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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年02月25日

白い雌牛の島

愛蘭土物語 ゴロウェイ篇6
白い雌牛の島 The White Cow Island
イニシュボフィンの物語
2010 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

 This was a spectral, floating island until fishermen landed on it in a fog, and by bringing fire ashore dispelled the enchantment; then they saw an old woman driving a white cow, which turned into a rock when she struck it. The cow occasionally revisits Loch Bo Finne.
  Connemara, Tim Robinson, Folding Landscapes 1990

 この島はかつて幽霊にとり憑かれた、海原の上をさまよう浮き島だった。
 あるとき霧に迷った漁師たちが上陸し、浜辺で火を焚いた。それによって、ながらくこの島にかけられていた呪いが解かれたのだ。
 このとき、彼らは白い雌牛にまたがって疾駆するひとりの老婆を見た。彼女が雌牛を打つと、それは岩になってしまった。
 その雌牛は、今でもときどきボフィン湖に姿をあらわすという。
 <コネマラ>、ティム・ロビンスン、1990(中島迂生訳)
 
         *

 イニシュボフィンは、アランの少し北に位置する荒涼とした小さい島だ。
 コネマラの西端、クレガン・ベイからフェリーで15分。
 大西洋をわたる風につねに吹きさらされて、背中を丸めた動物のようだ。
 険しい丘陵もあるが、大部分はくすんだ色あいのなだらかな地形で、木はあまり生えない。
 アランが地質学的にバレンに属するのに対し、イニシュボフィンはコネマラに属し、島の景色もコネマラに似ている。
 3マイル四方もあるかどうか。島民は、せいぜい百人。
 イニシュボフィンは<白い雌牛の島>を意味する。

 この島は、旅をつづけるうちに何となく行く手に見えてきたので足を向ける気になったもので、さいしょからとくに目的としていたわけではなかった。
 けれども、西の果てに向かって旅をするということは、たぶん人の本能のひとつなのだ。
 さいごの物語は西の果てにあるはずだ、昔の力ある人々がなべてティルナノーグへ渡っていったのであれば、西の果ての島に、おそらくはそのまた西のさい果てに。・・・

 島へ渡ったのは9月の9日だった。
 それまで三日も晴天がつづいていたのは奇蹟だ。
 この日、クリフデンを発ってクレガンから島へ渡る。

 ヒースに彩られた荒野の道を、クレガンへ向かいすがら、考えた。
 何かに対する渇望がみたされるのはいいことだし、それによって別のなにかに対する渇望が育つのもいいことだ。
 何かをしたいと思うことと、それをじっさいすることの両方とも必要で、両方ともなくてはならないのだ。
 愛蘭土へ行きたいと、願っていたこの13年間があってこそこんどのこの旅に意味があるわけで、願いもせずにただ来ていただけでは何の意味もなかっただろう。
 かといっていつまでたっても願いが遂げられぬまま干からびてやがて忘れ去られてしまい、しまいに大して行きたくもなくなってしまうなんていうのは最悪で、目も当てられない。
 願うのに時があり、成し遂げるのに時がある、というわけだ。・・・

 晴れ渡った海へ、船が出てゆく。
 見わたす甲板、吹きなぶる風、本土が遠ざかってゆく、心おどる・・・

 ほどなく島の入り江へ入ってゆく、
 天然の港、両腕で抱きかかえるように、しずかな湾になっている・・・

 右手にクロムウェルズ・バラック Cromwell's Barracks をのぞむ。
 岩山の上に築かれた石造りの廃墟、兵舎というより城か砦のように見える。 
 見るたびに、複雑な心の痛みを覚える、記憶から消し去りたい名前だろうに、今に残っているのが・・・
 というか、こんな最果てにまで爪あとを残したのか、彼らは・・・
 それでも、美しい眺めなのだ、すばらしく絵になっていて、島のランドマークにふさわしい・・・
 
 桟橋から上陸する。
 南向きの斜面に、東西にハイ・ロードとロウ・ロード、二本のメインロードが走っていて、その周辺に民家がかたまっている。
 このあたりが、いまの島の中心部だ・・・少なくとも、人間たちにとっての。・・・

 島は地図に従って、ざっと5区分に分かれる。
 ボフィン湾から入って左手、南東のクノック Knock <丘>、いくすじかの石垣の走る、ごつごつとした岩山のひと群れ。
 宿はこのクノックを南にのぞみ、サンルームからはいつもこの景色を見ていた。
 この東側には、ライオン島 Inis Laighean がある。
 
 島の北東部はクルナモア Cloonamore <大原>、まん中部分のミドルクォーター Midllequarter。
 このあたり、とくに北側の海沿いの辺、荒涼とした山岳地帯だ。

 その左、フォンモア Fawnmore <大坂>、そして西端部、ウェストクォーター Westquarter。
 この辺は、比較的なだらかな地形だ。この間にボフィン湖 Loch Bofin があり、西北端には雄鹿岩 The Stags がある。

 島に着いた日、宿に荷物をおいてから、島の西端まで足をのばそうと試みた。
 集落が尽きた先、てきとうな細道をゆきあたりばったりに選んで一心に目指すけれど、山に阻まれてなかなか辿りつけない・・・
 そのうちとっぷり日も暮れてしまって、結局その日はあきらめて引き返した。 
 夕方になるとブヨが出るのは分かっていたが、このときはまた想像を絶していた。
 フードをすっぽり被って、顔だけしか出していなかったのだが、その出していた顔一面、容赦なく、月の表面のように凹凸だらけにされた・・・

  宿の世話を任されていたイーマは、ほんとうに気持ちのよい人だった。
 <プロロヲグ>にも書いた人だが、こちらの気もちを汲んで、好きにさせてくれ、放っておいてくれて、なおかつ信じられないくらいこまやかな気遣いをしてくれる人だった。
  
 けれどもやはり・・・五ヶ月間、旅をつづけて見知らぬ人びとのあいだで過ごしたあとで、私は人づきあいというものにすっかり疲れてしまっていた。
 それで、宿では孤独と平和を享受するために、だいたいのところは共同寝室は使わず、中庭にテントを張って過ごしていた。
 宿に出入りするのは料理やなにかの雑用のときだけだった。

 港の桟橋の近くにちいさな食料品店があって、海が荒れない限り週に一度、積荷が届けられる。
 食料品は、ここで手に入るものがすべてだった。
 島にいたあいだ、数日ごとに、とんでもなく割高なパンや、缶詰や、しなびた野菜を買いこみに行った。
 
 野菜といえば、ヨーロッパにいないとその存在を忘れてしまう、なつかしい名前をいくつか思い出す・・・
 スウェード、パースニップ、シュピナッツ・・・
 スウェードは、紫色をしたカブの一種だ。でっかくてカボチャのように重く、皮は固い。
 パースニップは、白いにんじん。だが、味はジャガイモとカブを足して2で割った感じ。
 シュピナッツは、まあホウレンソウのようなものだ。

 島へ渡ってさいしょの晩は、星が信じられないほどだった。
 翌朝、雨がぱらついて目がさめ、起きだして柵のところに干しておいた洗濯物をテントに放りこんで、そのままぶらぶら、島の反対側に通じる道を散歩しにいった。
 願ったように雨が降ってきて嬉しかった・・・やはり、アイルランドの島は、雨でなくては。
 戻ってきて食事を終えたところでものすごい集中豪雨が来て、午前中ずっとそんな感じだった。
 実はそれは、島で過ごした二週間のほとんどを占めた大嵐の始まりだった。
 ・・・私が島に渡るのを待っていたかのように始まり、私が物語を受け取りおえたのち、去っていった嵐の。・・・

          *

 夜の風あらしのなかで邪悪なものの力に出会う。
 最果ての島の特異さ。別の世界へ通じる。
 12の物語のさいごを飾る/結びとなる。

 イニシュボフィンの伝説について知ったのはいつのことだっただろう?
 島に渡る前から、何かで読んで何となくは知っていたような気がする。
 何だかひどく曖昧で、断片的なのが気になった。
 宿に落ち着いてまもなく、イーマに訊いてみたことがある。
 島の伝説があるでしょ? あれって、何なんでしょうかね?
 Oh, it doesn't make sense. Just a piece of words...
  あら、全然意味をなさないのよ。
 イーマは至極簡単に片づけ、そのときはそれで終わってしまった。

