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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2009年10月15日

魔の山

瑛瑠洲物語 オグウェン篇1
魔の山 The Mount Daimones
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima


  世の中にはいろいろと、ふしぎなことがある。
 さまざまなドラマもある。
  たとえば、そこで生まれ育ったわけでも、それまで何ら接点があったわけでもないのに、ある日訪れてそこに身をおいたとたん、雷に打たれたように、疑いもなく自分の魂がそこに属しているのを知る、というような場所がある。

 北ウェールズのバングログ谷は私にとって、そういう場所のひとつだ。
 バングログ谷。・・・
 ウェールズの最高峰スノウドン(ウェールズ語ではアル・ヴィズヴァ)にほど近い、ドラマティックな土地。・・・

 さいしょに訪れたとき、コンウィイ谷を南下するコースで行った。
 二度めのときも。
 三度めも。・・・ 
 

 停車場で長いこと待って、再び辻馬車に揺られてゆく・・・

 来る日もタリヴァン山の上からコンウィイ谷の広がるさまを見て暮らすうち、谷のようすはすっかり地図のように頭に入っていて、道ゆくほどに分かるのだった、ああ、これはあすこから見えていたあの木立だ、この麦畑はあすこのところだ・・・

 ロウウェンの村を過ぎてほどなく、街道は森の中へ消えていた、その道を今はゆく、こずえごし、降り注ぐ日の光をあびて。・・・

 コンウィイ川の川すじに沿って街道は谷を遡る、ゆるやかに、近づいては離れ、たびたび木立のあいだから、きらきら光る川のおもてをのぞみながら。・・・

 谷の向こう側、タリヴァン山から眺めていた同じ牧草地を、いまは谷の底から見上げてゆく、地図では手前に見ていた丘々、今はその裏側を通る、剥き出しの灰色の岩肌に、ヒースの紫色のまじったさまを見てゆく。・・・

 けれどもしだい、道ゆくにつれて角度のずれが大きくなって、見慣れぬ風景になってくる、あの銀色の川すじが、かなたかなた右手のほうへ、青くけぶって消えていた、今はもうそのあたりに来ているのだ・・・

 ロウウェンによく似たしずかな村々をいくつも過ぎる。・・・
 秋になると真っ赤に色づく蔦の美しい石橋で有名なスランルウスト。・・・
 ヴィクトリア女王の時代に画家が集い住んだベティソコイド。・・・

 小暗い木立を街道は抜けて、やがて三叉路に教会と雑貨屋兼カフェのあるカペル・キュリグへと至る・・・
 さあ、もうすぐだ・・・

 あの日、曇り空に風の打ちつける七月の夕べ、ピナクル・カフェの前で馬車を待つ私の姿が見える・・・
 あの日、私をとらえた戦慄とおののきに、私はくり返し思い至すのだ・・・ 


                                 

 カペル・キュリグからオグウェンへ向け、バングログ谷を抜けてゆく、この道すじほどドラマティックなものはない・・・
 まるで舞台の書き割りのように、急にがらりと景色が変わる、急に木立が途切れて、荒々しい山肌が姿を見せる・・・
 四方の果てにまで、見わたす限り空漠とした天地、このとてつもない広大さは!・・・

 私は打たれ、言葉もなかった。
 ・・・これぞウェールズ!・・・そういう感慨が湧きあがった。

 現実よりも神話に近いような土地、いまにも誇り高いライオンや、ウェールズ国旗の図柄になっている赤い竜が、あの岩陰から現れそう。・・・
 ほんとうにあったのだ、こういう場所が、この地上に。・・・

 遠く遠く丘々のいただきから、白い滝の流れがほそい糸のように、そちこちから流れ下っている。
 あまりに遠いので、流れの動きはまったく見えず、そこに貼りついて静止しているように見える、それほどの広大さなのだ・・・

 七月、ヒースの花の季節。
 岩山の灰茶に紫色がまじり、さらにこの世ならぬ風情だ・・・

 やがて左手に立ち現れる、トロヴァーン、この谷の主だ・・・
 かの魔の山のすがた、黒々と身をもたげ、天に向かって鋭い牙をむくその峰々!・・・
 その切りたつ斜面から転がり落ちて、そこらじゅうにめちゃくちゃに取り散らばった巨大な岩々、いまにもこちらに向かって崩れてきそうだ・・・

