2011年12月31日

七転び八起き

17日の<湖底の都>公演のフルバージョン(35分くらい)を、ユーチューブにアップしようとしてる。
きのうの晩から、11時間くらいかけて92%くらいまで来たところで、「予期しないエラーが発生しました この問題はユーチューブ側の問題である可能性があります もう一度アップロードし直してください」
・・・
「もう一度やり直してください」って気易く言うなっ!!!
っていうか、何で92%まで来たところでエラーなんだよっ!!!
エラーならさいしょから言え!!!

気を取り直して、もう一度。
腫れ物を触るように、ほかのソフトを開くのも遠慮して、何も作業ができない。
さっきまでやはり11時間くらいかけて87%くらいまで来たところで「予期しないエラーが・・・」
・・・
いい加減に・・・

・・・はぁ・・・
・・・疲れた・・・

ケーブルテレビの回線なのがいけないのか。
それともユーチューブのページに書いてあったように、ブラウザとかの問題?

まぁいいや。
私の気持ちが立ち直るまでしばらく放っとくことにする。

自分の力でどうにもならないことは凹むけど、どうにかできることはやる。
今日はベランダの間仕切りを直した。

もともと自分で板買ってきて、切ってつくったのよ。
震災のときに一回倒れて、縦木と横板を釘で打ち合わせてあっただけだったのでばらばらに壊れてしまった。
ので、夏くらいに上側の横木をドリルで穴開けて全部分ボルトで締めて、取りつけ直した。

そのあと9月に台風のときまた倒れて、ボルトで締めてなかった下側の横木がまたばらばらになった。
ドリルで穴開けるのがすごく大変で懲りてたので、しばらく立てただけで放っておいたら、すぐまた強風で倒れた。
間仕切りがちゃんとしてないと、プライバシーが保てなくて気が抜けない。

それをやっと今日直した。
はずれた釘は、打ち直せなかったのでぜんぶ引っこ抜いた。

ドリルの穴開け方、やっとコツがつかめたみたい。
まっすぐ力入れてやるんじゃなく、円を描くようにぐるぐる回しながら打ちこむといい。
そのほうが力入れずに開くし、穴が大きくなってボルトも入れやすくなる。

それにしても、南向きのベランダってほんといやだな。
何をするにもいちいち顔が焼けるのをふせぐために後ろ向きになってやらないといけない。
それだけのために山ほどよけいなエネルギーを使う。
いま職場の窓が北向きなんだけど、すごく快適。
こんど住む場所を選べるなら北向きの窓にしよう。

それはさておき・・・
何でもそうだけど、諦めずに取り組んでくうちにコツがつかめて、あまり大変じゃなくなってくるようだ。
ユーチューブは今でも死ぬほど大変。
でも、諦めてたまるか!!!
  

Posted by 中島迂生 at 22:46Comments(2)第4作 湖底の都 備忘

2011年12月29日

語録2011

春くらいから壁に色んな言葉を書いたメモを貼ってる。
でも、ずっと貼ってると自分の目に耐性ができてきて、あまり響かなくなってきて。
いちど全部外して捨てる前に、ここにメモを移しておこうと思う。

