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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年08月31日

太陽と4人の娘

瑛瑠洲物語 ロウウェン篇1
太陽と四人の娘 The Sun and His Four Daughters
2006 by中島 迂生 Ussay Nakajima


 ロウウェン・・・その名の快よいひびき、その名を舌の上で転がすだけで、私の瞼にはあの信じがたく広大な、はるかはるか彼方まで広がったあの谷の情景が、くっきりとよみがえるのだ・・・

 コンウィイ・ヴァリィのつらなった丘々のひとつ、タリヴァン山の頂きをのぞむ、その麓にある小さな村・・・ それはどこまで行っても限りなくうつくしい北ウェールズの目立たない一隅、人に知られていない、ほんのちょっとした片ほとりにすぎない・・・ けれども私の心のなかで、それは世界でもっともうつくしい場所のひとつとして、永久にその名をとどめることだろう・・・

 ロンドンからずっと北上してウェールズの北海岸に沿い、ホリヘッドからアイルランドへ向かう路線の途上にコンウィイという港町がある、ロウウェンはそこから少し行ったところにある。

 コンウィイ、愛すべき町。・・・
 ここの名物は何といっても城壁だ・・・城壁すなわちコンウィイの町そのものである。町のぐるりを取り巻いた石造りの城壁は、遠い昔エドワードⅠ世によって築かれたもので、それがほとんど当時のまま、そっくり残されているのだ・・・ 長年の風に曝された石壁、円塔がいくつもあって、町全体がひとつの城のようだ。・・・こじんまりとして、ちょうどよい大きさで、絵画的な。・・・

 人も馬車も、いまでも城壁の狭い通用門から出入りする。城壁をくぐると中世への門をくぐったようだ・・・
 ほそい鉄の手すりがついて、その上を歩けるようになっている。手すりは、そのすり減った石の風合いとよく調和した、くすんだモスグリーンだ。・・・

 私は、ウェールズに残っている八つの城壁のなかでコンウィイがいちばん好きだ。
 プリンス・オヴ・ウェールズの戴冠式が行われるカーナヴォーンにも古い城があるけれども、そこよりも美しいと思う、塔が優雅な円筒形をしていて。・・・崩れかけた石の接ぎ目から白とピンクのヴァレリアンの花々が群れ咲いて、日の光にゆれる姿、これぞウェールズの夏の風物詩だ。・・・

 円塔のいくつかには、いまでも人が住んでいる。
 私はそのひとつにあった窓のことを思い出す・・・石壁のなかの小さな窓、大ぶりの壺に色褪せたたくさんのドライフラワーが挿してあって、そのまわりに垂れ下がった、重たい豪奢なカーテン、日に焼けて、うらぶれた感じで埃をかぶっている・・・ 窓のひとつがそのままヴェルレエヌの詩の一篇であった・・・ 曇ったガラスごし、私は心打たれて立ち尽くし、あの窓の印象は今でも忘れがたくよみがえるのだ・・・

 コンウィイ、愛すべき港町、目的もなく汽車を降りて、一日ぶらりと歩きまわるのにちょうどいい。・・・
 町の建物はどれもうつくしい、町のあちこちに、日の光のさしこむ気もちのよいティールームや、きれいな絵はがきを売っているみやげもの屋や、新鮮なフィッシュ・アンド・チップスの店がある。・・・
 港にはいつもたくさんの白いヨットが浮かんでいて、向こう側のなだらかな丘々や砂洲が見わたされ、ここでは今でもムール貝漁が行われる・・・ 港に向かって並んだひと連なりの家並みの端っこには、真っ赤に塗られた名物の<イギリスでいちばん小さい家>がある。・・・

 ここを玄関口として、コンウィイ・ヴァリィ、なだらかにつづく丘々のあいだに谷が、内陸に向かってずっと開けていて、ローカル線の列車が、秋になると真っ赤に色づくつたの美しい石橋で有名なスランルゥストや、ヴィクトリア女王の時代に画家たちが集い住んだベティソコイドなどの村々へ通じている。

