2010年02月16日
虹の乙女
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瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) オグウェン篇5
虹の乙女 The Maiden of Rainbows
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

1. 物語<虹の乙女>
2. 夏のバングログ谷へ
3. ヒースの花々
4. 風と光と雲と雨と
5. 週末の憂鬱
6. ピナクル・カフェへ
7. この地で書くということ
***************************************
1. 物語<虹の乙女>
イドワル・コテッジからちょっとした木立を抜けるとすぐナント・フランコンに出る。
オグウェンから注ぎこむ滝に穿たれた、広大なU字谷だ。
眼下に広がるその眺めを味わうのに、いつもきまって腰をおろす岩がある。
Newborn lams... 仔羊があたらしく生まれたばかりだから、気をつけて脅かさないようにしてくれと、板切れに大書した看板。
ずっと前から、一年中かけっぱなしだ。そのそばの、ゆったりと大きな肘掛け椅子のような大岩。・・・
ナント・フランコン、名前のひびきがとても似合っていていい。
<蛇の谷>という意味だと思っている・・・ほかに考えられない。
谷底を走るオグウェン川の、銀色の蛇のように曲がりくねった姿が、あまりに印象的なので。
でも、ほんとは違う、<兵士の谷>という意味らしい。
正直、いまだにしっくりこない。ひとたび思いこんでしまうと、捨てるのは難しい。・・・
よく晴れた夏の日、その美しさは格別だ。一時間でも二時間でも眺めていたい・・・ 青と緑とかがやく銀色の、宝石のような眺め。はるか先のベセスダまで一望できる・・・
見ていると、陵線近くあちこちに、いやほとんど丘のいただきにかかるようにして、短い虹がいくつもいくつも、はかなく現れては消える。手に届くほどそばに、そのたびに角度を変えて、からかうように、遊び戯れるように・・・
あぁ、彼女だ、私には分かった、あの娘だ、虹の乙女なのだ。はるか昔、羊飼いのアンセルムを不慮の死に追いやった相手だ。・・・
まじめで実直な若者、羊飼いのアンセルムが羊たちを丘の上に連れ出して番をしていると、虹の乙女がやってきて誘いかけた。
ついておいで、もっと高い頂きに、雲と接するところまで連れていってあげる。・・・
アンセルムは、彼女のことを知っている、村の老人たちから、いくども注意されている、彼女に誘い出されて、それまでにどれだけの若者が、高い岩の上から足を踏み外して命を落としたかを。・・・
だから、さいしょ彼は答えない、何も目に入らない、何も耳に入らないふりをしている。・・・
けれども、彼女はいたずらっぽくそばまでやってきて、その袖をひっぱって囁きかける。
彼はつい見てしまう、と、たちまちその虹の衣のこの世ならぬ美しさに、その顔の罪のない愛らしさに魂を奪われてしまう。
こっちへおいで、いっしょに遊びましょう。・・・言われるまま、アンセルムはそのあとについてゆく、その顔にはもう、この世ならぬ、憑かれたような表情が宿っている・・・
高い岩山のあちこちを、乙女は自在な軽やかさで飛びめぐる・・・ 気まぐれではかなく、こっちで消えたかと思えば またあっちから現れる、虹そのもの。・・・ 乙女は喜びにあふれて笑いさざめく、さあ、こっちよ、何をためらっているの?・・・
そこは深い亀裂をはさんだ、危険な岩場だ。乙女は手を差し延べる、アンセルムは身を乗り出してその手をつかもうとする、と、一瞬、つかみそこねて足場を失い・・・ そう、定石どおり・・・奈落の底へ落ちてゆく・・・
乙女は降りてきて、悲しむ。
彼女の遊び相手がどうしてこうもみな鈍重で、ひとたび身を打つと二度とは起き上がらないのか、乙女には分からないのだ。
この人はどうしたの、ただ眠っているだけ。遊びに飽きて、疲れてしまったのよ。・・・
彼女は今日も谷のあちこちを、心のままに飛びめぐる・・・ 死んでしまった若者のことは、もう忘れてしまった。
でも、その面影を、いまも時どき思い出す・・・ あの人は、どうしたのかしら? 綺麗な人だったわ。・・・たぶん、目を覚ましておうちに帰ってしまったのね。またいつか、この谷に羊を追いに来ないかしら?・・・
2. 夏のバングログ谷へ

7月25日、水曜日。・・・
望みつづけて、決して諦めないことだ。・・・そうすればきっと叶う・・・何ごとも。・・・
きのうイーサフに着いた。この谷への三度目の訪問を果たしたのだ・・・
来たかった、もういちど、ヒースの花の咲く季節に。・・・この谷へ!・・・ 荷物を馬車から引っぱり降ろし、流れに渡した低い石橋をわたってトロヴァーンの姿を目にしたとき、私はしみじみとうれしく、懐かしかった。・・・イーサフも何も変わっていない・・・ 勝手知った離れに荷物を運び、窓から谷の向こう側を眺めた。・・・

ここ数週間ばかり、一滴の雨も降らない。焼けつく日射し、うだるような暑さだ・・・この谷でさえも。・・・
奇妙に青空が広がり、雲も吹き払われてしまって、この谷らしくない、へんにおとなしい感じがする。
しずかな青色を湛えたオグウェンは美しいが、なんとなく、スウェーデンの女のように、淡白すぎて面白みに欠ける。
よそよそしいというか・・・薄いというか。
それは晴れた日のウェールズの山景色全般にいえる。
均整がとれていてとても美しいのだが、いまひとつ表情に乏しいのだ。
本来の、ウェールズらしい感じは、やはり雲の多い日、光と影のまだらがゆたかな表情を与えるとき。・・・
・・・それでも、朝、寝ぼけまなこで外へ出てゆくと、激しくてぶっきらぼうな、ウェールズの風だった。風はトロヴァーンの方から吹き降ろしてくる、いつも、必ず。・・・農場の裏手のせりあがった斜面には低い雲が降りてきていたし、反対側の<異界の丘>の方にはむくむくと、厚い雲がかぶさっている・・・

トロヴァーンはまっすぐ前から朝日を受けて、ほとんど白に近い、淡い灰色だった。とても彫刻的な姿だ・・・おだやかで。・・・
だいたいあのステアウェイより下の部分から、ヒースの花でうっすら赤紫色に染まって、ゆったりとローブをまとったように見える、羊たちも日の光のなかで平和に寝そべっている・・・
丘々はあかるいみどり色と若草と灰色の不規則なまだら模様だ。あかるいみどり色はワラビの群落、雨の日のカエルの背中のような、みずみずしいエメラルドグリーン。・・・若草は牧草地、灰色は岩地だ。雲の移りゆくにつれて、何と繊細に、さまざまに光の調子を変え、うつりゆくその色あいを変えてゆくことだろう・・・
岩々も木立と同じように、光の調子ひとつで千変万化する・・・ほとんど白から黒にまで変わる。・・・まっすぐ正面から受けるとき、あるいはななめ横から光が射して、岩のひとつひとつに長い影をつけるとき、あるいは逆光で暗くなるとき・・・ 青空のもとを雲の群れが横切ってゆくと、その下で岩は青い色に染まる。・・・
けれど、たいていのときは岩は淡いグレイだ、ヒースの赤紫がよく映える・・・ 岩棚のひとつひとつにこんもりと花を咲かせて、愛らしいといったら・・・ ウェールズのどっしりとした石造りのコテッジの軒に吊り下げた、ヴィオラやなにかの寄せ植えの花籠、あの感じを思い出させる・・・
3. ヒースの花々

ヒースは、花そのものは紫がかった綺麗なピンクだが、葉がモスグリーンで、茎が赤茶色をしているので、ぜんたい少しくすんだ色あい、短調のひびきだ。・・・見ていると同じヒースでもさまざまな種類があるのが分かる。花の大きさ、色の濃さ、それぞれにすいぶん違う。ずっと淡い、淡紫の露玉や、涙のつぶをちりばめたようなのもある。霧のようにこまかな花房のもある。・・・
ヒースもあまり標高の高いところには生えないようだ。高い山では色別に三層くらいになっている。ふもとの方から、ワラビのみどりとヒースの赤紫と岩の灰色・・・ヒースの赤紫と岩の灰色・・・岩の灰色だけ、というふうに。・・・
自分のくにに戻っているとき、もはや身のまわりにないもののことをずっと覚えているのは難しい。・・・ヒースの花ってどんな感じだったっけ?・・・ そう考えたときに、ただぼんやりとしか思い浮かべられないことに気がつくとぞっとする。・・・
ヒースの花がどんなだか、忘れてしまうなんて恐ろしい。自分が誰だったか忘れてしまうのと同じくらい恐ろしい。
この谷を去っていたあいだじゅう、これなしに、手の届くところになしで過ごしていたのだ、そう思うと深淵に落ちこむような感じがする・・・

それでもなお、私には分かっていた・・・そこにずっととどまっている限り、印象はたえず次々と積み重なって、その下にどんどんうずもれてゆき、・・・しだいまじりあい、ぼやけてゆき、曖昧になって、そのうちどうしても避けがたく、ほんとうには見なくなってしまう。・・・ほんとうに見るためには、それはまわりの世界から隔てられた何ものかでなくてはいけない。・・・
額縁が絵をまわりの世界から隔て、切り取り、そうすることでこれに永遠の相を与えるように、それとまったく同じように・・・ この谷における私の不在は、この谷における私の滞在とともに、私の心のなかのこの谷の映像に永遠の相を与えるため、時のおもてに刻まれたしるしなのだ・・・
4. 風と光と雲と雨と

7月27日、金曜日。・・・
この谷に戻ってさいしょの何日かは、ただそこにいるだけで幸せだったので、特に何もしなかった。
食料品の買い出しなどに行くほかは、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、気が向くとおもてへ出ていって山を眺め、それからお茶をわかして本を読んだりなんかして暮らしていた。・・・
ただ、このウェールズの山々に囲まれて過ごせることの贅沢さは!・・・ この厳しくそそり立った岩山、赤紫のヒース、ごろごろ岩のころがった斜面に連々と築かれた石垣、それから私が<トロヴァンおろし>と名づけた冷たい突風に運ばれてくる雲の群れ・・・
朝いちばんにおもてへ出ていって、石垣の踏み越し段のてっぺんに立ち、両手広げて激しい風に身を曝すときの、荒々しい、凶暴な幸福感・・・

ときどきは、エーハフの裏をぬけてトロヴァーンのふもとで街道にまじわるトラックをたどって、オグウェンの湖のおもてを眺めにいった。私のいちばん好きな散歩コースだった。
湖ぞいに西へ向かうと、街道の右手、湖に少し突き出て、折り重なった小さい半島状の岩山がある。ここのてっぺんに登ると、そこからの眺めはほんとうに絵のようだった。ふたつの山にはさまれた湖、空の色が刻一刻と映りゆくにつれ、しずかに澄んだ瞳のように忠実にその色を映す・・・ かなたには、また別のふたつの山の盛り上がったシルエットを背にして、小さいコテッジがひっそりと抱かれている、イドワルだ・・・

それは何かの舞台立てのようだった、ちょうどこれからここで何かの物語が始まるような、あるいははるか昔、ここで何かの物語が起こったかのような・・・ いや、ここでどんな物語が起こったか、私はすでに知ってるのだが、それでもこの眺めを目にするたび、なおも必ずそういう印象を抱くのだった・・・
何度もこのコースをたどるうち、私はその場所を<憶いの岩>と呼ぶようになった。ここを歩くとき、私はいつも必ず足をとめて、この岩山のてっぺんまで登ってしばらく時間を過ごす・・・ そうして澄んだ湖のおもてをのぞみながら、乙女オグウェンの耐え忍んだ苦しみに、そのけだかい悲しみに憶いを至すのだった。・・・

7月28日、土曜日。・・・
今日は午前中から一日雨が降った。アルフリストン以来、ほぼ二週間ぶりの雨だ・・・ 今まで川もちょろちょろとしか流れていなかったから、山にとっては恵みの雨だった。それにしても、降ればどしゃ降りとは言ったもので、すごい勢いだ、狙ったように週末に降ったものだ・・・この週末を楽しみに、わざわざ遠くからやってくる人たちもいただろうに。・・・
だが、これぞウェールズ!・・・ 朝から曇り、山の上にはどっしりと分厚い雲がかかって、ゆっくりと移動してゆく、頂きは暗く、ドラマティックな様相を呈し・・・ この雲なのだ、これがウェールズだ。・・・ 雲がほんとうに、山と見紛うようなシルエットと重量感なのだ・・・

黒いトロヴァーンのとなりに白いトロヴァーンが、丘の上にはさらに二倍も高い、灰ねず色をしたもうひとつの丘が、急に出現していて、はっとさせられる・・・ そのうちざーっと雨が降り出して、ふっと見ると、今しがたすぐそこにあったトロヴァーンが、真っ白にかき雲って影も形もなくなっている。・・・ そう、きっと昔はこんなふうだったのだ、昔は、山々はいまよりずっと自由な心をもっていて、心のまま、伸び縮みし、形を変え、場所を移っていったのだ・・・
雨が途切れて一瞬しずかになると、また突風が吹きつけて、次の雨のかたまりを運んでくる・・・ 一日じゅう、そんな調子だった。
7時くらいに外へ出てみると、すぐそばにくっきり、みごとな二重の虹がかかっていた。向こうの端はあの岩のところから始まって、こちらの端はイーサフの中庭のところで終わっている。あぁ!・・・ けれども、虹ほどはかない命もない。みるまに、端から消えていった。・・・
雲の群れが次から次へ、丘の斜面をゆっくり這って、びっくりするほど低いところを進んでくる・・・ もう少しでここまで降りてきそうだ。夕方になると太陽が顔を出した・・・雲の切れ目から光が射して、斜面の岩のごろごろ、ぬれた岩の表面が立ちのぼるもやの中でいっせいに輝いた。
あいかわらず風が強い・・・ 長靴をはいて、ぐっしょりぬれたスゲガヤを踏み分け、向こうの松の木立のところまで、川ぞいにぶらついた。このへんの石はアイルランドの石垣の石のように、ごろっと丸みを帯びて、白や薄きみどりの苔の斑点がついている。・・・

5. 週末の憂鬱
呪われた週末。・・・
夏の週末に、田舎にいるものじゃない。
あとからあとから人がやってきて、水場も料理場も占領されるし、ブレーカーが落ちてお湯は出ないし、どこもかしこもごった返して、一片の平和もない。
きのうからまた納屋を追い出されてテントを張っている。・・・
夏のキャンプは気持ちがいいが、それなりの欠点もある。
ひとつは、虫だ。羽虫や、ブヨや、蚊や、色々いるが、とにかく目についたら片っぱしから殺しておいた方がいい。
キャンプしたとたんに色んなのに刺された。
斜面一帯にぐじゅぐじゅと水が滲み出して、ともかく湿気が多いのだ。だから数も種類もものすごい虫がいる。
冬の結露と同じくらい、こいつらは頭痛の種だ。
刺しはしなくても、さらに始末の悪いのもいる。
ある晩、手を伸ばしたらいきなりヌメッとしたものにさわって、ぎょっとなって飛び起きた。
どうした拍子にか、ばかでかいナメクジがテントの中に入りこんで、枕元に這っていたのだ。
とっさにティッシュペーパーで掴んで放り出したが、正気に戻るまでにしばらくかかった。
当地のナメクジはまっ黒くて、しかも手のひらほどもの大きさがある。
さわったのが手でよかった。
髪とか服だったら、気がつかずに踏みつぶして寝ていたかもしれない。
ナメクジの死体ときたら、生きているナメクジよりもなお始末が悪い。
あんなみっともない体をさらして這っていないで、カタツムリを見習ってなにかまともな殻を背負えばいいのに。
そうしたら、放り出すにしてもそこを掴んで放り出せる。・・・
人でごった返す食事どきをやりすごして、誰もいなくなった料理部屋でくつろいで紅茶を入れ、少し書き物をして、ああまた真っ暗なテントに戻るのいやだな、またナメクジなんぞいたらいやだな、と思いながらようやくと腰を上げておもてへ出たら・・・Jesus, 何だこれは!
恐ろしいほどに空一面の、星、星、星!・・・
天の川で白くなっている、山々の陵線のところまで、ぎっしり、びっしり・・・
一日じゅう雨が降って、塵ひとつ残さず空をすっかり払い清めたのだ。・・・
まったく、ウェールズの空は、極端から極端だ。
テントにもぐりこみ、入口を全開にして空を眺めながらうたた寝におちた。
星でぎっしり埋め尽くされた空を、また暗い雲むらが次から次へ、いくつも流れすぎていった。・・・
6. ピナクル・カフェへ

7月29日、日曜日。・・・
夕べは風が強かった・・・ 急に突風が吹くと、バン! とテントが膨らんで・・・大丈夫だと分かっていたからそのまま寝ていたけれども、朝、起き出してみると、ほかの滞在客のテントで、支柱が交差して天井を支えるタイプでないものには、折れて壊れてしまっているものもいくつかあった。それでなくても、交差式でないものは風が吹くとバタバタして不安定なのだ。・・・
朝は空気がとても冷たかった。十月末のエニスの感じ・・・ これが本来の夏のウェールズの空気なのだろう。料理部屋には例によって人々がばたばた出入りしているので、テントの中でコーヒーを沸かし、ミューズリとビスケットをかじる・・・ 午前中、また少し雨が降った。・・・

そのあとは、雲と風と光のドラマティックなウェールズ・・・
ピナクル・カフェまで買い物がてら、街道に並行して走るトラックをはじめて歩いてみた。トラックの方が、斜面のずっと高いところを走っているので遠くの山々がよく見える。こういう地形になっているのか、というのがよく分かる。街道は谷底を通っているので、そこからだと、遠くの山々は、ほとんど両側のせりあがった斜面の向こうに隠れてしまうのだ。・・・
風に吹きなびく草のあいだをずっとたどって、ふり返ると、かなたのアル・オウル・ウェンから遥かに広がった斜面は光と影のすじを引いて、雲はあとからやってくるし、文句ない雄大さだ。山々はすこし逆光になって、小さくぽっつりと見える石造りの農家、石垣・・・

この谷の雲はほんとうに雄弁だ、山と同じほど巨大な雲がむくむくと現れる、人を脅かすような、不吉な暗い色をした雲塊が。・・・それらは恐ろしげで、ぞくぞくさせ、同時に一種抑えがたい原始的な喜びの衝動を、人の内にかきたてる・・・ 丘のあいだからびゅうびゅう吹きつける烈風に両手広げて、このまま鳥になって飛んでゆきたい・・・

