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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2011年08月29日

アンラッキーさん公演♪

先週末は、いつもお世話になってるうちの姉妹劇団のような(全員男だから兄弟劇団か?)のTHE UNLUCKY BOYS さんの公演を見てきました!
http://tubproject.tsukuba.ch/

うちの団員のアンガスくんが客演で出ていまして、うちの夏公演で使ったかつらを「こっちでも使いたいから間に合ったら持ってきて!」とのこと。
そこで、もうひとりの団員さんと、かつらを届けるというミッションを果たすべく。
炎天下の6号を飛ばし、滑りこみセーフでなんとか間に合った!

今回、ケーブルテレビなどでも宣伝してたそうで、ほんとに気合いが入ってました!
ステージも登場人物がみんなぶっとんだ人ばっかりで大変面白かったです。

とくにスパイス的な役柄のアンガスくん、傑作!!
そのかつらって、古代アイルランドの兵士の役の、ロンゲで金髪なんですよ。
あれをどんな役で使うのか? と思ってたら・・・

そのかつらにサングラスかけて、怪しげなスーツ着て、なんと高校の先生役でした!
とてつもなく変なのになぜか異様に似あっていて、大爆笑!!
あまりに派手に爆笑していたらしく、あとからとなりに座ってた団員さんに、「・・・まわりのおばさんたちがびっくりしてこっち見てたよ・・・」と言われました・・・

あぁ、写真撮るのを忘れたのが残念!!
アンラッキーさんのサイトにもまだ上がってないようです。
入手できたらまた載せますね。

そのあとつくばに戻ってひと休みしたあと、まつりつくばの会場を歩いて大迫力のねぶたや屋台や大道芸を見て歩きました。
今年の夏もいろいろ楽しかった!!

でも、感傷に浸ってるひまもなくやることが山積みです。
さて、頑張るぞ!! 目指せ世界!!!(色んな意味で)
  

Posted by う at 17:32Comments(0)演劇一般

2010年08月31日

進みつづける


 劇団アンラッキーボーイズさんの土浦公演<最終弁論>見てきました♪
 15年のキャリアをもつ実力派劇団。
 我々とは対極といっていいスタイル、王道のセリフと動きで勝負! という感じで、歌もダンスも派手な衣装もなし、BGMも最小限。
 いや~、やはり年季の入り方が違います。すごく安定してる。ムダや間延びしたところが一切ない、緊密な構成。
 原作はありますが、脚本はオリジナルだそう。
 芸術の意味を問う力作。
 前半はありがちな一般論の展開と思わせながら、さいごのどんでん返しが鮮やかです。

 原作者がマルセル・デュシャンの<泉>を念頭に置いて書いてるのは明らか。
 個人的には、<芸術>というテーマを<真実>とか<宗教>とかに置き換えて、ドラマティックな構成という点で共通したところのあるアゴタ・クリストフの初期の戯曲<怪物>とか、自分の卒論で扱ったジョージ・シュタイナーの<The Portage to San Christobal of A.H.>などをちょっと思い出しました。

 今回の公演は、フライヤ送っていただいたので知ったのですが・・・。
 さいきん、つくば・土浦近辺のほかの劇団さんの公演も折あるごとに見て勉強しなきゃ、と思いつつ、知らないうちに終わってた、ということが多く、反省しきりです。
 自分のとこの団員さんから「○○さんの公演見てきたよー」という話をきいて、「何だー、知ってたら行ったのに」とか。もっとこまめにチェックしなくてはなりませんな。

 アンラッキーさんからは、自分たちと全く違うことをやってるからこそすごく興味をもつ、と言っていただいて、いつも折あるごとに見に来てくださり、励ましのことばをくださってる。
 こんな活動歴の長い、クオリティの高い劇団さんに認めていただいて、手放しで褒めていただける。こんなうれしいことはありません。

