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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年02月25日

白い雌牛の島(完全版)

愛蘭土物語(あいるらんどものがたり) ゴロウェイ篇7
白い雌牛の島 The White Cow Island (完全版)
イニシュボフィンの物語
2010 by 中島 迂生 Ussay Nakajima



1. クリフデンからクレガン・ベイ、イニシュボフィンへ
2. 島の暗い力
3. 島の日々Ⅰ
4. ピエールとリュシー
5. 島の日々Ⅱ
6. イニシュアークなど
7. It というもの
8. 島の伝説と物語の舞台立て
9. 物語<白い雌牛の島>
10. 神々の怒りのゆえに
11. 島の夕べ~出発

**********************************************

1. クリフデンからクレガン・ベイ、イニシュボフィンへ

This was a spectral, floating island until fishermen landed on it in a fog, and by bringing fire ashore dispelled the enchantment; then they saw an old woman driving a white cow, which turned into a rock when she struck it. The cow occasionally revisits Loch Bo Finne.
- Connemara, Tim Robinson, Folding Landscapes 1990

 この島はかつて幽霊にとり憑かれた、海原の上をさまよう浮き島だった。
 あるとき霧に迷った漁師たちが上陸し、浜辺で火を焚いた。それによって、ながらくこの島にかけられていた呪いが解かれたのだ。
 このとき、彼らは白い雌牛にまたがって疾駆するひとりの老婆を見た。彼女が雌牛を打つと、それは岩になってしまった。
 その雌牛は、今でもときどきボフィン湖に姿をあらわすという。
 - <コネマラ>、ティム・ロビンスン、1990(中島迂生訳)
 
         *

 イニシュボフィンは、アランの少し北に位置する荒涼とした小さい島だ。
 コネマラの西端、クレガン・ベイからフェリーで15分。
 大西洋をわたる風につねに吹きさらされて、背中を丸めた動物のようだ。
 険しい丘陵もあるが、大部分はくすんだ色あいのなだらかな地形で、木はあまり生えない。
 アランが地質学的にバレンに属するのに対し、イニシュボフィンはコネマラに属し、島の景色もコネマラに似ている。
 3マイル四方もあるかどうか。島民は、せいぜい百人。
 イニシュボフィンは<白い雌牛の島>を意味する。

 この島は、旅をつづけるうちに何となく行く手に見えてきたので足を向ける気になったもので、さいしょからとくに目的としていたわけではなかった。
 けれども、西の果てに向かって旅をするということは、たぶん人の本能のひとつなのだ。
 さいごの物語は西の果てにあるはずだ、昔の力ある人々がなべてティルナノーグへ渡っていったのであれば、西の果ての島に、おそらくはそのまた西のさい果てに。・・・

 島へ渡ったのは9月の9日だった。
 それまで三日も晴天がつづいていたのは奇蹟だ。
 この日、クリフデンを発ってクレガンから島へ渡る。

 ヒースに彩られた荒野の道を、クレガンへ向かいすがら、考えた。
 何かに対する渇望がみたされるのはいいことだし、それによって別のなにかに対する渇望が育つのもいいことだ。
 何かをしたいと思うことと、それをじっさいすることの両方とも必要で、両方ともなくてはならないのだ。
 愛蘭土へ行きたいと、願っていたこの13年間があってこそこんどのこの旅に意味があるわけで、願いもせずにただ来ていただけでは何の意味もなかっただろう。
 かといっていつまでたっても願いが遂げられぬまま干からびてやがて忘れ去られてしまい、しまいに大して行きたくもなくなってしまうなんていうのは最悪で、目も当てられない。
 願うのに時があり、成し遂げるのに時がある、というわけだ。・・・

 晴れ渡った海へ、船が出てゆく。
 見わたす甲板、吹きなぶる風、本土が遠ざかってゆく、心おどる・・・

 ほどなく島の入り江へ入ってゆく、
 天然の港、両腕で抱きかかえるように、しずかな湾になっている・・・

 右手にクロムウェルズ・バラック Cromwell's Barracks をのぞむ。
 岩山の上に築かれた石造りの廃墟、兵舎というより城か砦のように見える。 
 見るたびに、複雑な心の痛みを覚える、記憶から消し去りたい名前だろうに、今に残っているのが・・・
 というか、こんな最果てにまで爪あとを残したのか、彼らは・・・
 それでも、美しい眺めなのだ、すばらしく絵になっていて、島のランドマークにふさわしい・・・
 
 桟橋から上陸する。
 南向きの斜面に、東西にハイ・ロードとロウ・ロード、二本のメインロードが走っていて、その周辺に民家がかたまっている。
 このあたりが、いまの島の中心部だ・・・少なくとも、人間たちにとっての。・・・

 島は地図に従って、ざっと5区分に分かれる。
 ボフィン湾から入って左手、南東のクノック Knock <丘>、いくすじかの石垣の走る、ごつごつとした岩山のひと群れ。
 宿はこのクノックを南にのぞみ、サンルームからはいつもこの景色を見ていた。
 この東側には、ライオン島 Inis Laighean がある。
 
 島の北東部はクルナモア Cloonamore <大原>、まん中部分のミドルクォーター Midllequarter。
 このあたり、とくに北側の海沿いの辺、荒涼とした山岳地帯だ。

 その左、フォンモア Fawnmore <大坂>、そして西端部、ウェストクォーター Westquarter。
 この辺は、比較的なだらかな地形だ。この間にボフィン湖 Loch Bofin があり、西北端には雄鹿岩 The Stags がある。

 島に着いた日、宿に荷物をおいてから、島の西端まで足をのばそうと試みた。
 集落が尽きた先、てきとうな細道をゆきあたりばったりに選んで一心に目指すけれど、山に阻まれてなかなか辿りつけない・・・
 そのうちとっぷり日も暮れてしまって、結局その日はあきらめて引き返した。 
 夕方になるとブヨが出るのは分かっていたが、このときはまた想像を絶していた。
 フードをすっぽり被って、顔だけしか出していなかったのだが、その出していた顔一面、容赦なく、月の表面のように凹凸だらけにされた・・・

宿の世話を任されていたイーマは、ほんとうに気持ちのよい人だった。
 <プロロヲグ>にも書いた人だが、こちらの気もちを汲んで、好きにさせてくれ、放っておいてくれて、なおかつ信じられないくらいこまやかな気遣いをしてくれる人だった。
  
 けれどもやはり・・・五ヶ月間、旅をつづけて見知らぬ人びとのあいだで過ごしたあとで、私は人づきあいというものにすっかり疲れてしまっていた。
 それで、宿では孤独と平和を享受するために、だいたいのところは共同寝室は使わず、中庭にテントを張って過ごしていた。
 宿に出入りするのは料理やなにかの雑用のときだけだった。

 港の桟橋の近くにちいさな食料品店があって、海が荒れない限り週に一度、積荷が届けられる。
 食料品は、ここで手に入るものがすべてだった。
 島にいたあいだ、数日ごとに、とんでもなく割高なパンや、缶詰や、しなびた野菜を買いこみに行った。
 
 野菜といえば、ヨーロッパにいないとその存在を忘れてしまう、なつかしい名前をいくつか思い出す・・・
 スウェード、パースニップ、シュピナッツ・・・
 スウェードは、紫色をしたカブの一種だ。でっかくてカボチャのように重く、皮は固い。
 パースニップは、白いにんじん。だが、味はジャガイモとカブを足して2で割った感じ。
 シュピナッツは、まあホウレンソウのようなものだ。

 島へ渡ってさいしょの晩は、星が信じられないほどだった。
 翌朝、雨がぱらついて目がさめ、起きだして柵のところに干しておいた洗濯物をテントに放りこんで、そのままぶらぶら、島の反対側に通じる道を散歩しにいった。
 願ったように雨が降ってきて嬉しかった・・・やはり、アイルランドの島は、雨でなくては。
 戻ってきて食事を終えたところでものすごい集中豪雨が来て、午前中ずっとそんな感じだった。
 実はそれは、島で過ごした二週間のほとんどを占めた大嵐の始まりだった。
 ・・・私が島に渡るのを待っていたかのように始まり、私が物語を受け取りおえたのち、去っていった嵐の。・・・

          *

2. 島の暗い力

 夜の風あらしのなかで邪悪なものの力に出会う。
 最果ての島の特異さ。別の世界へ通じる。
 12の物語のさいごを飾る/結びとなる。

 イニシュボフィンの伝説について知ったのはいつのことだっただろう?
 島に渡る前から、何かで読んで何となくは知っていたような気がする。
 何だかひどく曖昧で、断片的なのが気になった。
 宿に落ち着いてまもなく、イーマに訊いてみたことがある。
 島の伝説があるでしょ? あれって、何なんでしょうかね?
 Oh, it doesn't make sense. Just a piece of words...
 あら、全然意味をなさないのよ。
 イーマは至極簡単に片づけ、そのときはそれで終わってしまった。

 島では日中のあいだはほとんど、たまに夜間も、ガスも電気もストップしていた。理由は分からない。
 
 三日め、暗くなってから風が強くなり、テントがバタバタあおられてうるさくて寝つかれなかった。
 いつペグごとふっ飛ばされてしまうかと気が気でない・・・草地の下がすぐ岩盤なので、あまり深くペグを打てないのだ。
 
 そのうち、うとうとと眠りにおちたが、夜中に突然、暗闇と奇妙な沈黙のなかで目を覚ました。
 ・・・息ができない。
 外からなにか圧力を加えられて、テントの中に空気というものがなくなってしまったかのようだ。
 夢中で寝袋から這い出して、テントの入り口を開け放った。

 このとき、前線が通過したのだと思う。
 風向きが正反対になって、入り口に向かってまともに吹きつけていた。
 それでテントが風をはらんだ帆みたいになって、ぜんぜん息ができないのだ。
 
 宿の灯りもすっかり消えてまっくらだった。
 ともかく、身の回り品と寝袋をまとめてテントから這い出し、風で吹っ飛ばされないようポールを抜いて引き倒してから、まっくらななか、手探りで宿までたどりついた。
 どこをひねっても、何もつかない。・・・
 結局ラウンジのソファの上に落ち着き、壁越しに吠えたける風の音を聴きながら朝まで眠りこんだ。

 こんなひどい天気でいったい朝までもつだろうか、というのは思っていたのだった。
 けれども同時にどこかで思っていた、この晩がはじめて、島の顔にひとりで向き合う晩になるだろうと。
 ばたばたはためく真っ暗なテントのなかでひとり風の音を聴いて、それらの風が島じゅうの平野を吹き抜けて狂おしく闇の中を走ってゆくようすを思い浮かべ・・・そのときはじめて、島の魂の端っこに触れることができるだろうと。・・・

 こんなに最果ての島では、もう訳が分からなくなってしまっているだろう・・・世界のほかの場所でふつうに作用するようには、物事が作用しなくなっているだろう・・・風も光も、どこか尋常でない歪み方をして、その歪みのもう一方の端では世界の端がめくれあがって、別の世界の端っこにつながっているのだ・・・

 石に変えられた牛たち、石に変えられた魔女たち・・・
 遠い昔のおぼろな霧の中で起こったと伝えられるそれらのできごと、そのことばはそのほんとうのところを伝えているのだろうか? ・・・いや、決して・・・
 ほんとうのところは ごうごうとひびく暗い風あらしがかなたへ運び去ってしまった、それらをもういちどこの手に引き戻すには、同じ風あらしの暗い晩に島で過ごすことによってしか・・・ そしてこの身をその暗闇に賭し、同じ危険のただなかに曝すことによってしか・・・

 風向きが急に変わり、電気さえ切れたその晩、真っ暗やみのなかで、息することもままならぬ激しい風のただなかで、私はたしかにそれに出会った。原始の恐怖、自然の脅威、人が邪悪と呼ぶものの力に出会った。・・・なぜそれが邪悪と呼ばれるかというと、それは人の身の安全いかんなど全く気にかけないからだ。それはただ力ある、底知れない強さをもった力で、ただその心のおもむくままに大地を行き巡っているのだ・・・ここにさいごの物語があった。
 その題名は・・・風の島。・・・
 ふだんは決して開かれることのない扉を激しい風あらしに逆らって束の間押し開いてみせ、我々がかつて見たことも聞いたこともない、けれども実は我々の世界と隣り合わせに存在する異界の一端を垣間見させるような物語・・・
 
          *

3. 島の日々Ⅰ

 そう、ほんとうに、これそのものが物語のようだ。
 島へ渡って、テントを張って暮し、夜中に嵐に遭ってみたかった。
 ずっとずっと長いあいだ。もう覚えてもないくらい遠い昔から。・・・

 アンドリュー・・・そんな名の主人公がいたっけ。
 11のときだ・・・私の書いていた物語。書きかけの原稿の、うしろ半分だけが残っている。
 彼も夜中に嵐にあって家を失った。それから長い冒険の旅が始まるのだ・・・

 ああ!・・・ 冒険の旅!・・・ 私の内に冒険への憧れを植えつけた、これら幾多の冒険小説を、私は永久に愛するだろう・・・<宝島>、<ソロモンの岩窟>、<ロビンソン・クルーソー>、<トム・ソーヤーの冒険>、<モヒカン族の最期>、<ガリヴァー旅行記>・・・ これら埃にまみれて書棚の隅っこに忘れられ、なおも永遠の輝きをもって人をとらえて離さない、それら冒険小説の数々を、私は永久に愛するだろう・・・それらこそが人生の中で、何に価値があるかを教えてくれた。ただ生き抜くということのためだけのstruggleのなかにこそ、生きることの激しい輝きがあることを。・・・

 横へ横へ走ってゆく雨の精たち。
 空もようにつれて見るまに色を変えてゆく 変幻自在の海。
 やわらかい青色になったかと思えば 淡いグレイにかすみ、やがてすっかり白くかき消えてしまう・・・
 空は薄黄色から無色へ、貝紫へ・・・
 ざあーっと雨音がやんだかと思えばまたやってくる・・・

