2010年10月19日
12人の巨人
愛蘭土物語(あいるらんどものがたり) ゴロウェイ篇6
12人の巨人 Twelve Bens
トウェルヴ・ベンズの物語
2010 by 中島 迂生 Ussay Nakajima
1. ウタラアドからトウェルヴ・ベンズ、クリフデンへ
2. 物語<12人の巨人>
**********************************************
1. ウタラアドからトウェルヴ・ベンズ、クリフデンへ
ウタラアドを発った日ははじめ、おだやかなうす曇りだった。
教会の角をまがって、村はずれを流れる黒く澄んだ川の流れをわたり、少し坂になった道をのぼって、色づいた木々のあいだを川の流れる絵のような風景を左手に見て、コネマラの野を一路西へ。・・・
30マイルばかり西のクリフデンまで、ほぼ一本道だ。マアム・クロスをすぎ、リーセスをすぎ、トウェルヴ・ベンズと呼ばれる山地を、山道をこえてつづく。
魔法にかけられたようなコネマラの地。
湿地、湖、岩々とヒース。・・・人の手になるものはほとんどない。やがてかなたに、トウェルヴ・ベンズの山なみの稜線があらわれる。・・・
とちゅう、岩々のあいだで、三頭のヤギが同じ空中の一点を見つめて、身じろぎもせずにじっと立ち尽くしている光景を目にしたことがある。人間の目には見えないけれど、その岩の上にはたぶんレプラコーンか妖精がいて、ヤギたちになにか話しかけているのだろうと思ったものだ。・・・
リーセスの、コネマラ・マーブルの工芸品店は面白かった。
みどり色とグレイの二色のコネマラ・マーブルで彫られたチェス盤とひと揃いの駒を見たのはここだ。
昼過ぎから晴れて、日がさしてきた。日射しがきつい。
9月の日に照りつけられ、山道に疲れて、クリフデンに着いたときは夕方で、まだ日は高かったけれども、かなり疲れきっていた。
この日から、イニシュボフィンの島に渡るまでの三日間、めずらしく晴天がつづいた。
クリフデンの町は、競馬の季節にはコネマラ・ポニーの取引でちょっとしたにぎわいをみせるようだ。
けっこう大きく、中心部は人が多くて疲れる。
川ほとり亭 Brookside Hostel というところに宿した。
変わった夫婦が切り盛りしている。亭主の方はたいへん親切でとっつきやすい人なのだが、細君のほうがその二倍も無愛想だ。挨拶しても、ぶすっとこちらを睨みつけるだけで、見ているとわりとだれに対してもそうなのだった。なぜホステルなどやっているのだろうとふしぎに思ったものだ。
ころころと太っていて、大儀そうによたよたとやってきたとみると、人がいるのに片っ端から明かりを消していく。
この宿では、やはり私と同じようにこちらで自転車を買って、田舎をまわっているポーランド人の女の子の二人組に出会った。
クリフデンは中一日いただけなのでそれほど周辺をまわらなかったが、散歩ていどに少し足をのばした。
雲ひとつなく晴れた日は、ヒースの丘の色が沈み、白に近い透明な空にまだ明るみが残っているたそがれどきがいい。
蔦のからまった三つのアーチのある石の橋の向こうには、木立に半分かくれて白壁のコテッジがあって、橋をわたって川ぞいの道へ折れると、冷たい、濃いみどりの匂いがする。
そこを通ると、いつもするのだ、急にまわりとちがう、冷えた空気、野生の蜜のような、樹液のような、何ともいえない匂いが。・・・
フューシャの花の散りかけた岸辺の道、家並みが尽きてやぶのあいだから暗い茶色い流れが水音をたてて流れるのを眺めながら、夕暮れの冷たさが忍び寄ってくるのを感じてぞくっと肩をすくめ、かじりおえたりんごの芯を投げこんで帰る。・・・
夕方、<見晴らしの道> View Road を半分ほどのぼって、宵闇に沈みかけた山々と、そのふもとの町のあかりとを眺めた。
そのようすを見ていて、私はふしぎな印象を受けた。
クリフデンの町は、山々のふところに抱かれているというよりも、脅かされているように見えた。
そう、その山々は、悪意があって、何かを企んでいるように見えた。山を見て、そこに何かの人格を感じるということは、私は自分の国ではそれまでなかった。
ここにもひとつの物語がある。・・・
トウェルヴ・ベンズ(12人の巨人)は、昔、ほんとうの巨人だったのだ。
けれど、あるときここを通りかかったひとりの賢者と知恵比べをして負けて、山に変えられてしまったのだ。
山々となってなお、巨人たちは悔しがって恨みを抱いていて、もう何も手を出すことはできないけれども、いまもその悪意を人は感じ取る。・・・
