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2010年02月16日

常若(とこわか)の水の調べ

瑛瑠洲物語 オグウェン篇3
常若(とこわか)の水の調べ The River of Eternity
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima


 夏でも冷たいひとすじの清流が、バングログ谷の底を走る。
 エーハフをすぎ、イーサフをすぎ、そしてここへ通じている。
 カペル・キュリグの三叉路、<ピナクル>のせりあがった裏手。
 ここには石の橋がかかって、その下をこの流れが、いきおいよく流れ下っている。

 この谷の剥き出しの丘陵風景のなかで唯一、この流れのまわりだけに、みどりゆたかな木立が茂っているのだ。
 この橋の上から眺めると、両の木立が枝を差し伸べてアーチをつくり、夏にはすずしい木陰を、秋にはベティソコイドに住んだ画家たちの手になる風景画のような彩りを供している。・・・

 <ピナクル>でバスを待つことは多かったから、しょっちゅう、橋ごしに川の流れを眺めにいった。しゅうしゅう泡だって走る清涼な流れのなかに、私はいつもひとつの顔を見た。
 それは川の神の面差しで、ゆたかな真っ白な髪に、顔は青年のように若々しく、氷のように澄んだ、あかるい青い目をしていた。その奇妙なコントラストは目を引いて、忘れがたかった。さいしょに見たとき、私は宿に戻ってからその顔をスケッチし、・・・そしてそれは今でも私の手元にある。・・・その顔は、不毛の荒野を潤すように、この世にあってとうてい成し得ない事がらをそれでも成し遂げようとして日々挑みつづける、なべてそういうものたちの具現なのだ。・・・

 むかし、川の神が谷床を巡る旅をしていて、バングログ谷にさしかかった。
「私は地のおもてをゆき巡ってきたが、見よ、こんなにも不毛な場所ははじめてだ。
 私はこの谷を潤そう、ぜひともみどりゆたかな森に変えてみせよう」

 それを聞いて、バングログ谷の山の神々は彼に言った、
「やるだけ無駄だよ、この谷に木が生えないことは誰でも知っているし、それにはそれだけの理由があるのだ。
 お若いの、何をお前さんは自然の摂理に逆らって、大地を説得しようとするのかい?」

 すると川の神は言った、
「やってみないで、どうして分かる? 君らはなぜこの谷に木が生えないか、どうしたら木を生やすことができるか、ほんとうに考えようとしたことがあるだろうか。
 見なさい、私は川の神、命のみなもとたる水を司る者だ。
 この私が谷床にとどまって、この谷を変えられないか賭けよう」

 こうして川の神はバングログ谷にとどまって、その底に身を沈めた。
 渾身の力をこめて谷をうるおし、その岩地の心に分け入ってゆこうとした。

 百年たって、木の芽が芽吹いた。
 さらに百年たって、ようやく木といえるようなものに育った。
 でも、それ以上にはならなかった。それから何千年のときを経ても。・・・

 そう、それからはるかながい時がすぎて、いまも彼はこの川床にいて、谷をみどりに変えようと挑みつづけている。
 いまではその周辺に、わずかにひとすじ、うるわしい木立が育つ。
 それは彼がいまも挑みつづけているあかしなのだ。
 
 夏、雨が少なくなると流れは痩せ細るが、枯れてしまうことはない。
 それは彼がその心に、永遠の若さを持ちつづけているからだ。

 こうして彼は賭けに勝つことはできなかったが、同時に負けもしなかった。
 いや、詳しく言うと、今のところ勝つことはできていないが、いつかその日が来るかもしれない。
 それはなべてこの世にあって、不毛の谷を潤そうとして戦いつづけている人びとのあり方なのだ。・・・

 後年、ウェールズともアイルランドともまったく関係のない文脈で、私はひとりの人に出会った。
 絶望的な状況のもとで、屈することなく、しずかに戦いつづけている人だった。
 この人が潤そうとしてたのは、別の種類の荒野だったけれども。・・・