 島では日中のあいだはほとんど、たまに夜間も、ガスも電気もストップしていた。理由は分からない。
 
 三日め、暗くなってから風が強くなり、テントがバタバタあおられてうるさくて寝つかれなかった。
 いつペグごとふっ飛ばされてしまうかと気が気でない・・・草地の下がすぐ岩盤なので、あまり深くペグを打てないのだ。
 
 そのうち、うとうとと眠りにおちたが、夜中に突然、暗闇と奇妙な沈黙のなかで目を覚ました。
 ・・・息ができない。
 外からなにか圧力を加えられて、テントの中に空気というものがなくなってしまったかのようだ。
 夢中で寝袋から這い出して、テントの入り口を開け放った。

 このとき、前線が通過したのだと思う。
 風向きが正反対になって、入り口に向かってまともに吹きつけていた。
 それでテントが風をはらんだ帆みたいになって、ぜんぜん息ができないのだ。
 
 宿の灯りもすっかり消えてまっくらだった。
 ともかく、身の回り品と寝袋をまとめてテントから這い出し、風で吹っ飛ばされないようポールを抜いて引き倒してから、まっくらななか、手探りで宿までたどりついた。
 どこをひねっても、何もつかない。・・・
 結局ラウンジのソファの上に落ち着き、壁越しに吠えたける風の音を聴きながら朝まで眠りこんだ。

 こんなひどい天気でいったい朝までもつだろうか、というのは思っていたのだった。
 けれども同時にどこかで思っていた、この晩がはじめて、島の顔にひとりで向き合う晩になるだろうと。
 ばたばたはためく真っ暗なテントのなかでひとり風の音を聴いて、それらの風が島じゅうの平野を吹き抜けて狂おしく闇の中を走ってゆくようすを思い浮かべ・・・そのときはじめて、島の魂の端っこに触れることができるだろうと。・・・

 こんなに最果ての島では、もう訳が分からなくなってしまっているだろう・・・世界のほかの場所でふつうに作用するようには、物事が作用しなくなっているだろう・・・風も光も、どこか尋常でない歪み方をして、その歪みのもう一方の端では世界の端がめくれあがって、別の世界の端っこにつながっているのだ・・・

 石に変えられた牛たち、石に変えられた魔女たち・・・
 遠い昔のおぼろな霧の中で起こったと伝えられるそれらのできごと、そのことばはそのほんとうのところを伝えているのだろうか? ・・・いや、決して・・・
 ほんとうのところは ごうごうとひびく暗い風あらしがかなたへ運び去ってしまった、それらをもういちどこの手に引き戻すには、同じ風あらしの暗い晩に島で過ごすことによってしか・・・ そしてこの身をその暗闇に賭し、同じ危険のただなかに曝すことによってしか・・・

 風向きが急に変わり、電気さえ切れたその晩、真っ暗やみのなかで、息することもままならぬ激しい風のただなかで、私はたしかにそれに出会った。原始の恐怖、自然の脅威、人が邪悪と呼ぶものの力に出会った。・・・なぜそれが邪悪と呼ばれるかというと、それは人の身の安全いかんなど全く気にかけないからだ。それはただ力ある、底知れない強さをもった力で、ただその心のおもむくままに大地を行き巡っているのだ・・・ここにさいごの物語があった。
 その題名は・・・風の島。・・・
 ふだんは決して開かれることのない扉を激しい風あらしに逆らって束の間押し開いてみせ、我々がかつて見たことも聞いたこともない、けれども実は我々の世界と隣り合わせに存在する異界の一端を垣間見させるような物語・・・
 
          *

 そう、ほんとうに、これそのものが物語のようだ。
 島へ渡って、テントを張って暮し、夜中に嵐に遭ってみたかった。
 ずっとずっと長いあいだ。もう覚えてもないくらい遠い昔から。・・・

 アンドリュー・・・そんな名の主人公がいたっけ。
 11のときだ・・・私の書いていた物語。書きかけの原稿の、うしろ半分だけが残っている。
 彼も夜中に嵐にあって家を失った。それから長い冒険の旅が始まるのだ・・・

 ああ!・・・ 冒険の旅!・・・ 私の内に冒険への憧れを植えつけた、これら幾多の冒険小説を、私は永久に愛するだろう・・・<宝島>、<ソロモンの岩窟>、<ロビンソン・クルーソー>、<トム・ソーヤーの冒険>、<モヒカン族の最期>、<ガリヴァー旅行記>・・・ これら埃にまみれて書棚の隅っこに忘れられ、なおも永遠の輝きをもって人をとらえて離さない、それら冒険小説の数々を、私は永久に愛するだろう・・・それらこそが人生の中で、何に価値があるかを教えてくれた。ただ生き抜くということのためだけのstruggleのなかにこそ、生きることの激しい輝きがあることを。・・・

 横へ横へ走ってゆく雨の精たち。
 空もようにつれて見るまに色を変えてゆく 変幻自在の海。
 やわらかい青色になったかと思えば 淡いグレイにかすみ、やがてすっかり白くかき消えてしまう・・・
 空は薄黄色から無色へ、貝紫へ・・・
 ざあーっと雨音がやんだかと思えばまたやってくる・・・

 岩の突き出た褐色の大地。
 葦と水連の生えた小さい沼地。そこにいる茶色やぶちの牛たち。
 灰色と白の馬たち。
 白い鳥。鳥の足をした女。・・・

 岩のように見える牛たち、牛のように見える岩たち。
 それは風と、真夜中の暗闇と関係がある。
 それは死と関係がある。満ちてくる潮。
 それはかなたから吹き寄せる西風と、沖に白いすじたてる大波と関係がある。
 ばら色とクリーム色のまじった にごった色の海、底を掻きたてられて 灰色に濁って砕け散る波、
 夕方の浜辺は黄色い光の粒子を帯びている。
 これがその物語の舞台だ。
 それは底知れず恐ろしく、同時にとほうもなく美しい。・・・


14日、火曜日。
 日が落ちてから再度、島の西北端まで道をたどってみる。
 日が暮れてから暗くなるまでの いちばん美しい時間、
 せいぜい一時間だ・・・ 一刻千金ニ値ス・・・
 光のトーンが沈み、光のあたり方が均一になって 風景のもっとも細部まで、ありのままの姿をあらわす・・・

 北の方の山々は岩だらけで少しバレンの山に似ている。
 いちばん突端に着いたころにはまたも暗くなりすぎて、景色があまりよく分からない・・・

15日、水曜日。
 風もおさまって(というか、常に吹いてはいるのだが、出歩けないほどではなくなって)、曇り空。
 ちょっと出るとすぐ海が見える。すぐ近くに海があるというのは、すぐ近くに食料品店があるとか、図書館があるとかいうのと同じで心強く、ほっとする。
 内陸にいると、どうも閉じこめられているようで、息苦しくてかなわない。
 ああ、もう、すぐそばに海がある。去年の夏のような狂気じみた渇望は・・・考えるだけでぞっとする・・・

 少しくぐもった、やわらかい青いろ、少し灰色味を帯びた おだやかないろ。
 風は雲を運んでくる、西の海 白くかき消えたかと思うと やがて雨がやってきて
 すぐ目の前のみどりのメドウが霧に消えてしまう、激しい雨のかきたてる霧に。
 突風に運ばれて一群の星むくどりがやってきて、ほんのいっときメドウの上に翼を休め、それからまた突風に吹っ飛ばされてゆく・・・
 かと思うとまた見るまに水平線が、暗い青灰色の海がくっきりと姿をあらわし
 そのうちにこちらの雨も途切れるのだ、一日じゅう、その繰り返し・・・

 またあるときは 水平線が白くかき曇って消えてしまって ぼんやりとした灰色の地に
 ただ白い波がしらのすじだけが 縞もようになって見えることもあった

 高く高く 砕け散った波のしぶきが 映画のスローモーションのように とてもゆっくりと散ってゆく・・・

 低く低く 銀灰色にちぎれた雲の群れが駆けてゆく

 向こうの山々は 吹き散らされた こまかい雨のヴェールに白くかすみ あるいはもう輪郭を失ってしまう・・・

 荒野にかかる虹、ふつう虹のイメージから想起されるよりももっとクリスタルで、シャープで硬質な。
 ガラスの繊維でできているような。
 文字通りあそこの庭から始まっている、庭の柵が赤やオレンジの霧の向こうに見えるのだ。
 洗濯物といっしょにゆらゆら揺れて、次の雨にかき消される。

