2009年11月12日
そろそろ稽古はじめます
次回上演予定は<エインガスの砦>です。
脚本はわりと前に仕上がって、今まで舞台音楽の音源づくりにかかっていたのですが、何とか形になってきたので、そろそろ人を集めたいと思います。
前回出てくださった方、もしくははじめての方、役者として、もしくは裏方でご協力いただける方がいらしたら、連絡ください。
日時はまだ未定。
できたら1月か2月にいちど公開リハをやりたいのですが、無理であれば、3月には初演にのぞむ予定です。
場所は、いちおう初回と同じつくばセンター広場で、考えています。
あと、今回は、多少参加費をいただくことを検討するかもしれません。
次作の脚本 http://ballylee.tsukuba.ch/c4018.html
原作(普及版+完全版) http://ballylee.tsukuba.ch/c3533.html
です。初回作より、だいぶ短いです。っていうか、がんばって短くしました。
各自が役を覚えていただくにも、全体を仕上げるにも、それほど時間かからないのではないかと思います。
目標、今月後半くらいから稽古をはじめたいと思います。
基本、前回にひきつづき竹園公民館にて行なう予定。
ひとりにつき3回くらいの稽古で、その後ドレスリハにのぞむ、という感じかな。
初演メモにも記していたことですが、今回は、毎週末のように全員を集めるという感じではなく、できるだけ少人数で、ひとりかふたりくらいずつの稽古にして、集中的にやっていきたいと思います。その方が効率が上がる気がするので。
それで、各自がきっちり自分の役を押さえたうえで、全員そろってのリハにのぞみたいと思います。
● Newly Upped:
アイルランドシリーズのつづき。
フォントが、前よりだいぶ読みやすくなったと思います。あ、内容もね。
ご興味ある方はどうぞ。
風神の砦 普及版 http://ballylee.tsukuba.ch/c3533.html
エニスの修道士 普及版 http://ballylee.tsukuba.ch/c3529.html
ゴロウェイの勇者 http://ballylee.tsukuba.ch/c5342.html
白い貴婦人 http://ballylee.tsukuba.ch/c5320.html
マクガハンの妻の物語 http://ballylee.tsukuba.ch/c5319.html
悪魔の庭仕事 http://ballylee.tsukuba.ch/c5318.html
2009年11月11日
風神の砦(普及版)
風神の砦 The Fort of Aengus / Doon Aengusa 普及版
モハーの崖とアラン諸島の物語
2009 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

(こちらは、物語部分だけをシンプルにまとめたバージョンです。もっと長い<完全版>は下の記事をどうぞ)
そは 風の神エインガスの嘆きのごと
たかくひくく とどろきわたる 波のまにまに
今なお響けるは かの調べ
とわに守り通すと誓いし愛に
吹きわたる風のなか いまもひびく
砕かれし契りを嘆く声
われを赦せ 海の乙女
わがもとへ還れ わたつみの乙女
遠く遠く西の果てアイルランド、そのまた西のさい果てに、<モハーの崖>という有名な崖がある。
200メートルにも及ぶまっすぐな絶壁が、ぎざぎざに入り組んで何マイルにもわたってつづいている、まさに絶景だ。・・・
切りたった岩壁に砕け散って、永遠に寄せては返す波のひびき、かもめの鳴き交わす 細く甲高い声のひびき、想像を絶するような、荒涼とした風景。・・・
そのはるか沖合いには、イニシュモア、イニシュマーン、イニシーア、通称アラン諸島とよばれる三つの島が浮かんでいる。
いずれも本土のモハーの崖と同じ、切りたった崖にかこまれた 岩ばかりの荒れ果てたところだ。
