2010年08月31日

オズモンド姫の物語


瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) ロウウェン篇6
オズモンド姫の物語 Princess Odsmonde
2006 by 中島 迂生 Ussay Nakajima



1. <オズモンド姫の物語>
2. リュウの宿の思い出
3. 出発の日

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1. <オズモンド姫の物語>



 かの姫君のおぼろな優しい面影を思い出すたび、私は、一日日に照りつけられて、日のなくなったあとまでも熱をとどめた石のコテッジの、蒸し暑い空気のこもった屋根裏部屋を思い出すのだった・・・

 太陽との結婚を拒んだために、だれも住まない高い山の上の塔に閉じこめられてしまう。
 ・・・ウィリアム・モリスのタペストリ、おだやかな色調と、有機的な植物柄のあのデザインをもった。・・・

 こんなふうに、ほとんどひとりきりで山にこもり、来る日も来る日も誰とも口をきかずに暮らしていると、・・・まわりにいる生き物といったら羊だけで、下界から訪れてくるものといえばつばめたちばかり、来る日も単調で粗末な食事をして、ただ眺めだけは世界一すばらしい、そんな暮らしをつづけていると・・・

 しだいこんなふうに思われてくるのだった、こんなふうに、たったひとりで山の上から世界を眺めおろしている人間がだれかほかにもいるのではないかと、どこか別の、けれどもちょうどこんなふうな場所からこの眺めを、もう千年以上も前からたったひとりで、同じ眺めを見守りつづけている者が、だれかほかにもいるのではないかと。・・・

 何か遠い声に呼び寄せられて、私は今、そのひとの視点で見ながら、そのひとの暮らしと重なりあうような日々を送り、そうすることでそのひとの心に近づき、いま、その物語を語り告げられようとしているのではないかと。・・・

 夕刻、下界が青いうすもやにぼうっとけぶり、部屋のなかは仄暗く、もうランプなしに書物を読むことはできない・・・ そういう時刻に、私はドアを開け、部屋の奥の古い曇った鏡の中に、おぼろな乙女の面影を見た・・・
 金色の髪は長く垂れ、透き通るばかり白くほっそりとした面だちをして、その眼差しは悲しげに、だが同時にとこしえの穏やかさを湛えていた・・・ それがそのひとだと私には分かった、それがかのオズモンド姫の姿だと。・・・

           *               *

 オズモンド姫ははるかな昔、ウェールズの王のひとり娘だった・・・その髪はゆたかに長く、その面だちはやさしく美しく、心根も清らかで、すべての者に愛されていた。
 あるとき、城の階上の間を歩いているその姿を太陽が見染めて、妻にと所望した・・・けれども姫は断った、その心に、ひそかに想う者があったからだ。・・・
 すると太陽は怒って姫を連れ去り、だれも住まない高い山の上の塔のなかに閉じこめてしまった。

「そこでゆっくり考え直すがいい」と太陽は言った、「太陽のことばに従わぬとは、頑なで愚かな女よ」・・・

 そこで姫は幽閉されて暮らした、まわりにいる生き物といったら羊だけで、下界から訪れてくるものといえばつばめたちばかり、来る日も単調で粗末な食事をして、ただ眺めだけは世界一すばらしかった・・・

 そのうちに、太陽がやってきて言った、「私はかんばつを起こして、お前の国を滅ぼしてやろう。お前はそこから、ただ手を拱いて見ているよりほかないのだ。そうしたら、お前は自分の愚かさのほどを知るだろう」

 それを聞くと、姫はひそかに、つばめに伝言をたのんで父王に伝えさせた、「太陽は私のことを怒って、かんばつを起こしてこの国ぜんたいを滅ぼそうとしています・・・どうぞ民のすべてに告げて備えをしてください」

 そこで、すぐさま夜を徹してあらたにたくさんの井戸が掘られ、溜め池がつくられ、ありとあらゆる器にはありったけの水が蓄えられた。
 そのうち、かんかん照りの日照りがくる日もくる日もつづき、まるひと夏のあいだ、一滴の雨も降らなかった。谷間の川すじはすっかり干上がってしまい、木々は次々と枯れていった。
 人も動物も、不慣れな暑さにあえぎ苦しんだが、水の蓄えのおかげでもちこたえ、ついに一匹の羊も死なすことなしに切り抜けた。・・・