 どこかで会ったような気がしながら、似たような人をどこかで知っていたような気がしながら、どうしても思い出せずにいた。
 それはこの川の神だったのだ。
 彼の魂を受け継ぐ人びとは地下水脈のように世界じゅうに息づいていて、今日もこの世の闇を少しでも照らそうと、もてる光を灯しつづけているのだ・・・

        *           *


 イーサフには、二度めの冬に半月、三度目の夏にも半月ほど滞在した。
 イーサフは、カペル・キュリグの三つ辻からオグウェンに向かって三マイルばかり、道からトロヴァーンの側へ少しひっこんだ、石造りスレート葺きの農家だ。
 例に漏れず、母屋のまわりに納屋やら畜舎やら、別棟がいくつもあって、そのうちの一部を改造し、簡素な寝台を取りつけて、滞在客が泊まれるようにしてある。
 泊まることのできる離れは二つあった。
 大きい方は二十か三十も寝台のあるばかでかい納屋で、石壁の内側をしっくいで塗りこめてある。
 窓がひとつもなくて、灯りをつけないと真っ暗だ。
 ペンキだかカビだかの独特な匂いが鼻をつき、がらんとして湿っぽくて冷えこんでいる。
 ひとりでいるには広すぎて、少し気が滅入る。
 けれども、片すみにしつらえた料理場で、夜、明かりをつけてお茶を沸かし、椅子にクッション代わりの枕を二つ三つのせて本など読むのは、けっこう居心地がよかった。
 昼には裏手の木戸の扉を開けると、トロヴァーンの黒々とした姿や、向かいの丘々の広がりを見わたせた。
 扉のかんぬきがぴったりとできていなくて、閉めておいてもしょっちゅう風で開いてしまい、そうするとよく鶏たちが入ってきた。・・・
 片方のはしには一応の料理設備があったが、とくに夏にはネズミが出るので、ここには食料を置かないようにしていた。
 ネズミ穴がいくつもあって、見つけるたびに小石と砂利を詰めて塞ぐのだが、すぐまた別のところから、平気の平左で出てくるのだ。
 まるで罪のない、つぶらに澄んだ瞳をして、穴をひとつ塞がれたくらいで君のことを悪く思ってないよ、とでも言いたげだった。
 しばらくいるうち、よく出るやつの顔を覚えた。
 ネズミの世界にも器量不器量はあるもので、一匹は目鼻立ちが整って、品評会にも出せそうなくらい愛くるしかったが、もう一匹は目と鼻のあいだが空きすぎて、どうもまのびした顔つきだった。
 茶色い毛並み、きらきら光る黒い目、たえずひくひく動く鼻は、衛生面のことを考えに入れなければ、なかなか可愛らしいといってよかった。
 椅子の上でじっと動かずにいると、はじめは警戒していた連中もしだい大胆になって、台の陰から床一帯に遠征しにくるのだった。
 調理台の下には、スティーヴンがその不器用な指でチーズをおとりに仕掛けた古典的なネズミ捕りがいくつか置かれていた。
 が、ネズミがかかっていたためしはなく、大概はチーズだけがきれいになくなっていた。
 もうひとつの泊まり場は、別棟の二階だ。
 かつては干草の貯蔵などに使われていたのだろう・・・寝台は六台、こじんまりと小さく、窓があって、薄汚れたガラス越しに谷の向こうの斜面を望むことができた。
 ひとりものにははるかにあつらえ向きで、選択の余地があるときには、私はいつもこちらの方に寝起きしていた。

