2020年07月19日

高校の話~9 ブルーの庭、自由の王国~


画像:K先生

英語のK先生の庭のこと、さいしょに知ったのは、おととし。
そのとき、先生、自分のパソコンのファイルを開いて、イギリス時代の色んな写真を見せてくれていた。
さいごにファイルをぱちんと閉じると、そこに綺麗な庭の背景画像がぱっと広がった。
ピンクの薔薇が一面に咲き乱れて、絵はがきのよう。
ほかのどの写真より、いちばん素敵。
これもイギリスのどっかなんだろうな。
背景画像にするくらいだから、よほどお気に入りの場所なんだろうな。
そう思いながら、
「この庭、素敵ですね!」って言ったら、先生、
「これ、うちの庭だよ」って。
…?!

そのときはじめて、先生が数年前からガーデニングに凝り始めて、
今や道をはさんだ向かいの土地にまで広がる、秘密の花園みたいな広大な庭の主となっていることを知った。
クロード・モネと同じパターンだ。
先生は、こんどはその庭の写真をたくさん見せてくれた。
「よく薔薇のことをほめられるんだけど、自分の中では、木がメインなんだよ。広葉樹が好きなんだ。
これはアオハダっていう木でね。苗はアマゾンとかでも買えるんだよ」…
広葉樹が好き、って分かる気がしたな。
先生、広葉樹みたいな人だもの。
針葉樹って感じでは明らかにないし(たまにけっこう辛辣なこと言うけど)。
薔薇のように声高にものを言う感じでもないし。

アクセントのアーチやオベリスクは、先生の好きなブルーに塗られている。
「この小道の敷石や、階段のとこも、ぜんぶ自分で造ったんだよ」
「先生、建築家志望でしたものね」
コッツウォルズの話、ランズ・エンドの話を、先生は少しした。
ほんとは、あそこの地方のハニー・ストーンを使いたかったんだけど。

何げなく角を曲がったら思いもかけない景色が広がっていたようで、あかず写真に眺め入った。
「…へーえ!… こんなことになってたんですね」
「意外だったでしょ」
そう言って先生は笑った。
「んー… でも私、先生のこと、そんなによく知りませんよ?」
すると先生、口の中でなんかもごもごと言っていたっけ。

自分のこと、まったく話さない人だった、あの頃は。
それでも写真を眺めてると、たしかに先生らしい庭だな、って思う。
イングリッシュ・ガーデンぽい。
ストレートで、作為がなくて。自由で、のびやか。
色んな種類が入り混じって生えながら、みんなのびのびとして、気もちよさそう。
「フランス式庭園って、あるでしょ?」
と、先生が言い始めた。
「…あれはキライ」
私が肩をすくめて言うと、先生も同じだったみたいで、話はそれで終わってしまった。

ヴェルサイユの中庭を初めて見たのは、中学の歴史の教科書だった。
一部の隙もなく刈り込まれた、幾何学模様の植え込みたち。
目にしたとたんに、ひっ!ってなった。
息が詰まりそう。
何これ、うちの中学の管理教育そのものじゃん。
絶対行かない、こんなとこ。
そういうわけで、パリに住んで6年になるが、いまだにヴェルサイユには行ったことがない。

   ***



高校に入ってからしばらくして、気がついた。
あれ、なんかここでは私、自由に息がつけるな。
なんか心地よい風が通っている。
それは白幡台の、背の高い木々のせいばかりじゃない。
つくづく思うようになった。
なんだ、こんないいとこもあったんだ。
なんか私、今までムダに我慢してたな。

教育の現場も、フランス式庭園じゃなく、イングリッシュ・ガーデンのようであれかし。
あのころの竜一高って、そんな感じだった。
ほんとに、ちょっと独特な場所だった。
こうやってみんなが良識を持っていれば、規則なんかいらないんだわ。
というのをはじめて、ほんとに見て知った。

先生の庭を見てて思う。
そうそう、こんなふうだった。自分たちも、こんなふうに育ててもらったな。
朝夕水を注いで、心をこめて手入れしてくれて。
でも私たちの側には何も求めずに。
「あとはバラの花でもひまわりでも、
好きに咲いてね。なんなら野菜でもいいよ」みたいな。
そういう感じがとても居心地よく、しぜんと感謝していたなって。

