2010年08月31日

太陽と4人の娘


瑛瑠洲物語(うぇーるずものがたり) ロウウェン篇1
太陽と四人の娘 The Sun and His Four Daughters
2006 by中島 迂生 Ussay Nakajima



1. 物語<太陽と四人の娘>
2. コンウィイ・ヴァリイ
3. ロウウェンへ、そしてリュウへ
4. 物語に溢れた谷で

****************************************

1. 物語<太陽と四人の娘>



 ロウウェン・・・その名の快よいひびき、その名を舌の上で転がすだけで、私の瞼にはあの信じがたく広大な、はるかはるか彼方まで広がったあの谷の情景が、くっきりとよみがえるのだ・・・

 コンウィイ・ヴァリィのつらなった丘々のひとつ、タリヴァン山の頂きをのぞむ、その麓にある小さな村・・・ それはどこまで行っても限りなくうつくしい北ウェールズの目立たない一隅、人に知られていない、ほんのちょっとした片ほとりにすぎない・・・ けれども私の心のなかで、それは世界でもっともうつくしい場所のひとつとして、永久にその名をとどめることだろう・・・
 これはその村を訪れたとき、さいしょに「やってきた」物語だ。・・・

          *            *

 太陽には四人の娘がいて、それぞれ四方の風を司っていた。
 いちばん上の娘は北の風を、二番目の娘は南の風を、三番目は東の風を、そして末の娘は西の風を。・・・
 それぞれ四方の果てに事務所をかまえて、毎日忙しく仕事をしていた。
 ひっきりなしに電話がなっては注文や苦情や嘆願が押し寄せる、書類だの、伝票だの・・・
 四人とも有能で、てきぱきと仕事をこなす娘たちだ、従業員たちもみなえり抜きの粒ぞろい。
 それでも事務所は目のまわるような忙しさ、ひと息ついてコーヒーを入れるひまもない・・・ 

 ところが父親の太陽ときたら、これが娘たちとは正反対、呑んべえでぐうたらで、わがままこの上ない乱暴者である・・・
 地上を照らして万物を成長させるのが務めだというのに、日がないちにち雲の上で寝そべって暮らし、端から顔を出そうともしない・・・

 当然ながらその昔、地上はまだ平たくて、太陽は毎日西の果てに沈んでは、地下の国の暗い抜け穴を通って翌朝また東の果てから空へ昇ることになっていたわけだった。
 ところがそんな決まりごとなど気にもとめない、地下の国の酒場で宵の口から酔っぱらって、椅子を振り回してはそこらにいる連中を片っぱしからなぎ倒し、用心棒が十人かかってやっと店から追い出す始末、朝はふつか酔いでいつまでもベッドから出てこない、農民たちが一日の仕事を始められないというので苦情が殺到するありさまだ・・・
 そんなふうだからその頃は作物が十分に育たず、地上には飢饉が絶えなかったのだ。・・・

 あるとき、人びとの叫びがついに連邦司令局を動かし、局の命令で太陽は免職になってしまった。
 その日のパンにも事欠くようになった太陽は仕方なく、頭を下げて娘たちのところへ厄介になりに行った。
 何でも言いつけてくれ、働くから、そう太陽は言った。ただ一日のパンと、頭を横たえる場所とをあてがってくれたら。・・・

 娘たちは順々に親父の面倒を見た。まずいちばん上の娘が、ついで二番目の娘が。・・・
 事務所に置いてやって、退屈しないよう、電話番や伝達係の端仕事をも与えた。
 けれども、それはほんとうは許されないことだった。連邦司令局の命によって解雇された者は職務能力がないとみなされ、正式に採用することは禁じられていたのだ。・・・

 今までのやり方を急に改められるはずもなく、太陽の仕事ぶりときたら全くめちゃくちゃだった。
 苦情の電話にはどなり散らし、伝達事項は忘れるし、どうやら伝達することだけは覚えていても、メモをとっていないものだから、しかるべき人のもとに伝わる頃にはとんでもない内容ちがいになっている。
 彼ひとりのために事務所は混乱した、そのうえ全くいやな奴だったから、オフィスのどの従業員からも嫌われた。
 しまいに雇っていることが司令局の知るところとなって、太陽は再び追い出され、事務所じたいも懲戒処分を受けるはめになった。・・・