ゆく手はるかに連なる丘々の、石垣がずっとつづいてごつごつと岩の突き出ているようすは、大陸的・・・チベットかどこかのよう。スゲがずっと生い茂って、ヒースが咲いている・・・ そして、岩のあいだで草を食む羊たち。・・・
その姿を見たとき、私はとつぜん奇妙な感覚に襲われた・・・ 今のこの光景を、まさにこの羊のすがたを、かつてオグウェンもコンスタンティンも見たに違いないという。・・・一万年の時の差が一瞬にしてちぢまり、折り重なってひとつになったような感覚。・・・彼らの面影はこの谷の至るところに満ちていて、忘れることはできなかった。・・・

トラックはピナクル・カフェの裏手のところで丘を下って、街道の三つ辻に交わっている。その裏手の丘のところから、逆光のアル・ヴィズヴァ・・・スノウドンが見えた。この場所からスノウドンを見たのは、三度目の滞在にしてはじめてのことだった。その黒いシルエットにグレイの雲むら、手前から日の光が照り映えて、そのすそを銀色にかがやかせている・・・前景をふちどるメドウは光を受けて、もえたつようにあかるいみどり色だ・・・宝石のような。・・・

7. この地で書くということ
7月31日、月曜日。・・・
きのうから大きい方の納屋にいる・・・内側は太い梁が剥き出しのまま、積み上げた石壁をしっくいで塗りこめてある。こっちの離れは、がらんと寒くて、窓もないので、あまり好きではなかったのだ。・・・ けれども、こうしてまた戻ってみると、鼻につくペンキの匂いや何かまでが懐かしい・・・
屋根の上を激しい風が吹きすぎてゆく、それからザーッと叩きつけるような雨が降っているらしいが、壁がとても厚いのでよく聞こえない・・・ 納屋のなかはひっそりとしずか。・・・ 夕べからまた天気がわるい。けさは朝から断続的に降ったりやんだり、降るとどっとすごい勢いで降ってくる・・・
数日前まで、ずっと晴れ上がったおだやかな天気がつづいていた。こんな調子なら明日あたりカペル・キュリグの向こうの湖まで足を延ばそうか、そう思っていた矢先にこれだ、移り気なことといったら・・・ 急に11月のような寒さ、きのうから腰が冷えて仕方なく、枕をいくつか、クッションがわりに椅子にのせて書いている・・・二年前に戻ったよう。・・・

この日一日、<魔の山>を書いて過ごすという贅沢を味わった。・・・今まではあまりこういうことをしなかったのだ、そんな余裕もなかった・・・ゆく先々でゆたかな物語の訪れを受けたとしても・・・文章にまとめるのは旅を終えてからでいい、いられるうちにめいっぱい、歩きまわってこの土地の力を受け、この土地の空気を吸っておかなくては・・・ それは正しかったと思う。
でも、この日ばかりは・・・屋根打つ雨のひびきと壁にごうっと打ちつける風の音とを聴きながら、一日降りこめられて書いていた・・・
降りこめられるのは好きだ。とても落ち着く。・・・時どき、疲れると腰をのばしてお茶を入れた。・・・
雨が降り出すと羊が鳴き出す・・・降ってきたよ、冷たいよ、んんんメエエ・・・ 雨がやむと羊が鳴き出す・・・日が出たよ、またすてきになったよ、んんんメエエ・・・
夕方までこもっているとさすがに頭が痛くなってきて、外の空気を吸いにいく。折りしもいっとき雨もやみ、吹きすさぶ風に時折霧雨がまじるていどになっている・・・

書いている最中の精神状態というのは、それがどこであっても大して変わらない。いま取り組む物語の世界に没入し、ほかの一切を閉め出して・・・ それだけがすべてで、すべてで、ほかに何もない・・・一切は遠く、霞のなか。・・・ 書いて、書いて、書きくたびれ、・・・ペンを置いてはじめて、現実の「今」と「ここ」に戻ってくる。・・・
「いま」と「ここ」が、自分の紡ぐ物語世界と異質なのは当然のことだと思っていた。それが書くということなのだと思っていた、・・・つまり書くとは、人の心を砕くこの醜い現実世界にあって、己れのペンひとつでもって全く別な、美しいもうひとつの世界を打ち立てんとして挑むことなのだ、と。・・・
ところがそれがここでは違う、ほとんど不可能に思えていた世界のあり方が現前する・・・ 外へ出てゆく、するとそこは、同じ世界のつづきなのだ。・・・扉を開けて一歩出れば、トロヴァーンの黒い姿が千年前と変わらずに聳えて、スゲとごつごつした岩の斜面では、羊たちが、コンスタンティンとオグウェンの時代と同じ姿で草を食んでいる!・・・

何という調和、何という恩寵だろう・・・そして心から思うのだ、いつかはこういう境地に辿りつきたいと・・・いまみたいに、ほんの数週間ではなくて、まさに生のぜんたいが、こんなふうであるような状態に。・・・
見渡してはるかに遠く広がる地平に、人もなく、人の手になるものもほとんどなくて、安んじてひとりきりになることができる・・・物語が訪れてくるのは、そういう場所だ。・・・
その夕べ、私は谷の反対側、イーサフの向かいの斜面をどこまでも登ってゆき、ひと足ごとに振り返っては、雲をまとうたトロヴァーンの姿を眺めながら 岩地やヒースや羊たちを眺めながら 風に身をさらしてひとり彷徨った・・・ はるか下界に小さく、イーサフの石造りの棟々がぽつんと見えた・・・ 幸福な思いに心充たされて、ほかに何もいらない・・・ これが平和というものだった・・・
・・・すべての仕事をなし終えたあかつきには、たぶん、あの兄弟の兄の方のように、私はこの谷へ、あるいはもしかしたらこの谷ではないかもしれないが、ほかのどこかの・・・イェイツにとってのベン・ブルベンのような・・・私の真の心のふるさとへ、還ってゆくことができるだろう・・・

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虹の乙女 The Maiden of Rainbows
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

1. 物語<虹の乙女>
2. 夏のバングログ谷へ
3. ヒースの花々
4. 風と光と雲と雨と
5. 週末の憂鬱
6. ピナクル・カフェへ
7. この地で書くということ
***************************************
1. 物語<虹の乙女>
イドワル・コテッジからちょっとした木立を抜けるとすぐナント・フランコンに出る。
オグウェンから注ぎこむ滝に穿たれた、広大なU字谷だ。
眼下に広がるその眺めを味わうのに、いつもきまって腰をおろす岩がある。
Newborn lams... 仔羊があたらしく生まれたばかりだから、気をつけて脅かさないようにしてくれと、板切れに大書した看板。
ずっと前から、一年中かけっぱなしだ。そのそばの、ゆったりと大きな肘掛け椅子のような大岩。・・・
ナント・フランコン、名前のひびきがとても似合っていていい。
<蛇の谷>という意味だと思っている・・・ほかに考えられない。
谷底を走るオグウェン川の、銀色の蛇のように曲がりくねった姿が、あまりに印象的なので。
でも、ほんとは違う、<兵士の谷>という意味らしい。
正直、いまだにしっくりこない。ひとたび思いこんでしまうと、捨てるのは難しい。・・・
よく晴れた夏の日、その美しさは格別だ。一時間でも二時間でも眺めていたい・・・ 青と緑とかがやく銀色の、宝石のような眺め。はるか先のベセスダまで一望できる・・・
見ていると、陵線近くあちこちに、いやほとんど丘のいただきにかかるようにして、短い虹がいくつもいくつも、はかなく現れては消える。手に届くほどそばに、そのたびに角度を変えて、からかうように、遊び戯れるように・・・
あぁ、彼女だ、私には分かった、あの娘だ、虹の乙女なのだ。はるか昔、羊飼いのアンセルムを不慮の死に追いやった相手だ。・・・
まじめで実直な若者、羊飼いのアンセルムが羊たちを丘の上に連れ出して番をしていると、虹の乙女がやってきて誘いかけた。
ついておいで、もっと高い頂きに、雲と接するところまで連れていってあげる。・・・
アンセルムは、彼女のことを知っている、村の老人たちから、いくども注意されている、彼女に誘い出されて、それまでにどれだけの若者が、高い岩の上から足を踏み外して命を落としたかを。・・・
だから、さいしょ彼は答えない、何も目に入らない、何も耳に入らないふりをしている。・・・
けれども、彼女はいたずらっぽくそばまでやってきて、その袖をひっぱって囁きかける。
彼はつい見てしまう、と、たちまちその虹の衣のこの世ならぬ美しさに、その顔の罪のない愛らしさに魂を奪われてしまう。
こっちへおいで、いっしょに遊びましょう。・・・言われるまま、アンセルムはそのあとについてゆく、その顔にはもう、この世ならぬ、憑かれたような表情が宿っている・・・
高い岩山のあちこちを、乙女は自在な軽やかさで飛びめぐる・・・ 気まぐれではかなく、こっちで消えたかと思えば またあっちから現れる、虹そのもの。・・・ 乙女は喜びにあふれて笑いさざめく、さあ、こっちよ、何をためらっているの?・・・
そこは深い亀裂をはさんだ、危険な岩場だ。乙女は手を差し延べる、アンセルムは身を乗り出してその手をつかもうとする、と、一瞬、つかみそこねて足場を失い・・・ そう、定石どおり・・・奈落の底へ落ちてゆく・・・
乙女は降りてきて、悲しむ。
彼女の遊び相手がどうしてこうもみな鈍重で、ひとたび身を打つと二度とは起き上がらないのか、乙女には分からないのだ。
この人はどうしたの、ただ眠っているだけ。遊びに飽きて、疲れてしまったのよ。・・・
彼女は今日も谷のあちこちを、心のままに飛びめぐる・・・ 死んでしまった若者のことは、もう忘れてしまった。
でも、その面影を、いまも時どき思い出す・・・ あの人は、どうしたのかしら? 綺麗な人だったわ。・・・たぶん、目を覚ましておうちに帰ってしまったのね。またいつか、この谷に羊を追いに来ないかしら?・・・
2. 夏のバングログ谷へ

7月25日、水曜日。・・・
望みつづけて、決して諦めないことだ。・・・そうすればきっと叶う・・・何ごとも。・・・
きのうイーサフに着いた。この谷への三度目の訪問を果たしたのだ・・・
来たかった、もういちど、ヒースの花の咲く季節に。・・・この谷へ!・・・ 荷物を馬車から引っぱり降ろし、流れに渡した低い石橋をわたってトロヴァーンの姿を目にしたとき、私はしみじみとうれしく、懐かしかった。・・・イーサフも何も変わっていない・・・ 勝手知った離れに荷物を運び、窓から谷の向こう側を眺めた。・・・

ここ数週間ばかり、一滴の雨も降らない。焼けつく日射し、うだるような暑さだ・・・この谷でさえも。・・・
奇妙に青空が広がり、雲も吹き払われてしまって、この谷らしくない、へんにおとなしい感じがする。
しずかな青色を湛えたオグウェンは美しいが、なんとなく、スウェーデンの女のように、淡白すぎて面白みに欠ける。
よそよそしいというか・・・薄いというか。
それは晴れた日のウェールズの山景色全般にいえる。
均整がとれていてとても美しいのだが、いまひとつ表情に乏しいのだ。
本来の、ウェールズらしい感じは、やはり雲の多い日、光と影のまだらがゆたかな表情を与えるとき。・・・
・・・それでも、朝、寝ぼけまなこで外へ出てゆくと、激しくてぶっきらぼうな、ウェールズの風だった。風はトロヴァーンの方から吹き降ろしてくる、いつも、必ず。・・・農場の裏手のせりあがった斜面には低い雲が降りてきていたし、反対側の<異界の丘>の方にはむくむくと、厚い雲がかぶさっている・・・

トロヴァーンはまっすぐ前から朝日を受けて、ほとんど白に近い、淡い灰色だった。とても彫刻的な姿だ・・・おだやかで。・・・
だいたいあのステアウェイより下の部分から、ヒースの花でうっすら赤紫色に染まって、ゆったりとローブをまとったように見える、羊たちも日の光のなかで平和に寝そべっている・・・
丘々はあかるいみどり色と若草と灰色の不規則なまだら模様だ。あかるいみどり色はワラビの群落、雨の日のカエルの背中のような、みずみずしいエメラルドグリーン。・・・若草は牧草地、灰色は岩地だ。雲の移りゆくにつれて、何と繊細に、さまざまに光の調子を変え、うつりゆくその色あいを変えてゆくことだろう・・・
岩々も木立と同じように、光の調子ひとつで千変万化する・・・ほとんど白から黒にまで変わる。・・・まっすぐ正面から受けるとき、あるいはななめ横から光が射して、岩のひとつひとつに長い影をつけるとき、あるいは逆光で暗くなるとき・・・ 青空のもとを雲の群れが横切ってゆくと、その下で岩は青い色に染まる。・・・
けれど、たいていのときは岩は淡いグレイだ、ヒースの赤紫がよく映える・・・ 岩棚のひとつひとつにこんもりと花を咲かせて、愛らしいといったら・・・ ウェールズのどっしりとした石造りのコテッジの軒に吊り下げた、ヴィオラやなにかの寄せ植えの花籠、あの感じを思い出させる・・・
3. ヒースの花々

ヒースは、花そのものは紫がかった綺麗なピンクだが、葉がモスグリーンで、茎が赤茶色をしているので、ぜんたい少しくすんだ色あい、短調のひびきだ。・・・見ていると同じヒースでもさまざまな種類があるのが分かる。花の大きさ、色の濃さ、それぞれにすいぶん違う。ずっと淡い、淡紫の露玉や、涙のつぶをちりばめたようなのもある。霧のようにこまかな花房のもある。・・・
ヒースもあまり標高の高いところには生えないようだ。高い山では色別に三層くらいになっている。ふもとの方から、ワラビのみどりとヒースの赤紫と岩の灰色・・・ヒースの赤紫と岩の灰色・・・岩の灰色だけ、というふうに。・・・
自分のくにに戻っているとき、もはや身のまわりにないもののことをずっと覚えているのは難しい。・・・ヒースの花ってどんな感じだったっけ?・・・ そう考えたときに、ただぼんやりとしか思い浮かべられないことに気がつくとぞっとする。・・・
ヒースの花がどんなだか、忘れてしまうなんて恐ろしい。自分が誰だったか忘れてしまうのと同じくらい恐ろしい。
この谷を去っていたあいだじゅう、これなしに、手の届くところになしで過ごしていたのだ、そう思うと深淵に落ちこむような感じがする・・・

それでもなお、私には分かっていた・・・そこにずっととどまっている限り、印象はたえず次々と積み重なって、その下にどんどんうずもれてゆき、・・・しだいまじりあい、ぼやけてゆき、曖昧になって、そのうちどうしても避けがたく、ほんとうには見なくなってしまう。・・・ほんとうに見るためには、それはまわりの世界から隔てられた何ものかでなくてはいけない。・・・
額縁が絵をまわりの世界から隔て、切り取り、そうすることでこれに永遠の相を与えるように、それとまったく同じように・・・ この谷における私の不在は、この谷における私の滞在とともに、私の心のなかのこの谷の映像に永遠の相を与えるため、時のおもてに刻まれたしるしなのだ・・・
4. 風と光と雲と雨と

7月27日、金曜日。・・・
この谷に戻ってさいしょの何日かは、ただそこにいるだけで幸せだったので、特に何もしなかった。
食料品の買い出しなどに行くほかは、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、気が向くとおもてへ出ていって山を眺め、それからお茶をわかして本を読んだりなんかして暮らしていた。・・・
ただ、このウェールズの山々に囲まれて過ごせることの贅沢さは!・・・ この厳しくそそり立った岩山、赤紫のヒース、ごろごろ岩のころがった斜面に連々と築かれた石垣、それから私が<トロヴァンおろし>と名づけた冷たい突風に運ばれてくる雲の群れ・・・
朝いちばんにおもてへ出ていって、石垣の踏み越し段のてっぺんに立ち、両手広げて激しい風に身を曝すときの、荒々しい、凶暴な幸福感・・・

ときどきは、エーハフの裏をぬけてトロヴァーンのふもとで街道にまじわるトラックをたどって、オグウェンの湖のおもてを眺めにいった。私のいちばん好きな散歩コースだった。
湖ぞいに西へ向かうと、街道の右手、湖に少し突き出て、折り重なった小さい半島状の岩山がある。ここのてっぺんに登ると、そこからの眺めはほんとうに絵のようだった。ふたつの山にはさまれた湖、空の色が刻一刻と映りゆくにつれ、しずかに澄んだ瞳のように忠実にその色を映す・・・ かなたには、また別のふたつの山の盛り上がったシルエットを背にして、小さいコテッジがひっそりと抱かれている、イドワルだ・・・

それは何かの舞台立てのようだった、ちょうどこれからここで何かの物語が始まるような、あるいははるか昔、ここで何かの物語が起こったかのような・・・ いや、ここでどんな物語が起こったか、私はすでに知ってるのだが、それでもこの眺めを目にするたび、なおも必ずそういう印象を抱くのだった・・・
何度もこのコースをたどるうち、私はその場所を<憶いの岩>と呼ぶようになった。ここを歩くとき、私はいつも必ず足をとめて、この岩山のてっぺんまで登ってしばらく時間を過ごす・・・ そうして澄んだ湖のおもてをのぞみながら、乙女オグウェンの耐え忍んだ苦しみに、そのけだかい悲しみに憶いを至すのだった。・・・

7月28日、土曜日。・・・
今日は午前中から一日雨が降った。アルフリストン以来、ほぼ二週間ぶりの雨だ・・・ 今まで川もちょろちょろとしか流れていなかったから、山にとっては恵みの雨だった。それにしても、降ればどしゃ降りとは言ったもので、すごい勢いだ、狙ったように週末に降ったものだ・・・この週末を楽しみに、わざわざ遠くからやってくる人たちもいただろうに。・・・
だが、これぞウェールズ!・・・ 朝から曇り、山の上にはどっしりと分厚い雲がかかって、ゆっくりと移動してゆく、頂きは暗く、ドラマティックな様相を呈し・・・ この雲なのだ、これがウェールズだ。・・・ 雲がほんとうに、山と見紛うようなシルエットと重量感なのだ・・・

黒いトロヴァーンのとなりに白いトロヴァーンが、丘の上にはさらに二倍も高い、灰ねず色をしたもうひとつの丘が、急に出現していて、はっとさせられる・・・ そのうちざーっと雨が降り出して、ふっと見ると、今しがたすぐそこにあったトロヴァーンが、真っ白にかき雲って影も形もなくなっている。・・・ そう、きっと昔はこんなふうだったのだ、昔は、山々はいまよりずっと自由な心をもっていて、心のまま、伸び縮みし、形を変え、場所を移っていったのだ・・・
雨が途切れて一瞬しずかになると、また突風が吹きつけて、次の雨のかたまりを運んでくる・・・ 一日じゅう、そんな調子だった。
7時くらいに外へ出てみると、すぐそばにくっきり、みごとな二重の虹がかかっていた。向こうの端はあの岩のところから始まって、こちらの端はイーサフの中庭のところで終わっている。あぁ!・・・ けれども、虹ほどはかない命もない。みるまに、端から消えていった。・・・
雲の群れが次から次へ、丘の斜面をゆっくり這って、びっくりするほど低いところを進んでくる・・・ もう少しでここまで降りてきそうだ。夕方になると太陽が顔を出した・・・雲の切れ目から光が射して、斜面の岩のごろごろ、ぬれた岩の表面が立ちのぼるもやの中でいっせいに輝いた。
あいかわらず風が強い・・・ 長靴をはいて、ぐっしょりぬれたスゲガヤを踏み分け、向こうの松の木立のところまで、川ぞいにぶらついた。このへんの石はアイルランドの石垣の石のように、ごろっと丸みを帯びて、白や薄きみどりの苔の斑点がついている。・・・