 こんな奥深い、淋しい谷にも、週末になると登山客の一群がやってくる。
 週末になると私はたいがい納屋を追い出され、外の斜面の湿った草地にテントを張ってすごした。
 私は前もって予約した客ではなかったから、優先権はなかったのだ。
 これもなかなか厄介なことだった。
 とりわけ厄介なのは、彼らがいったいやって来るのか来ないのか、そのときになってみないと分からないということだった。
 金曜の午後、来るか来るかと気をもみながら過ごすうちにやがてとっぷり真っ暗になって、今日はさすがにもう来るまいと高をくくっていたところへ一団が到着し、あっけなく追い出されたこともある。
 それでも、一応の装備は揃えてあった。
 多くは旅をつづけるうちに骨身にしみて必要を感じ、ゆく先々で調達したものだった。
 旅空にあって、もつべきものは装備である。
 とりわけ当地では、何から何まで完全防水でないとだめだ。
 防水外套に加え、モスグリーンの丈夫なゴムびきの長靴、これは雨の日のサセックスの草深い散歩道や、コネマラの湿原を歩くのに手に入れた。
 テント。
 冬用の厚地の寝袋。
 それから、オルトリーブの防水袋。
 これは、大嵐のなかをホリヘッドからバンゴールまで移動したときに、いちおう防水布をかぶせていたにもかかわらず、隙間から水が滲みて荷物が中まですっかり濡れてしまったのに業を煮やしたあと、<ピナクル>で見つけた。
 こうした装備のおかげで、私はどうやら体を濡らすことも、寒さに凍えることもなく、わりあい快適に過ごしていた。
 それでも、牧歌的なキャンプとは言いかねた。
 ほとんどいつも強風が打ちつけていたし、雨がぜんぜん降らない晩というのはまずなかった。
 それに、結露が冗談ごとでなくひどかった。
 朝起きるとテントの底に池ができていて、ボートの水あかをかい出すように、コッヘルと布きれを使って汲み出さねばならなかった。
  団体客がやってくると、めんどうごとは宿だけではない。
 イーサフ全体が、やたらとせわしなく、騒がしくなって、平和はないし、もの思いに耽ってもいられない。
 水を汲みにいこうと思うと井戸がふさがっているし、食事どきには料理部屋が占領されてしまい、したいときに料理もままならない。
 そこで週末には、朝起きるとはなから料理をあきらめて、テントから這い出すとそのまま長い散歩に出かけてしまったり、あるいは朝いちばんの馬車をつかまえて、<ピナクル>へ朝食を食べに行ったりしていた。・・・
 こうして面倒つづきで、ただひとつところにとどまっているだけのために少なからぬエネルギーをとられ、たとえばイーサフの家族のように、この地に根を下ろして雨風に悩まされることなく、毎晩同じベッドで眠る人々の暮らしを羨まないではなかった。
 だが、それにもかかわらず、旅人の身にあって、私はある種得がたい自由を享受していることを知っていた。・・・
 彼ら、この土地の人間たちは、おそらく人が思うほど「そこにいること」を享受する余裕を得てはいない。・・・
 常にそこにいることで必然的に生じてくる感覚の鈍りに加えて、その常にいるということに伴ってくるもろもろのやっかいごと・・・人間界のあまたのごたごた、持ち物の管理だの、不動産だの、税金だの、政治だの・・・過去に囚われたり、将来を心配したり、この国のほかの場所で起こっている事柄について気をもんだり・・・
 そういう彼らの要求や心配事に、私は煩わされることがなかった。
 ある意味では、彼らよりもさらにこの土地に近かったと思う。・・・
 それは、テントを張って夜を過ごしているととくに強く感じられた。 
 文字通り岩の凹凸に体を添わせ、風の唸りを夢に聴き・・・夜明けの雲の動きをだれより先に眺め、冷えこんだ空気の匂いを嗅ぐのだった。・・・
 持ち物はすべてひとつの袋におさまってしまい、ゆえに心配も袋ひとつ分ですんだ。
 過去もなく、未来もなく、ただ印象にみちあふれた現在があるばかりだった。・・・
 純粋で透明な魂として、空のいろ風のひびきを感じ取ることができたし、こうして地霊の語る声に耳を傾けることもできたわけだった。・・・
 いつまでも無限につづけるわけにはいかない、特殊な生のあり方だったが、詩的に見ればもっとも願わしいあり方のひとつ、詩人たちのうたってきた、よりすぐれた別の生の次元に近づき、ほとんどそれに接するような、そういう生の状態だった。・・・
 