 ざざーっと激しい雨がやってきて、しゃっと風を切る、ギターのストロークのように。
 まだ大粒のしずくを滴らせているフクシアの茂みに日光が射して、violentなまでに激しくかがやく・・・

         *

 ピエールとリュシー。・・・

 宿の南側に張り出してガラスのサンルームがあり、そこからは向かいの岩山のすばらしい眺めが見渡せて、雨の日を過ごすには最高だった。
 ほかの人々もだいたいその辺りにいることが多かった。
 入れ替わり立ち替わり、滞在期間もさまざまな、色んな人たちが来ては去って行った。
 <プロロヲグ>で書いた詩人の二人連れもそうだったが、彼らに劣らず印象的だった人たちのことを、あそこでは書いていない。

 それはフランス人の若いカップルだった。
 大学生どうし、あるいは院生と学部生、といったところだろうか。
 嵐のつづいていたあいだずっと、彼らは中庭にテントを張って眠り、昼間だけ、出掛けていないときは、宿で過ごしていた。
 私と同じパターンだった。

 男の方は、細ぶち眼鏡をかけて、線が細く、声が高く、神経質そうで、コクトーのペン画みたいだった。
 後ろ姿はショートカットの女の子のようで、実のところ、さいしょは遠目に見て、女の子の二人連れかと思っていた。

 彼らは、礼儀正しく、親切で、感じがよくて、とても素敵な人たちだった。
 仲よく交代で食事をつくり、少し天気がよくなるとおもてへ出掛けた。
 けれど、いかんせんずっとそんな天気だったから、宿にこもっていることも多かった。

 宿にいるとき、とくに男の方は、よくサンルームのテーブルに向かって、島の図書館から借り出してきた本を読んでいた。
 学生らしく熱心に読み耽っていたが、そう体系だっているわけでもなくて、机に重ねてあるのを通りすがりにちらっと見ると、ケルアックの<路上>であったり、かと思うとなぜかモンテーニュの<エセー>のいきなり中巻だけだったりした。

 こんなに天気が悪いのに、そしてたぶん、私のように物語の訪れを待っていたわけでもなし、なぜ来る日も来る日も島にとどまっていたのか分からない。
 もしかしたら、フェリーの欠航がつづいていたのかもしれない。

 男の方は、何というか、極端に禁欲的なところがあった。
 あるとき、夕方、もうだいぶ薄暗くなってきたサンルームで、ひとりあいかわらず本にかじりついていたことがあった。
 通りがかりに何気なく、「電気つけましょうか」と訊いたら、「いい」というのだった。
「まだ、窓からの明るみで読めるから」・・・
 ・・・これでは彼女、大変だろう、とはじめて思った。・・・

 彼女の方は、ほんとうはもう疲れていたのだ。
 荒々しくぶっきらぼうなこの島にも、嵐のつづくなかでテントで眠りつづける生活にも。・・・
 あれではろくに眠れやしない・・・よく分かっている、私自身、テントで眠っていたのだから・・・

 ある朝、ピエールがイーマのところに来て、「彼女、知らない? いなくなっちゃったんだよ」というのだった。
 その彼女は、居間のソファで寝袋に頭まですっぽりくるまって眠っているところを発見された。
「あら、こんなところにいたわ」と、イーマはピエールと笑いあったが、ジッパーを開けてくしゃくしゃの顔を突き出したリュシーの方は、とても笑う気分ではなかった。
 テントの中は寒くて、一晩中バタバタと風にあおられるのだ。
 もう、こんな荒れ果てた最果ての島になんかいたくない、日のあたるフランスへ帰りたいのだ・・・

 嵐のつづいていたある午後のことだった。
 サンルームにいたリュシーは、となりのキッチンで何かしていた恋人の名を呼んだ。
 一度。・・・そして、もう一度。・・・
 ピエールが現れて、「何?」と訊いた。
 リュシーはだまって恋人の顔を見つめた。
 その顔は疲れきっていた。もうこれ以上耐えられないと、心折れそうに感じた瞬間だった。・・・
 リュシーは溜め息をついて、首を振った。
 ピエールはキッチンへ戻っていった。・・・

 数日後、サンルームのテーブルに、イェイツの評伝が広げられてあった。
 美しいアイルランドの油彩風景画のふんだんに散りばめられたこの本は、彼女が借り出していたものだった。
 開いてあったページは、巻末におさめられていた詩のひとつで、あまりにも有名な・・・

 
 When You Are Old        W.B.Yeats

  When you are old and grey and full of sleep,
  And nodding by the fire, take down this book,
  And slowly read, and dream of the soft look
  Your eyes had once, and of their shadows deep;

  How many loved your moments of glad grace,
  And loved your beauty with love false or true,
  But one man loved the pilgrim soul in you,
  And loved the sorrows of your changing face;

  And bending down beside the glowing bars,
  Murmur, a little sadly, how Love fled
  And paced upon the mountains overhead
  And hid his face amid a crowd of stars.

  
 あなたが年老いたとき
            W.B.イェイツ
            中島迂生 訳

 あなたが年老い 髪も灰色に つれづれとして
 炉床のそばで うつらうつらと過ごすようになるとき
 この本を棚から取って ゆっくりと読むだろう
 そして かつてその瞳の湛えた優しいまなざしを   
        深く落としたそのかげを夢に見るだろう

 どれほど多くの男が 喜びに溢れたその微笑みの刹那を愛し
 あなたの美しさを・・・それが真の愛であれ、偽りであれ・・・愛したことか
 だが、なかのひとりは あなたの内なるその巡礼の魂を愛した
 そして あなたの移りゆく面ざしのなかの その哀しみを。

 かくて 炎に照りかがやく炉格子に身をかがめ
 呟くのだ、少しばかり悲しげに
 愛がどんなふうに去っていったかを
 そして かなたの山なみを駆け去って
       星々の群れのただなかに その顔を隠してしまったかを。


 そう、それは彼女の気もちのそのままだった。
 彼女は思い悩んでいたのだ、自分はピエールをほんとうに愛しているが、いったいどこまでついていかれるだろうか、
 年老いて白髪になったとき、ふたりは一緒にいられるのだろうか、と。・・・

 薄暗いサンルームで、二人しずかに抱き合っていたことがあった。
 愛情を交わすためというより、寒さを防ぐためみたいだった。
 彼らふたりは繊細な二枚貝の一対、悲しげな双子、よるべのない子供たちのようだった・・・

 彼らのほんとうの名前を私は知らない。
 ピエールとリュシーというのは私が勝手につけた名前だ。
 彼らを見ていると、ハーマン・メルヴィルの<ピエール、あるいは曖昧性>に出てくるピエールとリュシーにそっくりなのだ。
 訳のわからない狂気の情熱にとりつかれて館にこもり、命をかけて本を書きつづけるピエール、リュシーはその恋人で、彼の狂気に引きずられるように、どこまでもついていく。・・・
 どんな狂気がこのピエールを、こんな最果ての島にまで駆り立ててきたのだろう?・・・

 嵐つづきの陰鬱な宿に、ときどき愛すべき訪問者があった。
 となりの家の灰トラの仔猫で、陽気で人懐こく、図々しいほどに愛くるしかった。
 あるとき、リュシーがこの猫をじゃれさせていたところにぶつかって、声をかけた、
 この猫、名前はなんていうのかな?・・・
 知らない、といって彼女は顔をほころばせた。
 その瞬間、その紅い唇が花びらのほうに咲き、顔ぜんたいが急に日の光がさしたように、花のように、ほんとうに花のように、ぱっと照りかがやいた。
 はっとして、そのときはじめて気がついた・・・控え目で礼儀正しく、そしてあまりに悲しげな印象ばかりが強かったリュシーが、ほんとはこんなにも美しかったのだということに。・・・

 サンルームの一画は彼らの専用スペースのようになって、そのテーブルにはいつも彼らの持ち物がおかれ、椅子の背にはいつも彼らのタオルやぬれた服やレインコートが干してあった。
 とにかく毎日嵐だったので、おもてへ出るたびずぶぬれになったのだ。
 テーブルにはピエールの細ぶちの眼鏡、リュシーの髪どめ、本の山、淡いブルーグレイのザック、水色のふたのエヴィアンのペットボトルに、パステルカラーの貝殻のかけらを詰めたもの。・・・
 その一画には彼らのもつ気品や清潔感や慎ましさがただよっていて、彼ら自身がそこにいるようだった。

