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2012年12月30日

16 Lives ~アイルランドからの贈り物~

 

知り合いの娘さんの旦那さんがアイルランド人で、1916年のイースター蜂起で処刑されたジョゼフ・プランケット一族の末裔だそうです。
さいきん、そのお母様が本を出されたということで、私のところに一冊いただきました。

<16の命>、16はイースター蜂起で処刑された人数。
ぶ厚いので全部読んでいませんが、ところどころ、ジョゼフの弟がダブリンからアランまで自転車旅行した下りや(あ、そこ私も通った! とか)、兄弟そろってアーティスト肌で、小さい時から劇を演じたりしていたこと(裏表紙写真)、アイリッシュ・シアター設立のくだりなどは興味深いです。(そもそも、私が劇団をつくったのはイェイツの足跡に倣ってのことですからね。)

以下、ちょっとだけ訳してみました。
(なぜいきなり11章からかっていうと、適当にぱっと開いたらそこだったから。)
ざっとした訳ですが雰囲気は伝わると思う。モノクロフィルムのドキュメンタリーを見るようなつもりでどうぞ。

**********************************

16 lives -Joseph Plunkett- by Honor O Brolchain, O'Brien
第11章(途中まで)

<あらすじ>
時は第一次大戦前夜。長年英国の圧政に苦しんできたアイルランドは、混乱に乗じて英国からの独立を果たそうと機を伺っている。中心人物のひとりであるプランケットは、身体の不調をおして<アイリッシュ・レビュー>の刊行をつづけ、義勇軍の働きを鼓舞しようとがんばる。

1914年7-12月
言葉、行動、そして戦争

プランケットは田舎の新鮮な空気に触れる必要を感じていた、しかしダブリンを離れたくはなかった。義勇軍の会合に参加しなくてはと思っていたからだ。そこで彼とゲリーは母親に、キマッジのラークフィールドにある別荘のひとつに滞在する許可を求めた。そこは当時まだ充分田舎だったからで、彼らはひと月かふた月を希望し、母親は承諾した。

家政婦のマリーとともに彼らは空いていたコテッジに移り住んだ。ゲリーによれば、快適とは言い難いし、庭もないということだった。しかし母親は、コテッジのすべてにバスルームをあつらえていた。低賃金労働者向けの住まいとしては、たいへん珍しい贅沢品だった。

さいしょゲリーはアールズフォートにあった大学に研究のため毎日通っていたが、ジョーは会合に出るほかはだいたいひきこもっていた。
そこに滞在したあいだに出血をおこして、ひどく具合が悪かった。そこで夜のあいだもいてくれる看護婦が必要となり、動けるようになるまでずっとそこにいなければならなかった。銃がホースへ運ばれたときも、彼は相変わらず缶詰になっていた。

アイルランド義勇軍の数は10万から15万くらいということになっていたが、金は足りなかったし、武器はさらに足りなかった。それは国軍という名目だったから、ゲリーはジョーに、武器のことはどうするのかと聞いたが、彼はただくすくす笑って、何とかなるだろうと答えた。

7月26日日曜、ホースへの武器輸送の日、彼らはラークフィールドにいた。ジョーは熱に浮かれて、一日中知らせを待っていた。ようやくテオ・マクウィーニーが、ダブリンから駆けどおしに駆けてキマッジへやってきた。
彼はオコンネル・ストリートで、バチェラーズ・ウォークで発砲された銃撃を聞いた。また、オコンネル・ブリッジで泣き叫ぶ女の声を聞き、死亡者も見た。彼は人々が、義勇軍が銃撃を受け、ライフルが英国軍によって差し押さえられたと言っているのを聞いた。
ジョーはひどく落胆しまた動転したが、あまりに具合が悪くて自分の目で見に行くこともできなかった。

数時間後、マクドナーが正確な数字を携えて到着した。
アスガードは900丁のライフルと29,000の弾薬を積んでホースに入港した。これはアリス・ストップフォード・グリーン、ロジャー・ケースメント、アースキン・チルダース、メアリ・スプリング・ライスおよびバークレイ船長の記録による。ダレル・フォジスがアントワープで銃を買い、アースキンとモリー・チルダースがそれらをホースへ運んだ。そこでほとんどをIRB、義勇軍、フィアナのメンバーが半時間のうちに隊列を組んで運び去った。残りの弾薬なしの銃は義勇軍が携えてダブリンへ凱旋した。

英国政府にしたら、4月のアルスター義勇軍ラーンのときの武器搬送、あるいはカーソンのケイサーとの「ランチ」のときにさんざんへまをやっていたから、今回義勇軍の逮捕と武器の差し押さえをやりそこなうわけにいかなかった。しかしながら警視総監補佐のハレルは、上からの指示なしに、軍と警察に彼らをとめるよう命じた。警察は動くことを拒否し、英国軍からの挑発と攻撃ののちに、マクドナーがハレルと交渉しているあいだに、ライフルをもった義勇軍は後ろの方からこっそり滑り出ていった。

王立スコットランド国境軍の兵士たちはことの全てに腹を立てて、町へ戻ってきた。ニュースはまたたくまに広まった。ホースを去ってから、義勇軍は道々歓呼の声をあげ、群衆は彼らに従ってきた。
英国軍が義勇軍を攻撃し殺害したという噂が広まり、群集は彼らに罵声を浴びせ、石やバナナの皮を投げた。バチェラーズ・ウォークではスコットランド国境軍が警告なしに民衆を攻撃し、ジェームズ・ブレナン、パトリック・クイン、デュフィ夫人が犠牲となったほか、30人以上が負傷した。これらのいずれにも義勇軍はかかわっていなかった。

翌日、マクドナーとプランケットは義勇軍の運転するタクシーでライフルを町中の隠し場所から回収しに行った。彼らはしばしばGメン(ダブリン都市警察のG分隊の捜査官)やスパイにつけられ、ライフルを積んでラークフィールドへ向かうある地点で尾行を振りきれず、再びフィッツウィリアム・ストリートにあるプランケットの家に一晩保管せざるをえなくなった。武器はその翌日また運び去られたが、フィッツウィリアム・ストリートの住人たちにとってその騒ぎは寝耳に水だったに違いない。

