PR

本広告は、一定期間更新の無いブログにのみ表示されます。
ブログ更新が行われると本広告は非表示となります。

  
Posted by つくばちゃんねるブログ at

2020年12月21日

高校の話 2018 もくじ

2年ほど前に書いたシリーズですが、こちらもひと目で読みたい記事へ行けるよう、もくじをつけようと思います。

2018/07/14
高校の話~1 最強の癒しスポット~
なぜか、理由は分からないのだけど、急に高校のことを書きたくなったので、ちょっと書こうと思います。私の母校は竜ヶ崎一高というところです。R高とか書くべきかな?でも、つくばちゃんねるブログに書いてる時点で、イニシャルトークしてもあまり意味はないであろうということで…しかも私は悪口を書きたい…


2018/07/14
高校の話~2 信頼の先に~
前記事から引き続いて、通っていた高校のことを書いています。私、授業でとりわけ好きだったのは、K先生の英語です。テキストを、生徒にあてて読ませるだけでなく、よく自分でも読んでくれました。K先生の声は、色で言うとちょっぴりくすんだエメラルドグリーン。その少し鼻にかかった、やわらかな声の調子…


2018/08/10
高校の話~3 おのれを問いつづける~
前記事をアップしたあと、国語の先生や数学の先生についても書き始めたのですが…書いてるうちに「やっぱりまた会いたいな」と思って、唐突に先生たちの連絡先を探し始めました。そして、結果現在までに、今回連絡をとった先生たちみんなにお会いすることができました。ほんとにラッキーでした。みんな校長先生…


2018/08/10
高校の話~4  プロフェッショナルであること~
高校に入ってさいしょの担任は、国語のO先生でした。第一印象は、漱石の<坊ちゃん>そのまま。情熱に溢れ、やたら目力が強くてw思えば当時のあの高校、ちょっと<坊ちゃん>の舞台のようだった。いろいろ個性豊かな先生たちがいて。そういえばいつも赤いジャージを着てる体育の先生や、見た感じタヌキっぽ…


2018/08/10
高校の話~5  Xの彼方へ~
引き続き、高校時代にお世話になった先生たちについて書いています。この記事では、数学の先生の話をします。英語の先生とかぶってしまうけど、K先生。私、正直言って数学はほんとにできなかったし、大っ嫌いだったのです。数学どころか、小学校に上がったばかりで二桁の引き算で挫折して以来、算数について…


2018/08/10
高校の話~6 二桁の引き算と、人の自由と。~
今回、お世話になった先生たちにお会いすることができて、とてもうれしかったし色々発見がありました。いちばん大きな発見があったのは、前記事の数学のK先生ではないかな。何しろ、ちゃんとお話ししたのって、ほぼはじめてでしたから。(知ってはいたけど)ほんとに頭いい!!と感じたのは、たとえば説明が…


2018/08/26
高校の話~7 ネコバスの通る日~
ここまで来たので、今月はいっそ<高校時代のノスタルジーにとことん浸りまくる月間>としようかと思います。で、ひきつづき高校の話です。このところ、ふとしたことで、竜一高の演劇部の初演作品だった<銀河鉄道の夜>の舞台のこと、改めて思い出していたのです。あれが自分にとって演劇というものの…

























**************************************************






  

Posted by 中島迂生 at 03:52Comments(0)高校の話 2018

2018年08月26日

高校の話~7 ネコバスの通る日~




ここまで来たので、今月はいっそ<高校時代のノスタルジーにとことん浸りまくる月間>と
しようかと思います。
で、ひきつづき高校の話です。

このところ、ふとしたことで、竜一高の演劇部の初演作品だった<銀河鉄道の夜>の舞台のこと、
改めて思い出していたのです。
あれが自分にとって演劇というものの原点だなって、今もずっと思っていて。…

高校演劇

初回はほんとに、体育館でさえなくて、教室のひとつに暗幕張って、
イス並べて客席を作っていたのでした。
だから舞台と観客のあいだがめっちゃ近くて。
あのこじんまりした感じと、手作り感と。
何より部員さんたちの、とりわけ立ち上げたSさんの迸る情熱が
ダイレクトに伝わってきて。
これぞザ・<舞台>!!って感じで、忘れがたい。

