2020年07月28日
高校の話~14 思い出はネコバスに乗って~

画像:O先生
白幡台の上空には、たまにネコバスが出現するらしい。
とくに風の強い日には。
自転車置き場のうしろには大きなケヤキの木立があって、
風が吹くとざわざわさわぐ。
あの日、O先生が授業中に窓の外を眺めながら、
「今日はネコバスがいっぱい飛んでますねー」と言ってこのかた。
風が吹くたび、かなたの空をネコバスが駆け去ってゆく気配を感じるようになった。
あの頃国語の授業を受けていた私たち、毎日のように先生の愛娘、ななちゃんの話を聞かされていた。
のちには妹のかおるちゃんも加わって。
あまりしょっちゅう聞かされるので、なんだか会ったこともないのに半分家族みたいだった。
みんなそう感じていたと思う。
緑濃い白幡台の木々たち。
トトロ的な舞台背景も相まり、幼い姉妹の面影はそこらじゅうにあって。
いつしか、私の中ですっかりメイとサツキの像と重なっていた。
ちょうどあの頃、ふたりの歳もそれくらいだったのじゃないかな。
ちょっぴりお姉ちゃんのサツキと、物心ついたくらいのメイと。
顔立ちもなんとなく、想像のなかで出来上がっていた。
きっと、ななちゃんのほうはパパに似てくりっとした瞳で。
かおるちゃんのほうはママ似かな、ママの顔知らないけど。
高校時代の大半、やれ予習しろ、復習しろとみんなのお尻を叩いてまわっていたO先生。
いざみんなが目の色変えて勉強しだす3年も後半になると、一転して、反対のことを言い始めた。
人生、勉強がいちばんの重要事じゃないですからね。
ひとは人間性がいちばん大事ですよ。
それから、トトロ、まだ見てない人は、ぜひ見てくださいよ。
それくらいの心のゆとりは持ちなさいよ。…
…あれから長い月日が流れて。
おととし遊びにいったとき、すっかりおとなになったななちゃんとかおるちゃんの写真を、先生は見せてくれた。
二人とも元気で、うれしかったな。
うん、やっぱりななちゃん、どっちかというとパパ似かな。。
相変わらず親バカ全開で、ふたりの近況も。
もっとも、先生が親バカなのは、実の娘さんに限ったことじゃないけど…。
フランスに戻る少し前、さいごにもいちど、先生が当時いた学校に遊びにいった。
ひとしきりあれこれ喋ったあと、先生はスマホを取り出した。
「これ、妹の結婚式のときの写真。ちょうどきのう、妹が送ってきたんだよ」
「へえー。妹さんの結婚式のときの?」
なんと、あの頃の、小さい頃の、ななちゃんとかおるちゃんの写真だった。
メイド・オヴ・オナーみたいなお揃いの白いドレスを着て、おめかしして写っていた。
まさに、私の頭のなかで出来上がっていたふたりのイメージそのもの。
ななちゃんのほうはパパに似て、くりっとした瞳で。
かおるちゃんは切れ長の瞳で。
「ふしぎだな、何でまたきのう、よりによってこれを送ってきたんだろうな」
妹さんは、私が今日、先生のところに遊びに来ることを知らなかったそうだ。
先生、ほんとにふしぎそうで、首を傾げていた。
まぁそんなこともありますよ、と私は笑った。
ネコバスはたぶん、こことあちらだけなく、過去と現在も行き来できるんじゃないかな。
きっとあの日、夜明けの夢のまどろみの中で、ネコバスが妹さんの耳元に囁いたのだ。
あの子、そろそろ帰るらしいよ。
ふたりの写真を、ちょっと送ってやってよ。…
あれからまた季節が巡って、先生はいま、再び竜一に戻っている。
いま、日本は梅雨。
高校のころは自転車だったので行き帰りがやっかいだったけれど、
ほんとは日本がいちばん美しいのは梅雨の時期かもしれないな、と思う。
5月6月のみどりの田んぼが大好き。
だけど、ここもう何年も見られてない。
竜一の、ユリの木とかのある、入ってすぐの植え込みのところ。
あの景色、3階あたりの窓から眺めるのが好きだった。
あの眺めも、梅雨のいまの時期がいちばん綺麗だと思う。
しとしと雨に包まれてすくすく枝を広げていくのが見えるようで、
窓ガラスにまで木立の緑が滲みてくるようで。
…あの眺めをいま見られないのが残念です。
よかったら一枚パチリとやって、送ってくれませんか。
そう、先生に書き送ったら、すぐに写真が送られてきた。
メールありがとう。
実は昨日、梅雨の真っただ中のような雨ふりで、
4時間目に3階にある3年D組の授業で外を眺めながら
ユリノキやメタセコイヤを生徒に紹介していたところです。
ネコバスもうんと走りまわっていましたよ。
画像は隣の先生に教えてもらいながら送ります。
元気でね。…
心の目に浮かぶ梅雨空に、にかっと口開けたネコバスの
くせありげな笑いが広がった。
そのままネコバスは弾みをつけてジャンプして、
ぐんぐんと高みへ、雲突き抜けて駆け去っていった。