マクドナーからジョゼフ・プランケットあて
1914年7月28日、オークリー通り29
今朝は会えなくてすまなかった。ひたすら眠りに眠っていた。明日は会えると思う。
うちの連中のほとんど、私のきく限りではひとりを除いて全員が、死守していたライフルをやってきた車に積み込んで手放してしまったという。君がまだいくらか持っているなら、うちの連中こそそれにふさわしいと断言できる。ホルムズやほかの人間も満足させられるだろう・・・
幸運を。明日5時の葬式には来るね?
5時、べドフォード・プレイス、マクド

バチェラーズ・ウォークの銃撃の犠牲者たちのために公式の葬式があった。大々的な、政治的なもので、民衆が道沿いに並び、義勇軍が隊列を組んで棺に従い、墓地では一斉射撃が行われた。兵士たちは兵舎に閉じ込められていた。歌とスローガンが一夜にしてできあがった。世界中のアイリッシュが、武器輸送の禁止を無効とする決議を通したジョン・レドモンドとアイリッシュ党に共感と憤りを表明した電報を打った。

8月1日、ホースへの武器輸送の1週間後、600丁のライフルと2万砲の弾薬がコターからウィックロウ州キルクールに届いた。ウェールズ沿岸からコナー・オブライエンのヨットで運ばれ、ジェームズ・クリード・メレディスの航行するサー・トマス・マイルのヨットに積み移されてきた。
プランケットはマクドナーに、<アイリッシュ・レビュー>で公表する輸送武器の数字を聞き、それが7・8月号の記事となった。

ジェラルディン・プランケット・ディロンより。
武器輸送からこのかた、あえて会合に出ようとするつわものはほとんどいなくなってしまい、ジョーはひどく憂えていた。正しきと誤りと、義勇軍内部での論争をめぐり、長い時間が費やされ、夏が過ぎていった。あらゆる論議の果てに、結論は、アイルランドは己の名誉を取り戻さなくてはならないということだった。アイルランドの精神的また物質的必要は強い行動を求め、そして「イングランドの困難はアイルランドのチャンスである」。フェビアン以来このかた、イギリスの支配に対する武力闘争はなかった。近づきつつあるドイツとの戦争が、我々にとってのチャンスとなるだろう。

いまや<レビュー>は財政的にあえいでおり、詩人のふりをしたスパイたちがマルバラ通り17番地に、またラークフィールドに連絡してきた。ジョーはもてる力をすべて義勇軍の活動に注いでいたが、病みがちで、精根尽き果てることがますます多くなっていた。
雑誌がどんどん政治的になっていたから、検閲され、発禁処分にされて潰されるのは時間の問題だと分かっていた。それが英国政府のやり方となっていたからだ。

マクドナーも同じほど献身的で、情熱を注いでいた。じっさい彼はジョーよりも長く雑誌に携わっていた、しかし同時に彼には雑誌に関して独自の考え方があり、また愛する妻ミリエルと赤ん坊ドナー、大学の教壇、また義勇軍があった。
この増刊号は<レビュー>の最後から2番目の号となった。

<アイリッシュ・レビュー>1914年7・8月号
画・カシミール・ダニン・マルキェヴィッチの作品より、記事・「クロンターフ1914(武器輸送の年)」トマス・マクドナー、「アイルランド義勇軍マニフェスト」「工業の問題に関する考察」ハリー・レジナルド・キング、「医師」ウィニフレッド・レッツによる詩、「郵便局、銀行を救う:もうひとつの計画」ジャスティン・フィリップス、「嵐のあと」ダニエル・コーカリー、「コイル/森」パトリック・ピアス、「アイルランドの教育における理想」プロインシアス・エアミース、文筆作品・「岐路に立つ青年たち」R.B.アンダーソン、「残虐なる殺戮」ジェーンミッチェル、「地方自治とフランス」ジャン・マリエ、ピーター・マクブライエンとトマス・マクドナーによる批評、それぞれ「文学の贈り物」と「新詞華集」。

8月4日、英国はドイツに宣戦布告した。
同日、レドモンドは下院で、英国以外の侵略に対する自衛権をアイルランドに与えた。多くの者が、彼は状況をうまく利用して自治権を拡大しようとしていると考えた。しかし、プランケット、ピアスそしてマクダマダは、それは実質的に義勇軍を英国軍に引き渡すことであり背信行為であると考えた。やがてそのことは明白になり、彼らはレドモンドと袂を分かつこととなった。アイルランド人が群れをなして加わり、やがて数月のうちに死傷者リストにアイルランド人の名前がどっと現れた。分離主義者たちは、署名しないと支持していないことになるというプレッシャーのもとに置かれた。彼らはみんな、身内や友だちの誰かしらを戦線に送っており、家族や地域内で別れ別れになっていたが、みんな戦争のもたらす死と破壊の痛みを経験していた。

プランケットは国内外のあらゆる演説を読んで、現況を分析していたが、彼の考えではこの戦争はアイリッシュ党の言うように3ヶ月ではなく、少なくとも3年は続きそうだった。少なくとも30万人が加わり、彼はゲリーに、自分と同じ国内外の新聞を読ませては、その要約をつくらせた。そのすべてが彼にとっては大問題だった。列強間の紛争のためではなくアイルランドの独立のために、人々は結束を固めていった。

9月には何千丁ものライフルがレドモンドによって、義勇軍を武装し訓練するためダブリンへ届けられた。だがプランケットはそれらを見て全く使い物にならないと言った、というのは1849年式の銃身の曲がったガリバルディ銃に、弾薬はなし、というありさまだった。

ジェラルディン・プランケット・ディロン:
ラークフィールドの9月の晴れた朝、私は5時に目を覚まして、6千人が野天でひそひそ喋っている変な音を耳にした。彼らは製粉所の敷地に集まって、ダブリン山地で行なう行進と演習に備えていた。トマスが1部隊を率い、ピアスが別の部隊を率いた。彼らはまったくの寄せ集めで、モーニングのコートに縞ズボンの者、軍服を着た者、ぼろをまとった者など。ほとんど、あるいは全く訓練を受けたことのない者も多かったから、最善を尽くしたにせよ訓練は困難を極めた。アンディ・クラーキンが馬を放牧していた草地も訓練に使われ、馬は騎馬隊に使われた。英国軍のリクルーターもいた。ジョーは私に、彼らが当局に採用されたくて義勇軍に入ろうとしているのを知って驚いたと言った。リクルーターの取り分はふつうひとりにつき2シリング6ペンスだが、私の知っているある人はひとりにつき1ポンド取っていた。