そんな原体験もあって、
私、劇団を立ち上げた頃は、わりと高校演劇を見る機会が多かったのです。

今回、久しぶりにまた見たいなぁと思って、高校演劇祭にお邪魔しました。
このたびの各校のテーマは、LGBT、言語、いじめ、生活保護など。
あと、さいごの講評が面白いですよね。

ご自分の学校のところだけだけど、O先生がいらしていてね。
思いがけずまたお会いできました。
演劇祭に校長先生が来るってなかなかないよなー。
しかもひとりひとりのことをちゃんと把握してる。
この親バカな感じがよいですw

目のまわりの優しいしわ。
年ごとに子供たちに注いできた愛情を刻む年輪のようで。

会場が竜ヶ崎だったので、せっかくだから竜一高にも寄りました。
その日は台風が近く、大風にざわざわ木々がなっていて。
「ネコバスが通ると大風が吹く」っていう、あの頃のO先生の言葉を思い出しました。

 

校舎が新しくなったのは知ってるけど、正直、そこまで思い入れないのよね。
あの頃も、どってことないふつうのコンクリの箱だったからなー。
これが古い木造校舎とかだったら、思い入れもずいぶん違ってきただろうけど。

変わったものより、変わらないもののほうに目が行きます。
私の場合、だんぜん、木たち。
坂道の桜並木はずいぶん傷んでしまっていてね。
まぁ、前からだけど。。



ユリの木はそのまま。
ヒマラヤスギは、だいぶ弱っていたな。
ポプラは腰の辺りで切られてしまっていたけど、また伸び始めていた。
自転車小屋の向こうのケヤキの木立がりっぱでねー、
思いのほかトトロの森っぽい。



駐車場にせり出した百日紅の幹に、<枝に注意>っていう看板がかかっていて。
車がぶつからないよう、わざわざ赤いカラーコーンが置いてある。
これ、私のときにもあった。
看板は代替わりしたかもしれないけど、今もそのまま、スバラシイ。
この優しさが、めっちゃ好き。
ふつう、とっくに木のほうを切っちゃうでしょ?
この枝ぶりが、またいいのよね。日本画の竜のようで。



帰りは、いつも自転車で通ってた細道をのんびり。
あ~、いいな~、里山。
ほっとする~! パワーチャージ!!



たまに来て、季節のいいときだけ楽しんでて、ごめんなさいね。
でも私も当時は、毎日13キロ(往復26キロ!)、降っても晴れても
ペダルを踏んで通っていたのですよ。
だからまた、たまには来させてね。























  

Posted by 中島迂生 at 17:30Comments(0)高校の話 2018

2018年08月10日

高校の話~6 二桁の引き算と、人の自由と。~



今回、お世話になった先生たちにお会いすることができて、とてもうれしかったし色々発見がありました。
いちばん大きな発見があったのは、前記事の数学のK先生ではないかな。
何しろ、ちゃんとお話ししたのって、ほぼはじめてでしたから。

(知ってはいたけど)ほんとに頭いい!!と感じたのは、たとえば
説明が的確なので、通常の自分の思考回路にはないようなことを言われても、すっと理解できたり。
逆にこちらから、10のうち3くらいまでしか言っていないのに、魔法のようにパーン!と通じる感覚があったり。
たとえば二桁の引き算の話をして、パッと分かってもらえた人って、はじめてかも。
逆に「ええっ?!」ってなりました。
だいたい、話してもポカーンとされますので。

そんなこともあって、あらためてこの二桁の引き算問題、自分なりに少し考えてみた。
それがちょっと面白かったので書き留めてみようと思います。
ここから先、高校の話はあまり関係なくなってきますけど…

   *   *   *

前記事で、私、二桁の引き算で人生挫折したって書きました。
一の位の引かれる数が、引く数より大きい場合なら分かるのです。
14-2 とかね、17-5 とか。
問題は、12-5 とかの場合。「十の位から借りてくる」っていうアレ。
あのやり方を教わったときに、私は子どもながらにショックを受けたのです。