 彼らは二週間島にいて、それから帰っていった。
 さいごの日、フェリーが出るとき、私はちょうどハイ・ロードにいて、それを見ていた。
 桟橋のところにピエールとリュシーが立っているのも小さく見えた。
 思いきり大きく腕を振ったが、たぶん気がつかなかったと思う。

 リュシーはほんとうに親切だった。
 島を去りがけ、図書館の本の借り方を教えてくれて、もう使わないから、と自分のつくったカードを譲ってくれた。
 それでこんどは私が図書館に出掛け、リュシーが読んでいたイェイツの評伝を見つけたのだった。
 <プロロヲグ>と<エインガスの砦>に書いた、アランについての本も。・・・
 これらの本を、本土に戻ってから私はエニスの書店で見つけ、そしてそれらはいま私の手元にある。
 
        *
 
 これらの日々のあいだ、待てど暮らせどいっかなおさまる気配がないので、みんなときどきは嵐をついて散歩に出かけた。
 だが、それはしばしばすさまじい散歩になった。
 私がとくに忘れがたいのは、クルナモア、島の北東部の山岳地帯を歩いた日だ。
 ごつごつとした岩山の風景のなかを三時間ばかり歩きつづけたと思うが、叩きつける雨つぶが顔に痛く、穴があきそう、・・・狂ったような暴風に、進むことはおろか立っていることすらできなくて、地面に這いつくばる、といった調子だった。
 やっとのことで宿まで辿り着くと、渾身の力をこめて背中でドアを押し、家の中にまで入りこもうとする風を、力いっぱい閉め出すのだ・・・

 そこまでの暴風雨ではない日に、ミドルクォーターの平野部を歩いたことがある。
 曇り空にくろぐろと沈むあの岩肌の見える海のきわまで行きたくて、てくてく歩きつづけるうち、体の先の方はすっかり冷えるし、足は棒のようにがくがくになってきた。

 そんな特別寒い日には、イーマが居間の暖炉に火を焚きつけてくれた。
 本物の火、何よりありがたい。
 
 手作りのアップル・クランブルをごちそうになったこともある。
「寒い日にはこういうの作りたくなるの、いい匂いがするでしょう」

 アップル・クランブルはふつう、煮たリンゴの上に、焼いたクッキー生地を砕いたものをのせ、カスタード・クリームをかけたものだ。
 私は正直、ふだんはカスタード・クリームは苦手だった。
 けれど、このときはイーマの心遣いが嬉しく、じっさい、おいしくごちそうになった。

 島のパブには、一度だけ行った。
 音楽をやる日に、聴きに行ったのだ。
 それがなかなか始まらなくて、やっと始まったのが十時を過ぎていたと思う。
 と思うと、こんどは、なかなか終わらない。
 夜中の二時ころをまわり、さすがに眠くて朦朧となって、盛り上がっているところをひとりあとにした。
 真っ暗な道を宿へ向かっていると、真っ暗闇で急に人とすれ違って、向こうもこちらもびっくりして飛び上がったりした。

 夜は、あいかわらずテントで眠っていた。
 この天気に加え、旅先で調達したあまりつくりのよくないテントで、すきま風が吹きこまないように果てしなく補修を繰り返していた。
 じっさい、この島にいたあいだのエネルギーの半分はテントの補修に費やしたようなものだ。
 思い出すだに疲れるので、ここはすべて省略する。

 嵐のとりわけひどかった晩には、いくどか宿のベッドでも寝たのだった。
 けれど、テント暮らしに慣れてしまっていると、それもどうもうまくなかった。
 テントだと片手を伸ばせばすべて用が足りるところ、何かというと起き出してあちこちへ出向かなければならない。
 寒さに震えることはないかわり、明け方には暑くて気分が悪くなって目を覚ます。
 いつもの調子でいきおいよく起き上がると盛大に天井に頭をぶつけるし。・・・
 どうにも居心地が悪く、結局またテントに戻った。

 そのときは夏用の寝袋しかもっていなくて、十月の嵐の野宿には少し寒かった。
 上からもう一枚かけるとちょうどいい感じだった。
 宿のソファにかけてあった薄手のブランケットがちょうどよさそうだったので、そのために借りていた。
 しかも、ちょうどそのときイーマがいなかったので、勝手に借り出して事後報告だったのだが、ぜんぜん気にせずに「いいのよ、何でも使って」と言ってくれた。

         *

 嵐のつづいたあいだ、しょっちゅうサンルームの窓辺に膝を抱えて、おもてを眺めながらいろいろと考えた。
 たとえば、世界中に共通する、物語の枠組みというものについて。・・・

 たとえば、リップ・ヴァン・ウィンクル。・・・
 色んなアーキタイプ。
 異民族に嫁ぐ妻たち、竜退治、魂を売り渡す・・・

 昔から伝わるもので、けっこう複雑なプロットなのに均整のとれた、すっきりとして美しい構成で、「ほんとうによくできた物語だなあ!」と惚れぼれするようなものがある。
 
 たとえば、人魚姫。
 けっこう色んな要素が入って、複雑だ。はじめからしまいまで正確に語れる人がどれだけいるだろうか?・・・
 オイディプスにしてもそう。もとからある伝説を下敷きに書かれたとはいっても・・・

 サンルームからのぞむ海、雨足が強まったり弱まったりするにつれ、見るまに水平線がぼんやりとかき曇り、あるいはまた現れてきたりする・・・
 その雨あしが、それがほどなくこちらまで届く・・・

         *

 夕暮れどき 西の空の明るみ 消えゆかんとして山々は雲にまぎれて
 山なのか雲なのかもう分らなくなってしまう ふじ色の、うすずみ色のシルエット
 Alright, これが当地のものごとのありようなのだ・・・
 激しい嵐のただなかで山々は消え 夕暮れには雲に変わる
 吹きちぎられて 西の辺境をさまよい 翌朝にはまた何食わぬ顔してもとの位置に戻っているのだ・・・

 すべては変幻自在で移りゆく、何のふしぎなことがあろう・・・
 霧の中で牛たち羊たちは白い岩に変わり、魔女ハシバミの枝で打つと再び生きて動き出す。
 こんな真っ暗やみの、こんな激しい風のなかでは何が起こってもおかしくない・・・

         *

 光がさすと海はまだら、浅いところはガラス質の淡いエメラルドグリーンに
 深いところは暗い孔雀石いろに
 かなたは群青に 岩礁の上では紫いろを帯びて
 海草のかたまりのうえでは赤っぽくなる
 日がかくれると とたんに色あせてしまう・・・

         *

 失われてしまったものは常にもっとも美しいのだ。
 彼らの詩が美しいのは、もっと美しいものの美しさをとらえようとしてとらえられない、
 そのあいだの永遠の隔たり、その哀しみの気分を伝えるからなのだろう・・・

 私のアイルランドに、何てことをしたのだろう、彼らは。
 夜、眠れずにベッドの上で寝返りを打ちながら、取り返しのつかない、というこの感じが底まで沁みとおるのをどうすることもできずにのたうちまわり、
 昼には激しい風のなかで島のあちこちを彷徨い歩きながら、風が涙をちぎり飛ばしてゆくのを何度となく感じたが、ただあまりに激しい風のために瞳が乾いたせいなのか、絶望のせいなのかよく分からなかった・・・
 
 大切なものがたくさんありすぎて かくも大切なのに失いつつあるものがたくさんありすぎて・・・
 第二のイェイツの時代にあるのだろう・・・詩人たちは彼らに知らせなくてはならない、今や失われつつあるものにどんな価値があるのかを、詩人たちはいつも同じ 失われたもの、失われつつあるものを追いかけている・・・
 
 肉のアイルランド人がアイルランド人なのではない。
 外国人がこんなところで何をしているのだろうと思う人々は知らないのだ、彼らが五千年前にここにいたことを・・・

         *

 ゆらゆらと、またたくまに光のさしては弱まったり、ひときわ強くかがやきわたったかと思うと雲むらに遮られて翳ってみたり・・・一瞬たりととどまっていることのない、はるかにのぞむ草の色も海の色も、光のかげんひとつで変わる・・・
 午後3時のまっすぐな光、きついもえぎ色にもえたち、あるいはくぐもっておだやかな色を取り戻し、・・・

  そんな日の午後、島の南のへりをずっと、草の道を西端までたどる。
 右手には<大山> Cnoc Mor 、左手には海の向こう、アーク島 Inishark が横たわっている。
 今はもう、人は住んでいない。
 けれど、昔住まれていた建物が打ち捨てられて、そのままに残されている。

