2010年10月19日
コネマラの華冠
愛蘭土物語(あいるらんどものがたり) ゴロウェイ篇4
コネマラの華冠 The Flowers of Connemara
コネマラの荒野の物語
2010 by 中島 迂生 Ussay Nakajima
コネマラの風景は独特だ。
見わたす限り一面に広がるスゲガヤの、独特の沈んだ茶色。かなたにゆらめく青い山なみ。
そのあいだに点々と白い岩々が横たわり、そのおもてには紫色のヒースや黄色いハリエニシダが風にそよいで、飾りのように、冠のように見える。
物語が終わってから何千年という時間の過ぎ去ったかのような、荒涼とした景色。・・・
夕暮れには岩々は青灰色のうち沈んだ色調に変わる。
たそがれどき、もののあわいが定かならずなりゆくころに出ていってみると、蒼く沈んだ岩々が夕闇のなかで、溜め息をついてかすかに身じろぎし、同じく溜め息をついてヒースの花々が、巻きつけたその紫色の腕に いっそうの力をこめるのを見るだろう・・・
それは、今は戦いを終えて永遠の眠りのなかで安らいでいるゴルベスとエリーンの姿なのだ。・・・
***
昔むかし、コネマラの地はみどりゆたかな平野だった。
そのころ、ここには西の国の妖精たちの大きな王国があった。
この国の真ん中に、山々のあいだから湧き出てゴロウェイ湾に注ぐ、きらめく水晶の川が流れていた。
両の川岸には金のりんごのなる木が生えいで、白鳥たちが羽を休めていた。
この川のほとりに、美しい大理石の宮殿がたっていた。
当時妖精たちの国を治めていたのは若い王子ゴルベス、その恋人は紫のよく似合う、美しいエリーンだった。
魂を分けあった友であるその乳兄弟で、腹心の部下はデーン、その恋人は黄色を愛する陽気なイフォニアで、彼らはみないっしょに、川ほとりの宮殿に仲よく暮らしていた。
ところが、あるとき、東の方から、別の種族の妖精たちの軍勢が攻め入ってきたのだった。
彼らは祖国を守るべく、勇敢に戦ったが、しだい戦況は厳しくなって、じりじりと侵入者たちに押されて後退していった。
前線からは、朝に夕に伝令が戦況を知らせにやってきた。
女たちは毎日、心を痛めながら窓辺に手をついてかなたを眺めやっていたが、とうとうある日、エリーンが言った。
「ゴルベスやほかの男たちが命をかけて戦っているのに、ここでこうして手を拱いているだけなんて、耐えられない。私は、彼らとともに戦いに行くわ」
そうして、彼女はうまやから馬を引いてきて、鎧と武器を身につけはじめた。
「私も行く。」
イフォニアも言って、戦の身支度を始めた。
それを見ていたほかの女たちも、次々に支度をととのえて戦場へ出ていった。
こうして彼らは、男も女も力を合わせてともに戦った。
それはその王国史上もっとも長く苦しい戦いとなった。
疲れ、渇き、傷を負い、しだい双方とも疲れ果て、限界に近づいていった。
敵勢は手強かった。ついにその手が、黄金の林檎の川にのびようとした。
王国の繁栄と安定の象徴、この川を奪われては、国のすべてをとられるに等しい。
そうはさせじと、さいごの手段、北の国の山岳地方に住む魔法使いのもとへ使者が送られた。
それは、生きものを石に変える力をもった、力ある魔法使い、ダーヌスであった。
「どうか、私たちのもとへ来て、私たちを助けてください。
私たちに戦いを仕掛けてきた、あのあつかましい侵入者どもを、みな石に変えてください」
と、使者は懇願した。
その頼みに応じて、魔法使いは使者とともに急いで戦場へやってきた。
魔法使いダーヌスは戦場を見おろす丘のいただきに立って、両手を上げ、大声で呪文を唱えはじめた。
今しも息づまる騎馬戦の繰り広げられる平野に、その声が朗々と響きわたった・・・
と、突如として、いくさの激しい物音がぱったりとやんだ。