兄にあてたこの手紙でジョージ・プランケットは、自転車旅行でダブリンからキルコック、キネガド、アスローン、アトゥンリィ、オラモアを経てゴールウェイ、スピダル、そしてピアスのコテッジがあったロスマックまで行ったことを綴っている。彼らは(ほかに誰がいたかは書いてない)ロスマックからコリブ湖をめぐり、コングを経てアランまで行った。

1914年8月17日、コネマラ
親愛なるジョゼフ
手紙と中身、受け取った。困っていたところだった。
出発してこの方、すばらしい時を過ごしている。ピアスのもっているおんぼろボートを湖に浮かべ(我々は岸からすぐのところにテントを張っている)、タールを塗って少し補修し、それに乗りこんで出掛けた。それ以降ずっとそのボートを使っている。
PS、金を少し送ってくれ。現況困難ナリ!
可能な限り早く戻る。ピアスは水曜に発った。ローギアで丘を登っていたらギアがいかれてしまった。ペダーソンのはだめだな。店に電話して、新しいのを送るよう頼んでくれないか。
みんなによろしく。エイマーによろしく伝えてくれ。

エイマー・オデュフィは劇作家、小説家で、当時ジョーとゲリーといっしょにラークフィールドに滞在していた。英国軍に入るのを拒んだら勘当されてしまったのだ。そこで彼はIRBと義勇軍に入った。

9月はじめ、ジョン・レドモンドは、英国首相のハーバート・アスクウィスに会うと宣言した。ダブリン領事館で徴兵会議が予定されていたのだが、IRBと市民軍がそれを阻止して領事館を占拠しようと企てていた。
プランケットはその作戦会議ではじめてジェームズ・コノリーときちんと話し、たいへんに興奮して帰ってきて、ゲリーに、彼は今まで会った中で最高に偉大で知的な人間だと語った。

英国軍は妨害計画を嗅ぎつけ、IRBと市民軍がやってくる前にドーソン・ストリートに張りこんだので、彼らは領事館に近づくことができなかった。
プランケットは激怒したが、仕方がないので奇妙な冗談で気を紛らわすことにした。
彼は封筒に「ハーバート・ヘンリー・アスクウィス様」と書いたのを弟のジョージに渡し、彼はそれを持って「アスクウィス様へお手紙! アスクウィス様へお手紙!」と叫びながら通りを進んでいった。兵士や歩哨たちがみんな道を開け、領事館の門も開けられたところへ彼はそれを手渡した。そこにはG.K.チェスタトンからの引用で「君がとても美しいので心動かされずにはいられない」とあり、「小さなスノウドロップより」と署名がしてあった!

そのときからこのかた、彼はコミッティーの残りのメンバーとともに、レドモンドが「一線を超える」のを俟って英国と正面対決する心積もりを固めることになった。

8月に、義勇軍の軍服委員会は、コーク州ダグラス・ミルズのメッサー・モロー商会が特別な織機をもっていて、彼らが送ったサンプルともマッチしたので、最初の注文がモローへ発注されたとの報告を送ってきた。モロー商会はそれからの実に数十年に渡り軍服の製造を手掛けることになった。上官とそれ以外との区別は設けられなかった。階級は一時的なものにすぎなかったからだ。すべてのアイテムはアイルランドで製造された。報告書はユーイン・マクネイルとロレンス・ケトルの署名だった。プランケットはこの委員会のメンバーだったから、ケトルから手紙を受け取ったのはそのせいだったかもしれない。

「・・・義勇軍専用の自動車会社の設立と管理を、君に委任する。君に、だれでもふさわしいと思える人間を配置し、報告書を出させる権限を託す。」

9月20日、レドモンドは一線を超えた。ウドゥンブリッジでの閲兵式で、彼は、義勇軍は英国軍のメンバーとなって戦うべきだと言った。そこにいた義勇兵のひとりはプランケットに、彼は「すぐに行け!」、彼らは恥さらしなのだから、と叫んだ、と語った。しかしそれは新聞で報道された模様とは違った。プランケットは、いよいよ来たぞ、これ以上レドモンドと一緒に働くのは無理だ、と思った。

彼は再び調子を崩しており、IRBのメンバーが次に何が起こるのか、またマニフェストにはどう書くべきかを相談しに、ラークフィールドまでやってきた。数日後、元レドモンド義勇軍のコミッティーが、彼らの立ち位置を再定義したマニフェストを渡しに来た。新聞の検閲がひどくなっていたが、プランケットはそれを9月・10月の<アイリッシュ・レビュー>に載せた。

マニフェストは、レドモンド氏はアイルランド義勇軍組織においてもう何のポジションも占めていないとし、1914年11月25日、義勇軍の総会を開く旨発表した。彼らは「アルスターは弾圧されえない」という名目のもとに「アルスターのナショナリスト」を公然と弾圧しようとしている現政府のやり方に抗議し、アイルランドは、「それ自身の独立政府の自由な行動によってしか、名誉と安全をもって外国との紛争に係わることはできない」とした。そして、ダブリン城と英国軍当局を通じた現在の統治のあり方が廃止され、独立政府が打ち立てられることを要求した。

(訳:中島迂生)

*ジョージ・プランケットが自転車旅行したゴールウェイ、スピダル、コリブ湖、コネマラ、そしてアランについて、中島迂生も文筆作品とスケッチを当ブログに載せています。こちらもぜひ!

http://ballylee.tsukuba.ch/c6980.html
http://ballylee.tsukuba.ch/c7343.html
  

2012年10月28日

原宿ハロウィンパレード2012

  

毎年恒例になりました、ユーロブラス@原宿ハロウィンパレード。
今年も呼んでいただいて、シンバル叩いてまいりました。

  

これは映画に出てるフランクというキャラだそうです。電話がかかってきて、スマホで話すフランク。

 

・・・の姿はとってもシュールで、思わずカメラを向けるみんな。

  

愛くるしいパンダさんは、てっきりパレードに参加するのかと思ったら、ふつうに見物人?だったようで、私のほうが見物される側に。・・・パレード後、快く写真を撮らせてくださいました。
あと、写真撮りそびれてしまったのだけど、クラウンの格好をした外人さん、とても似合っていて素敵でした。
きゃりーぱみゅぱみゅも来てましたよ。人垣がすごくてちらっとしか見れなかったけど、ピンクのドレスかわいかった。
主宰の皆さまおよびバウマン隊長、ありがとうございました。
  

2012年03月23日

原宿パレード2012

           