 はるかに小さく、ぽつりぽつりと 家々や教会が見える・・・
 石垣が縦横に走っているが、そのなんと細いこと!・・・
 まるで、はばの広い鍬で土を平らにならしたとき、そのあととあととのあいだにできる、ひとすじのわずかな土の盛り上がったラインのようだ・・・

 心打たれるのは その安らかな調和の印象である・・・
 鍬のあととあととのあいだのラインが、平らな部分と同じ土であるように、これら石垣のすじめも、もとからその土地にある石をそのまま使って築かれたのだ。
 だから遠目に見ると地表と同じ色をして、しっくり溶けあっている、人造物というよりも、まさに風景の一部だ、それら石造りの家々もおなじ、築かれたものというよりも、なにか有機的に生えいでてきたもののようだ。

 こちらの島とたいして変わりのない、そのわずかばかりの集落のあいだに、時どき行き交う人影が見えたとしても、なんらふしぎなことはない・・・
 島では夜ごとに 崩れかけた家々は過ぎにし日々のかたちによみがえり、窓辺には灯がともされて、百年前とまったく同じに、去っていった人々の幽霊が今もしずかに彼らの暮らしを営みつづけているのだ・・・
 教会ではミサがあげられ、学校の鐘はうち響いて時を告げ・・・
 漁師たちは海へ出てゆき、女たちは炉端で糸を紡ぐのだ・・・

          *
 
 島で過ごしたあいだに、島じゅうを、ほぼくまなく歩き回った。
 海沿いをぐるり、しずかな浜や、波の砕け散る荒々しい岩礁、・・・荒涼とした岩地、山々、・・・風に吹き分けられる草々のあいだに岩のごつごつと突き出た丘陵・・・ 
 それから羊たち、アイルランドの至るところに、ここにもいる、彼らもまた愛すべき風景の一部だ・・・
 くすんだ緑と茶の入りまじった大地が両側に、さらにその向こうに 歩を進めるにつれ、いきいきと広がり、盛り上がってくる・・・ 

 気づかぬうちにいつのまにかゆっくりと雲の流れすぎて、いつのまにか半ばほど、おだやかに澄んだ、かけすの羽の青色の宵の空が ゆっくりとあらわれていたとしても・・・

           *

 悪魔のフラジョレット。・・・
 これは、私がつけた名前だ。
 
 石垣で囲われた牧草地の扉に、細い鉄パイプでできたものがよく使われていたが、風の強い日にはしばしば、その筒状になったところに風が入りこんで、ひゅうひゅう、悪魔の呻き声のような音をたてるのだ。
 人っ子ひとりいない平野部を、よくその調べを聴きながら歩いた。・・・

 ウェストクォーターの岩地では、動物の歯を拾ったことがある。
 ひと揃いのあご骨にずらりと歯が並んだもので、風雨にさらされて少し苔むしていた。
 私はそれを持って帰り、宿の窓辺の、貝殻や流木や何かがごちゃっと飾られている一画に加えておいた。・・・
 
           *

 いま私の手元には島の歴史や地形を一冊にまとめた書物、Inishbofin Through Time And Tide と、その付録の島の地図とがある。

 一枚の地図におさめられたこの島と、周辺のいくつかの付随する島々、・・・それだけでもう、ひとつの宇宙だ。
 イニシュボフィン、小さな島。
 端から端まで4マイルに満たないし、海岸線をぐるりとひとまわりしてもせいぜい10マイル。
 たったそれだけのなかに、刻々と永遠に移りゆくゆたかな表情と、数千年にわたる人の営みの歴史と、さらにほかの、数知れぬ秘密を秘めている・・・

 島の心に分け入って、島の秘密を解読するには一生かかる。
 いや、一生では足りないかもしれない。
 それでも島のもついちばん大きな秘密を、私は得ることができたと思う。・・・

           *

 It というもの。・・・

 それ。It。
 あの晩私が真っ暗やみのなかで出会った、顔のないもの。・・・
 そいつには名前がない。<それ>(It)としか呼びようがない・・・

 It rains とか It blows とかの It って何なのだろう?
 なぜそこに代名詞なのか?・・・

 昔はなにか具体的なものを指していたはずなのだ、もちろん。
 でなかったらそういう表現にはならないだろう。
 もちろん It というのは雨の神であり、風の神なのだ。・・・

 日が昇って安全になってから、宿の居間のソファに寝っ転がって、辞書で It を引いてみた。
 いろいろ意味の説明がでているなかに、「(鬼ごっこの)鬼」というのを発見して、少しぞっとした。
 同時に、やはりそうなのだ・・・と腑に落ちた気がした。

 鬼ごっこ。・・・歴史を遡ればずいぶん昔からあるに違いないけれど、オカルティックな性質をもった遊びだと思う。
 鬼になっているとき、言ってみればその子には"It"が憑依していて、その子は It のシャーマンになっているというわけなのだ。

 名前をつけない、性別を特定しない、つねに代名詞で呼ぶというのは、そいつがおそろしいものだからだ。
 昔、妖精たちのことを good people と呼んでいたのと似たところがある。
 日本の言霊信仰にも通じる部分がある。なにか悪いやつのことを名前で呼ぶと、そいつが来てしまうから、それを避けるために何らかの代替表現を用いるという伝統。・・・

 名前をつけるという行為には、その対象を理解し、手なづけ、私物化するという意味合いがある。
 そう考えると、それは人々の側の謙虚さを示しているともいえる・・・彼らは It のことを理解したり手なづけたりすることなどできないと知っているのだ。
 アダムが象やキリンに名前をつけたようなわけにはいかないと。・・・

 It のことを愛する人々でさえ、知っている、それは彼らを脅かし、狂気させ、さいごには殺すと。・・・
 アンドレ・ブルトンは恐れた・・・ゆえに狂気に近づいた。
 <月と6ペンス>のストリクランドは狂気など少しも恐れなかったがゆえ、さいごまで気を確かに保っていた。
 それこそが狂気であると、人は言うかもしれない、誰が知ろう?・・・

(私はこう思う。
 正気と狂気のはっきりした境目というものはなくて、ただその精神状態と、自分自身との関係によるのであろうと。
 自分がその状態の中に居心地よく落ち着き、それを肯い、あまつさえそれによって、自分がそれまで成し遂げたいと願いながら成し遂げられないでいた事柄を成し遂げられさえするようなとき・・・それはよい状態で、幸福な状態なのだ。
 ところが反対に、自分がその状態を恐れたり憎悪したりし、自分自身を失ってしまいそうに感じて一刻も早く逃げ出したいと思うとき、それは悪い状態で、責め苦なのだ。
 ただその基準があるのみなのだ・・・私はそう思う。)

 私はさいごには It に殺される。
 私はそのことを知っているが、そのことで煩わされたりしない。
 ただそのものだけに、私を殺すだけの価値があることを知っているからだ。
 ほかの何物にも、そんな価値などない。
 だから、私が自分のなすべき仕事をなし終えるまで、たぶん、It が私を守ってくれる。
 そのことを、じっさい知っている。・・・

           *

  Legends & Eearly History

 The most singular legends of Ireland relates to bulls and cows, and there are hundreds of places all commencing with the word Bo (one of the most ancient words in the Irish language), whish recalls some mystic or mythical story of a cow, especially of a white heifer, which animal seems to have been an object of the greatest veneration from all antiquity.
 (Lady Wilde:Ancient Legends, Mystic Charms, and Superstitions of Ireland)

 The legend concerning the origin of Inishbofin island has been told many times, in varying forms. The most common and  basic version relates how two fishermen, lost in fog, landed on an enchanted island and lit a fire. The flames broke the spell and the mist lifted to reveal an old woman driving a white cow along a shingle beach which ran between a lake and the sea. She was observed to strike the cow, whereupon it turned to stone. One indignant fisherman protested but but he received the same treatment and both he and the woman herself were turned to stone. It is said that the stones stood for all to see by the lakeside thereafter. They are not to be seen today nor have they stood in the living memory. Another tradition has it that the old woman and cow emerge from the lake every seven years, or alternatively to forewarn of some inpending disaster. The lake in question is Loch Bofin, or Westquarter Lake as it is  also known.
 According to Lady Wilde, there are hundreds of places with names deriving from the word bo throughout Ireland, all recalling some mystical association with that animal which, she claimed, "seems to have been an object of the greatest  veneration from all antiquity".
 In another version of the legend, the woman was red-haired and struck the white cow dead with her staff. The animal's  dying roar was heard throughout all Ireland. This, according to Lady Wilde, is an allegorical reference to history. The white cow is Ireland, and the red-haired woman corresponds to Queen Elizabeth. The death-blow obviously refers to that monarch's oppression of Ireland. Needless to say, this is a relatively recent interpretation of the legend since the island had its name long before Elizabeth times.