「量をこなしてはじめて手の抜き方が見えてくる」
「だれも思いつかないようなことをやる」
「いちばん緊急で重要なことだけをやる」

これは今年本屋で平積みになってた、たしか<死ぬまで仕事に困らない100の言葉>という本からの一節。

「あなたのことをよく知らない誰かがあなたの悪口を言っているとしたら、
 それはあなたがすばらしいということなのよ」

これはパリス・ヒルトンの言葉。

「常に新しいことを起こしていかないと。
 自分が飽きてるとしたら、まわりはもっと飽きてるのだ。
 どんどん変えていっていい。そして自分が楽しいようにやろう」

これは自戒をこめて自分で書いた。

「とりあえずやってしまう。文句言われたらやめればいい。
 許可なんかとってたらいつまでたってもできない」

これは、「駅前でビラを配るにはどこに許可を取ったらいいんですかね?」と相談したら言われた、某NPO団体の方の言葉。

「地味で退屈な決断の積み重ねが、派手でエキサイティングな人生を造る」
「すばらしい人間は、周囲に認められる前から自分で自分を<すばらしい>と認めている」

これは前出の本の一節。

「頑張って、小さなポニー。
 戦いつづけるのよ!」

これはレディー・ガガ。ユニコーンの絵とともに。

「私はほんとに底辺から這い上がったわ」
「まだ有名になっていないときでも、好きなことを毎日やっていた時点で、私はある意味成功していたの」

同。

「これから自分がつくり上げようとしている伝説をいつも思い見る」

同。これは、楽屋にいつも自分の尊敬する先人たちの写真をいろいろ飾っていることを説明して。

ガガの影響で、いまさらロッキーのシリーズをさいしょからずーっと見た。
ロッキーの誕生の物語にも感動した。

"Don't give up, keep talking.
And eventually you might have nerve someone to go 'Ah! Come on back!'"

これはシリーズ第1作のうしろに入ってるメイキングクリップで25年後のスタローンが言ってる言葉。
まぁ色々と脚色はあったらしいけど、ロッキーが世界的成功を収めたことは事実なのだから。

"The insight and the patience, the willingness to take a chance"

これは成功に必要なことを語ってる言葉。

"I gotta try, I gotta do it.
I might be totally wrong, I might have many of you done with me... just believe in it."

私から望んだことではなかったが、いろいろと敵をつくってしまっていたときだった。
どれだけ力づけられたか。

"Fear is a fighter's best friend. It ain't nothing to be ashamed of.
Fear keeps you sharp, keeps you awake, makes you wanna survive.
But you gotta learn how to control it.
Cause fear is like this fire. And it's burning inside.
If you control it, it's gonna make you hot. But if this thing controls you,
it's gonna burn you and everything else around you up, that's right."

これはロッキーのⅤだったかな。ロッキーが弟子にトレーナーとして、恐怖心のコントロールの仕方を語る部分。
シリーズを次々と見て、涙を流すたびに、いろいろと自分の中の鬱屈した汚れが洗い流されていく気もちだった。

「努力するっていうのは、並の努力じゃない。
 人の十倍くらい努力することを言うんだ」

これは職場の飲み会で某氏の言葉。

「小さいことでガタガタ言うな」

これは矢沢あいのマンガ<NANA>に出てくるタクミの言葉。
<NANA>は前から映画が好きだったのだけど、今年になってまじまじ原作をさいしょから読んだ。
いろんなモデルの存在を感じだけど、とくにタクミの人物造形にはX JAPANのYOSHIKIの面影を色濃く感じて。
話が進むにつれ、ますます。
X JAPANのことがあらためて気になってきたのも、その辺にあるのかも。
でもね、頂点に立ったトラネスもその「小さいこと」をきっかけに崩壊していくんだよね。

「安住するな。悔しさをバネに変えろ」

これは自分に向かって書いた。
けどなー。正直、いま自分史上最強に楽しい職場だったりして、安住せずにハングリー精神を保つのはなかなか難しい。

「ひと目で鋭く人を見抜くことが必要。次につなげられる人かどうか。
 いい人だけどお客さんになってくれないっていう人もいるし。
 自分の首がかかってるし、時間をムダにすることになるからね」

これはお世話になってたライヴバーのマスターの言葉で、営業の仕事をしてたときのことを語ったところ。

  