 その姿を過ぎるころ、際だった対照をなして、スリン・オグウェン、しずかに黒く澄んだ水を湛えたうつくしい湖が広がる。・・・
 これらを目にしたほとんどその瞬間に、私は知った、これぞこの谷に秘められた偉大な物語の舞台、あるいは物語そのものだと。・・・

 さいしょに訪れたとき、宿をとったのはイドワル・コテッジだった。
 オグウェン湖の西端、その尽きるところにぽつんと一軒だけある、歴史ある登山宿だ・・・

 馬車が行ってしまってひとりになると、私はしばらく魂が抜けたようになって、ますます沈みゆくオグウェンのおもてと、その向こうに聳える山のいただきがヒースの紫に染まっているのを言葉もなく眺めた。・・・

 その晩、コテッジのわきの木立を抜けてすぐのところから始まっているフランコン谷も眺めにいった。
 ナント・フランコン、雄大に開けたU字谷がすぐ足元のところから始まっていて、オグウェンから流れ出す水が滝となって注ぎこみ、広大なみどりの川床に、銀色の蛇のように曲がりくねってかなたへ消えている・・・

 ちょうど夕闇に沈みはじめ、はるか谷底近く、岩肌にへばりついている石造りの家々にはオレンジ色の灯りがぽっつりと灯って、谷床には点々と牛や羊のつぶが散らばっている・・・

 夏だというのに風は冷たく、びゅうびゅうと吹きつけた。
 食堂の暖炉には火が焚きつけられた。
 窓ガラスには暗やみを背景に、もえる炎がちらちらと映っていた。・・・

 翌朝、防水外套を着こんで、きのう馬車で来た道すじを湖ぞいに歩いた。
 もういちど、あのトロヴァーン山を眺めたかったのだ・・・

 吹きっさらしの風、ふるえあがるように寒い。・・・
 雲むらがナント・フランコンの方から、竜の背のように盛り上がった丘々の尾根の向こうから、あとからあとからやってきては峰々の頂に巻きついて、うねってほどけて また流れてゆく。・・・

 何度もふり返っては眺めた。・・・
 夜明け、まだ薄暗い山かげ、恐ろしいばかりに厳かで、近づきがたい。・・・

 いまひとたび、見上げて歩く、岩間を流れ下る滝の流れ、そこらじゅう、むぞうさにぶちまかれた、とほうもなく大きな岩々、・・・
 茫漠と広がった斜面をジグザグに走る細い石垣のライン、同じ石造りの、そちこちにぽっつりと見える家々。・・・

 このバングログ谷の、トロヴァーンの側、イドワルからカペル・キュリグまでの間には、五マイルのあいだにたった二件の農家しかない。
 トロヴァーンのほとんど真下にあるグウェン・ガフ・エーハフと、そこから一マイル離れたグウェン・ガフ・イーサフだ。

 この独特な読み方は、地元の警官が教えてくれた。
 グウェンはウェールズによくある名前だが、この土地のような丘がちの平原を意味するものであるらしい。
 それぞれ、上ヶ原、下ヶ原といったところのようだ。

 その日、私はエーハフの裏手、トロヴァーンに対する岩山のできるだけ高いところまで登っていって、そこに腰を下ろして、一日じゅう眺めていた。・・・

 雲が低く、這い上がってやってきては、切りたった峰の、牙のようなその頂に裾を引きずって、まといつかせ、・・・
 霧でできた人々がゆっくりと列になって歩き回るように、少しく上下にたゆたい巡る・・・

 そんなようすを見ていると、・・・山のてっぺんには魔法使いが住んでいる。・・・
 ごくしぜんに、そんな考えが浮かんできた。
 ・・・その山のいただきは常に雲に隠されて、決して現れることなく、近づこうとする者は激しい突風や稲妻や、転がり落ちてくる大岩に打たれて命を落とす。・・・

 物語はそこに、すぐ手の届くとことにあった。
 それがゆっくりと形を整え、ディテールを伴って、雲のなかから立ち現れてくるのを、私はしずかに眺めていた。・・・

 
 ・・・あのとき、もっと長くとどまっていられたらと思う。
 この谷への、さいしょの訪問はわずか数日間ばかりだった。
 私はこのあと、ちょっとした事情があって慌しくアイルランドへ去らなければならなかったのだ。・・・

