2020年08月03日

高校の話~15 ○○りん名言録3選~

高校の話~15 ○○りん名言録3選~

数学のK先生のところへ、去年も遊びにいった。
校長先生を務めていた高校まで、パァーンとどこまでも広がる関東平野の田んぼの一本道。
道も綺麗に整備されて、走るのがほんとに気持ちよい。
途中で幅の広い橋をわたる。
河がうねって地平に消える景色のかなた、えんえんと緑が重なって、はるか遠くまで。

不本意ながら都市部に住んで、<遠景>なんてものを望むべくもないいま、あの景色、思い出すだけで心晴れる。
こんな道を毎日通勤してるなんて、いいなー。
あ、でも、交通の便はあまりよくないらしい。
電車通勤派だったK先生、ここの赴任になってからは、やむなくマイカー通勤なのだそうだ。
会食があったりすると飲めなくて困るらしい。それはそうだ。

去年の夏、さいしょに遊びにいった日は、生きて帰れるかっていうくらいの暑さだった。
でも晴れ渡って、超絶きれい。
ぱきんとした光のなかで、一面の田んぼが広がって。

校長室に通されると、冷蔵庫みたいに完璧に冷えた室内に、さらに扇風機がまわって、急に北極に来たよう。
完璧なおもてなし。

その前の年も遊びに来たので、ちょっと懐かしい感じ。
おとなりの学校の校長室と同じ、四角いでっかい、こげ茶の革張りのソファ。
執務机の上には、同じ瀬戸物の、綺麗な青いコーヒーカップと、ガラス玉のメモホルダーみたいなの。
それからノートパソコン。
それだけで、あとは何もなし。超絶すっきり。

机の横の壁に貼ってあった、ルイ・アラゴンの言葉を記した紙は、剥がされていた。
悪い人じゃないけど、スターリンの偽善を見抜けなかった人だからね。

この夏も2回くらい遊びにいって、いろいろな話をしたけれど、何を書こうかな。
今回はちょっと、名言録3選をまとめてみようと思います。

***

○○りん名言録その1:「ほんとに知ってるっていうのは、<なぜ>というところも含めて知ってるということ」

竜一の話になって、サイエンスなんちゃら。(※とかいう、去年あたりからの新制度。)
いまアマゾンから、色んなものが届いてるんだよ。オタマジャクシとか。…
「オタマジャクシ?」
「たとえばさ」…

オタマジャクシって聞いて、子供の頃の、苦い思い出がよみがえる。
9才くらいのとき。
カエルが好きで、よくつかまえて遊んでいた。
春に田んぼに水が張る頃、オタマジャクシが生まれてきて、水の中をすいすい泳ぎ回って、やがて田んぼがすっかり緑になる頃には、カエルになる。
あるとき、オタマジャクシから飼ってみようと思って。
人工的な環境でオタマジャクシからカエルまで育てるのは難しいって、図鑑での知識はあった。
でも、住んでる田んぼの泥や水ごと水槽に入れておけば、環境はそう変わらないのだし、勝手に調和水槽になってうまくまわってゆくだろうと思ったの。
でも、そううまくはいかなかった。
飼い始めて数日もしないうち、大方死んでしまって、水の中でひっくり返っていた。
ほんとに繊細な生き物で、わずかな変化にも耐えられないのだった。
それ以来、カエルを飼うのはきっぱりとやめた。
つかまえるのもやめて、見るだけにしてる。

そんな話をすると、K先生も自分の経験を話してくれた。
竜一から別の高校へ転任したあと、生徒たちと、ヤゴを飼育していたんだって。
やがて脱皮してトンボになるわけだが、はじめ、それ用に、水槽の周りに平たい石を置いてやっていた。
でも、それだと、そこにたどり着くまでに力尽きちゃうんだよ。
あれは可哀そうなことしたな。
それでそのあと、水の中から登ってこれるように、水槽の中に割りばしを立ててやったんだ。
そうすると、登りながら、重力を利用して脱皮するんだ。
ああ、こうやって脱皮するんだな、と思ってね。
知ってると思ってたのと、ほんとに知ってるっていうのはこうも違う。
ほんとに知ってるっていうのは、<なぜ>ってとこまで含めて知ってるってことなんだ。

***

○○りん名言録その2:「先生のほうも、生徒に教えられて成長するんだよ」

これは、私がどんなふうに竜一の雰囲気を好きだったかっていう話を、うんうんと聞いてくれていたとき。
個の尊厳を重んじてくれたこと、多少問題があったとしても基本、信頼してほっといてくれたこと。
「それは生徒たちがそもそもよくできた子たちだったからだよ」って。

なんか、そういう話を英語のK先生にもしたし、こちらのK先生も同じようなこと言ってた気がする。
ほんとに私、竜一に来てから、教育の場ではじめて「あ、なんか私、ここでは人間扱いされてる!」って思ったのよね。
ひとりの人間として、敬意をもって扱われていると感じた。
どうでもいい形式的なことでごちゃごちゃ言われることがあんまりなくなって、すごい、ストレスフリーだった。

それまでは、ひとりの人間と見なされてなかったもん。
管理の対象だった。
ブタ小屋のブタみたいなものだ。
小中の先生たち、基本、悪い人ではなかった。
ブタである我々に対して、親しみや情愛をもって接してくれたと思うよ。
でも、そこに敬意はなかった。
そういう発想が、そもそもなかった。
敬意っていうのは、ブタの所有者や、ブタ小屋の管理人であるところの、保護者や、上の偉い人たちに対するものだった。
ブタといって差支えがあれば、牛でも羊でもいい。