5. 週末の憂鬱
呪われた週末。・・・
夏の週末に、田舎にいるものじゃない。
あとからあとから人がやってきて、水場も料理場も占領されるし、ブレーカーが落ちてお湯は出ないし、どこもかしこもごった返して、一片の平和もない。
きのうからまた納屋を追い出されてテントを張っている。・・・
夏のキャンプは気持ちがいいが、それなりの欠点もある。
ひとつは、虫だ。羽虫や、ブヨや、蚊や、色々いるが、とにかく目についたら片っぱしから殺しておいた方がいい。
キャンプしたとたんに色んなのに刺された。
斜面一帯にぐじゅぐじゅと水が滲み出して、ともかく湿気が多いのだ。だから数も種類もものすごい虫がいる。
冬の結露と同じくらい、こいつらは頭痛の種だ。
刺しはしなくても、さらに始末の悪いのもいる。
ある晩、手を伸ばしたらいきなりヌメッとしたものにさわって、ぎょっとなって飛び起きた。
どうした拍子にか、ばかでかいナメクジがテントの中に入りこんで、枕元に這っていたのだ。
とっさにティッシュペーパーで掴んで放り出したが、正気に戻るまでにしばらくかかった。
当地のナメクジはまっ黒くて、しかも手のひらほどもの大きさがある。
さわったのが手でよかった。
髪とか服だったら、気がつかずに踏みつぶして寝ていたかもしれない。
ナメクジの死体ときたら、生きているナメクジよりもなお始末が悪い。
あんなみっともない体をさらして這っていないで、カタツムリを見習ってなにかまともな殻を背負えばいいのに。
そうしたら、放り出すにしてもそこを掴んで放り出せる。・・・
人でごった返す食事どきをやりすごして、誰もいなくなった料理部屋でくつろいで紅茶を入れ、少し書き物をして、ああまた真っ暗なテントに戻るのいやだな、またナメクジなんぞいたらいやだな、と思いながらようやくと腰を上げておもてへ出たら・・・Jesus, 何だこれは!
恐ろしいほどに空一面の、星、星、星!・・・
天の川で白くなっている、山々の陵線のところまで、ぎっしり、びっしり・・・
一日じゅう雨が降って、塵ひとつ残さず空をすっかり払い清めたのだ。・・・
まったく、ウェールズの空は、極端から極端だ。
テントにもぐりこみ、入口を全開にして空を眺めながらうたた寝におちた。
星でぎっしり埋め尽くされた空を、また暗い雲むらが次から次へ、いくつも流れすぎていった。・・・
6. ピナクル・カフェへ

7月29日、日曜日。・・・
夕べは風が強かった・・・ 急に突風が吹くと、バン! とテントが膨らんで・・・大丈夫だと分かっていたからそのまま寝ていたけれども、朝、起き出してみると、ほかの滞在客のテントで、支柱が交差して天井を支えるタイプでないものには、折れて壊れてしまっているものもいくつかあった。それでなくても、交差式でないものは風が吹くとバタバタして不安定なのだ。・・・
朝は空気がとても冷たかった。十月末のエニスの感じ・・・ これが本来の夏のウェールズの空気なのだろう。料理部屋には例によって人々がばたばた出入りしているので、テントの中でコーヒーを沸かし、ミューズリとビスケットをかじる・・・ 午前中、また少し雨が降った。・・・

そのあとは、雲と風と光のドラマティックなウェールズ・・・
ピナクル・カフェまで買い物がてら、街道に並行して走るトラックをはじめて歩いてみた。トラックの方が、斜面のずっと高いところを走っているので遠くの山々がよく見える。こういう地形になっているのか、というのがよく分かる。街道は谷底を通っているので、そこからだと、遠くの山々は、ほとんど両側のせりあがった斜面の向こうに隠れてしまうのだ。・・・
風に吹きなびく草のあいだをずっとたどって、ふり返ると、かなたのアル・オウル・ウェンから遥かに広がった斜面は光と影のすじを引いて、雲はあとからやってくるし、文句ない雄大さだ。山々はすこし逆光になって、小さくぽっつりと見える石造りの農家、石垣・・・

この谷の雲はほんとうに雄弁だ、山と同じほど巨大な雲がむくむくと現れる、人を脅かすような、不吉な暗い色をした雲塊が。・・・それらは恐ろしげで、ぞくぞくさせ、同時に一種抑えがたい原始的な喜びの衝動を、人の内にかきたてる・・・ 丘のあいだからびゅうびゅう吹きつける烈風に両手広げて、このまま鳥になって飛んでゆきたい・・・

ゆく手はるかに連なる丘々の、石垣がずっとつづいてごつごつと岩の突き出ているようすは、大陸的・・・チベットかどこかのよう。スゲがずっと生い茂って、ヒースが咲いている・・・ そして、岩のあいだで草を食む羊たち。・・・
その姿を見たとき、私はとつぜん奇妙な感覚に襲われた・・・ 今のこの光景を、まさにこの羊のすがたを、かつてオグウェンもコンスタンティンも見たに違いないという。・・・一万年の時の差が一瞬にしてちぢまり、折り重なってひとつになったような感覚。・・・彼らの面影はこの谷の至るところに満ちていて、忘れることはできなかった。・・・

トラックはピナクル・カフェの裏手のところで丘を下って、街道の三つ辻に交わっている。その裏手の丘のところから、逆光のアル・ヴィズヴァ・・・スノウドンが見えた。この場所からスノウドンを見たのは、三度目の滞在にしてはじめてのことだった。その黒いシルエットにグレイの雲むら、手前から日の光が照り映えて、そのすそを銀色にかがやかせている・・・前景をふちどるメドウは光を受けて、もえたつようにあかるいみどり色だ・・・宝石のような。・・・

7. この地で書くということ
7月31日、月曜日。・・・
きのうから大きい方の納屋にいる・・・内側は太い梁が剥き出しのまま、積み上げた石壁をしっくいで塗りこめてある。こっちの離れは、がらんと寒くて、窓もないので、あまり好きではなかったのだ。・・・ けれども、こうしてまた戻ってみると、鼻につくペンキの匂いや何かまでが懐かしい・・・
屋根の上を激しい風が吹きすぎてゆく、それからザーッと叩きつけるような雨が降っているらしいが、壁がとても厚いのでよく聞こえない・・・ 納屋のなかはひっそりとしずか。・・・ 夕べからまた天気がわるい。けさは朝から断続的に降ったりやんだり、降るとどっとすごい勢いで降ってくる・・・
数日前まで、ずっと晴れ上がったおだやかな天気がつづいていた。こんな調子なら明日あたりカペル・キュリグの向こうの湖まで足を延ばそうか、そう思っていた矢先にこれだ、移り気なことといったら・・・ 急に11月のような寒さ、きのうから腰が冷えて仕方なく、枕をいくつか、クッションがわりに椅子にのせて書いている・・・二年前に戻ったよう。・・・

この日一日、<魔の山>を書いて過ごすという贅沢を味わった。・・・今まではあまりこういうことをしなかったのだ、そんな余裕もなかった・・・ゆく先々でゆたかな物語の訪れを受けたとしても・・・文章にまとめるのは旅を終えてからでいい、いられるうちにめいっぱい、歩きまわってこの土地の力を受け、この土地の空気を吸っておかなくては・・・ それは正しかったと思う。
でも、この日ばかりは・・・屋根打つ雨のひびきと壁にごうっと打ちつける風の音とを聴きながら、一日降りこめられて書いていた・・・
降りこめられるのは好きだ。とても落ち着く。・・・時どき、疲れると腰をのばしてお茶を入れた。・・・
雨が降り出すと羊が鳴き出す・・・降ってきたよ、冷たいよ、んんんメエエ・・・ 雨がやむと羊が鳴き出す・・・日が出たよ、またすてきになったよ、んんんメエエ・・・
夕方までこもっているとさすがに頭が痛くなってきて、外の空気を吸いにいく。折りしもいっとき雨もやみ、吹きすさぶ風に時折霧雨がまじるていどになっている・・・

書いている最中の精神状態というのは、それがどこであっても大して変わらない。いま取り組む物語の世界に没入し、ほかの一切を閉め出して・・・ それだけがすべてで、すべてで、ほかに何もない・・・一切は遠く、霞のなか。・・・ 書いて、書いて、書きくたびれ、・・・ペンを置いてはじめて、現実の「今」と「ここ」に戻ってくる。・・・
「いま」と「ここ」が、自分の紡ぐ物語世界と異質なのは当然のことだと思っていた。それが書くということなのだと思っていた、・・・つまり書くとは、人の心を砕くこの醜い現実世界にあって、己れのペンひとつでもって全く別な、美しいもうひとつの世界を打ち立てんとして挑むことなのだ、と。・・・
ところがそれがここでは違う、ほとんど不可能に思えていた世界のあり方が現前する・・・ 外へ出てゆく、するとそこは、同じ世界のつづきなのだ。・・・扉を開けて一歩出れば、トロヴァーンの黒い姿が千年前と変わらずに聳えて、スゲとごつごつした岩の斜面では、羊たちが、コンスタンティンとオグウェンの時代と同じ姿で草を食んでいる!・・・

何という調和、何という恩寵だろう・・・そして心から思うのだ、いつかはこういう境地に辿りつきたいと・・・いまみたいに、ほんの数週間ではなくて、まさに生のぜんたいが、こんなふうであるような状態に。・・・
見渡してはるかに遠く広がる地平に、人もなく、人の手になるものもほとんどなくて、安んじてひとりきりになることができる・・・物語が訪れてくるのは、そういう場所だ。・・・
その夕べ、私は谷の反対側、イーサフの向かいの斜面をどこまでも登ってゆき、ひと足ごとに振り返っては、雲をまとうたトロヴァーンの姿を眺めながら 岩地やヒースや羊たちを眺めながら 風に身をさらしてひとり彷徨った・・・ はるか下界に小さく、イーサフの石造りの棟々がぽつんと見えた・・・ 幸福な思いに心充たされて、ほかに何もいらない・・・ これが平和というものだった・・・
・・・すべての仕事をなし終えたあかつきには、たぶん、あの兄弟の兄の方のように、私はこの谷へ、あるいはもしかしたらこの谷ではないかもしれないが、ほかのどこかの・・・イェイツにとってのベン・ブルベンのような・・・私の真の心のふるさとへ、還ってゆくことができるだろう・・・

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2010年02月16日
移り気な巨人
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瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) オグウェン篇4
移り気な巨人 The Tempersome Giant
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

1. 物語<移り気な巨人>
2. イドワル王子と<悪魔の台所>
3. アグリー・ハウス
4. ベセスダからバンゴールへ
5. ペナパスへ
6. ベイズゲラート
****************************************
1. 物語<移り気な巨人>

秘密の湖。・・・
街道からは見えないけれど、山々の向こう側には、いくつもひっそりと水を湛えた澄んだ湖がある。
それらへは、細い未舗装の道を通ってしか行かれない、自分の足で登るしかない。
スリン・イドワル、イドワル湖はそんな湖のひとつだ。・・・
イドワル・コテッジのまわりときたら、四方の風が集って握手したような、奇蹟の立地だ。
歩いて五分のうちに山があり湖があり木立があり、谷が開けていて、川が滝になって流れ出している、何でもある、完璧だ・・・
オグウェン湖のうしろに横たわる山、アル・オウル・ウェンは、湖のほとりから見るとのっぺりとしてとりとめもないが、コテッジの背に盛り上がる斜面を登り、オグウェンより一段高い、イドワル湖のあたりから見ると、とても均整のとれた、トロヴァーンとよく似た姿をしているのが分かる。
そして、ここから見てはじめて、物語の欠かすべからざる一要素となるのだ。・・・
イドワル・コテッジの向かってすぐ左手、垂直に切り立った岩のあいだに、人がやっとひとり通れるくらいの狭い切り通しがある。
夏にはヒースの紫で飾られる。
さいしょにここをひと目見たとき、私はそこを必死で駆け抜けるひとりの若い女の幻とともに見た。
彼女が駆け抜けた瞬間、私の前で、それは門が閉まるようにガチャリと閉まった。・・・
しぜんにできたにしてはどうも出来すぎているような気がするのだが(再び、トロヴァーンのステアウェイと同じように!)
その切り通しは、イドワル盆地へ登る唯一のルートだ。少なくとも、ふつうの身体能力をもった人間には。
ここを抜けて、岩の登山道を川の流れに逆らって登ってゆくと、ほどなく目の前にしずかなイドワル湖が広がる。
それほどきつい登りではない。
湖を取り巻いて、イドワル・スラブや<悪魔の台所>のおどろおどろしい稜線が盛り上がっている。
<悪魔の台所>など、ほんとうに怪物のはらわたでも調理していそうだ。
このイドワル盆地には、ドラマティックな歴史があるらしい。
手元のパンフレットによると、四億年ばかり前、二つの大陸が衝突したときに生まれたのがこの山々で、このあたりはその昔は海の底だったそうだ。
その証拠に、いまもこの辺の岩々には波の模様がついているのだという。
そのとき噴火して流れ出た溶岩の名残で、いまも山々はどす黒い、青黒い色をしている。
日の光のもとでは、まだいい。
ふっと日が陰ったとき、急に立ち現れる真っ黒な姿は、悪夢のようだ。・・・

* *
あるとき、父親が幼い娘の手をひいて、このあたりの山々のあいだをとぼとぼと彷徨っていた。
彼らは道に迷ってしまったのだ。
そこへ、巨人オウル・ウェンが出くわして、大声でどなりつけた。
「俺の土地でいったい何をしている。」
すると、父親は震え上がって言った、
「申し訳ありません、私たちは道に迷ってしまったのです。あなたの土地に入りこむつもりはありませんでした。
お詫びにこの子を差し上げますから、あなたの召使いにするなり、ご自由にしてください。
ただ命ばかりはご容赦くださいますように」
そこで父親は娘を残して去ってゆき、娘はオウル・ウェンの召使いとなった。
さて、巨人オウル・ウェンの心はウェールズの空のように変わりやすく、いまくつろいで機嫌よくしているかと思えば、次の瞬間には理由もなく、急に怒り出すのだった。
そんな主人に仕えるのは並大抵のことではなかった。
娘はびくびくしながら暮らした。
皿にはちりひとつなく、テーブルクロスにはしみひとつなく、家じゅうをいつもぴかぴかに磨き上げ、何の落ち度もないように気をつけて働きつづけた。
それでも、いつ雷を落とされるか分からなかった。
そんな日々が何年もつづいて、娘は疲れ果ててしまった。
ある日、怒った主人が火かき棒を振り上げたのを見て、彼女は心底怖くなった。
「ここにとどまって殺されるより、逃げ出して野垂れ死にした方が、まだましだわ」
そう考えて、勇気をふり絞って、とうとう主人の家を逃げ出した。
ほどなく気がついた巨人が、彼女のあとを追いかけてきた。
走って走って、とうとう追いつかれそうになり、巨人の指が娘をつかんで引き戻そうとしたそのとき、彼女はちょうどここ、イドワルの切り通しのところに至って、必死でそのあいだを走り抜けた。
彼女は、命を救われた。
娘を気の毒に思った切り通しの両の岩壁が、彼女が駆け抜けた瞬間にガチャン! 門のように音をたてて閉まったのだ。
巨人はのばした指をそのあいだにはさまれて、天地が激動するほどの大声をあげた。
そのとき、彼はあまりのショックに青黒く固まり、その場で巨大な岩山と変じてしまった。
それがいまのアル・オウル・ウェンなのだ。・・・
この切り通しを抜けて、イドワル湖のところまで登っていって振り返り、ゆきすぎる雲むらの下でアル・オウル・ウェンの巨大な姿が一瞬にして青黒く変容するのを見るたび、私はいまも、あの娘の物語を生き直しているような、あのドラマティックな瞬間を生き直しているような気がするのだ。・・・
そして考える、彼女はそれから山々を越えて、無事に逃げのびただろうか?・・・
2. イドワル王子と<悪魔の台所>

この土地は物語に満ちている。・・・
かくまでドラマティックな土地であればふしぎもない。
この土地は物語に満ちている。
私のもとに<やってきた>ものであれ、はるか昔からこの土地に伝わっているものであれ。・・・
イドワルには、私の知る限りもうひとつの物語がある。
こちらは<やってきた>のではなくて、パンフレットに書いてあった。
昔、イドワル王子とその従者たちが、この湖で死んだ。
こんにち、ほとりに散らばっている大岩は彼らの墓標なのだという。
イドワル王子とは何者か、彼は何ゆえ死んだのか?
そこには何も書いていなかったので、あとで色々調べてみると、プリンス・イドワルの伝説はかなり有名なものらしいことが分かってきた。
彼はグウィニドの王オウウェンの息子で、父親の死後、その遺言に従ってオグウェン湖のほとりに城を構えるネフィドのもとへ赴く。
ところがネフィドは王子を憎んで、イドワル湖に溺れさせて殺してしまう。
<悪魔の台所>の名は、彼が罪もなく生贄とされたことと関係があるようだ。
"Today Devil's Kitchen got a feast."
また、邪悪な王ネフィドの呪いゆえ、イドワル湖の上には決して鳥が飛ばない。
たしかに、湖のまわりをかなりの時間かけて歩いたが、その限りでは、一羽の鳥も見かけなかった。
この物語で、私の知る限りいちばん詳しいバージョンは、Louisa Bigg の Pansies and Asphodel という本のなかにある。
初版は十九世紀、えらく古めかしい文体で、しかも韻文で書いてあるが、だいたいのところ、要するにかいつまんで言うと、ネフィドは自分の息子を怒らせた罪をイドワルになすりつけて殺したことになっている。
その晩、災いが迫っているのに無理に陽気に振舞おうとして、ネフィドはハープ奏者を召す。
だが、奏者は所望されるように楽しげに弾くことができず、人の心を掻き乱すような不吉なメロディを奏でる。
そのくだりはなかなか迫力がある、旧約聖書的だ。・・・
こんなふうに少し文献にあたってみると、自分がこの地に根づいた網の目のような壮大な神話体系の、ほんの端っこに触れているにすぎないことが分かる。
考えると、眩暈がする。
人生は短い。
一生のうちに、あといくつの物語に出会えるだろう、あといくつの物語を生きられるだろう?・・・
ところで、<移り気な巨人>の物語は、<マビノギオン>のどこかに見出せるだろうか?・・・
ともかく、私のもとへやってきたその巨人の物語であれ、イドワル王子の物語であれ、そう、この場所はそんな物語に似つかわしい。
邪悪な場所なのだ、そこに身を置くだけで、理由のない悪意を感じる。
傷つけることや、追い詰められること、死を想起させる場所なのだ・・・
たぶん、まわりを取り巻くこの山々のどす黒さのせいであろうが・・・
私はこの場所を訪ねたとき、奇妙に目を引いた一組のカップルを思い出す。
曇り空の、風の強い、寒い日だった。
彼らは私が湖に着いたときからそこにいて、私が湖をひと回りして戻ってきたときにもまだそこにいた。
男の方は手入れの行き届いたロマンスグレイに黒のコート、女の方はブロンドだった。
ふたりはまんじりともせずに身を寄せあって、湖のおもてを見つめていた。
どうにも場違いとしか言いようがなかった。
見つめる先がコモ湖とかヴェニスの街並なら分かるが、これがイドワル湖に<悪魔の台所>ときては、ロマンティックどころではない。
その後ろ姿が、これから心中でもしそうに思いつめている感じがして、気になった。
切羽詰った不倫旅行の途上でもあったのだろうか?・・・
そう、そこにもひとつ、現在進行形の物語があった。・・・