 伝説と初期の歴史

 アイルランドに残る伝説のほとんどが、雄牛や雌牛に関わっている。それゆえ Bo (アイルランド語でもっとも古い言葉のひとつ)で始まる地名が、アイルランドには無数にある。それらは雌牛の、とくに白い若い雌牛の神秘的・神話的な物語を想起させる。白い若い雌牛は、あらゆる古代文明において崇拝の対象となってきたように見える。
 レディ・ワイルド<古代アイルランドの伝説、神秘、迷信>

 イニシュボフィンの起源にかかわる伝説は繰り返し、さまざまなヴァリエーションで語られてきた。もっともよく知られているベーシックなかたちは、二人の漁師が霧の中で迷って呪いにかけられた島に上陸し、そこで火を焚いた、というものである。その炎が呪いを破り、霧がとけて、ひとりの老婆の姿をあらわした。彼女は湖と海とのあいだのひとすじの砂利浜を、白い雌牛にまたがって駆けていた。彼らが見ていると、老婆は雌牛を打ち、するとそれは石に変わってしまった。憤慨したひとりの漁師が抗議すると、彼自身同じ目にあい、結局漁師と老婆のふたりとも、石に変わってしまった。それ以来、これらの石は湖のほとりに立っていて、誰でもが見ることができたという。それらは今はもうないし、人々の記憶にも残っていない。
 別の言い伝えでは、今でも七年ごとに、あるいは何か差し迫った大きな災いの前兆として、老婆と雌牛とが湖の中から姿を現すのだという。問題の湖は、ロッホ・ボフィン(ボフィン湖)、もしくは現在知られているところのウェストクォーター湖である。
 レディ・ワイルドによれば、アイルランドじゅうに<ボ>を冠した地名が無数にあるということだが、それらはすべてこの「あらゆる古代文明において崇拝の対象となってきたように見える」白い雌牛の、なにか神話的な連想と結びつきがある。
 伝説の別のバージョンでは、女は赤毛で、雌牛をその杖で打って死なせたという。雌牛の末期の叫びはアイルランドじゅうに響きわたった。これは、レディ・ワイルドによれば歴史への寓意的な言及であるという。白い雌牛はアイルランドで、赤毛の女はエリザベス女王だ。死の一撃はあきらかに、かの専制君主のアイルランドへの弾圧をあらわす。いうまでもないが、これは比較的あたらしい解釈だ。この島はエリザベスの時代よりはるか以前から、この名前をもっていたのだから。
 <イニシュボフィン>(中島迂生訳)

 その日、伝説の端きれをもって暖炉の横に腰をおろし、つくづくと読み返した。
 Just a piece of words...
 それだけでは意味をなさないとしても。
 繰り返し目を通すうち、しぜんと思われてきた・・・これはひとつの物語のさいごの部分なのではないか、今は霧に隠されて忘れ去られてしまっている残りの部分を過去からよみがえらせてつなげることで、ひとつの完全な物語を復元することができるのではないか。・・・
 雨粒に打たれて唸る窓を見上げ、私はそれが自分のもとへやってくるのを予感した、かなたの沖あいの雲のあいだでしだいに形をとりはじめ、やがてゆっくりとこちらへ近づいてくるのを・・・

          *

 島の北西、フォンモア Fawnmore とウェストクォーター Westquarter のあいだにロッホ・ボフィン Loch Bofin、ボフィン湖がある。
 海とほとんど隣りあっていて、あいだにひとすじ、橋のような砂利浜がのびてふたつの水を隔てている。
 老婆が白い雌牛に乗って駆けていったというその砂利浜だ。
 地図で見ても、じっさい訪れても、何だか奇妙に人工的な匂いを感じる。
 自然の造形でこんなふうにまっすぐにひとすじだけ、浜ができるものだろうか。・・・

          *

 西北端には<雄鹿岩> The Stags がある。
 奇妙な造形の、ひと群れの岩礁で、潮の引いたときには歩いていける。

 島の北側、海沿いの淋しい道をどこまでもたどって、ざわざわと落ちつかなげにざわめく波がしらの向こう、その姿を遠くからひと目見たとき、私は心がどきりと冷たくなるのを覚えた。
 ひと目見たとき私は知った、これが・・・今は島の一方の端が傾いて海に沈んでしまい、向こうとこちらのあいだは水で隔てられてしまっているが・・・これがその昔、女主人マレナの館であったものの名残りだと。・・・
 そう、それもただの岩礁とみなすには、あまりに生々しく、人の手によって造られた感じがする、ちょうど幾棟もつらねて築かれたりっぱな館が、何かの変動でもって斜めに傾いて崩れ落ち、海水でまっくろになって朽ち果てて・・・そしてそのままながいときを経てついに今に至ったのだ、といったふうな・・・

 じっさい、岩礁のひとつは<城> Castle という名をもっている。
 <城の入り江>という場所もある。
 <オーウィン入り江>というのもある。オーウィンというのが誰だったかは、現在、分からなくなっている・・・

  それほど大きなものではなかった、けれども、風の吠えたけるさいはての岬、ただ枯草色の地と、どんよりと曇った空の下、その黒い色とあまりに異様なかたちとが、不吉な、おそろしい印象を与えるのだった・・・
 それらの岩々の積み上がったようすは、死体の山のように陰惨だった。
 まだ遠くにあるうちから、それは風景を脅かし・・・近づくにつれますます強く発する、暗い負の引力をもって人をとらえるのだ・・・

          *

  うら若き乙女フィオナ。・・・
 私の心の目によみがえる彼女の面影、その雪のような白い肌、波打つ髪のプラチナブロンド。
 あかるい青い瞳、しなやかな四肢、銀の鈴を振るような笑い声。・・・
 
 その昔、はるかはるか遠い昔、西海の果て、いまのアランやイニシュボフィンよりもさらに西の、
 伝説の地、常若の国ティルナノーグ。
 そこに暮らしていたのは、いまの我々とはちがった種族の人びと、いまで知られているところの妖精たち、昔の力ある人びとだった。
 これはその国の片ほとり、とある海沿いの地方で起こった物語だ。・・・

 その地の突端、アイルランドの側の海をのぞんで、女主人マレナの館はあった。
 広い庭園に囲まれた、堂々たる壮麗な館で、大勢の召使いに囲まれて彼女は暮らしていた。
 それは肥沃な美しい土地で、作物がゆたかに実った。
 彼女はまたたくさんの家畜をもっていて、それらを世話する者たちも大勢いた。

 乙女フィオナはその館の牛飼い頭の娘だった。
 女主人のみごとな牛たちを任された父親の下で、朝に夕に心をつくして世話にあたっていた。
 とりわけ彼女自身の分身のような、まっ白い若い雌牛を。・・・
 毎日、彼女は牛たちを畜舎から出して、湖のほとりへ放しにいった。

 女主人マレナにはオーウィンという恋人があって、ある日、彼女のもとを訪ねてくる。
 夏のはじめの美しい日のことだった。
 彼は途中で道に迷ってしまい、牛に草を食ませているフィオナの姿を見かけて、近づいてゆく。
 湖のほとり、木陰のもとで休んでいたフィオナが顔をあげて彼を見たとき、オーウィンは一瞬ことばを失ってしまう。
 木漏れびにかがやく銀色の髪、底知れぬ海のブルーの瞳、大理石の白い肌、その姿はひとつの完璧な絵だった。
 それはどんな女にも一度は訪れる、人生のなかでもっとも美しい瞬間のひとつだったのだ。

「乙女よ。あなたはもっとも美しい」・・・
 我知らず、そんな言葉がオーウィンの口を突いて出た。・・・

 突然目の前に現れたりっぱな若者の姿に、フィオナはむしろ困惑している。
 その身なりは異国の人のようで、この地方のものではなかった。

「・・・何の御用?」・・・
 問われてはじめて、オーウィンは我に返る。
「マレナの館は?」・・・
 乙女が道を指し示したのを見て、オーウィンはうなづき、「ありがとう」と言って去ってゆく。
 そこではじめて、フィオナは彼が女主人の恋人であることに気がつくのだ。・・・

