2009年11月11日
ゴロウェイの勇者
愛蘭土物語(あいるらんどものがたり) ゴロウェイ篇1
ゴロウェイの勇者 The Knight in Galway
ゴロウェイ湾の物語
2009 by 中島 迂生 Ussay Nakajima
ゴロウェイは、その州の名と同じ、アイルランド西部でいちばん大きな港町だ。
たくさんの花びらをもつ花のように広がった、大きなゴロウェイ湾の北東に位置する。
鮭の遡る流れの速い河口があり、青銅色の屋根のうつくしいセント・ニコラス聖堂がある。
湾に向かって右手には、クラダ・リングのデザインで有名なクラダや、<塩の丘>がある。
夏のしずかな夕暮れの、ゴロウェイ湾の美しさは格別だ。
水色と紫色と淡い金色と、水のおもてには波もなく、ただ水彩画のようなタッチで忠実にその色を映しているだけ。
これほど空が広く、これほど水がおだやかで、広々としずかに澄んだ湾はどこにもない。
まるで天を司る女神がこの湾をとりわけ愛して、両のかいなに抱き、この海に永久に平和がとどまるようにと祝福を与えたかのようだ。
それにはそうなった理由があった。
何千年も昔、かつてこの湾を真っ赤に染める血みどろの戦いがあって、気高い志をもった英雄がその身をここに沈めたのだ。
浜辺にまだ残るここかしこの森を、コネマラのごろごろした岩地を越えてやってきたひとりの勇者が。・・・
エクレシアス、泉の息子。
だれもが彼をそう呼んだ。・・・
今からどれほど前のことか、アイルランドのどこか片ほとり、小さな村でのこと。
村の泉のそばで、布にくるまれた赤ん坊が泣いていた。
ある風の強い夕方のことだった。
サラという、村の世話役のような物知りの老女がこの子を見つけて、家に連れ帰った。
赤ん坊は大声で泣いていたが、サラの姿を見るとたちまちうれしそうににっこり笑った。
「この子は偉大な勇者となり、アイルランドの至るところで人々を苦しみから解き放つだろう」
サラはその子をひと目見るなり、そうつぶやいた。
サラの家は貧しかったので、村人たちが食べ物や着るものを持ち寄って、この子の助けに供した。
また、サラは病人を診てやったり、もろもろの相談に乗ってやったりするために呼ばれて家を空けることが多かったので、村で手の空いた者がかわるがわるこの子のお守りをした。
こうして、この子は皆の息子のようにして成長していった。
七つになったとき、この子は山の上に住む隠者ドハティのもとへ送られた。
彼は数十頭の馬とともに暮らす賢者だった。
この子はそこで武術をはじめ、さまざまな秘術を授けられた。
十六の年に、彼は長い旅に出た。
雪のように白い愛馬アイオスにまたがり、銀色にかがやく鎧かぶとと、きらめく剣と盾を身につけていった。
そのときから、彼はアイルランド全土をめぐって、人々を虐げていた巨人や大蛇どもと戦い、打ち倒して、人々を苦しみから救うことになった。
彼が戦って、倒せなかった相手はひとりもなく、誰もが彼の名をほめ讃えた。
長い年月をかけて彼は旅をつづけ、次々と敵を打ち倒していった。
ゴロウェイ湾に着いたのは、その長い長い旅も終わりにさしかかるころだった。
その頃この湾には、八つの頭をもった凶暴な竜が住んでいて、たびたび海を荒らし、人々を脅かしていた。
手ごわい敵だった、けれどもそれまでと同じように、きっと打ち負かすことができるはずだった。
その日、湾のほとりに住む者たちが総出で浜に出て見守るなか、彼は愛馬アイオスにまたがって海の波のあいだへ乗り入れてゆき、勇ましく竜と戦った。
だが、それまで何年と休むまもなく戦いつづけてきたので、彼は疲れていた。
竜の頭のひとつずつと戦って、その息の根をとめていったが、さいごの頭と死に物狂いの格闘になって、彼自身もその毒牙にかかって深手を負った。
さいごの力をふりしぼってとどめを刺し、竜は息絶えて沈んでいったが、彼もまた力尽きて海に沈んだ。
悲嘆と狼狽の声が上がって、天にまで達した。
その日、ゴロウェイ湾は彼らの血で真っ赤に染まった。
その日、勇者の死を悼んで、丘の上で千人の乙女が涙を流した。