ただ完全なしずけさが、戦場を支配していた。
何が原因だったのか、今に至るまで、だれも知らない。
気が急いてうっかり呪文をまちがえたか、あるいは一部を唱え損ねたか。
魔法が効いたのはいいが、まったく強く効きすぎてしまった。
敵方だけでなく、そこに居合わせたすべての者が、一瞬にして石に変えられてしまったのだ。
彼らのきずいた麗しい都も、黄金の林檎のなる木々も、すべては一瞬に石と化した。
勇敢な王子ゴルベスとデーン、そして、魔法をかけた、魔法使いダーヌスその人までが。・・・
戦いは終わった。だが、だれも勝たなかった。
男たちはみな白い岩となって、草のあいだに倒れ伏した。
女たちは花となって、その腕に恋人たちを受けとめた。
紫の似あう美しいエリーンはヒースの花となり、黄色を愛する陽気なイフォニアはハリエニシダの花となって。
このとき以来、そして永久に、彼らの幸福な王国は終わりを告げた。
国土は荒れ果て、木の生えぬ荒野となった。・・・
やっとあなたは休めるのよ。
もう立ち上がって戦場に戻る必要はない・・・
もう二度と、離ればなれになることもない・・・
ずっと一緒にいられるの・・・永久に。・・・
それ以来、勇者たちは女たちの腕の中で休んでいる。
青い夕闇のなかでときどき微かに身じろぎして溜め息をつき、
すると女たちも微かな溜め息をついて、その腕にいっそうの力をこめる。
宵の微風にヒースの花房がゆれる。
白い岩々にいただいた、コネマラの華冠が。・・・
***
スピダルからゆるやかな斜面をのぼって、内陸の荒野へ。・・・
ボグの沼地のなかに人知れずしずかに横たわるボリスカ湖とその周辺のことも少し記しておきたい。
湖の北側、湖から少しあいだをおいて、岸に沿って辿る小路。
スゲやヒースの生い茂った荒地のなかに、時折ぽつりぽつり家が見える。
しっくいを重ね塗りして、ぼってりとした曲線の白い家を覚えている。
生垣のフクシアの赤い色がアクセント。
道にはらはらと散る赤い花びら、そこに私はアガーテの血を見たのだった。
右手にせりあがった斜面に散らばった岩々、それは日の光のもとでも異様な光景だ。
往来で叫ぶ人のように、思わず目をそらさせる。
岸を離れ、さらにつづく道をたどってみる。
夏の照りつける太陽のもと、果てしなく地平まで広がる茶色一色の平原。
煉瓦のように切り分けられたピート(泥炭)が、そちこちに積み上げて干されている。
からからに乾いたその一片を持ち上げてみて、その軽さにびっくりする。
どこまでつづくかと辿ってみると、道の果てに4、5軒の小さな集落に行き着いた。
ひっそりとして、死んだようにしずか。
戸の陰から、ミントグリーンのスカーフをかぶった一人の女が顔を出して、いぶかしげにこちらを見つめた。
ほつれた麦わらのような髪がスカーフからはみだして風になびき、その目はスカーフと同じ水のようなミントグリーンだった。
帰り道、宵闇に沈む岩むら、そのようすは陰惨だった。
私は恐怖をおぼえた。
私は思った、はるかな昔、ここは戦場だったのだ。・・・そしていま、ここは墓場だ、この岩々は散乱した墓標なのだ。・・・
私は立ちどまって、見つめた。
するとヒースの花房が岩の上で揺れて、かすかな溜め息をついた。
そして、私の耳のそばで、エリーンの声がささやいた。
おやすみなさい、おやすみなさい、愛する者よ。・・・
もう怖いことは何もない、苦しいことも何もない。
二度と剣をとることもない。
二度と離れることもない・・・
岩むらの上を風が吹き抜け、雲が流れゆき、長い長いときがたって、
みどりゆたかな地が褐色の荒野と化してなお、今に至るまで、
これらの岩々はそこに、そのままに残っていて、彼らの誇りを、祖国への愛を、その無念を今に伝えるのだ。・・・