 だから、せっかく物語が近づいていたのに、そのこまかなところまで、すっかりは受け取りきれずに発つことになってしまった。
 受け取った大筋のところも、心が急いていたので、彼らが・・・この谷の精霊たちが、私に伝えようとしたところをきちんと受け取りきれたかどうか、心もとなかった。・・・

 だからその年、秋も終わりに近づいたころ・・・十月の末になっていたと思う・・・アイルランドから戻ると、その足で急いでこの谷へ戻ったのだった。
 このときは、イドワルに宿が取れなかったので、次善エーハフに取るつもりだったが、着いてみると、手違いで連絡がついていなかったことが分かり、・・・結局、イーサフ、<下が原>の方に、半月ばかり滞在した。

 この谷へ向かいながら、私は不安だった・・・彼らはふたたび語ってくれるだろうか、私にそれを開示してくれるだろうか?・・・
 あのとき私があんなふうに途中で立ち去ってしまったので、私は彼らを怒らせてしまい、二度と口をきいてくれぬのではなかろうか?・・・
 
 私がそれまでに知ったところによると、その物語のなかで、一羽のかささぎが・・・二羽のかささぎが、重要な役割を演じるのだった。
 けれどもさいしょの短い滞在のあいだに、私はこの谷でかささぎどころか、何にしろ一羽の鳥すら見なかったのだ。

 それからまた、その物語には、おもな登場人物が三人出てくるはずだった。
 けれどもそれでは少し、物語の構成上バランスが悪いのではないかと、私には思われていたのだった。

 しかしながら、彼らのたがふことはなかった。
 あの秋の日、イーサフの離れで一晩眠った翌朝、扉を放っておもてへ出てみると・・・すっかり褐色に変わった丘の平原の上に私がさいしょに見たものは、川すじにそって飛んでゆく一羽のかささぎだった。

 そのあと、そのころイーサフの世話をしていたジョンが私を連れ出して、納屋の裏手からトロヴァーンの頂を見てみるようにと言った。
 実はそこには二体の石柱が立っていたのだが、角度のあんばいでイドワルやエーハフからは見えず、イーサフあたりまで行ってはじめて見ることができるのだった。
 さいしょの滞在ではまったく気がつかなかったのだ。
 ジョンの指さすところ、たしかにはるか頂上に、ペンの先のようにぽっちりとその石柱が見えた・・・近くまで行ったら、ずいぶん大きなものに違いなかった。

 あれをごらん、と彼は私に言った。
 分かるだろ?・・・ 大昔に、あそこまで登った人間があるのだよ。
 もともとは、三体あった。
 それがこの山の由来なんだ。
 トロヴァーンっていうのは<三つの石の山>っていう意味さ。
 それが時たつうちに、ひとつは風に吹き倒され、今ではふたつだけになってしまったのだ。

 ・・・それを聞いて、私は知った。
 では、あれでよかったのだ。
 太古からあったその三体の石柱は、この物語に出てくる三人の登場人物をあらわしているのだ。・・・

 それが倒れてしまったのは、いつのことだったんですか? と私は尋ねた。
 ・・・さあね、と彼は答えた。
 俺が生まれたのは18××年だが、そのときには、もう、なかったよ。・・・

 私は、精霊たちの寛大さに、彼らが辛抱強く待ちつづけていてくれたことに感謝した。
 じっくりと歩きまわり、しずかに耳を傾けるうち、彼らはさらにいくつも、次々と物語を送り届けてくれた。
 私はこの土地が、太古からの営みの中に、実にドラマに充ち溢れていることを知ったのだった。・・・

 それからさらに二度めの夏、ヒースで紫色に染まった岩肌をどうしてももういちど見たくて、私は三たびこの谷を訪れた。
 そこで私は、彼らがここで語り告げてくれた物語をまさにこの地で書き記すという至福を味わったのだ。・・・

 それゆえ物語はあのさいしょの夏の日、私がトロヴァーンのふもとに腰を下ろし、その頂を雲が流れすぎてゆくさまを眺めていたときに始まる、あのときさいしょにやってきたのだ・・・