  この町からロウウェンへは、辻馬車で行く。ローカル線の路線からも外れているので、辻馬車で行くしかないのだ。
 城壁をくぐりいで、コンウィイ川のなめらかな河口や、牧草地と石垣と木立のなだらかな丘々の風景のなかを、どれも似たり寄ったりのいくつもの村々を過ぎてゆく、村はどれも似たり寄ったりで、みんなそろって美しい・・・ どっしりした石造りの重厚な家々、灰色やうす茶色やチャコール・グレイの、沈んだ色あいの石壁にスレートの屋根だ・・・ 金文字でかかれた酒場のサイン、窓辺に吊り下げられた色とりどりの花の花かご。・・・通りすがりにちらりと見える、木立のなかにひっそりと建っている教会・・・ これも石造りで、どっちがどっちを真似たものか、鐘楼がコンウィイの城壁の円塔とそっくりなかたちをしているのも微笑ましい・・・

 道のりのさいごのところは両側を生垣にはさまれた狭い一本道で、馬車が二台すれ違うのがやっとだ、その場合でも一台はぎりぎりまで端に寄って、生垣の枝をキイキイこすらせながら、もう一台がそろそろと通り過ぎるのを待っていなければならない。・・・

 ロウウェンの村、はじめて訪れたのは、しずかな夏の夕方だった。
 日をあびて、ひっそりとして、だれもおもてに出ていない、しずか・・・ その美しいことといったらこの世のものとは思われない、天国に着いたかと思うほどだ・・・
 ばらの盛りの季節だった。ありとあらゆる色調の、とりどりのばらが咲き乱れて、家々の壁を飾る。
 沈んだ色の石壁にとりわけ映えるのは淡いピンクのばら。白いしっくいの壁には、くれないやクリイム色。・・・ほかにも、たくさん、たくさん、村じゅうが一枚の生きた絵だった、その調和を破るものは何もない・・・

 村の奥手、道が二手に分かれるところで、一台の馬車がとまり、いくたりの老人たちが降りてきた。
 教会帰りでもあろうか、男も女も上品なよそゆきのいでたちで、そろって雪のように純白の髪をいただいて、石壁とばらの花むらに実によく映る・・・ まるで物語の一場面に行きあわせたかのようだ。・・・

 この村の宿は、村を抜けてタリヴァン山を半分ばかり登った、リュウというところにある。
 三つの破風のある小さなコテッジだ。
 険しい一本道がつづら折りにつづくところを、荷物の重さによろめきながら、ふうふう息ついて登ってゆく、途中で行き倒れるかもしれないから、登りはじめるのにもたいへんな決意がいる、辿りつくだけで全くの偉業である、そんなとんでもない山の上なのだ・・・

 それだけあって眺めばかりは天下一品、まさに絶景だ・・・ 見渡す限りどこまでも、波打って広がった丘々の谷間、森に木立にそこここの村々、牧草地に石垣に羊たち。・・・生きたパッチワークが、微妙に色あいを変えながら果てしもなく繰り広がって、・・・一方は左手、コンウィイ湾の銀色に打ち光る海のおもてから、リボンのように曲がりくねったコンウィイ川をさかのぼって、もう一方ははるか右手、コンウィイ・ヴァリィのかなた、丘々のあいだに木立のみどりが青みがかってぼうっとかすんで消えてゆくところまで、壮大なパノラマをなしている・・・
 だれでも息も絶えだえになってここまで辿りついたものは、まっすぐに庭の芝生のところへ行ってベンチに腰をおろし、あるいは木戸にもたれて、この眺めにただ言葉もなく眺め入るのだ・・・

 夜までラウンジで本を読みながら熱い紅茶を飲み、ビスケットを少しかじった。
 そのうちに窓の外で谷間がゆっくりと青く暮れてゆくほど、宿の主人が暖炉に火を焚きつけてくれる・・・ 火ははじめのうち気乗りのしないようすでつむじを曲げていたが、やがて勢いよく石炭をなめて燃え上がった。
 ここに輪の中心ができて、人びとが集まってくる。・・・