***
2. 物語<12人の巨人>
昔、コネマラのこの地に12人の巨人がいて、好き放題に暴れまわっていた。
乱暴者で、その地に住むものたちをおびやかし、だれも安心して通ることができなかった。
あるとき、旅の賢者がこの地を通りかかった。
ここをまっすぐ抜けて、西の海に出たいのだ。・・・
それをきいた人々は彼をとめた。
この先には手に負えない乱暴者の巨人たちが住んでいる。あなたの身に危険が及んではいけない。
すると賢者は言った、なに、恐れるほどのことはない。私が行って、おとなしくさせてやろう。今からのちは、みんな安心して通れるようになるだろう。・・・
そうして賢者は出かけていった。
荒野をひとり進んでゆくと、さっそく巨人たちが現れて、賢者に言った。
「厚かましくも俺たちの領土を通ろうとする、この虫けらは何者だ?」
「なに、名乗るほどの者でもない。西の海に出るために、ちょっと通り抜けたいだけなのだ。どうか通してもらえないだろうか」
「通してほしいだと」巨人たちはあざ笑った。「俺たちと勝負をして、俺たちを負かしたら、通してやろう」
「いいとも」と賢者は言った。「なにで勝負をするかね?」
「そうだな、まず力比べをしよう。この岩を動かせるかい?」
そう言って、巨人のひとりが人の背の七倍ばかりもある巨大な岩を、頭の上まで持ち上げてみせた。彼がふたたび岩を下ろすと、どしーんとすさまじい音がして土けむりが巻き起こった。
それを見た賢者は、眉ひとつ動かさずに言った。
「それでは、私はそいつをちょっと転がしてやろう」
賢者が口笛を吹くと、大岩はひとりでに動き出して、巨人たちのほうへすさまじい勢いで転がっていったので、彼らはあわてて身をかわした。岩はそのままごろごろ転がっていって、やがて見えなくなってしまった。
「これでは勝負にならんな」と、巨人たちは言った。「それなら、腕比べをしようか。あの石柱が見えるかね?」
そう言って、遠く離れたところに立っている一本の石柱を指さした。
そして、彼らが次々に、腰に下げた短剣を抜いて、投げつけると、それらはみな飛んでいって、石柱に突き刺さった。
それを見た賢者は、再び眉ひとつ動かさずに言った。
「それでは、私はそいつをちょっとはたき落としてやろう」
そう言って彼が自分の腰に下げた短剣を引き抜いて投げつけると、それはまっすぐ飛んでいって、石柱に刺さっていた巨人たちの短剣を次々にはたき落とし、それ自身はさいごに石柱のてっぺんに突き刺さった。
「さて」と、こんどは賢者のほうが言った。「それでは、こんどはわざ比べをしてみようか。あんた方は、こういうことができるかね?」
そして賢者はあっというまに、一匹のねずみに姿を変えた。
すると、巨人たちは12匹の猫に姿を変えて、彼に襲いかかってきた。
と、次の瞬間、賢者は一匹の犬に姿を変えて、猫たちを追い散らした。
すると、彼らはこんどは12頭の雄牛となって、角を下げて向かってきた。
間髪いれず、賢者は一頭の竜となり、雄牛たちに向かって炎を吐きかけた。
すると、巨人たちは元の姿に戻ったので、賢者もまた自分の姿に戻った。
「よろしい。なかなかすばらしい」賢者は、にこにこして言った。
「それでは、あんた方、もっと大きなものに姿を変えられるかね? 例えば、山に姿を変えるなんてことはできるかね?」
「なんの、お安いご用」そう答えて、巨人たちはあっというまに12の山々に姿を変えた。
そのようすを見ると、賢者はにっこりして頷いた。
「よろしい。大いにけっこう。それでは、すまないが、今後はそのままの姿でいてくれるかね」
そうして、賢者はすばやくまじないを唱えて、ぱちんと指をならしたので、巨人たちはそのまま、元の姿に戻ることができなくなってしまった。悔しがって、地団太踏んだところで、あとの祭りだった。
それ以来、コネマラのこの地には12の山々ができた。
その地に住む者たちは、そのあいだを自由に通ることができるようになった。
賢者は巨人たちを山に変えると、そのままその地を通って西の海に出て、海をわたって行ってしまった。
それでも、そのふもとを通る者たちはいまも彼らの不機嫌さを、悪意を感じ取る。できるものなら邪魔してやろう、いつかまた自由の身となって暴れまわってやろうという思いを感じるのだ。
夕暮れにはその山並みのシルエットはゆらゆらとゆらめいて見える。大地に縛りつけられたその根っこを揺さぶり、その身を解き放とうとするように。・・・