          *          *

 イーサフの人々。・・・
 はじめてイーサフに滞在したとき、私を迎えてくれたのはジョンだった。
 丸顔の、がっしりとした体格で、60代ばかりだったろうか。
 たいへん親切な男で、私が滞在中気持ちよく過ごせるようにと、何くれとこまかく世話を焼いてくれた。
 ・・・正直言うと、時には煩わしいほどだった。
 というのは、あのとき、イーサフにたどり着いただけでほんとうに息も絶え絶えだったのだ。
 むろん相手はそんなこと知るはずもなく、すぐさま台帳を持ち出してきて、十日先の宿のふさがり具合までこまごまと読み上げてくれようとするので、こっちはどうか少しのあいだしずかに放っておいてくれと、悲鳴を上げたくなったのだった。
 彼はこの谷の出身だったが、若いときにこの谷を離れて以来、ずっと長らくチェシャ州に住んでいた。いまは、一時的に戻ってきているだけだった。イーサフの主であるデイヴィッドが所用で留守をしていたので、そのあいだ客の世話を頼まれて来ていたのだ。・・・
 彼には色々と恩がある。
 トロヴァーンの名の由来と、三つの石柱について教えてくれたし、ほかにもいくつか、簡単なウェールズ語を教えてくれた。
 パリダー(おはよう)、ノースター(おやすみ)、プルグラウ(雨)など。・・・(この、「おはよう」と「おやすみ」の次に「雨」がくるところが、いかにもウェールズらしいではないか?・・・)
 話し好きな男だったのだろう、自分の半生を、問わず語りに聞かせてくれた。・・・
 彼はここから1マイル上の<エーハフ>で生まれたのだった。けれど、この土地では仕事の口がないのでチェシャに移り住んだ・・・あの頃は、みんな貧しかったものさ。・・・チェシャについて何か知ってるかい?・・・
 あの、チェシャ猫だけ・・・と私は答えた。
 チェシャ猫ね、ハッハッハ・・・と彼は笑った。・・・それから結婚したが、娘が生まれて、まだこんなにちっちゃいうちに(と、彼は手で高さを示して見せた)、・・・女房はガンで死んだよ。・・・
 イーサフを発つとき、彼は私の肩を叩いて、幸運を祈る、と言ってくれた。ジョンがチェシャへ戻るのと入れ替わりに、デイヴィッドが戻ってきた。

 デイヴィッドはジョンとは親戚同士のはずだが、顔はあまり似ていなかった。垢抜けない、田舎くさい顔だちで、寝ぐせの髪をいつも斜めにくしゃっとおっ立てていた。
 彼は実際的な人間だった。万事に抜かりなく、金の計算にはこまかく(だからといって誰が彼を責められよう?・・・)、滞在客の福祉よりも、自分が定めた秩序のなかで采配を揮うことの方により重きをおいていた。
 たとえばこんなことがあった・・・ 納屋には鍵がかからないので、中にいると、牧草地にテントを張っているキャンプ客がトイレと間違えて、いきなりドアを開けて入ってくることがよくあった。そのたびにこっちはぎょっとして飛び上がることになる・・・落ち着かないし、不愉快である。
 あまりたび重なったので業を煮やし、「・・・ここはトイレではない。ノックしてくれ!」と大書した貼り紙をドアに貼っておいた。
 ところがそれを見たデイヴィッドは、こともなげに破りとって捨ててしまった。客の分際で貼り紙するなどけしからんと思ったのだか、どうだか知らない。・・・
 それでも、大概においては、私にとってはジョンよりもありがたいくらいだった。というのは、彼は私に何の興味ももたずに放っておいてくれたからだ。そのころ私はほんとうに衰弱していたので、ものを聞かれて答えるにもひと苦労だったのだ。・・・