3. アグリー・ハウス
この土地は物語であふれている。
どこを切り取っても、物語の舞台背景のようなのだ。
カペル・キュリグからベティソへ至るみどりゆたかな道すじには、街道に並行して細道のトラックがあって、そこをえんえん、アグリー・ハウス(醜い家)を過ぎてスワロー・フォール(つばめ滝)まで歩いたことがある。
スワロー・ハウスはものすごくごつごつとした岩積みの家で、ここにも伝説がある。
山賊の兄弟が力を合わせて、ひと晩で築き上げたのだという。
というのは、昔、日の入りから日の出までのあいだに家を、壁と屋根と煙突のそろったきちんとした家を建てることができたら、それは正式にその人の持ち物となる、というきまりがあったのだそうだ。
「僕はその伝説を信じるね」
私が訪ねたとき、そこの管理にあたっていたナショナル・トラストの職員はまじめな顔で言った。
「大の男が二人で力を合わせれば、これくらいの大きさの家ならひと晩でできると思うよ」
「アグリー・ハウスって変な名前だと思いませんか?」
ときいてみた。
「アグリーっていうのは、まあ・・・rough(粗い)ってことだよ」
という返事だった。
4. ベセスダからバンゴールへ
ベセスダからくねくねと山道をのぼってバンゴールへ至る道すじがまたすばらしい。
私が行ったとき、バスのルートは二つあったが、たしかトレガース経由ではない、遠回りしていく方のルートが素敵だ。
このルートのバスのなかでは、ウェールズ語が聞ける。・・・
このルートこそ、まさに生きた絵だ。・・・
私はその絵を楽しむだけのために、このルートをバスでつづけて二往復したことがある。
どっしりした石造りの村々があって、薔薇が咲いている、ヒースの群れ咲くなだらかな丘があり、森の中の教会があり、突如視界が開けて青い海が、パッチワークの向こうに広がり、振り返れば広大な茶色い山々が、雲をかぶって光のなかにゆらめきかすんで連なっている・・・
北ウェールズ、ここには地上の美のすべてがある!・・・
もちろん、・・・スラグの山は別だけれど。・・・
私が見たことのあるのはベセスダのやつだけだが、できれば目に入れずにすませたい。
スラグはスレートを精錬するときにできる廃棄部分だ。
ほかにどうしようもないので、いつまでもその辺に積み上げておかれる。
凄惨な、まっ黒いゴミの山。・・・
5. ペナパスへ

8月3日、木曜日。・・・
今日は少し日記を書こう。
きのうになって、今回はじめてペナパスへ行ってみた。ペナパスはスノウドンへの玄関口で、ホテルや駐車場やカフェがある。
カペル・キュリグでバスをつかまえたときにはまた少しいやな思いをしたが、天気は素敵だった。
というのは、どんより曇って、スランベリスの方からびゅうびゅう風が吹きつけて、とてもペナパスらしかった。
ちょうど前来たときの十一月の感じだ。
やっぱり北ウェールズは、こうでなくてはね。・・・
あそこへ至る道すじは、ほんとに雄大だ。
晩秋には、見上げた斜面が枯れたワラビでだーっと一面赤茶色になっていて、そこにぽつぽつ、ホーソンのねじくれた小さい木が斜めに枝をのばし、そろって赤い実をつけている。
夏には、ワラビのカーペットは爽やかなみどり色で、ホーソンのこずえは少しモスグリーンがかったきみどり色だ。
ワラビのみどりは、涼しげで、ほんとにいい色。・・・
山の上の方はやっぱりヒースの花で紫に染まっている。
子どものころ、溶岩のかけらをもらってもっていたことがあるのだけど、ちょうどそんな色なのだ。
こちらの山も、溶岩だから。・・・もしかしたらヒースの赤紫は、溶岩の色が染み出しているもかもしれない。
左手には広大な湖が広がっているし、その向こうには北欧のような針葉樹林が連なる。
そのうしろにはまた山々が盛り上がって、書き割りのようにピクチャレスクだ。・・・
ペナパスへ登っていく道はけっこうな山道で、しかもかなりのスピードでぶっ飛ばしていくのでスリリングだ。
ここからは、コンウィ・ヴァリィに似た感じの、ブロッコリみたいな木立と、その向こうに光る湖の見えるすばらしい谷が見渡せて、その眺めがいちばん素敵。
あとで地図で見たら、それがナント・グウィナントだった。
この日はスノウドン、うっすら雲かかりながらも大体見えた。
だが、個人的にはその左側の三つ峰の連なった山の方が形状的に美しいと思う。
スランベリス方面には、変わらぬごつごつした山景色が望める。
スノウドン・カフェに入ってコーヒーとフラップジャックを頼んだ。
壁に昔のスノウドン近辺の白黒写真が飾ってある、居心地のよいカフェだ。
コーヒーをすすりながら地図を眺めるうち、行きのバスで味わった不愉快な思いが、だいぶ慰められていった。・・・
ガイドブックの、自分が行く予定の部分だけ切り取ってもってきていたのだが、たまたま一緒に載っていたベイズゲラートや、ブライナイについての記事を読んで、面白かった。
ふと、さっき見たナント・グウィナントの向こうにベイズゲラートがあって、バスで行かれることに気がついた。
明日あたり行ってみようか。
グラスリン・カフェのアイスクリームが美味しいらしい。
たぶん明日も寒くてアイス日和ではないだろうけれど、まあいい、あの谷を抜けるルートをバスに乗りたい。・・・

6. ベイズゲラート

そんなわけで、けさ、朝のバスで出かけるつもりで早めに起きたら、なにか妙にしずかだ、しかも日が射している!・・・
外へ出たら、半分ほど青空だった。嵐は終わったのだ・・・もっとしつこくつづくものと思っていた。
たぶん私が<異界の丘>を夕べ書き終えたからではないかと思う。・・・
出かけてみると、ハイカーも車もいっぱい繰り出している。
カペル・キュリグに来てみると、木立が青い光に包まれている。
アルフリストンのときと同じ青い光だ・・・
空気がこんなふうにきりっと冷えて、澄んでいると、ものみなすべてが青い光を帯びて見える。・・・
ナント・グウィナントをバスで通ってきた。
湖は穏やかに空を映し、みどりはゆたかで、山が見えて唐松など生えていて、すべてが絵葉書のように美しい。
ああ、もっと前に来てみるんだった。・・・
と、さいしょは思ったものの、・・・正直、あまりに絵葉書的すぎて、だんだん退屈してきた。
やはり私には、荒涼としたバングログ谷の方が似合いのようだ。・・・

ベイズゲラートに着いた頃には、天気がよすぎて少し暑いくらいだった。
山あいのほんの小さな村なのに、ちょっとした観光地だ。
人がたくさん出ていて、川ではみんな水遊びしている。
ベイズゲラートは<ジェラートの墓>を意味する。
ジェラートは伝説的な犬の名前だ。
その昔、忠実な犬のジェラートは、主人が留守のあいだ、主人の幼子を守るよう任された。
そこへ狼がやってきて幼子を襲おうとし、ジェラートは死に物狂いで戦って狼を噛み殺す。
ところが、帰ってきた主人は、血まみれになって自分を出迎えたジェラートを見て、彼が自分の子を襲ったと誤解し、その場で殺してしまう。
あとになって間違いを悟った主人は悔いて、りっぱな墓を築き、ジェラートを手厚く葬った。
それがこの村の名の由来だという。
これも私のもとに<やってきた>物語ではなくて、もとから彼らのあいだで語り継がれている物語だ。
ガイドブックにも、村の観光パンフレットにも載っている。
でっちあげだという説もあるが、誰が知ろう?
ともかく、この村の人気にこの物語がひと役買っているのはたしかなのだ。・・・

村自体もほんとうに美しい。
蜂蜜色のライムストーンの古い家並に、軒には色あざやかな花々の寄せ植え。
村の真ん中には清流が流れ、バックにはヒースに染まった山並が連なる。・・・
急に暑くなって、グラスリン・カフェのチョコレート・アイスクリーム日和だった。
カフェを出て、歩いていたら、驚いた!
急に私の名前で話しかけられたのだ。こんなところに、私を知っている人など、いるはずもないのに。
ふり向いたら、マーティン君がにこにこして立っていた。
こんなことってあるだろうか。しかもこんな山奥の村で?・・・
マーティン君は、南部イングランドはポーツマスに住んでいる。
はじめて会ったのは、アイルランドのドゥーリン、モハーの崖の下の村だ。
自転車で旅行中だった。
そこで知り合って、クリスマスカードを送りあうくらいの友だちだった。
このときも、彼は自転車旅行中だった。
ポーツマスを出て、一週間の予定でウェールズをまわっているという。
ウェールズははじめてなのだ、と言った。
我々のどちらも、相手の旅行の予定など知らなかった。
ウェルシュ・シンクロニシティ。・・・
物語のうえでも現実でも、いろいろとふしぎなことの起こる土地だ。・・・

ベイズゲラートには、その後もういちど行った。
この谷を発つ前のさいごの日だった。
曇りの、穏やかな寒い日で、とてもいい日。
こういうウェールズらしい日に、もういちどあの美しい村を歩きたいと思った。
グラスリン・カフェでチキンローストを食べる。
これでもか、というくらい徹底的に焼いてあるローストで、熱いジャケット・ポテトとフレッシュサラダのつけあわせ。
味つけはなし。ナイフは切れない。
それがこの国の流儀で、私は好きだ。
腰を上げてロンドンへ戻るのに必要なエネルギーをもらった。・・・
ウェールズ国旗は、上半分が白、下半分が緑の地に、赤い竜のデザインだ。
ウェールズの伝説では、白い竜と赤い竜が血みどろの戦いをくり広げ、そしていつもさいごに勝つのは赤い竜のほうだ。
白い竜はイングランド、赤い竜は我らが誇り高きウェールズを表している。
いや、実はウェールズという名自体、ほんとうはウェールズ語ではない。
それはその昔イングランド人によって呼ばれていた名で、異国の民とかよそ者たち、を意味する。
本来のウェールズ語でウェールズはカムリュ、みたいに発音する。
これは、祖国、仲間たち、という意味だそうだ。
物語にみちた土地。・・・
けれども、神話や伝説、物語、・・・それは単なる物語ではないのだ。
グラスリン・カフェのチョコレートアイスにウェハースといっしょにささっていた小さなウェールズ国旗をいじくりながら、私はこの国の歴史に思いを馳せ、そのあと絵葉書の裏にそいつを貼りつけてポストに入れた。・・・

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移り気な巨人 The Tempersome Giant
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

1. 物語<移り気な巨人>
2. イドワル王子と<悪魔の台所>
3. アグリー・ハウス
4. ベセスダからバンゴールへ
5. ペナパスへ
6. ベイズゲラート
****************************************
1. 物語<移り気な巨人>

秘密の湖。・・・
街道からは見えないけれど、山々の向こう側には、いくつもひっそりと水を湛えた澄んだ湖がある。
それらへは、細い未舗装の道を通ってしか行かれない、自分の足で登るしかない。
スリン・イドワル、イドワル湖はそんな湖のひとつだ。・・・
イドワル・コテッジのまわりときたら、四方の風が集って握手したような、奇蹟の立地だ。
歩いて五分のうちに山があり湖があり木立があり、谷が開けていて、川が滝になって流れ出している、何でもある、完璧だ・・・
オグウェン湖のうしろに横たわる山、アル・オウル・ウェンは、湖のほとりから見るとのっぺりとしてとりとめもないが、コテッジの背に盛り上がる斜面を登り、オグウェンより一段高い、イドワル湖のあたりから見ると、とても均整のとれた、トロヴァーンとよく似た姿をしているのが分かる。
そして、ここから見てはじめて、物語の欠かすべからざる一要素となるのだ。・・・
イドワル・コテッジの向かってすぐ左手、垂直に切り立った岩のあいだに、人がやっとひとり通れるくらいの狭い切り通しがある。
夏にはヒースの紫で飾られる。
さいしょにここをひと目見たとき、私はそこを必死で駆け抜けるひとりの若い女の幻とともに見た。
彼女が駆け抜けた瞬間、私の前で、それは門が閉まるようにガチャリと閉まった。・・・
しぜんにできたにしてはどうも出来すぎているような気がするのだが(再び、トロヴァーンのステアウェイと同じように!)
その切り通しは、イドワル盆地へ登る唯一のルートだ。少なくとも、ふつうの身体能力をもった人間には。
ここを抜けて、岩の登山道を川の流れに逆らって登ってゆくと、ほどなく目の前にしずかなイドワル湖が広がる。
それほどきつい登りではない。
湖を取り巻いて、イドワル・スラブや<悪魔の台所>のおどろおどろしい稜線が盛り上がっている。
<悪魔の台所>など、ほんとうに怪物のはらわたでも調理していそうだ。
このイドワル盆地には、ドラマティックな歴史があるらしい。
手元のパンフレットによると、四億年ばかり前、二つの大陸が衝突したときに生まれたのがこの山々で、このあたりはその昔は海の底だったそうだ。
その証拠に、いまもこの辺の岩々には波の模様がついているのだという。
そのとき噴火して流れ出た溶岩の名残で、いまも山々はどす黒い、青黒い色をしている。
日の光のもとでは、まだいい。
ふっと日が陰ったとき、急に立ち現れる真っ黒な姿は、悪夢のようだ。・・・

* *
あるとき、父親が幼い娘の手をひいて、このあたりの山々のあいだをとぼとぼと彷徨っていた。
彼らは道に迷ってしまったのだ。
そこへ、巨人オウル・ウェンが出くわして、大声でどなりつけた。
「俺の土地でいったい何をしている。」
すると、父親は震え上がって言った、
「申し訳ありません、私たちは道に迷ってしまったのです。あなたの土地に入りこむつもりはありませんでした。
お詫びにこの子を差し上げますから、あなたの召使いにするなり、ご自由にしてください。
ただ命ばかりはご容赦くださいますように」
そこで父親は娘を残して去ってゆき、娘はオウル・ウェンの召使いとなった。
さて、巨人オウル・ウェンの心はウェールズの空のように変わりやすく、いまくつろいで機嫌よくしているかと思えば、次の瞬間には理由もなく、急に怒り出すのだった。
そんな主人に仕えるのは並大抵のことではなかった。
娘はびくびくしながら暮らした。
皿にはちりひとつなく、テーブルクロスにはしみひとつなく、家じゅうをいつもぴかぴかに磨き上げ、何の落ち度もないように気をつけて働きつづけた。
それでも、いつ雷を落とされるか分からなかった。
そんな日々が何年もつづいて、娘は疲れ果ててしまった。
ある日、怒った主人が火かき棒を振り上げたのを見て、彼女は心底怖くなった。
「ここにとどまって殺されるより、逃げ出して野垂れ死にした方が、まだましだわ」
そう考えて、勇気をふり絞って、とうとう主人の家を逃げ出した。
ほどなく気がついた巨人が、彼女のあとを追いかけてきた。
走って走って、とうとう追いつかれそうになり、巨人の指が娘をつかんで引き戻そうとしたそのとき、彼女はちょうどここ、イドワルの切り通しのところに至って、必死でそのあいだを走り抜けた。
彼女は、命を救われた。
娘を気の毒に思った切り通しの両の岩壁が、彼女が駆け抜けた瞬間にガチャン! 門のように音をたてて閉まったのだ。
巨人はのばした指をそのあいだにはさまれて、天地が激動するほどの大声をあげた。
そのとき、彼はあまりのショックに青黒く固まり、その場で巨大な岩山と変じてしまった。
それがいまのアル・オウル・ウェンなのだ。・・・
この切り通しを抜けて、イドワル湖のところまで登っていって振り返り、ゆきすぎる雲むらの下でアル・オウル・ウェンの巨大な姿が一瞬にして青黒く変容するのを見るたび、私はいまも、あの娘の物語を生き直しているような、あのドラマティックな瞬間を生き直しているような気がするのだ。・・・
そして考える、彼女はそれから山々を越えて、無事に逃げのびただろうか?・・・
2. イドワル王子と<悪魔の台所>

