2018年02月02日

ホテル・ノスタルジヤ(1)


  

1.

かなたからしだいに近づいてくる、ゴトゴトいう音、汽笛のひびき。
チャコールグレイ一色の、冬の田園。その中を突っ切って列車がゆく。
広大な大地を遥かに見渡しても、同じ景色がどこまでも果てしなくうちつづくばかり。・・・

車窓には、ものうげに片肘ついて外を眺めるイレーヌの横顔。
蜂蜜色の髪に縁どられて、少し逆光の。・・・

葉の落ちた梢のフレームごしに広がる田園のようす。
日の短い冬の日の午後、曇り空はすでにうっすら青みを帯びている。
少し霧がかった野の向こう、列車が現れ、こちらに向かって走りすぎてゆく。
やがて田園に、しずかに雪が舞いはじめる。ガトー・ショコラに粉砂糖をふりかけるように、沈んだ大地を白く染めてゆく。・・・

しだい、車窓は郊外の景色にとって代わり、工場やうらぶれた高層住宅などの長々つづく・・・そのあと、ようやくパリの街並が姿を見せ始める。そして列車はいま、すっかり雪化粧した夕暮れのグランド・モンパルナス駅の巨大なガラス天井のもとへ滑りこむ・・・

列車から、重たいスーツケースとともに、プラットフォームに降り立つイレーヌ、焦げ茶色のブーツがカツカツと心細げな音を立てる。
コラージュを散りばめるように、細かいカット割で次々と、駅構内や周辺のさまざまな光景が彼女の目に飛びこんでくる、大時計やカフェのテーブル、新聞を並べたキオスク、構内を流れてゆくたくさんの人、人、人・・・ スーツケースを引いて歩いていくイレーヌ、ガラスに映った横姿、流れゆく雑踏のなかで迷ってひとり立ち尽くす、疲れて固くこわばった表情のイレーヌ。・・・
<ホテル・ノスタルジヤ>、物語の始まり。・・・

 ***

 パリ左岸、モンパルナスからほど近い一画、石畳の狭い裏通りのさらにそのどんづまりのところにそのホテルはあった。世間の慌しい時の流れからひっそりと身を隠すように佇む小さなホテル。
 支配人のムッシュウ・ブノワがつけ終えた帳簿を引き出しに放り込み、ひと息ついて窓越しに通りを眺めやると、ぼんやり灯った街灯の光の輪の中に、ちろちろ白いかけらが踊っている。
 おやおや、降り出したよ。けさはひどく冷えたから、どうもそんな気がしていたよ。
 それはその年、パリではじめての雪だった。
 午後をまわってしずかに降り出すと、素知らぬ顔でどんどん積もり、宵の口にはけっこうな深さになった。
 漂流した船が流れ着くように、少女イレーヌがふらりとこの町にやってきたのもこの日のことだった。
 積もったばかりのやわらかい雪を踏み分けて路地を抜け、華奢なブーツの足跡を残して、重たい革のスーツケースをガラガラひっぱって、ストーヴのそばでうとうとしていたムッシュウ・ブノワを呼び鈴で叩き起こした。
「部屋、ひとつ空いていますか。隅っこの小さなとこでいいんですが…」
 ムッシュウ・ブノワが彼女を案内したのは、階段を上がって突き当たり、うすみどり地の花柄の壁紙の、狭いながらも気もちよくしつらえた小部屋だった。
「こんな具合でいかがかね、お嬢さん?」
「いいわ。…ちょうど望んでいた通りの感じだわ」
「それではごゆっくり。ご用があれば、何なりと」
 部屋に入ると、彼女は服のままベッドに倒れこんで、そのまま数時間も眠ってしまった。何やらひどく疲れているようだった。そのまに外の闇はいよいよ深みをまし、雪はさらに積もりつづけた。
 翌朝、彼女が降りてくると、食堂のガラス越しに見える通りは一面の雪景色だった。
 イレーヌは小さな子供のように目を丸くして、ガラスに両てのひらをついた。
 やや重苦しい樫材の調度に囲まれてコーヒーをすすっていると、ムッシュウ・ブノワがたずねた。
「いつまでのご滞在で、お嬢さん?」
「えーと、分からないの、」と彼女は答えた。「一週間か十日か、場合によってはもっと」
 ムッシュウ・ブノワは肩をすくめた。「うちの連中、そんなのばっかりだ…」
 けれど、口に出しては慇懃にこう言った。
「それはそれは、けっこうなことで。それではお気のすむまで、ごゆっくりどうぞ」
「ええ、もちろん、そのつもりよ」
 その皮肉な調子も意に介さぬ風に、少女は無邪気に言い放った。 






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