 岩の突き出た褐色の大地。
 葦と水連の生えた小さい沼地。そこにいる茶色やぶちの牛たち。
 灰色と白の馬たち。
 白い鳥。鳥の足をした女。・・・

 岩のように見える牛たち、牛のように見える岩たち。
 それは風と、真夜中の暗闇と関係がある。
 それは死と関係がある。満ちてくる潮。
 それはかなたから吹き寄せる西風と、沖に白いすじたてる大波と関係がある。
 ばら色とクリーム色のまじった にごった色の海、底を掻きたてられて 灰色に濁って砕け散る波、
 夕方の浜辺は黄色い光の粒子を帯びている。
 これがその物語の舞台だ。
 それは底知れず恐ろしく、同時にとほうもなく美しい。・・・


14日、火曜日。
 日が落ちてから再度、島の西北端まで道をたどってみる。
 日が暮れてから暗くなるまでの いちばん美しい時間、
 せいぜい一時間だ・・・ 一刻千金ニ値ス・・・
 光のトーンが沈み、光のあたり方が均一になって 風景のもっとも細部まで、ありのままの姿をあらわす・・・

 北の方の山々は岩だらけで少しバレンの山に似ている。
 いちばん突端に着いたころにはまたも暗くなりすぎて、景色があまりよく分からない・・・

15日、水曜日。
 風もおさまって(というか、常に吹いてはいるのだが、出歩けないほどではなくなって)、曇り空。
 ちょっと出るとすぐ海が見える。すぐ近くに海があるというのは、すぐ近くに食料品店があるとか、図書館があるとかいうのと同じで心強く、ほっとする。
 内陸にいると、どうも閉じこめられているようで、息苦しくてかなわない。
 ああ、もう、すぐそばに海がある。去年の夏のような狂気じみた渇望は・・・考えるだけでぞっとする・・・

 少しくぐもった、やわらかい青いろ、少し灰色味を帯びた おだやかないろ。
 風は雲を運んでくる、西の海 白くかき消えたかと思うと やがて雨がやってきて
 すぐ目の前のみどりのメドウが霧に消えてしまう、激しい雨のかきたてる霧に。
 突風に運ばれて一群の星むくどりがやってきて、ほんのいっときメドウの上に翼を休め、それからまた突風に吹っ飛ばされてゆく・・・
 かと思うとまた見るまに水平線が、暗い青灰色の海がくっきりと姿をあらわし
 そのうちにこちらの雨も途切れるのだ、一日じゅう、その繰り返し・・・

 またあるときは 水平線が白くかき曇って消えてしまって ぼんやりとした灰色の地に
 ただ白い波がしらのすじだけが 縞もようになって見えることもあった

 高く高く 砕け散った波のしぶきが 映画のスローモーションのように とてもゆっくりと散ってゆく・・・

 低く低く 銀灰色にちぎれた雲の群れが駆けてゆく

 向こうの山々は 吹き散らされた こまかい雨のヴェールに白くかすみ あるいはもう輪郭を失ってしまう・・・

 荒野にかかる虹、ふつう虹のイメージから想起されるよりももっとクリスタルで、シャープで硬質な。
 ガラスの繊維でできているような。
 文字通りあそこの庭から始まっている、庭の柵が赤やオレンジの霧の向こうに見えるのだ。
 洗濯物といっしょにゆらゆら揺れて、次の雨にかき消される。

 ざざーっと激しい雨がやってきて、しゃっと風を切る、ギターのストロークのように。
 まだ大粒のしずくを滴らせているフクシアの茂みに日光が射して、violentなまでに激しくかがやく・・・

         *

4. ピエールとリュシー

 ピエールとリュシー。・・・

 宿の南側に張り出してガラスのサンルームがあり、そこからは向かいの岩山のすばらしい眺めが見渡せて、雨の日を過ごすには最高だった。
 ほかの人々もだいたいその辺りにいることが多かった。
 入れ替わり立ち替わり、滞在期間もさまざまな、色んな人たちが来ては去って行った。
 <プロロヲグ>で書いた詩人の二人連れもそうだったが、彼らに劣らず印象的だった人たちのことを、あそこでは書いていない。

 それはフランス人の若いカップルだった。
 大学生どうし、あるいは院生と学部生、といったところだろうか。
 嵐のつづいていたあいだずっと、彼らは中庭にテントを張って眠り、昼間だけ、出掛けていないときは、宿で過ごしていた。
 私と同じパターンだった。

 男の方は、細ぶち眼鏡をかけて、線が細く、声が高く、神経質そうで、コクトーのペン画みたいだった。
 後ろ姿はショートカットの女の子のようで、実のところ、さいしょは遠目に見て、女の子の二人連れかと思っていた。

 彼らは、礼儀正しく、親切で、感じがよくて、とても素敵な人たちだった。
 仲よく交代で食事をつくり、少し天気がよくなるとおもてへ出掛けた。
 けれど、いかんせんずっとそんな天気だったから、宿にこもっていることも多かった。

 宿にいるとき、とくに男の方は、よくサンルームのテーブルに向かって、島の図書館から借り出してきた本を読んでいた。
 学生らしく熱心に読み耽っていたが、そう体系だっているわけでもなくて、机に重ねてあるのを通りすがりにちらっと見ると、ケルアックの<路上>であったり、かと思うとなぜかモンテーニュの<エセー>のいきなり中巻だけだったりした。

 こんなに天気が悪いのに、そしてたぶん、私のように物語の訪れを待っていたわけでもなし、なぜ来る日も来る日も島にとどまっていたのか分からない。
 もしかしたら、フェリーの欠航がつづいていたのかもしれない。

 男の方は、何というか、極端に禁欲的なところがあった。
 あるとき、夕方、もうだいぶ薄暗くなってきたサンルームで、ひとりあいかわらず本にかじりついていたことがあった。
 通りがかりに何気なく、「電気つけましょうか」と訊いたら、「いい」というのだった。
「まだ、窓からの明るみで読めるから」・・・
 ・・・これでは彼女、大変だろう、とはじめて思った。・・・

 彼女の方は、ほんとうはもう疲れていたのだ。
 荒々しくぶっきらぼうなこの島にも、嵐のつづくなかでテントで眠りつづける生活にも。・・・
 あれではろくに眠れやしない・・・よく分かっている、私自身、テントで眠っていたのだから・・・

 ある朝、ピエールがイーマのところに来て、「彼女、知らない? いなくなっちゃったんだよ」というのだった。
 その彼女は、居間のソファで寝袋に頭まですっぽりくるまって眠っているところを発見された。
「あら、こんなところにいたわ」と、イーマはピエールと笑いあったが、ジッパーを開けてくしゃくしゃの顔を突き出したリュシーの方は、とても笑う気分ではなかった。
 テントの中は寒くて、一晩中バタバタと風にあおられるのだ。
 もう、こんな荒れ果てた最果ての島になんかいたくない、日のあたるフランスへ帰りたいのだ・・・

 嵐のつづいていたある午後のことだった。
 サンルームにいたリュシーは、となりのキッチンで何かしていた恋人の名を呼んだ。
 一度。・・・そして、もう一度。・・・
 ピエールが現れて、「何?」と訊いた。
 リュシーはだまって恋人の顔を見つめた。
 その顔は疲れきっていた。もうこれ以上耐えられないと、心折れそうに感じた瞬間だった。・・・
 リュシーは溜め息をついて、首を振った。
 ピエールはキッチンへ戻っていった。・・・

 数日後、サンルームのテーブルに、イェイツの評伝が広げられてあった。
 美しいアイルランドの油彩風景画のふんだんに散りばめられたこの本は、彼女が借り出していたものだった。
 開いてあったページは、巻末におさめられていた詩のひとつで、あまりにも有名な・・・

 
 When You Are Old        W.B.Yeats

When you are old and grey and full of sleep,
And nodding by the fire, take down this book,
And slowly read, and dream of the soft look
Your eyes had once, and of their shadows deep;

How many loved your moments of glad grace,
And loved your beauty with love false or true,
But one man loved the pilgrim soul in you,
And loved the sorrows of your changing face;

And bending down beside the glowing bars,
Murmur, a little sadly, how Love fled
And paced upon the mountains overhead
And hid his face amid a crowd of stars.

  
 あなたが年老いたとき
            W.B.イェイツ
            中島迂生 訳

 あなたが年老い 髪も灰色に つれづれとして
 炉床のそばで うつらうつらと過ごすようになるとき
 この本を棚から取って ゆっくりと読むだろう
 そして かつてその瞳の湛えた優しいまなざしを   
        深く落としたそのかげを夢に見るだろう

 どれほど多くの男が 喜びに溢れたその微笑みの刹那を愛し
 あなたの美しさを・・・それが真の愛であれ、偽りであれ・・・愛したことか
 だが、なかのひとりは あなたの内なるその巡礼の魂を愛した
 そして あなたの移りゆく面ざしのなかの その哀しみを。

 かくて 炎に照りかがやく炉格子に身をかがめ
 呟くのだ、少しばかり悲しげに
 愛がどんなふうに去っていったかを
 そして かなたの山なみを駆け去って
       星々の群れのただなかに その顔を隠してしまったかを。


 そう、それは彼女の気もちのそのままだった。
 彼女は思い悩んでいたのだ、自分はピエールをほんとうに愛しているが、いったいどこまでついていかれるだろうか、
 年老いて白髪になったとき、ふたりは一緒にいられるのだろうか、と。・・・

 薄暗いサンルームで、二人しずかに抱き合っていたことがあった。
 愛情を交わすためというより、寒さを防ぐためみたいだった。
 彼らふたりは繊細な二枚貝の一対、悲しげな双子、よるべのない子供たちのようだった・・・

 彼らのほんとうの名前を私は知らない。
 ピエールとリュシーというのは私が勝手につけた名前だ。
 彼らを見ていると、ハーマン・メルヴィルの<ピエール、あるいは曖昧性>に出てくるピエールとリュシーにそっくりなのだ。
 訳のわからない狂気の情熱にとりつかれて館にこもり、命をかけて本を書きつづけるピエール、リュシーはその恋人で、彼の狂気に引きずられるように、どこまでもついていく。・・・
 どんな狂気がこのピエールを、こんな最果ての島にまで駆り立ててきたのだろう?・・・

 嵐つづきの陰鬱な宿に、ときどき愛すべき訪問者があった。
 となりの家の灰トラの仔猫で、陽気で人懐こく、図々しいほどに愛くるしかった。
 あるとき、リュシーがこの猫をじゃれさせていたところにぶつかって、声をかけた、
 この猫、名前はなんていうのかな?・・・
 知らない、といって彼女は顔をほころばせた。
 その瞬間、その紅い唇が花びらのほうに咲き、顔ぜんたいが急に日の光がさしたように、花のように、ほんとうに花のように、ぱっと照りかがやいた。
 はっとして、そのときはじめて気がついた・・・控え目で礼儀正しく、そしてあまりに悲しげな印象ばかりが強かったリュシーが、ほんとはこんなにも美しかったのだということに。・・・

 サンルームの一画は彼らの専用スペースのようになって、そのテーブルにはいつも彼らの持ち物がおかれ、椅子の背にはいつも彼らのタオルやぬれた服やレインコートが干してあった。
 とにかく毎日嵐だったので、おもてへ出るたびずぶぬれになったのだ。
 テーブルにはピエールの細ぶちの眼鏡、リュシーの髪どめ、本の山、淡いブルーグレイのザック、水色のふたのエヴィアンのペットボトルに、パステルカラーの貝殻のかけらを詰めたもの。・・・
 その一画には彼らのもつ気品や清潔感や慎ましさがただよっていて、彼ら自身がそこにいるようだった。

 彼らは二週間島にいて、それから帰っていった。
 さいごの日、フェリーが出るとき、私はちょうどハイ・ロードにいて、それを見ていた。
 桟橋のところにピエールとリュシーが立っているのも小さく見えた。
 思いきり大きく腕を振ったが、たぶん気がつかなかったと思う。

 リュシーはほんとうに親切だった。
 島を去りがけ、図書館の本の借り方を教えてくれて、もう使わないから、と自分のつくったカードを譲ってくれた。
 それでこんどは私が図書館に出掛け、リュシーが読んでいたイェイツの評伝を見つけたのだった。
 <プロロヲグ>と<エインガスの砦>に書いた、アランについての本も。・・・
 これらの本を、本土に戻ってから私はエニスの書店で見つけ、そしてそれらはいま私の手元にある。
 
        *

5. 島の日々Ⅱ

 これらの日々のあいだ、待てど暮らせどいっかなおさまる気配がないので、みんなときどきは嵐をついて散歩に出かけた。
 だが、それはしばしばすさまじい散歩になった。
 私がとくに忘れがたいのは、クルナモア、島の北東部の山岳地帯を歩いた日だ。
 ごつごつとした岩山の風景のなかを三時間ばかり歩きつづけたと思うが、叩きつける雨つぶが顔に痛く、穴があきそう、・・・狂ったような暴風に、進むことはおろか立っていることすらできなくて、地面に這いつくばる、といった調子だった。
 やっとのことで宿まで辿り着くと、渾身の力をこめて背中でドアを押し、家の中にまで入りこもうとする風を、力いっぱい閉め出すのだ・・・

 そこまでの暴風雨ではない日に、ミドルクォーターの平野部を歩いたことがある。
 曇り空にくろぐろと沈むあの岩肌の見える海のきわまで行きたくて、てくてく歩きつづけるうち、体の先の方はすっかり冷えるし、足は棒のようにがくがくになってきた。

 そんな特別寒い日には、イーマが居間の暖炉に火を焚きつけてくれた。
 本物の火、何よりありがたい。
 
 手作りのアップル・クランブルをごちそうになったこともある。
「寒い日にはこういうの作りたくなるの、いい匂いがするでしょう」

 アップル・クランブルはふつう、煮たリンゴの上に、焼いたクッキー生地を砕いたものをのせ、カスタード・クリームをかけたものだ。
 私は正直、ふだんはカスタード・クリームは苦手だった。
 けれど、このときはイーマの心遣いが嬉しく、じっさい、おいしくごちそうになった。