吹きすさぶ風にさらされて高い木は一本も生えず、ひとたび海が荒れると何週間と知れず孤立しつづける。・・・
それでも、はるか昔からここには人が暮らしてきた。
ながい時をかけて少しずつ、石を積み上げては石垣を築いて、わずかな作物や家畜を育ててきたのだ。
今ではその石垣が網目模様のように、島ぜんたいを覆っている。
それだけではない。
これらの島々には、いつとも分からぬ有史以前に築かれた、いくつものふしぎな遺跡がある。
ひたすら石を積み上げてつくられた巨大な砦で、うたがいもなく、強大な国家の存在を物語るものだ。・・・
なかでもとりわけ有名で、強い印象を与えるのは、イニシュモア、いちばん大きな島の崖ふちに、三重の塁壁にまもられて忽然とそびえる ドゥーン・エインガサ、エインガスの砦だ。
半円形をしているのだが、崖に面していきなりすっぱりと海へ切れ落ちているのだ。
まるで、もとは完全な円形をしていたのが、突然なにかの天変地異が起こってまっぷたつに裂け、もう半分を島ごと海に飲みこまれてしまったかのよう。
いや、明らかにそのように見える。・・・
実は、この地方には昔から、ひとつの伝説が伝わっている。
ハイ=ブラジル、はるか昔に海の底へ沈んでしまった島、もしくはひとつづきの土地。
それは人のあらゆる想像を超えて、かつて知られたすべてのものにまさってすばらしく、美しいものにみちていたという国なのだ。
いまもその姿を目にすることがある、と彼らは言う。
いまも七年に一度、その陸影のまぼろしを、人は海のかなたに望むのだと。・・・
これは、遠い遠い神代の昔、そのハイ=ブラジルがまだモハーの崖とつながっていた頃の話、そして、なぜその国が、海の底深く飲みこまれてしまったのかについての物語。・・・
***
当時、この国を治めていたのは風の神エインガスだった。
優れた文明の栄えた、ゆたかに潤った美しい国だった。
その広大な領土のあちこちを、彼はただ心のおもむくまま、その青く透き通った衣のすそをはためかせて駆け巡っていたのだ。
ところで、彼の女好きなことは、知らぬ者がなかった。
神々の乙女たちであろうが、精霊の女たちであろうが、はたまた人間の娘たちだろうと、手あたりしだい、女と見ると放っておかない。
何しろ、信じがたいほど美しい顔だちをしていたし、そのうえ心をとろかすような甘い言葉で囁きかけるので、女たちはだれもいやとは言えなかった。
若い娘をもつ親たちはみな、エインガスを恐れた。
彼がやってくると見ると娘たちを戸のうちに呼びいれ、しっかりと錠を差し、そして厳重に言い渡すのだった、あいつが通り過ぎるまで、一言も口をきいてはいけない、音を立ててもいけない、ただもうひっそりと、誰もいないようなふうをしておいで。・・・
ある日のこと、彼は虫の居所が悪かったのか、その日のあいだずっと、ただもうむちゃくちゃに、海のおもてを駆けまわっていたのだった。
そのため海は大荒れに荒れて濁り、空には暗い雲がうずまいて、ごうごうと轟いた。
そのとき、波が深く分かたれた拍子に、彼はひとりの美しい娘を垣間見てしまったのだ。
それは海の神エントロポスが海底深くに隠しておいた、ひとり娘ユーナの姿だった。
彼女の姿を目にしたとたん、エインガスはすべてを忘れてしまった。
彼は激しく恋い焦がれ、何とかその姿をもういちど見られないものかと、来る日も来る日も海の上を彷徨っては吹き散らしたが、それは叶わなかった。
そこで彼は浜辺へおりていって、海神エントロポスに向かって大声で呼びかけた。
エントロポスはエインガスのことを好いていなかったので、はじめは黙して答えようとしなかった。
けれどもエインガスがいつまでもしつこく呼びつづけるので、ついに姿を現して、
「エインガスよ、何の用だ」と尋ねた。
「お前の娘ユーナを私に与えてほしい」とエインガスは言った。
「お前が何者であるか、知らない者があろうか」とエントロポスは言った。
「私と私自身の言葉にかけて、私は自分の娘をお前のような浮気者に与えはしない」
