2015年11月24日

9月21日(月)~ 好きなものたちとの暮らし


 

今回つくばの部屋から持ち帰ったものの一部。。

 

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さいしょこちらへ住んだときはボストンバッグひとつだったから、もちろん色々足りなくて困っていた。
こちらで探しても、どうにもいいデザインのものがなかったり、やたら高かったりして。。
つくばの部屋からあれを持ってきたい、これも持ってきたいっていうものがたくさんあって。
服や、本や、アクセサリーや・・・ 靴や、化粧品や、こまごまとした身の回り品、はては文房具類に至るまで。。

おかげさまで今回、ずいぶん色々と持ってこれた。
リストアップして、カバンに詰め込めるだけ詰め込んで。
おかげで翌日は、肩がたいへんなことになったけれど。。空港からうちまで運んだだけで死ぬかと思った。。

でもね。。
できるだけ身軽にっていうのはあくまで<旅の美学>であって、生活するとなるとまた別だ。
住むならやっぱり、好きなものに囲まれた暮らしがいい。
好きなものって、そこにあって、見ているだけでパワーを与えてくれる。

つくばの部屋では、壁の少しのスペース、窓枠や机の上なんかにいちいち色んな好きなものたち、小物やポストカードなんかが並べてあったり貼ってあったりして、あちこち立ち止まるたびに気持ちがクッ!!とアガル。。
長年のあいだに大量のお気に入りが溜まった挙げ句、しまいこまずにできるだけ生かす策をあれこれ練った末にこうなったのだけれど・・・
こうしたものたちがみんなして全力で私のつくばでの暮らしを支えててくれたのだ。。
そう思ったら、こっちのうちも、ただすっきりキレイにするだけでなく、

“好きなもので飾る”ことの大切さ

を思い起こさせられて。。
外の世界は色々とクソだけど、いやそうであるからこそ、全力で私の暮らしをバックアップしてくれる素敵な部屋を、自分でつくっていかなくては。。
改めてそのことを思ったの。。

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PCの不具合のため、しばらくお休みします。


  

Posted by 中島迂生 at 19:34Comments(0)巴里日記2015-9月

2015年11月23日

9月21日(月)~ 再びパリへ


  

新しい学校のまわりの景色。。



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久しぶりのつくばもよかったけれど、久しぶりのパリもまたよし。
3週間いなかったあいだに秋もすっかり深まっていた。
夜、バスに揺られて街を抜けていくと、その美しさに改めて心打たれたり。

こちらに戻って、まずは新しい学校の登録手続き。
それから、滞在許可更新の件でまたプリフェクチュール(警察)から呼び出しを受けていたので足を運ぶ。

と、そこでまったく思いもしなかったひどい仕打ちを受けることに。
ほんとに、一寸先は闇だ。
どれくらいひどいかっていうと、

はあ?! ふざけんな!!! んなことしていいと思ってんのかよ?!!!!!!

みたいな。
あまりに頭に来て、怒りのあまりしばらく体調を崩したほどだった。

警察に訴えてやろうにも、相手が警察だ。どうしようもない。
イヤならフランスから出ていけっていう話になる。

あとから色々調べたり、大使館に訴えたりして、そんな仕打ちを受けたのが私だけではないと知ったけれど・・・

つくづくと思ったのは。。
世界じゅうどこに住むにしても、まず第一に許可を求めなければならない相手とは。。
それはイミグレでも警察でもない、私自身だ。
私自身がここに住み続けることを、まず自分に許可しないとだめだ。

だから今回、自分に言った。
とりあえずはもうしばらく、この街に住んでいいよ。
プリフェクチュールはクソだけど、街が綺麗だからね。
どうしても頭に来てほんとに我慢できなくなったら、そのときまた考えよう。。

私、すでにイギリスもアイルランドも、イミグレの態度のひどさにブチ切れて出て行ってしまった。
どんなに風景が美しくとも・・・あんな侮辱を受けては二度と足を踏み入れる気にならない。。