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コネマラの華冠 The Flowers of Connemara
コネマラの荒野の物語
2010 by 中島 迂生 Ussay Nakajima
コネマラの風景は独特だ。
見わたす限り一面に広がるスゲガヤの、独特の沈んだ茶色。かなたにゆらめく青い山なみ。
そのあいだに点々と白い岩々が横たわり、そのおもてには紫色のヒースや黄色いハリエニシダが風にそよいで、飾りのように、冠のように見える。
物語が終わってから何千年という時間の過ぎ去ったかのような、荒涼とした景色。・・・
夕暮れには岩々は青灰色のうち沈んだ色調に変わる。
たそがれどき、もののあわいが定かならずなりゆくころに出ていってみると、蒼く沈んだ岩々が夕闇のなかで、溜め息をついてかすかに身じろぎし、同じく溜め息をついてヒースの花々が、巻きつけたその紫色の腕に いっそうの力をこめるのを見るだろう・・・
それは、今は戦いを終えて永遠の眠りのなかで安らいでいるゴルベスとエリーンの姿なのだ。・・・
***
昔むかし、コネマラの地はみどりゆたかな平野だった。
そのころ、ここには西の国の妖精たちの大きな王国があった。
この国の真ん中に、山々のあいだから湧き出てゴロウェイ湾に注ぐ、きらめく水晶の川が流れていた。
両の川岸には金のりんごのなる木が生えいで、白鳥たちが羽を休めていた。
この川のほとりに、美しい大理石の宮殿がたっていた。
当時妖精たちの国を治めていたのは若い王子ゴルベス、その恋人は紫のよく似合う、美しいエリーンだった。
魂を分けあった友であるその乳兄弟で、腹心の部下はデーン、その恋人は黄色を愛する陽気なイフォニアで、彼らはみないっしょに、川ほとりの宮殿に仲よく暮らしていた。
ところが、あるとき、東の方から、別の種族の妖精たちの軍勢が攻め入ってきたのだった。
彼らは祖国を守るべく、勇敢に戦ったが、しだい戦況は厳しくなって、じりじりと侵入者たちに押されて後退していった。
前線からは、朝に夕に伝令が戦況を知らせにやってきた。
女たちは毎日、心を痛めながら窓辺に手をついてかなたを眺めやっていたが、とうとうある日、エリーンが言った。
「ゴルベスやほかの男たちが命をかけて戦っているのに、ここでこうして手を拱いているだけなんて、耐えられない。私は、彼らとともに戦いに行くわ」
そうして、彼女はうまやから馬を引いてきて、鎧と武器を身につけはじめた。
「私も行く。」
イフォニアも言って、戦の身支度を始めた。
それを見ていたほかの女たちも、次々に支度をととのえて戦場へ出ていった。
こうして彼らは、男も女も力を合わせてともに戦った。
それはその王国史上もっとも長く苦しい戦いとなった。
疲れ、渇き、傷を負い、しだい双方とも疲れ果て、限界に近づいていった。
敵勢は手強かった。ついにその手が、黄金の林檎の川にのびようとした。
王国の繁栄と安定の象徴、この川を奪われては、国のすべてをとられるに等しい。
そうはさせじと、さいごの手段、北の国の山岳地方に住む魔法使いのもとへ使者が送られた。
それは、生きものを石に変える力をもった、力ある魔法使い、ダーヌスであった。
「どうか、私たちのもとへ来て、私たちを助けてください。
私たちに戦いを仕掛けてきた、あのあつかましい侵入者どもを、みな石に変えてください」
と、使者は懇願した。
その頼みに応じて、魔法使いは使者とともに急いで戦場へやってきた。
魔法使いダーヌスは戦場を見おろす丘のいただきに立って、両手を上げ、大声で呪文を唱えはじめた。
今しも息づまる騎馬戦の繰り広げられる平野に、その声が朗々と響きわたった・・・
と、突如として、いくさの激しい物音がぱったりとやんだ。
ただ完全なしずけさが、戦場を支配していた。
