2014年01月29日

夢想集ムーア・イーフォック 目次


<夢想集ムーア・イーフォックについて>
これは私がおもに16から19歳くらいのハイティーンの頃に書きためた小品のうち、ちょっと不気味で深淵に触れるような感じのを中心に。
ムーア・イーフォックはディケンズのエピソードから。あるときコーヒー・ルームのガラス戸を開けて入ろうとしたら、ガラスの文字が左右逆に映ったMOOR EEFFOC という文字が目に飛び込んできて、その瞬間まざまざと、荒涼としたイーフォック荒野の情景が広がったのだという。
日常のふとした瞬間に突如出会う異界の感覚。

目次

1.眺めのいい岩場

2.ムーア・イーフォック

3.名残りの薔薇

4.救出作戦!

5.卑弥呼

6.メーテル

7.アップル&ティース

8.ホッツェンプロッツの星

9.ネリー

10.マエストーソ氏の気象学講義




  

2014年01月29日

眺めのいい岩場

何度か夢のなかで行ったことのある場所。

     夢想集ムーア・イーフォック 1
      眺めのいい岩場


 ここからずっとずっと遠くに、そう、岩山をのぼっていく途中のところに、とてもすてきな岩場があって、私は三回くらい、そこへ行ったことがある。私一人のときもあったし、ヴィクトールが一緒のときもあった。
 そこの岩山は、缶詰をたくさん積み上げてつくったみたいな地形をしていて、岩肌はなめらかだし、自然の山というよりはむしろ、巨大な建造物の廃墟に似ている。実際、その辺に彫刻をほどこされた大昔の柱の一部がうずもれているのを見たこともある。だから、根気さえあれば、ふもとから始めて自分の足でのぼってきてもいい。ずっとのぼってくると、そのうち左はしにスフィンクスの石の翼の片方が見えてきて、それが目印だ。けれど、何しろここはとんでもなく高いところにあるし、岩壁がすごくけわしくて足場を探すのが大変だから、できるなら空を飛んできた方がいい。自分で飛べないのなら、空飛ぶ自転車とか、空飛ぶ藁ぼうきとか、何か飛ぶものに乗って。そして、岩場のふちにのりものを横づけしたら、けっとばしたいきおいでのりものと岩場との間に大きなすきまができないように、注意深く気をつけて足場を移す。
 ここは一見ごくふつうの岩場に見えるけれど、ほんとにすてきなところだ。階段の踊り場と、劇場の二階席のテラスを合わせたような形をしていて、すぐ後ろから岩の根っこがのびているので、柱の台座みたいでもある。あんまり広くはない。むしろ、ちょっと狭いくらい。だから、うっかり眠りこむと、転げ落ちるかもしれない。
 できるだけちぢこまって、下界を見おろす。ここから見おろすと、世界はいつもうっすらと霧がかかっている。女王さまの馬車が岩の間にひっかかっているのが見えることもあるし、向こうのはしから人が歩いてきて、あんまり考えごとに夢中になっているので、こっちのはしから別の人が歩いてくるのに気がつかないで、うっかりぶつかったりするのを見ることもある。ここから見おろすと、万華鏡みたいに、世界中のあらゆるものが見える。望遠鏡で見るように、見たいものを何でも、すぐ近くで見ることができる。モンマルトルの暗い石造りの通りも見えるし、ノートルダムの屋根の上の怪物たちを一匹ずつ、手をのばせばさわれるくらい近くで見ることもできる。私がここを好きなのは、ここにいると世界から超然と孤絶しているという感じと、世界のすべての部分とすごく密接につながっているという感じとを、同時に持つことができるからだ。
 最初にここへ来たのは、飛び方を覚えて間もないころで、はじめて遠出したときのことだった。はじめて遠出するときというのは、はじめてハイウェイに乗るときと同じで、少し緊張するし、少しどきどきする。明け方に出発して、しずかな通りを抜け、黒く広がる森をこえ、岩山の上をずっと飛びつづけて、さいごにここへたどりついた。あのときも石の翼を目印にしたっけ。こんなに長いこと飛んだあとだから、うまく着地できるかどうかちょっと心配だったけど、大丈夫だった。ああ、思い出すなあ! あのときの、わくわくした感じ。もしかしたらヴィクトールも一緒だったかもしれない。でも、もう覚えていない。
 それからも、危険が迫ったときや、追手から逃れる必要があるときにはちょいちょいここへ来たものだ。そうそう、ヴィクトールと一緒に、竜を助け出したとき。この竜は、もともと詩人だったのだが、無韻詩を書いたというので告発され、市の当局によって聖ゲオルグの城に幽閉されてしまったのだ。かわいそうに。それで、ヴィクトールとかわりばんこに、裏庭に面した側の窓のかんぬきを根気よく鉄やすりで切り落としたのはいいが、竜が窓から脱出するとき、うっかりしっぽで壁の一部をこわしてしまったので、すぐさま奴らに気づかれてしまった。あのときは、竜はさっさと自分の国へ飛んで帰ってしまったのでよかったけれど、私たちの方は奴らにさんざん追っかけまわされたあげく、間一髪でここへ這いのぼって、やっと振り切ることができたのだった。あれから数回めのクリスマスまで、竜は毎年きれいなクリスマスカードを送ってきた。今もますます円熟の境に入りつつ、詩作に励んでいるらしい。
 それから、さいころのかたちをした迷路に迷いこんでしまったとき。あのときは、ほんとにうんざりした! あれこそ全然だれの役にも立たない、むだな苦労だった。一生ここから出られないんじゃないかと思ったものだ。それは数学の公式みたいに幾何学的な迷路で、赤、青、黄の三色に塗られていた。ところどころに巨大なトライアングルがあって、カーンとならして、その振動がとまらないうちに中をくぐり抜けなければならなかった。教授と、その一行と一緒に、やっとそこを抜け出したあと、やれやれと言ってみんなでここへ来てコーヒーを飲んだものだ。でも、あれだけいやな目にあったあとでここへたどりつける嬉しさは、また格別だった。
 もう長いこと、あそこへは行っていない。行こうと思って行けるものではないみたいだ。今朝がた、夢の中でスフィンクスの翼がはばたくのを見た。だから、あそこが近いっていうのは分かったが、もう一度たどりつくことはできなかった。