だからこのヨーロッパで、行き場所の選択肢は狭まる一方だ。
いよいよダメとなったら・・・こんどはポルトガルにでも住もうかしら。。




  

Posted by 中島迂生 at 22:39Comments(0)巴里日記2015-9月

2015年11月22日

8月おわり~ サヨナラダケガ人生ダ


     

つくば・天久保のバー<ベースメント>。以上、お店のサイト等から。

  

お店のジンリッキー、ペペロンチーノなど。。

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つくば市の天久保に、30年近く続いている<ベースメント>という素敵なバーがあります。
鯨が踊る壁面の大きな看板を目印に、鯨のお腹の中へ吸い込まれるように地下へ向かう階段を下りると、ほわーっと癒される入口の青い光。
中は石とコンクリと金属の、無機質でクールな空間。
30年前に超前衛だった感じ、今では文化遺産級です。
ポール・オースターが「エレガントな前衛」だった頃の的な。。

つくばにいた去年まで、私の欠かせない癒しスポットでした。
こちらに住んでからも、「あ~またあのカウンターでバーボンを飲みたいな」と思うことが何度も。
なので今回こちらにいるあいだ、その癒しエネルギーをチャージすべくちょくちょくお邪魔してました。

思えばこういう感じのお店が、私はずっと好きだったなぁと。。
いわば90年代スタイリッシュ。
ウッディなバーやパブが受けるなか、一方でこうした無機系バーの系譜というのも確実に存在した。
私が知るなかで、そうした雰囲気をもっていたのは新宿の御苑寄りにあった<ビザール>、あるいは高田馬場にあった<フライヤ>、いずれもとっくになくなってしまったけれど。
思えばゴンクールのあの店もそんな感じだった。
帰りに恐ろしい思いをしてから、足が遠のいてしまったけれど。・・・

ここのきりりと冷えたバーボンやジンリッキーを前に、ぼうっとカウンターで過ごす時間が好き。
それだけで心満たされていった。
あるいはマスターとお喋りしたり、ときにはDVDをかけてもらったり。。

ここのお店の空間そのものが好き。
看板の鯨マークもあいまって、暗くて広くて細長い店内、鯨のお腹の中のよう。
入ってすぐの金属製カウンターは湾曲した手すりがついて、夜の海を航海する船の甲板のよう。
それが鯨の中のピノキオのイメージともつながります。

トイレ内は全面淡い銀色、宇宙船のコックピットのよう。
テーブル席の床面は月の世界を模した銀色のでこぼこ。
奥のバンケット席では椰子の木が枝を広げていたり。
なんとも想像力をかきたてる、シュールで遊び心に溢れたお店。。

内装もすべて開店当初からずっと変わらないそうで、すごいなと思っていた。
でも実は、それまで続いていたこと自体奇蹟なのだった。
こちらへ戻るさいごの日、カウンターでこのお店への愛着を熱く語っていたら、マスターを心苦しくさせてしまったようで、「実は・・・」と打ち明けられてしまった。
「・・・移転計画が」・・・ガ、ガーン。。。

繁華街の天久保も最盛期と比べさびれるばかりで、しかも大箱ゆえ維持がほんとに大変だそう。
一介のお客にすぎない私にはどうしようもできないけれど・・・
サヨナラダケガ人生ダ。。
これまで、好きだった居場所をいくつも失って失ってきて、ここへきてまたしても失うのか・・・。

こういう歴史あるバー、ひとつの時代を刻む金字塔として、個人レベルではなくもっと大きな枠組みで保全を考えるべき!と思います。
そりゃ奈良の大仏ほどの歴史はないでしょうが、かけがえのない価値に変わりはないのだから。

マスター、移転先でもお店続けられるようで、大きな慰めではあります。。
私はといえば、・・・そろそろこちらでもまったりできる居場所を見つけなくては。。





  

Posted by 中島迂生 at 23:09Comments(0)つくば日記2015-8・9月