2014年04月26日

片づけについて 6-終末論的タイムリミット-

 
この10年間ほどは、モノ本位の古本屋みたいなごちゃごちゃした疲れる空間から、自分がいて落ち着けるような空間に変えていくのが課題だった。
ベースは、白。
だから今の部屋は、白の直線的な家具が多い。
これから文字を書く白い紙みたいな。
シンプルで禁欲的な、修道院のセルみたいな。

でもいまは、少しずつレースとか、こまかなディテールとか、優雅な曲線とかを取り入れていきたい気分。
控えめに、飽きないていどに。
とりあえずは、同じ白で。

たとえば、いまの部屋には大きな長方形のウォールミラーしかないけれど、楕円形の大きめの鏡があったらいい。
まわりに白い額で、表情のある彫刻が施されていて。

とか、いまの部屋にシャンデリアは似合わないと思っていたけど、ごく小さな、シンプルなものだったらいいかも。とか。

白と、淡いミントグリーンと、掠れたような控えめな金色。
このあたりがいまの気分。
とくに、ミントグリーンという色を自分はよっぽど好きなんだ・・・というのが最近の発見。
過去のスケッチなど見返してると、しょっちゅうこの色が出てくる。
気がつけば、身の回りのほとんどあらゆるアイテムで、この色がそろっている。

こんど時間ができたら追求してみたいテーマが、取っ手の可能性。
取っ手というのは、服でいえばボタンみたいなもので、顔でいえば目みたいなものだ。
そこで家具の表情が決まる。
ホームセンターの、ドアや引き出しの取っ手とか、蝶番とかを売っているコーナーが私は昔から好き。
ひとつずつ見て歩いていると飽きない。

とかいろいろ。

   *

夢や目標は、紙に書いて壁に貼って毎日眺め、「必ず叶う!」と自分に魔法をかけて叶えるのだそうだ。
とすると、この大総力片づけプロジェクトについても、すっかり果たすには毎日念じて叶う叶うと自分に言い聞かせる必要があるかも。

叶った状況をありあり想像するには、ただ叶えるだけでなくどんなふうに叶えたいかも考える必要が。
そうね、いつまでもだらだらやっているわけにいかないから、リミットを定めて終わらせたい。
(と最初から思いつつ、すでに何度かリミットを引き延ばしてるけど)

といっても、何が何でもリミットに間に合わせるために、仕事の合間のランチのように、ろくに味わいもせずがつがつと飲み込むだけみたいな片づけ方はイヤ。
できることなら、リミットを意識しつつも、ひとつひとつとすっかりぜんぶ、丁寧に向き合って、そのなかで自分を見つめて、敬意と感謝をこめて片づけていきたい。
そう考えるとずいぶん欲張りな願望だな。

でもいままでもけっこう、念じ続けていたら叶ってきた。
いちばんの収穫は、けっこうな量のフィルム写真のデジタル化が課題だったのが、いい業者さんが見つかったことですいすい進んで、片づけプロジェクト全体が弾みを得られたこと。
CDに焼いてもらって、ネットに上げた。
フィルム用スキャナを入手して一枚ずつ自分でスキャンすることを考えたら気が遠くなってたので、ほんっとに助かった!!
これはほんと、何年越しっていう課題だったので、山が動いた!って感じだった。

これで大きな懸案事項がひとつクリア!
ずいぶん、展望が開けてきた。
この調子で進んで、目標の時期までに仕上がるといいな。
うん、大丈夫。きっといけるよ。。。

   *

これまで、何度も自分でリミットを設けたり、また延ばしたりして、そのたびに優先順位を見定めることを強いられて、自分がほんとに「どうしてもこれだけは」って思うものが何なのか、いっしょうけんめい考えるようになった。
それはとてもよいことだと思う。

キープしておくことにしたもののなかでも、いろいろなレベルがあるよね。
「どうしてもこれだけは」っていうもの、「まぁ好きだよね」くらいのもの、「なくても生きていけるかな」っていうもの。
その区別を自分で分かってることって、とても大切。

<ムーミン谷の彗星>で、彗星がくるのでみんなで洞窟に避難しようということになり、持ち物もせっせと洞窟へ運びこむという場面がある。
でも衝突の時間が迫っていて、ぜんぶは運びきれない。
そこでスノークが得意の取り仕切りにかかり、「皆さん、持ち物リストをつくって、好きでたまらないというものには星3つ、ただ好きだというものには星2つ、なくてもやっていけるだろうというものには星1つをつけてください!」というと、スナフキンが笑って、
「ぼくの持ち物リストはすぐできるよ。ハーモニカが、星3つさ!」と言う。