何が原因だったのか、今に至るまで、だれも知らない。
気が急いてうっかり呪文をまちがえたか、あるいは一部を唱え損ねたか。
魔法が効いたのはいいが、まったく強く効きすぎてしまった。
敵方だけでなく、そこに居合わせたすべての者が、一瞬にして石に変えられてしまったのだ。
彼らのきずいた麗しい都も、黄金の林檎のなる木々も、すべては一瞬に石と化した。
勇敢な王子ゴルベスとデーン、そして、魔法をかけた、魔法使いダーヌスその人までが。・・・
戦いは終わった。だが、だれも勝たなかった。
男たちはみな白い岩となって、草のあいだに倒れ伏した。
女たちは花となって、その腕に恋人たちを受けとめた。
紫の似あう美しいエリーンはヒースの花となり、黄色を愛する陽気なイフォニアはハリエニシダの花となって。
このとき以来、そして永久に、彼らの幸福な王国は終わりを告げた。
国土は荒れ果て、木の生えぬ荒野となった。・・・
やっとあなたは休めるのよ。
もう立ち上がって戦場に戻る必要はない・・・
もう二度と、離ればなれになることもない・・・
ずっと一緒にいられるの・・・永久に。・・・
それ以来、勇者たちは女たちの腕の中で休んでいる。
青い夕闇のなかでときどき微かに身じろぎして溜め息をつき、
すると女たちも微かな溜め息をついて、その腕にいっそうの力をこめる。
宵の微風にヒースの花房がゆれる。
白い岩々にいただいた、コネマラの華冠が。・・・
***
スピダルからゆるやかな斜面をのぼって、内陸の荒野へ。・・・
ボグの沼地のなかに人知れずしずかに横たわるボリスカ湖とその周辺のことも少し記しておきたい。
湖の北側、湖から少しあいだをおいて、岸に沿って辿る小路。
スゲやヒースの生い茂った荒地のなかに、時折ぽつりぽつり家が見える。
しっくいを重ね塗りして、ぼってりとした曲線の白い家を覚えている。
生垣のフクシアの赤い色がアクセント。
道にはらはらと散る赤い花びら、そこに私はアガーテの血を見たのだった。
右手にせりあがった斜面に散らばった岩々、それは日の光のもとでも異様な光景だ。
往来で叫ぶ人のように、思わず目をそらさせる。
岸を離れ、さらにつづく道をたどってみる。
夏の照りつける太陽のもと、果てしなく地平まで広がる茶色一色の平原。
煉瓦のように切り分けられたピート(泥炭)が、そちこちに積み上げて干されている。
からからに乾いたその一片を持ち上げてみて、その軽さにびっくりする。
どこまでつづくかと辿ってみると、道の果てに4、5軒の小さな集落に行き着いた。
ひっそりとして、死んだようにしずか。
戸の陰から、ミントグリーンのスカーフをかぶった一人の女が顔を出して、いぶかしげにこちらを見つめた。
ほつれた麦わらのような髪がスカーフからはみだして風になびき、その目はスカーフと同じ水のようなミントグリーンだった。
帰り道、宵闇に沈む岩むら、そのようすは陰惨だった。
私は恐怖をおぼえた。
私は思った、はるかな昔、ここは戦場だったのだ。・・・そしていま、ここは墓場だ、この岩々は散乱した墓標なのだ。・・・
私は立ちどまって、見つめた。
するとヒースの花房が岩の上で揺れて、かすかな溜め息をついた。
そして、私の耳のそばで、エリーンの声がささやいた。
おやすみなさい、おやすみなさい、愛する者よ。・・・
もう怖いことは何もない、苦しいことも何もない。
二度と剣をとることもない。
二度と離れることもない・・・
岩むらの上を風が吹き抜け、雲が流れゆき、長い長いときがたって、
みどりゆたかな地が褐色の荒野と化してなお、今に至るまで、
これらの岩々はそこに、そのままに残っていて、彼らの誇りを、祖国への愛を、その無念を今に伝えるのだ。・・・
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