 その日、私はそのふもとにひとつの村を、その幻を見た。
 かつてはあった、今はもうない、大地の暗い力に拭い消されてなくなったひとつの村を。・・・
 私は幻視のうちに、地が唸り激動し、轟音とともに亀裂を生じて、その深淵のなかにそれを永久に呑みこむさまを見たのだ。・・・


               *                *


 トロヴァーン、魔の山。・・・
 一度見たら忘れられない。・・・

 さいしょの印象は、不気味でおどろおどろしく、見るものを脅すかのようだ。
 とくに午後、カペル・キュリグの方から来ると、切りたった峰が逆光で真っ黒になって、岩をごろごろぶちまけた荒野にいきなりぬっと現れるその姿は人をはっとさせる、何か記憶の底に忘れ去られていた不気味な暗黒を、ふいに眼前に突き出されたがごとくである・・・

 しかし、やがて人は気づく、この山が、実はとても美しいということに。・・・
 角度によってはほぼ正三角形に近い、その端麗な姿、それは周囲の不定形な丘々のあいだにあって異様なまでに際だっていて、ほとんど不自然なほどだ。
 均整がとれて見事な造形、ミロのヴィーナスにも比すべき・・・

 おそらくそのシルエットが、よく見るととても美しいので、なおさら不気味な感じを与えるのだろう。・・・
 その美しさは愛らしさではなく、それはぞっとするような美しさ、メデュウサの面立ちにとどめられた美しさなのだ。・・・

 来る者を拒むかのように聳え立つ岩壁、狼の牙のように鋭くそそり立つぎざぎざの峰・・・
 そして東側から見るとその頂に向かって、左手から右手へと斜めに上がってゆく、斧で刻みつけられたステアウェイのような奇妙な・・・段差というか刻み目というか、がある。・・・

 偶然にできたにしてはあまりに整いすぎている気がするし、人の手で刻まれたにしてはあまりに巧みに山のシルエットと調和している。・・・
 私にはどうもこんなふうにしか考えられない、それは特別な目的のために、この世ならぬ力によって、人の手によらずして築かれたのだ・・・このステアウェイだけでなく、トロヴァーンの山ぜんたいが。・・・

 太古の昔、その頂はたぶん今よりももっと高くて・・・実際にもそうだったろうし、人々の心の中でもそうだっただろう。・・・
 その頂は常に雲に閉ざされて、下界からは決して望めず、誰でも近づこうとする者は神々の激しい怒りにあって命を落とす。・・・

 太古の昔、この山は魔術と秘術の中心地だった。
 年に何度か、大きな集まりに集いに彼らはやってきた、ふもとから登ってくる者もあったし、群れ湧く雲に乗ってやってくる者も・・・おそらくこちらの方が多かっただろうが・・・あっただろう、昔は今よりずっと自由に、人々は大きな力を持っていて、姿を変えたり、空を飛んだり、望むことの大方を成し遂げることができたのだ・・・

 いや、それはもはや人々とは呼べなかったかもしれない、それは神々であり、獣の姿をした霊たちであり、人のあずかり知らぬものどもであった・・・
 そしてかのステアウェイは、これらの者たちがトロヴァーンの頂上へ馳せ集う、そのために往き来した道だったのだ・・・

 月夜の晩に、さまざまの形をした異形の者たちが群れなして登ってゆくありさまが、私の目にはありありと見える・・・
 銀色の角をしたのや、長いしっぽをもったのや、這いつくばったり、毛虫のように体をくねらせたり、ぴょんぴょん飛んだりしながら・・・

 巻き寄せる雲の群れが次から次へとやって来ては去ってゆき、山のいただきにしばしとどまると、その中からひらりひらりと飛び降りる、・・・ゆらめくおぼろな月あかりに、大きな翼をもったのや、もえる炎の眼をしたのや、とかげの頭をもったのや・・・さまざまな者たちが・・・

 そして彼らは輪になって座り、火を焚いて踊り、その力はいやがうえにも高まって、この国のすみずみにまで及んだだろう・・・

 長いときが過ぎて、彼らの力はしだいに衰え、彼らのときは去りゆきて、やがて来る者たちにその座を譲った・・・
 それでもその後長いこと、この山のいただきには特別な力がとどまったのだ。・・・
 
