2018年02月19日

小説 ホテル・ノスタルジヤ イラスト集&物語のモデル

この物語をさいしょに構想していた2005年ころ、空想に耽りながらノートに描き散らしていたイラストや、この物語の舞台のモデルとなった実在のホテルについて、すこしご紹介。


  

この物語を構想していた2005年くらい当時の、イレーヌを描いたスケッチ。
下の、ホテルを描いたイラストもあわせてそのうち彩色しようかなと思ってるのですが、いつになることか。。



 

ホテル・ノスタルジヤのモデルとなったホテル。
この物語に出てくる場所の大半はパリ市内に実在するもの。
ただ、おもな舞台となったホテルだけは、実はちがうのです。
それは、新宿にあったYoung Inn という小さなホテル。
こんなホテルがよく新宿にあるな!っていうくらい、ユニークでふしぎなところでした。
今から思えば、建物じたい、明らかにパリのアパルトマンを模してつくられている。
さすがに建材の石壁とスレートは難しかったようで、タイル張りですが。。



入り口まわりもこちらのプチホテルっぽい。
面した道は、新宿の裏通りですからもちろんアスファルトですが、ここはオーナーの頭の中では石畳なんだろうなと思い、イラストでは、勝手に復元。。

 

中は、ひと部屋ずつテーマごとに違った内装で、オーナーのこだわりと遊び心が感じられます。
屋根裏部屋だったり、ログキャビン風だったり、ロフトがあったり。

 

併設された一階のレストランは、本格的なアール・ヌーヴォー様式。
曲線を描いたどっしりとした樫材のドア、葡萄の柄を彫り付けたガラスの仕切り板、ガレっぽいきのこランプを据えた壁がん(ニッシュ)など、とにかく凝ってる。

日本にいながら非日常に身を置ける、貴重な空間でした。
むかしイギリスへの長い旅から帰ってきたとき、それでもまだ家に帰りたくなくて(現実に戻りたくなくてw)、少しのあいだここに滞在していたことがあります。
すごく居心地よくて、心ゆくまでずーっといたい・・・という思いで。
そこからこの物語のきっかけが生まれました。

けれど、あるときから、一階のレストランはなくなってしまった。
あのりっぱなドアも何もかも取っ払われて、がらんと虚ろな空間に。
終わった!・・・って感じで、ショックで。それ以来行っていません。
私が気に入った素敵なお店って、だいたいなくなってしまう運命のようです。
何度悲しい思いをしたことか。

今回、あらためて調べてみると、ホテルそのものは変わらず、同じ名前でいまも営業しているようです。
各部屋ごとにちがうスタイルも健在のよう。
けれど、レストランがあった一階部分の外観は、前とは似ても似つかぬ悲しい有様になっていました。

やっぱりこれは、現実に存在するモデルとは別の、「私の」ホテル・ノスタルジヤの物語です。
ものを書くことのいい点は、自分の理想や好きなものを、カプセルに詰め込むように、だれにも壊されることのないひとつの世界としてまとめられること。
それは作品として仕上がったとき、それもまたひとつの小さな「現実」として、この世界に存在し始めるのです。
そして、いつかじっさいに、この世界に作用を及ぼす力を持ち始めるかもしれない。・・・
それがものを書くということの力だと思っています。

























  

2018年02月18日

小説 ホテル・ノスタルジヤ あと書き


  

今回、この作品をアップし始めてまもなく、パリでは雪が降り始めました。
この街で迎える4度目の冬ですが、これまで、暖冬つづきであまり降らなかったのです。
だから、雪景色のパリって私もはじめてなのです。
物語の中のように、けっこうな勢いで降って、どんどん積もっていきました。
サン・ドニの大学で授業を受けながら窓を眺め、ああ、今頃イレーヌがモンパルナス駅に着いた頃だな、と想像していました。

この物語が生まれたのは、2005年の冬ごろ。まだパリを訪れたこともなかったころのことです。
イギリスとアイルランドを巡る放浪の旅から還ってきて、ひとところの暮らしに飽き足らず、また旅に出たいなぁ、こんどはパリあたりに行きたい、ふらっと入ったホテルにそのまま居座って、好きなだけ、気のすむまで滞在したい・・・
掃除とか買い物とかもせずに気ままに暮らしたい、しかもお金の心配もなしに。
そうするうちに色々楽しいことに出会って、物語が生まれて・・・
そんな勝手な妄想を楽しんでいたのです。