翌18日は原宿パレード。
いままで長年、沿道で見ていたりボランティアスタッフとして参加しただけで、ちゃんと参加者として歩くのは実ははじめて。
去年のパレードクイーンでお世話になったアイコンユーロパブさんの団体で参加、前日に劇団で共演したOさんも一緒に。
・・・元気だなあたし・・・。
5年の年季のなせるわざか。

パレードに関わってる人間として、何も手伝わずにただお客さんとして参加というのは本来なかなか肩身の狭いものがあるのだが・・・
まぁあれだけいろいろあったことだし、そもそも私はボランティアで出ると着なくちゃいけないあのTシャツがどうしても・・・
まぁその話はもういいや。

この日も寒く、ほぼ一日中雨ふりだったが、パレードの1時間のあいだだけ奇蹟のように雨があがった。
去年のパレードクイーンの仲間たち何人かに再会できて盛り上がる。
顔見れてよかった。
直前までバタバタ変装・・・じゃなくて着替えていたのであまり話できなかったけど。

おわったあとビアヴァーナに行こうと思ってたのだけど、クイーンのひとりでアイリッシュダンサーのゆかちゃんが六本木のハードロックカフェで踊るというので見に行くことに。
Oさんを説得して連れてくのがけっこう大変だった(笑)

場所が分からなかったので(ケータイで検索できない人。)
六本木まで行って駅員さんに「ハードロックカフェ行きたいんですけど」とふつーに聞いたらふつーに教えてくれた。
でも、じっさい歩いてみたらものすごく分かりづらいところにあるの!
ヒールの高いサンダルだったので疲れてしまった。

ハードロックカフェは今年パレードにも参加してて、店内は緑の飾りつけ。
予約もなしにいきなり行ったのにステージに近い席を案内されてちょっと感動した。

メニューは食事も飲み物もいろいろ豊富にあって迷う。
この日はベジのOさんのリクエストもありナチョスプレートを。
山盛りのナチョスの上からチーズ、オリーブ、ピーマン、トマトの角切り、ビーンズ、サワークリームがかかって、チリソースがついてるのをあたたかいお皿で。
こまやかで上品な味つけ、スモールサイズなのに二人で充分。
正直、自分のなかのナチョスの概念が変わった。
ナチョスって食事になりうるんだ!
これが今年のパレードの大きな収穫だ。
食材を覚えていてここに書いてみたのは、自分でも作ってみたいからだけど、あれと同じ上質なチーズやサワークリームを探すのはちょっと難しいだろうな。

食事してたらINJのメンバーがぞくぞくと入ってきて2階へあがってく。
全然知らなかったけど彼らのアフターパレードパーティの会場になってたのだ。
しかしまた、これだけ都内じゅうにアイリッシュパブがあるなかで、こともあろうにここって!

私がブログで不満をぶちまけた人たち、名指しで批判した人、そんなこともあって私のことをよく思ってない人たちも来てたけど、私は何も悪いことをした覚えはないのでそのまま座っている。
どこへ行っても私はだいたいこんなものだ。

席を立ってちょうど会長のAさんに出くわしたら、この人にもいろいろぶちまけていたにもかかわらず、「2階においでよ」と声かけてくれて、これには恐縮。

そのうち、INJメンバーで仲良くしてくれている人たちが次々自分のほうから私のテーブルへ来て挨拶してくれて、これにも恐縮してしまった。
Tさんなど、あきらかに私のほうが悪かったのに「さっききつい言い方してすみませんでした」と謝ってくださっちゃったり。
いやぁほんととんでもないです。
なんかほんとに人っていろいろだなぁ。

ゆかちゃんはじめ5,6人のステージはアルダーダンススクール。
1曲目がいきなり、なんとレディー・ガガのジュダスですよ。
それに合わせてアイリッシュのステップで踊るの。
衣装も金のスパンコール、ド派手でステキ。
思わずいっしょに熱唱してしまった。

さきほど勢いで「あとで2階へ挨拶にいきます」と言ってしまったので、帰りがけ、気後れをねじふせて2階へ。
いっぱい人がいて何が何だかよく分かんなかったけど、とりあえず片端から挨拶してまわる。
Aさんに肩をつかまれて、気がついたら大使のニアリーさんと引きあわされていた。この人までおいでになってるのは知らなかったのであたふたして、言葉がうまく出てこない。
つくば代表です、と自己紹介すると名刺をくれた。・・・去年もくれてるのに。
まぁ仕方ないよね、と思いつつ、テンションが下がっていくのはいかんとも。
私の名刺、見覚えがあるのではと思います、と言って私も去年も渡した名刺をまた差し出すと、そこではじめて、「あぁ、なんか書いてる人だったね」と思いだしてくださった。
私の名刺は、妖精とペガサスのイラストを入れた手書きのもので、けっこうみんなそれで覚えていてくれる。
はい、アイルランドを舞台にした物語をたくさん書いてるんです、きのうのつくばフェスでも上演しました、いつか世界に出ていきたいと思っています。・・・
いつものように熱く語ろうとするが・・・
劇団を立ち上げて4年、この期に及んでまだ「いつか(one day)」か・・・と、自分で言っていてどうしようもなくテンションが下がってきてしまい、そのまますごすごと帰る。

パーティーの席での振る舞い方というか、プロモートの仕方についても、ほんとにまたちゃんと考えないといけないなぁ。
という課題をあらたにしつつ。

帰り、まだ時間が早かったのでビアヴァーナへ。
まだ盛り上がってるかなと思っていったら、もうあらかた人は捌けて静かだった。
でも、オーナーさんだか店長さんだかよく知らないのだけど、クイーンのときにお世話になった人が歓迎してくれて、おごってあげると言ってきかないので、「じゃあベイリーズを」とリクエスト。
去年の・・・4月以来! のベイリーズ、しみじみと喉にしみた。
半パイントのギネスでしめて帰路へ。
生ギネスもほんとに久しぶり。別に飲まなくても生きていけるんだけどね。
飲むなら絶対その場でついでもらわないとね。

よく歩いた一日だった。
土日とフル回転だったので月曜起きるのがなかなか辛く。
  

2012年03月05日

また雑務・・・

月曜、朝から雨。テンション下がる・・・
なか、ふたたび1時間早く家を出て、ゴミ出して、こないだ門前払い食わされた警察へふたたび、道路使用許可申請へ。
フェス準備のための雑務つづき。