 やがて、太陽はふたたび姫のもとにやってきて言った、「どうしてか、この民にはこたえないようだ。日照りが平気だというなら、こんどは大水で苦しめてやろう」
 すると、姫はふたたびつばめをたのんで伝言させた、「太陽はまだ怒っています。こんどは大水がやってきますから、どうぞ備えをしてください」

 そこで、地上はまだからからで、干し草が触れあっただけで火がつきそうだったが、高台に次々と避難小屋が建てられ、低地に住む者たちはそこへ移り住んだ。
 舟という舟は山の中腹まで引き上げられ、石垣や柵は補修され、水に浸かってだめになる前に、作物もすっかり収穫された。
さいごに地のおもての羊たちのすべてが呼び集められて、家畜小屋に入れられた。

 そののち、突然天が引き裂かれたかのように水が流れ下ってきて、それからひと月ほどもの間、くる日もくる日も激しい雨が降りつづいた。
 川床にはまたたくまに水が溢れ、茶色く濁った逆巻く流れとなって急ぎ下っていった。
 たくさんの木が枯れて、土を掴んでおく根の力もなくなっていたから、大量の土砂が岩ころとともに、山肌から削られて押し流されていった。
 低地はすっかり水浸しになって、胸まで水につかって歩かねばならなかった。
 けれども、あれやこれやの備えのおかげで、ついに一匹の羊も溺れ死ぬことはなかった。

 やがて太陽は姫のもとにやってきて言った。「どうにも懲りないようだな。洪水も平気だというなら、こんどは風あらしを送ってやろう」
 すると、姫はみたびつばめに伝言を託した、「太陽はまだ気もちがおさまらないようです。こんどは風あらしがやってきます。どうぞ備えをしてください」

 そこで、いまだ水が引かず、地上はなかば海のようになっていたが、人々はおもてに出てきて、屋根や壁の補修にかかりきった。
 そのころからウェールズの家は石造りで、スレート葺きだった。隙間という隙間をモルタルでしっかり固めておきさえすれば、吹っ飛ばされる心配はまずなかった。
 それから、風に飛びそうなものは残らず家の中へしまいこまれ、大きすぎてしまいこめないものは残らず手近の木とか岩とかに縛りつけられた。
 りんごや何かもすっかり収穫されて箱詰めされ、羊たちは再び呼び集められて、家畜小屋に入れられた。

 と思う間もなく、峰々のあいだから猛烈な風あらしが巻き起こって、弱っていた木々を根こそぎなぎ倒し、人の家ほどもある岩ころを山の上から転がし落とした。
 おもてでは誰ひとり、立っていることも息をすることもできぬほどだった。
 風あらしは洪水の水を残らず海へ押し流したので、もとの地面が顔を出し、何もかも泥水でまっ茶色になって、押し流されたり吹っ飛ばされたりしたものがごちゃごちゃと折り重なってそこらじゅうに散乱していたが、この風あらしがおさまったとき、はじめてもとの面影を取り戻した。
 彼らはこんども無傷で切り抜けた。

 太陽は姫のもとにやってきて言った、「お前の国の民は、どうやら私が思っていたよりも賢いようだ。私は、もううんざりした。私はもう放っておくことにしよう」
 そうして太陽は行ってしまった。

 そののち、しばらくたってから、父王はつばめに伝言をもたせてオズモンド姫のところへ送った。
「太陽は、お前のことをもう忘れてしまったに違いない。・・・私も私の国の者たちも、お前がいないことを心から悲しんでいる・・・私はえり抜きの兵士の一隊を送って、お前の塔の鍵を打ち壊し、お前の塔の壁を打ち崩して、お前をこの国へ連れ戻そう。・・・どうかお前のいる正確な場所を教えてほしい」