2020年07月28日
高校の話~13 甲の薬は乙の毒~

画像:O先生
国語のO先生との、ノートをめぐるごたごたについてはこれまでも書いたところ。
あの頃の私、ほんとに偏屈だったな、って笑ってたけど。
高校時代の教材とかノートは、だいぶ厳選したけど、いまもわりととってある。
去年、つくばに帰ったときに、棚の整理をしていて、そのノートを発見した。
端から見返して、軽くショックだったのは、まぁ不毛なやり取りが、毎回毎回、これでもかってくらい、えんえんと繰り返されていたこと。
「こんなふうにまとめなくちゃいけません」→「でもそれ、私には必要ないんで大丈夫です」→「不可。再提出!」→「不可でいいです、別に」…
単元がひとつ終わるたび、さいしょからその繰り返し。
いやちょっと待て、これ先生のほうだって、相当偏屈だったよ。
思えばあの頃の自分、ことさら「偏屈でいこう!」と思ってたわけではない。
ふつうにしてたら何だか向こうからゴタゴタと絡んでくるから、
「うるさいなぁ」と流していたらまた絡んできて…みたいな感じだった。
「こうふにまとめよ」って言われても。
それ、私のノートだし。
アナタの基準と合わなくても、別に私はかまわないし。
もう義務教育じゃないんだから、好きにさせて。
そんな毎回、絡んでこないで。って思ってた。
竜一は、自由な気風が好きだったのに。
O先生のしつっこさは中学の時の管理教育を思い出して、
けっこう本気でイヤだった。
だから高校時代、さいしょの2年半くらいは、O先生は私にとって「けっこうめんどくさい人」だった。
(って、ゴメン、それ高校生活のほとんどだ。)
***
そのうち諦めたのか、ノートについては、あんまり言ってこなくなった。
同時に、うすうす、感じ始めた。
先生は、ノート以外のことも、言わなかった。
ほんと言って、あの頃の私、相当頭でっかちだったし、
相当、偏っていた。何かにつけて。
もちろん先生は知っていた。
でも、何も言わなかった。
何か言うのは容易だっただろう。
でも、言っても聞く耳をもたなかったであろうことも確か。
それが分かってたんだな。
授業ではあんなにお喋りな先生なのに。
私に向っては、批判とか助言とか、何も、一言も、まったく言われたことがない。
偏った考えに凝り固まっていたときも、
ぐちゃぐちゃ悩んでいたときも。
さりげなく、見て見ぬふりして、放っておいてくれてた。
何か言ってくれるだけでなく、
言わないでくれるデリカシーっていうのもあるんだな。
うすうす、それを感じるようになった。
その絶妙な距離のとり方が、
<かっこわるい部分を知ってくれてる感>が、
今も先生に感じる絶大な安心感につながってる気がする。
***
さいごの半年になって、気が変わり、やっぱり大学を受けることに。
志望校が決まったのが11月くらいだったのだけど、小論文があって。
でも、小論なんて何をどう書いたらいいんだか、さっぱり分からない。
予備校とかに行かなくちゃならないかな、と思っていた。
それまで、塾とか予備校とか、まったく行ったことがなかったの。
行ったことがあるのは、ピアノ教室くらい。
…と思っていたら、O先生の方から来てくれて、
「よし、じゃあ、小論対策やるか」って。
なんか、個人指導してくれるらしい。
…びっくり。えー、いいんですか? 公立高校なのに?
というか、その前に、私、あんな反逆児だったのに。
あれだけ私に手こずったのに。
まったく根に持つようすもなく。
狐につままれた感じのまま、小論指導が始まった。
いまでも、棚の整理してると、練習で書いた原稿が山のように出てきてびっくりする。
こんな大量に見てもらってたのかー!
どれだけ先生の時間を取ったのだろう…。
そういうわけで、私は大学に入るまで、結局一度も塾や予備校に行ったことがない。
これはほんとうに誇り。
自分のじゃなくて、先生たちが私の誇り。
竜一の先生たちの授業だけ聞いていれば、大学に入れる!っていう、私はその生き証人なんです。
でも、美談で終わらすのもよくないな。
O先生、いまは再び国語の先生になって、やっぱり小論を見てると言ってたけど、ほんとに、大変そう。
あれは公立高校でやることじゃないわ、と今でも思う。
あまりに負担が大きすぎる。
***
そんなわけで。
卒業して何十年もたった今、なんか、改めてふしぎになった。
あの頃、何であそこまでノート提出なんかにこだわってたんだろう?
ほんとは、そんな人じゃないのにな。
きっと上からの指導要綱かなんかで、ノートの取り方指導を徹底するように言われていたのかな。
それで、あるとき、聞いてみた。
あの頃、なんであそこまでノートにこだわってたんですか?
そしたら何と、驚くような答えが返ってきた。
俺、よく覚えてないんだけどさ。
はじめはたしか、テストではなかなか及第点を取れない、運動部の子たちに、何とか点をあげようとして始めたことだったんだ。
毎回ノート提出させて少しでも点つければ、証拠になるでしょ。
…あっけにとられてしまった。
えーっ?! そういう目的だったの?!
何と。…典型的な、<甲の薬は乙の毒>ってやつだわ、それ。
被害を被ったこちらとしては、たまったものじゃなかったけど。
…やっぱり、ちゃんと聞いてみるって、大切だな。
思いもかけないような意図があったりするんだな。
「ちょうどあの頃から、思うようになったんだよ。
あれ、この子たちは、こっちから言わなくても、自分のやり方でやってけるんじゃないか?って。」
いや、ほんとかな、それ。
毎回私とやりあうのがあまりにも不毛だから、そのうち諦めたのかと思っていたよ。
当のご本人は、あんまり覚えてないようで。
「俺、そんなノート提出にこだわってたっけ?」って、のんきなもの。
いやいや、相当、しつこかったから。
「今もノート提出させてるんですか?」って聞くと、
「今はもうやってないよ、そんなの」と言って笑った。