そうして彼は姿を消してしまった。
そこでエインガスは再び浜辺に立って、エントロポスがまた姿を現すまで大声で呼びつづけた。
エントロポスは再び現れると、「エインガスよ、何の用だ」と尋ねた。
「お前の娘ユーナを私に与えてほしい」とエインガスは言った。
「お前が何者であるか、知らない者があろうか」とエントロポスは言った。
「私と私自身の魂にかけて、私は彼女をお前のような恥知らずに与えはしない」
こうしたことが七たびつづいた。
ついにエントロポスは疲れてしまい、根負けして、言った、
「お前が天と地にかけて誓い、今後はほかの女を追いまわすことを一切やめて、生涯私の娘だけを愛すると約束するなら、私はユーナをお前に与えよう。
しかし、少しでもあれに辛い目を見せるようなことがあったらすぐに、私はあれを手元に取り戻し、そして二度とお前に会わせることはしない」
するとエインガスは言った、「それでよい」と。
こうして海神の娘ユーナはエインガスの妻となった。
ユーナが、ふるさとの海をいつもそばに見ていたいと言ったので、エインガスは海を見下ろす高い丘の上に館を築き、塔をたて、三重の石壁でそのぐるりをめぐらして、彼女がその窓からいつでも海を眺められるようにした。
これが世に聞こえたドゥーン・エインガサ、エインガスの砦だ。・・・
さて、しばらくはエインガスはユーナに夢中になって、大切にもてなし、心を尽くして彼女を愛した。
しかし、少しすると飽きがきて、また以前のように、心のままに領土のうちのあちらこちらを駆けめぐるようになった。
するとまた、あまたの若い女たちが彼の目にとまったが、海神エントロポスとの約束を思い出して、強いて目をそらすようにつとめるのだった。
しかし、大地の娘マノアが灌木の茂みのあいだから身を乗り出して、思わせぶりな仕草で髪を梳きながら、彼に向かってあでやかに笑いかけた。
と、たちまち彼は我を忘れ、鷲のように舞い降りて、そのあらわな肌を抱きすくめた。
そのとき、海の神エントロポスの怒りが燃えた。
大地は激動して張り裂けた。
海の神の底知れぬ力が、娘ユーナをその館ごと、その手に奪い返そうとして地を揺るがしたのだ。
そのとき、エインガスの砦、彼がユーナのためにきづいたうるわしい塔と館とは、そのまん中のところでまっぷたつに裂け、とどろきとともに崩れおちて沈んでいった。
大地からもぎ離され、さかまく水の中へのまれて消えた。
こうして海の娘ユーナはそのふるさとへ、海の底深くへと帰っていったのだ。
そのとき、風の神エインガスの領土、ハイ=ブラジル、みどりゆたかな露くだるそのうまし国は、地うなりとともに、泡だちうずまく波の中にのまれて沈んでいったのだった。
その地に住むすべての者たち、人も動物も精霊たちもみな もろともに。・・・
このときぱっくりと生々しい傷口をあけた大地のへり、その部分が今日モハーの崖として知られているのだ。
また、このとき生じた恐るべき衝撃のために、砕かれた大地のかけらが三つの島となって残った。
それが今のアラン、・・・イニシーア、イニシュマーン、そしてイニシュモアだ。・・・
我に返ったエインガスは、おのれの犯したあやまちが、取り返しのつかない事態を招いたのを見た。
たちまち はやてのごとく、彼は大地の上を渡ってゆき、崖のふちを蹴って海原の上へ飛び出した。
ついで三つの島を飛び石のように次々ととんで、ついにそのいちばん端のところへ至り、そこで変わり果てた砦の姿を、その空っぽの残骸を見たのだ。
突然の大変動に、空はもうもうたる土けむりに暗くけぶって息もつけない。
海は掻き立てられて不吉に濁り、おどろおどろしい色をして、すべては混沌と破壊と激怒のすさまじい様相だ。
エインガスはそこに立って、大声で叫んだ。
悲しみのあまり胸も張り裂けんばかり、長い髪をかきむしって号泣し、そしてそれこそ声が涸れはてるまで、妻ユーナの名を呼びつづけたが、こんどというこんどはむだだった。
二度とふたたび海の中から答えが返ってくることはなかった・・・怒りに沈黙したまま、不吉に濁ったその海からは。・・・