 しかし、こんどもまた、姫はつばめを送り返して言うのだった。
「はばかりながら、父上、あなたは太陽の嫉妬ぶかさをご存じないのです。・・・この塔の鍵は人の手では開けることができず、この塔の壁は人の力では打ち崩すことができません。・・・

 たとい実際に打ち崩すことができて、私があなたのもとに帰ることができたとしても、ひとたび太陽に愛されたがゆえに、私は呪われた身です・・・ここを出ていったならば、私はゆく先々で災いのもととなるでしょう。ここを出ていったならば、太陽は私を見、私のことを思い出して、私に関わる者たちを破滅させ、私を愛する者を殺すでしょう。・・・

 だが、ここにとどまる限り、私は忘れられて、それゆえに災いを引き起こすこともありません。・・・
 私にとっては、その方がよいのです。
 私はここにとどまって、天と地とを見守りつづけ、また何かよくないことが起こりそうになったら、また私のつばめたちに言伝てて、あなたとあなたの国の人々に害が及ばないように力を尽くしましょう。

 私はちっとも淋しくありません。いつでもこの山の上から、あなた方のようすを見ることができるのですから。
 ですからどうぞあなた方も、私のことは心配なさらないでくださいますように。・・・」

 こうして姫は山の上にとどまった・・・そのときからこのかた、ウェールズは、二度とふたたび、かつてのようなすさまじい災いに悩まされることはなくなった。
 彼らは今でもつばめを大切にする、あの鳥はオズモンド姫の使いだからと。
 彼らは今もそこにしるしを読み取ろうとする、つばめの飛び方、鳴き交わす声、あるいは春先にさいしょに姿をあらわす日の早いか遅いかで、天候の異変や、その年の夏がどんなふうであるかを知ろうとするのだ。・・・

 今でも、羊を追い追い、山の深くまで分け入るうち、それと知らぬまに人間の領域を踏み越えてしまった羊飼いの若者が、うつつか幻かも定かならず、はるかな山の上に築かれた目も眩むばかりの塔を目にすることがある・・・
 塔のてっぺんの小さな窓から、塔のあるじのこの世ならぬ姿を見たものもある、
 おぼろな乙女の面影、こがね色の髪は長く垂れ、透き通るばかりのほっそりした面だち、そのまなざしはしずかな悲しみと、同時にとこしえの穏やかさを湛えた、ウェールズの守りの天使、かのオズモンド姫の姿を。・・・

 その面影を心に描き、私ははるかに思いを馳せる・・・
 けれども姫は断った、その心に、ひそかに想う者があったからだ。・・・
 オズモンド姫のひそかに想う者とは誰だったのだろう?・・・
 ここを出ていったならば、私はゆく先々で災いのもととなるでしょう・・・ここを出ていったならば、太陽は私に関わる者たちを殺し、私を愛する者を破滅させるでしょう。・・・

 それゆえに姫はそこにとどまった・・・
 姫がそこにとどまったのは、父王のため、民のすべてのため、ウェールズの大地のためであり、とりわけその心に想う者の幸福を願うためであったのだ。・・・

 彼女の心に秘められたしずかな決意と、己れを殺す強さ。・・・
 わが心は塔のごとし。・・・

 その心に想う者とは誰だったのだろう?・・・
 それはたぶん、どこの王子でも貴族の息子でもなくて、ひとりの名もない羊飼いの若者だったのだと私は思う。・・・
 誇り高く顔を上げて、日をあびて丘の向こうからやってくる、赤銅の肌を持ち、万人のなかでもっともうるわしい者、雅歌の娘が、ソロモンの求愛すらも退けてその想いを貫いたような。・・・
 姫のその想いのゆえに、ウェールズの羊たちは今も守られ、彼女のとこしえの瞳のもとに、優しく見守られつづけているのだと私は思う。・・・

         *                *

2. リュウの宿の思い出



 もうひとつの週末が来て、去ってゆくあいだに、宿はまた少しばかり客を迎えて活気づいた。
 なかでも印象的だったのは、白髪の老夫婦とその子供夫婦、それから孫たちという家族連れで、とくにその老夫婦のほうだった。
 老人のほうは堂々たる恰幅で、モーゼのようにゆたかな髭を生やし、細君のほうは少し茶色みの残った、長い波打つ髪を、髷にしないでうしろで一つに結んで垂らしていた。真っ白でしわくちゃで、ふしぎに美しい顔をしていた。