2020年07月28日
高校の話~12 竜一リヴィジテッド~

他高で校長先生の任期を勤め上げたのち、O先生は母校の竜一高へ戻り、また国語の先生になった。
18年ぶりの竜一だそう。
そうなるだろうな、と実は思っていた。
私も竜一は好きだけど、O先生ときたら、また桁が違う。
卒業からしばらくたって、あのときは電話で話したのだっけ。
いま○○高に移ったんだよ、と言っていた。
竜一には、14年間いたんだ。
ひとつの高校には、15年までいられるんだよ。
でも、15年いっぱいまでいると、次の赴任先を自分で決められないんだ。
14年までなら、決められる。
だから14年で切り上げて、竜一になるだけ近いここにしたんだ。
へーえ! …なんと、そこまでこの人は竜一が好きなのかー。
って、改めて驚いたのだった。
なんか、「なるだけ彼氏のそばにいたいから、職場も彼氏の家の近くにしましたー

(あ、一応言っておくと、O先生は男性です。)
そういうわけで、いま、竜一には再びO先生がいる。
池の主の錦鯉が戻ったようで、やっぱり、しっくりする。
さいしょに遊びにいったのは去年の夏のこと。
「校内、ちょっとぐるっと見たい?」と言ってくれて。
「見たいです!」と言ったら、
「見たいだろうと思ってさ」と言って、死ぬほど暑い日だったのだけど、ぐるっと案内してくれた。