ああ、そう考えると、片づけって終末論であるとともに、ノアの方舟でもあるんだ。
哲学的なわけだよね。

彗星は来ないとしても、じっさい火事や大地震が起こって持ち物すべてを失ってしまうという状況は起こりうるわけだし、じっさい起こってるわけだし、変なウィルスにPCをロックアウトされてファイルのすべてを失ってしまうという状況だってすぐそばにある。
無人島にひとつだけ持っていくとしたら?みたいな。
極論でもじっさいこれが現実なわけだ。

   *

上から数えていちばん大切なものだけあればいい。
それ以外はむしろ邪魔になる。
結局、そういうことになる。

床のど真ん中に集積したまま、持て余してとりあえず布をかけて、ほぼ風景の一部となり果てていた書類の山を、ようやくざっと分類して棚におさめた。
それまでに棚の整理をして、けっこうスペースができていたので。やれやれー。

数ヶ月前にとりかかって二度ばかり頓挫していたのだけど、だいぶ間をおいてあらためて取りかかってみると、思いのほかすいすい進む。
やっぱり諦めてはいけないなと思った。
それまでにほかの色々なところを片付けているうちに、ものを見極める基準が自分の中でよりはっきりしてきたのだと思う。
そういうことってよくある。

今まで、特別好きじゃなくてもとりあえず嫌いじゃないものは、わりと残してきた気が。
そういうものからも学ぶところがあるかもしれないとか、リサイクルに出せない場合は捨ててしまうのはかわいそうだなとか思って。
でも、やっぱりいちばんに考えるべきは住人である自分。

嫌いなものがいらないのはもちろん、嫌いじゃないだけのものもいらない。
好きなものだけあればいい。
そういう生き方でいい。
狭いと人から言われようが、そんなことかまってられない。
だってものすごく好きなものだけでも埋もれそうなくらいたくさんあって、時間足りないくらいだもの。

   *

順次ひとつひとつやってかないと。
大切なものがたくさんありすぎて、腕がちぎれそう。

SATCの映画版で、キャリーにすごく有能なアシスタントがやってきて、アンパックのごたごたを片づけてくれるのだけど、
「メールの処理とかやんないの? そっちのほうが大切じゃない?」と聞くキャリーに、
"One thing a time!" ときっぱり言うんだ。
どんなにたくさんやることがあっても、ぜったい、いちどにひとつずつ。それ大切だよね。

   *

ほんとにあたし、飛び立つ用意ならとっくにできていると思ってたけど、実はぜんぜんできてなかった。
いつでも準備ができてるようにって、こういうことだったんだね。

リミットが定められてはじめて、急にやるべきことがいっぱい見えてきて、すべてが意味を持ってくる。
何もなければこのままだらだら、片づかない部屋でその日暮らしをして、満たされない気持ちで相変わらず何かを外に求め続けていくばかりだろう。

ベルジャエフのいう「創造的な終末論」ってやつ。
「締め切りがあったほうが人間頑張れる」とこんまりさんも書いてたな。

無期刑囚が生きる目的をもてず、無気力に生きてる傾向があるのに対し、死刑囚はいきいきと何かに取り組んでいる人が多いというのを読んだことがある。
それもきっと共通するものがあるね。

自分もいままで色々がんばってなかなか自分にとって居心地よい部屋にしてきたと思うけど、まだ完ぺきじゃない。
部屋を居心地よいものにする努力を、後回しにしちゃいけないなと思う。
時間も労力もかかるけど。
それを後回しにしていると、そのままで人生終わっちゃう。

   *

いま同時進行的に色んなところの片づけを色々とやっていて、思うこと。
私、ほんとにたくさん、色々素敵なもの美しいものを、つくってきたし、集めてきたな。
こんなにいっぱいあるんだなって。
たとえばパリの街まるごと全部よりも、私のこの部屋の中にあるもののほうが多いかも。
もちろん、私にとって価値あるものという意味だけど。

すごい悔やむ。
つねにまだ持っていないものを求めて、外に手を伸ばしてきたなって。
すでに持っているもの、ずっとここにあったのに、大切にしてこなかったなって。
ここにこんなに豊かにあるのに、何を外に求めてきたんだろう。
いまここで、この部屋で生きたすべてのことを形にまとめあげたい。
この部屋とじっくり向き合って対話したい。
今回仕上がったあかつきには、いちどちゃんと写真をとってまとめておこうと思う。






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Posted by 中島迂生 at 23:52Comments(0)身辺雑記片づけ2013-2014