 それからベンがいる・・・ベンはデイヴィッドの弟だか、兄だかだった。顔は瓜ふたつだが、こちらには知性のひらめきといえるようなものがなく、唇の一方の端からはいつもよだれの雫が垂れていた。
 畜舎の一画、戸口のそばの掛け釘にはいつも彼の防水外套がかかっていたし、暗くなるとランプが灯っていたから、そこに寝起きしていたのだと思う。・・・ 家畜の世話や家まわりの雑仕事が彼の日課で、しじゅうぶつぶつ独り言をいいながら、バケツやデッキブラシをもってうろうろしていた。あの雌牛のように愚鈍な顔を見るのは苦痛だった。・・・
 客用の離れの掃除も彼の業務範囲らしかった。ジョンは入るときノックしてくれたし、デイヴィッドは大声で...All right? と言いながら入ってくるので分かるのだが、ベンはほかの客たちと同じく、いきなり開けて入ってくる。「ノックしてくれ!」と貼り紙しておいてもまるで馬耳東風で、はじめは呆れていたのだが、そのうち、もしかしたら彼奴、字が読めないのかもしれない、と気がついた。
 しまいには、いきなり扉が開くとベンだな、と分かるので顔を上げもしなくなった。私が中にいるのを見ると、彼はいつも...Oh, bet!...と呟いてそそくさと姿を消してしまう。・・・

 さいしょの滞在のとき、イーサフの家にはほかにデイヴィッドの細君と、彼の母親らしい老婦人とがいた。
 細君は小柄な女で、油っけのないぱさぱさした金髪を短く切っていた。性格も、油っけがなくてぱさぱさしていた。
 金曜の晩、まっくらになってから私を納屋から素気なく追い出したのは彼女である。それでも別に悪気があったわけではない。・・・
 
 イーサフの通用口の呼び鈴をならすと、出てくることがいちばん多いのが母親の老婦人だった。
 私はそのとき三日ごとに泊まり賃を払っていたので、そのために鳴らすのがおもだった。
 いつもきれいに、きちんと身づくろいしていて、人形のように滑らかな頬には頬紅を塗っていた。
 が、その頬の右下のところからはオレンジくらいの大きさの瘤が重たく垂れ下がっていて、そのせいか、あるいは年のせいか分からないが、ひどくのろのろと、大儀そうに口をきくのだった。
 呼び鈴の音をきくと、足をひきずりひきずり、ゆっくりと戸口のところへやってきて、それからぱっと扉を開けて顔を突き出す、そのようすはカッコー時計のカッコーを思い出させた。それから、人の顔を見ると片腕をぎこちなく斜め上へ伸ばして、「・・・今日もあいかわらずの雨ね」とか、「・・・あいかわらず風がひどいようね!」とか、開口一番、必ず天気のことを口にする、そのようすも何となくカッコーのようだった。・・・
 それは少しばかり奇妙な家族で・・・彼らを見ていると、私は何となく、ウィンパーの<アルプス登攀記>の一節を思い出した。アルプスの奥地の村々で、容易に人が行き来できないことから近親結婚が多く、そのためにもたらされる弊害について触れた一節を。・・・

        *           *

 イーサフの動物たち。・・・
 牛が数頭、馬が数頭、それからここら一帯を歩きまわる羊たち、・・・犬たち、猫たち、あひるや鶏たち。・・・
 目に慰めとなるのは猫たちである・・・ 人を見るとするりと逃げ出してゆく飴色のぶち猫に、甘ったれてニャアンとすり寄ってくる、絹のようにつややかなまっ黒い猫もいる。・・・冬のあいだはとくに毛が密に生えて、よく肥えて手触りもいい。・・・犬どもが突っ込んできたとみると慌てず騒がず、慣れた仕草でひらりと窓敷居に飛び上がる。・・・間一髪でかわされた犬たちは、毎度のことだろうに、いちいちむきになって吠えたてる。・・・
 犬はテリヤが何匹か。・・・走り回っては、見境なく何にでも吠えつく連中だ。・・・
 家禽どもは中庭のあたりをいつもうろうろしている。色んなのがいて楽しい・・・ 鶏だけでも、白いのや、こくのある金色をしたのや、みどりに光るおしゃれな黒い飾り羽をもったのや。・・・あひるに、鵞鳥に、七面鳥に、淡い水玉模様のほろほろ鳥もいる・・・ 日がないちにち、うろついてはえさをつつき、水たまりからすこしずつ水を飲む。・・・人が通ると、何となく期待するようすで近づいてくるが、用心深く距離をとって、危険は冒さぬようにと心している。・・・