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12人の巨人 Twelve Bens
トウェルヴ・ベンズの物語
2010 by 中島 迂生 Ussay Nakajima
1. ウタラアドからトウェルヴ・ベンズ、クリフデンへ
2. 物語<12人の巨人>
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1. ウタラアドからトウェルヴ・ベンズ、クリフデンへ
ウタラアドを発った日ははじめ、おだやかなうす曇りだった。
教会の角をまがって、村はずれを流れる黒く澄んだ川の流れをわたり、少し坂になった道をのぼって、色づいた木々のあいだを川の流れる絵のような風景を左手に見て、コネマラの野を一路西へ。・・・
30マイルばかり西のクリフデンまで、ほぼ一本道だ。マアム・クロスをすぎ、リーセスをすぎ、トウェルヴ・ベンズと呼ばれる山地を、山道をこえてつづく。
魔法にかけられたようなコネマラの地。
湿地、湖、岩々とヒース。・・・人の手になるものはほとんどない。やがてかなたに、トウェルヴ・ベンズの山なみの稜線があらわれる。・・・
とちゅう、岩々のあいだで、三頭のヤギが同じ空中の一点を見つめて、身じろぎもせずにじっと立ち尽くしている光景を目にしたことがある。人間の目には見えないけれど、その岩の上にはたぶんレプラコーンか妖精がいて、ヤギたちになにか話しかけているのだろうと思ったものだ。・・・
リーセスの、コネマラ・マーブルの工芸品店は面白かった。
みどり色とグレイの二色のコネマラ・マーブルで彫られたチェス盤とひと揃いの駒を見たのはここだ。
昼過ぎから晴れて、日がさしてきた。日射しがきつい。
9月の日に照りつけられ、山道に疲れて、クリフデンに着いたときは夕方で、まだ日は高かったけれども、かなり疲れきっていた。
この日から、イニシュボフィンの島に渡るまでの三日間、めずらしく晴天がつづいた。
クリフデンの町は、競馬の季節にはコネマラ・ポニーの取引でちょっとしたにぎわいをみせるようだ。
けっこう大きく、中心部は人が多くて疲れる。
川ほとり亭 Brookside Hostel というところに宿した。
変わった夫婦が切り盛りしている。亭主の方はたいへん親切でとっつきやすい人なのだが、細君のほうがその二倍も無愛想だ。挨拶しても、ぶすっとこちらを睨みつけるだけで、見ているとわりとだれに対してもそうなのだった。なぜホステルなどやっているのだろうとふしぎに思ったものだ。
ころころと太っていて、大儀そうによたよたとやってきたとみると、人がいるのに片っ端から明かりを消していく。
この宿では、やはり私と同じようにこちらで自転車を買って、田舎をまわっているポーランド人の女の子の二人組に出会った。
クリフデンは中一日いただけなのでそれほど周辺をまわらなかったが、散歩ていどに少し足をのばした。
雲ひとつなく晴れた日は、ヒースの丘の色が沈み、白に近い透明な空にまだ明るみが残っているたそがれどきがいい。
蔦のからまった三つのアーチのある石の橋の向こうには、木立に半分かくれて白壁のコテッジがあって、橋をわたって川ぞいの道へ折れると、冷たい、濃いみどりの匂いがする。
そこを通ると、いつもするのだ、急にまわりとちがう、冷えた空気、野生の蜜のような、樹液のような、何ともいえない匂いが。・・・
フューシャの花の散りかけた岸辺の道、家並みが尽きてやぶのあいだから暗い茶色い流れが水音をたてて流れるのを眺めながら、夕暮れの冷たさが忍び寄ってくるのを感じてぞくっと肩をすくめ、かじりおえたりんごの芯を投げこんで帰る。・・・
夕方、<見晴らしの道> View Road を半分ほどのぼって、宵闇に沈みかけた山々と、そのふもとの町のあかりとを眺めた。
そのようすを見ていて、私はふしぎな印象を受けた。
クリフデンの町は、山々のふところに抱かれているというよりも、脅かされているように見えた。
そう、その山々は、悪意があって、何かを企んでいるように見えた。山を見て、そこに何かの人格を感じるということは、私は自分の国ではそれまでなかった。
ここにもひとつの物語がある。・・・
トウェルヴ・ベンズ(12人の巨人)は、昔、ほんとうの巨人だったのだ。
けれど、あるときここを通りかかったひとりの賢者と知恵比べをして負けて、山に変えられてしまったのだ。
山々となってなお、巨人たちは悔しがって恨みを抱いていて、もう何も手を出すことはできないけれども、いまもその悪意を人は感じ取る。・・・
***
2. 物語<12人の巨人>