 山の上の淋しい宿だが、客は私ひとりではなかった。
 幼い子供を連れた家族もあって、夜になると小さい女の子たちが賑やかに駆けまわり、そのうちにバラバラッと色鉛筆の箱を取り出して、窓辺のところに座って絵を描きはじめた。・・・
 外の闇と淋しさが私たちを結びつけ、ここににわか仕立ての家族がひとつできあがって、夜更くるまでとりとめもなく、ぽつりぽつりと静かな会話がつづいてゆくのだった。・・・

 山の上だけあってひどく冷えた。・・・
 水はといえば、山から直接引いてくる、氷のように冷たい水だ。
 だからぱちぱちとはぜる炎や、ちくちくする灰色の毛布の手触りが快よいのだった。・・・

 その山に宿したさいしょの晩、私は奇妙な夢を見た。夢の中で、私は今以上に無力であり、飛翔するための翼をもたなかった少年の日に戻ってしまっており、・・・あろうことかそのうえあとにしてきたはずの故郷の地に戻っているのであった。私は何かうまい具合に言いくるめられて、故国へ戻る船上に乗せられてしまったのだ。・・・

 こういうことには覚えがあった・・・幼いときから、何度も何度も。・・・
 何度我々は言いくるめられ、肝心な点を告げられず、己れの望まない木戸へ追いこまれ、角を矯められ、骨抜きにされてきたことか。・・・それらはみな、ゆくゆくはより大きな力に我々を服従させるための、周到に練られた下準備だったのだと、今では分かる。けれども、それと分かった今、もはや屈してしまうわけにはいかないのだ。・・・

 身近な人びと、あるいは融通のきかぬ制度というかたちをとった不可知の力、私の身の自由を奪おうとする、善意にみちた力に対して、私はもはやかの遠い日々にしたように屈してしまいはしなかった、私は決然として戦った、私は狂ったように暴れた・・・ 「この地にいられるあいだのただの一日でさえも、私にとってどんなに貴重だか、あなた方には全然分かっていない!・・・」

 そう叫んでいるところで、私は目を覚ましたのだった。
 私は興奮冷めやらぬままベッドを出て、窓辺へ寄った。・・・
 窓の外には、曇り空の、ウェールズの景色が広がっていた。・・・風がびゅうびゅう吹いて、寒そうで、夜明けだった。・・・朝霧にかすんで木立はうっすら青みを帯び、半ばまだ眠っているようだ。・・・

 私はしずかな喜びが、深ぶかと心の底にまで滲みとおってゆくのを感じた。・・・
 あゝよかった!・・・ 私が決然として戦ったので、こうしてまたこの地に戻ってくることができたのだ。・・・
 そこでほっと吐息をつくと、朝までもうひと眠りしようと、心も穏やかに再びベッドにもぐりこんだのだった。・・・

  二度目に目を覚ましたとき、しずかな雨が降り出していいた。
 こういう日にはいちにち宿で過ごして、熱いお茶などすすりながら書きものをするのに限る・・・
 昼過ぎまで食堂に残り、居心地のいい窓辺から降りつづく雨を眺めて過ごした。
 宿には誰もいない、ひっそりとしずか、ただ鳴き交わす羊の声がひびくばかりだ・・・
 
 午後になって、少し小降りになったところを、ぶらぶら村へ下ってゆく。・・・
 宿のまわりは、森と牧草地が半々くらいだろうか、ただ道は大方木立のなかを抜け、牧草地に接するところでも道沿いにはずっと木が茂っている、道のきわにはしだ類が群れ生え、清水のふちに沿ってごろごろまるい岩ころがみどり色の苔に包まれて、空気は冷たく、単調なみどり一色だ。木々のみどりと湿った苔の葉の匂い・・・ 何千という葉の一枚一枚から雫を滴らせ、休みないしずかな雨音である・・・