 こんなことが三たび繰り返されて、さいごに太陽は末の娘のところへ行った。
 ところがこの末の娘というのが、四人のなかでいちばん有能なばかりか、いちばん物事を見通す目があった。」
 そこで、同じように父親に住む場所と仕事とを与えたが、うまく立ち回って、彼のやることが必ず事務所にとっていい結果となるよう工夫を凝らし、それに加えて外部の者と接触する仕事には近づけないようにして、司令局の鋭い監視の目からも隠しおおせたのだった。・・・

 そういうわけで司令局は全く気づかず、そのうえ四人のなかで末の娘の仕事がいちばん優れているというので彼女を三人の姉たちの上に任命して総括官の地位を与えたものだ。
 太陽も赦免されて仕事に復帰した・・・ 昼のあいだ地上を照らすというその仕事は、結局ほかに適任もなく、どうしても彼がやらないわけにいかなかったわけだ。

 けれどもこの出来ごとでずいぶん懲りたのだろう、それから少しはまじめに仕事をするようになった。
 相変わらずのぐうたらは抜けないが、いまだに末の娘には頭が上がらない。
 西の風がひと吹きすると、さあっと雲が吹き払われ、ねぼけまなこの太陽が、あわててその間から顔を出すのだ。・・・

 そういうわけで、今でもこの土地では西の風が、一年を通してもっとも優勢である。
 西の風は雨をもたらし、雲を吹き払っては日の光をもたらして、大地を豊かに育てつづける。
 それで今に至るまで、我々はその恵みを受けてこの土地に暮らしているのだ・・・あいかわらずの太陽が、一日まるまるその姿を見せることはめったにないとしても。・・・

             *            *

2. コンウィイ・ヴァリイ



 ロンドンからずっと北上してウェールズの北海岸に沿い、ホリヘッドからアイルランドへ向かう路線の途上にコンウィイという港町がある、ロウウェンはそこから少し行ったところにある。

 コンウィイ、愛すべき町。・・・
 ここの名物は何といっても城壁だ・・・城壁すなわちコンウィイの町そのものである。町のぐるりを取り巻いた石造りの城壁は、遠い昔エドワードⅠ世によって築かれたもので、それがほとんど当時のまま、そっくり残されているのだ・・・ 長年の風に曝された石壁、円塔がいくつもあって、町全体がひとつの城のようだ。・・・こじんまりとして、ちょうどよい大きさで、絵画的な。・・・

 人も馬車も、いまでも城壁の狭い通用門から出入りする。城壁をくぐると中世への門をくぐったようだ・・・
 ほそい鉄の手すりがついて、その上を歩けるようになっている。手すりは、そのすり減った石の風合いとよく調和した、くすんだモスグリーンだ。・・・

 私は、ウェールズに残っている八つの城壁のなかでコンウィイがいちばん好きだ。
 プリンス・オヴ・ウェールズの戴冠式が行われるカーナヴォーンにも古い城があるけれども、そこよりも美しいと思う、塔が優雅な円筒形をしていて。・・・崩れかけた石の接ぎ目から白とピンクのヴァレリアンの花々が群れ咲いて、日の光にゆれる姿、これぞウェールズの夏の風物詩だ。・・・

 円塔のいくつかには、いまでも人が住んでいる。
 私はそのひとつにあった窓のことを思い出す・・・石壁のなかの小さな窓、大ぶりの壺に色褪せたたくさんのドライフラワーが挿してあって、そのまわりに垂れ下がった、重たい豪奢なカーテン、日に焼けて、うらぶれた感じで埃をかぶっている・・・ 窓のひとつがそのままヴェルレエヌの詩の一篇であった・・・ 曇ったガラスごし、私は心打たれて立ち尽くし、あの窓の印象は今でも忘れがたくよみがえるのだ・・・

 コンウィイ、愛すべき港町、目的もなく汽車を降りて、一日ぶらりと歩きまわるのにちょうどいい。・・・
 町の建物はどれもうつくしい、町のあちこちに、日の光のさしこむ気もちのよいティールームや、きれいな絵はがきを売っているみやげもの屋や、新鮮なフィッシュ・アンド・チップスの店がある。・・・
 港にはいつもたくさんの白いヨットが浮かんでいて、向こう側のなだらかな丘々や砂洲が見わたされ、ここでは今でもムール貝漁が行われる・・・ 港に向かって並んだひと連なりの家並みの端っこには、真っ赤に塗られた名物の<イギリスでいちばん小さい家>がある。・・・