 (1999)






  

2014年01月29日

ムーア・イーフォック

ある日見た夢の記録。目が覚めたあと、あれがムーア・イーフォックだったに違いないと思った。

      夢想集ムーア・イーフォック 2
        ムーア・イーフォック


 コーヒールームのガラス戸の向こうに突然ムーア・イーフォックの出現を見て、瞬間「血管を衝撃が走る」のを覚える若き日のディケンズ。・・・無理もない。イーフォック荒野は恐ろしいところだ。私も一度だけ、行ったことがある。二度と行きたいとは思わない。そこは駝鳥やジャッカルが住み、やぎの形をした悪霊がはねまわる、呪われた地なのだ。ヒースやとげだらけの灌木が人の背丈ほどにものび、からみあい、立ち枯れて、そこを行こうとする者を妨げる。空は晴れたためしがなくて、いつも不吉な鉛色に垂れこめている。そこに一日いると気が滅入り、三日いると我慢できなくなり、一週間いると発狂する。
 特に始末が悪いのは、あのやぎだ。夜の闇のように真っ黒くて、水牛よりばかでかくて、暗い目をした、狂暴なやぎ。あれは、もちろん本当のやぎじゃない。その証拠に、よく見るといつでもはしの方が少しぼやけて、後ろにあるものが透けて見える。やつは<悪>のメタファーだった。やつを見ると、だれもがぞっとして凍りついた。その頃、イーフォックにはナチの黒幕の残党たちも亡命してきていたが--ちびとのっぽと合わせても四、五人といったところだったろう--そいつらでさえ、あの黒やぎの前には全くちっぽけな存在に見えたものだ。
 悪には悪意が関係していると考えるのはまちがいで、悪というのはもっと容赦なく非人格的な力だ。それは盲の狂人のようなもので、何の予告もなく、全くふいに、我々のもとから愛する友を奪ってゆく。けれど、フェルディナンドがしょっちゅう我々に言っていたように、やつの存在を知っていることは大切だが、必要以上にやつのことを考え続けてはいけない。他のことが何も考えられないまでにやつに対する恐れが自分の頭の中を占領するのを許してしまったら、それこそやつの思うつぼだ。やつはつけあがり、ますますいい気になってふくれあがり、君に襲いかかろうと近づいてくる。
 その頃、イーフォックにはナチの残党を追ってやってきた追手たちも来ていて、そこですさまじい追跡劇を繰り広げていた。我々もあやうくそれに巻きこまれそうになって大変だった。どっちに出くわしてもまずかった。だれもナチの残党なんかに出くわしたくないし、かと言って血に飢えた追手たちに出くわしたら、こっちまで八つ裂きにされかねない。さらにその上、あのやぎと鉢合わせしないように、細心の注意を払う必要があった。でも、何しろ茎や根っこがどうしようもなくからみあっていて、一フィート先に敵がいても分からないのだ。我々はいつなんどき敵に出くわすかと、進んでいく間じゅう、ひやひやし通しだった。
 明け方ごろ、我々はヒースの茂みのかげに身をひそめ、息を殺して、例のやぎが気が狂ったように飛び跳ねていくのをやり過ごした。背骨のように節くれだった長い角はあらゆるものを蹴散らし、かき砕き、天をも突かんばかりだ。長い毛はくっつきあって、ぶざまに垂れ下がっている。その黒々とした姿は周りを威圧し、どんどん膨脹して、あらゆるものを飲み込んでゆく。
 我々はその姿を見て、あらためてぞっとする。それは狂暴で、絶望的なまでに孤独な姿だった。

 (1999?)