                *           *

 これらの日々のあいだ、別に召使いがいるわけでもなくて、身のまわりの雑仕事、洗濯したり乾かしたり、買い出しや食事の仕度など、ぜんぶ自分でやっていたから、そうしたことのために一日のかなりの時間をとられた。
 衣類は荷を軽くするためにごくわずかしかもって来ていなかったが、それでも無意味に同じことを繰り返しているようで楽しくなかった。
 納屋に広げておいてもいつまでも乾かないので、料理部屋のストーヴのそばで、椅子の背にかけて干すことにしていた。

 買い出しは、行きそびれると食事にありつけなくなるから絶対に必要だったし、一日に数本しかないバスを、行き帰りともにまちがいなくつかまえるのはかなり神経のすり減るものだった。
 けれどもそれは同時にまた楽しみで、途中の行程のすべてが目に喜びだった。
 今日は<ピナクル>にしようか、ベティソまで足をのばそうか、はたまたベセスダへ行きがてら、ナント・フランコンの雄大な景色を眺めてこようか・・・ 各ルートの風景を思い浮かべながら買い出し先を選んだものだ。 
 じっさい、たびたび行き来するうちに親しんだ道のりの、多くは買い出しに通ったルートだった。

 朝食と夕食は、きちんと煮炊きしてつくるのが習慣だった。
 冬に滞在したあいだは、朝には油っけのない英国式朝食のようなものを、いつもつくっていた。
 旅行中は油は持ち歩かなかった・・・旅の身には始末が悪いし、結局、なければないですませられるものなのだ。
 ジャガイモを皮ごと薄く刻み、ごく少量の水を入れて火にかけて、あるていど火が通ったところでやはり薄切りにしたマッシュルームと缶詰のトマトと卵をひとつ割り入れて、塩コショウを加え、卵がほどよく固まるまでことこと煮こんだ。それに、ベティソコイドのベーカリーで買ってくる自家製の茶色いパンを二切れくらいか、またはフルーツミューズリ・・・ライ麦やオート麦の砕いたものに、数種類の干し果物を加えたもの・・・とブラックコーヒー、それがイーサフで冬を過ごしていたときの日常的な朝食だった。パンはトースターが調子悪くて使えないので、料理ストーヴの火で焙って食べていた。
 夕食は体があたたまるように、いつもポリッジかシチューだった。いちばん多かったのは玄米のポリッジで、これにガーデン・ピーやキドニー・ビーンズ、小口に切ったスプリング・オニオンなどを加えて煮こんだものだった。またはそこに魚の缶詰など加えることもあった。味つけはいつも塩コショウだけ。具はあまり何種類も入れず、シンプルな方が味がよいことに気がついた。これはほかの多くのことにも言えるだろう。・・・

 滞在中は、手持ちの食料をぜんぶひとつの袋にまとめて、料理部屋の台の上に置いておいた。
 料理部屋は、ストーヴを使っているときにはかなりあたたかくなるので、生の肉を置いておくわけにはいかなかった。
 だから肉を料理することはできず、貧血を予防するため、ときどき、週末などには、騒がしい登山客の一団がやってくる前の早い時間にピナクル・カフェに行って朝食をとったりしていた。
 ここの朝食についてくる厚切りのベーコンはいやがらせのように塩辛く、何も味をつけていない卵やジャガイモと一緒なら何とか食べられるというていのものだった。だが、イギリスじゅうのあちこちで食べたベーコンも大概そんなものだ。
 ピナクル・カフェは、人であまりごった返していないかぎり、なかなか居心地のいいところだった。

 冬の朝に体をあたためてくれる英国式朝食は、夏には少しばかり向かなかった。
 三度目の、夏の滞在のときは、朝はパンかビスケットにゆで卵、リンゴなど、もっと簡単な食事ですませていた。
 このたびの滞在では、冷蔵庫を使わせてもらうことができたので、肉も買ってきて調理することができた。
 夜には例のごとくポリッジをつくるほか、豚肉に刻んだキャベツや玉ねぎやトマトを加えてことこと煮たシチューなどをよく食べていた。