 島のパブには、一度だけ行った。
 音楽をやる日に、聴きに行ったのだ。
 それがなかなか始まらなくて、やっと始まったのが十時を過ぎていたと思う。
 と思うと、こんどは、なかなか終わらない。
 夜中の二時ころをまわり、さすがに眠くて朦朧となって、盛り上がっているところをひとりあとにした。
 真っ暗な道を宿へ向かっていると、真っ暗闇で急に人とすれ違って、向こうもこちらもびっくりして飛び上がったりした。

 夜は、あいかわらずテントで眠っていた。
 この天気に加え、旅先で調達したあまりつくりのよくないテントで、すきま風が吹きこまないように果てしなく補修を繰り返していた。
 じっさい、この島にいたあいだのエネルギーの半分はテントの補修に費やしたようなものだ。
 思い出すだに疲れるので、ここはすべて省略する。

 嵐のとりわけひどかった晩には、いくどか宿のベッドでも寝たのだった。
 けれど、テント暮らしに慣れてしまっていると、それもどうもうまくなかった。
 テントだと片手を伸ばせばすべて用が足りるところ、何かというと起き出してあちこちへ出向かなければならない。
 寒さに震えることはないかわり、明け方には暑くて気分が悪くなって目を覚ます。
 いつもの調子でいきおいよく起き上がると盛大に天井に頭をぶつけるし。・・・
 どうにも居心地が悪く、結局またテントに戻った。

 そのときは夏用の寝袋しかもっていなくて、十月の嵐の野宿には少し寒かった。
 上からもう一枚かけるとちょうどいい感じだった。
 宿のソファにかけてあった薄手のブランケットがちょうどよさそうだったので、そのために借りていた。
 しかも、ちょうどそのときイーマがいなかったので、勝手に借り出して事後報告だったのだが、ぜんぜん気にせずに「いいのよ、何でも使って」と言ってくれた。

         *

 嵐のつづいたあいだ、しょっちゅうサンルームの窓辺に膝を抱えて、おもてを眺めながらいろいろと考えた。
 たとえば、世界中に共通する、物語の枠組みというものについて。・・・

 たとえば、リップ・ヴァン・ウィンクル。・・・
 色んなアーキタイプ。
 異民族に嫁ぐ妻たち、竜退治、魂を売り渡す・・・

 昔から伝わるもので、けっこう複雑なプロットなのに均整のとれた、すっきりとして美しい構成で、「ほんとうによくできた物語だなあ!」と惚れぼれするようなものがある。
 
 たとえば、人魚姫。
 けっこう色んな要素が入って、複雑だ。はじめからしまいまで正確に語れる人がどれだけいるだろうか?・・・
 オイディプスにしてもそう。もとからある伝説を下敷きに書かれたとはいっても・・・

 サンルームからのぞむ海、雨足が強まったり弱まったりするにつれ、見るまに水平線がぼんやりとかき曇り、あるいはまた現れてきたりする・・・
 その雨あしが、それがほどなくこちらまで届く・・・

         *

 夕暮れどき 西の空の明るみ 消えゆかんとして山々は雲にまぎれて
 山なのか雲なのかもう分らなくなってしまう ふじ色の、うすずみ色のシルエット
 Alright, これが当地のものごとのありようなのだ・・・
 激しい嵐のただなかで山々は消え 夕暮れには雲に変わる
 吹きちぎられて 西の辺境をさまよい 翌朝にはまた何食わぬ顔してもとの位置に戻っているのだ・・・

 すべては変幻自在で移りゆく、何のふしぎなことがあろう・・・
 霧の中で牛たち羊たちは白い岩に変わり、魔女ハシバミの枝で打つと再び生きて動き出す。
 こんな真っ暗やみの、こんな激しい風のなかでは何が起こってもおかしくない・・・

         *

 光がさすと海はまだら、浅いところはガラス質の淡いエメラルドグリーンに
 深いところは暗い孔雀石いろに
 かなたは群青に 岩礁の上では紫いろを帯びて
 海草のかたまりのうえでは赤っぽくなる
 日がかくれると とたんに色あせてしまう・・・

         *

 失われてしまったものは常にもっとも美しいのだ。
 彼らの詩が美しいのは、もっと美しいものの美しさをとらえようとしてとらえられない、
 そのあいだの永遠の隔たり、その哀しみの気分を伝えるからなのだろう・・・

 私のアイルランドに、何てことをしたのだろう、彼らは。
 夜、眠れずにベッドの上で寝返りを打ちながら、取り返しのつかない、というこの感じが底まで沁みとおるのをどうすることもできずにのたうちまわり、
 昼には激しい風のなかで島のあちこちを彷徨い歩きながら、風が涙をちぎり飛ばしてゆくのを何度となく感じたが、ただあまりに激しい風のために瞳が乾いたせいなのか、絶望のせいなのかよく分からなかった・・・
 
 大切なものがたくさんありすぎて かくも大切なのに失いつつあるものがたくさんありすぎて・・・
 第二のイェイツの時代にあるのだろう・・・詩人たちは彼らに知らせなくてはならない、今や失われつつあるものにどんな価値があるのかを、詩人たちはいつも同じ 失われたもの、失われつつあるものを追いかけている・・・
 
 肉のアイルランド人がアイルランド人なのではない。
 外国人がこんなところで何をしているのだろうと思う人々は知らないのだ、彼らが五千年前にここにいたことを・・・

         *

6. イニシュアークなど

 ゆらゆらと、またたくまに光のさしては弱まったり、ひときわ強くかがやきわたったかと思うと雲むらに遮られて翳ってみたり・・・一瞬たりととどまっていることのない、はるかにのぞむ草の色も海の色も、光のかげんひとつで変わる・・・
 午後3時のまっすぐな光、きついもえぎ色にもえたち、あるいはくぐもっておだやかな色を取り戻し、・・・

そんな日の午後、島の南のへりをずっと、草の道を西端までたどる。
 右手には<大山> Cnoc Mor 、左手には海の向こう、アーク島 Inishark が横たわっている。
 今はもう、人は住んでいない。
 けれど、昔住まれていた建物が打ち捨てられて、そのままに残されている。

 はるかに小さく、ぽつりぽつりと 家々や教会が見える・・・
 石垣が縦横に走っているが、そのなんと細いこと!・・・
 まるで、はばの広い鍬で土を平らにならしたとき、そのあととあととのあいだにできる、ひとすじのわずかな土の盛り上がったラインのようだ・・・

 心打たれるのは その安らかな調和の印象である・・・
 鍬のあととあととのあいだのラインが、平らな部分と同じ土であるように、これら石垣のすじめも、もとからその土地にある石をそのまま使って築かれたのだ。
 だから遠目に見ると地表と同じ色をして、しっくり溶けあっている、人造物というよりも、まさに風景の一部だ、それら石造りの家々もおなじ、築かれたものというよりも、なにか有機的に生えいでてきたもののようだ。

 こちらの島とたいして変わりのない、そのわずかばかりの集落のあいだに、時どき行き交う人影が見えたとしても、なんらふしぎなことはない・・・
 島では夜ごとに 崩れかけた家々は過ぎにし日々のかたちによみがえり、窓辺には灯がともされて、百年前とまったく同じに、去っていった人々の幽霊が今もしずかに彼らの暮らしを営みつづけているのだ・・・
 教会ではミサがあげられ、学校の鐘はうち響いて時を告げ・・・
 漁師たちは海へ出てゆき、女たちは炉端で糸を紡ぐのだ・・・

          *
 
 島で過ごしたあいだに、島じゅうを、ほぼくまなく歩き回った。
 海沿いをぐるり、しずかな浜や、波の砕け散る荒々しい岩礁、・・・荒涼とした岩地、山々、・・・風に吹き分けられる草々のあいだに岩のごつごつと突き出た丘陵・・・ 
 それから羊たち、アイルランドの至るところに、ここにもいる、彼らもまた愛すべき風景の一部だ・・・
 くすんだ緑と茶の入りまじった大地が両側に、さらにその向こうに 歩を進めるにつれ、いきいきと広がり、盛り上がってくる・・・ 

 気づかぬうちにいつのまにかゆっくりと雲の流れすぎて、いつのまにか半ばほど、おだやかに澄んだ、かけすの羽の青色の宵の空が ゆっくりとあらわれていたとしても・・・

           *

 悪魔のフラジョレット。・・・
 これは、私がつけた名前だ。
 
 石垣で囲われた牧草地の扉に、細い鉄パイプでできたものがよく使われていたが、風の強い日にはしばしば、その筒状になったところに風が入りこんで、ひゅうひゅう、悪魔の呻き声のような音をたてるのだ。
 人っ子ひとりいない平野部を、よくその調べを聴きながら歩いた。・・・

 ウェストクォーターの岩地では、動物の歯を拾ったことがある。
 ひと揃いのあご骨にずらりと歯が並んだもので、風雨にさらされて少し苔むしていた。
 私はそれを持って帰り、宿の窓辺の、貝殻や流木や何かがごちゃっと飾られている一画に加えておいた。・・・
 
           *

 いま私の手元には島の歴史や地形を一冊にまとめた書物、Inishbofin Through Time And Tide と、その付録の島の地図とがある。

 一枚の地図におさめられたこの島と、周辺のいくつかの付随する島々、・・・それだけでもう、ひとつの宇宙だ。
 イニシュボフィン、小さな島。
 端から端まで4マイルに満たないし、海岸線をぐるりとひとまわりしてもせいぜい10マイル。
 たったそれだけのなかに、刻々と永遠に移りゆくゆたかな表情と、数千年にわたる人の営みの歴史と、さらにほかの、数知れぬ秘密を秘めている・・・

 島の心に分け入って、島の秘密を解読するには一生かかる。
 いや、一生では足りないかもしれない。
 それでも島のもついちばん大きな秘密を、私は得ることができたと思う。・・・

           *

7. It というもの

 It というもの。・・・

 それ。It。
 あの晩私が真っ暗やみのなかで出会った、顔のないもの。・・・
 そいつには名前がない。<それ>(It)としか呼びようがない・・・

 It rains とか It blows とかの It って何なのだろう?
 なぜそこに代名詞なのか?・・・

 昔はなにか具体的なものを指していたはずなのだ、もちろん。
 でなかったらそういう表現にはならないだろう。
 もちろん It というのは雨の神であり、風の神なのだ。・・・

 日が昇って安全になってから、宿の居間のソファに寝っ転がって、辞書で It を引いてみた。
 いろいろ意味の説明がでているなかに、「(鬼ごっこの)鬼」というのを発見して、少しぞっとした。
 同時に、やはりそうなのだ・・・と腑に落ちた気がした。

 鬼ごっこ。・・・歴史を遡ればずいぶん昔からあるに違いないけれど、オカルティックな性質をもった遊びだと思う。
 鬼になっているとき、言ってみればその子には"It"が憑依していて、その子は It のシャーマンになっているというわけなのだ。

 名前をつけない、性別を特定しない、つねに代名詞で呼ぶというのは、そいつがおそろしいものだからだ。
 昔、妖精たちのことを good people と呼んでいたのと似たところがある。
 日本の言霊信仰にも通じる部分がある。なにか悪いやつのことを名前で呼ぶと、そいつが来てしまうから、それを避けるために何らかの代替表現を用いるという伝統。・・・

 名前をつけるという行為には、その対象を理解し、手なづけ、私物化するという意味合いがある。
 そう考えると、それは人々の側の謙虚さを示しているともいえる・・・彼らは It のことを理解したり手なづけたりすることなどできないと知っているのだ。
 アダムが象やキリンに名前をつけたようなわけにはいかないと。・・・

 It のことを愛する人々でさえ、知っている、それは彼らを脅かし、狂気させ、さいごには殺すと。・・・
 アンドレ・ブルトンは恐れた・・・ゆえに狂気に近づいた。
 <月と6ペンス>のストリクランドは狂気など少しも恐れなかったがゆえ、さいごまで気を確かに保っていた。
 それこそが狂気であると、人は言うかもしれない、誰が知ろう?・・・

(私はこう思う。
 正気と狂気のはっきりした境目というものはなくて、ただその精神状態と、自分自身との関係によるのであろうと。
 自分がその状態の中に居心地よく落ち着き、それを肯い、あまつさえそれによって、自分がそれまで成し遂げたいと願いながら成し遂げられないでいた事柄を成し遂げられさえするようなとき・・・それはよい状態で、幸福な状態なのだ。
 ところが反対に、自分がその状態を恐れたり憎悪したりし、自分自身を失ってしまいそうに感じて一刻も早く逃げ出したいと思うとき、それは悪い状態で、責め苦なのだ。
 ただその基準があるのみなのだ・・・私はそう思う。)

 私はさいごには It に殺される。
 私はそのことを知っているが、そのことで煩わされたりしない。
 ただそのものだけに、私を殺すだけの価値があることを知っているからだ。
 ほかの何物にも、そんな価値などない。
 だから、私が自分のなすべき仕事をなし終えるまで、たぶん、It が私を守ってくれる。
 そのことを、じっさい知っている。・・・

           *

8. 島の伝説と物語の舞台立て

Legends & Early History

The most singular legends of Ireland relates to bulls and cows, and there are hundreds of places all commencing with the word Bo (one of the most ancient words in the Irish language), whish recalls some mystic or mythical story of a cow, especially of a white heifer, which animal seems to have been an object of the greatest veneration from all antiquity.
(Lady Wilde:Ancient Legends, Mystic Charms, and Superstitions of Ireland)

The legend concerning the origin of Inishbofin island has been told many times, in varying forms. The most common and basic version relates how two fishermen, lost in fog, landed on an enchanted island and lit a fire. The flames broke the spell and the mist lifted to reveal an old woman driving a white cow along a shingle beach which ran between a lake and the sea. She was observed to strike the cow, whereupon it turned to stone. One indignant fisherman protested but but he received the same treatment and both he and the woman herself were turned to stone. It is said that the stones stood for all to see by the lakeside thereafter. They are not to be seen today nor have they stood in the living memory. Another tradition has it that the old woman and cow emerge from the lake every seven years, or alternatively to forewarn of some inpending disaster. The lake in question is Loch Bofin, or Westquarter Lake as it is also known.
According to Lady Wilde, there are hundreds of places with names deriving from the word bo throughout Ireland, all recalling some mystical association with that animal which, she claimed, "seems to have been an object of the greatest veneration from all antiquity".
In another version of the legend, the woman was red-haired and struck the white cow dead with her staff. The animal's dying roar was heard throughout all Ireland. This, according to Lady Wilde, is an allegorical reference to history. The white cow is Ireland, and the red-haired woman corresponds to Queen Elizabeth. The death-blow obviously refers to that monarch's oppression of Ireland. Needless to say, this is a relatively recent interpretation of the legend since the island had its name long before Elizabeth times.