 我々など新参者だし、クオリティも高くないし、自分も劇団代表として当たり前の努力をしてるにすぎないと思ってるのに、何でそんなにまで? と不思議だったんですが、この日、「立ち上げたころの自分たちを思い出す」と言ってくださって、ああ、なるほど! と腑に落ちるところがあった。
 立ち上げの苦労、同じ道を通ってこられたからこそ、ご自分たちの思いに照らして共感してくださるのでしょう。
 うちも立ち上げから2年になり、3作目にとりかかろうというところで、そろそろ新人とも言えなくなってきた。
 これを励みにどんどんがんばって成長していかなきゃ、と思っています。

 アンラッキーさんは、劇団としてはすごくコンパクトで少人数なのです。
 各人の仕事がたくさんあって大変だろうな・・・と思っていましたが、ちょっとお話伺うと、あまり大所帯だと人間関係がゴタゴタするからあえて少人数なのだそう。
 なるほどそうかぁと。
 今回の客演の方が、バンドもやってたという人で、「バンドでも人間関係って難しい」って言うのを聞いて、つい先日、自分自身もバンドでものすごくゴタゴタした私は「そうですよねっ、分かります!!」と大いに熱を込めて共感してしまった。

 さいきんなぜだか、(個人としても劇団としても)色んな方面から批判と賛辞を同時に(しかもどっちもけっこう極端)いただくので、何が何だかよく分からなくなってきてるこのごろ。
 批判はまじめに考えるけど、賛辞も素直に受け取ろう。
 と、とりあえずは思ってます。

 客観的に見て「よい」ステージって何なんでしょう。
 100人中80人が満足してくれたら?
 100人中99人が満足してくれたら?
 それとも、あの人とこの人が、100人の中には入ってない誰か特別な人が満足してくれたら?・・・

 色んな考え方があるでしょう。
 そのどれも、否定するつもりはありません。
 私個人はやっぱり、わが敬愛する心の友、あゆのコトバに一票です。
「信じる道を、進みつづけることだ。必ず分かってくれる人があらわれる」

 何でいきなりあゆ? と面食らう方もいらっしゃるかも、すみません。
 浜崎あゆみ大好きです。長年のファンです。
 わが劇団のステージングも、実は彼女のライヴパフォーマンスから学んでいる点が多々あります。

 でも、それより何より、彼女の人間としてのアーティストとしての芯の強さ、速度を落とさずに、ガンガン進んでゆくパワー。
 あれはほんとに敬服もの。
 信じる道をゆくがゆえに敵を作ったり、大切なものを失ったりもするけれど、結局は共感を勝ち得て、いまも走りつづけている。
 自分が望むあり方も、きっとあんな感じなんであろうな、と思うのです。・・・
 
  

Posted by う at 10:57演劇一般

2008年10月15日

10月13日、自然生クラブ+百景社公演


 13日、自然生クラブ+百景社公演atつくば山麓田んぼ。
 12日の前夜祭から2日がけの催しでしたが、私は2日目の午後だけ見に行きました。

 自然生は、<使徒列伝>。施設長の柳瀬さんがクリスチャンでいらっしゃるので。
 キリスト教からヨーロッパ的な虚飾を剥ぎ取り、その本質だけを日本の風景の中に置いてみようという試みで、田楽にのせて着物姿で使徒たちの生涯、殉教のようすなどを踊りで表現する。

 柳瀬さんの謡、笛、ほんとすばらしいです。声の調子、朗々と響いて。田楽とか、さっぱり知らないのに聴いてすばらしいと思うってことは、ほんとにすばらしいんですよ、ぜったい。
 踊りはいつもの面々、衣裳つけてお化粧して見た目にも楽しかった。
 ほんと天草時代のキリシタンみたいな素朴な感じでしたね。
 お化粧とか衣裳ってすごく大切だと思います。
 同じことをやっててもインパクトがぜんぜん違ってくる。