 修行を積みに、秘儀を授かりに、魔術の道に通じようとするものたちは相変わらず、ひきもきらずにやって来た。
 ふもとに住むものたちは恐れて、決してその頂を見上げようとはしない。
 彼らは朝に夕に、火を焚いて、香をくゆらせ、そこにある得体の知れないものの力を宥めようとした。・・・

 より強い、より純粋な力が入ってきて、それまであったあらゆる光を、すべて闇の中へ葬り去ってしまった。
 それまで彼らは悪などということを知らなかったのに、ひとたび善というものがやってくるや、それによってほかのすべてはひとからげに、悪の側に断罪されてしまった。

 より強い、より強力な光、これすなわちキリスト教である。・・・
 宣教師たちは教会を建て、人々を教え、トロヴァーンの頂に通じるステアウェイの入り口を、石を積み上げて塞いでしまった、悪い場所だと、悪魔の通り道だと。・・・

 村に残っていた魔法使いたちは捕らえられて縛り首にされた。
 しだいに人々は、過去の偉大な魔法の力を忘れていった。・・・

 幾世紀の時が流れた・・・
 トロヴァーンの頂を見上げ、昔の伝統ある魔法に思いを至す心の動きが、村の中に現れた・・・
 彼らの専横、彼らの独善、彼らの狭量なものの見方に疑問を抱き・・・村人たちのあいだに残っていた言い伝えについて考えをめぐらし、失われてしまったもの、忘れ去られてしまったものに、はるかに心馳せる動きが。・・・

 そう、その昔、彼らがやってきて、古い魔法の力を根絶しようとしたとき、ひとりの魔法使いがその手を逃れてふさがれた道をのりこえ、トロヴァーンの頂に通じるその道を通って姿を消したと、・・・
 そして彼はその魔法の力によって今に至るまでずっと生きていて、いまもその頂に住んでいる、そして今ではほとんど失われてしまった魔法の奥義を、その手にもちつづけているのだと。・・・

 そういう話を、村のだれもが、炉端の夜長話にきいたことがあった。
 けれど、そんなふうにも真剣に考え、ついにはぜひとも禁を犯してその頂に登ってゆき、さいごの魔法使いに会って、できることならそのもとで彼の知る魔法を、そのいくらかでも学ぼうと、固く決心するに至ったのは彼がはじめてだった。・・・
 彼がさいしょでさいごだった、村のひとりの若者、コンスタンティン。・・・

 司祭たちの力は絶大だった・・・その試みが知れたら、それだけで縛り首にされかねなかった。
 彼は自分の決心を、ただ恋人のオグウェンにだけ打ち明けた。

 彼女の当惑、おののき、悲嘆とは!・・・
 それは死地へ、戦場へ赴くも同然だった!・・・

 けれどもさいごには彼女もその決意を受け入れ、月のない晩にこっそりと彼を送り出してやった。
 数世紀前のその魔法使いと同じに、彼は真夜中、石でふさがれたステアウェイの入り口をのりこえて登っていった。・・・

 長いあいだ、オグウェンは彼について何も聞かなかった・・・彼女は村人たちから、その恋人のことでお悔やみを言われた。・・・

 それから、ある朝、とても早く、やっと明けそめた頃・・・彼女は窓をしずかにたたく音を聴いた。
 すばやく起き上がって開けると、飛びこんできたのは一羽のかささぎだった。
 彼女にはすぐ分かった、それは姿を変えたコンスタンティンだった。

 こちらはすべてうまくいっている、かささぎは低い声で・・・人間の言葉で・・・言った、
 ぼくは魔法使いに会い、そのもとで修練を積んでいる。
 最近、ほうやく鳥や動物に姿を変えるすべを心得たので、こうして君のところへやって来たのだ。

 泣きすがろうとする恋人をとどめて、彼は言葉をつづけた。
 伝えなくてはならないことがある。
 山の神々はこの土地の人間たちのことを怒っている、彼らが昔の道を捨て、新しい神様を崇拝するようになったからだ。
 遠からずこの地は災いを被るだろう・・・
 それはこの土地の神々の怒りの表現なのだ。・・・

 遠からずこの地に大きな洪水がある。
 君は人々に伝えて、この村のみんなが無事に乗り切るようにしてやらないといけない。
 君はやってくれるだろうか?