 伝説と初期の歴史

 アイルランドに残る伝説のほとんどが、雄牛や雌牛に関わっている。それゆえ Bo (アイルランド語でもっとも古い言葉のひとつ)で始まる地名が、アイルランドには無数にある。それらは雌牛の、とくに白い若い雌牛の神秘的・神話的な物語を想起させる。白い若い雌牛は、あらゆる古代文明において崇拝の対象となってきたように見える。
 レディ・ワイルド<古代アイルランドの伝説、神秘、迷信>

 イニシュボフィンの起源にかかわる伝説は繰り返し、さまざまなヴァリエーションで語られてきた。もっともよく知られているベーシックなかたちは、二人の漁師が霧の中で迷って呪いにかけられた島に上陸し、そこで火を焚いた、というものである。その炎が呪いを破り、霧がとけて、ひとりの老婆の姿をあらわした。彼女は湖と海とのあいだのひとすじの砂利浜を、白い雌牛にまたがって駆けていた。彼らが見ていると、老婆は雌牛を打ち、するとそれは石に変わってしまった。憤慨したひとりの漁師が抗議すると、彼自身同じ目にあい、結局漁師と老婆のふたりとも、石に変わってしまった。それ以来、これらの石は湖のほとりに立っていて、誰でもが見ることができたという。それらは今はもうないし、人々の記憶にも残っていない。
 別の言い伝えでは、今でも七年ごとに、あるいは何か差し迫った大きな災いの前兆として、老婆と雌牛とが湖の中から姿を現すのだという。問題の湖は、ロッホ・ボフィン(ボフィン湖)、もしくは現在知られているところのウェストクォーター湖である。
 レディ・ワイルドによれば、アイルランドじゅうに<ボ>を冠した地名が無数にあるということだが、それらはすべてこの「あらゆる古代文明において崇拝の対象となってきたように見える」白い雌牛の、なにか神話的な連想と結びつきがある。
 伝説の別のバージョンでは、女は赤毛で、雌牛をその杖で打って死なせたという。雌牛の末期の叫びはアイルランドじゅうに響きわたった。これは、レディ・ワイルドによれば歴史への寓意的な言及であるという。白い雌牛はアイルランドで、赤毛の女はエリザベス女王だ。死の一撃はあきらかに、かの専制君主のアイルランドへの弾圧をあらわす。いうまでもないが、これは比較的あたらしい解釈だ。この島はエリザベスの時代よりはるか以前から、この名前をもっていたのだから。
 <イニシュボフィン>(中島迂生訳)

 その日、伝説の端きれをもって暖炉の横に腰をおろし、つくづくと読み返した。
 Just a piece of words...
 それだけでは意味をなさないとしても。
 繰り返し目を通すうち、しぜんと思われてきた・・・これはひとつの物語のさいごの部分なのではないか、今は霧に隠されて忘れ去られてしまっている残りの部分を過去からよみがえらせてつなげることで、ひとつの完全な物語を復元することができるのではないか。・・・
 雨粒に打たれて唸る窓を見上げ、私はそれが自分のもとへやってくるのを予感した、かなたの沖あいの雲のあいだでしだいに形をとりはじめ、やがてゆっくりとこちらへ近づいてくるのを・・・

          *

 島の北西、フォンモア Fawnmore とウェストクォーター Westquarter のあいだにロッホ・ボフィン Loch Bofin、ボフィン湖がある。
 海とほとんど隣りあっていて、あいだにひとすじ、橋のような砂利浜がのびてふたつの水を隔てている。
 老婆が白い雌牛に乗って駆けていったというその砂利浜だ。
 地図で見ても、じっさい訪れても、何だか奇妙に人工的な匂いを感じる。
 自然の造形でこんなふうにまっすぐにひとすじだけ、浜ができるものだろうか。・・・

          *

 西北端には<雄鹿岩> The Stags がある。
 奇妙な造形の、ひと群れの岩礁で、潮の引いたときには歩いていける。

 島の北側、海沿いの淋しい道をどこまでもたどって、ざわざわと落ちつかなげにざわめく波がしらの向こう、その姿を遠くからひと目見たとき、私は心がどきりと冷たくなるのを覚えた。
 ひと目見たとき私は知った、これが・・・今は島の一方の端が傾いて海に沈んでしまい、向こうとこちらのあいだは水で隔てられてしまっているが・・・これがその昔、女主人マレナの館であったものの名残りだと。・・・
 そう、それもただの岩礁とみなすには、あまりに生々しく、人の手によって造られた感じがする、ちょうど幾棟もつらねて築かれたりっぱな館が、何かの変動でもって斜めに傾いて崩れ落ち、海水でまっくろになって朽ち果てて・・・そしてそのままながいときを経てついに今に至ったのだ、といったふうな・・・

 じっさい、岩礁のひとつは<城> Castle という名をもっている。
 <城の入り江>という場所もある。
 <オーウィン入り江>というのもある。オーウィンというのが誰だったかは、現在、分からなくなっている・・・

それほど大きなものではなかった、けれども、風の吠えたけるさいはての岬、ただ枯草色の地と、どんよりと曇った空の下、その黒い色とあまりに異様なかたちとが、不吉な、おそろしい印象を与えるのだった・・・
 それらの岩々の積み上がったようすは、死体の山のように陰惨だった。
 まだ遠くにあるうちから、それは風景を脅かし・・・近づくにつれますます強く発する、暗い負の引力をもって人をとらえるのだ・・・

          *

9. 物語<白い雌牛の島>

 うら若き乙女フィオナ。・・・
 私の心の目によみがえる彼女の面影、その雪のような白い肌、波打つ髪のプラチナブロンド。
 あかるい青い瞳、しなやかな四肢、銀の鈴を振るような笑い声。・・・
 
 その昔、はるかはるか遠い昔、西海の果て、いまのアランやイニシュボフィンよりもさらに西の、
 伝説の地、常若の国ティルナノーグ。
 そこに暮らしていたのは、いまの我々とはちがった種族の人びと、いまで知られているところの妖精たち、昔の力ある人びとだった。
 これはその国の片ほとり、とある海沿いの地方で起こった物語だ。・・・

 その地の突端、アイルランドの側の海をのぞんで、女主人マレナの館はあった。
 広い庭園に囲まれた、堂々たる壮麗な館で、大勢の召使いに囲まれて彼女は暮らしていた。
 それは肥沃な美しい土地で、作物がゆたかに実った。
 彼女はまたたくさんの家畜をもっていて、それらを世話する者たちも大勢いた。

 乙女フィオナはその館の牛飼い頭の娘だった。
 女主人のみごとな牛たちを任された父親の下で、朝に夕に心をつくして世話にあたっていた。
 とりわけ彼女自身の分身のような、まっ白い若い雌牛を。・・・
 毎日、彼女は牛たちを畜舎から出して、湖のほとりへ放しにいった。

 女主人マレナにはオーウィンという恋人があって、ある日、彼女のもとを訪ねてくる。
 夏のはじめの美しい日のことだった。
 彼は途中で道に迷ってしまい、牛に草を食ませているフィオナの姿を見かけて、近づいてゆく。
 湖のほとり、木陰のもとで休んでいたフィオナが顔をあげて彼を見たとき、オーウィンは一瞬ことばを失ってしまう。
 木漏れびにかがやく銀色の髪、底知れぬ海のブルーの瞳、大理石の白い肌、その姿はひとつの完璧な絵だった。
 それはどんな女にも一度は訪れる、人生のなかでもっとも美しい瞬間のひとつだったのだ。

「乙女よ。あなたはもっとも美しい」・・・
 我知らず、そんな言葉がオーウィンの口を突いて出た。・・・

 突然目の前に現れたりっぱな若者の姿に、フィオナはむしろ困惑している。
 その身なりは異国の人のようで、この地方のものではなかった。

「・・・何の御用?」・・・
 問われてはじめて、オーウィンは我に返る。
「マレナの館は?」・・・
 乙女が道を指し示したのを見て、オーウィンはうなづき、「ありがとう」と言って去ってゆく。
 そこではじめて、フィオナは彼が女主人の恋人であることに気がつくのだ。・・・

 オーウィンとフィオナが言葉を交わしたのはほとんどこのとききりだった。
 オーウィンのほうにまったく悪気はなかったし、その言葉に偽りはなかったとしても、それはただ、路傍に見いだされた美しい花へ向けて、何気なく発せられたものにすぎなかった。
 それから何かの折に顔を合わせ、微笑みを交わしたとしても、彼の方は彼女のことを、あのときの乙女と覚えていたかどうか。

 けれども、この日オーウィンが彼女にささげた最上級の賛辞、それはいつしかゆっくりと彼女の心に沁み、やがて少しずつ、彼女の心を狂わせていった・・・
 彼に出会う日まで、どんなふうに生きていたのか、思い出せない。
 彼とマレナとが寄り添って庭園を歩いているのを目にするたび、身を焼かれるような苦しみにさいなまれた。

 この種の苦しみに対して、フィオナの心は無防備だった。
 どうしていいか、分からなかった。
 いつまでつづくかも、分からなかった。
 恋の激情は報われぬまま、心はやがてすり減って疲れ果て、烈風のなかで翻って色を変える木の葉のように、それがいつしか苦い怨恨の情に、憎悪の念に変わってゆくのをとめるすべもなかった。・・・

 やがてふたりの婚礼の日が近づいてくる。
 その日、それはよく晴れた美しい秋の日のことで、館には国じゅうから多くの客が招かれ、大がかりな宴が設けられ、喜びが、笑い声が溢れた。
 ばら色の衣に身を包んだマレナ、星のように輝く瞳に夜のように暗い髪、その美しさには太陽も嫉妬した。
 牛飼いの娘は祝いの席に招かれさえせず、そっと遠くの物陰から、そのようすを見守るばかりだった。・・・

 その日、夜になって急に雲が出てきて、夜半には吠えたける不吉な嵐となった。
 部屋着に着替えたマレナは花嫁の褥に横たわり、不安な面もちでごうごうと叫ぶ風の音を聞いている。
 そのとき、扉の開くかすかな音に、向き直って呼びかける、オーウィン?・・・
 ところが、入ってきたのはオーウィンではなかった、それは髪を振り乱し、狂乱の瞳をぎらつかせたひとりの若い女であった、
 手にはナイフを握りしめ、魔物のように彼女めがけて飛びかかってくる・・・
 マレナは叫び声をあげる、もみあいの果て、その胸ふかく刃が突き立てられ、花嫁は初夜の床を血に染めて息絶えた。
 叫び声をきいて部屋に駆けこんできたオーウィン、彼もまた運命の手を逃れることはできない・・・
 恋に狂った手弱女の、どこにそんな力があったのだろう、
 彼は後ろから首をふさがれて崩おれた。
 かくてその日もっとも幸福だったふたり、彼らはともに亡骸となって横たわった。・・・

 牛飼いの娘はティルナノーグの法廷にかけられて、永久追放を言い渡される。
 罪によって呪われたその土地は本土から切り断たれ、彼女をのせたまま彷徨える島となって沖へ流されるのだ・・・
 ティルナノーグの人々は、ふつう、死なない。
 けれども、かくもいとわしい罪を犯したものが、犯された土地が、もはやこの国の一部としてとどまることは許されなかった。
 流されたその島は、霧のうちに閉じこめられ、人の目から隠されて海の上を千年さまよい、
 いつか誰かが足を踏み入れて、この島の上で火を燃やす日まで、その霧が晴れることはないだろう・・・

 その日、人々はやってきて、一部始終を見届けた。
 彼女はうつろな眼を見開いて、女主人の庭園の門のところに、茫然とした面持ちで立っている。
 その手に残されたものはただひとつ、彼女が手塩にかけて世話を尽くした、一頭の白い雌牛である・・・
 向き合って立った彼らのあいだにひとすじの亀裂が走り、フィオナの立っている方の側がひとたび大きく揺らぐとともに、やがて亀裂のなかに海水が溢れこんでくる・・・
 その地が切り離されてゆっくりと沖へ流されてゆくまで、彼女は立って、彼らを見つめていた。
 島はしだいに本土から遠ざかり、やがて霧に隠されて見えなくなった。
 それ以来、ティルナノーグで彼女を見た者は誰もいない。・・・
 
 それからどれほどの間、島は海上をさまよったことだろう。
 混沌の霧のなかで、フィオナは来る日も来る日もひとりだった。
 薄明のたそがれどきには雌牛にまたがって、湖沿いの砂利浜を駆け抜ける、
 そのたびあの日の激情がよみがえって、われ知らずしかと雌牛を打ちすえる・・・
 それはもはや、己れへの怒りなのか、己れの殺めた者たちへのなおも尽きぬ憎しみなのか、
 あるいはそれらすべてを引き起こした、なにか名づけえぬものに突き動かされてのことなのか、自分でももう分らなかった・・・
 
 乙女に打ちすえられるたび、雌牛は叫び声を上げて岩に変わる。
 そのおもてからしだい生き物のぬくもりが失われ、冷たく沈んでゆくほどに、ゆっくりと霧は宵闇のなかに這い、夜がやってくる・・・
 ごうごうと吠え猛ぶ夜、狂気と血と殺しの記憶・・・
 けれども一夜明けると何ごともなかったように、雌牛はきまって生ける姿に戻って、湖のほとりで草を食んでいる。
 何ものも奪うことのできない、乙女の永遠の処女性のように。・・・
 