 当地の石垣、荒々しい石を組んで築かれた、モルタルを加えぬままの、何やら古代遺跡のような原始的な迫力のあるあの石垣、それからメドウのところどころ、木立に半分隠れている石造りの家々・・・それらは何かを思い出させる、そう、田舎で昔ながらのやり方で焼かれる、どっしりとして重たい灰茶色のパンの塊、あれにとてもよく似ている・・・ それから草を食む羊たち、重なりあって上へ上へとつづくメドウ・・・ウェールズの風景。・・・

 村に近づくにつれ、あの独特の、<歯をもった>石垣が目につく・・・ へりのところに不ぞろいな薄い石板をラックの皿のように隙間なく並べていて、それで歯をもった下顎のように見えるのだ。たぶん、いつか天から上顎が下りてきて、ガッチャン! と組み合わさるのだろう。その日、石垣の上に腰掛ける者は災いである・・・

 ロウウェンの村を歩くのは、絵のなかを歩くようだ。
 どの家もどの家もばらが花盛り、道の両側にはだれが植えたでもなく、マーガレットや黄色いラグウォートや、色んな花が溢れ咲いている・・・
 家々はどれも重厚だがわりと小ぶりで、平屋も多い、どれも窓枠やドアをきれいな色で塗ってあって、どの村も同じ、村のいちばん中心に、いちばん古くて感じのいい家並が残っている。

 家々のひとつずつが今でも目に浮かぶ・・・ 山道を下って村へ入る、Y字路のところの家、石壁に、窓枠は黒塗り、それに赤とピンクのばら、そして石垣にふちどられた草道が裏手へ回っている・・・
 ハイ・ストリイトから右手に折れるところに斜めに建つ家は、漆喰で塗りつぶした白壁に水色の窓、それが群れ咲くコスモス色のむくげの花によく映える・・・
 その向かいはくすんだ風合いをそのままに残した石壁で、深紅と薄黄色のばら、それに青紫のラヴェンダー。
 Lavender's blue, lavender's blue, lavender's green...
  If I were a king, then you'll be a queen...

 どの窓辺にも小ぎれいなカーテンがかけられ、彩色されたお城だの、せともののネコだの、ガラスや真鍮でできた妖精たちだの、そういうしょうもない小物たちが大切に飾られている。・・・
 そんなふうな窓辺を見て歩いていると、私の心には祖母の代の人びとの、どんながらくたでも心をこめて丁寧に扱うその手つきが思い起こされてくる・・・その心のこもった手つきのせいで、何の役にも立たない飾りものたちは何かしら価値を帯びて、オーラを放ちはじめるのだった。・・・

 雨足が強くなってきたので村のパブに入る。・・・
 薄暗いなかに、客はわずかに二、三人である・・・ なかのひとりはカウンターの真ん中に陣取って、パブの親父をつかまえ、さっきからえんえんと喋りつづけている・・・
 ビールを半パイントだけ注文して窓のそばに座り、高く低く喋りつづけるだみ声を聞くともなしに聞き流し、通りに降り注ぐ雨を眺めた。・・・

 雲の垂れこめる日は、暗くなるのが早い。
 ランプが明るみを増し、村人たちが集まりだした頃合いを見てパブをあとにした。
 山の上の宿に着く頃には、とっぷりと青い夕闇のなかで、下界の村々にぽつりぽつり、小さく灯りがともっているのが遥かに見渡されるばかりである。・・・

 あくる朝、目覚めると雨はあがっていた。
 がらんと誰もいない階下へ降りてゆくと、食堂のテーブルに窓からしらじらした薄日が射して、何やらしみじみと懐かしい・・・
 この安っぽいビニールびきの、陽気な花模様のテーブルクロスと云ひ、使いこんですり減った木の椅子と云ひ、祖母の家の朝の食卓なのだった。

 それから私は思い出す、日の光の射しこむなかに漂うコーヒーの香りや、ハムエッグののった皿からほんわり匂ひたつ湯気、トーストに塗る苺ジャムの瓶や、ハート型の柳編みのパン籠・・・
 異国にあって呼び覚まされる、遠い日の記憶である、ここに時間はまどろみのなかで沈澱し、ただその表面だけが、しずかにゆらゆらとしてイマージュの連鎖をいざなふ。・・・