 百景社は<道成寺>。っていうか道成寺伝説の後日談みたいなやつ。
 郡虎彦さんという人が原作だそうです。
 百景社は前の<オセロー>も見ている。こっちもよかったけれど、個人的には道成寺の方が好きかな。
 台本のなかに繊細な自然描写がいっぱい入って、ゆたかにイメージが膨らんで。まぁ、この辺は個人的な好みですけど。
 衣裳も<オセロー>より華やかで、和洋折衷のフシギな感じの手作りのドレスなんかすばらしかった。さりげなくブラウスに鱗箔の三角形が縫いつけてあったりして。
 さいごに山全体が大火事で燃え上がって終わるくだり、田んぼに立てた木組みと藁の門にほんとに火をつけて燃やしてしまうという演出もすごい。
 おわりころには夕暮れにさしかかっているので炎が映えるんですね。
 そういうところも計算してるんだろうな。
 ただ、世代が若いせいもあるのだろうけど、役者さんみんなけっこう早口なんですね。セリフが観客の耳に入ってから、心の中で像を結ぶまでには少し時間がかかるものです。それが追いつかない・・・せっかくイメージ喚起力ゆたかなセリフなのだから、もう少しゆっくりしゃべったほうが断然いいと思うのだけれど。

 公演後役者さんのひとりと話して、いろいろお話を聞かせていただきました。
 バリリー座のこと知ってた。世界は狭し。
 そのほか、田んぼのなかに絵や彫刻なんかがたくさん展示されて、フシギで楽しい空間になっていました。
 背景にはでっかい筑波山。澄んだ空気、折よく天気にも恵まれて、美しい秋の一日。



  

Posted by う at 01:54Comments(0)演劇一般

2008年09月15日

つくば近辺、つづき


 こんばんは。ひきつづき。


○金色姫物語(こんじきひめものがたり)

 こちらは7月半ば、つくば市にて。
 <金色姫>は筑波山に伝わる養蚕業の起源を説いた伝説。
 これをモチーフに絵を描いてこられた画家の方の主宰になり、絵画展示・朗読・創作舞踊・音楽のコラボレーションといった企画でした。

 創作舞踊の若い女性はたったひとりで、場面ごとの朗読に合わせ、さまざまに衣装を変えつつヒロインから野獣たちからはては蚕のようすまで工夫して表現してらっしゃる。
 きちんとつくりこんで堂々とやれば、ひとりでもじゅうぶん鑑賞に堪えるんだなぁとあらためて。
 そういえば、こういう構成は能に似ているかも。
 踊りの部分はいろんな要素、ベリーダンス、バレエ、フィギュアスケートなんかの動きをミックスした感じだったかな。
 優美なシルエット、しなやかな動きとあいまってすごくセンスのよさを感じました。

 音楽は、田楽とかそういう系で、私はあまり詳しくないのですが、こちらも耳にこころよく、センスのよい構成だなと思いながら聴いていました。

 照明も、シンプルながらよく考えられて効果的でした。ふつうの白色灯のみなんですが、数か所に設置して場面によって照らし方を変えて。

 背景には、主宰者の画家さんの、物語のそれぞれの場面を描いた絵を一堂に集めて掲示。
 それはそれでまったく違和感ないのですが、ただ・・・
 これは個人的な印象なんですが、一枚一枚がけっこう小さく、遠くからだと何が描いてあるのか見づらかったので。・・・
 できたら場面ごとにその場面の絵一枚だけを、スライドプロジェクターかなにかで拡大してばーんと背景に掲げる、というようなことを、画家さん自身もほんとはやりたかったんじゃないかな。

 同じ方の、筑波山を描いた連作が会場内にいっぱい展示してあって、すごく綺麗だった。澄んだ色づかいで、くせのないのびやかな筆づかいで。
 全体として、とてもよくまとまった、いい感じの企画だったと思います。


○自然生(じねんじょ)クラブ

 金色姫企画の大方を担当していたのは自然生クラブ。
 筑波山のふもとにグループホームを構え、知的ハンディキャップをもつ人々とともに有機野菜やお米をつくりながら音楽や舞台芸術に携わっている団体です。

 実はこの日、バリリー座の団員募集チラシを配っていただいたところ、音楽を担当されていたメンバーのひとりが興味をもって連絡してくださり、わが劇団にご協力いただけることになりました。
 しかも、あとから知ったのですが、彼らは田楽舞のステージを披露しに、2007年にアイルランドへ行ってらっしゃったのでした。
 これもなにかのご縁でしょう。舞台経験豊富な方のご参加で、ありがたい限りです。
 