この土地は物語に満ちている。・・・
かくまでドラマティックな土地であればふしぎもない。
この土地は物語に満ちている。
私のもとに<やってきた>ものであれ、はるか昔からこの土地に伝わっているものであれ。・・・
イドワルには、私の知る限りもうひとつの物語がある。
こちらは<やってきた>のではなくて、パンフレットに書いてあった。
昔、イドワル王子とその従者たちが、この湖で死んだ。
こんにち、ほとりに散らばっている大岩は彼らの墓標なのだという。
イドワル王子とは何者か、彼は何ゆえ死んだのか?
そこには何も書いていなかったので、あとで色々調べてみると、プリンス・イドワルの伝説はかなり有名なものらしいことが分かってきた。
彼はグウィニドの王オウウェンの息子で、父親の死後、その遺言に従ってオグウェン湖のほとりに城を構えるネフィドのもとへ赴く。
ところがネフィドは王子を憎んで、イドワル湖に溺れさせて殺してしまう。
<悪魔の台所>の名は、彼が罪もなく生贄とされたことと関係があるようだ。
"Today Devil's Kitchen got a feast."
また、邪悪な王ネフィドの呪いゆえ、イドワル湖の上には決して鳥が飛ばない。
たしかに、湖のまわりをかなりの時間かけて歩いたが、その限りでは、一羽の鳥も見かけなかった。
この物語で、私の知る限りいちばん詳しいバージョンは、Louisa Bigg の Pansies and Asphodel という本のなかにある。
初版は十九世紀、えらく古めかしい文体で、しかも韻文で書いてあるが、だいたいのところ、要するにかいつまんで言うと、ネフィドは自分の息子を怒らせた罪をイドワルになすりつけて殺したことになっている。
その晩、災いが迫っているのに無理に陽気に振舞おうとして、ネフィドはハープ奏者を召す。
だが、奏者は所望されるように楽しげに弾くことができず、人の心を掻き乱すような不吉なメロディを奏でる。
そのくだりはなかなか迫力がある、旧約聖書的だ。・・・
こんなふうに少し文献にあたってみると、自分がこの地に根づいた網の目のような壮大な神話体系の、ほんの端っこに触れているにすぎないことが分かる。
考えると、眩暈がする。
人生は短い。
一生のうちに、あといくつの物語に出会えるだろう、あといくつの物語を生きられるだろう?・・・
ところで、<移り気な巨人>の物語は、<マビノギオン>のどこかに見出せるだろうか?・・・
ともかく、私のもとへやってきたその巨人の物語であれ、イドワル王子の物語であれ、そう、この場所はそんな物語に似つかわしい。
邪悪な場所なのだ、そこに身を置くだけで、理由のない悪意を感じる。
傷つけることや、追い詰められること、死を想起させる場所なのだ・・・
たぶん、まわりを取り巻くこの山々のどす黒さのせいであろうが・・・
私はこの場所を訪ねたとき、奇妙に目を引いた一組のカップルを思い出す。
曇り空の、風の強い、寒い日だった。
彼らは私が湖に着いたときからそこにいて、私が湖をひと回りして戻ってきたときにもまだそこにいた。
男の方は手入れの行き届いたロマンスグレイに黒のコート、女の方はブロンドだった。
ふたりはまんじりともせずに身を寄せあって、湖のおもてを見つめていた。
どうにも場違いとしか言いようがなかった。
見つめる先がコモ湖とかヴェニスの街並なら分かるが、これがイドワル湖に<悪魔の台所>ときては、ロマンティックどころではない。
その後ろ姿が、これから心中でもしそうに思いつめている感じがして、気になった。
切羽詰った不倫旅行の途上でもあったのだろうか?・・・
そう、そこにもひとつ、現在進行形の物語があった。・・・

3. アグリー・ハウス
この土地は物語であふれている。
どこを切り取っても、物語の舞台背景のようなのだ。
カペル・キュリグからベティソへ至るみどりゆたかな道すじには、街道に並行して細道のトラックがあって、そこをえんえん、アグリー・ハウス(醜い家)を過ぎてスワロー・フォール(つばめ滝)まで歩いたことがある。
スワロー・ハウスはものすごくごつごつとした岩積みの家で、ここにも伝説がある。
山賊の兄弟が力を合わせて、ひと晩で築き上げたのだという。
というのは、昔、日の入りから日の出までのあいだに家を、壁と屋根と煙突のそろったきちんとした家を建てることができたら、それは正式にその人の持ち物となる、というきまりがあったのだそうだ。
「僕はその伝説を信じるね」
私が訪ねたとき、そこの管理にあたっていたナショナル・トラストの職員はまじめな顔で言った。
「大の男が二人で力を合わせれば、これくらいの大きさの家ならひと晩でできると思うよ」
「アグリー・ハウスって変な名前だと思いませんか?」
ときいてみた。
「アグリーっていうのは、まあ・・・rough(粗い)ってことだよ」
という返事だった。
4. ベセスダからバンゴールへ
ベセスダからくねくねと山道をのぼってバンゴールへ至る道すじがまたすばらしい。
私が行ったとき、バスのルートは二つあったが、たしかトレガース経由ではない、遠回りしていく方のルートが素敵だ。
このルートのバスのなかでは、ウェールズ語が聞ける。・・・
このルートこそ、まさに生きた絵だ。・・・
私はその絵を楽しむだけのために、このルートをバスでつづけて二往復したことがある。
どっしりした石造りの村々があって、薔薇が咲いている、ヒースの群れ咲くなだらかな丘があり、森の中の教会があり、突如視界が開けて青い海が、パッチワークの向こうに広がり、振り返れば広大な茶色い山々が、雲をかぶって光のなかにゆらめきかすんで連なっている・・・
北ウェールズ、ここには地上の美のすべてがある!・・・
もちろん、・・・スラグの山は別だけれど。・・・
私が見たことのあるのはベセスダのやつだけだが、できれば目に入れずにすませたい。
スラグはスレートを精錬するときにできる廃棄部分だ。
ほかにどうしようもないので、いつまでもその辺に積み上げておかれる。
凄惨な、まっ黒いゴミの山。・・・
5. ペナパスへ

8月3日、木曜日。・・・
今日は少し日記を書こう。
きのうになって、今回はじめてペナパスへ行ってみた。ペナパスはスノウドンへの玄関口で、ホテルや駐車場やカフェがある。
カペル・キュリグでバスをつかまえたときにはまた少しいやな思いをしたが、天気は素敵だった。
というのは、どんより曇って、スランベリスの方からびゅうびゅう風が吹きつけて、とてもペナパスらしかった。
ちょうど前来たときの十一月の感じだ。
やっぱり北ウェールズは、こうでなくてはね。・・・
あそこへ至る道すじは、ほんとに雄大だ。
晩秋には、見上げた斜面が枯れたワラビでだーっと一面赤茶色になっていて、そこにぽつぽつ、ホーソンのねじくれた小さい木が斜めに枝をのばし、そろって赤い実をつけている。
夏には、ワラビのカーペットは爽やかなみどり色で、ホーソンのこずえは少しモスグリーンがかったきみどり色だ。
ワラビのみどりは、涼しげで、ほんとにいい色。・・・
山の上の方はやっぱりヒースの花で紫に染まっている。
子どものころ、溶岩のかけらをもらってもっていたことがあるのだけど、ちょうどそんな色なのだ。
こちらの山も、溶岩だから。・・・もしかしたらヒースの赤紫は、溶岩の色が染み出しているもかもしれない。
左手には広大な湖が広がっているし、その向こうには北欧のような針葉樹林が連なる。
そのうしろにはまた山々が盛り上がって、書き割りのようにピクチャレスクだ。・・・
ペナパスへ登っていく道はけっこうな山道で、しかもかなりのスピードでぶっ飛ばしていくのでスリリングだ。
ここからは、コンウィ・ヴァリィに似た感じの、ブロッコリみたいな木立と、その向こうに光る湖の見えるすばらしい谷が見渡せて、その眺めがいちばん素敵。
あとで地図で見たら、それがナント・グウィナントだった。
この日はスノウドン、うっすら雲かかりながらも大体見えた。
だが、個人的にはその左側の三つ峰の連なった山の方が形状的に美しいと思う。
スランベリス方面には、変わらぬごつごつした山景色が望める。
スノウドン・カフェに入ってコーヒーとフラップジャックを頼んだ。
壁に昔のスノウドン近辺の白黒写真が飾ってある、居心地のよいカフェだ。
コーヒーをすすりながら地図を眺めるうち、行きのバスで味わった不愉快な思いが、だいぶ慰められていった。・・・
ガイドブックの、自分が行く予定の部分だけ切り取ってもってきていたのだが、たまたま一緒に載っていたベイズゲラートや、ブライナイについての記事を読んで、面白かった。
ふと、さっき見たナント・グウィナントの向こうにベイズゲラートがあって、バスで行かれることに気がついた。
明日あたり行ってみようか。
グラスリン・カフェのアイスクリームが美味しいらしい。
たぶん明日も寒くてアイス日和ではないだろうけれど、まあいい、あの谷を抜けるルートをバスに乗りたい。・・・

6. ベイズゲラート

そんなわけで、けさ、朝のバスで出かけるつもりで早めに起きたら、なにか妙にしずかだ、しかも日が射している!・・・
外へ出たら、半分ほど青空だった。嵐は終わったのだ・・・もっとしつこくつづくものと思っていた。
たぶん私が<異界の丘>を夕べ書き終えたからではないかと思う。・・・
出かけてみると、ハイカーも車もいっぱい繰り出している。
カペル・キュリグに来てみると、木立が青い光に包まれている。
アルフリストンのときと同じ青い光だ・・・
空気がこんなふうにきりっと冷えて、澄んでいると、ものみなすべてが青い光を帯びて見える。・・・
ナント・グウィナントをバスで通ってきた。
湖は穏やかに空を映し、みどりはゆたかで、山が見えて唐松など生えていて、すべてが絵葉書のように美しい。
ああ、もっと前に来てみるんだった。・・・
と、さいしょは思ったものの、・・・正直、あまりに絵葉書的すぎて、だんだん退屈してきた。
やはり私には、荒涼としたバングログ谷の方が似合いのようだ。・・・

ベイズゲラートに着いた頃には、天気がよすぎて少し暑いくらいだった。
山あいのほんの小さな村なのに、ちょっとした観光地だ。
人がたくさん出ていて、川ではみんな水遊びしている。
ベイズゲラートは<ジェラートの墓>を意味する。
ジェラートは伝説的な犬の名前だ。
その昔、忠実な犬のジェラートは、主人が留守のあいだ、主人の幼子を守るよう任された。
そこへ狼がやってきて幼子を襲おうとし、ジェラートは死に物狂いで戦って狼を噛み殺す。
ところが、帰ってきた主人は、血まみれになって自分を出迎えたジェラートを見て、彼が自分の子を襲ったと誤解し、その場で殺してしまう。
あとになって間違いを悟った主人は悔いて、りっぱな墓を築き、ジェラートを手厚く葬った。
それがこの村の名の由来だという。
これも私のもとに<やってきた>物語ではなくて、もとから彼らのあいだで語り継がれている物語だ。
ガイドブックにも、村の観光パンフレットにも載っている。
でっちあげだという説もあるが、誰が知ろう?
ともかく、この村の人気にこの物語がひと役買っているのはたしかなのだ。・・・

村自体もほんとうに美しい。
蜂蜜色のライムストーンの古い家並に、軒には色あざやかな花々の寄せ植え。
村の真ん中には清流が流れ、バックにはヒースに染まった山並が連なる。・・・
急に暑くなって、グラスリン・カフェのチョコレート・アイスクリーム日和だった。
カフェを出て、歩いていたら、驚いた!
急に私の名前で話しかけられたのだ。こんなところに、私を知っている人など、いるはずもないのに。
ふり向いたら、マーティン君がにこにこして立っていた。
こんなことってあるだろうか。しかもこんな山奥の村で?・・・
マーティン君は、南部イングランドはポーツマスに住んでいる。
はじめて会ったのは、アイルランドのドゥーリン、モハーの崖の下の村だ。
自転車で旅行中だった。
そこで知り合って、クリスマスカードを送りあうくらいの友だちだった。
このときも、彼は自転車旅行中だった。
ポーツマスを出て、一週間の予定でウェールズをまわっているという。
ウェールズははじめてなのだ、と言った。
我々のどちらも、相手の旅行の予定など知らなかった。
ウェルシュ・シンクロニシティ。・・・
物語のうえでも現実でも、いろいろとふしぎなことの起こる土地だ。・・・

ベイズゲラートには、その後もういちど行った。
この谷を発つ前のさいごの日だった。
曇りの、穏やかな寒い日で、とてもいい日。
こういうウェールズらしい日に、もういちどあの美しい村を歩きたいと思った。
グラスリン・カフェでチキンローストを食べる。
これでもか、というくらい徹底的に焼いてあるローストで、熱いジャケット・ポテトとフレッシュサラダのつけあわせ。
味つけはなし。ナイフは切れない。
それがこの国の流儀で、私は好きだ。
腰を上げてロンドンへ戻るのに必要なエネルギーをもらった。・・・
ウェールズ国旗は、上半分が白、下半分が緑の地に、赤い竜のデザインだ。
ウェールズの伝説では、白い竜と赤い竜が血みどろの戦いをくり広げ、そしていつもさいごに勝つのは赤い竜のほうだ。
白い竜はイングランド、赤い竜は我らが誇り高きウェールズを表している。
いや、実はウェールズという名自体、ほんとうはウェールズ語ではない。
それはその昔イングランド人によって呼ばれていた名で、異国の民とかよそ者たち、を意味する。
本来のウェールズ語でウェールズはカムリュ、みたいに発音する。
これは、祖国、仲間たち、という意味だそうだ。
物語にみちた土地。・・・
けれども、神話や伝説、物語、・・・それは単なる物語ではないのだ。
グラスリン・カフェのチョコレートアイスにウェハースといっしょにささっていた小さなウェールズ国旗をいじくりながら、私はこの国の歴史に思いを馳せ、そのあと絵葉書の裏にそいつを貼りつけてポストに入れた。・・・

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2010年02月16日
常若(とこわか)の水の調べ
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瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) オグウェン篇3
常若(とこわか)の水の調べ The River of Eternity
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

1. 物語<常若の水の調べ>
2. イーサフの宿
3. イーサフの人々
4. イーサフの食卓
5. イーサフの山々
6. イーサフの羊たち
***************************************
1. 物語<常若の水の調べ>

夏でも冷たいひとすじの清流が、バングログ谷の底を走る。
エーハフをすぎ、イーサフをすぎ、そしてここへ通じている。
カペル・キュリグの三叉路、<ピナクル>のせりあがった裏手。
ここには石の橋がかかって、その下をこの流れが、いきおいよく流れ下っている。
この谷の剥き出しの丘陵風景のなかで唯一、この流れのまわりだけに、みどりゆたかな木立が茂っているのだ。
この橋の上から眺めると、両の木立が枝を差し伸べてアーチをつくり、夏にはすずしい木陰を、秋にはベティソコイドに住んだ画家たちの手になる風景画のような彩りを供している。・・・
<ピナクル>でバスを待つことは多かったから、しょっちゅう、橋ごしに川の流れを眺めにいった。しゅうしゅう泡だって走る清涼な流れのなかに、私はいつもひとつの顔を見た。
それは川の神の面差しで、ゆたかな真っ白な髪に、顔は青年のように若々しく、氷のように澄んだ、あかるい青い目をしていた。その奇妙なコントラストは目を引いて、忘れがたかった。
さいしょに見たとき、私は宿に戻ってからその顔をスケッチし、・・・そしてそれは今でも私の手元にある。・・・その顔は、不毛の荒野を潤すように、この世にあってとうてい成し得ない事がらをそれでも成し遂げようとして日々挑みつづける、なべてそういうものたちの具現なのだ。・・・
むかし、川の神が谷床を巡る旅をしていて、バングログ谷にさしかかった。
「私は地のおもてをゆき巡ってきたが、見よ、こんなにも不毛な場所ははじめてだ。
私はこの谷を潤そう、ぜひともみどりゆたかな森に変えてみせよう」
それを聞いて、バングログ谷の山の神々は彼に言った、
「やるだけ無駄だよ、この谷に木が生えないことは誰でも知っているし、それにはそれだけの理由があるのだ。
お若いの、何をお前さんは自然の摂理に逆らって、大地を説得しようとするのかい?」
すると川の神は言った、
「やってみないで、どうして分かる? 君らはなぜこの谷に木が生えないか、どうしたら木を生やすことができるか、ほんとうに考えようとしたことがあるだろうか。
見なさい、私は川の神、命のみなもとたる水を司る者だ。
この私が谷床にとどまって、この谷を変えられないか賭けよう」
こうして川の神はバングログ谷にとどまって、その底に身を沈めた。
渾身の力をこめて谷をうるおし、その岩地の心に分け入ってゆこうとした。
百年たって、木の芽が芽吹いた。
さらに百年たって、ようやく木といえるようなものに育った。
でも、それ以上にはならなかった。それから何千年のときを経ても。・・・
そう、それからはるかながい時がすぎて、いまも彼はこの川床にいて、谷をみどりに変えようと挑みつづけている。
いまではその周辺に、わずかにひとすじ、うるわしい木立が育つ。
それは彼がいまも挑みつづけているあかしなのだ。
夏、雨が少なくなると流れは痩せ細るが、枯れてしまうことはない。
それは彼がその心に、永遠の若さを持ちつづけているからだ。
こうして彼は賭けに勝つことはできなかったが、同時に負けもしなかった。
いや、詳しく言うと、今のところ勝つことはできていないが、いつかその日が来るかもしれない。
それはなべてこの世にあって、不毛の谷を潤そうとして戦いつづけている人びとのあり方なのだ。・・・
後年、ウェールズともアイルランドともまったく関係のない文脈で、私はひとりの人に出会った。
絶望的な状況のもとで、屈することなく、しずかに戦いつづけている人だった。
この人が潤そうとしてたのは、別の種類の荒野だったけれども。・・・
どこかで会ったような気がしながら、似たような人をどこかで知っていたような気がしながら、どうしても思い出せずにいた。
それはこの川の神だったのだ。
彼の魂を受け継ぐ人びとは地下水脈のように世界じゅうに息づいていて、今日もこの世の闇を少しでも照らそうと、もてる光を灯しつづけているのだ・・・
2. イーサフの宿