遥か遠く、掻き曇った空と海のまざるところまで、その叫びがいくえにもこだまして響きわたった・・・すべてを失って独りぼっちになったエインガスの、その絶望の叫びが。・・・
これらすべては遥か昔の物語、エインガスもほかの者たちも、みなすでに神々の地へ去って久しく、この地を歩きまわってみても今はただ、虚ろな風の吠え叫ぶばかり。
海と大地とはついに互いの心を知ることなく、そしてこれらの断崖はあのとき裂かれて分かたれたまま、今も海原に立ち尽くしている。・・・
ドゥーン・エインガサ、エインガスの砦、それもいま見るとおり、張り裂かれて本土から断たれたまま、アランのいちばん端、大海に面して三重の石塁にかこまれた、ただその半分だけが残っている。
それは海の神エントロポスの怒りの手を、からくも逃れたほうの半分なのだ。・・・
こうして無残にも引き裂かれた約束の遠い記憶を刻まれた、これら断崖の上を歩くとき、
暗い海のとどろくなか、吠え叫ぶ風のまにまに、今も我々はその悲しみの叫びをきくのだ・・・
・・・我を許せ! 我を許せ! ・・・戻って来い! と。・・・
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2009年11月11日
エニスの修道士(普及版)
エニスの修道士 The Abbey at Ennis 普及版
クレアの州都の物語
2009 by 中島 迂生 Ussay Nakajima 劇団 バリリー座 初演作品

(こちらは、物語部分だけをシンプルにまとめたバージョンです。もっと長い<完全版>は下の記事をどうぞ)
われを胸におきて 焼き印と刻め
わが名 腕におきて とわに色褪せぬ しるしとなせ
そは 愛は死のごとく強く
とこしえの想ひは シェオルに同じ
愛は燃ゆる炎 大水も止めえず
逆巻く流れも さらにとどめえず
愛は時を越えて とわにさながらに
闇にかがやける ヤハの炎
これは、今から千年も、いやもっと昔、遠く遠く西の果てアイルランド、クレア州のエニスという町で起こった物語だ。
それはこの国にキリスト教がもたらされてまだまもない頃のこと、アイルランドに今よりずっとたくさんの妖精たちが住んでいた頃のこと。・・・
エニスの町を抜けて流れるファーガス川のほとりは美しいところだ。
白い泡をいくすじも浮かべてすばやく、しずかに流れゆく、暗く澄んだファーガスの流れ。
岸辺にはみどりの木々が茂り、川もてにそのこずえを映している。
セージやヴァレリアンの花が群れ咲き、流れには青鷺やかわせみが魚をすなどる。
かわうその親子も住んでいる。
そしてもちろん、妖精たちも。・・・
そのころ、この川のほとりに、石造りの小さな修道院が建っていた。
ぐるりを木立にかこまれて、訪れる人もめったになく、ひっそりと外の世界から閉ざされて、ここで人々は暮らしていた。
鐘楼の鐘の打ち鳴らすリズムに合わせてミサをあげ、学問に励み、写本をつくり、菜園を耕したりして、日々の仕事に精出していたのだ。
あるときひとりの見習い修道僧があたらしく入ってきた。
その名をアマナンといった。
しかし、それはなんという若者だったことだろう。
聖書に出てくるダビデは顔立ちが美しいことで有名だったが、そのダビデもこんなふうだっただろうか。
その細おもては蝋のように白く 透き通るばかり、すっと通った鼻すじはギリシアの彫刻像のようで、紺碧の瞳と対照を成す唇は紅い林檎のよう、その巻き毛は暗いブロンドだった。
その美しいことは修道士の衣に不釣合いなほどで、その姿を見ると、みなが驚いて振り返るのだった。
年老いた修道院長ははじめから、いくぶん心配そうにこの若者を眺めた。そして、
「何がお前にこの道を選び取らせたのか。ほかの道に心残りはないのか。
この道は、お前には荷が勝ちすぎるかもしれないが」
と尋ねた。
すると若者は答えた。