 こうしたドラマが、夜ごと朝ごと繰り返された、はかり知れず長きにわたって。・・・
 はかり知れぬ長きを経て、妖精の乙女も少しずつ年老いた、
 島がティルナノーグから切り断たれ、潮風に吹き寄せられて本土へ、人間界へ近づくにつれて、しだいその不滅の命の力を失ってゆくにつれて。・・・

 うずまく波のなかで果てしなく彷徨いながら、島の一方の端に残された、その昔、女主人マレナの館であったもの、幾棟もつらねて築かれたりっぱな館、・・・それらもまた時を経て、しだい斜めに傾いて崩れ落ち、海水でまっくろになって朽ち果てていった・・・

 そしてとうとう、呪いの解かれる日がやってくる・・・
 その日、二人の漁師を乗せた小舟が、霧のなかをめくらめっぽう彷徨いながら、運命の糸に引かれて少しずつこの島に近づいてくる・・・
 ふいに舟底に砂利の感触を感じたかと思うと、大きくがくっと揺れて、舟は浜にとまった。
 望みを失いかけていた漁師たちは、そのはずみに舟底へ投げ出されてしまう、が、すぐにひとりが身を起こし、舟端を跨ぎこえながら叫ぶ、ありがたや、陸だ!・・・ どこの陸だか知らないが、ともかくあがって火を焚こうぜ。・・・

 その日、浜辺で火の焚かれたたそがれどき、ミルクのように濃い霧が少しずつほどけてゆくのに、老婆は気がついただろうか?・・・
 その日、砂利浜を駆け抜けながら雌牛の背を打ちすえたとき、叫び声を上げたのは牛だけではなかった、
 岩に変じたその背から降り立って、老婆はおぼろな霧の向こうにふたつの人影をみとめる、彼らはぎょっとして度肝を抜かれている・・・
 だが、やがて勇敢なひとりの漁師が近づいてゆく、おい、ひどいことをするじゃないか!・・・ どこの誰だか知らないが、この牛がお前さんに何の悪いことをしたというのだ。・・・
 彼は老婆の手からその杖を奪い取ろうとする、彼女は怒りの叫びをあげて漁師を打ちすえる、と、彼もまたそのままの恰好でぴくりとも動かなくなる、彼もまた岩に変えられてしまった・・・
 傍らにいたもうひとりの漁師はぞっとする、死に物狂いで老婆に組みつくと、もみあいの果てについにその杖を奪い取り、彼女を打つ・・・ こうしてついに彼女自身も岩となり、その果てしのない孤独と苦しみも終わった。・・・
 そのときはじめて、ながきにわたってこの島を包んでいた霧がすっかり晴れ、彼は仰ぎ見て海の向こうに横たわる本土を、南にアランを、そして北にアチル島の姿をみとめたのだ・・・

 そのときはじめて島はようやく海の底にもといを見出し、海図のなかでその位置を定めた。
 それ以来もう、根なし草のように彷徨うことはない、呪いは解かれ、島はいまやアイルランドの一部となった。
 本土から人びとがわたってきて住むようになり、役場や教会も建てられた。・・・

 それでも、かくもながきにわたってひとりの女の苦しみにとりつかれたあとでは、何ごともなかったようにというわけにはいかない。
 姿を変えられた者たち、雌牛と老婆と漁師のひとりとの変じた三つの岩は、それからのちもロッホ・ボフィンのほとりにながく残って近づく者をぞっとさせた。
 殺しのあった<雄鹿岩>の周辺、マレナの館の廃墟のあたりには、今なお彼女の思いが、呪いの雰囲気が色濃くたちこめている。
 波は荒く、岩礁は鋭く、嵐のときにはいまでもときどき溺死者が出る。・・・

 いまでも島に霧のたちこめるたそがれどきには、ロッホ・ボフィンの砂利浜を、幻のように牛に乗って駆ける老婆の姿を、人は目にすることがあるのだという。
 あるいはまた、湖、ロッホ・ボフィンの中から老婆と雌牛が姿を現すこともある、七年にいちど、あるいはまた、何か差し迫った大きな災いの前兆として。・・・

        *

10. 神々の怒りのゆえに

 いまこれを記しているのは、私があの島で過ごした日々から五年の歳月を経たのちのことだが、これを書きながら、今さらのように思いあたるのだ。
 あの大嵐のあいだのいずれの夕べにか、フィオナと白い雌牛があの砂利浜を駆け抜けたに違いない。
 その嵐のためにじっさい、命を落とした者があったのだった。
 本土沿岸で二人の漁師が遭難死したのだ。
 私がそのことを知ったのは、島を出て、本土へ戻ってからのことだった。

 その話をきいたとき、私は底知れずぞっとして、一瞬、深い闇の中に落ちこんでゆくような感じがした。
 あの嵐の助けを借りて私がいにしえの漁師たちの姿を想像のなかでまざまざとよみがえらせたために、現し世において同じ二人の人間が、身代わりとなって死ななければならなかったのではないか?・・・
 この符牒・・・二人の死者、しかも漁師たち。・・・
 地の最果てで時空は交錯し、過去は現在をそのあがないとして要求する・・・
 私は島の魂深くを揺り起こし、島の物語を呼び覚ましたのだ。
 私はこの二人の人間の死に対して責任がある・・・そういう何ともいえず重苦しい感じが、しばらくのちまで私に取りついて離れなかった。・・・

 ざあざあ打ちつける雨のなかで、沖もなにも真っ白にかき曇って何も見えない、その中で彼らはボートを出す、どうしても網を引き上げなくてはならないのだ・・・
 これから晩にかけてますます風が強くなる、放っておいては面倒なことになる・・・
 なに、わけはないさ、親父のころには、これよりもっとひどい時化で舟を出したもんだ、そのときは・・・

        *

 この物語が「やって来た」とき、正直、さいしょは当惑を禁じえなかった。
 こんな最果ての島まできて、さいごの物語がこれなのか?
 こんな・・・安っぽいメロドラマなのか?・・・

 だが、アランに昔から伝わる民話にしろ(それをのちにイェイツやグレゴリー夫人が下敷きとして脚本を書いた)、北端のトーリー島に受け継がれる民謡にしろ、そこに描かれているのは、深遠な哲学でもなければ、繊細な自然描写でもない。
 それらはおしなべて、しょうもない男女の愛憎劇なのだ。

 私はいま、ラシーヌの<フェードル>の一節を思い出す・・・
「神々の怒りのゆえに」・・・

 王の妃フェードルが、義理の息子への狂おしい恋慕の情にとらわれたくだりを説明する一節だ。
 それは、彼女自身のとがや心の弱さのゆえではなかった(ラシーヌによれば)、それは「神々の怒りのゆえ」、彼女自身にはどうすることもできない運命のゆえだった・・・
 単なる修辞として読み飛ばしてしまいがちなこの一節が、奇妙に心によみがえる・・・

 それは、つまり It なのだ。
 恋の不可解な激情と、嵐の真っ暗やみの中で出会う原始の恐怖の念とは、名づけえない、得体が知れないという点で同じものなのだ。・・・
 人を苦しめ、狂わせるという点で・・・ にもかかわらず、人生のなかでなにか根源的な価値をもっているという点で・・・
 いまの私にはそれが分かる、乙女フィオナを狂わせたと同じ炎が、いま再び私の心のなかにあるから。・・・ 

         *

11. 島の夕べ~出発

 私のもとに物語が届いてほどなく、嵐は終息し、去っていった。
 久方ぶりに陽が射した。
 その日、私はサンルームのガラス越し、膝を抱えておもての景色に見入っていた。

 お日さま! お日さま!・・・ 
 イーマは弾んだ声を上げながら、窓ガラスを片っ端から拭いていった。
 が、私のところまで来ると急に手を止めて、
 ・・・拭いていいかしら? と尋ねた。

 イーマのデリカシーの鋭さに、ほんとうに気づいたのはこのときだった。
 雨つぶを散りばめたガラス越しに見るクノックの眺めには独特の美しさがあって、私はこよなく愛したのだが、そういうことを人に理解してもらうなど望みすぎだと思っていたし、イーマがガラスを拭くのは当然だし、そのことで気を悪くするつもりなど毛頭なかった。
 なのに、他人の価値観にここまで心至らせることのできる想像力とは!・・・
 
         *

 夕方、吹きなぶる冷たい風に身をさらして、クノックを右手に、ロウ・ロードを東へ歩いた。
 少し行くとクノックのふもとに聖コルマン修道院の屋根のおちた廃墟が、苔むして佇んでいる。
 その向こうには西日射す海原に横たわるライオン島 Inis Laighean が見える。
 
 道ゆくうち、石垣に挟まれた道の向こうから羊の群れが追い立てられてきた。
 メエメエ蹄を蹴たて、細道をいっぱいにふさいで。
 私の姿を見て、ひるんで及び腰になっているので、石垣にぴったり張りついて、石垣の一部になったふりをして通してやらなければならなかった。

 やがて道は島の東端の浜辺に至る。
 みじかい草が刈りこんだ芝生のように砂浜の丘に生える、そのあいだの踏み固められた細道をたどって浜へ出る。
 ベージュの砂にパステルカラーの貝殻のかけらが散らばっているのを見て、ピエールとリュシーのエヴィアンのペットボトルを思い出す・・・

 長靴のまま、じゃぶじゃぶと波間に入っていって、透明な波がうすむらさきの霧にけぶる沖の方からやってきては、レース模様のふち飾りをつけていくたびもいくたびも 長靴の先をのみこむのを飽きずに眺め・・・
 それから波打ち際に沿って、連なる暗い岩礁のところまで ずっとずっと歩いていった夕暮れの浜辺、
 岩礁のシルエットの向こう、宵の空は三重のグラデエションに染まる・・・
 
          *

 島を発つ前の日、ずっと住んでいたような気がして、立ち去るのがふしぎな気もちだった。
 いちばんさいしょの日を別にすれば、半月ではじめての快晴だ。
 ほんとうに、抜けるように澄んだまっさおな海と空・・・はるか沖合いに、アチル島の島影がくっきり見える・・・
 
 慌ただしく、朝からばたばた、島のあちこちを走り回って、滞在中に親しんだ景色に別れを告げた。
 黄色い薄手の毛布は洗い上げて、庭の芝生に張ったロープに干した。
 アラン島の本とイェイツの伝記は、イーマが興味を持っていたし、返すまでにはまだ日があったので、メモ書きして彼女の屋根裏部屋の扉の前に置いておいた。
 その日、イーマは、半月のあいだではじめて、島を留守にしていた。
 用事があってクリフデンまで出掛けていたのだ。

 島を発つ日、くっきりと冷えこんだ曇りだった。
 フェリーから、ゆっくり角度を変えながら遠ざかる島の姿をいつまでも見つめた。
 しずかな海に、山々の青い姿が美しかった。

 クレガンに着いて船を降りたところで、名前を呼ばれた。
 クリフデンから戻ってきたイーマだった。
 ほんとうにお世話になりました。
 心からお礼を言って別れた。
 結局さいごまで、連絡先は交換しなかった。・・・
私は彼女に、その美しい面ざしを描いたスケッチを贈った。

 Emer,
Thank you for your story of the golden lady,
for your delicious apple crumble,
and for your delicacy to consider people's possible affection
for the window dotted with raindrops...



















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Posted by 中島迂生 at 00:12Comments(0)白い雌牛の島

2010年02月16日

虹の乙女

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瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) オグウェン篇5
虹の乙女 The Maiden of Rainbows
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima



1. 物語<虹の乙女>
2. 夏のバングログ谷へ
3. ヒースの花々
4. 風と光と雲と雨と
5. 週末の憂鬱
6. ピナクル・カフェへ
7. この地で書くということ

***************************************

1. 物語<虹の乙女>

 イドワル・コテッジからちょっとした木立を抜けるとすぐナント・フランコンに出る。
 オグウェンから注ぎこむ滝に穿たれた、広大なU字谷だ。

 眼下に広がるその眺めを味わうのに、いつもきまって腰をおろす岩がある。
 Newborn lams... 仔羊があたらしく生まれたばかりだから、気をつけて脅かさないようにしてくれと、板切れに大書した看板。
 ずっと前から、一年中かけっぱなしだ。そのそばの、ゆったりと大きな肘掛け椅子のような大岩。・・・

 ナント・フランコン、名前のひびきがとても似合っていていい。
 <蛇の谷>という意味だと思っている・・・ほかに考えられない。
 谷底を走るオグウェン川の、銀色の蛇のように曲がりくねった姿が、あまりに印象的なので。
 でも、ほんとは違う、<兵士の谷>という意味らしい。
 正直、いまだにしっくりこない。ひとたび思いこんでしまうと、捨てるのは難しい。・・・

 よく晴れた夏の日、その美しさは格別だ。一時間でも二時間でも眺めていたい・・・ 青と緑とかがやく銀色の、宝石のような眺め。はるか先のベセスダまで一望できる・・・
 見ていると、陵線近くあちこちに、いやほとんど丘のいただきにかかるようにして、短い虹がいくつもいくつも、はかなく現れては消える。手に届くほどそばに、そのたびに角度を変えて、からかうように、遊び戯れるように・・・
 あぁ、彼女だ、私には分かった、あの娘だ、虹の乙女なのだ。はるか昔、羊飼いのアンセルムを不慮の死に追いやった相手だ。・・・

 まじめで実直な若者、羊飼いのアンセルムが羊たちを丘の上に連れ出して番をしていると、虹の乙女がやってきて誘いかけた。
 ついておいで、もっと高い頂きに、雲と接するところまで連れていってあげる。・・・

 アンセルムは、彼女のことを知っている、村の老人たちから、いくども注意されている、彼女に誘い出されて、それまでにどれだけの若者が、高い岩の上から足を踏み外して命を落としたかを。・・・
 だから、さいしょ彼は答えない、何も目に入らない、何も耳に入らないふりをしている。・・・

 けれども、彼女はいたずらっぽくそばまでやってきて、その袖をひっぱって囁きかける。
 彼はつい見てしまう、と、たちまちその虹の衣のこの世ならぬ美しさに、その顔の罪のない愛らしさに魂を奪われてしまう。
 こっちへおいで、いっしょに遊びましょう。・・・言われるまま、アンセルムはそのあとについてゆく、その顔にはもう、この世ならぬ、憑かれたような表情が宿っている・・・