そういうの、先生の服装なんか見ててもほんとに感じた。
小中では、先生たち、ふつうにジャージで授業してたもん。
で、授業参観のときとか、偉い人が視察に来るときだけ、スーツやきちっとしたスカートを履いてくる。
それが当たり前なのでどうとも思ってなかったけど。
ほんと、露骨だったな、いま思うと。
でも、考えてみたら、生徒が制服着てるのに、先生がジャージって、変よね。

竜一に来てね、とくにK先生なんか、ほんとにいつも、きちんとスーツを着て、ネクタイを締めて授業していて。
そういう人が、多かった。
さいしょ、なんか、びっくりした。
だれも授業見に来ないのに、常にその格好なんだ。
そして、その敬意は、我々生徒自身に対して向けられたものだと感じたんだよね。
ここでは我々は、ブタ小屋のブタじゃない。
人として尊重されている、と感じた。
それはほんとに気持ちのいいものだった。

先生も、生徒に教えられて成長する -
そんな発言も、意識のなかでじっさいに、生徒に対して敬意をもって向き合ってくれていたからこそ、と思う。

***

○○りん名言録その3:「数学が好きだから教員やってるんじゃない、人が好きだからやってるんだよ」

これは、おととしのことば。
例の進法についてのめんどくさい論議を持ち出したら、やや逃げ気味に言われたんだけどw ほんとのことだと思う。

ちなみにその、2桁以上の引き算で「となりの位から借りてこないですませられないか問題」の結論ですが。
K先生はさいしょから分かってたと思うけど、私は頭が悪いので、2年くらいかけてやっと答えが出まして。

「10進法以外で、となりの位から借りてこずに引き算できる進法とは?」という命題。
その答えは、たいへんシンプルなものでした。
あれは要するに、毎回、引かれる数のほうの進法で考えればいいわけですよ。
たとえば、14-7だったら、14進法で考えればいいわけ。
そうしたら、となりの位から借りてこないですみます。

ただ問題は、14進法は10進法とはちがうわけだから、1から14までの、10進法で使われてるアラビア数字とは別の、あらたな数字のセットをひと揃い、作り出さなきゃいけないわけです。

それがまぁ、14くらいなら何とかなるでしょうよ。
でも、数字がどんどん大きくなって、たとえば
19, 555, 284, 347, 112, 120 - 299, 392, 100, 156
とかになったら。
19, 555, 284, 347, 112, 120個分のあらたな数字を作り出すって、天文学的な作業になってきます。
そんなふうに、数式ごとにいちいち引かれる数の進法を作り出していたら。
それこそ、ラテン語の動詞変化どころの騒ぎじゃなくなります。
それに、計算式はどうやるのって話。
横に長すぎて、壁、突き抜けるわ。いや、それどころか、大気圏まで突き抜けそう。

そういうことがあるから、あらゆる引き算について、やっぱり10進法を共通語として、ちょっと感じ悪いけど足りないときはとなりの位から借りてきて、っていう手法が、結局合理的なわけです。

ここに思い至って、ようやくその合理性を認識した私。
このことを、小学1年生のときに説明されてたら、納得しただろうか。
まぁ、無理だろうな。
それでもやっぱり、「となりから借りてくる」っていうのがどうにもやっぱり気持ち悪い…。
生理的なものですからね。
「納豆、どうにも苦手」みたいなもんでしょうね。

ともあれ、そんな文脈で出たコトバではありますが、K先生、「人が好きだから」というのはほんとだと思うの。
数学も、もちろん好きなのでしょうけど。
昔からのゴシップ好きも、つまりは、そういうところから来るのでしょうね。
とっても平衡の取れた、健全な感覚をもった人だと思うし。

私が竜一でお世話になったような、こういう人たちが管理職の立場にいてくれるのって、うれしい。
誰が上に立つかで、ほんと、大違いだもの。
こういう人たちのもとでなら、たいがい組織もうまく回っていくし、問題も理にかなった仕方で解決されていくんじゃないだろうか。
まぁ、校長先生の一存でどうにもならないことも、あるのかもしれないけど。。

去年、二度目に遊びにいったときは、「3時から面接の練習があるから」って言ってたな。
就職面接の練習に、立ち会うだけじゃなくて、じっさい先生が面接官役を務めるのだという。
校長先生に面接の練習つきあってもらえるなんて、ぜいたく。

色んな先生たちと話していて感じるのは、いまは、校長先生と生徒たちの距離がずいぶん近いんだなぁ、ということ。
英語のK先生はいま教頭先生だけど、生徒のカウンセリングをしてるとか言ってたし。
O先生は高校演劇の発表会にわざわざ足を運んでいたし。
みんな、生徒のことを個人レベルで知っている感じ。
私たちの頃は、校長先生と個人的に話すなんて、なかったな。校長室がどこにあるのかさえ、よく知らなかった。

K先生、今年から、また別の高校に転任になった。
折からのコロナ禍で集会が開けず、式も放送で行うので、いまだに生徒たち、あたらしい校長先生の顔を知らないそうだ。
廊下を歩いていても声をかけてもらえず、寂しい思いをしているそう。
それはなかなかキツイなぁ。そもそも、変な話だなぁ。
オンライン集会とか、やればいいのに。
と思いつつ、しょんぼりしている先生の顔が浮かんで、ちょっと微笑ましくなってしまう。

こんな夏の迎え方をするなんて、去年の今ごろ、だれが想像しただろう。
かつてない夏。
いまだ状況は厳しいようだ。
なんとかみんな、元気で乗り切れるといいけど。





















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Posted by 中島迂生 at 19:00│Comments(0)高校の話 2020
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