「私が生まれたときに、ジプシーの女が占って『この子は将来、女のために大きな災厄に遭うだろう』と予言しました。それで私の両親は私を修道院に入れたのです。
私は主を愛し、心を尽くしてこの身を主のために捧げるつもりです。ほかの道に、心残りはありません」
それを聞いて、修道院長はますます心配そうな顔になったが、口に出しては何も言わなかった。
「まずは様子を見てみよう。それが主のご意志なら、この若者をしかるべく守り導いてくださるだろう」と考えたのだ。
修道院での生活が始まった。
そこは、小さいながらも活気にみちたところだった。
彼らは自分たちの必要をほとんどみな自分たちの手でまかなっていたので、ありとあらゆる仕事があった。
菜園では野菜や香草が育てられていたし、粉を挽いてパンを焼いたり、服や履きものを繕ったり、それから建物の手入れや補修などの雑仕事もなされねばならなかった。
この若者は、はじめはただその美しさのために目立ち、そのために不当な扱いを受けたり、いやみやあてこすりを言われたりすることも少なくなかった。
しかし、彼は聞こえないふりをして、黙って辛抱した。
彼は心のまっすぐな若者だった。
その心はひじょうに誠実で、勤勉で、主の道に熱心だった。
目上の者には礼を尽くし、自分のあとから入ってくる年若い者たちにはやさしく親切であった。
そのため、時たつうちにやがて誰もが彼を心から受け入れ、その人柄のために彼を愛するようになった。
その美しさのために陰口をきく者はいなくなった。
ただひとつ、この若者はひどく繊細で、神経がこまやかだったので、夜寝つきが悪く、眠りもひじょうに浅いのだった。
ただこの点だけが共同生活に差し障った。
一日のお勤めを終え、床に入ったのちでも、気もちが高ぶっていたり、仲間たちのたてる物音が気になったりすると寝つかれなくなって、そうするとそっと寝床を抜け出しては、月の光の下で庭を歩きまわりながら、アヴェ・マリアや主の祈りを朗誦したり、賛美歌をうたったりするのがいつものことだった。
ある晩、修道院長が窓を開けて首を突き出し、
「アマナンよ」と言った。「これではお前はすべての兄弟たちを起こしてしまう。賛美歌を歌いたいのなら、ここではなく、向こうの川の方へ行ってしなさい」
そこで、それ以来、アマナンは修道院の庭ではなく、少し離れた川のほとりへ下ってゆき、そこで時を過ごすようになった。
ある晩、いつものように川に沿って行きつ戻りつ巡りながら賛美歌を歌っていたときのこと、アマナンはふと、自分の声がかすかなこだまを伴うかのように二重になって聞こえてくるのに気がついた。
そこで急に声を途切らしてみると、こだまの方もほんの少し遅れて途切れたが、そのひびきがやわらかくあとに残るのだった。
「天使が私といっしょに歌っていたのだ」とアマナンは考えた。「主は私の祈りを聞いて、私を力づけるためにご自分の天使を遣わしてくださったのだ」
そののち、同じことがたびたびあったので、彼はたいへん不思議に思うようになった。
こだまはどうも、いつも川の方から聞こえてくるようだったが、川岸には木立ややぶが生い茂っていて、こちら側から容易にそのおもてをのぞむことはできなかった。
あるとき、彼は、自分の声にあわせて歌っているその声がかつてなく近くまでやってきているのを感じて、どうしても、その正体を確かめないではいられなくなった。
そこで、調子を変えることなく歌いながらそっとやぶかげに近づいてゆき、それからふいにやぶをかきわけて川のおもてをのぞきこんだ。
その途端、彼は驚きに打たれて立ちすくんだ。
月光をあびてきらきらと銀色に光る川おもてに、彼が見たのはひとりの女の顔だった。
湖のようにあおく澄んだふたつの瞳が大きく見開かれて、やはり驚きのあまり動けなくなって彼を見つめていた。
そのおもては透きとほるように白く、その川藻の緑色の髪はゆたかに波打ってその体を覆い、彼女は岸辺の葦のあいだに、なかば水に浸かって腰かけていた。
そして今にも水にとびこんで逃げ去りそうなそぶりを見せたが、どうしてか思い直してその場にとどまった。