 オグウェンは聞いて、恐ろしさのあまり身震いする。
 ・・・しかし、ほかの誰が?・・・

 オグウェンは決意する。・・・

 はじめ、彼女の態度は自信なげで、弱々しい・・・けれども、事の重大さは分かっている。
 恐れと戦いながら、彼女は告げ始める、はじめは家族に、ついで村人たちに、・・・そして司祭たちに。・・・

 妙な顔をされても、笑いものにされても、彼女はその言葉を翻そうとしない。
 しだいに彼らは言うようになる、あの娘は気がふれてしまったよ。・・・

 けれども、ある日突然大粒の雨が降り出して、来る日も来る日も滝のように降りつづける、
 家々は流され、羊たちは迷い出て溺れ死に、村人のなかにも死者が出る・・・

 いざことが起こったとたん、彼らはがらりと態度を変えた、
 ・・・あいつが引き起こしたのだ、あの女が、
 こうなることをあいつだけが知っていた、あいつは魔女だ、と。・・・

 そう説きつけたのは、実は司祭たちだった。
 彼らはオグウェンが、古い山の神々について語るのを憎んだのだ。

 オグウェンがおもてを歩くと、人々は憎々しげな目を向けた。
 子供たちは彼女に石を投げつけた。

 朝に夕に彼女の窓辺を訪れる怪しいかささぎのことが、人々の口にのぼった。
 それは姿を変えた悪魔で、彼女を手先に使って我々村人を呪いにかけようとしているのだ、と。・・・

 そう、コンスタンティンは、それからもしばしば彼女のもとを訪れた。
 そして母鳥が口移しで雛にえさを与えるように、自分が学んだ魔法の術のあれこれを、少しずつ彼女に伝えるのだった。

 ・・・君も少し魔法を習って、自分の身を守ることができるようになった方がいい。
 彼らは警告を与えられたのに、古い神々のことを思い出すどころか、今や君のことまで憎んでいる。
 遠からず、破壊的な嵐があるだろう。・・・

 再び災いが、村に降りかかる。
 突風に屋根はふっとび、羊は迷い出、人々は崩れた家の下敷きになって死んだ。
 
 彼らはますますオグウェンを憎んだ。
 誰も彼女と口をきかなくなった。
 店では彼女の家族にものを売ることを拒んだ。
 村外れのオグウェンの家のそばを通るとき、彼らは十字を切るのだった。・・・

 オグウェンは孤立し、追いつめられていった。
 それでもただ、涙を浮かべてむごい仕打ちに耐えるばかりだった。
 ただコンスタンティンとの絆だけが、心の支えだった。
 そして彼を通して、彼女を内側からしずかに強めつつあった、古い魔法の力だけが。・・・

 みたび、彼はオグウェンに告げた。
 いまひとたび、大きな災いがある。
 地のもといは揺り動かされ、村は大きな裂け目に飲みこまれて、永久になくなるだろう。
 命を得んと欲する者は、ただちに古い神々の前に膝まづいて、許しを請わなければならない。

 ・・・ああ、と、オグウェンは悲嘆に暮れて言った。
 もう終わりです、私は彼らに殺されてしまいます。

 かささぎの姿をしたコンスタンティンは、悲しげに彼女の顔を見つめる。
 君の気もちはよく分かる。
 けれども、どうか考えてみてくれ・・・我々の愚かな村人たちが、警告もなしに死んでいいだろうか?
 どんなに頑迷な人々だからとて、むざむざ見殺しにしていいだろうか?・・・

 オグウェンはしばらく答えない、それからしずかに言う、
 ・・・私は告げましょう。

 そのとき、司祭に煽り立てられた村人たちは彼女を捕らえ、引き立てていって、暗い石牢のなかに放りこんだ。
 あいつは魔女だ!・・・
 彼らは口々に叫んだ、あいつは我々を破滅に陥れようとしている、あいつは死に値する!・・・
 このまま放っておいたら、我々はさいごのひとりまで、あいつに呪い殺されてしまうだろう。・・・

 彼らはオグウェンを七日七晩のあいだ、そこに閉じこめた。
 それから彼女を引き出し、その衣を引き剥がし、タールを塗りつけて羽をまぶし、嘲りと罵倒の言葉を浴びせて、通りを引き回した。
 そしてしまいに薪の山の上に立てた柱に、後ろ手に彼女を縛りつけた。