 ここを玄関口として、コンウィイ・ヴァリィ、なだらかにつづく丘々のあいだに谷が、内陸に向かってずっと開けていて、ローカル線の列車が、秋になると真っ赤に色づくつたの美しい石橋で有名なスランルゥストや、ヴィクトリア女王の時代に画家たちが集い住んだベティソコイドなどの村々へ通じている。


3. ロウウェンへ、そしてリュウへ



 この町からロウウェンへは、辻馬車で行く。ローカル線の路線からも外れているので、辻馬車で行くしかないのだ。
 城壁をくぐりいで、コンウィイ川のなめらかな河口や、牧草地と石垣と木立のなだらかな丘々の風景のなかを、どれも似たり寄ったりのいくつもの村々を過ぎてゆく、村はどれも似たり寄ったりで、みんなそろって美しい・・・ どっしりした石造りの重厚な家々、灰色やうす茶色やチャコール・グレイの、沈んだ色あいの石壁にスレートの屋根だ・・・ 金文字でかかれた酒場のサイン、窓辺に吊り下げられた色とりどりの花の花かご。・・・通りすがりにちらりと見える、木立のなかにひっそりと建っている教会・・・ これも石造りで、どっちがどっちを真似たものか、鐘楼がコンウィイの城壁の円塔とそっくりなかたちをしているのも微笑ましい・・・

 道のりのさいごのところは両側を生垣にはさまれた狭い一本道で、馬車が二台すれ違うのがやっとだ、その場合でも一台はぎりぎりまで端に寄って、生垣の枝をキイキイこすらせながら、もう一台がそろそろと通り過ぎるのを待っていなければならない。・・・

 ロウウェンの村、はじめて訪れたのは、しずかな夏の夕方だった。
 日をあびて、ひっそりとして、だれもおもてに出ていない、しずか・・・ その美しいことといったらこの世のものとは思われない、天国に着いたかと思うほどだ・・・
 ばらの盛りの季節だった。ありとあらゆる色調の、とりどりのばらが咲き乱れて、家々の壁を飾る。
 沈んだ色の石壁にとりわけ映えるのは淡いピンクのばら。白いしっくいの壁には、くれないやクリイム色。・・・ほかにも、たくさん、たくさん、村じゅうが一枚の生きた絵だった、その調和を破るものは何もない・・・

 村の奥手、道が二手に分かれるところで、一台の馬車がとまり、いくたりの老人たちが降りてきた。
 教会帰りでもあろうか、男も女も上品なよそゆきのいでたちで、そろって雪のように純白の髪をいただいて、石壁とばらの花むらに実によく映る・・・ まるで物語の一場面に行きあわせたかのようだ。・・・

 この村の宿は、村を抜けてタリヴァン山を半分ばかり登った、リュウというところにある。
 三つの破風のある小さなコテッジだ。
 険しい一本道がつづら折りにつづくところを、荷物の重さによろめきながら、ふうふう息ついて登ってゆく、途中で行き倒れるかもしれないから、登りはじめるのにもたいへんな決意がいる、辿りつくだけで全くの偉業である、そんなとんでもない山の上なのだ・・・

 それだけあって眺めばかりは天下一品、まさに絶景だ・・・ 見渡す限りどこまでも、波打って広がった丘々の谷間、森に木立にそこここの村々、牧草地に石垣に羊たち。・・・生きたパッチワークが、微妙に色あいを変えながら果てしもなく繰り広がって、・・・一方は左手、コンウィイ湾の銀色に打ち光る海のおもてから、リボンのように曲がりくねったコンウィイ川をさかのぼって、もう一方ははるか右手、コンウィイ・ヴァリィのかなた、丘々のあいだに木立のみどりが青みがかってぼうっとかすんで消えてゆくところまで、壮大なパノラマをなしている・・・
 だれでも息も絶えだえになってここまで辿りついたものは、まっすぐに庭の芝生のところへ行ってベンチに腰をおろし、あるいは木戸にもたれて、この眺めにただ言葉もなく眺め入るのだ・・・