「娘さん」と、驚きから立ち直ったアマナンが声をかけた。
「今はあなたのような若い娘さんが外に出ている時間ではない。それに、そんな濡れたところにいたら、風邪をひいて死んでしまう。」
すると、若い女は黙っていたが、やがてしずかな、やさしい声で答えた。
「こんなに月の美しい晩ですもの、楽しみたいのはあなただけではありませんわ。
それに、水には、慣れております」
それはまさしく、アマナンが毎晩聞いていたあの声だった。
それは若い水の精で、夜ごとアマナンが歌う調べがとても美しいので、意味も分からぬまま、毎晩聴いているうちにすっかり覚えてしまったのだった。
水の精はその名をエルダといった。
「どうぞ、あなたのその歌を続けてください。それを聞くのが、私の喜びなのです」
と、彼女は頼んだ。
アマナンには、この女が人間ではなく、別の種類の生きものであることが何となく分かったが、だからといって邪険にしてはいけないと思った。
主のことばを望む者に、どうして拒んでよいことがあろうか?・・・
そこで彼は賛美歌のつづきを歌った、すると女もいっしょに歌うのだった。
ひと言もたがえることなく、すっかり覚えこんでいるのに、アマナンは心底驚いた。
妖精は人間と違って一千年も生きる、けれども人間のように魂を持たないから、世界の終わりのときには、輝く泡のように散って消えてしまう。
当時のアイルランドでは、そんなふうに信じられていた。
彼ら妖精たちが主のみ前でどんな立場を得るかに関しては、必ずしも意見が一致しなかった。
恩寵を受けることなどありえないという者もあれば、主を信ずる者には救いが与えられることもある、と考える者もいた。
アマナン自身は、中央でなされているそういう難しい論議にはあまり通じていなかったけれども、彼女のようにやさしく、控えめな性質の生きものを、心のひろい主が拒まれるはずはないと思われた。
しかし、そのためにはまず、彼女に主の道を教えなくてはいけない。
そこで、彼は川のそばに腰をおろし、天地創造のことから始めて、アダムとイヴのことや、アブラハムのこと、処女マリアのことや主の生涯について、できるだけ分かりやすいことばで、水の精に話して聞かせた。
水の精は黙って耳を傾けていた。
「明日の晩もここへいらっしゃいますか」
アマナンが立ち上がったとき、水の精は尋ねた。
「明日の晩も来よう」とアマナンは言った。
それからほぼ毎晩というもの、彼は川ほとりで待っている水の精を訪ねていっては、主の道についての色々な話をしてきかすようになった。
それまでのように、いっしょに朗誦したり、歌ったりすることもあった。
ひとつの朗誦が終わると、彼はその意味を説明した。
何が話されても、水の精は熱心に、注意ぶかく聞いていた。
しかし、少しもその意味を理解してはいなかった。
あたらしくやってきた神さまや、それにまつわる色々な話は、彼女にはあまり関心がなかったし、それが自分にどう関係するのかも分からなかった。
彼女は、ただアマナンの声の調子がとてもすばらしいので、その歌や、詞のことばを覚えたにすぎなかった。
その話にしても、彼のように美しい若者が、自分に向かって何やらとてもいっしょうけんめいに話すので、こちらもついいっしょうけんめいになって聞いていたにすぎなかった。
だが、アマナンの方は、昼間のいつものお勤めの上に、夜のあいだのこの別の仕事が重なってつづいたために、だんだんとその身をすり減らしていった。
彼がとてもやつれて青い顔をしているので、仲間たちは心配して小声でささやき交わした。
「アマナンよ」と修道院長は彼に尋ねた。
「夜は眠れないのか。何かお前の心をふさいでいる悩みがあるのか。さいきん、お前は川から戻ってくるのがずいぶん遅いようだが」
「いいえ。そのようなことはありません」と、アマナンは答えた。
すると、修道院長は彼をじっと見て、
「気をつけなさい。あそこの川は見かけよりも深いのだ」と言った。