 金色姫の会場に展示されていた絵の、鮮烈な青空と緑の夏山を眺めているうち、こんなきれいなところに暮らしている自然生クラブを訪ねて行ってみたくなりました。
 そこで見学を申し入れると、こころよく受け入れてくださり、8月の終わりごろ遊びに行ってきました。

 絵そのままの緑ゆたかな山景色、鄙びた家並のつづく筑波路、そちこちに点々と、むくげやさるすべりの濃いピンク、なんとも風情があってよい感じです。
 急な山道を分け入ったところにある建物や、団体の畑、田んぼ、蔵を改築したミュージアムなど、丁寧に案内してくださいました。
 時間の流れ方がなんともいえずゆったりとしていて、心地よさについ長居しすぎてしまいました。

 同時に、こんな理念ある体制づくりをしてこられた施設長さんというのはどんな方なのだろう、と少なからず関心をもちました。
 というのは、ある意味、この方のやってこられたことというのは、自分がこれからやろうとしているのといくらか共通する部分がある、と感じたからです。

 といっても、私は今のところグループホームとかをつくる予定はありません。
 けれども、分野は違っても、はたから見るとどう考えてもたいしてお金になりそうもないことを、どうしても内的必然性があるので推し進めていくしかない、やり遂げていくしかないんだ、みたいな、そういうところ。
 そういう部分に、すごく共感を覚えましたし、尊敬の念を感じたのです。

 実はこのとき、会報誌みたいのをいただいていて、そこに施設長さんはじめスタッフの方々が四季折々の所感を綴ってらっしゃった。
 で、それを興味深く拝読していたのですが、その後、さらに施設長さんのお話を直接うかがう機会に恵まれました。
 文章の印象どおりに知的でもの静かな方でした。
 公演で行かれたアイルランドの風景や、そこで触れたアイリッシュのダンス・チューンなども愛好してらっしゃった。

「フィドルっていうんだっけ、あれ。
 1回、2回おなじメロディーを繰り返して、3回めにちょっと変えて弾くのね。」

「アイルランドの風景、好きですよ。
 ・・・何もなくて、ぽっかりと空が広くて、一面荒野が広がっていて。
 そのあと東京に戻ってきたら・・・すきまもなくぎっちり建物が並んでいて、なんだか息苦しくなっちゃってね。」

「学校は教えるところじゃない、学ぶところだと思ってる。・・・
 いまの一般の学校教育って、次から次へと色んなものつめこまれて、立ち止まることさえ許されない・・・それこそ、東京の街並みみたいに。あとからあとから急きたてられて、・・・結局、急いで死ね、みたいな。
 自分の人生を生きることを許されない・・・それってとても残酷なことじゃないだろうか。 」

「オリジナルなものっていうのは、何もないところからしか生まれてこないんじゃないだろうか。・・・アイルランドの平原みたいに。ほんとにその人独自なものっていうのは。
 司馬遼太郎がなんか書いてたけど・・・アイルランドの風景っていうのは、何もないからこそ想像力がかきたてられて、・・・物語に充ちてる、ってね。
 自分でつくるものって、尊いでしょ。・・・オリジナルなものかどうかはともかく、自分でつくるものはひとつしかないし、大切にする。」

 いきなり外から来てこんなことおききするのも大変失礼なのですが、と、このとき私は実際おききしてみたのです。いったいどんな心意気で、こういう共同体を運営してらっしゃるのだろうか。
 すると、考えながら、こんなふうに答えてくださいました。

「商業ベースでやることは考えない・・・お金もうけのためにやってるんじゃないし、別に有名になりたいってわけでもない。
 じっさい、今でも色んな問題がある。
 でも、自分たちだけじゃなく、ほかの色んな人たちの力添えがあってやっていることだから。