その涙がしみこんで、その土はすっかり塩辛くなった。
それ以来、そこは<塩の丘>と呼ばれている。
湾を見下ろすその丘の上に、彼らは勇者エクレシアスをたたえる記念碑を建てた。
その千人の乙女のうちに数えられていたかどうか分からないが、我々はここで、ひとつの小さなエピソードをつけ加えておかなくてはならない。
乙女らのいちばんうしろでこっそりと眺め、やはり涙を流していた、もしかしたらいちばんたくさん涙を流した、少女コリーン。
彼女はゴロウェイの生まれではなかった。
どこから来たのか、だれも知らない。
彼女はもうずーっと前から、ひとりひそかにエクレシアスのあとにつき従ってきたのだった。
彼が馬で旅したはるかな道のりを、彼女はただひとり、徒歩でついてきたのだ。
もちろん、常に遅れをとった。
でも、どんなに先へ行ってしまっても諦めずに何とかして探しあて、辛抱強くついてきた。
危険な目にあったことも一度や二度ではないけれども、よるべない身を憐れんで、関守も盗賊も彼女を見逃してくれた。
ようやくゴロウェイ湾をのぞむ丘のすそに辿りついたとき、服はぼろぼろ、靴はすり切れて、勇者エクレシアスと同じく、すっかり疲れきっていた。
あまたの困難を耐え忍んできた彼女だった。
けれども、こんどもきっと勝利するものと信じていた勇者がさいごを迎えたとき、彼女の小さな心臓はついに悲しみに耐えきれず破れてしまい、その場に倒れて息を引き取った。
彼らのうちだれも、彼女が何者なのか知らなかったけれども、みんなかわいそうに思って、彼女を<塩の丘>の上、勇者エクレシアスの墓碑のとなりに葬った。
こうして、ついに少女コリーンは、愛する者のそばにとどまることができたのだ。
天を司る女神も彼らを憐れんだ。
そして、けだかい血に染まったゴロウェイの湾を。・・・
海を見下ろす丘の上、ふたつの墓碑に見守られて、以来、花びらのかたちをしたゴロウェイ湾は永久におだやかに澄み、しずかな空を映している。・・・
*************************************************
ゴロウェイの勇者 The Knight in Galway
ゴロウェイ湾の物語
2009 by 中島 迂生 Ussay Nakajima
ゴロウェイは、その州の名と同じ、アイルランド西部でいちばん大きな港町だ。
たくさんの花びらをもつ花のように広がった、大きなゴロウェイ湾の北東に位置する。
鮭の遡る流れの速い河口があり、青銅色の屋根のうつくしいセント・ニコラス聖堂がある。
湾に向かって右手には、クラダ・リングのデザインで有名なクラダや、<塩の丘>がある。
夏のしずかな夕暮れの、ゴロウェイ湾の美しさは格別だ。
水色と紫色と淡い金色と、水のおもてには波もなく、ただ水彩画のようなタッチで忠実にその色を映しているだけ。
これほど空が広く、これほど水がおだやかで、広々としずかに澄んだ湾はどこにもない。
まるで天を司る女神がこの湾をとりわけ愛して、両のかいなに抱き、この海に永久に平和がとどまるようにと祝福を与えたかのようだ。
それにはそうなった理由があった。
何千年も昔、かつてこの湾を真っ赤に染める血みどろの戦いがあって、気高い志をもった英雄がその身をここに沈めたのだ。
浜辺にまだ残るここかしこの森を、コネマラのごろごろした岩地を越えてやってきたひとりの勇者が。・・・
エクレシアス、泉の息子。
だれもが彼をそう呼んだ。・・・
今からどれほど前のことか、アイルランドのどこか片ほとり、小さな村でのこと。
村の泉のそばで、布にくるまれた赤ん坊が泣いていた。
ある風の強い夕方のことだった。
サラという、村の世話役のような物知りの老女がこの子を見つけて、家に連れ帰った。
赤ん坊は大声で泣いていたが、サラの姿を見るとたちまちうれしそうににっこり笑った。
「この子は偉大な勇者となり、アイルランドの至るところで人々を苦しみから解き放つだろう」
サラはその子をひと目見るなり、そうつぶやいた。
サラの家は貧しかったので、村人たちが食べ物や着るものを持ち寄って、この子の助けに供した。