いまの校舎は、私たちが卒業した後建て替えられたもの。
数年前、卒業証明を取りに来てはじめて入った。
けど、つくづくと見て歩くのははじめて。
私たちの頃より、むしろ昔懐かしい、木材の風合いを生かした造りになっていた。
あれ以来、新建材から天然材へ、業界も世の流れも大きく変わったからな。
ちょっとレトロ。ちょっとアール・デコ。
でも、控えめ。
ちょっと重厚めな板張りの廊下に、わずかに曲線を描く天井のアーチ、赤い絨毯。
この控えめ感が、竜一らしい。
見たことないけど、O先生が高校生の頃の木造校舎の雰囲気に、むしろ近いのではないかな。
渡り廊下を抜けて、別校舎へ。
向こうのほうには、グランドピアノを備えた広場みたいなスペースが出現していて、少しびっくりしたけど。
このへんは、あまり変わってない。
理科室の窓には、あの頃と同じヒマラヤスギ。
階段のところでは、テューバの女の子が暑いなか、同じフレーズをさっきからずっと練習してる。
図書室のいちばん奥の棚には、薄紫の表紙の源氏物語解説書のシリーズがいまも。
窓からは竜ケ崎市内を一望できる。
「雪の日には、これがまるで水墨画みたいでさー」…

無理を言って、3階の、ユリの木の植え込みあたりが見渡せるところにも連れていってもらった。
「あのメタセコイア、ちょっと校舎に寄りすぎてない?」
「まぁ、いいんじゃないですか。
それより、ユリの木、だいぶ切っちゃいましたねー。あれが一番背が高かったのに」
「オマエよく覚えてるなー」…
世にも長閑なお喋りをしながらひと廻りして戻ってくると、
職員室は、大片付けのまっ最中だった。
扇風機がぐるぐる回るなか、ネイティヴの英語の先生も含めて、色んな先生が次から次へといらない段ボールや備品や書類を運んできてて。
のんびりいられる雰囲気じゃない。
奥の方の、予備の応接間というか、ソファのやや渋滞したひと部屋に、先生はなんとか場所を見つけた。
それから、給湯室の冷凍庫からセブンのアイスキャンディーの箱を出してきて、おみくじを引くみたいに選ばせてくれた。
「今日、来るっていうからさ。買ってきておいたんだ」…
とたんに、前年のことが、きのうのよう。
あぁ、去年ももらったな。去年はピーチ味のをもらったっけ。
思い出しながら、巨峰のをもらうと、先生も巨峰を取った。
アイスキャンディーできつい日差しのほてりを癒しながら、先生はまたいろんな話をした。
いまは2年生の副担をやってるんだよ。
現文と古文と両方もってて、準備がたいへんなんだ。
ずっと授業やってなかったから、勘が戻ってくるのに時間がかかったよ。
いやー大変だな教諭って。
それから春ごろ、いちど声が出なくなってしまって困った話とか。
野球のこと、私の知らないほかの先生や卒業生たちのこと、次年度から始まる付属中学のこと。…
色んなことが、大きく変わろうとしていた年だった。
私が知っていた職員室の、あのほわーっとした空気。
それはしばしなりをひそめ、いま、バタバタと慌ただしい雰囲気にとって代わられていた。…

こうしてその日、久方ぶりに竜一を訪ね、校内を見せてもらって、楽しい時を過ごして、家に帰って…
それから急に思い立った。
よし、この夏は竜一を撮ろう!
今、いるうちに。
その場で鉛筆をとって、書き留めはじめた。
あのシーン、このシーン、あの角度から見たあのシーン…
撮りたいショットを片っ端から。
その夏の滞在に、あらたなミッションが加わった。
撮りきれなかったら来年でも、なんて悠長なことは考えなかった。
撮れるうちに、さっさと撮らなきゃ。
来年は、ないかもしれない。
そういうわけで、その夏は、しつこく竜一に通い詰めた。
O先生はじめ、色んな方にほんとに無理を言った。
とくに毎回迎えてくださった、受付の女性の方。
一度なんかお昼食べてるときにお邪魔してしまって、ほんとに申し訳なかった。
皆さんすみませんでした、でもほんとに、ありがとう。
おかげですっかり撮れました。
そうそう。
ざっと編集はしたのだけど、まだO先生に見てもらってないわ。
いる間のうちに、どうしてもタイミングが合わなくて。
さっさと送らなきゃ。
眩しい緑の木立を抜けて、竜一の坂の道を登ってゆく。
耳がおかしくなりそうなセミの大合唱にまじって、
吹奏楽のメロディーが吸い込まれてゆく くっきりと青い空。
2019年、8月。
世界がまだ平和だった、遠い夏の日。…