長らく温めているだけだったのが、実際パリに住むようになって、今なら書けるかも、と思うようになり・・・ようやく書き上げたのが、2016年のイースター休み。
今も住んでいる14区のモンパルナス界隈のどこか、という設定で書きました。
ほとんど全シーン、実際の場所が舞台です。
これを書き上げてから、・・・ここが彼女の歩いた通り、ここが彼女の入った花屋、朝の4時に駆け込んだ警察署など、通るたびにこの物語のワンシーンを思い出すようになりました。
そして、自分の暮らすカルティエにより親しみを感じるように。
裏通りにひっそりと建つ、理想のプチホテルを想像して、内装や調度なんかをあれこれ考える時間が楽しかった。
物語の中なら、何でも好きなように実現できてしまうのがいいところ。
子供のころは、何もなくても何時間でも空想の世界に浸って、下手するとまわりの現実世界よりもそっちのほうがよほど鮮やかで、現実味があったものです。
これを書いているあいだ、久しぶりにすべてを忘れて没頭し、そんな楽しい時間を過ごしました。

そうしてこのブログにアップし始めたころ、パリではほんとうに雪が。。
ものを書いていると、こんなシンクロニシティがよく起こります。
しかも現実のできごとのほうが、あとからついてくることが多い。
そう、よくあるんだわ… ってことを、久しぶりに思い出しました。
現実の車輪に縛りつけられて、ただ引きずられていくだけじゃなく、踏みとどまって、自分の足で歩き始めると、現実のほうが歩み寄ってきてくれる。
こんな物語を書き続けていると、そのうち私も翼のある馬に乗って窓から飛び立てる日が来るかもしれません。
(まあ、それはなかなか難しいかもしれないけど…)
少なくとも、そのうち何らかのかたちで、また新しい旅立ちの日を迎えることができるんじゃないかと思います。

この作品のストーリーはじっさいパリに住むよりずっと前にできていたもの。
だからこそ書けたので、じっさい住んでからでは書けなかったと思います。
現実のパリは、ときにほんとうに醜いから。
これはあくまでも「私の」パリの物語です。

今回、作品じたいはすでに書きあがっていたのですが、各場面になんとなく合うような画像を、これまでの3年半撮りためたたくさんの写真の中から選ぶのがけっこう大変でした。
なので、その整理の仕方を見直す機会ともなりました。
パリ暮らしも、気がつけばはや4年目。
でも、思うにきっとこの街は、住むより旅するのにいいところ。
きっと私もイレーヌのように、気の向くまま、心のままに、世界中を旅して暮らしたいのだと思います。
こんどはどこへ旅しましょうか。
























  

2018年02月17日

小説 ホテル・ノスタルジヤ(17) イレーヌの出発


  

17.

 午後になると、いつものように散歩がてら、イレーヌはパンを買いに出掛けた。石畳の裏道を、ぶらぶら歩いて帰り道、塀の上に咲き出した薄紫のリラの花房を見つけて、しばし佇んで見とれた。
 メルバが見たら、きっと大喜びするわ… そう思いかけて、もうメルバの面倒を見る必要はないのだと気がついた。
 それから数日間というもの、イレーヌはずっと部屋にこもりがちだった。いろいろと、片づけや準備があったのだ。そのため、ちょうど同じ頃、ジャン・ミシェルの部屋でもいろいろと動きがあったのにも、さっぱり気がつかずにしまった。
 彼女がようやく姿を見せたのは、その朝早くのことだった。カウンターの後ろで仕込みにかかっていたムッシュウ・ブノワは、重たいスーツケースが一段、また一段と、ゆっくり階段を降りてくる音をきいて顔を上げた。コートを着込み、すっかり身支度を整えたイレーヌが、晴ればれとした顔で彼に笑いかけた。
「おや、ご出発で?」
「そうなの。長いことお世話になりました。ジャンにもよろしくね」
「このあとはどちらへ」
「さあね… たぶん、ブダペストへ行くわ。それか、リスボンへ…気分しだいよ」
 まただよ…という顔で、ムッシュウ・ブノワは肩をすくめた。
「気楽なご身分ですな」
「そうなの」
 イレーヌは嬉しそうに言って、カウンターの灰皿の端にチップを載せた。
「ボン・ヴォワイヤージュ、よい旅を!」
 その声に送られて通りへ出ると、彼女は来たときと同じように、その大きな革のスーツケースをガラガラ引っぱって去ってゆき、ほどなくムッシュウ・ブノワの視界から見えなくなった。