「己れの罪を告白するか」
 と司祭が問うた。
 村人たちはしんとなって、彼女のようすを見つめていた。

 彼女はゆっくりと首を振った。
 司祭は傍らへ、うなづいて見せた。

 薪の山に火がつけられた。
 炎が巻き上がり、唸りを上げて燃え盛って、彼女の体を包むのを、彼らは遠巻きにして見守った。

 ・・・そのとき、誰かが叫んだ、上を見ろ!・・・

 どこからともなく一羽のかささぎが現れて、炎の上を、円を描いて飛び回った。
 人々はどよめいた。

 オグウェンの縛りつけられていた柱が、炎の中に焼け崩れた・・・
 と、その中から、もう一羽のかささぎが飛び出した!・・・

 二羽のかささぎはしばらくのあいだ炎の上を、ついで村人たちの上を、円を描いて飛び回った。
 それから、連れだって飛び去っていった・・・雲に閉ざされたトロヴァーンの頂に向かって。・・・

 人々は言葉を失ってその姿を見送った。
 ・・・と、だしぬけに不気味な地唸りがしたと思うと、大地全体が、ぐらぐらと揺れだした・・・
 狼狽と恐怖の叫びが上がった・・・

 その日、大地震に襲われた村は、岩盤に生じた裂け目に飲みこまれて永久に姿を消した。
 裂け目は村を飲みこむと、またその口を閉じた・・・村はあとかたもなくなくなった。・・・

 伝説は告げる・・・その日、古い魔法の側に立って生き残った二人、コンスタンティンとオグウェンは、手に手をとってあの山の上へ、トロヴァーンの頂へ逃げのびたと。・・・
 そこで二人はかの魔法使いから学びつづけ、力ある、古い魔法のすべてを受け継いだと。・・・

 いま、我々がその頂に見る三本の石柱は、彼ら三人、魔法使いと、コンスタンティンとオグウェンの姿をあらわしているのだ、と。・・・
 いや、今や石柱は二本になってしまった。
 それは、かの魔法使いの長い命がついに尽きて、その体が雲に包まれて取り去られ、いまや若い二人だけが残っていることを、表わしているのかもしれなかった。・・・

 そしてまた伝説は告げる・・・
 かのトロヴァーン、古き魔の山の傍らに、しずかな水を湛えたオグウェン湖は、その昔、石牢に閉じこめられたかの乙女が、山の神々を捨てた村人たちの身に降りかかる悲しい運命を思って流した、とうとい、汚れない涙が、牢の窓からあふれ出てできたものだと。・・・

 それゆえそのおもては、この険しい山々のただなかにあって、永久に、おだやかに澄んでいるのだと。・・・


                *                *


 神がキリストに伝え、キリストが天使に伝え、天使がパトモス島のヨハネに伝えた・・・
 
 それが彼らのやり方であるならば、大地の神々のやり方もまたそのようであろう・・・
 ずいぶんとまわりくどいやり方のように思えるけれども。

 彼ら、神々の思いをまず数百歳になる山の魔法使いが知るようになり、ついでそれが弟子のコンスタンティンに伝えられ、コンスタンティンはそれをオグウェンに伝えたのだ。

 ・・・キリスト教以前のさいごの魔法使いの孤独な抵抗、彼の決意・・・彼の苦しみ、彼のあまりにも長きにわたる隔絶の日々・・・そしてその中で彼が得たかずかずの奥義、その秘せられた偉大な力・・・
 それらについて、我々は多くを知らない。
 また、そのあとに従ったコンスタンティンの心の遍歴のあとをも、我々は想像のなかでおぼろに辿るだけだ。
 彼らの入っていった領域は、人の思いの及ぶところを超えるのだ・・・

 けれども、さいごまで人間の領域にとどまっていたオグウェンの迷いや苦悩や勇気は、我々にはとても近しい・・・
 我々はその心のすぐ傍らに立って、物語をはじめから辿りなおすことができる、
 それゆえこの物語において、黙示録のさいごの経路たるこの乙女に、おもなる光があてられているのだ・・・