イーサフには、二度めの冬に半月、三度目の夏にも半月ほど滞在した。
イーサフは、カペル・キュリグの三つ辻からオグウェンに向かって三マイルばかり、道からトロヴァーンの側へ少しひっこんだ、石造りスレート葺きの農家だ。
例に漏れず、母屋のまわりに納屋やら畜舎やら、別棟がいくつもあって、そのうちの一部を改造し、簡素な寝台を取りつけて、滞在客が泊まれるようにしてある。
泊まることのできる離れは二つあった。
大きい方は二十か三十も寝台のあるばかでかい納屋で、石壁の内側をしっくいで塗りこめてある。
窓がひとつもなくて、灯りをつけないと真っ暗だ。
ペンキだかカビだかの独特な匂いが鼻をつき、がらんとして湿っぽくて冷えこんでいる。
ひとりでいるには広すぎて、少し気が滅入る。
けれども、片すみにしつらえた料理場で、夜、明かりをつけてお茶を沸かし、椅子にクッション代わりの枕を二つ三つのせて本など読むのは、けっこう居心地がよかった。
昼には裏手の木戸の扉を開けると、トロヴァーンの黒々とした姿や、向かいの丘々の広がりを見わたせた。
扉のかんぬきがぴったりとできていなくて、閉めておいてもしょっちゅう風で開いてしまい、そうするとよく鶏たちが入ってきた。・・・
片方のはしには一応の料理設備があったが、とくに夏にはネズミが出るので、ここには食料を置かないようにしていた。
ネズミ穴がいくつもあって、見つけるたびに小石と砂利を詰めて塞ぐのだが、すぐまた別のところから、平気の平左で出てくるのだ。
まるで罪のない、つぶらに澄んだ瞳をして、穴をひとつ塞がれたくらいで君のことを悪く思ってないよ、とでも言いたげだった。
しばらくいるうち、よく出るやつの顔を覚えた。
ネズミの世界にも器量不器量はあるもので、一匹は目鼻立ちが整って、品評会にも出せそうなくらい愛くるしかったが、もう一匹は目と鼻のあいだが空きすぎて、どうもまのびした顔つきだった。
茶色い毛並み、きらきら光る黒い目、たえずひくひく動く鼻は、衛生面のことを考えに入れなければ、なかなか可愛らしいといってよかった。
椅子の上でじっと動かずにいると、はじめは警戒していた連中もしだい大胆になって、台の陰から床一帯に遠征しにくるのだった。
調理台の下には、スティーヴンがその不器用な指でチーズをおとりに仕掛けた古典的なネズミ捕りがいくつか置かれていた。
が、ネズミがかかっていたためしはなく、大概はチーズだけがきれいになくなっていた。
もうひとつの泊まり場は、別棟の二階だ。
かつては干草の貯蔵などに使われていたのだろう・・・寝台は六台、こじんまりと小さく、窓があって、薄汚れたガラス越しに谷の向こうの斜面を望むことができた。
ひとりものにははるかにあつらえ向きで、選択の余地があるときには、私はいつもこちらの方に寝起きしていた。
こんな奥深い、淋しい谷にも、週末になると登山客の一群がやってくる。
週末になると私はたいがい納屋を追い出され、外の斜面の湿った草地にテントを張ってすごした。
私は前もって予約した客ではなかったから、優先権はなかったのだ。
これもなかなか厄介なことだった。
とりわけ厄介なのは、彼らがいったいやって来るのか来ないのか、そのときになってみないと分からないということだった。
金曜の午後、来るか来るかと気をもみながら過ごすうちにやがてとっぷり真っ暗になって、今日はさすがにもう来るまいと高をくくっていたところへ一団が到着し、あっけなく追い出されたこともある。
それでも、一応の装備は揃えてあった。
多くは旅をつづけるうちに骨身にしみて必要を感じ、ゆく先々で調達したものだった。
旅空にあって、もつべきものは装備である。
とりわけ当地では、何から何まで完全防水でないとだめだ。
防水外套に加え、モスグリーンの丈夫なゴムびきの長靴、これは雨の日のサセックスの草深い散歩道や、コネマラの湿原を歩くのに手に入れた。
テント。
冬用の厚地の寝袋。
それから、オルトリーブの防水袋。
これは、大嵐のなかをホリヘッドからバンゴールまで移動したときに、いちおう防水布をかぶせていたにもかかわらず、隙間から水が滲みて荷物が中まですっかり濡れてしまったのに業を煮やしたあと、<ピナクル>で見つけた。
こうした装備のおかげで、私はどうやら体を濡らすことも、寒さに凍えることもなく、わりあい快適に過ごしていた。
それでも、牧歌的なキャンプとは言いかねた。
ほとんどいつも強風が打ちつけていたし、雨がぜんぜん降らない晩というのはまずなかった。
それに、結露が冗談ごとでなくひどかった。
朝起きるとテントの底に池ができていて、ボートの水あかをかい出すように、コッヘルと布きれを使って汲み出さねばならなかった。
団体客がやってくると、めんどうごとは宿だけではない。
イーサフ全体が、やたらとせわしなく、騒がしくなって、平和はないし、もの思いに耽ってもいられない。
水を汲みにいこうと思うと井戸がふさがっているし、食事どきには料理部屋が占領されてしまい、したいときに料理もままならない。
そこで週末には、朝起きるとはなから料理をあきらめて、テントから這い出すとそのまま長い散歩に出かけてしまったり、あるいは朝いちばんの馬車をつかまえて、<ピナクル>へ朝食を食べに行ったりしていた。・・・
こうして面倒つづきで、ただひとつところにとどまっているだけのために少なからぬエネルギーをとられ、たとえばイーサフの家族のように、この地に根を下ろして雨風に悩まされることなく、毎晩同じベッドで眠る人々の暮らしを羨まないではなかった。
だが、それにもかかわらず、旅人の身にあって、私はある種得がたい自由を享受していることを知っていた。・・・
彼ら、この土地の人間たちは、おそらく人が思うほど「そこにいること」を享受する余裕を得てはいない。・・・
常にそこにいることで必然的に生じてくる感覚の鈍りに加えて、その常にいるということに伴ってくるもろもろのやっかいごと・・・人間界のあまたのごたごた、持ち物の管理だの、不動産だの、税金だの、政治だの・・・過去に囚われたり、将来を心配したり、この国のほかの場所で起こっている事柄について気をもんだり・・・
そういう彼らの要求や心配事に、私は煩わされることがなかった。
ある意味では、彼らよりもさらにこの土地に近かったと思う。・・・
それは、テントを張って夜を過ごしているととくに強く感じられた。
文字通り岩の凹凸に体を添わせ、風の唸りを夢に聴き・・・夜明けの雲の動きをだれより先に眺め、冷えこんだ空気の匂いを嗅ぐのだった。・・・
持ち物はすべてひとつの袋におさまってしまい、ゆえに心配も袋ひとつ分ですんだ。
過去もなく、未来もなく、ただ印象にみちあふれた現在があるばかりだった。・・・
純粋で透明な魂として、空のいろ風のひびきを感じ取ることができたし、こうして地霊の語る声に耳を傾けることもできたわけだった。・・・
いつまでも無限につづけるわけにはいかない、特殊な生のあり方だったが、詩的に見ればもっとも願わしいあり方のひとつ、詩人たちのうたってきた、よりすぐれた別の生の次元に近づき、ほとんどそれに接するような、そういう生の状態だった。・・・
3. イーサフの人々

イーサフの人々。・・・
はじめてイーサフに滞在したとき、私を迎えてくれたのはジョンだった。
丸顔の、がっしりとした体格で、60代ばかりだったろうか。
たいへん親切な男で、私が滞在中気持ちよく過ごせるようにと、何くれとこまかく世話を焼いてくれた。
・・・正直言うと、時には煩わしいほどだった。
というのは、あのとき、イーサフにたどり着いただけでほんとうに息も絶え絶えだったのだ。
むろん相手はそんなこと知るはずもなく、すぐさま台帳を持ち出してきて、十日先の宿のふさがり具合までこまごまと読み上げてくれようとするので、こっちはどうか少しのあいだしずかに放っておいてくれと、悲鳴を上げたくなったほどだった。
彼はこの谷の出身だったが、若いときにこの谷を離れて以来、ずっと長らくチェシャ州に住んでいた。いまは、一時的に戻ってきているだけだった。イーサフの主であるデイヴィッドが所用で留守をしていたので、そのあいだ客の世話を頼まれて来ていたのだ。・・・
彼には色々と恩がある。
トロヴァーンの名の由来と、三つの石柱について教えてくれたし、ほかにもいくつか、簡単なウェールズ語を教えてくれた。
パリダー(おはよう)、ノースター(おやすみ)、プルグラウ(雨)など。・・・(この、「おはよう」と「おやすみ」の次に「雨」がくるところが、いかにもウェールズらしいではないか?・・・)
話し好きな男だったのだろう、自分の半生を、問わず語りに聞かせてくれた。・・・
彼はここから1マイル上の<エーハフ>で生まれたのだった。けれど、この土地では仕事の口がないのでチェシャに移り住んだ・・・あの頃は、みんな貧しかったものさ。・・・チェシャについて何か知ってるかい?・・・
あの、チェシャ猫だけ・・・と私は答えた。
チェシャ猫ね、ハッハッハ・・・と彼は笑った。・・・それから結婚したが、娘が生まれて、まだこんなにちっちゃいうちに(と、彼は手で高さを示して見せた)、・・・女房はガンで死んだよ。・・・
イーサフを発つとき、彼は私の肩を叩いて、幸運を祈る、と言ってくれた。ジョンがチェシャへ戻るのと入れ替わりに、デイヴィッドが戻ってきた。
デイヴィッドはジョンとは親戚同士のはずだが、顔はあまり似ていなかった。垢抜けない、田舎くさい顔だちで、寝ぐせの髪をいつも斜めにくしゃっとおっ立てていた。
彼は実際的な人間だった。万事に抜かりなく、金の計算にはこまかく(だからといって誰が彼を責められよう?・・・)、滞在客の福祉よりも、自分が定めた秩序のなかで采配を揮うことの方により重きをおいていた。
たとえばこんなことがあった・・・ 納屋には鍵がかからないので、中にいると、牧草地にテントを張っているキャンプ客がトイレと間違えて、いきなりドアを開けて入ってくることがよくあった。そのたびにこっちはぎょっとして飛び上がることになる・・・落ち着かないし、不愉快である。
あまりたび重なったので業を煮やし、「・・・ここはトイレではない。ノックしてくれ!」と大書した貼り紙をドアに貼っておいた。
ところがそれを見たデイヴィッドは、こともなげに破りとって捨ててしまった。客の分際で貼り紙するなどけしからんと思ったのだか、どうだか知らない。・・・
それでも、大概においては、私にとってはジョンよりもありがたいくらいだった。というのは、彼は私に何の興味ももたずに放っておいてくれたからだ。そのころ私はほんとうに衰弱していたので、ものを聞かれて答えるにもひと苦労だったのだ。・・・
それからベンがいる・・・ベンはデイヴィッドの弟だか、兄だかだった。顔は瓜ふたつだが、こちらには知性のひらめきといえるようなものがなく、唇の一方の端からはいつもよだれの雫が垂れていた。
畜舎の一画、戸口のそばの掛け釘にはいつも彼の防水外套がかかっていたし、暗くなるとランプが灯っていたから、そこに寝起きしていたのだと思う。・・・ 家畜の世話や家まわりの雑仕事が彼の日課で、しじゅうぶつぶつ独り言をいいながら、バケツやデッキブラシをもってうろうろしていた。
客用の離れの掃除も彼の業務範囲らしかった。ジョンは入るときノックしてくれたし、デイヴィッドは大声で...All right? と言いながら入ってくるので分かるのだが、ベンはほかの客たちと同じく、いきなり開けて入ってくる。「ノックしてくれ!」と貼り紙しておいてもまるで馬耳東風で、はじめは呆れていたのだが、そのうち、もしかしたら彼奴、字が読めないのかもしれない、と気がついた。
しまいには、いきなり扉が開くとベンだな、と分かるので顔を上げもしなくなった。私が中にいるのを見ると、彼はいつも...Oh, bet!...と呟いてそそくさと姿を消してしまう。・・・
さいしょの滞在のとき、イーサフの家にはほかにデイヴィッドの細君と、彼の母親らしい老婦人とがいた。
細君は小柄な女で、油っけのないぱさぱさした金髪を短く切っていた。性格も、油っけがなくてぱさぱさしていた。
金曜の晩、まっくらになってから私を納屋から素気なく追い出したのは彼女である。それでも別に悪気があったわけではない。・・・
イーサフの通用口の呼び鈴をならすと、出てくることがいちばん多いのが母親の老婦人だった。
私はそのとき三日ごとに泊まり賃を払っていたので、そのために鳴らすのがおもだった。
いつもきれいに、きちんと身づくろいしていて、人形のように滑らかな頬には頬紅を塗っていた。
が、その頬の右下のところからはオレンジくらいの大きさの瘤が重たく垂れ下がっていて、そのせいか、あるいは年のせいか分からないが、ひどくのろのろと、大儀そうに口をきくのだった。
呼び鈴の音をきくと、足をひきずりひきずり、ゆっくりと戸口のところへやってきて、それからぱっと扉を開けて顔を突き出す、そのようすはカッコー時計のカッコーを思い出させた。それから、人の顔を見ると片腕をぎこちなく斜め上へ伸ばして、「・・・今日もあいかわらずの雨ね」とか、「・・・あいかわらず風がひどいようね!」とか、開口一番、必ず天気のことを口にする、そのようすも何となくカッコーのようだった。・・・
それは少しばかり奇妙な家族で・・・彼らを見ていると、私は何となく、ウィンパーの<アルプス登攀記>の一節を思い出した。アルプスの奥地の村々で、容易に人が行き来できないことから近親結婚が多く、そのためにもたらされる弊害について触れた一節を。・・・
* *
イーサフの動物たち。・・・
牛が数頭、馬が数頭、それからここら一帯を歩きまわる羊たち、・・・犬たち、猫たち、あひるや鶏たち。・・・
目に慰めとなるのは猫たちである・・・ 人を見るとするりと逃げ出してゆく飴色のぶち猫に、甘ったれてニャアンとすり寄ってくる、絹のようにつややかなまっ黒い猫もいる。・・・
冬のあいだはとくに毛が密に生えて、よく肥えて手触りもいい。・・・犬どもが突っ込んできたとみると慌てず騒がず、慣れた仕草でひらりと窓敷居に飛び上がる。・・・
間一髪でかわされた犬たちは、毎度のことだろうに、いちいちむきになって吠えたてる。・・・犬はテリヤが何匹か。・・・走り回っては、見境なく何にでも吠えつく連中だ。・・・
家禽どもは中庭のあたりをいつもうろうろしている。色んなのがいて楽しい・・・ 鶏だけでも、白いのや、こくのある金色をしたのや、みどりに光るおしゃれな黒い飾り羽をもったのや。・・・
あひるに、鵞鳥に、七面鳥に、淡い水玉模様のほろほろ鳥もいる・・・ 日がないちにち、うろついてはえさをつつき、水たまりからすこしずつ水を飲む。・・・人が通ると、何となく期待するようすで近づいてくるが、用心深く距離をとって、危険は冒さぬようにと心している。・・・
4. イーサフの食卓

これらの日々のあいだ、別に召使いがいるわけでもなくて、身のまわりの雑仕事、洗濯したり乾かしたり、買い出しや食事の仕度など、ぜんぶ自分でやっていたから、そうしたことのために一日のかなりの時間をとられた。
衣類は荷を軽くするためにごくわずかしかもって来ていなかったので、洗濯もそう大がかりになることはなかったが、無意味に同じことを繰り返しているようで楽しくなかった。
納屋に広げておいてもいつまでも乾かないので、料理部屋のストーヴのそばで、椅子の背にかけて干すことにしていた。
買い出しは、行きそびれると食事にありつけなくなるから絶対に必要だったし、一日に数本しかないバスを、行き帰りともにまちがいなくつかまえるのはかなり神経のすり減るものだった。
けれどもそれは同時にまた楽しみで、途中の行程のすべてが目に喜びだった。
今日は<ピナクル>にしようか、ベティソまで足をのばそうか、はたまたベセスダへ行きがてら、ナント・フランコンの雄大な景色を眺めてこようか・・・ 各ルートの風景を思い浮かべながら買い出し先を選んだものだ。
じっさい、たびたび行き来するうちに親しんだ道のりの、多くは買い出しに通ったルートだった。
朝食と夕食は、きちんと煮炊きしてつくるのが習慣だった。
冬に滞在したあいだは、朝には油っけのない英国式朝食のようなものを、いつもつくっていた。
旅行中は油は持ち歩かなかった・・・旅の身には始末が悪いし、結局、なければないですませられるものなのだ。
ジャガイモを皮ごと薄く刻み、ごく少量の水を入れて火にかけて、あるていど火が通ったところでやはり薄切りにしたマッシュルームと缶詰のトマトと卵をひとつ割り入れて、塩コショウを加え、卵がほどよく固まるまでことこと煮こんだ。
それに、ベティソコイドのベーカリーで買ってくる自家製の茶色いパンを二切れくらいか、またはフルーツミューズリ・・・ライ麦やオート麦の砕いたものに、数種類の干し果物を加えたもの・・・とブラックコーヒー、それがイーサフで冬を過ごしていたときの日常的な朝食だった。パンはトースターが調子悪くて使えないので、料理ストーヴの火で焙って食べていた。
夕食は体があたたまるように、いつもポリッジかシチューだった。いちばん多かったのは玄米のポリッジで、これにガーデン・ピーやキドニー・ビーンズ、小口に切ったスプリング・オニオンなどを加えて煮こんだものだった。またはそこに魚の缶詰など加えることもあった。
味つけはいつも塩コショウだけ。具はあまり何種類も入れず、シンプルな方が味がよいことに気がついた。これはほかの多くのことにも言えるだろう。・・・
滞在中は、手持ちの食料をぜんぶひとつの袋にまとめて、料理部屋の台の上に置いておいた。
料理部屋は、ストーヴを使っているときにはかなりあたたかくなるので、生の肉を置いておくわけにはいかなかった。
だから肉を料理することはできず、貧血を予防するため、ときどき、週末などには、騒がしい登山客の一団がやってくる前の早い時間にピナクル・カフェに行って朝食をとったりしていた。
ここの朝食についてくる厚切りのベーコンはいやがらせのように塩辛く、何も味をつけていない卵やジャガイモと一緒なら何とか食べられるというていのものだった。だが、イギリスじゅうのあちこちで食べたベーコンも大概そんなものだ。
ピナクル・カフェは、人であまりごった返していないかぎり、なかなか居心地のいいところだった。
冬の朝に体をあたためてくれる英国式朝食は、夏には少しばかり向かなかった。
三度目の、夏の滞在のときは、朝はパンかビスケットにゆで卵、リンゴなど、もっと簡単な食事ですませていた。
このたびの滞在では、冷蔵庫を使わせてもらうことができたので、肉も買ってきて調理することができた。
夜には例のごとくポリッジをつくるほか、豚肉に刻んだキャベツや玉ねぎやトマトを加えてことこと煮たシチューなどをよく食べていた。
材料をひとつひとつ洗い、ナイフでこまかく刻み、火加減や塩加減を注意深く見ながら煮詰める作業は、丁寧さや集中や手間をいとわぬこまやかさが求められるが、そのあいだじっくりと心を傾けて考えごとをするのにも適していた。
それはどこかしら、想念をひとつひとつ吟味し、配列を考えて組み合わせ、丁寧に煮詰めていってひとつの断章をつくりあげる作業にも似ていた。
そのせいか、とりわけ夕食をすませてのち、紅茶かコーヒーを淹れてくつろぎながら、外は吠えたける暗やみ、おだやかな灯りの片ほとりにぐずぐずと居残ってすごす時間は気分が出て、ものを書き記すには最高だった。
この書における山や雲や岩地についての描写の最良の部分は、すべてこうした状況で書かれたものだ。・・・
5. イーサフの山々