さいしょ、彼がエルダのことをほかの誰にも話さなかったのは、彼女が魂をもたない水の精であることを知って、心ない者が彼女について、いわれのない非難をあびすのではないかと気づかってのことだった。
しかし、日がたつにつれ、彼は自分がエルダのもとへ通う理由が、もはや主のための熱心さゆえだけではないことに気づいていた。
炎が彼の心を焦がし苦しめた。
彼ははじめ、そのことを自分自身に対して認めようとしなかった。
しかし、打ち消そうとすればするほどに、その炎はいよいよ激しく燃え盛り、すべてを焼き尽くす地獄の火のように、彼の心を苦しめるのだった。
ついに彼は自分に言った、
「私は自分を欺いている。『人の心は何物にもまさって不実であって、はなはだ悪い。誰がそれを知りえようか。』こうしたことが続いていってはいけない」
そこで、ある晩、いつものようにエルダと語らったあと、アマナンは、
「私はもう、ここへは来ない」と言った。
「いったい、それはどうしてですか」とエルダが尋ねた。
「私は、お前を主のもとへ導くのにふさわしい器ではないからだ」と、アマナンは答えた。
「しかし、ご意志であれば、主はお前に救いを与えるために、誰か別の者をお遣わしになるだろう」
それで水の精はたいへん悲しんだが、彼をひきとめようとはしなかった。
それから彼は川へ行くことをやめた。
しかし、その心の苦しみはいや増すばかりであった。
あいかわらず夜は眠れないので、川へ行く代わりに礼拝堂に入って、夜通し一心に祈りつづけた。
昼のあいだは以前にもまして、心をこめてミサや労働に携わった。
それでもなお、エルダの面影を払いのけることはできなかった。
彼は苦しみに疲れ、やせ衰えてゆくばかりだった。
「アマナンよ」と、修道院長は彼に言った。
「私にはどうしても、お前が何かの悩みを抱えているように見える。
聞きなさい。
主は、ご自分に仕える者たちが喜びのうちに仕えることを望んでおられ、けっして、苦しみながら仕えることをお望みにならない。
それがお前の願いでないならば、僧衣を脱ぐがよい。
お前の欲するものが、商いや、徒弟修業であるならば、都市へ行きなさい。
お前の欲するものが、畑や、羊であるならば、野へ行きなさい。
そして」
彼はややためらってからつづけた、
「お前の心の中にだれか想う娘がいるのなら、彼女のもとへ行きなさい。
『もし己れを制することができないならば、結婚しなさい。
燃える想いを持て余しているよりは、結婚する方がよい』
と、聖パウロもおっしゃっているからだ」
すると、アマナンは、長いこと黙っていてからこう言った。
「私の心からの願いは、今なお、ただ主のためにこの身を捧げることなのです。
もしも私の心が罪を犯すことを望んでいたとしたら、私にとって、むしろその方が楽だったことでしょう。
ところが、そうではないのです!・・・私が苦しんでいるのは、そのためなのです」
そして、よろめくような足どりで、修道院長のもとから出ていった。
修道院長は、たいへん心配そうな面持ちで、そのあとを見送った。
はじめてエルダに出会ったのと同じ、月の明るい晩のことだった。・・・
昼の間の照りつける日射しが夕方の涼しさにやわらげられ、ゆらゆらと立ちのぼる水蒸気となって、ふるえるような月の光だ・・・
庭はむせかえるような花々の香りにみちて、ゆらめく水の底のような、この世ならぬありさまだ・・・
そのあかるみがアマナンのまぶたを開かせ、それからもう眠れなくなった。
夢かうつつかも分からないまま、彼は寝床を抜けてさまよいいで、川べりへ通ずる道を下っていった。
そこに何を求めたわけでもなかった。
あれからもう、ずいぶん長いときがたっていたのだ。
彼はただ、もういちど月の光を浴びて銀色に輝く川のおもてを見たいと思っただけだった。
けれども、しずかな川岸の同じやぶ陰に彼が見たものは・・・
あのときと同じ、湖のようにあおく澄んだふたつの瞳、ゆたかなみどり色の髪の、うつくしい妖精エルダの姿だった。