 私は想像する、オグウェンの面影・・・
 亜麻色の髪に、淡い水色の瞳をしたたおやかな乙女、おだやかな日のオグウェン湖のおもてのような。・・・
 夏のトロヴァーンをうっすら覆ったヒースの淡紫は、彼女のまとうた衣の色だ、お気に入りのよそゆきで、村の祭りのときに着た・・・村の花、愛らしい小鳥、そう讃えられていたころのオグウェンの。・・・

 夏のバングログ谷の草地の若草と、まだら模様のワラビのみどりは、コンスタンティンの夏の服の色だろうか。
 その昔、二人は連れだって村の祭りに出かけ、明るい日射しのなかで踊った。
 仲間の若者たちと笑いあった。・・・

 あの日、彼らの晴れ着やリボンはどんなに晴ればれしく、心浮き立つ気分を引き立てたことか!・・・
 踊って、踊って、とうとう足首を痛めてしまい、急な坂道の上の自分のうちに帰りつくまでのあいだ、彼女はコンスタンティンにもたれて、何度も休まなければならなかった。・・・

 そんなふうにたおやかに見えても、その内には岩塊の強さを秘めていた。
 変わりやすいウェールズの空の下で、日射しが消え、雲むらの群がりいでて空を覆い、凶暴な風が吹きつけても、彼女はもちこたえて屈しなかった。・・・


 つつましく目を伏せてロザリオを繰り、膝まづいて聖体拝受を受けるオグウェン。・・・
 それが彼女の、生まれたときから知っていた信仰だった。
 古い神々は、彼女にとってもまた異教だったのだ。
 全能の主の、そして司祭たちの、絶対の権威を疑ったこともなかった。・・・

 コンスタンティンは違った。
 結局のところ、彼は男の子だったからだ。

 まだほんの少年だったとき、彼は疑った。
 彼は司祭に尋ねた・・・全能の主がすべてをお造りになったというんでしょう?
 では、あのトロヴァーン山だって主が造りたもうたのではないでしょうか?
 なのになぜ、あなたはあの山を仰ぎ見てもいけないとおっしゃるんですか?・・・

 大方のものは主がお造りになったのだ、もちろん。・・・
 司祭はきげんを悪くして答えた。・・・だが、なかには悪魔があとから造ったものもある。
 あの山がそうだ。
 あの山の頂は、すべて悪いものが集まってくる場所なのだ。
 そういう場所が、この国にはたくさんあるのだ。・・・

 人々がそういう場所から離れ、まことの主の救いに預かることができるよう、主はこの地に私たちをお遣わしになった。
 だからお前たちはよく注意して我々の言うとおりにし、悪い力から身を守るようにしなくてはならない。・・・

 あとになってから、コンスタンティンはオグウェンに言った、あれがちょうど潮時だったのだ、時は満ちようとしていた・・・
 山の神々が、古き魔法が、我々を耐え忍ぶことに倦み疲れて、その大いなる怒りをまさにあらわそうとしていた・・・

 魔法使いはそれを知って、我々に知らせるために、誰かを自分のもとに呼び寄せようと、夜ごとにトロヴァーンの山の上から、我々ひとりひとりの心を調べていたのだ、だれかふさわしい者はいないかと、そして彼はコンスタンティンを、オグウェンを見出したのだ・・・

 かの日、磔にされた乙女オグウェンの、ゆらめく炎となって、その魂が、その永遠の叫びがウェールズの空を裂いて走り、嘆きの調べを谷ぜんたいに響かせた、その日に至って時はみちた、ここにひとつの世界が終わったのだ・・・

 それゆえに我々は知る、日照りやかんばつ、洪水に大嵐、あるいは地震や山割れ・・・
 そうした大地の異変や天界の異兆、それらはなべて神々の怒りの表現なのだ。
 それらは実に、見えない指によって壁に記された文字、我々に向かってはっきりと告げられた言葉であって、我々が自らの基盤を打ち壊し、自らの生命の根脈を断とうとしているその愚かしい所業に対する、鋭い警告と糾弾の叫びなのだ・・・

 思い天駆けてはるか遠く、あの夏を私はこの地に生きた、踏みしめる岩の道、吹きすさぶ風あらし、
 肌にふれるものすべてがこの書物に刻まれ、外側と内側とを結ぶ扉が開かれてそこを同じ風が吹きぬけて、
 すべてを貫いてひとつの永遠となる その瞬間を生きたのだ・・・
  

     

        

Posted by う at 00:40Comments(0)魔の山