 ものごとっていうのはね、うまくいってるときにはみんなついてくるものなんです。
 でも、うまくいかないときに支えてくれる人っていうのは・・・。

 我々は、苦しいときには苦しいって言う。困ってるときには困ってるって言う。
 うまくいかないときに、うまくいってるようなふりをしない。」・・・

 楡の木の梢が緑の屋根を広げるウッドデッキでしずかな時を過ごしながら、これらの言葉を思いめぐらしました。
 じっさい、この共同体は、すでに20年近く続いているのですから、それだけの年月の重みのこもった実感でいらっしゃったと思います。
 このとき話してくださった内容のすべてを、私はもちろん実感として分かるわけではありませんが、これから劇団活動を推し進めていくなかで、いつかもう少し深く理解できることがあるかもしれません。
 貴重なお時間をいただいた感謝をこめて、ここに書き留めておきたいと思います。

 中島 迂生       

Posted by う at 04:22Comments(0)演劇一般

2008年09月13日

つくば近辺の劇団等

 皆さんこんにちは。ひきつづき。
 ここ数ヶ月、見た舞台やお会いした団体など。・・・
 
 とりあえず募集チラシをつくって、周囲に「劇団立ち上げます!」と宣言し始めたのは、5月か6月のことだったと思います。
 当然のことながらびっくりされたり呆れられたりするなか、思いのほかに「友達も演劇やってるよ」とか、「実は自分も昔やってた」とか「よく分かんないけど、面白そうじゃん」みたいなこと言ってくださる方がけっこうあらわれてきて。

 でも、「演劇経験長いんだ?」などと聞かれて「いや、実はなんにも知らないんです」と正直に答えると、「・・・・・・」とそこで会話がとまってしまい。
 やはりこれではいけないなぁと。
 なんにも知らないのにいきなり劇団やる! というのはちょっとあまりにムボウなのだなぁと。

 そんなわけで、たいへん泥ナワではございますが、この6月ごろから、つくば近辺で活動する劇団や、舞台の催しや、それに関わる方々などに、片っぱしから当ってみたのでした。

 ウィルアム・サロウヤンの<ママ アイ・ラヴ・ユー>に、こんな一節があります。
 舞台はほとんど素人の若いママが、ひょんなことから大役に抜擢される。で、練習に入って少ししたある日、たまの休みに、
「ほかの舞台など見て勉強した方がいいかしら?」
と言うと、ディレクターが、
「いや、けっして劇場には足を踏み入れないでください!」
と答えるのです。

 経験のないものほど、たまたま見たものに変に影響を受けて、自分のなかで深化しないうちに中途半端に真似してしまったりする。
 そういう危険は自分でも分かっていたので、ためらっていた部分もあったのです。
 でももうここまで来ちゃった以上、仕方あるまい。ということで・・・

 じっさい色々あたってみはじめると、つくば近辺にも演劇人たちのかなり長い伝統があり、いろんなところで地下水脈のように脈々とつながってるんだなぁ、というのが漠然と見えてきて。
 いろんな方に親切にしていただいたり、いいものを見せていただいたりしました。


○創造市場

 お稽古風景から見学させていただいたのは、土浦に自前の稽古場をお持ちの<劇団創造市場>。
 伺ったのはちょうど<ピーター・パン>の公演前にあたり、お忙しいのに見学を受け入れてくださってほんとに感謝しています。
 お寺の離れのような古い日本家屋で、すごく懐かしい感じのところなんです。
 過去に上演した演目のポスターが壁にずらりととめてあって、大道具や小道具がごたごたと並んでいて、ほんとに、寺山修司の時代にタイムスリップしたみたい。
 今ではこんな日本家屋じたいが少なくなってしまっていますから、いとおしく眺めたことでした。

 土浦公演も見に行きました。
 演技の完成度も高く、プロ意識に裏打ちされた、たいへん安定した舞台という印象を受けました。
 衣裳、背景の木々や、照明など、舞台装置も凝っていてすばらしかった。
 ピーター・パン、ちゃんと雲の中を空飛んでたし。

 なかでもとくにすばらしかったのはティンカー・ベル。・・・
 ティンクって、キャストの中でひとりだけ、人間じゃないんですよね。
 人間じゃなくて妖精で、それゆえ根本的な感覚が人間とは違っている。
 たいして深く考えもせずにウェンディを殺させようとしたり、それであとで詰め寄られても本気で反省しなかったり、・・・それでいてぜんぜん悪気はなかったりですね。 
 そういう感じが、とてもよく出ていた。
 演技のうまさだけではなくて。見ていてほんとに、別の種族って感じがしました。
 あとで伺ったら、劇団の看板女優さんなんだそう。
 むべなるかな。

