時身につけた知識が役に立ってくれている。
ほんとに、最強。。
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2021年01月19日
高校の話2021目次 およびブログのカテゴリで目次をつけようとするさいの問題点について

(画像:O先生撮影)
うん。…ここにちょっと、<高校の話2021 目次>っていう記事を、つくっておこうと思うんですよ。
今年も高校のこと書くと思うし、というか、年末すでに、さらに書きたいことがあったのだけど、<高校の話2020 目次>っていう記事をすでにアップしてしまっていたので書けなかった。なぜか。…
各カテゴリのさいしょに表示されるページは、目次をつくったカテゴリなら目次であってほしい。サイトマップみたいに。
そして、ふつうなら、さいしょに上げた記事から表示されてほしい。
そういうふうに、自分で表示順を決められるようであるべき。
本なら当たり前でしょ?
ところがこれが、ブログではなかなか難しい。
一つのカテゴリの表示のされ方って、(とりあえず、今のところは)古い順か、新しい順かの二択しかない。
たとえば<このページを固定で、つねにカテゴリのさいしょに表示する>っていう選択肢がない。
カテゴリでもないし、ブログ全体でも、ない。
固定で常にトップに置いておきたい記事というのが、置いておけない。
でもそれって、自分の本に好きなタイミングで目次をつけられなくて、いきなり第1章から始まるか、最終章から始まるかの二択しかないのと同じ。
で、目次が本の途中の変な位置にあったりするの。
それってあまりに変じゃないですか?
とか、たとえば小説をひとつ書き上げて、第1章からアップしていくでしょう。
最終章までアップしたあと、あ、目次つけなきゃと思って、さいごに目次つけて、そして、最後に目次つけたので、それが最初に表示されるために仕方なくそのカテゴリを<新しい順>に設定すると、目次の次に表示されるページが最終章っていうこの不自然さ。
場合によってはネタバレになってしまうし、ほんとにイヤな感じ。
これ何とかならないだろうかって、もう何年も前から思っている。
自分みたいに、あるていど分量のある文章を複数記事に分けてきちんと組織立てて上げたいような人間にとっては、ブログという形態はあまり合っていないのかなと思う。
小説とかは、Noteなんかに上げたほうがいいのかな。
言ってしまうと、正直、そもそもブログという形態じたい、さいしょから違和感あった。
全体の構造がつかみづらい。
一度にぱっと全体を見渡せない。
本だったら、片手で持って親指の腹でざざーっとページを滑らすだけで、なんとなく全体像は掴めるのに。
そういうことができない。読み返したりも、しづらいし。
やっぱり自分にとっての基本形は<本>なんだよな。
どこから読むかは読む人の勝手だけど、書く側としては、ちゃんと全体を順序だって整えておきたい。
私にはその権利があると思うの。
…とか言ってるってことは、やっぱりより自分に合ったプラットフォームを探すべきなのかな。
とりあえず、ここに<高校の話2021 目次>っていうカテゴリの、まだ1個も記事ないけど、目次ページを先につくっておく。
変だけどなぁ。とりあえず仕方ない。
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