 朝のあいだに雲は吹き払われて、広々と青く晴れ渡った。
 その日はいちにち、何もしないで、ただ眼下に広がるコンウィイ・ヴァリイのようすを眺めて過ごした。
 たしかにそれだけの価値はあったのだ・・・あまり際限なく広いので、じっくり見るには一日では足りないくらいだ。
 こんなすばらしい眺めが、私の訪れなかった計り知れず長い年月、来る日も来る日もそこにあって、来る日も来る日も日の光と月の光に照らされ、雨風を受けてきたのだった。
 それは信じがたいことだった、考えると眩暈を覚えた・・・

 谷あいの斜面は緑ゆたかだ、かなりの割合をもこもこしたカーペットのような森が占め、それがコンウィイ川の流域近く駆け下り、あるいは丘々の中腹を駆け上るにつれてかすれたように疎らになって、ブロッコリの株がボコボコと立ち並んでいるのを遠目に眺めたような具合になる。
 丘の上のほうの木が生えない部分では、牧草地を区切った幾何学もようの生垣や石垣が、地平のかぎりほんとうにどこまでも、幾千となくひとつひとつくっきり見える。・・・

 夕刻になって、中へ入ってほどなく、さあっと雨が降りはじめた。
 日の光のなかで、どこまでもくっきりとしているのもいいが、少し雨まじりに青くかすんでいるのはもっといい。 そのようすを窓から眺めているのもいいものだ・・・冷たい雨に包まれた山々の情景を、ぬくぬくと居心地のいい窓の内から。・・・

 その晩、私はかつてなくすばらしい経験をした。
 物語がひとつそっくり、はじめからしまいまで、完結したかたちで夢の中に訪れてきたのだ・・・こんなのははじめてのことだった。
 私の目の前で、揺曳する絵巻物のように、それはあざやかな色彩を伴って次々とダイナミックに展開し、私はただ我を忘れてうっとりと見入っていた。
 目が覚めたあとも、その鮮烈な幻の余韻がながくとどまって、以来このかた、その夢のゆえにロウウェンは、私にとって忘れえぬ場所となったのである。・・・

         *

 太陽には四人の娘がいて、それぞれ四方の風を司っていた。
 いちばん上の娘は北の風を、二番目の娘は南の風を、三番目は東の風を、そして末の娘は西の風を。・・・
 それぞれ四方の果てに事務所をかまえて、毎日忙しく仕事をしていた。
 ひっきりなしに電話がなっては注文や苦情や嘆願が押し寄せる、書類だの、伝票だの・・・
 四人とも有能で、てきぱきと仕事をこなす娘たちだ、従業員たちもみなえり抜きの粒ぞろい。
 それでも事務所は目のまわるような忙しさ、ひと息ついてコーヒーを入れるひまもない・・・ 

 ところが父親の太陽ときたら、これが娘たちとは正反対、呑んべえでぐうたらで、わがままこの上ない乱暴者である・・・
 地上を照らして万物を成長させるのが務めだというのに、日がないちにち雲の上で寝そべって暮らし、端から顔を出そうともしない・・・

 当然ながらその昔、地上はまだ平たくて、太陽は毎日西の果てに沈んでは、地下の国の暗い抜け穴を通って翌朝また東の果てから空へ昇ることになっていたわけだった。
 ところがそんな決まりごとなど気にもとめない、地下の国の酒場で宵の口から酔っぱらって、椅子を振り回してはそこらにいる連中を片っぱしからなぎ倒し、用心棒が十人かかってやっと店から追い出す始末、朝はふつか酔いでいつまでもベッドから出てこない、農民たちが一日の仕事を始められないというので苦情が殺到するありさまだ・・・
 そんなふうだからその頃は作物が十分に育たず、地上には飢饉が絶えなかったのだ。・・・