いつも交通課にいてわれわれのこと知ってた人が異動になったらしく、新しい人たちはよく知らなくて、一から説明しなきゃならず、とってもやっかい。
こないだのおねーさんが出てきて文書のこまかいところ、前なら問題にもならないようなこと、ごちゃごちゃと。

あー、やっかい。
小さなイベントひとつやるのになんでこんな・・・。

このぶんだと「遅れるかも」って電話しなきゃならないかな・・・。
途中、「もういいです、仕事行かなきゃっ」って、駆け出したくなる衝動に駆られる。

なんとか間に合って、判ついてもらって、印紙買ってカウンターに出す。
受付票もらって3日後にまた取りに来なきゃいけない。

ほんとにこんなめんどうが必要なの、信じられない。
じっさい、たいして誰の邪魔にもならないのにな。

こういうめんどう、自腹の出費、ほんとにもういやだな。
もう、心がここにないよ。
  

2012年02月10日

つくばセントパトリックス・フェス2012準備 Jan2012その2

お次は市役所関係。
こればかりは都内の支援者にやっていただくわけには。
けど、私だって仕事の合間ぬって行くのけっこう大変なのよ。

ちゃんとやろうとすると手続きがけっこうめんどくさいんだ、これ。
フェス会場のセンター広場を借りるのはわりと楽。
市役所のHPから用紙をダウンロードして、書きこんで、資料とかといっしょに郵送で申請できる。
後日許可書を郵送で送ってくれる。
で、使用料は当日のあとに振込。
しかも、悪天候でイベントをキャンセルしたような場合には、事前に連絡すれば免除になる。

めんどくさいのはパレードのほう、道路使用許可申請。
郵送で受け付けてくれなくて、出向かなくてはならない。
まず市役所の道路課行ってスタンプもらって、それから警察の交通課に出して、許可証ができるのにまる1日かかるので、後日また行ってもらわないといけない。
しかも申請する時点でお金を取られて、当日キャンセルしても戻ってこない。

時間とお金とエネルギーをたとえば100注いだうちの、せいぜい5とか6とかしか精神的見返りがない(お金はひたすらマイナス)・・・
ということがずーっと続いたら・・・
これは申し訳ないけど、もうだめでしょ。

おととい、昼休みに恐縮しながらソッコーで市役所へ。
コンビニで、片手で食べられる系の軽食を買い、車飛ばしながらかじって、道路課(パレードのため)と都市施設課(フェス会場)。
手続きはわりとさくっとすんだ。
ほんとはその足で警察へ行きたいのだけど時間がない。
なんとか1時間で戻ってくる。

今朝はいつもより1時間早く起きて警察へ。
なんだかいつも1階と3階と両方行かなくてはならず、さいしょに3階だと思っていくと1階に回されてまた3階まで行かなくてはならなかった記憶があり、さいしょに1階で聞いて用紙を購入。
ところが、3階に行ったら・・・
「あ、3月17日ですかぁ・・・1ヶ月前にならないと受付できないんですよ」

・・・・・・・

「あのう、それ、ホームページのどっかに書いてあります?」
「さあ・・・どっかには書いてあったと思うんですけど。
1ヶ月前になったらまた来てください」
「・・・・・・・」

その瞬間、決めた。
ほんとにもう、今年でさいごにする。

さて。
これで1ヶ月前になったらまた1時間早く起きて警察へ足を運び、書類を出して、それからまた後日許可証を取りに来ないといけない。

イベント保険は今年はもうやらないよ。
去年までのごたごたで、もう本気でうんざり。
皆さん来られる方はどうぞ自己責任で。

*****************

同じ日、去年にひきつづきキリンビールさんと打ち合わせ。
先方からコラボの申し出をいただいてるもので、今年はギネスTシャツ、シャムロックのステッカー、それからキリンフリーの緑ラベルの無料頒布などしてくださることに。

*****************

パトリックの衣裳と国旗づくり。
今年はこんなことからやってる。
劇団衣裳つくるのと基本変わらない。
劇団ではミシンもってるのが私しかいないので、私がつくるしかないのだ。
というか、そのためにミシン買った。

緑の布地買ってきて、部屋の床そうじしてから平らに広げて下書き、裁断・・・
マチ針を指に突き刺しながらミシンがけ。
あ~ もういやだ~ こんなことやってたくないよ~
すごく時間食うし、疲れる。

なぜこんなことやってるかっていうと、もう東京から借りたくないから。
東京から借りると、ぜったい東京パレードのあとにつくばの日程をもってこないといけないし、(それがゆえにいままで17日にいちばん近い週末でできなかった!) 運搬の日数を見とかないといけないし、めんどくさいリストのやりとり、配達日や配達場所の手配・・・ それから、送るとき向こう持ちで送ってくれるのはいいとして、返すときはこっち持ちなのだ。
なんかそれが納得いかない。
こっち、補助金ゼロで出ていくばかりなのだから、せめてそれくらい持ってくれてもよくない?
東京パレードのボランティアにギネスふるまってる余裕があるんならさ。

ああ、なんか、ひとたびやる気がうせるとほんとグチばっかだな。
ほんと、やる気だけでもってたんだな、今まで。
でも、いまここに吐き出したから少しすっきりした。
とりあえずまたがんばるよ。

でも今年は大使公邸のレセプションもう行きたくない。
大使には何の恨みもない。心から仲良くしてくれてるINJメンバーの方々もたくさん。
ほんとに申し訳ない。
でも、大使のたかだか「いつもありがとう」のひと言のために、毎年ここまでめんどくさいのもう続けられないよ。
みんな、自分たちのやってることの宣伝でいっぱいいっぱいで、割りこもうとする奮闘にももう疲れた。
劇団のプロモーションはつづけなきゃ。
でも、これからは別のやり方を考えるよ。
効果ないことをいつまでやってても仕方ない。
正直、もううんざりだ。。。

  

2012年02月10日

つくばセントパトリックス・フェス2012準備 Jan2012

超個人的備忘、長文内部ネタほとんどグチしかも問題発言あり。
フェスサイトのほうには書けないから、こっちに書く。
検索かけてまで見に来てくれるならむしろ本望だ。

もともと12月に、フェス支援者のSさんにメールした内容なのだけど、記録に残しておきたいので、少し表現を和らげてこちらに。
劇団ネタを読みに来てくださってる方々、どうぞここは飛ばしといてくださいまし。