 高い岩山のあちこちを、乙女は自在な軽やかさで飛びめぐる・・・ 気まぐれではかなく、こっちで消えたかと思えば またあっちから現れる、虹そのもの。・・・ 乙女は喜びにあふれて笑いさざめく、さあ、こっちよ、何をためらっているの?・・・ 
 そこは深い亀裂をはさんだ、危険な岩場だ。乙女は手を差し延べる、アンセルムは身を乗り出してその手をつかもうとする、と、一瞬、つかみそこねて足場を失い・・・ そう、定石どおり・・・奈落の底へ落ちてゆく・・・ 
 乙女は降りてきて、悲しむ。
 彼女の遊び相手がどうしてこうもみな鈍重で、ひとたび身を打つと二度とは起き上がらないのか、乙女には分からないのだ。
 この人はどうしたの、ただ眠っているだけ。遊びに飽きて、疲れてしまったのよ。・・・

 彼女は今日も谷のあちこちを、心のままに飛びめぐる・・・ 死んでしまった若者のことは、もう忘れてしまった。
 でも、その面影を、いまも時どき思い出す・・・ あの人は、どうしたのかしら? 綺麗な人だったわ。・・・たぶん、目を覚ましておうちに帰ってしまったのね。またいつか、この谷に羊を追いに来ないかしら?・・・


2. 夏のバングログ谷へ



 7月25日、水曜日。・・・
 望みつづけて、決して諦めないことだ。・・・そうすればきっと叶う・・・何ごとも。・・・
 きのうイーサフに着いた。この谷への三度目の訪問を果たしたのだ・・・

 来たかった、もういちど、ヒースの花の咲く季節に。・・・この谷へ!・・・ 荷物を馬車から引っぱり降ろし、流れに渡した低い石橋をわたってトロヴァーンの姿を目にしたとき、私はしみじみとうれしく、懐かしかった。・・・イーサフも何も変わっていない・・・ 勝手知った離れに荷物を運び、窓から谷の向こう側を眺めた。・・・



 ここ数週間ばかり、一滴の雨も降らない。焼けつく日射し、うだるような暑さだ・・・この谷でさえも。・・・
 奇妙に青空が広がり、雲も吹き払われてしまって、この谷らしくない、へんにおとなしい感じがする。
 しずかな青色を湛えたオグウェンは美しいが、なんとなく、スウェーデンの女のように、淡白すぎて面白みに欠ける。
 よそよそしいというか・・・薄いというか。
 それは晴れた日のウェールズの山景色全般にいえる。
 均整がとれていてとても美しいのだが、いまひとつ表情に乏しいのだ。
 本来の、ウェールズらしい感じは、やはり雲の多い日、光と影のまだらがゆたかな表情を与えるとき。・・・

 ・・・それでも、朝、寝ぼけまなこで外へ出てゆくと、激しくてぶっきらぼうな、ウェールズの風だった。風はトロヴァーンの方から吹き降ろしてくる、いつも、必ず。・・・農場の裏手のせりあがった斜面には低い雲が降りてきていたし、反対側の<異界の丘>の方にはむくむくと、厚い雲がかぶさっている・・・



 トロヴァーンはまっすぐ前から朝日を受けて、ほとんど白に近い、淡い灰色だった。とても彫刻的な姿だ・・・おだやかで。・・・
 だいたいあのステアウェイより下の部分から、ヒースの花でうっすら赤紫色に染まって、ゆったりとローブをまとったように見える、羊たちも日の光のなかで平和に寝そべっている・・・

 丘々はあかるいみどり色と若草と灰色の不規則なまだら模様だ。あかるいみどり色はワラビの群落、雨の日のカエルの背中のような、みずみずしいエメラルドグリーン。・・・若草は牧草地、灰色は岩地だ。雲の移りゆくにつれて、何と繊細に、さまざまに光の調子を変え、うつりゆくその色あいを変えてゆくことだろう・・・

 岩々も木立と同じように、光の調子ひとつで千変万化する・・・ほとんど白から黒にまで変わる。・・・まっすぐ正面から受けるとき、あるいはななめ横から光が射して、岩のひとつひとつに長い影をつけるとき、あるいは逆光で暗くなるとき・・・ 青空のもとを雲の群れが横切ってゆくと、その下で岩は青い色に染まる。・・・

 けれど、たいていのときは岩は淡いグレイだ、ヒースの赤紫がよく映える・・・ 岩棚のひとつひとつにこんもりと花を咲かせて、愛らしいといったら・・・ ウェールズのどっしりとした石造りのコテッジの軒に吊り下げた、ヴィオラやなにかの寄せ植えの花籠、あの感じを思い出させる・・・


3. ヒースの花々



 ヒースは、花そのものは紫がかった綺麗なピンクだが、葉がモスグリーンで、茎が赤茶色をしているので、ぜんたい少しくすんだ色あい、短調のひびきだ。・・・見ていると同じヒースでもさまざまな種類があるのが分かる。花の大きさ、色の濃さ、それぞれにすいぶん違う。ずっと淡い、淡紫の露玉や、涙のつぶをちりばめたようなのもある。霧のようにこまかな花房のもある。・・・

 ヒースもあまり標高の高いところには生えないようだ。高い山では色別に三層くらいになっている。ふもとの方から、ワラビのみどりとヒースの赤紫と岩の灰色・・・ヒースの赤紫と岩の灰色・・・岩の灰色だけ、というふうに。・・・

 自分のくにに戻っているとき、もはや身のまわりにないもののことをずっと覚えているのは難しい。・・・ヒースの花ってどんな感じだったっけ?・・・ そう考えたときに、ただぼんやりとしか思い浮かべられないことに気がつくとぞっとする。・・・
 ヒースの花がどんなだか、忘れてしまうなんて恐ろしい。自分が誰だったか忘れてしまうのと同じくらい恐ろしい。
 この谷を去っていたあいだじゅう、これなしに、手の届くところになしで過ごしていたのだ、そう思うと深淵に落ちこむような感じがする・・・



 それでもなお、私には分かっていた・・・そこにずっととどまっている限り、印象はたえず次々と積み重なって、その下にどんどんうずもれてゆき、・・・しだいまじりあい、ぼやけてゆき、曖昧になって、そのうちどうしても避けがたく、ほんとうには見なくなってしまう。・・・ほんとうに見るためには、それはまわりの世界から隔てられた何ものかでなくてはいけない。・・・

 額縁が絵をまわりの世界から隔て、切り取り、そうすることでこれに永遠の相を与えるように、それとまったく同じように・・・ この谷における私の不在は、この谷における私の滞在とともに、私の心のなかのこの谷の映像に永遠の相を与えるため、時のおもてに刻まれたしるしなのだ・・・


4. 風と光と雲と雨と



 7月27日、金曜日。・・・
 この谷に戻ってさいしょの何日かは、ただそこにいるだけで幸せだったので、特に何もしなかった。
 食料品の買い出しなどに行くほかは、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、気が向くとおもてへ出ていって山を眺め、それからお茶をわかして本を読んだりなんかして暮らしていた。・・・

 ただ、このウェールズの山々に囲まれて過ごせることの贅沢さは!・・・ この厳しくそそり立った岩山、赤紫のヒース、ごろごろ岩のころがった斜面に連々と築かれた石垣、それから私が<トロヴァンおろし>と名づけた冷たい突風に運ばれてくる雲の群れ・・・
 朝いちばんにおもてへ出ていって、石垣の踏み越し段のてっぺんに立ち、両手広げて激しい風に身を曝すときの、荒々しい、凶暴な幸福感・・・



 ときどきは、エーハフの裏をぬけてトロヴァーンのふもとで街道にまじわるトラックをたどって、オグウェンの湖のおもてを眺めにいった。私のいちばん好きな散歩コースだった。
 湖ぞいに西へ向かうと、街道の右手、湖に少し突き出て、折り重なった小さい半島状の岩山がある。ここのてっぺんに登ると、そこからの眺めはほんとうに絵のようだった。ふたつの山にはさまれた湖、空の色が刻一刻と映りゆくにつれ、しずかに澄んだ瞳のように忠実にその色を映す・・・ かなたには、また別のふたつの山の盛り上がったシルエットを背にして、小さいコテッジがひっそりと抱かれている、イドワルだ・・・



 それは何かの舞台立てのようだった、ちょうどこれからここで何かの物語が始まるような、あるいははるか昔、ここで何かの物語が起こったかのような・・・ いや、ここでどんな物語が起こったか、私はすでに知ってるのだが、それでもこの眺めを目にするたび、なおも必ずそういう印象を抱くのだった・・・

 何度もこのコースをたどるうち、私はその場所を<憶いの岩>と呼ぶようになった。ここを歩くとき、私はいつも必ず足をとめて、この岩山のてっぺんまで登ってしばらく時間を過ごす・・・ そうして澄んだ湖のおもてをのぞみながら、乙女オグウェンの耐え忍んだ苦しみに、そのけだかい悲しみに憶いを至すのだった。・・・



 7月28日、土曜日。・・・
 今日は午前中から一日雨が降った。アルフリストン以来、ほぼ二週間ぶりの雨だ・・・ 今まで川もちょろちょろとしか流れていなかったから、山にとっては恵みの雨だった。それにしても、降ればどしゃ降りとは言ったもので、すごい勢いだ、狙ったように週末に降ったものだ・・・この週末を楽しみに、わざわざ遠くからやってくる人たちもいただろうに。・・・

 だが、これぞウェールズ!・・・ 朝から曇り、山の上にはどっしりと分厚い雲がかかって、ゆっくりと移動してゆく、頂きは暗く、ドラマティックな様相を呈し・・・ この雲なのだ、これがウェールズだ。・・・ 雲がほんとうに、山と見紛うようなシルエットと重量感なのだ・・・



 黒いトロヴァーンのとなりに白いトロヴァーンが、丘の上にはさらに二倍も高い、灰ねず色をしたもうひとつの丘が、急に出現していて、はっとさせられる・・・ そのうちざーっと雨が降り出して、ふっと見ると、今しがたすぐそこにあったトロヴァーンが、真っ白にかき雲って影も形もなくなっている。・・・ そう、きっと昔はこんなふうだったのだ、昔は、山々はいまよりずっと自由な心をもっていて、心のまま、伸び縮みし、形を変え、場所を移っていったのだ・・・

 雨が途切れて一瞬しずかになると、また突風が吹きつけて、次の雨のかたまりを運んでくる・・・ 一日じゅう、そんな調子だった。
 7時くらいに外へ出てみると、すぐそばにくっきり、みごとな二重の虹がかかっていた。向こうの端はあの岩のところから始まって、こちらの端はイーサフの中庭のところで終わっている。あぁ!・・・ けれども、虹ほどはかない命もない。みるまに、端から消えていった。・・・

 雲の群れが次から次へ、丘の斜面をゆっくり這って、びっくりするほど低いところを進んでくる・・・ もう少しでここまで降りてきそうだ。夕方になると太陽が顔を出した・・・雲の切れ目から光が射して、斜面の岩のごろごろ、ぬれた岩の表面が立ちのぼるもやの中でいっせいに輝いた。

 あいかわらず風が強い・・・ 長靴をはいて、ぐっしょりぬれたスゲガヤを踏み分け、向こうの松の木立のところまで、川ぞいにぶらついた。このへんの石はアイルランドの石垣の石のように、ごろっと丸みを帯びて、白や薄きみどりの苔の斑点がついている。・・・




5. 週末の憂鬱

 呪われた週末。・・・
 夏の週末に、田舎にいるものじゃない。
 あとからあとから人がやってきて、水場も料理場も占領されるし、ブレーカーが落ちてお湯は出ないし、どこもかしこもごった返して、一片の平和もない。
 きのうからまた納屋を追い出されてテントを張っている。・・・

 夏のキャンプは気持ちがいいが、それなりの欠点もある。
 ひとつは、虫だ。羽虫や、ブヨや、蚊や、色々いるが、とにかく目についたら片っぱしから殺しておいた方がいい。
 キャンプしたとたんに色んなのに刺された。
 斜面一帯にぐじゅぐじゅと水が滲み出して、ともかく湿気が多いのだ。だから数も種類もものすごい虫がいる。
 冬の結露と同じくらい、こいつらは頭痛の種だ。

 刺しはしなくても、さらに始末の悪いのもいる。
 ある晩、手を伸ばしたらいきなりヌメッとしたものにさわって、ぎょっとなって飛び起きた。
 どうした拍子にか、ばかでかいナメクジがテントの中に入りこんで、枕元に這っていたのだ。
 とっさにティッシュペーパーで掴んで放り出したが、正気に戻るまでにしばらくかかった。

 当地のナメクジはまっ黒くて、しかも手のひらほどもの大きさがある。
 さわったのが手でよかった。
 髪とか服だったら、気がつかずに踏みつぶして寝ていたかもしれない。
 ナメクジの死体ときたら、生きているナメクジよりもなお始末が悪い。
 あんなみっともない体をさらして這っていないで、カタツムリを見習ってなにかまともな殻を背負えばいいのに。
 そうしたら、放り出すにしてもそこを掴んで放り出せる。・・・

 人でごった返す食事どきをやりすごして、誰もいなくなった料理部屋でくつろいで紅茶を入れ、少し書き物をして、ああまた真っ暗なテントに戻るのいやだな、またナメクジなんぞいたらいやだな、と思いながらようやくと腰を上げておもてへ出たら・・・Jesus, 何だこれは!