また、サラは病人を診てやったり、もろもろの相談に乗ってやったりするために呼ばれて家を空けることが多かったので、村で手の空いた者がかわるがわるこの子のお守りをした。
こうして、この子は皆の息子のようにして成長していった。
七つになったとき、この子は山の上に住む隠者ドハティのもとへ送られた。
彼は数十頭の馬とともに暮らす賢者だった。
この子はそこで武術をはじめ、さまざまな秘術を授けられた。
十六の年に、彼は長い旅に出た。
雪のように白い愛馬アイオスにまたがり、銀色にかがやく鎧かぶとと、きらめく剣と盾を身につけていった。
そのときから、彼はアイルランド全土をめぐって、人々を虐げていた巨人や大蛇どもと戦い、打ち倒して、人々を苦しみから救うことになった。
彼が戦って、倒せなかった相手はひとりもなく、誰もが彼の名をほめ讃えた。
長い年月をかけて彼は旅をつづけ、次々と敵を打ち倒していった。
ゴロウェイ湾に着いたのは、その長い長い旅も終わりにさしかかるころだった。
その頃この湾には、八つの頭をもった凶暴な竜が住んでいて、たびたび海を荒らし、人々を脅かしていた。
手ごわい敵だった、けれどもそれまでと同じように、きっと打ち負かすことができるはずだった。
その日、湾のほとりに住む者たちが総出で浜に出て見守るなか、彼は愛馬アイオスにまたがって海の波のあいだへ乗り入れてゆき、勇ましく竜と戦った。
だが、それまで何年と休むまもなく戦いつづけてきたので、彼は疲れていた。
竜の頭のひとつずつと戦って、その息の根をとめていったが、さいごの頭と死に物狂いの格闘になって、彼自身もその毒牙にかかって深手を負った。
さいごの力をふりしぼってとどめを刺し、竜は息絶えて沈んでいったが、彼もまた力尽きて海に沈んだ。
悲嘆と狼狽の声が上がって、天にまで達した。
その日、ゴロウェイ湾は彼らの血で真っ赤に染まった。
その日、勇者の死を悼んで、丘の上で千人の乙女が涙を流した。
その涙がしみこんで、その土はすっかり塩辛くなった。
それ以来、そこは<塩の丘>と呼ばれている。
湾を見下ろすその丘の上に、彼らは勇者エクレシアスをたたえる記念碑を建てた。
その千人の乙女のうちに数えられていたかどうか分からないが、我々はここで、ひとつの小さなエピソードをつけ加えておかなくてはならない。
乙女らのいちばんうしろでこっそりと眺め、やはり涙を流していた、もしかしたらいちばんたくさん涙を流した、少女コリーン。
彼女はゴロウェイの生まれではなかった。
どこから来たのか、だれも知らない。
彼女はもうずーっと前から、ひとりひそかにエクレシアスのあとにつき従ってきたのだった。
彼が馬で旅したはるかな道のりを、彼女はただひとり、徒歩でついてきたのだ。
もちろん、常に遅れをとった。
でも、どんなに先へ行ってしまっても諦めずに何とかして探しあて、辛抱強くついてきた。
危険な目にあったことも一度や二度ではないけれども、よるべない身を憐れんで、関守も盗賊も彼女を見逃してくれた。
ようやくゴロウェイ湾をのぞむ丘のすそに辿りついたとき、服はぼろぼろ、靴はすり切れて、勇者エクレシアスと同じく、すっかり疲れきっていた。
あまたの困難を耐え忍んできた彼女だった。
けれども、こんどもきっと勝利するものと信じていた勇者がさいごを迎えたとき、彼女の小さな心臓はついに悲しみに耐えきれず破れてしまい、その場に倒れて息を引き取った。
彼らのうちだれも、彼女が何者なのか知らなかったけれども、みんなかわいそうに思って、彼女を<塩の丘>の上、勇者エクレシアスの墓碑のとなりに葬った。
こうして、ついに少女コリーンは、愛する者のそばにとどまることができたのだ。
天を司る女神も彼らを憐れんだ。
そして、けだかい血に染まったゴロウェイの湾を。・・・
海を見下ろす丘の上、ふたつの墓碑に見守られて、以来、花びらのかたちをしたゴロウェイ湾は永久におだやかに澄み、しずかな空を映している。・・・
*************************************************