 しかも、きいてほんとに残念だったことには、前回の公演が<オンディーヌ>で、主役をやってらしたというんです。
 ぜひ見たかった!・・・ほんとに。
 というのは、<エニスの修道士>のエルダというのは、ぜったいにオンディーヌの遠い親戚なんです。それはもう、間違いない。

 芝居でやる<オンディーヌ>というのは、ふつうジャン・ジロドゥーの戯曲をもとにしています。かつてオードリー・ヘプバーンもこれを演じています・・・<ローマの休日>より前に。
 でも、そのもとネタにはフーケーの原作があって、それ、子供のころからほんとに大好きだったのです。戯曲とは少しプロット違います。
 こちらは<水妖記>のタイトルで岩波の赤帯から出ています・・・かつて出ていた。いまは版、切れているかも。

 岩波のあと書きにも書かれていることですが、フーケーにしてからが、昔から地方に伝わる伝説をもとにしてそれを書いています。
 ですからあれもやはり、大地の懐からもらってきた物語なんですね。
 創造市場のオンディーヌ、いつかぜひDVD等で拝見したいなと思っています。
 
 あとひとつふたつ見聞録をお送りしたいと思います。よろしく。

 中島迂生
   

Posted by う at 11:21Comments(0)演劇一般

2008年09月10日

高校演劇

 おもに団員の方々向けの記事です。


 皆さまこんにちは。
 このカテゴリでは、いわゆる一般的な演劇というものについて少しお送りしたく。
 
 今回は、高校演劇について。


○原体験

 自分にとって、演劇というとまず高校演劇なんですね。
 高校演劇、好きです。
 若い子たちが一生懸命になってる姿ってステキ。

 私が高校2年のとき、同級生の女の子が演劇部を立ち上げたのです。それまではなかった。
 すごくブレイヴだなぁと思って、感嘆して見ていました。
 実は自分も、入らない? と誘ってもらって、内心すごく入りたかったのですが、ちょっと事情があってそのときは入れなかったのです。

 初演は文化祭で、<銀河鉄道の夜>だった。
 とってもとっても感動して、あれが自分のなかで<演劇>の原点になってると言ってもいいくらい。
 さそり座の赤いライト、闇に響く「カムパネルラ!」という絶望の叫び、今でもあの暗幕を垂らした教室の椅子に座っているかのように、ありありとよみがえります。
 その子たちは、のちには野田秀樹の<半神>だの、そういったえらく難しいのをやることになるのですが、自分的にいちばん印象的だったのは初演。
 とにかくその世界に完全に引き込まれて、我を忘れて見入りました。

 なんかそういうのが、演劇というものの原点じゃないかなぁ、という気がします。
 いかに見る側を引き込み、いわば魔法をかけて、我を忘れさせることができるか。・・・

 カタルシスといふコトバ、もとはギリシャ悲劇の演劇用語から来ているんだそうですね。
 いつもいつでもつねに自分であり続けるってことは退屈だし、疲れます。
 日常の自分をいっとき忘れ去って舞台の上の別の人生に完全に同化し、ともに泣き笑い、感情を燃やし尽くすことでスカッとする、いちど己れを無の状態にリセットする・・・ そういう精神衛生上の浄化作用。
 元来はそれをカタルシスといったらしい。
 それはほんとにひとつの魔法・・・ 芸術の魔法です。
 わが劇団も、最終的にはそういうところを目指したい。
 我々の物語は、それだけの力をもっているはずだから。


○文化祭
 
 ここ数か月で、思いがけなくいくつかの高校演劇を見る機会がありました。
 6月には、何のシンクロニシティか、生徒さんのひとりが文化祭の出し物で演劇をやることになり、つくば市内の某高校にお邪魔してきました。
 リア王、しかも英語劇。
 練習、たいへんだったみたいだけれど、その成果が出てよくまとまっていました。
 ほかにも、バンドとかファッションショーとかいろいろ、若い力が炸裂してる感じですばらしかった。
 自分で演劇をつくりあげるさいにインスピレーションをもらえるのは、同じ演劇からだけじゃないと思うのです。
 ステージでやることってある意味ぜんぶ演劇だと思うのです、ドラマだという点ではね。
 そういう意味では、私はせまい意味での演劇経験はないに等しいけれど、いままで色んな別のところからたくさんのインスピレーションをもらってきてるんじゃないかという気がします。