「エルダよ」と彼は言った。「お前のことを考えて、私は寝つかれなかったのだ」
「わたくしも同じです」とエルダは答えた。
その夜の逢瀬がどのようなものであったか、今となっては誰も知るものはない。・・・
しかし、次の朝、夜が明けてまもないころ、門の守衛は川の少し下流のところで、うつぶせに倒れているアマナンの死体を見つけた。
「瞑想にふけって、川ほとりを歩きまわっているうちに、あやまって足を滑らせて落ちなさったのです。
あの方は、それがいつもの習慣でいらしたから」
と、守衛は言った。
アマナンの仲間の修道士たちの誰もがそう思った。
事の真相を感づいていたのは、ただ年老いた修道院長だけであった。
だが、彼はあえて死者のためのミサを断ろうとはしなかった。
「足を滑らせはしたかもしれないが、あれはともかく、さいごまでとがめのない若者であったのだ」と彼は自分に言ったのだ。
とむらいのミサのあと、アマナンの棺が運び出されて修道院の裏手に掘られたつつましい墓まで運ばれてゆくときのこと。
彼らは葬列のいちばんうしろに、少し離れてひとりの見慣れない女がついてくるのに気がついた。
彼女は白い長い衣で全身を頭からすっかり覆っていたが、まるで水から上がってきたばかりのように、その衣はぐっしょり濡れて女の体に貼りつき、その裾からぽたぽたと雫を滴らせていた。
そして見るも痛々しいばかり悲しみに打ちひしがれ、肩をふるわせてむせび泣き、両の手で顔を覆ってあとからあとから涙を流しながら彼らのあとにつき従ってくるのだった。
「あの女はだれだろう」と、修道僧たちは問い交わした。
「たぶん、だれかアマナンの家の者だろう。
あんなにひどく悲しんでいるところを見ると、実の女きょうだいかもしれない」
老修道院長だけが、女の正体に、何とはなしに気づいていた。
彼は鋭い目でじっと女を見つめたが、ついに何も言わなかった。
女の悲しみようが、たいへんひどいのを見たからだった。
「いや、このうえさらにどんな重荷をも、私は彼女の上に加えるまい」と彼は考えた。「『神はすべての事柄、すべての隠された事柄をご存じであって、それがよいか悪いかを裁かれる。』
まことの主が、ふさわしく判断なさるであろう。・・・ 」
そのあと二度とふたたび、彼らはその女を見ることはなかった。・・・
それから一千年ものときが、いや、もっと長いときがたった。
老修道院長や、アマナンの仲間の修道士たちもみな去っていって、主の祝福のうちに安らかな眠りについた。
川ほとりにたつ修道院や、石のケルト十字の並んだその中庭も、長いときのたつあいだにすっかり風化して、廃墟となった。
エニスに人が増え、やがて州の都として栄えるにつれ、ファーガス川に住んでいた水の精たちのほとんどは、もっと奥まった、しずかな住みかを求めて去っていった。・・・
けれども、なかにたったひとり、立ち去らぬ者があった。
どんなに人が増え、馬車が行き交い、ごたごたとして住み心地が悪くなっても、彼女はそこにとどまった。
忘れえぬ者の記憶が、彼女をこの場所に、永久に繋ぎとめていたからだ。・・・
月の明るい晩、町ぜんたいがひっそりと寝しずまったあと、昔のように岸辺の葦のあいだに腰をおろして、彼女は今も歌を歌う。
それはかつてアマナンが歌っていたのと同じ歌だった。・・・
あいかわらず、歌の意味も、あたらしい神さまのことも、エルダにはちっとも分かってはいなかった。
彼女はただ、思い出のひとがそれを愛していたからというだけの理由で、それを愛したのだ。
ファーガス川には天使が住んでいる、と、いつしか人びとは言い習わすようになった。
夜遅く、川のそばを通ると、えもいわれぬやさしいひびきで、古い賛美歌を歌う声が聞こえるのだ、と。・・・
けれどもそれは、ほんとうは、天使ではない。
それは、かつてただ一度限り愛した者の死を、一千年間も悲しみつづけている、ファーガス川の水の精の歌声なのだ。・・・
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