2012年12月09日
喪失から救い出すⅢ


これを撮れたことで、私はもう、ほぼ満足だ。
前の記事の廃屋は湖畔にあったから、最悪ほとりをぐるっと回っていけばいつかは見つかるだろうと思ってた。
けれど、この場所はほんとに、記憶しか手がかりがなかったから。見つけたときはしんから嬉しかった。

近くにとってもアンドリュー・ワイエスな草むら。
ワイエス的なショットを撮りたくなった。
日が傾くと急に風が出て、急にすごく寒い。残照の、さいごの光で。
2012年12月09日
喪失から救い出すⅡ


このフォトジェニックな廃屋は、湖畔にあったというのだけ覚えていた。
自分の心の望みへと辿る、巡礼の旅。
インスピレーションを与えたのは私といえ、ひとの構図を再現するのって難しい。
髪のちょっとしたかかり方、体の微妙なライン。絵を模写するような演習。
当然ながら、元の写真にいちばん近いショットが作品としていちばんいいわけではないし。
できっこないと諦めたらそこで終わり。
手足の代わりに三脚を、瞳の代わりに鏡を。何でも屋の究極、劇団以上だ。
2012年11月30日
喪失から救い出す


11月の連休。この春、私の手に何も残らなかった仕事の一部を、この手で取り戻しに出掛けた。
あの日、私は自分に誓ったのだ。
いいえ、決して。このままでは終わらない。君の注いだ時間とエネルギーをムダにはさせない。必ずこの手で奪い返してみせる。

舞台を撮るために手に入れていた三脚に加え、レリーズとそれをデジカメに固定するためのシャッターベルト。
あの日と同じ化粧と服、あの日と同じ光を選び、記憶を頼りにあの日の消防車を探しあてる。
レリーズとシャッターボタンがなかなかうまく噛みあわない。毒づきながら、何度も何度も、同じ愁いを帯びた表情とポージング。


まだまだ満足のいく仕上がりじゃない。もっともっと、技術を改良する道を探っていかないと。
「ほしいものがあったら自分で手に入れなきゃだめ」-マドンナ