昔、コネマラのこの地に12人の巨人がいて、好き放題に暴れまわっていた。
乱暴者で、その地に住むものたちをおびやかし、だれも安心して通ることができなかった。
あるとき、旅の賢者がこの地を通りかかった。
ここをまっすぐ抜けて、西の海に出たいのだ。・・・
それをきいた人々は彼をとめた。
この先には手に負えない乱暴者の巨人たちが住んでいる。あなたの身に危険が及んではいけない。
すると賢者は言った、なに、恐れるほどのことはない。私が行って、おとなしくさせてやろう。今からのちは、みんな安心して通れるようになるだろう。・・・
そうして賢者は出かけていった。
荒野をひとり進んでゆくと、さっそく巨人たちが現れて、賢者に言った。
「厚かましくも俺たちの領土を通ろうとする、この虫けらは何者だ?」
「なに、名乗るほどの者でもない。西の海に出るために、ちょっと通り抜けたいだけなのだ。どうか通してもらえないだろうか」
「通してほしいだと」巨人たちはあざ笑った。「俺たちと勝負をして、俺たちを負かしたら、通してやろう」
「いいとも」と賢者は言った。「なにで勝負をするかね?」
「そうだな、まず力比べをしよう。この岩を動かせるかい?」
そう言って、巨人のひとりが人の背の七倍ばかりもある巨大な岩を、頭の上まで持ち上げてみせた。彼がふたたび岩を下ろすと、どしーんとすさまじい音がして土けむりが巻き起こった。
それを見た賢者は、眉ひとつ動かさずに言った。
「それでは、私はそいつをちょっと転がしてやろう」
賢者が口笛を吹くと、大岩はひとりでに動き出して、巨人たちのほうへすさまじい勢いで転がっていったので、彼らはあわてて身をかわした。岩はそのままごろごろ転がっていって、やがて見えなくなってしまった。
「これでは勝負にならんな」と、巨人たちは言った。「それなら、腕比べをしようか。あの石柱が見えるかね?」
そう言って、遠く離れたところに立っている一本の石柱を指さした。
そして、彼らが次々に、腰に下げた短剣を抜いて、投げつけると、それらはみな飛んでいって、石柱に突き刺さった。
それを見た賢者は、再び眉ひとつ動かさずに言った。
「それでは、私はそいつをちょっとはたき落としてやろう」
そう言って彼が自分の腰に下げた短剣を引き抜いて投げつけると、それはまっすぐ飛んでいって、石柱に刺さっていた巨人たちの短剣を次々にはたき落とし、それ自身はさいごに石柱のてっぺんに突き刺さった。
「さて」と、こんどは賢者のほうが言った。「それでは、こんどはわざ比べをしてみようか。あんた方は、こういうことができるかね?」
そして賢者はあっというまに、一匹のねずみに姿を変えた。
すると、巨人たちは12匹の猫に姿を変えて、彼に襲いかかってきた。
と、次の瞬間、賢者は一匹の犬に姿を変えて、猫たちを追い散らした。
すると、彼らはこんどは12頭の雄牛となって、角を下げて向かってきた。
間髪いれず、賢者は一頭の竜となり、雄牛たちに向かって炎を吐きかけた。
すると、巨人たちは元の姿に戻ったので、賢者もまた自分の姿に戻った。
「よろしい。なかなかすばらしい」賢者は、にこにこして言った。
「それでは、あんた方、もっと大きなものに姿を変えられるかね? 例えば、山に姿を変えるなんてことはできるかね?」
「なんの、お安いご用」そう答えて、巨人たちはあっというまに12の山々に姿を変えた。
そのようすを見ると、賢者はにっこりして頷いた。
「よろしい。大いにけっこう。それでは、すまないが、今後はそのままの姿でいてくれるかね」
そうして、賢者はすばやくまじないを唱えて、ぱちんと指をならしたので、巨人たちはそのまま、元の姿に戻ることができなくなってしまった。悔しがって、地団太踏んだところで、あとの祭りだった。
それ以来、コネマラのこの地には12の山々ができた。
その地に住む者たちは、そのあいだを自由に通ることができるようになった。
賢者は巨人たちを山に変えると、そのままその地を通って西の海に出て、海をわたって行ってしまった。
それでも、そのふもとを通る者たちはいまも彼らの不機嫌さを、悪意を感じ取る。できるものなら邪魔してやろう、いつかまた自由の身となって暴れまわってやろうという思いを感じるのだ。
夕暮れにはその山並みのシルエットはゆらゆらとゆらめいて見える。大地に縛りつけられたその根っこを揺さぶり、その身を解き放とうとするように。・・・
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