Posted by 中島迂生 at 16:47Comments(0)身辺雑記

2011年12月28日

先駆者たち

今回の初演の準備してるあいだ、疲れて息がつまってくると、息抜きにキーボードを叩いていたりしてた。
さいきん毎日のように弾いてたのは、X JAPAN の Silent Jealousy。
X JAPAN は世代のはずなんだけど、ピークだったころは正直よく知らなかったし、それほど興味もなかった。
ただ、この1曲だけはなぜだか昔から偏愛してる。
中学生くらいのときから?
一日、リピートでずーっと聞いてたこともある。
裏打ちドラムがとにかくすごくて、聞くたびにほれぼれとする。
しかも、同時に切ないバラードでもあって。
ロックの曲ってざっくりいって、ビートのきいた激しい曲と美メロのバラードくらいに分けられると思うのだけど、その両方の要素が奇蹟の融合を遂げた1曲。

ずっと好きだったけど、これをひとりで弾き語りなんてできるわけないと思ってたし、私がエックスバンドをやるっていうのもちょっと想像できなかったから、自分でやることはまぁないだろうと思ってた。
でも、夏ころかな、アコースティックしか許されてなかったライヴバーでどうしてもレディー・ガガの Judas をやりたくて、その一心でキーボでアレンジしてみたらけっこう面白いものができたんだ。
そのあたりから、もしかしたらキーボって自分が思っていた以上の可能性をもっているのかも、という展望が開けてきた。
で、ほかにも今までできっこないと思ってた曲のなかで、やりたかった曲ってなかったっけ? って考えたときに、さいしょに浮かんだのがこの曲。

<湖底の都>の制作と並行してアレンジを始めたのだけど、なんか違和感なかった。
歌詞の世界が、妙にロンデナントちっくで。
神々への嫉妬、運命へのジェラシー、みたいな。
弾きながら、舞台のイメージが増幅したりした。
毎日のように弾いてるうちになんとなく曲の魂のようなものが自分のなかにしみこんできて、こんなすごい曲をつくったのっていったいどういう人たちなんだろうって気になってきた。
X の曲はそれまでも何曲かコピーしてはいたんだけど、考えてみたら全然知らなかったんだ。
そこで、公演の2日前くらいに、しみじみとwiki で X JAPAN の項目をずーっと読んでみた。
いろいろととても感動した。
いろんなドラマや挫折や失敗や、ぜんぶひっくるめて私はこの人たちがとても好きだと思った。
そのあと、いろんなライヴ映像や、過去のテレビのトーク番組や、ユーチューブに上がってるいろんな動画を片っ端から見始めて、爆笑したり号泣したりしながら、少しずつ全体像がつながっていった。
1週間くらい、1冊の書物にどっぷり浸かるように、X JAPAN という物語に浸りきっていた。
この数年、劇団を立ち上げてひっぱってきたあとだからこそ共感することがたくさんあった。
私のなかで舞台と音楽のあいだにあまり境はなくて、バンドだって劇団の一形態みたいなものだと思ってるし、and vice versa.

初期の映像で、木造アパートに住んでる設定にして「アフリカに行って象にヘビメタを聞かせたい」と語ってるYOSHIKIとか。
伝説のやしろ食堂ライヴ。
デトロイトメタルシティをとっくに地で行ってた人たちがいたんだ! みたいな。
閉じた輪の中で独自な世界を創出するのもいいけれど、外の風に曝されることを恐れてはいけないよね。
というか、彼ら自身のなかにものすごい冷静な客観性とともにユーモアの精神があって、ああいうシュールな対比から生まれる面白さを自ら楽しめる人たちだったのだと思う。

コアメンバーが同じ5人というところにも何かひびくものがあった。
5人並んで同じ光を目指して同じ心で走っているように見えても、ほんとうはそんなことはありえないのだと。
人が何人かいるところでは、必ずさいしょに立ち上がってこれをやろうと心に決めた人がいて、ぐいぐいひっぱっていく人がいて、ついていく人たちがいて。
ついていき具合にもそれぞれみんな差があって、ビミョーな不満や批判もあって、目立ち具合や注目のされ方にも差があって、温度差もあって。
そのなかでバランスをとっていかないといけない。
高い所を目指していると、仲間にも同じだけの努力を要求してしまって、されたほうが応えられなくて疲れたり、軋轢が生じたり。
ひいてはそれが積もり積もって内部崩壊につながっていったり。