 朝食のあいだ、彼らふたりは窓ぎわの特等席に陣取って、ゆっくりと時間をかけてもりもり食べ、孫たちがゆで卵を運んだり皿を拭いたりして給仕していた。
 彼女のほう、ひどく痩せているのに、みごとな食べっぷりだった。
 トーストにバターとジャムをごってりと載せ、お茶にはドボドボとクリームを注ぐ。
 こんなに年とってから、平気でこんな山の中までやってきて、窓辺の席で豪勢な朝ごはん。
 それはなにか、ふしぎに感動的な光景だった。 

 コテッジのすべての窓にかけられていた、同じ柄のきれいなカーテン。これについても書いておきたい。・・・
 この色調もまた、リュウの山の上でのあの日々を思い起こすにつけ、さいしょに鮮やかによみがえってくるもののひとつなのだ。・・・

 剥き出しのままの石壁に木の床の、質素なコテッジの内装に、その華やかな彩りは引き立ってよく映えた。
 たてのストライプのなかに、幾何学もようとアラベスクを組み合わせたデザインで、色合いはステンドグラスのよう、オレンジがかった澄んだ赤に、深いマリンブルー、こくのある水色に、ぱっと目を引くあかるい黄緑色、そしてやわらかい卵色。・・・

 くもり空の朝の薄あかりに、透かして見るとくっきりと際だって映え、ぱっきりとクリアな陽光のもとでも、それはそれでよく映えた。
 朝、目を覚まして、そのぱっと明るい色を目にするだけで、ああ、まだここにいられるのだ!・・・ と、幸福な思いでいっぱいになった。・・・   

 滞在中、私を好きにさせておいてくれた、寛大な宿の老人。・・・
 見たところそう頑健そうな体格ではないのだが、これが驚くべき健脚の持ち主である。
 ひとり離れに寝起きして、朝は誰よりも早く起きだして、暖炉に火を焚きつける。床の掃除や、あれこれの仕事をすませたあと、今度は用足しや買い物や、あるいはシーツの束を洗濯屋に出したりなどするために、毎日徒歩で山を下ってゆくのだ。・・・

 帰ってくると、その日見たもののあれこれや、このあたりの色んな場所について話してくれる。
 この前のイースターの休暇には、歩いてスノウドンを踏破したそうである。・・・
 夕方には谷をのぞむ庭の芝生に置かれた椅子に腰かけて、新聞のクロスワード・パズルをやっている。

 私がこの谷の眺めをスケッチしていると、見にやってきて、感心した。
 よかったら、できあがったら複写を送りましょうか、と言ったらとても喜んだ。
 それでその年のクリスマス、それは私がくにへ帰ってからのことだったが、スケッチの複写とクリスマス・カードを送ると、彼もカードと手紙を送ってくれた。
 ところがその手紙というのがたいへんに独特な筆記体で、残念ながら一部はいまだに解読できずにいる。・・・



3. 出発の日



 ロウウェンを発つ日である。
 村の家々、いくどか行き交ううち、目になつかしいものとなっていた、とりわけ美しい何軒かをスケッチして、色鉛筆で色を塗りたい、などと考えつつ、結局できないで終わってしまった。
 一軒ずつ、今でも思い出す・・・

 リュウのコテッジにはかなり長く過ごしたけれども、荷物をまとめて下りてくるときには、みどりの坂道が、苔むした岩々やしだの群れや斜めに生えた木々のこずえが、特別な力をもって引き留めようとして、立ち去り難かった。
 タリヴァン山をくだりゆく、山の向こうから灰色の雲むらがみるみると掻き曇り、ああ、雨を降らせるな・・・と見ていて分かった、雲が冷たい空気を掻きたてるように、ぞくぞくと心掻きたてられて嬉しくなる・・・
 ウェールズの山には雨が似合う。・・・

























  

Posted by 中島迂生 at 18:20オズモンド姫の物語