何で「お金は借りちゃダメ」って教わってきたのに、数字はいいのだろう?
一の位のなかだけでどうにかできないのだったら、隣の位をあてにしたりするの、違くない?
収入以上の予算を組んで、国の補助金をあてにしてダムを建設する地方自治体みたいです。

何でそんな姑息なやり方をしてまで引きたいと思うのだろう?
そういうときはもう、引かないでそっとしておいたらいいのに。
そんなやり方を教えられて、私、なんか、むっとしました。
そんなのイヤだな、と思いました。
いわば私は「分からなくてつまづいた」のではなく、「同意できなくてつまづいた」のです。
根が深いです。
ピカソみたいです。(自分で言うな!)

けれど、残念ながら今のところ世の中全体のシステムがそうなっていますから、生きていくためには順応しないといけません。
ということで、以来人生のなかで、隣の位から借りてこざるを得ない状況はずっとつづいています。
しかしいまだに心から納得しているわけではないため、やっぱり時々まちがえます。
根本的な解決にはなっていません。

そこで今回、あらためて考えてみました。
この問題を、隣の位から借りてくることなしに何とか解決できないだろうか。
アホか、と思わずに、まあちょっとおつきあいください。
なかなか面白いところまでいくかもしれませんよ。

   *   *   *

幼き日の私が考えた、「引かずにそっとしておく」、これは実は究極の、いちばん難しい方法です。
人類にとっては。
そのレベルにまで到達する日は来るのか?ってレベルです。
「…しないでおく」ことの不可能さ。

エデンの園のリンゴを食べずにおく
パンドラの箱を開けずにおく
他の女に手を出さずにおく
核兵器の開発をしないでおく
クローン人間の研究をしないでおく

それができるようになったら、それ、もう人類じゃなくないですか?
これは哲学的な解決方法です。残念ながら、あまり現実的ではありません。

「しないでおく」ことがどれほど難しいか、もう少し見てみましょう。
読者の皆さんにだけ、こっそり告白しますが、実は私、アインシュタインが天才だったなんてみじんも思っておりません。
それどころか、天下の大バカ者ですわ。
そして、実はそう思ってるのって私だけじゃないと思うわ。

あとから謝っても遅いよ… って話です。
たとえば原爆の発明につながったとされるかの有名な公式、私、それを発見した人って、彼の前に少なくとも百人はいると思っている。
マヤ文明、アステカ文明… 今の文明では不可能な、すごい建造物を残している別の文明が、過去にいっぱいある。
発見していないわけがありません。

みんな、彼より賢かったから、先を見通して、プロメテウスの火をそっと踏み潰してきたのです。
そっと闇に葬ってきたのです。
アインシュタインは、それを見出した者のなかでいちばん愚かだった。
想像力の、絶望的な乏しさ。
だからただ見つけたことにうれしくなって、子供のように後先考えず、世に出してしまったのです。
ひとたびそれをやってしまったから、もう人類は後戻りできなくなった。
まぁ、彼だけを責められないけれどね。

思うに、二桁の引き算もそれと同じです。
引かずにそっとしておくことのどうしてもできない愚か者が、この先も地球上からいなくなることはないでしょう。
「とにかく私は引かないわ!」と孤高を貫くという手もありますが、それだと社会生活がなかなか難しくなります。
具体的には、たとえばお財布の中がお釣りの小銭でジャラジャラして、収拾がつかなくなります。
ですから、もう少し、ほかの方法を考えてみましょう。

   *   *   *

隣の位から借りてこないで解決する方法、二つ目は、たとえば
「引かれるほうの一の位が、引く数より大きくなるまでがんばる、努力する!」です。
これは理にかなった、プラクティカルな方法です。
ここまで持ってこれれば、お隣からの借金なしに堂々と引くことができます。

ただし、この方法だと、引かれるほうの数が具体的に何かっていうことに、けっこう左右されます。
これがリンゴの実とか、貝割れダイコンの話なら、毎日水をやって日に当てることで、引かれるほうの数を大きくすることは比較的容易でしょう。
ところがこれがピンポン玉のような無機物だと、いくらせっせと水をやったところで、数を増やすのはなかなか難しいです。