年間を通して活動のバリリーと兼任で、私は毎年3月のつくばセントパトリックス・フェスも主宰しています。
http://stptsfes.tsukuba.ch/

今年で5年目。
劇団を立ち上げるのに半年ばかり先んじていた。
毎年、ほぼ4ヶ月はこれでつぶれるといっても。

正直、ここ何年と、私はほんとにやる気をなくしているのです。
東京と横浜は大使館のバックアップであんなに盛り上がってるのに、つくばの冷遇はほんと、何なんだと思う。
同じ関東なのに。
INJの規定で、恒常的に関われるメンバーが5人以上いないとあらたな支部をつくれないことになっていて、だから目下のところINJつくばはつくれないのです。
INJ支部として認知されないということは、イコール補助金が出ないということ。
人がいないからひとりとかふたりとかで奔走してものすごく大変なうえ、しかも人がいないというまさにその理由で補助金も出ない。
こんな不公平なことってありません。
この不公平ぶりを何年と見せつけられてきて、もう力が出なくなってきた。

さいしょのころはフェスをやること自体が楽しかったからよかったのだけど、もうあんまり。
毎年、パトリックフェスの由来を笑顔で説明して回るのもいいかげんアホらしくなってきたし、書類申請でお役所回りするのもめんどくさいし、そのうえ自腹で会場使用料とか道路使用料とかイベント保険料とかを毎年払い続けるのも、もう・・・。

INJの中心になってる人たちに対してもたまりつづけている不満が、もう我慢できないほどに。
少し前まで副会長だったTさんなんか、地元も地元(隣町在住)なのに、つくばのミーティングにもパレードそのものにも、一度も来たことがありません。
さいきんなんか問い合わせメールの返事さえなし。
借りた備品の扱いに問題があったとか、文句があるときだけ。

会長のAさんは、震災のとき、東京のパレードが中止になったので、じゃあ次の週のつくばに来てくれるかと思ったら、同じ週にあった大阪のパレードに行ってしまいました。
頭にきて、私も大阪行ってしまいました。
しかも、私は大阪のパレード会場でいろいろ手伝って一生懸命働いてたのだけど、Aさんはのんびりお客さん決め込んでいただけだった。
なんか非常にむなしくなりました。

あと、東京INJメンバーのひとりで田面(たづら)さんっていう口の悪い人のことも。
先回原宿パレード会場の掃除ボランティアと説明会があって、がんばって顔出した。
間に合うように着いたのだけど、予定より早く終わってしまっていた。
そしたら、人の顔見るなり・・・「掃除さぼったな」って。

あなたね。
こっちはINJ支部として認めてさえもらえないのよ?
「あたしだったら遠くから来てくれたっていうだけでお疲れ様って言いますね」
笑顔でそう言ったらさすがに黙り、そのあと私と目を合わせようとしなかった。

けど、そのあとINJの絡んだイベントに行くと受付やってたりするんです。
ほんと顔見るのも憂鬱で、それもあってさいきんINJ全体から遠のいてる。

まぁ、外的な状況としてはこんな感じなのですが・・・

いちばんの根本的な問題というのは結局のところ、私という人間そのものがあんまり、博愛心をもって国際親善のためにどうのこうのとか、そういうキャラじゃない/なくなってきたのだろうと。

正直、フェスはもう2年目くらいから、劇団のプロモーションの一手段にすぎなかった。
フェス代表という立場を使ってなんとかコネクションをつかみたくて、機会あるごとに英訳したスクリプトを持ち歩いた。
大使館関係の人たち、大使にも渡したけど、ただ渡しただけだった。
文化・広報担当のアシュリンさんとも「こういうことをやりたいんです」と話したけど、はっきり「難しいと思うよ」(←日本語)と言われた。
・・・だったらもう、ここで私ががんばる意味がないよ?

私は物書きとしての中島迂生としての、個人的名声を追求してゆきたい。
私の中心は書くことなのです。
私は自分の書いた作品たちを、世界に知ってもらいたい。
いまのところそのために劇団というかたちでやっているけど、必ずしもそれにはこだわりません。
そのための方法論を、ひきつづきいろいろ探っていかなきゃと思っています。
とにかく、それ以外のことにはもう、あまり時間を割きたくないのです。
そんな感じです。

でも、とりあえず今年はやる。
それはこんな状況にも関わらず、いっしょにやろうと言ってくれてる人たちがいるから。
都内在住にも関わらずお仕事もお忙しいのに毎回こんなに快く協力してくださってるSさん。
ユーロブラスのHさん。
PAをもっていきますまで言ってくださってるJさん。
Last but not least... いつもパレードで歩いてくださるパトリック役のM神父。
だからやらないわけにいかない。

でも、今年は(とりあえず私のほうは)あまり宣伝はがんばらないで、心から来たいと思って来てくださった人たちがゆっくり楽しめるような、こじんまりとゆるい感じでやろうかなと思っています。
そんなこんなで、INJとか大使館とかとはもうあまり関わりたくなくなってきたので、パトリックの衣裳とかもこっちでつくって、備品借りるのももうやめようかなと思ったりしています。
人様のほうで声掛けていろいろ連れてきてくださる分には、全然歓迎なんですけどね。

こちらの不満をINJ関係の人たちにおだやかな言い方で少しは伝えたほうがいいのかも。
「もうつくばはやりません!」とかいきなり言って、あとから「そんなところまで追い詰められていたんだったらなんとか考えたのに」とか言われても仕方ない。
私としては乗っ取るのだったら乗っ取ってくれて全然OKなんですどね。
それとも何も不満言わずに静かにやめたほうが大人でしょうかね。

後記・・・
会長のAさんから、「つくばはいつやるんだ、早く返事くれ!」メールが来たので、不平不満もぜんぶ含めて思いのたけをぶちまけてしまいました。
いちおう言葉遣いにはちょっとは気をつけたつもりですが・・・

そしたら返事が来て、「ボクだってボランティアでやってるんだから大して何もしてあげられない。というか、ボクも今回の震災のゴタゴタで疲れ果ててしまったので来年限りで会長やめる。」ということでした。
・・・みんな疲れてるんだなー・・・

あの震災ではほんと、みんなの疲れがどっと出た感じだったよ。
Tさんも副会長降りちゃったし、アイルランド政府観光庁のもうひとりのAさんも・・・
着任早々あれに見舞われたのに逃げなかった大使のニアリーさん、あなたはエライ。