今になってはじめて聞く、先生の考え。
教育とか人を育てるというのは、シンプルであるべき、とか。
なるほどね。やっぱり、そんなふうに考えていてくれたんだな。
枝葉を四角く刈り込むことに、腐心したりしてなかった。
何々しろって、言われた記憶などほぼないし。

さいきん始めたSNSに、先生は季節ごとの庭の画像を投稿してる。
それぞれの種にひとしく注ぐ、愛情ぶかいまなざし。
石の割れ目から咲くパンジーにも、虹の七色のゴージャスな薔薇たちにも。
萌黄色の若葉を広げる株立ちの木々にも、星屑のような小さな花房にも…
見てると、ああ、同じだね、って思い出す。

先生、言ってたな。
トップと、問題児には、しぜんと目が向く。
でも、それ以外の問題ない子たちにも目を向けるようにしてる、って。
自分も、外から見たら問題なく見えたかもしれないけど、じっさいには色々考えるし、色々悩んでいた。
だからそういう子たちの気持ちが分かるんだって。

私自身、目立たない、問題ない子だったと思う。
薔薇じゃなかった。
とっくに忘れられてると思ってた。
でも、一から自己紹介するつもりで会いに行ったら、普通に覚えててくれて。
しかもめちゃめちゃ細かいことまで覚えててくれて、びっくり。

竜一、ほんとにいいとこでした。
そう言うと、先生は言う。
生徒も、いい生徒たちだったよ。
「君たちは、大丈夫!」って書いていたでしょ。
ほんとに、そう思っていたよ。

いい感じに、ほっといてくれたから。
そう言うと、先生は思うところがあったようで。
やっぱり、いい感じにほっといてもらえると嬉しいよね?って言う。

ある、運動部だった生徒の話。
たぶん、ご自分の担任の子だったのかな。
勉強してない子だったけれど、先生、何も言わなかったんだ。

そんな、言ったってねえ。
スイッチが入ってないんだから。
人間、スイッチが入ってないときだってあるよ。
そういうときに、言ったって仕方ないでしょ。
でもその子、ちゃんと○○大に入ったんだよ。
そう先生は言う。

人にもそれぞれの季節があるから。
地面にもぐってなかなか芽を出さない種があっても、
突ついて引っぱり出そうとしたりしない。
ある日その気になるまで、待っていてくれた。

   ***



日々あたらしく花が咲き、季節ごとに表情を変えていく庭。
先生が今はこうして自分の時間をもち、自分の世界をもってるの、なんかほっとする。
あの頃、先生たち、ほんっと忙しそうだった。
生徒の目に触れるだけでも膨大な仕事量で。
こっちが心配になるくらい、自分の時間なんかなさそうに思えたもの。

それでも思い出すと、忙しい中でも短歌の同人誌とか、
個人的な創作活動をやってる先生もいて。
それを学校の会報で紹介されたりしていたっけ。
あれはいい校風だったな。
中学では、ありえなかった。
美術の先生なんか、やっぱり自分の絵を描きたいといって辞めていったもの。

先生は言う。
あの頃は、まだよかったんだ。
今のほうが大変、締め付けは厳しくなってるし、
よけいな業務が増えている。
先生たち自身、いい感じにほっといてもらえるとは
ほど遠い状況になっているのだ。
何より先生が危惧するのは、子供たちにとばっちりが及ぶこと。

あの頃私が好きだった、自由で風通しのいい世界。
それは、いつでも安泰なわけじゃない。
刈り込みばさみをもってやってくる、上の偉い人たちと、先生はいつも戦っている。
なんとか子供たちを守るために。
保身のためにごねる連中を、舌鋒鋭く批判して憚らない。
ああいう輩、大嫌い。
あんなふうになってまで生きたくはない。…

今もすべて思うようにはいかないようだ。
なかなかめんどくさいのだ。
理事会とのごたごた。
腹が立って思い出したくもない。…

とか言いつつ、今日も先生は庭でできたラヴェンダーの束を、みんなに届けに行ったりしてる。
先生の生徒たち、やっぱり幸せ。
うるさいくらいに蜜蜂がたくさん来たっていうラヴェンダー。
夏の眩しい陽射しのなかで、どんなにいい香りだったのだろう。

戦いに終わりはないけれど。
せめぎあいのなかで、自由の王国はいつだってフラジャイルな輝き。







































  

Posted by 中島迂生 at 09:11Comments(0)高校の話 2020