 オーウィンとフィオナが言葉を交わしたのはほとんどこのとききりだった。
 オーウィンのほうにまったく悪気はなかったし、その言葉に偽りはなかったとしても、それはただ、路傍に見いだされた美しい花へ向けて、何気なく発せられたものにすぎなかった。
 それから何かの折に顔を合わせ、微笑みを交わしたとしても、彼の方は彼女のことを、あのときの乙女と覚えていたかどうか。

 けれども、この日オーウィンが彼女にささげた最上級の賛辞、それはいつしかゆっくりと彼女の心に沁み、やがて少しずつ、彼女の心を狂わせていった・・・
 彼に出会う日まで、どんなふうに生きていたのか、思い出せない。
 彼とマレナとが寄り添って庭園を歩いているのを目にするたび、身を焼かれるような苦しみにさいなまれた。

 この種の苦しみに対して、フィオナの心は無防備だった。
 どうしていいか、分からなかった。
 いつまでつづくかも、分からなかった。
 恋の激情は報われぬまま、心はやがてすり減って疲れ果て、烈風のなかで翻って色を変える木の葉のように、それがいつしか苦い怨恨の情に、憎悪の念に変わってゆくのをとめるすべもなかった。・・・

 やがてふたりの婚礼の日が近づいてくる。
 その日、それはよく晴れた美しい秋の日のことで、館には国じゅうから多くの客が招かれ、大がかりな宴が設けられ、喜びが、笑い声が溢れた。
 ばら色の衣に身を包んだマレナ、星のように輝く瞳に夜のように暗い髪、その美しさには太陽も嫉妬した。
 牛飼いの娘は祝いの席に招かれさえせず、そっと遠くの物陰から、そのようすを見守るばかりだった。・・・

 その日、夜になって急に雲が出てきて、夜半には吠えたける不吉な嵐となった。
 部屋着に着替えたマレナは花嫁の褥に横たわり、不安な面もちでごうごうと叫ぶ風の音を聞いている。
 そのとき、扉の開くかすかな音に、向き直って呼びかける、オーウィン?・・・
 ところが、入ってきたのはオーウィンではなかった、それは髪を振り乱し、狂乱の瞳をぎらつかせたひとりの若い女であった、
 手にはナイフを握りしめ、魔物のように彼女めがけて飛びかかってくる・・・
 マレナは叫び声をあげる、もみあいの果て、その胸ふかく刃が突き立てられ、花嫁は初夜の床を血に染めて息絶えた。
 叫び声をきいて部屋に駆けこんできたオーウィン、彼もまた運命の手を逃れることはできない・・・
 恋に狂った手弱女の、どこにそんな力があったのだろう、
 彼は後ろから首をふさがれて崩おれた。
 かくてその日もっとも幸福だったふたり、彼らはともに亡骸となって横たわった。・・・

 牛飼いの娘はティルナノーグの法廷にかけられて、永久追放を言い渡される。
 罪によって呪われたその土地は本土から切り断たれ、彼女をのせたまま彷徨える島となって沖へ流されるのだ・・・
 ティルナノーグの人々は、ふつう、死なない。
 けれども、かくもいとわしい罪を犯したものが、犯された土地が、もはやこの国の一部としてとどまることは許されなかった。
 流されたその島は、霧のうちに閉じこめられ、人の目から隠されて海の上を千年さまよい、
 いつか誰かが足を踏み入れて、この島の上で火を燃やす日まで、その霧が晴れることはないだろう・・・

 その日、人々はやってきて、一部始終を見届けた。
 彼女はうつろな眼を見開いて、女主人の庭園の門のところに、茫然とした面持ちで立っている。
 その手に残されたものはただひとつ、彼女が手塩にかけて世話を尽くした、一頭の白い雌牛である・・・
 向き合って立った彼らのあいだにひとすじの亀裂が走り、フィオナの立っている方の側がひとたび大きく揺らぐとともに、やがて亀裂のなかに海水が溢れこんでくる・・・
 その地が切り離されてゆっくりと沖へ流されてゆくまで、彼女は立って、彼らを見つめていた。
 島はしだいに本土から遠ざかり、やがて霧に隠されて見えなくなった。
 それ以来、ティルナノーグで彼女を見た者は誰もいない。・・・
 
 それからどれほどの間、島は海上をさまよったことだろう。
 混沌の霧のなかで、フィオナは来る日も来る日もひとりだった。
 薄明のたそがれどきには雌牛にまたがって、湖沿いの砂利浜を駆け抜ける、
 そのたびあの日の激情がよみがえって、われ知らずしかと雌牛を打ちすえる・・・
 それはもはや、己れへの怒りなのか、己れの殺めた者たちへのなおも尽きぬ憎しみなのか、
 あるいはそれらすべてを引き起こした、なにか名づけえぬものに突き動かされてのことなのか、自分でももう分らなかった・・・
 
 乙女に打ちすえられるたび、雌牛は叫び声を上げて岩に変わる。
 そのおもてからしだい生き物のぬくもりが失われ、冷たく沈んでゆくほどに、ゆっくりと霧は宵闇のなかに這い、夜がやってくる・・・
 ごうごうと吠え猛ぶ夜、狂気と血と殺しの記憶・・・
 けれども一夜明けると何ごともなかったように、雌牛はきまって生ける姿に戻って、湖のほとりで草を食んでいる。
 何ものも奪うことのできない、乙女の永遠の処女性のように。・・・
 
 こうしたドラマが、夜ごと朝ごと繰り返された、はかり知れず長きにわたって。・・・
 はかり知れぬ長きを経て、妖精の乙女も少しずつ年老いた、
 島がティルナノーグから切り断たれ、潮風に吹き寄せられて本土へ、人間界へ近づくにつれて、しだいその不滅の命の力を失ってゆくにつれて。・・・

 うずまく波のなかで果てしなく彷徨いながら、島の一方の端に残された、その昔、女主人マレナの館であったもの、幾棟もつらねて築かれたりっぱな館、・・・それらもまた時を経て、しだい斜めに傾いて崩れ落ち、海水でまっくろになって朽ち果てていった・・・

 そしてとうとう、呪いの解かれる日がやってくる・・・
 その日、二人の漁師を乗せた小舟が、霧のなかをめくらめっぽう彷徨いながら、運命の糸に引かれて少しずつこの島に近づいてくる・・・
 ふいに舟底に砂利の感触を感じたかと思うと、大きくがくっと揺れて、舟は浜にとまった。
 望みを失いかけていた漁師たちは、そのはずみに舟底へ投げ出されてしまう、が、すぐにひとりが身を起こし、舟端を跨ぎこえながら叫ぶ、ありがたや、陸だ!・・・ どこの陸だか知らないが、ともかくあがって火を焚こうぜ。・・・

 その日、浜辺で火の焚かれたたそがれどき、ミルクのように濃い霧が少しずつほどけてゆくのに、老婆は気がついただろうか?・・・
 その日、砂利浜を駆け抜けながら雌牛の背を打ちすえたとき、叫び声を上げたのは牛だけではなかった、
 岩に変じたその背から降り立って、老婆はおぼろな霧の向こうにふたつの人影をみとめる、彼らはぎょっとして度肝を抜かれている・・・
 だが、やがて勇敢なひとりの漁師が近づいてゆく、おい、ひどいことをするじゃないか!・・・ どこの誰だか知らないが、この牛がお前さんに何の悪いことをしたというのだ。・・・
 彼は老婆の手からその杖を奪い取ろうとする、彼女は怒りの叫びをあげて漁師を打ちすえる、と、彼もまたそのままの恰好でぴくりとも動かなくなる、彼もまた岩に変えられてしまった・・・
 傍らにいたもうひとりの漁師はぞっとする、死に物狂いで老婆に組みつくと、もみあいの果てについにその杖を奪い取り、彼女を打つ・・・ こうしてついに彼女自身も岩となり、その果てしのない孤独と苦しみも終わった。・・・
 そのときはじめて、ながきにわたってこの島を包んでいた霧がすっかり晴れ、彼は仰ぎ見て海の向こうに横たわる本土を、南にアランを、そして北にアチル島の姿をみとめたのだ・・・

 そのときはじめて島はようやく海の底にもといを見出し、海図のなかでその位置を定めた。
 それ以来もう、根なし草のように彷徨うことはない、呪いは解かれ、島はいまやアイルランドの一部となった。
 本土から人びとがわたってきて住むようになり、役場や教会も建てられた。・・・