○高校演劇祭

 そこでたまたま教えていただいて、7月の末には県南高校演劇祭にお邪魔してきました。演劇部の県南大会みたいなもので、知らなかったのですけど、一般公開してるんですね。
 二日間かけて、色んなタイプの舞台を見ました。
 ものすごく長くて凝ったのもあって、高校生でここまでやるのはすごいなぁと。・・・

 でも幸か不幸か、自分自身が高校生だったときのように我を忘れて引き込まれるところまでいったのは・・・ うーん、正直、あまりなかったかも。・・・
 それは、へんに客観的に見てしまったせいかもしれないし。
 あの頃はあまり免疫がなかったせいもあるのかもしれないし。
 いまの自分は少し大きくなりすぎてしまったのかもしれないし。

 でも、これから我々の舞台を見てくれる人たちで、やっぱり大きくなりすぎてしまった人たちというのはたくさんいるはずだ。
 我々はそういう人たちをも動かせるような舞台を目指さなくては。・・・

 などと、いろいろ考えさせられたことでした。


○その講評

 この日なんといってもいちばん興味深かったのは、さいごの講評だったのです。
 講評担当の先生がふたりいらして、総括的なアドバイスから、ひとつひとつの舞台に至るまで、すごく細かい講評をされていました。
 それがほんとに聴いてて勉強になって。

 演劇部の先生方って、ご自分でも脚本書いてる方がけっこういらっしゃるんですね。
 しかもかなり長年やってらっしゃる方が多い。
 それは勉強になるはずです。
 ・・・すぐにそれらを自分の舞台に適用するかどうかはともかくですね。

 自分、このあと授業のため途中で抜けてしまったので、さいごまで聴けなかったのがほんとに残念だったのですが、走り書きしたメモが手元に残っているので、以下、お話の内容を少し挙げてみます。甚だ不完全な再現ですが。

「プロットだけだと点。
 肉づけ、つくりこみしてゆく過程で点を線につなげていかないといけない。

 そしてやはり芸術性・・・ 含みがあること。
 うしろに深い世界が広がっていることを感じさせるような。」

「今回は全体として、すごくオーソドックスで一般的な・・・ 行っちゃえばお行儀のいいテーマが多かった気がするけど。
 不安定な人間のぐちゃぐちゃな内面を放り出してそのまま、みたいな そういうのがあってもいい。」

「暗転、曲、ほんとうに必要か?
 ぜひとも必要な場面以外では使わないこと。」

「暗転中はセリフなし。
 セリフにおっかぶせて音楽入れない方がいい。
 舞台だと音楽はセリフの邪魔をする。」
 
「自分で名シーンだと思うところはほとんどカットして間違いなし。」
 (名言だ!)

「オープニングは大切。
 ちゃんと人がついて作りこんだ方がいい。
 そこでぐわーっと人を引き込めるかどうかが決まるから。」

「音楽とか蝉の声とかは、場面切り替わる前から。」

「舞台装置や背景が単純な場合、そのシーンの具体的なイメージを、役者間で話し合って共有する作業が必要。」
 (これはすごく参考になりました。ほんとにその通りだと思う。)

「つねに動きっぱなしじゃなく、いったん動作をとめて、見る人をぐーっと引き入れる。
 歌舞伎でいう<見栄を切る>ってやつ。
 日本のアニメーション、アメリカなんかのとどこが違うか分かる?
 日本のアニメには、動きをとめる場面っていうのがあるんです。歌舞伎の感覚が引き継がれてるのね。
 アメリカのアニメは、つねに動きっぱなしなんです。」
 (これも、なるほど! と。) 