当地の山々は、一刻としておなじ姿のままにとどまっていることがない・・・なべては生々流転、たたずんでうち眺めるほどに劇的に変わってゆく、なべては光と風と雲の織りなす、めくるめく変化(へんげ)のドラマである・・・
あとからあとから、風は峰々のかなたから雲の群れを運んでくる、鳴きたてる羊の群れのように、雲片はゆきまどい、広大に盛り上がったなだらかな丘の背に沿って這い、その裾を引きずって、いくえにもうち重なって流されてゆく・・・
鋭い峰々の頂きでは、それらはとりわけ複雑な動きを見せる、岩々のあいだを分かれたり、再び出会ったりしながら流されてゆく、川床を流れる水の流れのように。・・・切り立った岩壁につきあたっては進路を変え、ときほぐれながらゆっくりとこちらに降りてくる、あるいはまた向こう側、壮大に開けた<蛇の谷>に向かって吹き流されていったりする・・・ 峰と峰のあいだでは 渦巻いてほどけながら流されゆき、少しするとまた別の渦ができたりする・・・
雲はしばしば山々の頂きをすっかり覆ってしまう、何か秘密を隠しているように見える・・・ 雲のなかにあるとき、山々のうえでどんなことが起こっているのか知るすべはない、地表から何かが取り去られ、あるいは天界から何かがそっと届けられているのかもしれない・・・ 雲の天幕で隠された一瞬のあいだに、なにか重要な儀式が行なわれているのかもしれない・・・誰が知ろう?・・・ ここは天と地が歩み寄って出会うところ、ふたつの世界が近しくなって、その行き来を可能にする場所なのだ・・・
かなたの丘々のあたりでは、時折、雲の切れ目から光が差しこむと その斜面は突如、ゆたかな表情をもって光と影のまだら模様を打ち出し・・・ それらがまた、雲塊の移りゆくについれて見るまに移りゆき、色を得ては失い、また得ては失ってゆくのだった・・・
ある日の午後のことだったが、丘々の斜面をうち守るほどに、暗く沈んだチャコールグレーのなかにかすかに一条、あかるい卵色のすじが射し、そのあかるみが少しずつ ゆっくりと広がって、やがて立ち枯れたワラビの赤茶色や、ゴースのくすんだモスグリーンや、牧草地のやわらかいピーグリーンを巻きこんで さらに広がってゆく・・・
しばらくすると、丘のぜんたいに広がった そのあかるみ自体がゆっくりと移動してなかば縞模様に、なかばまだらに、尾をひいては向こうからやってくる、巨大なチャコールグレイの雲影にまたその場所を譲るのだった、・・・ほんのいっときのあいだのことだったのに、まるでひとつの帝国が生まれ、富み栄え、滅びてゆくようすを 時の流れの中にしずかに不動に立つ大岩の上から眺めていたかのようであった・・・
6. イーサフの羊たち

夜明け
羊たち
追ってゆく・・・
何かの切れ端に書きなぐったメモ。
それを目にするだけで、あの谷で過ごした冬の夜明けが、手を伸ばせば触れるほどにいきいきと甦ってくるのだ・・・
当地では、一年の半分は霧と雲とに閉ざされ、あとの半分はそれに加えてたえまなく吹きつける風にさらされている・・・ 剥き出しの岩壁のあいだを吹きぬける風は荒々しく、凶暴だ・・・ ごうごう唸り、突然向きを変えてうねり、叩きつけ、怒りの発作のように吠えたける・・・
狂ったように吹きすさぶ晩はとりわけ、どっしりと堅固な石壁に守られて家の中にあることがありがたい・・・ けれども、灯りを消して床に就き、まっ暗闇のなかで山々のあいだを駆け抜ける風の音に耳を傾けていると、あいだに隔てるものが何もなくて、狂気がすぐそばにあるのが分かる・・・ この暗やみのなかで、雲は舞い、吹きちぎれ、星々を隠して飛び掠めてゆく・・・ おそるべき力、おそるべき大きさだ、この土地は人のかたちになじまない土地なのだ・・・
風の強い夜明け、青い薄明かりの窓辺に立つと、きのうまでは誰もいなかった野に、急に出現した幻獣の群れのように、一面に羊たちの白い影が散らばっていることがある・・・
みどりとベージュの秋草が吹き分けられ、彼らの白い背中も吹き分けられる、彼らは意に介さない、黙々と一心に草を食みつづける・・・
扉を開けて野へ出てゆくと、みんなしていっせいに同じ方向へ、流れるように移動してゆく、夢のように。・・・ 身を守るすべといっては何ももたない、愚かで弱々しい羊たち、けれどもかように荒々しい土地にあってなお 彼らの無邪気な姿を目にすることができるのには、どこかしら心慰むものがあった。・・・
私は、羊が好きではなかったのだ。その姿を見ると、どうしてもキリスト教を思い起こさせられたからだ。・・・
それでもなお。・・・
こちらに来てはじめて、つくづくと羊たちの姿を観察するようになった。・・・そのとぼけた微笑ましさ、ぷっくりと太った、毛足のながい胴体を支えるきゃしゃな脚、猫の脚にエナメル靴を履かせたようで、後ろ姿も何となく太った猫に似ている・・・
足を運ぶにつれて、長い尻尾がお尻のところでひょろんひょろんと間抜けにゆれる。こちらに背を向けて石垣の上にちょこんと丸くなっていたかと思うと、手を伸ばせば触れるくらいのところまで来て、急にこちらの気配に気づき、弾かれたように飛び上がってすたこら逃げていったりする・・・
臆病なくせに好奇心が強く、人の姿を見ると首を上げて何者だろうと眺めやる。・・・ なかの一匹は とりわけ開拓者精神が旺盛で、のびあがって新しい草地があると見るとこっそり裏庭に入りこんで来て、こっちの草はどんなものかと味見してみたりする、スガンさんの雌山羊みたいに。・・・
谷の向こうの斜面にも羊たちが散らばって うじの子たちのように彷徨っていて、ときどき妙に整列して同じ方向に向かっているなと思うと、羊飼いが大声をあげて、群れ全体を追い立てていることがある・・・ その声が、あんなにとおくなのにこっちまでよく響きわたる。白く浮き上がって見える芥子粒が羊で、そのまわりを狂ったように駆けまわる、丘と似たような色のはっきりしない点が犬である・・・
羊飼いの叫び声、群れの鳴きたてる音、犬の吠え声が入りまじってすさまじい騒ぎだ、丘はとても広いので、ぜんぶを集めるには時間がかかる・・・ けれどもしまいには一匹残らず集められて、列をなして丘の坂道を登ってゆく・・・民族大移動である・・・
彼らの姿が消えたあとは、ぽっかりと何もない、完全な静けさばかり。・・・
ガチガチの岩山の、とんでもなく高いあたりにも、彼らの姿はある。どんなに風が吹きつけても、どんなに雨が叩きつけても、踏みとどまって、どこにも隠れることはない、しずかに草のあいだにうずくまり、おだやかな顔で草を噛みつづけている・・・ 彼らは何と・・・強いのだろう・・・

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常若(とこわか)の水の調べ The River of Eternity
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

1. 物語<常若の水の調べ>
2. イーサフの宿
3. イーサフの人々
4. イーサフの食卓
5. イーサフの山々
6. イーサフの羊たち
***************************************
1. 物語<常若の水の調べ>

夏でも冷たいひとすじの清流が、バングログ谷の底を走る。
エーハフをすぎ、イーサフをすぎ、そしてここへ通じている。
カペル・キュリグの三叉路、<ピナクル>のせりあがった裏手。
ここには石の橋がかかって、その下をこの流れが、いきおいよく流れ下っている。
この谷の剥き出しの丘陵風景のなかで唯一、この流れのまわりだけに、みどりゆたかな木立が茂っているのだ。
この橋の上から眺めると、両の木立が枝を差し伸べてアーチをつくり、夏にはすずしい木陰を、秋にはベティソコイドに住んだ画家たちの手になる風景画のような彩りを供している。・・・
<ピナクル>でバスを待つことは多かったから、しょっちゅう、橋ごしに川の流れを眺めにいった。しゅうしゅう泡だって走る清涼な流れのなかに、私はいつもひとつの顔を見た。
それは川の神の面差しで、ゆたかな真っ白な髪に、顔は青年のように若々しく、氷のように澄んだ、あかるい青い目をしていた。その奇妙なコントラストは目を引いて、忘れがたかった。
さいしょに見たとき、私は宿に戻ってからその顔をスケッチし、・・・そしてそれは今でも私の手元にある。・・・その顔は、不毛の荒野を潤すように、この世にあってとうてい成し得ない事がらをそれでも成し遂げようとして日々挑みつづける、なべてそういうものたちの具現なのだ。・・・
むかし、川の神が谷床を巡る旅をしていて、バングログ谷にさしかかった。
「私は地のおもてをゆき巡ってきたが、見よ、こんなにも不毛な場所ははじめてだ。
私はこの谷を潤そう、ぜひともみどりゆたかな森に変えてみせよう」
それを聞いて、バングログ谷の山の神々は彼に言った、
「やるだけ無駄だよ、この谷に木が生えないことは誰でも知っているし、それにはそれだけの理由があるのだ。
お若いの、何をお前さんは自然の摂理に逆らって、大地を説得しようとするのかい?」
すると川の神は言った、
「やってみないで、どうして分かる? 君らはなぜこの谷に木が生えないか、どうしたら木を生やすことができるか、ほんとうに考えようとしたことがあるだろうか。
見なさい、私は川の神、命のみなもとたる水を司る者だ。
この私が谷床にとどまって、この谷を変えられないか賭けよう」
こうして川の神はバングログ谷にとどまって、その底に身を沈めた。
渾身の力をこめて谷をうるおし、その岩地の心に分け入ってゆこうとした。
百年たって、木の芽が芽吹いた。
さらに百年たって、ようやく木といえるようなものに育った。
でも、それ以上にはならなかった。それから何千年のときを経ても。・・・
そう、それからはるかながい時がすぎて、いまも彼はこの川床にいて、谷をみどりに変えようと挑みつづけている。
いまではその周辺に、わずかにひとすじ、うるわしい木立が育つ。
それは彼がいまも挑みつづけているあかしなのだ。
夏、雨が少なくなると流れは痩せ細るが、枯れてしまうことはない。
それは彼がその心に、永遠の若さを持ちつづけているからだ。
こうして彼は賭けに勝つことはできなかったが、同時に負けもしなかった。
いや、詳しく言うと、今のところ勝つことはできていないが、いつかその日が来るかもしれない。
それはなべてこの世にあって、不毛の谷を潤そうとして戦いつづけている人びとのあり方なのだ。・・・
後年、ウェールズともアイルランドともまったく関係のない文脈で、私はひとりの人に出会った。
絶望的な状況のもとで、屈することなく、しずかに戦いつづけている人だった。
この人が潤そうとしてたのは、別の種類の荒野だったけれども。・・・
どこかで会ったような気がしながら、似たような人をどこかで知っていたような気がしながら、どうしても思い出せずにいた。
それはこの川の神だったのだ。
彼の魂を受け継ぐ人びとは地下水脈のように世界じゅうに息づいていて、今日もこの世の闇を少しでも照らそうと、もてる光を灯しつづけているのだ・・・
2. イーサフの宿

イーサフには、二度めの冬に半月、三度目の夏にも半月ほど滞在した。
イーサフは、カペル・キュリグの三つ辻からオグウェンに向かって三マイルばかり、道からトロヴァーンの側へ少しひっこんだ、石造りスレート葺きの農家だ。
例に漏れず、母屋のまわりに納屋やら畜舎やら、別棟がいくつもあって、そのうちの一部を改造し、簡素な寝台を取りつけて、滞在客が泊まれるようにしてある。
泊まることのできる離れは二つあった。
大きい方は二十か三十も寝台のあるばかでかい納屋で、石壁の内側をしっくいで塗りこめてある。
窓がひとつもなくて、灯りをつけないと真っ暗だ。
ペンキだかカビだかの独特な匂いが鼻をつき、がらんとして湿っぽくて冷えこんでいる。
ひとりでいるには広すぎて、少し気が滅入る。
けれども、片すみにしつらえた料理場で、夜、明かりをつけてお茶を沸かし、椅子にクッション代わりの枕を二つ三つのせて本など読むのは、けっこう居心地がよかった。
昼には裏手の木戸の扉を開けると、トロヴァーンの黒々とした姿や、向かいの丘々の広がりを見わたせた。
扉のかんぬきがぴったりとできていなくて、閉めておいてもしょっちゅう風で開いてしまい、そうするとよく鶏たちが入ってきた。・・・
片方のはしには一応の料理設備があったが、とくに夏にはネズミが出るので、ここには食料を置かないようにしていた。
ネズミ穴がいくつもあって、見つけるたびに小石と砂利を詰めて塞ぐのだが、すぐまた別のところから、平気の平左で出てくるのだ。
まるで罪のない、つぶらに澄んだ瞳をして、穴をひとつ塞がれたくらいで君のことを悪く思ってないよ、とでも言いたげだった。
しばらくいるうち、よく出るやつの顔を覚えた。
ネズミの世界にも器量不器量はあるもので、一匹は目鼻立ちが整って、品評会にも出せそうなくらい愛くるしかったが、もう一匹は目と鼻のあいだが空きすぎて、どうもまのびした顔つきだった。
茶色い毛並み、きらきら光る黒い目、たえずひくひく動く鼻は、衛生面のことを考えに入れなければ、なかなか可愛らしいといってよかった。
椅子の上でじっと動かずにいると、はじめは警戒していた連中もしだい大胆になって、台の陰から床一帯に遠征しにくるのだった。
調理台の下には、スティーヴンがその不器用な指でチーズをおとりに仕掛けた古典的なネズミ捕りがいくつか置かれていた。
が、ネズミがかかっていたためしはなく、大概はチーズだけがきれいになくなっていた。
もうひとつの泊まり場は、別棟の二階だ。
かつては干草の貯蔵などに使われていたのだろう・・・寝台は六台、こじんまりと小さく、窓があって、薄汚れたガラス越しに谷の向こうの斜面を望むことができた。
ひとりものにははるかにあつらえ向きで、選択の余地があるときには、私はいつもこちらの方に寝起きしていた。
こんな奥深い、淋しい谷にも、週末になると登山客の一群がやってくる。
週末になると私はたいがい納屋を追い出され、外の斜面の湿った草地にテントを張ってすごした。
私は前もって予約した客ではなかったから、優先権はなかったのだ。
これもなかなか厄介なことだった。
とりわけ厄介なのは、彼らがいったいやって来るのか来ないのか、そのときになってみないと分からないということだった。
金曜の午後、来るか来るかと気をもみながら過ごすうちにやがてとっぷり真っ暗になって、今日はさすがにもう来るまいと高をくくっていたところへ一団が到着し、あっけなく追い出されたこともある。
それでも、一応の装備は揃えてあった。
多くは旅をつづけるうちに骨身にしみて必要を感じ、ゆく先々で調達したものだった。
旅空にあって、もつべきものは装備である。
とりわけ当地では、何から何まで完全防水でないとだめだ。
防水外套に加え、モスグリーンの丈夫なゴムびきの長靴、これは雨の日のサセックスの草深い散歩道や、コネマラの湿原を歩くのに手に入れた。
テント。
冬用の厚地の寝袋。
それから、オルトリーブの防水袋。
これは、大嵐のなかをホリヘッドからバンゴールまで移動したときに、いちおう防水布をかぶせていたにもかかわらず、隙間から水が滲みて荷物が中まですっかり濡れてしまったのに業を煮やしたあと、<ピナクル>で見つけた。
こうした装備のおかげで、私はどうやら体を濡らすことも、寒さに凍えることもなく、わりあい快適に過ごしていた。
それでも、牧歌的なキャンプとは言いかねた。
ほとんどいつも強風が打ちつけていたし、雨がぜんぜん降らない晩というのはまずなかった。
それに、結露が冗談ごとでなくひどかった。
朝起きるとテントの底に池ができていて、ボートの水あかをかい出すように、コッヘルと布きれを使って汲み出さねばならなかった。
団体客がやってくると、めんどうごとは宿だけではない。
イーサフ全体が、やたらとせわしなく、騒がしくなって、平和はないし、もの思いに耽ってもいられない。
水を汲みにいこうと思うと井戸がふさがっているし、食事どきには料理部屋が占領されてしまい、したいときに料理もままならない。
そこで週末には、朝起きるとはなから料理をあきらめて、テントから這い出すとそのまま長い散歩に出かけてしまったり、あるいは朝いちばんの馬車をつかまえて、<ピナクル>へ朝食を食べに行ったりしていた。・・・
こうして面倒つづきで、ただひとつところにとどまっているだけのために少なからぬエネルギーをとられ、たとえばイーサフの家族のように、この地に根を下ろして雨風に悩まされることなく、毎晩同じベッドで眠る人々の暮らしを羨まないではなかった。
だが、それにもかかわらず、旅人の身にあって、私はある種得がたい自由を享受していることを知っていた。・・・
彼ら、この土地の人間たちは、おそらく人が思うほど「そこにいること」を享受する余裕を得てはいない。・・・
常にそこにいることで必然的に生じてくる感覚の鈍りに加えて、その常にいるということに伴ってくるもろもろのやっかいごと・・・人間界のあまたのごたごた、持ち物の管理だの、不動産だの、税金だの、政治だの・・・過去に囚われたり、将来を心配したり、この国のほかの場所で起こっている事柄について気をもんだり・・・
そういう彼らの要求や心配事に、私は煩わされることがなかった。
ある意味では、彼らよりもさらにこの土地に近かったと思う。・・・
それは、テントを張って夜を過ごしているととくに強く感じられた。
文字通り岩の凹凸に体を添わせ、風の唸りを夢に聴き・・・夜明けの雲の動きをだれより先に眺め、冷えこんだ空気の匂いを嗅ぐのだった。・・・
持ち物はすべてひとつの袋におさまってしまい、ゆえに心配も袋ひとつ分ですんだ。
過去もなく、未来もなく、ただ印象にみちあふれた現在があるばかりだった。・・・
純粋で透明な魂として、空のいろ風のひびきを感じ取ることができたし、こうして地霊の語る声に耳を傾けることもできたわけだった。・・・
いつまでも無限につづけるわけにはいかない、特殊な生のあり方だったが、詩的に見ればもっとも願わしいあり方のひとつ、詩人たちのうたってきた、よりすぐれた別の生の次元に近づき、ほとんどそれに接するような、そういう生の状態だった。・・・
3. イーサフの人々