 それとほぼ入れ違いに、画商のマルタンが刷り上ったばかりのちらしの束を抱え、ギャラリーの見習いの小僧を二人ばかり従えて、意気揚々と現れた。
「ついにやりましたよ、見てくださいよ!」
 芝居がかった身振りで、手品師よろしく、ムッシュウ・ブノワに向かってちらしを掲げて見せた。
「奴の個展でさ! いやぁ、長年待たされてきたがね、待ったかいはあったというもんだ。さあ、そうと決まったら、宣伝あるのみだ! もちろん、ご協力いただけるでしょうね?…」
 それから彼は小僧たちにすばやく指示を出し、客室の全室に、片っ端からちらしを配ってまわらせた。
 そんなわけで、ジャン・ミシェルのはじめての個展のちらしが彼女の部屋のドアの下に滑りこんだのは、その朝、少しあとのことだった。
 あの日メルバが翼を広げて飛び立っていった、光差す窓が少し開いて吹きこんだ風がカーテンを膨らませ、ちらしをふわりと持ち上げて、床の埃の上でくるりと宙返りさせた。
 イレーヌはそのころ、あのごついスーツケースを引っぱって再び駅の雑踏をくぐり、プラットフォームの端にたどり着いたところだった。グランド・モンパルナス駅、いつも人が慌しく行き交い、コーヒーの香りと、オレンジや焼きたてのデニッシュの香ばしい匂いと、旅立ちの気分とにみちている。
 ひと息ついてまわりを見わたすと、行き交う人々の服のトーンが少し明るくなっていることに、はじめて気がついた。気づいてみると、お気に入りの淡いグレイのエレガントなコートも、今では少し大げさすぎて肩の凝る感じがした。
 今まですっかり忘れていたけれど、こんなにも季節は巡っていたのだわ。
 驚きに打たれて、彼女は思った。
 列車がプラットフォームに滑りこんできて、イレーヌは我に返った。
 待って、私もコーヒーを買いにいかなくちゃ。…

 ***

ゆっくりと、列車が動き出す。
窓辺でデリカッセンのコーヒーを手に、流れゆくプラットフォームを見送るイレーヌ。

彼女のいなくなったパリの街で、今日もまた新しい一日が始まる。
彼女の歩いた、エッフェル塔やセーヌの岸辺、回りつづけるメリーゴーラウンド、公園の噴水で遊ぶマリアン親子、ホテルまわりの路地裏や煙草屋の店先、いつに変わらずカウンターでグラスを磨くムッシュウ・ブノワ。…
<ギャラリー・モンパルナス>ではジャンの個展の準備が着々と進む… マルタンの指示のもと、キャンバスの包みを抱えて運びこむスタッフたち、茶色い紙に包まれたキャンバスが壁ぎわに次々と並べられていく、片や相変わらずポケットに手を突っこんで、煙草を吹かしながら見ているだけのジャンの後ろ姿。…

列車は田園の中をひた走る。大地はいまやすっかり新緑に彩られ、エルダーやブルーベルなど、さまざまの花々が咲き乱れている。…
窓から射しこむあかるい陽射しの中でノートブックを広げるイレーヌ。
いつしかまどろみに誘われて、彼女は閉じたノートを腕に抱え、窓枠にもたれかかってうとうとし始める。その腕からノートが滑り出て、座席の上へ。…
その表紙には、彼女が書きかけていた物語のタイトルが書かれている。白ペンの丁寧な字で、小さなペガサスの絵とともに、<ホテル・ノスタルジヤ>と。…
                   
<おわり>