 なかにひとつ、ものすごく陰惨なのがあったんですね。
 学園ものなんだけど、生徒が次々と殺されていって、さいごにはみんな死んじゃう、みたいな。
 それの講評が、自分が聴けた中ではいちばん印象的でした。

「少し前までは高校生がこういうの上演すると批判されたもんなんですが・・・ いまやほんとにこんな事件が身近で起きるようになっちゃいましたからねぇ。

 でもね、陰惨なら陰惨でいいんですよ、殺し合いなら殺し合いでいい。
 ただ、さいごになにかポーンとつきぬける感じ、あれもあれでいいよな、と納得させるだけの説得力があれば。

 今回のは、そういう点でちょっと・・・ やってる側にまだ迷いがある、縛られてる。
 だから見ている側になんだか煮え切らない思いが残るんですね。

 ・・・やるんならやっちゃえば。
 中途半端はいけません。」
 
 ・・・こういうの聴いてて、高校演劇も変わったなぁ、というか高校の先生たちも変わったなぁ、と思う一方、たぶん自分はこのひとが言わんとしていることの具体的なイメージを完全には掴めていないのだけれど、こういうことが言えるのってなんかすごくかっこいいなぁ、と思ったことでした。

(ボイスレコーダーとか持ってたわけではないので、じっさいその場でおっしゃってたのとは多少表現が違うかもしれません。その旨お断りしておきます。)

 
○サプライズ

 ここから先は演劇とは直接関係ないのですが、実はこの日、さらにおまけでうれしいことが。
 高校のとき、現代文を教わっていた先生にばったり再会したのです。(別の高校に転任されていました。)
 私の方はすぐ分かったのですが、先生の方は私の担任でもなかったし、担当の学年さえ違った気がする。なので覚えてらっしゃるわけがないと思って、改めて自己紹介しようとしたら・・・

 なんと私のこと、覚えててくださったのです。しかも下の名前まで。
「いやぁ、なんか見たことある人がいるなーと思って。
 実はね、去年くらいに片づけしてたら君の書いたメモみたいのが出てきて、それをいまの生徒たちに見せて話をしてたんだよ。だから覚えてた」

 何を書いたのだか覚えていないけれど、たぶんその頃の自分というのはまだ自分の人生を生きていなくて、ただ生半可な知識を振り回しているにすぎなかったはず。
 そんなの、とっといてくださったなんて。

 そしてなんだか身に余るお褒めの言葉をいただいたのですが、とてもそんなのに値する自分じゃないって分かってるので恐縮で。
 でも、それはそれとして、ともかく自分の書いたものによって覚えていてもらえるというのは、もの書きとして願いうる最高のこと。
 ほんとにほんとにうれしくて、ありがたい。
 
 そしてまたこんなにずっと疎遠だったのに私のこと覚えててくださったことや、気さくにご自身のことをいろいろ話してくださったことがつくづくとうれしく。・・・

「なんでいまになって演劇なの?」と聞かれて(そりゃ、ふつう思いますよね)いろいろお話すると、変な顔もせずに聴いてくださいました。

「こんなふうに、高校で演劇部に入って演劇やるっていうのなら、制度が整っていてやることだから、自然だし、だれもふしぎに思わない。
 だけど、自分でいろいろ模索してゆくなかで演劇にたどりついたというのなら、それがあなたにとっての必然なのだし、あなたにとっての潮どきなのだ。だからまわりを気にしないで、どんどんやったらいい」 
 というようなこと、言ってはげましてくださった。
 こういうような内容をですね。この通りの表現ではないけれど。

 そういうことは、もちろん自分でも思っていたのだけれど。
 ひとさまから言っていただくとほんとに力づけられます。
 そしてつくづくと知るのです。
 自分の無謀な情熱と、思いこみのままに突っ走ってゆくことだ。・・・必ず励ましてくれたり、助けてくれたりする人が現れる。
 いまの自分にとっては、ほかならぬ皆さんが、その、助けてくれている人たちです。
 ほんとに心から感謝しています。
 

 次回は、ここ数ヶ月の間に連絡をとったり見に行ったりした、つくば近辺の演劇関連の団体さん方について少しご報告の予定。

 中島 迂生
  

Posted by う at 01:15Comments(0)演劇一般