 恐ろしいほどに空一面の、星、星、星!・・・
 天の川で白くなっている、山々の陵線のところまで、ぎっしり、びっしり・・・
 一日じゅう雨が降って、塵ひとつ残さず空をすっかり払い清めたのだ。・・・

 まったく、ウェールズの空は、極端から極端だ。
 テントにもぐりこみ、入口を全開にして空を眺めながらうたた寝におちた。
 星でぎっしり埋め尽くされた空を、また暗い雲むらが次から次へ、いくつも流れすぎていった。・・・


6. ピナクル・カフェへ



 7月29日、日曜日。・・・
 夕べは風が強かった・・・ 急に突風が吹くと、バン! とテントが膨らんで・・・大丈夫だと分かっていたからそのまま寝ていたけれども、朝、起き出してみると、ほかの滞在客のテントで、支柱が交差して天井を支えるタイプでないものには、折れて壊れてしまっているものもいくつかあった。それでなくても、交差式でないものは風が吹くとバタバタして不安定なのだ。・・・

 朝は空気がとても冷たかった。十月末のエニスの感じ・・・ これが本来の夏のウェールズの空気なのだろう。料理部屋には例によって人々がばたばた出入りしているので、テントの中でコーヒーを沸かし、ミューズリとビスケットをかじる・・・ 午前中、また少し雨が降った。・・・



 そのあとは、雲と風と光のドラマティックなウェールズ・・・
 ピナクル・カフェまで買い物がてら、街道に並行して走るトラックをはじめて歩いてみた。トラックの方が、斜面のずっと高いところを走っているので遠くの山々がよく見える。こういう地形になっているのか、というのがよく分かる。街道は谷底を通っているので、そこからだと、遠くの山々は、ほとんど両側のせりあがった斜面の向こうに隠れてしまうのだ。・・・

 風に吹きなびく草のあいだをずっとたどって、ふり返ると、かなたのアル・オウル・ウェンから遥かに広がった斜面は光と影のすじを引いて、雲はあとからやってくるし、文句ない雄大さだ。山々はすこし逆光になって、小さくぽっつりと見える石造りの農家、石垣・・・



 この谷の雲はほんとうに雄弁だ、山と同じほど巨大な雲がむくむくと現れる、人を脅かすような、不吉な暗い色をした雲塊が。・・・それらは恐ろしげで、ぞくぞくさせ、同時に一種抑えがたい原始的な喜びの衝動を、人の内にかきたてる・・・ 丘のあいだからびゅうびゅう吹きつける烈風に両手広げて、このまま鳥になって飛んでゆきたい・・・



 ゆく手はるかに連なる丘々の、石垣がずっとつづいてごつごつと岩の突き出ているようすは、大陸的・・・チベットかどこかのよう。スゲがずっと生い茂って、ヒースが咲いている・・・ そして、岩のあいだで草を食む羊たち。・・・
 その姿を見たとき、私はとつぜん奇妙な感覚に襲われた・・・ 今のこの光景を、まさにこの羊のすがたを、かつてオグウェンもコンスタンティンも見たに違いないという。・・・一万年の時の差が一瞬にしてちぢまり、折り重なってひとつになったような感覚。・・・彼らの面影はこの谷の至るところに満ちていて、忘れることはできなかった。・・・


 
 トラックはピナクル・カフェの裏手のところで丘を下って、街道の三つ辻に交わっている。その裏手の丘のところから、逆光のアル・ヴィズヴァ・・・スノウドンが見えた。この場所からスノウドンを見たのは、三度目の滞在にしてはじめてのことだった。その黒いシルエットにグレイの雲むら、手前から日の光が照り映えて、そのすそを銀色にかがやかせている・・・前景をふちどるメドウは光を受けて、もえたつようにあかるいみどり色だ・・・宝石のような。・・・




7. この地で書くということ

 7月31日、月曜日。・・・
 きのうから大きい方の納屋にいる・・・内側は太い梁が剥き出しのまま、積み上げた石壁をしっくいで塗りこめてある。こっちの離れは、がらんと寒くて、窓もないので、あまり好きではなかったのだ。・・・ けれども、こうしてまた戻ってみると、鼻につくペンキの匂いや何かまでが懐かしい・・・

 屋根の上を激しい風が吹きすぎてゆく、それからザーッと叩きつけるような雨が降っているらしいが、壁がとても厚いのでよく聞こえない・・・ 納屋のなかはひっそりとしずか。・・・ 夕べからまた天気がわるい。けさは朝から断続的に降ったりやんだり、降るとどっとすごい勢いで降ってくる・・・

 数日前まで、ずっと晴れ上がったおだやかな天気がつづいていた。こんな調子なら明日あたりカペル・キュリグの向こうの湖まで足を延ばそうか、そう思っていた矢先にこれだ、移り気なことといったら・・・ 急に11月のような寒さ、きのうから腰が冷えて仕方なく、枕をいくつか、クッションがわりに椅子にのせて書いている・・・二年前に戻ったよう。・・・



 この日一日、<魔の山>を書いて過ごすという贅沢を味わった。・・・今まではあまりこういうことをしなかったのだ、そんな余裕もなかった・・・ゆく先々でゆたかな物語の訪れを受けたとしても・・・文章にまとめるのは旅を終えてからでいい、いられるうちにめいっぱい、歩きまわってこの土地の力を受け、この土地の空気を吸っておかなくては・・・ それは正しかったと思う。
 でも、この日ばかりは・・・屋根打つ雨のひびきと壁にごうっと打ちつける風の音とを聴きながら、一日降りこめられて書いていた・・・

 降りこめられるのは好きだ。とても落ち着く。・・・時どき、疲れると腰をのばしてお茶を入れた。・・・
 雨が降り出すと羊が鳴き出す・・・降ってきたよ、冷たいよ、んんんメエエ・・・ 雨がやむと羊が鳴き出す・・・日が出たよ、またすてきになったよ、んんんメエエ・・・ 
 夕方までこもっているとさすがに頭が痛くなってきて、外の空気を吸いにいく。折りしもいっとき雨もやみ、吹きすさぶ風に時折霧雨がまじるていどになっている・・・



 書いている最中の精神状態というのは、それがどこであっても大して変わらない。いま取り組む物語の世界に没入し、ほかの一切を閉め出して・・・ それだけがすべてで、すべてで、ほかに何もない・・・一切は遠く、霞のなか。・・・ 書いて、書いて、書きくたびれ、・・・ペンを置いてはじめて、現実の「今」と「ここ」に戻ってくる。・・・

 「いま」と「ここ」が、自分の紡ぐ物語世界と異質なのは当然のことだと思っていた。それが書くということなのだと思っていた、・・・つまり書くとは、人の心を砕くこの醜い現実世界にあって、己れのペンひとつでもって全く別な、美しいもうひとつの世界を打ち立てんとして挑むことなのだ、と。・・・

 ところがそれがここでは違う、ほとんど不可能に思えていた世界のあり方が現前する・・・ 外へ出てゆく、するとそこは、同じ世界のつづきなのだ。・・・扉を開けて一歩出れば、トロヴァーンの黒い姿が千年前と変わらずに聳えて、スゲとごつごつした岩の斜面では、羊たちが、コンスタンティンとオグウェンの時代と同じ姿で草を食んでいる!・・・



 何という調和、何という恩寵だろう・・・そして心から思うのだ、いつかはこういう境地に辿りつきたいと・・・いまみたいに、ほんの数週間ではなくて、まさに生のぜんたいが、こんなふうであるような状態に。・・・

 見渡してはるかに遠く広がる地平に、人もなく、人の手になるものもほとんどなくて、安んじてひとりきりになることができる・・・物語が訪れてくるのは、そういう場所だ。・・・ 
 その夕べ、私は谷の反対側、イーサフの向かいの斜面をどこまでも登ってゆき、ひと足ごとに振り返っては、雲をまとうたトロヴァーンの姿を眺めながら 岩地やヒースや羊たちを眺めながら 風に身をさらしてひとり彷徨った・・・ はるか下界に小さく、イーサフの石造りの棟々がぽつんと見えた・・・ 幸福な思いに心充たされて、ほかに何もいらない・・・ これが平和というものだった・・・

 ・・・すべての仕事をなし終えたあかつきには、たぶん、あの兄弟の兄の方のように、私はこの谷へ、あるいはもしかしたらこの谷ではないかもしれないが、ほかのどこかの・・・イェイツにとってのベン・ブルベンのような・・・私の真の心のふるさとへ、還ってゆくことができるだろう・・・
 


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2010年02月16日

移り気な巨人

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瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) オグウェン篇4
移り気な巨人 The Tempersome Giant
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima




1. 物語<移り気な巨人>
2. イドワル王子と<悪魔の台所>
3. アグリー・ハウス
4. ベセスダからバンゴールへ
5. ペナパスへ
6. ベイズゲラート

****************************************

1. 物語<移り気な巨人>



 秘密の湖。・・・
 街道からは見えないけれど、山々の向こう側には、いくつもひっそりと水を湛えた澄んだ湖がある。
 それらへは、細い未舗装の道を通ってしか行かれない、自分の足で登るしかない。
 スリン・イドワル、イドワル湖はそんな湖のひとつだ。・・・

 イドワル・コテッジのまわりときたら、四方の風が集って握手したような、奇蹟の立地だ。
 歩いて五分のうちに山があり湖があり木立があり、谷が開けていて、川が滝になって流れ出している、何でもある、完璧だ・・・

 オグウェン湖のうしろに横たわる山、アル・オウル・ウェンは、湖のほとりから見るとのっぺりとしてとりとめもないが、コテッジの背に盛り上がる斜面を登り、オグウェンより一段高い、イドワル湖のあたりから見ると、とても均整のとれた、トロヴァーンとよく似た姿をしているのが分かる。
 そして、ここから見てはじめて、物語の欠かすべからざる一要素となるのだ。・・・

 イドワル・コテッジの向かってすぐ左手、垂直に切り立った岩のあいだに、人がやっとひとり通れるくらいの狭い切り通しがある。
 夏にはヒースの紫で飾られる。
 さいしょにここをひと目見たとき、私はそこを必死で駆け抜けるひとりの若い女の幻とともに見た。
 彼女が駆け抜けた瞬間、私の前で、それは門が閉まるようにガチャリと閉まった。・・・

 しぜんにできたにしてはどうも出来すぎているような気がするのだが(再び、トロヴァーンのステアウェイと同じように!)
 その切り通しは、イドワル盆地へ登る唯一のルートだ。少なくとも、ふつうの身体能力をもった人間には。

 ここを抜けて、岩の登山道を川の流れに逆らって登ってゆくと、ほどなく目の前にしずかなイドワル湖が広がる。
 それほどきつい登りではない。
 湖を取り巻いて、イドワル・スラブや<悪魔の台所>のおどろおどろしい稜線が盛り上がっている。
 <悪魔の台所>など、ほんとうに怪物のはらわたでも調理していそうだ。

 このイドワル盆地には、ドラマティックな歴史があるらしい。
 手元のパンフレットによると、四億年ばかり前、二つの大陸が衝突したときに生まれたのがこの山々で、このあたりはその昔は海の底だったそうだ。
 その証拠に、いまもこの辺の岩々には波の模様がついているのだという。
 そのとき噴火して流れ出た溶岩の名残で、いまも山々はどす黒い、青黒い色をしている。
 日の光のもとでは、まだいい。
 ふっと日が陰ったとき、急に立ち現れる真っ黒な姿は、悪夢のようだ。・・・
 


         *             * 

 あるとき、父親が幼い娘の手をひいて、このあたりの山々のあいだをとぼとぼと彷徨っていた。
 彼らは道に迷ってしまったのだ。

 そこへ、巨人オウル・ウェンが出くわして、大声でどなりつけた。
「俺の土地でいったい何をしている。」

 すると、父親は震え上がって言った、
「申し訳ありません、私たちは道に迷ってしまったのです。あなたの土地に入りこむつもりはありませんでした。
 お詫びにこの子を差し上げますから、あなたの召使いにするなり、ご自由にしてください。
 ただ命ばかりはご容赦くださいますように」
 そこで父親は娘を残して去ってゆき、娘はオウル・ウェンの召使いとなった。

 さて、巨人オウル・ウェンの心はウェールズの空のように変わりやすく、いまくつろいで機嫌よくしているかと思えば、次の瞬間には理由もなく、急に怒り出すのだった。
 そんな主人に仕えるのは並大抵のことではなかった。
 娘はびくびくしながら暮らした。
 皿にはちりひとつなく、テーブルクロスにはしみひとつなく、家じゅうをいつもぴかぴかに磨き上げ、何の落ち度もないように気をつけて働きつづけた。
 それでも、いつ雷を落とされるか分からなかった。

 そんな日々が何年もつづいて、娘は疲れ果ててしまった。
 ある日、怒った主人が火かき棒を振り上げたのを見て、彼女は心底怖くなった。
「ここにとどまって殺されるより、逃げ出して野垂れ死にした方が、まだましだわ」
 そう考えて、勇気をふり絞って、とうとう主人の家を逃げ出した。

 ほどなく気がついた巨人が、彼女のあとを追いかけてきた。
 走って走って、とうとう追いつかれそうになり、巨人の指が娘をつかんで引き戻そうとしたそのとき、彼女はちょうどここ、イドワルの切り通しのところに至って、必死でそのあいだを走り抜けた。

 彼女は、命を救われた。
 娘を気の毒に思った切り通しの両の岩壁が、彼女が駆け抜けた瞬間にガチャン! 門のように音をたてて閉まったのだ。

 巨人はのばした指をそのあいだにはさまれて、天地が激動するほどの大声をあげた。
 そのとき、彼はあまりのショックに青黒く固まり、その場で巨大な岩山と変じてしまった。
 それがいまのアル・オウル・ウェンなのだ。・・・

 この切り通しを抜けて、イドワル湖のところまで登っていって振り返り、ゆきすぎる雲むらの下でアル・オウル・ウェンの巨大な姿が一瞬にして青黒く変容するのを見るたび、私はいまも、あの娘の物語を生き直しているような、あのドラマティックな瞬間を生き直しているような気がするのだ。・・・
 そして考える、彼女はそれから山々を越えて、無事に逃げのびただろうか?・・・


2. イドワル王子と<悪魔の台所>



 この土地は物語に満ちている。・・・
 かくまでドラマティックな土地であればふしぎもない。
 この土地は物語に満ちている。
 私のもとに<やってきた>ものであれ、はるか昔からこの土地に伝わっているものであれ。・・・

 イドワルには、私の知る限りもうひとつの物語がある。
 こちらは<やってきた>のではなくて、パンフレットに書いてあった。

 昔、イドワル王子とその従者たちが、この湖で死んだ。
 こんにち、ほとりに散らばっている大岩は彼らの墓標なのだという。

 イドワル王子とは何者か、彼は何ゆえ死んだのか?
 そこには何も書いていなかったので、あとで色々調べてみると、プリンス・イドワルの伝説はかなり有名なものらしいことが分かってきた。

 彼はグウィニドの王オウウェンの息子で、父親の死後、その遺言に従ってオグウェン湖のほとりに城を構えるネフィドのもとへ赴く。
 ところがネフィドは王子を憎んで、イドワル湖に溺れさせて殺してしまう。
 <悪魔の台所>の名は、彼が罪もなく生贄とされたことと関係があるようだ。
 "Today Devil's Kitchen got a feast."
 