これがクマノミの雌となると、さらにやっかいです。
性別を自由に変えられる彼らの場合、引かれるほうの一の位が8だったのが、一瞬目を離したすきに3に減っている、なんてことが起こりえます。
でも現実問題、世の中にそういうことはけっこう多いのではないでしょうか。

クマノミの雌によく似ていてもっと身近なもの、それはずばり、お金です。
色んな条件によって、とかく左右されます。
ビジネスやギャンブルの才、税法の改正や景気変動や、株式市場の諸事情だとか。
そんなことで増えたり減ったり、どうも不安定な感じです。

   *   *   *

ということで、私、第三の道を考えました。
現状のままでどうしても押し通したい場合、自分ではなくいまいる枠組みのほうを変える、
システムを変える、いわば革命的な解決法です。
あるいは「ここではないどこか」を求めて、タヒチへ渡ったゴーギャンのようなやり方です。

ちょっとバカみたいな話をしましょう。
14個のリンゴと7個のリンゴを、それぞれ横一列に並べてみるとします。
そうすると明らかに14個のほうが列が長くて、多いことが分かるので、そこから7を引くことができると分かります。
これは私でも分かります。
ところがこれを十進法で書き表すから、見たところ一の位の数が、引かれるほうが引くほうより小さくなってしまって、ここで借りてくるこないの問題が生じてしまう。
つまりは表示方法、進法の問題です。
だったら十進法ではない、別の進法で書き表すことはできないでしょうか。
ひたすら横一列に並べたリンゴのような、借りる借りないの問題が生じない、なにか別の表示方法はないでしょうか。

世の中十進法だけじゃない、12進法や60進法など、いろいろあります。
探せばもっといろいろ、無限にあるはずです。
√687abcyの2乗分の3x進法とかねー、よく分かりませんけど。
根気よく探してみたら、14から7を引くにも隣の位から借りてこないですむ進法が、何かひとつくらいは見つかるのではないでしょうか。

ただし、これはホーキング博士の宇宙理論のように、いまのところはあくまで理論だけです。
じっさいは分かりません。
私の脳みそでは実証できませんので、だれか代わりに実証してくれないでしょうか。

でも、そういう概念を想像してみるだけで、なかなか考えの余地が広がるでしょう?
そういう存在を想像してみることができるってことは、あるいはこの世のどこかにほんとうに存在しているのかもしれませんよ?

   *   *   *

とはいっても、今後しばらくは、人類はあいかわらず、あの姑息なやり方で二桁の引き算を続けてゆくのでしょう。
ではこんなことを考えてみるのに何の意味があるかって?

現時点で一方的に与えられているただひとつの方法が、どうしてもイヤだったりする場合、
我々にはただ忍従する道しかないのか。

いや、少なくとも、立ちどまって考えてみることができます。
可能なやり方はほんとにそれだけなのか、あるいはほかにもあるのではないか、と考えてみる。
それも人間の持つ自由の重要な一要素です。
本気で考えてみることで、思わぬ道が開けたりするもの。
この問題では今のところムリでも、別の問題ではうまい解決策が見つかるかもしれません。

諦めて、流されてしまったらそこで終わり。
我慢と降伏は、まったく何も生み出しません。
考える力って、自分がより生きたいような人生を切り開いていくために使ってこそ。

二桁の引き算で、借りてくるのはどうしてもイヤだ、ってことを突き詰めて考えてみたら、こんなところに辿りつきました。
だから、時々、突き詰めて考えてみるって面白い。
己を省みるきっかけになるし、思わぬ発見があったりします。

実は私自身、相当外の力に流されてここまで来ています。
だから自戒のために書いているのです。
日常の厄介ごとに埋もれても、考えることを放棄しちゃダメ。
It's my life! なのです。人生の主導権を、手放しちゃいけないのです。


















  

Posted by 中島迂生 at 10:06Comments(0)高校の話 2018