 あるとき、人びとの叫びがついに連邦司令局を動かし、局の命令で太陽は免職になってしまった。
 その日のパンにも事欠くようになった太陽は仕方なく、頭を下げて娘たちのところへ厄介になりに行った。
 何でも言いつけてくれ、働くから、そう太陽は言った。ただ一日のパンと、頭を横たえる場所とをあてがってくれたら。・・・

 娘たちは順々に親父の面倒を見た。まずいちばん上の娘が、ついで二番目の娘が。・・・
 事務所に置いてやって、退屈しないよう、電話番や伝達係の端仕事をも与えた。
 けれども、それはほんとうは許されないことだった。連邦司令局の命によって解雇された者は職務能力がないとみなされ、正式に採用することは禁じられていたのだ。・・・

 今までのやり方を急に改められるはずもなく、太陽の仕事ぶりときたら全くめちゃくちゃだった。
 苦情の電話にはどなり散らし、伝達事項は忘れるし、どうやら伝達することだけは覚えていても、メモをとっていないものだから、しかるべき人のもとに伝わる頃にはとんでもない内容ちがいになっている。
 彼ひとりのために事務所は混乱した、そのうえ全くいやな奴だったから、オフィスのどの従業員からも嫌われた。
 しまいに雇っていることが司令局の知るところとなって、太陽は再び追い出され、事務所じたいも懲戒処分を受けるはめになった。・・・

 こんなことが三たび繰り返されて、さいごに太陽は末の娘のところへ行った。
 ところがこの末の娘というのが、四人のなかでいちばん有能なばかりか、いちばん物事を見通す目があった。」
 そこで、同じように父親に住む場所と仕事とを与えたが、うまく立ち回って、彼のやることが必ず事務所にとっていい結果となるよう工夫を凝らし、それに加えて外部の者と接触する仕事には近づけないようにして、司令局の鋭い監視の目からも隠しおおせたのだった。・・・

 そういうわけで司令局は全く気づかず、そのうえ四人のなかで末の娘の仕事がいちばん優れているというので彼女を三人の姉たちの上に任命して総括官の地位を与えたものだ。
 太陽も赦免されて仕事に復帰した・・・ 昼のあいだ地上を照らすというその仕事は、結局ほかに適任もなく、どうしても彼がやらないわけにいかなかったわけだ。

 けれどもこの出来ごとでずいぶん懲りたのだろう、それから少しはまじめに仕事をするようになった。
 相変わらずのぐうたらは抜けないが、いまだに末の娘には頭が上がらない。
 西の風がひと吹きすると、さあっと雲が吹き払われ、ねぼけまなこの太陽が、あわててその間から顔を出すのだ。・・・

 そういうわけで、今でもこの土地では西の風が、一年を通してもっとも優勢である。
 西の風は雨をもたらし、雲を吹き払っては日の光をもたらして、大地を豊かに育てつづける。
 それで今に至るまで、我々はその恵みを受けてこの土地に暮らしているのだ・・・あいかわらずの太陽が、一日まるまるその姿を見せることはめったにないとしても。・・・

        *

 それはかくも鮮やかな映像を伴っていて、すぐにでももっと膨らまし、夢の中と同じだけの色彩と豊かさとを与えることができそうだった・・・

 目覚めたとき、私ははっきり覚えていた、眉にしわ寄せたしかめ面の太陽の真っ赤な顔や、事務所に置かれた電話の、クリーム色とベージュの優美なアラベスクのデザイン、風の娘たちの裾のながい美しい衣のひだが翻るようすなどを。・・・

 夢のなかではじめ、これはプロヴァンスの民話ではないだろうかと思ったのだった。
 けれどもやはり違う、こんなのはウェールズでしか生まれえない。

 とりわけ印象的で目を引くのは、太陽の地位の奇妙な低さ、それに与えられているさんざんな性格づけだ・・・ ほかの土地では、まずこんなことはない。
 エジプトのラーを持ちだすまでもなく、およそ地上のどこにあっても、太陽は生命と権威の象徴たる最高神、万物に糧を与え育み、仰ぎ見ては崇敬さるべき王者である・・・ただ当地ウェールズを除いては。・・・
 