 また、邪悪な王ネフィドの呪いゆえ、イドワル湖の上には決して鳥が飛ばない。
 たしかに、湖のまわりをかなりの時間かけて歩いたが、その限りでは、一羽の鳥も見かけなかった。

 この物語で、私の知る限りいちばん詳しいバージョンは、Louisa Bigg の Pansies and Asphodel という本のなかにある。
 初版は十九世紀、えらく古めかしい文体で、しかも韻文で書いてあるが、だいたいのところ、要するにかいつまんで言うと、ネフィドは自分の息子を怒らせた罪をイドワルになすりつけて殺したことになっている。
 その晩、災いが迫っているのに無理に陽気に振舞おうとして、ネフィドはハープ奏者を召す。
 だが、奏者は所望されるように楽しげに弾くことができず、人の心を掻き乱すような不吉なメロディを奏でる。
 そのくだりはなかなか迫力がある、旧約聖書的だ。・・・

 こんなふうに少し文献にあたってみると、自分がこの地に根づいた網の目のような壮大な神話体系の、ほんの端っこに触れているにすぎないことが分かる。
 考えると、眩暈がする。
 人生は短い。
 一生のうちに、あといくつの物語に出会えるだろう、あといくつの物語を生きられるだろう?・・・
 ところで、<移り気な巨人>の物語は、<マビノギオン>のどこかに見出せるだろうか?・・・

 ともかく、私のもとへやってきたその巨人の物語であれ、イドワル王子の物語であれ、そう、この場所はそんな物語に似つかわしい。
 邪悪な場所なのだ、そこに身を置くだけで、理由のない悪意を感じる。
 傷つけることや、追い詰められること、死を想起させる場所なのだ・・・
 たぶん、まわりを取り巻くこの山々のどす黒さのせいであろうが・・・

 私はこの場所を訪ねたとき、奇妙に目を引いた一組のカップルを思い出す。
 曇り空の、風の強い、寒い日だった。
 彼らは私が湖に着いたときからそこにいて、私が湖をひと回りして戻ってきたときにもまだそこにいた。
 男の方は手入れの行き届いたロマンスグレイに黒のコート、女の方はブロンドだった。
 ふたりはまんじりともせずに身を寄せあって、湖のおもてを見つめていた。

 どうにも場違いとしか言いようがなかった。
 見つめる先がコモ湖とかヴェニスの街並なら分かるが、これがイドワル湖に<悪魔の台所>ときては、ロマンティックどころではない。
 その後ろ姿が、これから心中でもしそうに思いつめている感じがして、気になった。
 切羽詰った不倫旅行の途上でもあったのだろうか?・・・
 そう、そこにもひとつ、現在進行形の物語があった。・・・




3. アグリー・ハウス

 この土地は物語であふれている。
 どこを切り取っても、物語の舞台背景のようなのだ。

 カペル・キュリグからベティソへ至るみどりゆたかな道すじには、街道に並行して細道のトラックがあって、そこをえんえん、アグリー・ハウス(醜い家)を過ぎてスワロー・フォール(つばめ滝)まで歩いたことがある。
 スワロー・ハウスはものすごくごつごつとした岩積みの家で、ここにも伝説がある。
 山賊の兄弟が力を合わせて、ひと晩で築き上げたのだという。
 というのは、昔、日の入りから日の出までのあいだに家を、壁と屋根と煙突のそろったきちんとした家を建てることができたら、それは正式にその人の持ち物となる、というきまりがあったのだそうだ。

「僕はその伝説を信じるね」
 私が訪ねたとき、そこの管理にあたっていたナショナル・トラストの職員はまじめな顔で言った。
「大の男が二人で力を合わせれば、これくらいの大きさの家ならひと晩でできると思うよ」
「アグリー・ハウスって変な名前だと思いませんか?」
ときいてみた。
「アグリーっていうのは、まあ・・・rough(粗い)ってことだよ」
という返事だった。


4. ベセスダからバンゴールへ

 ベセスダからくねくねと山道をのぼってバンゴールへ至る道すじがまたすばらしい。
 私が行ったとき、バスのルートは二つあったが、たしかトレガース経由ではない、遠回りしていく方のルートが素敵だ。
 このルートのバスのなかでは、ウェールズ語が聞ける。・・・

 このルートこそ、まさに生きた絵だ。・・・
 私はその絵を楽しむだけのために、このルートをバスでつづけて二往復したことがある。
 どっしりした石造りの村々があって、薔薇が咲いている、ヒースの群れ咲くなだらかな丘があり、森の中の教会があり、突如視界が開けて青い海が、パッチワークの向こうに広がり、振り返れば広大な茶色い山々が、雲をかぶって光のなかにゆらめきかすんで連なっている・・・
 北ウェールズ、ここには地上の美のすべてがある!・・・

 もちろん、・・・スラグの山は別だけれど。・・・
 私が見たことのあるのはベセスダのやつだけだが、できれば目に入れずにすませたい。
 スラグはスレートを精錬するときにできる廃棄部分だ。
 ほかにどうしようもないので、いつまでもその辺に積み上げておかれる。
 凄惨な、まっ黒いゴミの山。・・・


5. ペナパスへ  



 8月3日、木曜日。・・・
 今日は少し日記を書こう。
 きのうになって、今回はじめてペナパスへ行ってみた。ペナパスはスノウドンへの玄関口で、ホテルや駐車場やカフェがある。
 カペル・キュリグでバスをつかまえたときにはまた少しいやな思いをしたが、天気は素敵だった。
 というのは、どんより曇って、スランベリスの方からびゅうびゅう風が吹きつけて、とてもペナパスらしかった。
 ちょうど前来たときの十一月の感じだ。
 やっぱり北ウェールズは、こうでなくてはね。・・・

 あそこへ至る道すじは、ほんとに雄大だ。
 晩秋には、見上げた斜面が枯れたワラビでだーっと一面赤茶色になっていて、そこにぽつぽつ、ホーソンのねじくれた小さい木が斜めに枝をのばし、そろって赤い実をつけている。
 夏には、ワラビのカーペットは爽やかなみどり色で、ホーソンのこずえは少しモスグリーンがかったきみどり色だ。
 ワラビのみどりは、涼しげで、ほんとにいい色。・・・

 山の上の方はやっぱりヒースの花で紫に染まっている。
 子どものころ、溶岩のかけらをもらってもっていたことがあるのだけど、ちょうどそんな色なのだ。
 こちらの山も、溶岩だから。・・・もしかしたらヒースの赤紫は、溶岩の色が染み出しているもかもしれない。

 左手には広大な湖が広がっているし、その向こうには北欧のような針葉樹林が連なる。
 そのうしろにはまた山々が盛り上がって、書き割りのようにピクチャレスクだ。・・・

 ペナパスへ登っていく道はけっこうな山道で、しかもかなりのスピードでぶっ飛ばしていくのでスリリングだ。
 ここからは、コンウィ・ヴァリィに似た感じの、ブロッコリみたいな木立と、その向こうに光る湖の見えるすばらしい谷が見渡せて、その眺めがいちばん素敵。
 あとで地図で見たら、それがナント・グウィナントだった。

 この日はスノウドン、うっすら雲かかりながらも大体見えた。
 だが、個人的にはその左側の三つ峰の連なった山の方が形状的に美しいと思う。
 スランベリス方面には、変わらぬごつごつした山景色が望める。

 スノウドン・カフェに入ってコーヒーとフラップジャックを頼んだ。
 壁に昔のスノウドン近辺の白黒写真が飾ってある、居心地のよいカフェだ。
 コーヒーをすすりながら地図を眺めるうち、行きのバスで味わった不愉快な思いが、だいぶ慰められていった。・・・

 ガイドブックの、自分が行く予定の部分だけ切り取ってもってきていたのだが、たまたま一緒に載っていたベイズゲラートや、ブライナイについての記事を読んで、面白かった。
 ふと、さっき見たナント・グウィナントの向こうにベイズゲラートがあって、バスで行かれることに気がついた。
 明日あたり行ってみようか。
 グラスリン・カフェのアイスクリームが美味しいらしい。
 たぶん明日も寒くてアイス日和ではないだろうけれど、まあいい、あの谷を抜けるルートをバスに乗りたい。・・・




6. ベイズゲラート



 そんなわけで、けさ、朝のバスで出かけるつもりで早めに起きたら、なにか妙にしずかだ、しかも日が射している!・・・
 外へ出たら、半分ほど青空だった。嵐は終わったのだ・・・もっとしつこくつづくものと思っていた。
 たぶん私が<異界の丘>を夕べ書き終えたからではないかと思う。・・・

 出かけてみると、ハイカーも車もいっぱい繰り出している。
 カペル・キュリグに来てみると、木立が青い光に包まれている。
 アルフリストンのときと同じ青い光だ・・・
 空気がこんなふうにきりっと冷えて、澄んでいると、ものみなすべてが青い光を帯びて見える。・・・

 ナント・グウィナントをバスで通ってきた。
 湖は穏やかに空を映し、みどりはゆたかで、山が見えて唐松など生えていて、すべてが絵葉書のように美しい。
 ああ、もっと前に来てみるんだった。・・・
 と、さいしょは思ったものの、・・・正直、あまりに絵葉書的すぎて、だんだん退屈してきた。
 やはり私には、荒涼としたバングログ谷の方が似合いのようだ。・・・



 ベイズゲラートに着いた頃には、天気がよすぎて少し暑いくらいだった。
 山あいのほんの小さな村なのに、ちょっとした観光地だ。
 人がたくさん出ていて、川ではみんな水遊びしている。

 ベイズゲラートは<ジェラートの墓>を意味する。
 ジェラートは伝説的な犬の名前だ。
 その昔、忠実な犬のジェラートは、主人が留守のあいだ、主人の幼子を守るよう任された。
 そこへ狼がやってきて幼子を襲おうとし、ジェラートは死に物狂いで戦って狼を噛み殺す。
 ところが、帰ってきた主人は、血まみれになって自分を出迎えたジェラートを見て、彼が自分の子を襲ったと誤解し、その場で殺してしまう。
 あとになって間違いを悟った主人は悔いて、りっぱな墓を築き、ジェラートを手厚く葬った。
 それがこの村の名の由来だという。

 これも私のもとに<やってきた>物語ではなくて、もとから彼らのあいだで語り継がれている物語だ。
 ガイドブックにも、村の観光パンフレットにも載っている。
 でっちあげだという説もあるが、誰が知ろう?
 ともかく、この村の人気にこの物語がひと役買っているのはたしかなのだ。・・・



 村自体もほんとうに美しい。
 蜂蜜色のライムストーンの古い家並に、軒には色あざやかな花々の寄せ植え。
 村の真ん中には清流が流れ、バックにはヒースに染まった山並が連なる。・・・

 急に暑くなって、グラスリン・カフェのチョコレート・アイスクリーム日和だった。
 カフェを出て、歩いていたら、驚いた!
 急に私の名前で話しかけられたのだ。こんなところに、私を知っている人など、いるはずもないのに。
 ふり向いたら、マーティン君がにこにこして立っていた。
 こんなことってあるだろうか。しかもこんな山奥の村で?・・・

 マーティン君は、南部イングランドはポーツマスに住んでいる。
 はじめて会ったのは、アイルランドのドゥーリン、モハーの崖の下の村だ。
 自転車で旅行中だった。
 そこで知り合って、クリスマスカードを送りあうくらいの友だちだった。

 このときも、彼は自転車旅行中だった。
 ポーツマスを出て、一週間の予定でウェールズをまわっているという。
 ウェールズははじめてなのだ、と言った。
 
 我々のどちらも、相手の旅行の予定など知らなかった。
 ウェルシュ・シンクロニシティ。・・・
 物語のうえでも現実でも、いろいろとふしぎなことの起こる土地だ。・・・



 ベイズゲラートには、その後もういちど行った。
 この谷を発つ前のさいごの日だった。
 曇りの、穏やかな寒い日で、とてもいい日。
 こういうウェールズらしい日に、もういちどあの美しい村を歩きたいと思った。

 グラスリン・カフェでチキンローストを食べる。
 これでもか、というくらい徹底的に焼いてあるローストで、熱いジャケット・ポテトとフレッシュサラダのつけあわせ。
 味つけはなし。ナイフは切れない。
 それがこの国の流儀で、私は好きだ。
 腰を上げてロンドンへ戻るのに必要なエネルギーをもらった。・・・

 ウェールズ国旗は、上半分が白、下半分が緑の地に、赤い竜のデザインだ。
 ウェールズの伝説では、白い竜と赤い竜が血みどろの戦いをくり広げ、そしていつもさいごに勝つのは赤い竜のほうだ。
 白い竜はイングランド、赤い竜は我らが誇り高きウェールズを表している。

 いや、実はウェールズという名自体、ほんとうはウェールズ語ではない。
 それはその昔イングランド人によって呼ばれていた名で、異国の民とかよそ者たち、を意味する。
 本来のウェールズ語でウェールズはカムリュ、みたいに発音する。
 これは、祖国、仲間たち、という意味だそうだ。

 物語にみちた土地。・・・
 けれども、神話や伝説、物語、・・・それは単なる物語ではないのだ。
 グラスリン・カフェのチョコレートアイスにウェハースといっしょにささっていた小さなウェールズ国旗をいじくりながら、私はこの国の歴史に思いを馳せ、そのあと絵葉書の裏にそいつを貼りつけてポストに入れた。・・・



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