つくばのイベント全般に関して言えば、まぁ・・・地方がさびれてるのはどこも同じですが、市や関連団体とうまいことコラボできてるイベントはそこそこ盛り上がってるんですよね。
ただ、自分もそれやってみて分かったんですが、ほかの団体とつるむと、センパトの趣旨をそっちの団体のやりたい趣旨とすり替えられそうになって守り抜くのにけっこうエネルギーが必要だったり、「機材を貸してやるからこちら指定の業者で人件費は払え」とか、「破損があったらふつうに弁償ねー」とか、微妙に納得のいかない助け方をしてくれたりするんですよね。
そういうのがあってちょっと疲れちゃって。

INJに対しては、何というか、自腹なの自体がいやだというよりは、不公平感?
ほかのどこも自腹だったら文句なんて言いませんて。
5人という規定は、それなりの理由があってできたんでしょうけど、その縛りのおかげで潰れそうになってるパレードがあることを知ってほしいんですよ。
というか、ほんとに潰れてみないと、本気になって考えてくれないかも。
「文句言ってるけど、何だかんだ言って結局つづいてるから、今後もほっといていいだろう」って思ってほしくないんですよ。
本気になってこの不公平を是正してもらうために、一回ほんとに潰れた方がいいのかも。・・・
  

2011年03月08日

パレードクイーンコンテスト ファイナルに出場します♪

http://www.paradequeen.jp/ja/home

http://www.paradequeen.jp/ja/contestants

日本最大のセントパトリックス・デー・パレードでいちばん歴史も古い表参道のパレードが、今年で20周年だそうです。
今回のは、それを記念してはじめて企画されたイベント。
本家アイルランドではもとから毎年やっているそうですが、日本でもそういうのをやろう! ということになったようで、パレードの先頭に立って歩く<パレードクイーン>を選ぶコンテストです。
バンド演奏などの入るパーティー兼、出席者全員の投票でクイーンを選ぶファイナルが、明日水曜夜、青山モーダポリティカにてあります。
大使などもいらっしゃるそうです。
報道陣も入るそう。
いまからかなり緊張してます・・・

INJ現会長のアンディさんと、マーフィーズなどを扱っているアイコン・ユーロパブの社長さんが中心となって立ち上げた企画のようです。
2月のレセプションのときに、アイコンの方とお話する機会があってこの企画のことを知ったのですが、「うちの社長は、勢いだけで見境なく始めちゃう人なんだよ~」と言ってらして、それを聞いて私はいたく共感したんですね。
その心意気がすばらしい!!! と思った。
始めるときは、とにかく勢いが大切!
自分がつくばパレードや劇団を始めたときもそうでしたから。
というか、はっきり言って、見境なんかあったらいつまでたっても始められないでしょう。
で、自分がウルトラ忙しい時期と重なるのは分かってたのだけど、せっかくここでこういうことを頑張って立ち上げてる人たちがいるのだから、ぜひとも乗っかって一緒に盛り上げたい! と思ったのでした。

なんかね、毎年この時期、いつもつくばフェスの準備に忙殺されてそれだけで終わってしまって、ほかに都内でもいろいろイベントやってるのに参加できないのがすごくずーっと不本意だったのです。
だから今年は極力INJ東京のミーティングなどにもお邪魔させていただいていろいろ勉強しながら、都内のシーンとも足並みを合わせるよう努力してみたつもり。
今回幸運にもファイナリストに選んでいただいたのは、自分がいままでアイルランド関連で頑張ってきたいろんなことが、ここでちょっとだけ評価していただけたのかなぁ、と思っています。

それにしても、この錚々たるスポンサー陣の顔ぶれ、ほんとにすごい・・・
この営業力、うちも見習わなきゃ、と本気で思います。笑)

当日は2種類の衣裳を着てグリーンカーペット(さすがアイルランド! 笑)を歩き、インタビュー形式でアイルランドへの愛や自分の夢について簡単なスピーチをします。
もしもクイーンに選ばれたら、表参道パレードで歩くほか、アイルランド関連のいろんなパーティーやチャリティーイベントに参加したりして文化親善大使的な役割をつとめるようです。
個人的には、ぜひともこの機会に、少しでも自分がいままでやってきたこと、アイルランドを舞台に書いてきたたくさんの著作や、自分の劇団についてできるだけ多くの人に知ってもらえたらいいなぁ、と思っているのです。

明日のイベントのこと、みんなに知らせて、友だちや家族をありったけお招びなさい! と、主宰側からは言われているのですが、・・・
正直、平日だし都内だし、チケットがかなり高額なので、あまり気軽に来て下さいとは言いにくい・・・
でも、いちおうお知らせまで。
たまさか、もともと明日いらっしゃる予定で、私のやってきたことに共感してくださっている方がいたら、もしよかったら投票のときに私を選んでくださいませ。

  

2010年12月23日

展示会無事終了♪

 

遅くなりましたがようやく片づけも終わったので。

この機会を与えてくださったタカさん、ご一緒させていただいたうさこさん、それから見に来て下さった皆さん、お心づかいいただいた方々、ほんとうにどうもありがとうございました!!

タカさんは、もともとつくばのEast of Eden というライヴバーで知り合った音楽仲間。
絵描きとしてのタカさんを知ったのは、あるとき、
「私、作家になりたいんです」と言ったら、ボソリと
「俺、画家になりたい」と言ってらしたのがさいしょだったように思います。
そのときはまだ、タカさんが絵を描かれるの知らなくて、ノリで冗談で言ったんだと思ってました。
それが、見てるうちにどんどん具体化して、会社員やめてつくばに拠点を構えて、ほんとに絵画教室を始めてしまいました。
その思いきりのよさとパワー、ほんとにすごいし、カッコイイ。
教室経営が軌道に乗ること、心からお祈りしてます。
興味ある方は、つくばにお越しのさい、<ものくろ亭>にぜひ遊びに行ってみてください。
http://x76.peps.jp/monokurotei/

うさこさんのトールペイントも、前から存じていましたがあれほど一度にたくさんの作品を見たのは初めてでした。
おうちにはまだまだあるそうですが、どれも可愛らしくて素敵な作品でした。
あと、とくに自分的にすごいなと思ったのは展示のレイアウトの段取りのよさ。
初日のはじまるほんの1時間くらい前にお二人でいらして、1時間でささっと見事に飾りつけていかれました。
お忙しかったのもあるのでしょうが、あの手早さはぜひ見習わなくてはと思いました。
(自分が超のろいので・・・)