 それでも、かくもながきにわたってひとりの女の苦しみにとりつかれたあとでは、何ごともなかったようにというわけにはいかない。
 姿を変えられた者たち、雌牛と老婆と漁師のひとりとの変じた三つの岩は、それからのちもロッホ・ボフィンのほとりにながく残って近づく者をぞっとさせた。
 殺しのあった<雄鹿岩>の周辺、マレナの館の廃墟のあたりには、今なお彼女の思いが、呪いの雰囲気が色濃くたちこめている。
 波は荒く、岩礁は鋭く、嵐のときにはいまでもときどき溺死者が出る。・・・

 いまでも島に霧のたちこめるたそがれどきには、ロッホ・ボフィンの砂利浜を、幻のように牛に乗って駆ける老婆の姿を、人は目にすることがあるのだという。
 あるいはまた、湖、ロッホ・ボフィンの中から老婆と雌牛が姿を現すこともある、七年にいちど、あるいはまた、何か差し迫った大きな災いの前兆として。・・・

        *

 いまこれを記しているのは、私があの島で過ごした日々から五年の歳月を経たのちのことだが、これを書きながら、今さらのように思いあたるのだ。
 あの大嵐のあいだのいずれの夕べにか、フィオナと白い雌牛があの砂利浜を駆け抜けたに違いない。
 その嵐のためにじっさい、命を落とした者があったのだった。
 本土沿岸で二人の漁師が遭難死したのだ。
 私がそのことを知ったのは、島を出て、本土へ戻ってからのことだった。

 その話をきいたとき、私は底知れずぞっとして、一瞬、深い闇の中に落ちこんでゆくような感じがした。
 あの嵐の助けを借りて私がいにしえの漁師たちの姿を想像のなかでまざまざとよみがえらせたために、現し世において同じ二人の人間が、身代わりとなって死ななければならなかったのではないか?・・・
 この符牒・・・二人の死者、しかも漁師たち。・・・
 地の最果てで時空は交錯し、過去は現在をそのあがないとして要求する・・・
 私は島の魂深くを揺り起こし、島の物語を呼び覚ましたのだ。
 私はこの二人の人間の死に対して責任がある・・・そういう何ともいえず重苦しい感じが、しばらくのちまで私に取りついて離れなかった。・・・

 ざあざあ打ちつける雨のなかで、沖もなにも真っ白にかき曇って何も見えない、その中で彼らはボートを出す、どうしても網を引き上げなくてはならないのだ・・・
 これから晩にかけてますます風が強くなる、放っておいては面倒なことになる・・・
 なに、わけはないさ、親父のころには、これよりもっとひどい時化で舟を出したもんだ、そのときは・・・

        *

 この物語が「やって来た」とき、正直、さいしょは当惑を禁じえなかった。
 こんな最果ての島まできて、さいごの物語がこれなのか?
 こんな・・・安っぽいメロドラマなのか?・・・

 だが、アランに昔から伝わる民話にしろ(それをのちにイェイツやグレゴリー夫人が下敷きとして脚本を書いた)、北端のトーリー島に受け継がれる民謡にしろ、そこに描かれているのは、深遠な哲学でもなければ、繊細な自然描写でもない。
 それらはおしなべて、しょうもない男女の愛憎劇なのだ。

 私はいま、ラシーヌの<フェードル>の一節を思い出す・・・
「神々の怒りのゆえに」・・・

 王の妃フェードルが、義理の息子への狂おしい恋慕の情にとらわれたくだりを説明する一節だ。
 それは、彼女自身のとがや心の弱さのゆえではなかった(ラシーヌによれば)、それは「神々の怒りのゆえ」、彼女自身にはどうすることもできない運命のゆえだった・・・
 単なる修辞として読み飛ばしてしまいがちなこの一節が、奇妙に心によみがえる・・・

 それは、つまり It なのだ。
 恋の不可解な激情と、嵐の真っ暗やみの中で出会う原始の恐怖の念とは、名づけえない、得体が知れないという点で同じものなのだ。・・・
 人を苦しめ、狂わせるという点で・・・ にもかかわらず、人生のなかでなにか根源的な価値をもっているという点で・・・
 いまの私にはそれが分かる、乙女フィオナを狂わせたと同じ炎が、いま再び私の心のなかにあるから。・・・ 

         *

 私のもとに物語が届いてほどなく、嵐は終息し、去っていった。
 久方ぶりに陽が射した。
 その日、私はサンルームのガラス越し、膝を抱えておもての景色に見入っていた。

 お日さま! お日さま!・・・ 
 イーマは弾んだ声を上げながら、窓ガラスを片っ端から拭いていった。
 が、私のところまで来ると急に手を止めて、
 ・・・拭いていいかしら? と尋ねた。

 イーマのデリカシーの鋭さに、ほんとうに気づいたのはこのときだった。
 雨つぶを散りばめたガラス越しに見るクノックの眺めには独特の美しさがあって、私はこよなく愛したのだが、そういうことを人に理解してもらうなど望みすぎだと思っていたし、イーマがガラスを拭くのは当然だし、そのことで気を悪くするつもりなど毛頭なかった。
 なのに、他人の価値観にここまで心至らせることのできる想像力とは!・・・
 
         *

 夕方、吹きなぶる冷たい風に身をさらして、クノックを右手に、ロウ・ロードを東へ歩いた。
 少し行くとクノックのふもとに聖コルマン修道院の屋根のおちた廃墟が、苔むして佇んでいる。
 その向こうには西日射す海原に横たわるライオン島 Inis Laighean が見える。
 
 道ゆくうち、石垣に挟まれた道の向こうから羊の群れが追い立てられてきた。
 メエメエ蹄を蹴たて、細道をいっぱいにふさいで。
 私の姿を見て、ひるんで及び腰になっているので、石垣にぴったり張りついて、石垣の一部になったふりをして通してやらなければならなかった。

 やがて道は島の東端の浜辺に至る。
 みじかい草が刈りこんだ芝生のように砂浜の丘に生える、そのあいだの踏み固められた細道をたどって浜へ出る。
 ベージュの砂にパステルカラーの貝殻のかけらが散らばっているのを見て、ピエールとリュシーのエヴィアンのペットボトルを思い出す・・・

 長靴のまま、じゃぶじゃぶと波間に入っていって、透明な波がうすむらさきの霧にけぶる沖の方からやってきては、レース模様のふち飾りをつけていくたびもいくたびも 長靴の先をのみこむのを飽きずに眺め・・・
 それから波打ち際に沿って、連なる暗い岩礁のところまで ずっとずっと歩いていった夕暮れの浜辺、
 岩礁のシルエットの向こう、宵の空は三重のグラデエションに染まる・・・
 
          *

 島を発つ前の日、ずっと住んでいたような気がして、立ち去るのがふしぎな気もちだった。
 いちばんさいしょの日を別にすれば、半月ではじめての快晴だ。
 ほんとうに、抜けるように澄んだまっさおな海と空・・・はるか沖合いに、アチル島の島影がくっきり見える・・・
 
 慌ただしく、朝からばたばた、島のあちこちを走り回って、滞在中に親しんだ景色に別れを告げた。
 黄色い薄手の毛布は洗い上げて、庭の芝生に張ったロープに干した。
 アラン島の本とイェイツの伝記は、イーマが興味を持っていたし、返すまでにはまだ日があったので、メモ書きして彼女の屋根裏部屋の扉の前に置いておいた。
 その日、イーマは、半月のあいだではじめて、島を留守にしていた。
 用事があってクリフデンまで出掛けていたのだ。

 島を発つ日、くっきりと冷えこんだ曇りだった。
 フェリーから、ゆっくり角度を変えながら遠ざかる島の姿をいつまでも見つめた。
 しずかな海に、山々の青い姿が美しかった。

 クレガンに着いて船を降りたところで、名前を呼ばれた。
 クリフデンから戻ってきたイーマだった。
 ほんとうにお世話になりました。
 心からお礼を言って別れた。
 結局さいごまで、連絡先は交換しなかった。・・・
  私は彼女に、その美しい面ざしを描いたスケッチを贈った。

 Emer,
   Thank you for your story of the golden lady,
    for your delicious apple crumble,
   and for your delicacy to consider people's possible affection
    for the window dotted with raindrops...

            

Posted by う at 00:12Comments(0)白い雌牛の島