思うのだけど、やるべきことのある人は、周囲に気を遣ったり、遠慮したりしすぎないで、どんどん走っていけばいい。
空気読んで萎縮してても自分のいいところって開拓できないし。
妥協していてもいいものはできないし。
自分でこれはだめだなと思うものは、必ずや人が聞いてもだめなのだ。
どんどん高いものを目指して走っていけばいい。
ただ、一人になってもいい覚悟があるのなら。・・・

YOSHIKIはじっさいほかのメンバー比10倍はいろいろ苦労してるしがんばってると思う。
ほかのメンバーに対して、お前らなんか楽なもんだ、何でこれくらいの要求に応えられないんだ、的な思いを禁じ得ないとしても、それは道理。
けど、ほかのメンバーにとってはそれが必ずしも100%の自己実現というわけではなくて、結局は他人のやりたいこと、目指すところへついていってる、突き詰めれば他人の理想のためにがんばってる立場なのだから、やっぱり同じではないわな。

YOSHIKIとToshlはバンド仲間であると同時に、ゲンズブールとジェーン・バーキンみたいな関係なんだと思う。
プロデューサーと歌手、みたいな。
「Toshlの声を道具のように使っていた」とのちにYOSHIKIは語っているけど、一方ではToshlが自分だけでは見いだせなかったかもしれないよさを引き出したとも言える。
「自分のなかに理想のToshlのボーカルがあるんだ、ここのフレーズではこんなふうに掠れて、というところまで全部あるんだ」と。
「自分はToshl本人よりもToshlの声を分かってると思ってる、なぜならToshlが1時間ボーカル入れをしたとしたら、自分はそのあと10時間かけてそれを編集するのだから」と。

自分が音源編集を手掛けるようになる前だったら、ひたすらToshlのことを気の毒に思ったかも。
でも、同じように人の声を編集してる今だから。
不満があっても、いちいちいろいろ注文付けていやな思いをさせるのは悪いなと思ってそのままにしてしまうと、やっぱり外から批判を受けるんだな。
私自身が編集作業に苦労するのは同じなのに。
そのへんがほんとに難しい。

YOSHIKIって、自分の中に追い求めてゆくべき星がひとつ確としてある感じで、あんまり誰のこともあてにしてないし、人のせいにしないし。
求道者的なところ、そこはスゴイ、見習わなきゃ。

でも、自分のともに行くべき人と定めた相手に対しては、すごい執着だな。
Without You は、書いたときからToshlのボーカルを想定していた。
でも、それから何年もしてやっと世に出すときになってもToshlが歌ってくれなかったから、どうしたかっていうと、インストで、歌詞カードに歌詞だけ印刷して出したのだ。
それからさらに何年もたって、そのあいだに何度も何度も働きかけて、ついにToshlが戻ってきてくれて。
そのあともいろいろあって、さいきんになって本気で再始動して。
そういう物語を知ったあと、二人で奏でる Without You を聞くと、これはどうしたって泣いちゃうよ。

Endless Rain とか Tears でもそうなのだけど・・・
2番のAメロあたりで、Toshlがクリスタルピアノを弾いてるYOSHIKIのとなりに来て、同じ椅子に座って歌うとき、 二人のあいだに流れる空気に、重ねられてきた時間の濃さと重みをものすごく感じる。
あぁ、この人たちは、傷ついたり迷ったりしながらも、彼らにしか生き得ない物語を全力で生きてきた人たちなんだなぁと思うのだ。
あたしもこんなふうに全力で生きてるだろうか?

Love and respect to you, X JAPAN.

  

Posted by 中島迂生 at 23:04Comments(0)アート一般