 ここウェールズでは、じっさい、太陽は大したぐうたらなのだ、まる一日その姿を見せることはめったにない・・・とくに山岳地方では。・・・
 じっさいのところ、ウェールズといって多くの人がまず連想するのは、灰色に曇った空とびしょびしょに降りつづく雨である。これでは太陽の権威が弱いのも無理はない。
 それにしても、その土地の気候風土が、こんなふうに物語に枠づけを与えるのは面白い。・・・

 これを読んだひとの多くは、当然ながら<リア王>を想起するだろう・・・私自身と同じく。
 けれども、思い出していただきたい、<リア王>にしてからが、いまもこの国の各地に残る古い民話を下敷きに書かれたのだ。
 この物語も系統としては、それらのうちの一つに属するのに違いない。ロウウェンの精霊たちから直接手渡されたのだから、シェイクスピアよりも古いはずだ。
 ただ、民話なのにどうして電話だの連邦司令局だのが出てくるのか、そこは謎であるが・・・
 私はあまり気にしないことにしている。私はただ、自分のもとへやってきたものをその通り書き記すまでである。・・・

 一風変わった哲学をもった物語だが、それともこれはフェーブル・・・寓話なのであろうか? 
 だとしたら、ここで語られている教訓とは何だろう? ・・・優しさは賢明さを伴ってこそ価値をもつ、ただ親切にするばかりでなく、分別を働かせたうえで親切にしなければならない、ということだろうか?・・・

 ただ、太陽は怠け者なだけでなく、かなりずる賢いところもあって、立ち回るほうも相当な抜け目のなさを要求されそうだった。
 西風の娘も、血のつながりの愛情だけでは覆いきれない部分を見出して、人間存在の深淵に触れもしただろう・・・
 そういう瞬間をも含めて書く必要があるので、技術的な高さを要求されそうだった。・・・

 その朝、夢の中で得た印象で頭をいっぱいにしながら庭へ出てゆくと、たちまち目に見えぬ幻が解き放たれて、無限に広いこの谷間いっぱいに広がってゆくのを感じた・・・
 そして私は知ったのだった、この物語はほかならぬこの土地で起こったのだと、そしてこの谷の至るところに、とうから他にもさまざまな物語があふれ息づいてきたのだということも。・・・

 来る日も来る日も私は山の上にとどまって、ひねもす谷間を眺めて暮らし、精霊たちの語ってくれるこの土地の物語のいくたりに耳を傾けた・・・
 週末が過ぎるとほかの客はみな去って、コテッジには私ひとりだった。
 宿の主人は昼のあいだは宿を私に任せきりにして用足しに出かけてしまう。
 もともと農場の離れの一つであったこのコテッジは、厚い石積みの伝統的な手法で建てられていて、焼けつくような日射しのときも、中にいるとひんやりと涼しい。
 石壁は、外側は漆喰塗りだが、内側はそのままに積み石を残している。
 床も敷石である。
 そこに、塗料を塗っていない木の椅子とテーブル・・・椅子の背もたれには、伝統的な装飾が彫りこまれている。
 椅子の上に置かれた灰色の毛布、ノスタルジックな花模様のスープ鉢・・・日々の暮らしもそのまま絵になるコテッジの毎日である・・・ぜいたくなばかりの孤独と静寂、あれほど心みち足りて過ごした日々はない・・・

 来る日も来る日もとどまるうち、私は谷間のさまざまな表情を見た。
 夏らしい、よく晴れた日が幾日もつづいたが、曇りの日も雨の日もあったし、薄紫の稲光が谷間じゅうを照らし出す、ものすごい雷もあった。
 山の上から、次々と移り変わる舞台の書き割りを眺めているようだった。
 そして、そのすばらしい書き割りのもとで、彼らはまた幾多の物語を送り届けてくれたのだ。・・・
       

  

Posted by う at 14:20太陽と4人の娘