 材料をひとつひとつ洗い、ナイフでこまかく刻み、火加減や塩加減を注意深く見ながら煮詰める作業は、丁寧さや集中や手間をいとわぬこまやかさが求められるが、そのあいだじっくりと心を傾けて考えごとをするのにも適していた。
 それはどこかしら、想念をひとつひとつ吟味し、配列を考えて組み合わせ、丁寧に煮詰めていってひとつの断章をつくりあげる作業にも似ていた。

 そのせいか、とりわけ夕食をすませてのち、紅茶かコーヒーを淹れてくつろぎながら、外は吠えたける暗やみ、おだやかな灯りの片ほとりにぐずぐずと居残ってすごす時間は気分が出て、ものを書き記すには最高だった。
 この書における山や雲や岩地についての描写の最良の部分は、すべてこうした状況で書かれたものだ。・・・

        *            *

 当地の山々は、一刻としておなじ姿のままにとどまっていることがない・・・なべては生々流転、たたずんでうち眺めるほどに劇的に変わってゆく、なべては光と風と雲の織りなす、めくるめく変化(へんげ)のドラマである・・・
 あとからあとから、風は峰々のかなたから雲の群れを運んでくる、鳴きたてる羊の群れのように、雲片はゆきまどい、広大に盛り上がったなだらかな丘の背に沿って這い、その裾を引きずって、いくえにもうち重なって流されてゆく・・・ 
 鋭い峰々の頂きでは、それらはとりわけ複雑な動きを見せる、岩々のあいだを分かれたり、再び出会ったりしながら流されてゆく、川床を流れる水の流れのように。・・・切り立った岩壁につきあたっては進路を変え、ときほぐれながらゆっくりとこちらに降りてくる、あるいはまた向こう側、壮大に開けた<蛇の谷>に向かって吹き流されていったりする・・・ 峰と峰のあいだでは 渦巻いてほどけながら流されゆき、少しするとまた別の渦ができたりする・・・  
 雲はしばしば山々の頂きをすっかり覆ってしまう、何か秘密を隠しているように見える・・・ 雲のなかにあるとき、山々のうえでどんなことが起こっているのか知るすべはない、地表から何かが取り去られ、あるいは天界から何かがそっと届けられているのかもしれない・・・ 雲の天幕で隠された一瞬のあいだに、なにか重要な儀式が行なわれているのかもしれない・・・誰が知ろう?・・・ ここは天と地が歩み寄って出会うところ、ふたつの世界が近しくなって、その行き来を可能にする場所なのだ・・・

 かなたの丘々のあたりでは、時折、雲の切れ目から光が差しこむと その斜面は突如、ゆたかな表情をもって光と影のまだら模様を打ち出し・・・ それらがまた、雲塊の移りゆくについれて見るまに移りゆき、色を得ては失い、また得ては失ってゆくのだった・・・
 ある日の午後のことだったが、丘々の斜面をうち守るほどに、暗く沈んだチャコールグレーのなかにかすかに一条、あかるい卵色のすじが射し、そのあかるみが少しずつ ゆっくりと広がって、やがて立ち枯れたワラビの赤茶色や、ゴースのくすんだモスグリーンや、牧草地のやわらかいピーグリーンを巻きこんで さらに広がってゆく・・・
 しばらくすると、丘のぜんたいに広がった そのあかるみ自体がゆっくりと移動してなかば縞模様に、なかばまだらに、尾をひいては向こうからやってくる、巨大なチャコールグレイの雲影にまたその場所を譲るのだった、・・・ほんのいっときのあいだのことだったのに、まるでひとつの帝国が生まれ、富み栄え、滅びてゆくようすを 時の流れの中にしずかに不動に立つ大岩の上から眺めていたかのようであった・・・

