2020年06月25日

高校の話~8 地に足をつけて、星を見上げよ~


画像:O先生

先日、偶然母校の会報を見ていて、英語のM先生が亡くなったことを知った。
しかも半年以上前のこと。
突然知って、ショックだった。
なにあたし、今頃知ってるんだろう…
私たちの学年では、英文法の担当だった。
丁寧な分かりやすい授業だったと思うけど、雑談とか一切しない人で、正直、在学中はあまり強い印象がない。
ひとつだけ覚えてるのは、文集のさいごに先生たちが卒業生への餞の言葉を寄せたコーナーで、書いてた言葉。
「地に足をつけて、星を見上げよ」
日本語で書いてたか、英語だったか忘れたけど、なんかそんな感じ。
いい言葉だな、と思ってちょっと残っていた。

M先生のことで、いちばん記憶に残ってるのは、実は卒業して何年もあとのこと。
当時、私は地元の割烹料理屋さんでバイトしていた。
団体客のお酌係。
どこのお偉いさんだか知らないけど、仕事の話なんかしてる人はほぼいなくて、酒席の話題の99%は下ネタだった。
この団体も、どの団体も、来る日も来る日もずっとそう。
それにつきあうのが仕事ではあったのだけど、だんだんうんざりしてきてねー、アホかって感じで。
飲み屋のママとか、キャバクラ嬢とか、大変な仕事だと思うわ。

そこのお店にある日やってきた団体客のひとりがM先生だった。
それ、学校じゃなくて何か別の組織の人たちだったと思う。
知った顔はM先生だけだったから。なんか仕事のつきあいで来た感じだった。
ほかの人たちが例によってくだらん下ネタで盛り上がってるなか、M先生は話に入らずに、端っこでぽつんと離れてひとりで座っていた。
「仕事ですから」って顔して、辛抱強く、終わるのを待ってる感じだった。
私、「教え子です」とかはとくに言わなかったんです。
もう何年もたってたし、生徒いっぱいいたし、個人的に話したこともないし、だからたぶん覚えてらっしゃらないかなと思って。
あと先生のほうもこんな場で気まずいんじゃないかな、と。
でも、サービス業ですからね。
そのままほっとくのもどうかと思って、当たり障りのないこと、少し話しかけてみました。
でも、ろくに反応も返ってこなかった。
向こうにしたら、その状況での私って単なる「飲み屋のお姉ちゃん」ですものね。
なんか…すごい人だなと思った。
学校で授業してるときと、まったく変わらないんですよ。
この人はどこにいても真面目なんだな、ほんとに裏表ないんだ…って。

私、人って裏表あって当たり前って思ってたんですよね。
学校の先生だって、仕事してるときと飲み屋にいるときではモード変わって当たり前って。
とくにそれが悪いとも思ってなかったな。
だって自分も裏表あるし。
表があれば裏もあって当たり前で、とくに「裏=悪」とも思ってなかった。
小学生くらいから、そういう感覚だった気がする。
PTAのつきあいでバス旅行に行った親が、「あの先生はお酒入ると豹変するのよー」とか言うの聞いてて、まぁそういうこともあるだろうね、って。
よほど酔って暴れるとか、セクハラとかでなければ、まぁいいんじゃないの、と思っていた。
ほんとにダメなやつは、表からしてダメだからな。

ところがここに、お酒の席でも、まわりがバカ騒ぎしてても、まったく染まらない、変わらない、品位を落とさない人がいて。
ほんとに、「掃き溜めに鶴」って感じだった。
こういう人がいるんだな、って。

それはそれで終わり、先生はその団体の人たちと帰っていかれて、その後お会いすることはなかった。
これが唯一、私が先生のお人柄を垣間見たできごと。

いまになって会報読んだり、ほかの先生の話を聞いたりして、あぁ、そういう人だったんだ、そういう活動をされてたのねってはじめて知って。
竜一が大好きで、関連する色んな活動に関わり、百年史をまとめたりもされていたこと。
辞書の編纂なんかにも携わってらしたそうだ。
そんな偉い人だったんだ。
自分からそんな話もされないし、偉ぶったところが全くないから、知らなかった。

色んな人が書いていたのは、そのお人柄について。
ずるさや保身めいたところがかけらもない人だった、とか。
それは、言ってる本人もそういう人ですからね。
価値観を同じくする人たちは、ちゃんと分かってたんだなって。
たぶんいつもあんな感じで、物静かであまり主張しないタイプだったとしても、まわりの人たちがみんなM先生のよさをちゃんと分かってて、言葉にしてる。それがいいなと思う。

     ***

ここから先はおまけ。
ジェームズ・ヒルトンの<チップス先生さようなら>の新訳を手掛けた人って、M先生の教え子なのだそう。
大島一彦さんという方らしい。
訳者あとがきだったかな? M先生に言及したくだりを、見せてもらったことがある。
挿絵が初版のままなのがうれしい。

アマゾンのページはこちら

色んな本の新訳がどんどん出ていますね。
<ライ麦畑でつかまえて>も、<海からの贈り物>も…
旧訳で育った世代としては、それが刷り込まれてしまっているから、複雑な気持ちではある。
でもまぁたしかに、<チップス先生>の旧訳は古めかしいな。

しかし、思いがけない偶然。
私が卒業時に書き残した<竜一点描>は、その<チップス先生さようなら>の引用から始まっている。
冒頭と中ほどと、2か所引用したかな。
(興味ある方はこちらからどうぞ。)

この本に出会ったの、竜一に入ったくらいの頃だったと思う。
そのときは旧訳ね、もちろん。
ブルックフィールドっていう伝統あるグラマー・スクール(架空の)が舞台で。
私の中で、竜一とちょっと重なっていた。

主人公のチップス先生は古典の先生で、ラテン語のヴァージルとかキケロとかを教えてるわけです。
それ読んでて、なんか羨ましいなと思っちゃって。
何で我々はラテン語を習えないんですかね? 不公平じゃない?

それで、いつかやってみたいなっていう思いがあって(よくよく物好きw)
大学でラテン語と古典ギリシャ語の授業を取った。
ラテン語を1年間、ギリシャ語を2年間。
呆れるくらい、めっちゃ時間とエネルギーを食った。
ラテン語なんかひとつの動詞が500通りくらいに変化するんだもん。
ほんと、気が狂ってます。ギリシャ語はさらにひどい。

まぁでも、そうやって気が済んだのでよかった。
それが何の役に立ってるかっていうと、大して何の役にも立ってないけどw
ヨーロッパの言語をやってると、地中深くに埋もれた遺跡の輪郭がぼんやりと浮かび上がってくるように、あれが土台となってるんだなって見えることはある。

教養って、まぁ余剰よね。
チップス先生の人物像は、そのへんを体現してる感じ。
でも余剰だけでは仕方ないから、だんだんに追いやられていく。
滅びゆく種族ではある。

     ***

「地に足をつけて、星を見上げよ」かー。
私、M先生のこと、ほとんど何も知らなかったんです。
私が見たのは、その百万分の一に満たない、ほんの一瞬だけ。
それでも先生のお人柄を知るには十分だった気がする。
語る資格もたいしてないと思うけれど、それでもちょっとだけ、書いておこうかなと思ったので。
















  

Posted by 中島迂生 at 06:30Comments(2)高校の話 2020