イーサフの人々。・・・
はじめてイーサフに滞在したとき、私を迎えてくれたのはジョンだった。
丸顔の、がっしりとした体格で、60代ばかりだったろうか。
たいへん親切な男で、私が滞在中気持ちよく過ごせるようにと、何くれとこまかく世話を焼いてくれた。
・・・正直言うと、時には煩わしいほどだった。
というのは、あのとき、イーサフにたどり着いただけでほんとうに息も絶え絶えだったのだ。
むろん相手はそんなこと知るはずもなく、すぐさま台帳を持ち出してきて、十日先の宿のふさがり具合までこまごまと読み上げてくれようとするので、こっちはどうか少しのあいだしずかに放っておいてくれと、悲鳴を上げたくなったほどだった。
彼はこの谷の出身だったが、若いときにこの谷を離れて以来、ずっと長らくチェシャ州に住んでいた。いまは、一時的に戻ってきているだけだった。イーサフの主であるデイヴィッドが所用で留守をしていたので、そのあいだ客の世話を頼まれて来ていたのだ。・・・
彼には色々と恩がある。
トロヴァーンの名の由来と、三つの石柱について教えてくれたし、ほかにもいくつか、簡単なウェールズ語を教えてくれた。
パリダー(おはよう)、ノースター(おやすみ)、プルグラウ(雨)など。・・・(この、「おはよう」と「おやすみ」の次に「雨」がくるところが、いかにもウェールズらしいではないか?・・・)
話し好きな男だったのだろう、自分の半生を、問わず語りに聞かせてくれた。・・・
彼はここから1マイル上の<エーハフ>で生まれたのだった。けれど、この土地では仕事の口がないのでチェシャに移り住んだ・・・あの頃は、みんな貧しかったものさ。・・・チェシャについて何か知ってるかい?・・・
あの、チェシャ猫だけ・・・と私は答えた。
チェシャ猫ね、ハッハッハ・・・と彼は笑った。・・・それから結婚したが、娘が生まれて、まだこんなにちっちゃいうちに(と、彼は手で高さを示して見せた)、・・・女房はガンで死んだよ。・・・
イーサフを発つとき、彼は私の肩を叩いて、幸運を祈る、と言ってくれた。ジョンがチェシャへ戻るのと入れ替わりに、デイヴィッドが戻ってきた。
デイヴィッドはジョンとは親戚同士のはずだが、顔はあまり似ていなかった。垢抜けない、田舎くさい顔だちで、寝ぐせの髪をいつも斜めにくしゃっとおっ立てていた。
彼は実際的な人間だった。万事に抜かりなく、金の計算にはこまかく(だからといって誰が彼を責められよう?・・・)、滞在客の福祉よりも、自分が定めた秩序のなかで采配を揮うことの方により重きをおいていた。
たとえばこんなことがあった・・・ 納屋には鍵がかからないので、中にいると、牧草地にテントを張っているキャンプ客がトイレと間違えて、いきなりドアを開けて入ってくることがよくあった。そのたびにこっちはぎょっとして飛び上がることになる・・・落ち着かないし、不愉快である。
あまりたび重なったので業を煮やし、「・・・ここはトイレではない。ノックしてくれ!」と大書した貼り紙をドアに貼っておいた。
ところがそれを見たデイヴィッドは、こともなげに破りとって捨ててしまった。客の分際で貼り紙するなどけしからんと思ったのだか、どうだか知らない。・・・
それでも、大概においては、私にとってはジョンよりもありがたいくらいだった。というのは、彼は私に何の興味ももたずに放っておいてくれたからだ。そのころ私はほんとうに衰弱していたので、ものを聞かれて答えるにもひと苦労だったのだ。・・・
それからベンがいる・・・ベンはデイヴィッドの弟だか、兄だかだった。顔は瓜ふたつだが、こちらには知性のひらめきといえるようなものがなく、唇の一方の端からはいつもよだれの雫が垂れていた。
畜舎の一画、戸口のそばの掛け釘にはいつも彼の防水外套がかかっていたし、暗くなるとランプが灯っていたから、そこに寝起きしていたのだと思う。・・・ 家畜の世話や家まわりの雑仕事が彼の日課で、しじゅうぶつぶつ独り言をいいながら、バケツやデッキブラシをもってうろうろしていた。
客用の離れの掃除も彼の業務範囲らしかった。ジョンは入るときノックしてくれたし、デイヴィッドは大声で...All right? と言いながら入ってくるので分かるのだが、ベンはほかの客たちと同じく、いきなり開けて入ってくる。「ノックしてくれ!」と貼り紙しておいてもまるで馬耳東風で、はじめは呆れていたのだが、そのうち、もしかしたら彼奴、字が読めないのかもしれない、と気がついた。
しまいには、いきなり扉が開くとベンだな、と分かるので顔を上げもしなくなった。私が中にいるのを見ると、彼はいつも...Oh, bet!...と呟いてそそくさと姿を消してしまう。・・・
さいしょの滞在のとき、イーサフの家にはほかにデイヴィッドの細君と、彼の母親らしい老婦人とがいた。
細君は小柄な女で、油っけのないぱさぱさした金髪を短く切っていた。性格も、油っけがなくてぱさぱさしていた。
金曜の晩、まっくらになってから私を納屋から素気なく追い出したのは彼女である。それでも別に悪気があったわけではない。・・・
イーサフの通用口の呼び鈴をならすと、出てくることがいちばん多いのが母親の老婦人だった。
私はそのとき三日ごとに泊まり賃を払っていたので、そのために鳴らすのがおもだった。
いつもきれいに、きちんと身づくろいしていて、人形のように滑らかな頬には頬紅を塗っていた。
が、その頬の右下のところからはオレンジくらいの大きさの瘤が重たく垂れ下がっていて、そのせいか、あるいは年のせいか分からないが、ひどくのろのろと、大儀そうに口をきくのだった。
呼び鈴の音をきくと、足をひきずりひきずり、ゆっくりと戸口のところへやってきて、それからぱっと扉を開けて顔を突き出す、そのようすはカッコー時計のカッコーを思い出させた。それから、人の顔を見ると片腕をぎこちなく斜め上へ伸ばして、「・・・今日もあいかわらずの雨ね」とか、「・・・あいかわらず風がひどいようね!」とか、開口一番、必ず天気のことを口にする、そのようすも何となくカッコーのようだった。・・・
それは少しばかり奇妙な家族で・・・彼らを見ていると、私は何となく、ウィンパーの<アルプス登攀記>の一節を思い出した。アルプスの奥地の村々で、容易に人が行き来できないことから近親結婚が多く、そのためにもたらされる弊害について触れた一節を。・・・
* *
イーサフの動物たち。・・・
牛が数頭、馬が数頭、それからここら一帯を歩きまわる羊たち、・・・犬たち、猫たち、あひるや鶏たち。・・・
目に慰めとなるのは猫たちである・・・ 人を見るとするりと逃げ出してゆく飴色のぶち猫に、甘ったれてニャアンとすり寄ってくる、絹のようにつややかなまっ黒い猫もいる。・・・
冬のあいだはとくに毛が密に生えて、よく肥えて手触りもいい。・・・犬どもが突っ込んできたとみると慌てず騒がず、慣れた仕草でひらりと窓敷居に飛び上がる。・・・
間一髪でかわされた犬たちは、毎度のことだろうに、いちいちむきになって吠えたてる。・・・犬はテリヤが何匹か。・・・走り回っては、見境なく何にでも吠えつく連中だ。・・・
家禽どもは中庭のあたりをいつもうろうろしている。色んなのがいて楽しい・・・ 鶏だけでも、白いのや、こくのある金色をしたのや、みどりに光るおしゃれな黒い飾り羽をもったのや。・・・
あひるに、鵞鳥に、七面鳥に、淡い水玉模様のほろほろ鳥もいる・・・ 日がないちにち、うろついてはえさをつつき、水たまりからすこしずつ水を飲む。・・・人が通ると、何となく期待するようすで近づいてくるが、用心深く距離をとって、危険は冒さぬようにと心している。・・・
4. イーサフの食卓

これらの日々のあいだ、別に召使いがいるわけでもなくて、身のまわりの雑仕事、洗濯したり乾かしたり、買い出しや食事の仕度など、ぜんぶ自分でやっていたから、そうしたことのために一日のかなりの時間をとられた。
衣類は荷を軽くするためにごくわずかしかもって来ていなかったので、洗濯もそう大がかりになることはなかったが、無意味に同じことを繰り返しているようで楽しくなかった。
納屋に広げておいてもいつまでも乾かないので、料理部屋のストーヴのそばで、椅子の背にかけて干すことにしていた。
買い出しは、行きそびれると食事にありつけなくなるから絶対に必要だったし、一日に数本しかないバスを、行き帰りともにまちがいなくつかまえるのはかなり神経のすり減るものだった。
けれどもそれは同時にまた楽しみで、途中の行程のすべてが目に喜びだった。
今日は<ピナクル>にしようか、ベティソまで足をのばそうか、はたまたベセスダへ行きがてら、ナント・フランコンの雄大な景色を眺めてこようか・・・ 各ルートの風景を思い浮かべながら買い出し先を選んだものだ。
じっさい、たびたび行き来するうちに親しんだ道のりの、多くは買い出しに通ったルートだった。
朝食と夕食は、きちんと煮炊きしてつくるのが習慣だった。
冬に滞在したあいだは、朝には油っけのない英国式朝食のようなものを、いつもつくっていた。
旅行中は油は持ち歩かなかった・・・旅の身には始末が悪いし、結局、なければないですませられるものなのだ。
ジャガイモを皮ごと薄く刻み、ごく少量の水を入れて火にかけて、あるていど火が通ったところでやはり薄切りにしたマッシュルームと缶詰のトマトと卵をひとつ割り入れて、塩コショウを加え、卵がほどよく固まるまでことこと煮こんだ。
それに、ベティソコイドのベーカリーで買ってくる自家製の茶色いパンを二切れくらいか、またはフルーツミューズリ・・・ライ麦やオート麦の砕いたものに、数種類の干し果物を加えたもの・・・とブラックコーヒー、それがイーサフで冬を過ごしていたときの日常的な朝食だった。パンはトースターが調子悪くて使えないので、料理ストーヴの火で焙って食べていた。
夕食は体があたたまるように、いつもポリッジかシチューだった。いちばん多かったのは玄米のポリッジで、これにガーデン・ピーやキドニー・ビーンズ、小口に切ったスプリング・オニオンなどを加えて煮こんだものだった。またはそこに魚の缶詰など加えることもあった。
味つけはいつも塩コショウだけ。具はあまり何種類も入れず、シンプルな方が味がよいことに気がついた。これはほかの多くのことにも言えるだろう。・・・
滞在中は、手持ちの食料をぜんぶひとつの袋にまとめて、料理部屋の台の上に置いておいた。
料理部屋は、ストーヴを使っているときにはかなりあたたかくなるので、生の肉を置いておくわけにはいかなかった。
だから肉を料理することはできず、貧血を予防するため、ときどき、週末などには、騒がしい登山客の一団がやってくる前の早い時間にピナクル・カフェに行って朝食をとったりしていた。
ここの朝食についてくる厚切りのベーコンはいやがらせのように塩辛く、何も味をつけていない卵やジャガイモと一緒なら何とか食べられるというていのものだった。だが、イギリスじゅうのあちこちで食べたベーコンも大概そんなものだ。
ピナクル・カフェは、人であまりごった返していないかぎり、なかなか居心地のいいところだった。
冬の朝に体をあたためてくれる英国式朝食は、夏には少しばかり向かなかった。
三度目の、夏の滞在のときは、朝はパンかビスケットにゆで卵、リンゴなど、もっと簡単な食事ですませていた。
このたびの滞在では、冷蔵庫を使わせてもらうことができたので、肉も買ってきて調理することができた。
夜には例のごとくポリッジをつくるほか、豚肉に刻んだキャベツや玉ねぎやトマトを加えてことこと煮たシチューなどをよく食べていた。
材料をひとつひとつ洗い、ナイフでこまかく刻み、火加減や塩加減を注意深く見ながら煮詰める作業は、丁寧さや集中や手間をいとわぬこまやかさが求められるが、そのあいだじっくりと心を傾けて考えごとをするのにも適していた。
それはどこかしら、想念をひとつひとつ吟味し、配列を考えて組み合わせ、丁寧に煮詰めていってひとつの断章をつくりあげる作業にも似ていた。
そのせいか、とりわけ夕食をすませてのち、紅茶かコーヒーを淹れてくつろぎながら、外は吠えたける暗やみ、おだやかな灯りの片ほとりにぐずぐずと居残ってすごす時間は気分が出て、ものを書き記すには最高だった。
この書における山や雲や岩地についての描写の最良の部分は、すべてこうした状況で書かれたものだ。・・・
5. イーサフの山々

当地の山々は、一刻としておなじ姿のままにとどまっていることがない・・・なべては生々流転、たたずんでうち眺めるほどに劇的に変わってゆく、なべては光と風と雲の織りなす、めくるめく変化(へんげ)のドラマである・・・
あとからあとから、風は峰々のかなたから雲の群れを運んでくる、鳴きたてる羊の群れのように、雲片はゆきまどい、広大に盛り上がったなだらかな丘の背に沿って這い、その裾を引きずって、いくえにもうち重なって流されてゆく・・・
鋭い峰々の頂きでは、それらはとりわけ複雑な動きを見せる、岩々のあいだを分かれたり、再び出会ったりしながら流されてゆく、川床を流れる水の流れのように。・・・切り立った岩壁につきあたっては進路を変え、ときほぐれながらゆっくりとこちらに降りてくる、あるいはまた向こう側、壮大に開けた<蛇の谷>に向かって吹き流されていったりする・・・ 峰と峰のあいだでは 渦巻いてほどけながら流されゆき、少しするとまた別の渦ができたりする・・・
雲はしばしば山々の頂きをすっかり覆ってしまう、何か秘密を隠しているように見える・・・ 雲のなかにあるとき、山々のうえでどんなことが起こっているのか知るすべはない、地表から何かが取り去られ、あるいは天界から何かがそっと届けられているのかもしれない・・・ 雲の天幕で隠された一瞬のあいだに、なにか重要な儀式が行なわれているのかもしれない・・・誰が知ろう?・・・ ここは天と地が歩み寄って出会うところ、ふたつの世界が近しくなって、その行き来を可能にする場所なのだ・・・
かなたの丘々のあたりでは、時折、雲の切れ目から光が差しこむと その斜面は突如、ゆたかな表情をもって光と影のまだら模様を打ち出し・・・ それらがまた、雲塊の移りゆくについれて見るまに移りゆき、色を得ては失い、また得ては失ってゆくのだった・・・
ある日の午後のことだったが、丘々の斜面をうち守るほどに、暗く沈んだチャコールグレーのなかにかすかに一条、あかるい卵色のすじが射し、そのあかるみが少しずつ ゆっくりと広がって、やがて立ち枯れたワラビの赤茶色や、ゴースのくすんだモスグリーンや、牧草地のやわらかいピーグリーンを巻きこんで さらに広がってゆく・・・
しばらくすると、丘のぜんたいに広がった そのあかるみ自体がゆっくりと移動してなかば縞模様に、なかばまだらに、尾をひいては向こうからやってくる、巨大なチャコールグレイの雲影にまたその場所を譲るのだった、・・・ほんのいっときのあいだのことだったのに、まるでひとつの帝国が生まれ、富み栄え、滅びてゆくようすを 時の流れの中にしずかに不動に立つ大岩の上から眺めていたかのようであった・・・
6. イーサフの羊たち

夜明け
羊たち
追ってゆく・・・
何かの切れ端に書きなぐったメモ。
それを目にするだけで、あの谷で過ごした冬の夜明けが、手を伸ばせば触れるほどにいきいきと甦ってくるのだ・・・
当地では、一年の半分は霧と雲とに閉ざされ、あとの半分はそれに加えてたえまなく吹きつける風にさらされている・・・ 剥き出しの岩壁のあいだを吹きぬける風は荒々しく、凶暴だ・・・ ごうごう唸り、突然向きを変えてうねり、叩きつけ、怒りの発作のように吠えたける・・・
狂ったように吹きすさぶ晩はとりわけ、どっしりと堅固な石壁に守られて家の中にあることがありがたい・・・ けれども、灯りを消して床に就き、まっ暗闇のなかで山々のあいだを駆け抜ける風の音に耳を傾けていると、あいだに隔てるものが何もなくて、狂気がすぐそばにあるのが分かる・・・ この暗やみのなかで、雲は舞い、吹きちぎれ、星々を隠して飛び掠めてゆく・・・ おそるべき力、おそるべき大きさだ、この土地は人のかたちになじまない土地なのだ・・・
風の強い夜明け、青い薄明かりの窓辺に立つと、きのうまでは誰もいなかった野に、急に出現した幻獣の群れのように、一面に羊たちの白い影が散らばっていることがある・・・
みどりとベージュの秋草が吹き分けられ、彼らの白い背中も吹き分けられる、彼らは意に介さない、黙々と一心に草を食みつづける・・・
扉を開けて野へ出てゆくと、みんなしていっせいに同じ方向へ、流れるように移動してゆく、夢のように。・・・ 身を守るすべといっては何ももたない、愚かで弱々しい羊たち、けれどもかように荒々しい土地にあってなお 彼らの無邪気な姿を目にすることができるのには、どこかしら心慰むものがあった。・・・
私は、羊が好きではなかったのだ。その姿を見ると、どうしてもキリスト教を思い起こさせられたからだ。・・・
それでもなお。・・・
こちらに来てはじめて、つくづくと羊たちの姿を観察するようになった。・・・そのとぼけた微笑ましさ、ぷっくりと太った、毛足のながい胴体を支えるきゃしゃな脚、猫の脚にエナメル靴を履かせたようで、後ろ姿も何となく太った猫に似ている・・・
足を運ぶにつれて、長い尻尾がお尻のところでひょろんひょろんと間抜けにゆれる。こちらに背を向けて石垣の上にちょこんと丸くなっていたかと思うと、手を伸ばせば触れるくらいのところまで来て、急にこちらの気配に気づき、弾かれたように飛び上がってすたこら逃げていったりする・・・
臆病なくせに好奇心が強く、人の姿を見ると首を上げて何者だろうと眺めやる。・・・ なかの一匹は とりわけ開拓者精神が旺盛で、のびあがって新しい草地があると見るとこっそり裏庭に入りこんで来て、こっちの草はどんなものかと味見してみたりする、スガンさんの雌山羊みたいに。・・・
谷の向こうの斜面にも羊たちが散らばって うじの子たちのように彷徨っていて、ときどき妙に整列して同じ方向に向かっているなと思うと、羊飼いが大声をあげて、群れ全体を追い立てていることがある・・・ その声が、あんなにとおくなのにこっちまでよく響きわたる。白く浮き上がって見える芥子粒が羊で、そのまわりを狂ったように駆けまわる、丘と似たような色のはっきりしない点が犬である・・・
羊飼いの叫び声、群れの鳴きたてる音、犬の吠え声が入りまじってすさまじい騒ぎだ、丘はとても広いので、ぜんぶを集めるには時間がかかる・・・ けれどもしまいには一匹残らず集められて、列をなして丘の坂道を登ってゆく・・・民族大移動である・・・
彼らの姿が消えたあとは、ぽっかりと何もない、完全な静けさばかり。・・・
ガチガチの岩山の、とんでもなく高いあたりにも、彼らの姿はある。どんなに風が吹きつけても、どんなに雨が叩きつけても、踏みとどまって、どこにも隠れることはない、しずかに草のあいだにうずくまり、おだやかな顔で草を噛みつづけている・・・ 彼らは何と・・・強いのだろう・・・

瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) 目次へ戻る
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