         *            *

 夜明け
 羊たち
 追ってゆく・・・

 当地では、一年の半分は霧と雲とに閉ざされ、あとの半分はそれに加えてたえまなく吹きつける風にさらされている・・・ 剥き出しの岩壁のあいだを吹きぬける風は荒々しく、凶暴だ・・・ ごうごう唸り、突然向きを変えてうねり、叩きつけ、怒りの発作のように吠えたける・・・
狂ったように吹きすさぶ晩はとりわけ、どっしりと堅固な石壁に守られて家の中にあることがありがたい・・・ けれども、灯りを消して床に就き、まっ暗闇のなかで山々のあいだを駆け抜ける風の音に耳を傾けていると、あいだに隔てるものが何もなくて、狂気がすぐそばにあるのが分かる・・・ この暗やみのなかで、雲は舞い、吹きちぎれ、星々を隠して飛び掠めてゆく・・・ おそるべき力、おそるべき大きさだ、この土地は人のかたちになじまない土地なのだ・・・

 風の強い夜明け、青い薄明かりの窓辺に立つと、きのうまでは誰もいなかった野に、急に出現した幻獣の群れのように、一面に羊たちの白い影が散らばっていることがある・・・ みどりとベージュの秋草が吹き分けられ、彼らの白い背中も吹き分けられる、彼らは意に介さない、黙々と一心に草を食みつづける・・・ 扉を開けて野へ出てゆくと、みんなしていっせいに同じ方向へ、流れるように移動してゆく、夢のように。・・・ 身を守るすべといっては何ももたない、愚かで弱々しい羊たち、けれどもかように荒々しい土地にあってなお 彼らの無邪気な姿を目にすることができるのには、どこかしら心慰むものがあった。・・・
 私は、羊が好きではなかったのだ。その姿を見ると、どうしてもキリスト教を思い起こさせられたからだ。・・・
 それでもなお。・・・
 こちらに来てはじめて、つくづくと羊たちの姿を観察するようになった。・・・そのとぼけた微笑ましさ、ぷっくりと太った、毛足のながい胴体を支えるきゃしゃな脚、猫の脚にエナメル靴を履かせたようで、後ろ姿も何となく太った猫に似ている・・・ 足を運ぶにつれて、長い尻尾がお尻のところでひょろんひょろんと間抜けにゆれる。こちらに背を向けて石垣の上にちょこんと丸くなっていたかと思うと、手を伸ばせば触れるくらいのところまで来て、急にこちらの気配に気づき、弾かれたように飛び上がってすたこら逃げていったりする・・・ 臆病なくせに好奇心が強く、人の姿を見ると首を上げて何者だろうと眺めやる。・・・ なかの一匹は とりわけ開拓者精神が旺盛で、のびあがって新しい草地があると見るとこっそり裏庭に入りこんで来て、こっちの草はどんなものかと味見してみたりする、スガンさんの雌山羊みたいに。・・・

 谷の向こうの斜面にも羊たちが散らばって うじの子たちのように彷徨っていて、ときどき妙に整列して同じ方向に向かっているなと思うと、羊飼いが大声をあげて、群れ全体を追い立てていることがある・・・ その声が、あんなにとおくなのにこっちまでよく響きわたる。白く浮き上がって見える芥子粒が羊で、そのまわりを狂ったように駆けまわる、丘と似たような色のはっきりしない点が犬である・・・ 羊飼いの叫び声、群れの鳴きたてる音、犬の吠え声が入りまじってすさまじい騒ぎだ、丘はとても広いので、ぜんぶを集めるには時間がかかる・・・ けれどもしまいには一匹残らず集められて、列をなして丘の坂道を登ってゆく・・・民族大移動である・・・
 彼らの姿が消えたあとは、ぽっかりと何もない、完全な静けさばかり。・・・
 ガチガチの岩山の、とんでもなく高いあたりにも、彼らの姿はある。どんなに風が吹きつけても、どんなに雨が叩きつけても、踏みとどまって、どこにも隠れることはない、しずかに草のあいだにうずくまり、おだやかな顔で草を噛みつづけている・・・ 彼らは何と・・・強いのだろう・・・

      

Posted by う at 07:05Comments(0)常若の水の調べ