       *

絵の展示をさせていただくのは今回2度目です。
内容はほぼ、3年くらい前にやった<愛蘭土情景>展で出したもの。 
段取りとかそういう点で、こうして場数を踏ませていただけるのはほんとにありがたい。
今回もさんざん時間食いましたが、これでもさいしょのときよりだいぶ効率よくなりました。(って、さいしょのときどんだけ段取り悪かったんだって話。)

●展示物

・絵 モノクロデッサン、カラーとあわせて5,60枚くらい。
 基本トナーコピーなので厳密には絵画とはいえないかも。原画はほんとに旅先の素描なので、ノートの端きれにしかもシャーペンとかで描いていて、雨にふやけていたり。
 そのままでは出せない状態なので、それを見やすいていどに拡大して、ペン画とか銅版画ふうに、かなり濃く打ち出している。まあ版画みたいなものです。それをカットしたボール紙に貼りつけて、枠として色画用紙をまわりに貼ってる。
 前につくったもので大きすぎるのを小さめに作り直したり、前のときからカラーの絵が少し増えたのでそれをまた展示用に作ったり、あらたに12,3枚作りました。
 http://ballylee.tsukuba.ch/c7343.html

・文筆作品 10冊くらい。
 絵の展示と銘打っていてなんですが、正直作家業のほうがメインなので、そちらも。
 ここ6年くらいのライフワークが<愛蘭土物語>という、アイルランドを旅するなかでインスピレーションを得た物語集で、劇団バリリー座で上演する演目の原作ともなっているもの。16の物語が収められています。
 今回展示の風景画は言ってみればこの本の挿絵みたいなものなので、この本をプリントアウトしたかたちでぜひ一緒に展示したかった。
 それで、今回プリントアウト用にワードに組み直して、絵の画像も入れたりして、一冊の本の形にして卓上に展示しました。300ページくらい?
 http://ballylee.tsukuba.ch/c6980.html
 そのほか、アイルランドとは関係ない過去の著作もいちおう。
 あと、アイルランドで撮った写真とか諸資料のアルバム。

・セントパトリックス・デイの旗
 前の展示のときにつくったもの。どうかなと思ったのですが、地が黒だし、ものくろ亭の全体のカラーとそんなに違和感ないかなと思い。
 天井に留めつけるのはけっこう骨で、タカさんにお手間かけました。

・シャムロックのアクセサリー類
 けっこう昔につくったもの。針金とガラス、冠とか首飾りとか。
 つくりながら独自の手法を編み出していったもので、けっこう愛着あり。

・劇団バリリー座のパンフ類
 ライフワークの<愛蘭土物語>を片っ端から舞台化してるのが劇団バリリー座なのです。

・アイルランド関連書籍 やはり10冊くらい。
 ほかの人たちの著作。包括的な文化紹介として。

・アイルランド音楽CD 10枚くらい。
 同上。

●展示の段取り

 展示物の構成を考える、選別
 展示物をそろえる あらたに作成、足りないもののプリントアウトなど
 搬入、会場の大きさと形に応じてさらに選別、レイアウトを考える
 釘とかピンとか、間隔を見ながら打ちつける 麻ひもで吊るす
 説明書きの作成 何の説明書きをいくつつくるか、文面、大きさなど考える 設置
 旗の設置

●告知
 
 劇団サイト、劇団サイトのポータルサイトへプレスリリース
 ミクシー
 フライヤの配布
 あと、エデンのOMで四面の歌を歌いました 笑)

 今回はタカさんの主宰にのっかるかたちだったので、大方お任せしてしまいまいした。
 
●駐留(店番?)、接客

 レイアウトを仕上げた時点でほっとしてかなり気抜けしてしまい、あと、劇団練習が入っていたりして、こちらもかなりタカさんにお任せしてしまいました。スミマセン。
 でも、いられたあいだはなんだか次々とツボにはまる出来事が持ち上がって面白かったです。なんか意味不明の間違いファックスが送られてきたりとか。
 それと、接客に関してはタカさんに色々と学ぶところがありました。誰も来ないときでもパソコンをしまいこんでちゃんとスタンバイしてるんですね。「仕事してると感じが悪い」って言って。その辺の意識がすごいなと思いました。
 あと、自由に見てもらいつつも興味ある人に対しては事細かにいろいろ説明したりとか。
 私自身は何かを見るときはひとりでじっくり見たいほうなので、人もそうなのかなと思ってあまり自分から近づいて説明したりしない方だったんですが、やっぱり興味があって色々向こうから訊いてきてくれる人に対しては、色々説明した方がいいなと思いました。

 土曜の夕方と日曜の閉店間際? にはとくにたくさんの人が来て下さって、盛り上がりました。
 ひと目見て「さやかちゃん!」って思ったイルカの絵がその日結婚式だった友人のさやかちゃんのお祝いに贈られることになり、なんか個人的にも嬉しかったです。おめでとう♪
 私は仲間ゆきえの絵のコピーをいただきました♪
 そんなわけで、色々と勉強になった経験でした。ありがとうございました♪

 さて、今週末は土浦にて劇団のクリスマス公演です。切り換えてがんばろ~
    

Posted by う at 02:06その他のイベント

2010年12月18日

<三種の絵画展>のご案内

三種の絵画展~ものくろ亭オープン記念~
ただいま開催中 12月17日(金)~19日(日) 10:00~18:00(最終日は13:00まで)
入場無料
つくば市花室983-1 花室嶋村ビル203号室(花室交差点、天下一品の向かいです) 029-875-7887
http://x76.peps.jp/monokurotei/
 

このたび、私の友人のTakaさんが長年の夢を実現し、つくば市花室にて絵画教室をオープンしました。
Takaさんは写真のように精密で、かつ遊び心溢れる繊細なモノクロ鉛筆画を描くひとです。(写真左)
こまかい気遣いをするとっても優しいひとでもあります。
この方を見てると、夢をかなえるのに遅すぎるということはないんだなぁ、とすごく力づけられます。
ただいま、受講生受付中。
詳細は上記サイトを。・・・ これからPC用サイトができるということなので、またお知らせします。笑)
本日より3日間、オープン記念として教室にて本人作品の展示会をやっています。
また、一緒にトールペイントの<うさこ>さん、そしてわたしのアイルランドの風景画デッサン(写真右)も展示させていただいてます。
ご興味ある方はぜひ見に来て下さい!!!
    

Posted by う at 09:04その他のイベント