4. 物語に溢れた谷で



 このコテッジに滞在して三日目のこと。
 その晩、私はかつてなくすばらしい経験をした。
 物語がひとつそっくり、はじめからしまいまで、完結したかたちで夢の中に訪れてきたのだ・・・こんなのははじめてのことだった。それがこの<太陽と四人の娘>の物語だ。
 私の目の前で、揺曳する絵巻物のように、それはあざやかな色彩を伴って次々とダイナミックに展開し、私はただ我を忘れてうっとりと見入っていた。
 目が覚めたあとも、その鮮烈な幻の余韻がながくとどまって、以来このかた、その夢のゆえにロウウェンは、私にとって忘れえぬ場所となったのだった。・・・

 それはかくも鮮やかな映像を伴っていて、すぐにでももっと膨らまし、夢の中と同じだけの色彩と豊かさとを与えることができそうだった・・・
 目覚めたとき、私ははっきり覚えていた、眉にしわ寄せたしかめ面の太陽の真っ赤な顔や、事務所に置かれた電話の、クリーム色とベージュの優美なアラベスクのデザイン、風の娘たちの裾のながい美しい衣のひだが翻るようすなどを。・・・

 夢のなかではじめ、これはプロヴァンスの民話ではないだろうかと思ったのだった。
 けれどもやはり違う、こんなのはウェールズでしか生まれえない。

 とりわけ印象的で目を引くのは、太陽の地位の奇妙な低さ、それに与えられているさんざんな性格づけだ・・・ ほかの土地では、まずこんなことはない。
 エジプトのラーを持ちだすまでもなく、およそ地上のどこにあっても、太陽は生命と権威の象徴たる最高神、万物に糧を与え育み、仰ぎ見ては崇敬さるべき王者である・・・ただ当地ウェールズを除いては。・・・
 
 ここウェールズでは、じっさい、太陽は大したぐうたらなのだ、まる一日その姿を見せることはめったにない・・・とくに山岳地方では。・・・
 じっさいのところ、ウェールズといって多くの人がまず連想するのは、灰色に曇った空とびしょびしょに降りつづく雨である。これでは太陽の権威が弱いのも無理はない。
 それにしても、その土地の気候風土が、こんなふうに物語に枠づけを与えるのは面白い。・・・

 これを読んだひとの多くは、当然ながら<リア王>を想起するだろう・・・私自身と同じく。
 けれども、思い出していただきたい、<リア王>にしてからが、いまもこの国の各地に残る古い民話を下敷きに書かれたのだ。
 この物語も系統としては、それらのうちの一つに属するのに違いない。ロウウェンの精霊たちから直接手渡されたのだから、シェイクスピアよりも古いはずだ。
 ただ、民話なのにどうして電話だの連邦司令局だのが出てくるのか、そこは謎であるが・・・
 私はあまり気にしないことにしている。私はただ、自分のもとへやってきたものをその通り書き記すまでである。・・・

 一風変わった哲学をもった物語だが、それともこれはフェーブル・・・寓話なのだろうか? 
 だとしたら、ここで語られている教訓とは何だろう? ・・・優しさは賢明さを伴ってこそ価値をもつ、ただ親切にするばかりでなく、分別を働かせたうえで親切にしなければならない、ということだろうか?・・・

 ただ、太陽は怠け者なだけでなく、かなりずる賢いところもあって、立ち回るほうも相当な抜け目のなさを要求されそうだった。
 西風の娘も、血のつながりの愛情だけでは覆いきれない部分を見出して、人間存在の深淵に触れもしただろう・・・
 そういう瞬間をも含めて書く必要があるので、技術的な高さを要求されそうだった。・・・

 その朝、夢の中で得た印象で頭をいっぱいにしながら庭へ出てゆくと、たちまち目に見えぬ幻が解き放たれて、無限に広いこの谷間いっぱいに広がってゆくのを感じた・・・
 そして私は知ったのだった、この物語はほかならぬこの土地で起こったのだと、そしてこの谷の至るところに、とうから他にもさまざまな物語があふれ息づいてきたのだということも。・・・

 来る日も来る日も私は山の上にとどまって、ひねもす谷間を眺めて暮らし、精霊たちの語ってくれるこの土地の物語のいくたりに耳を傾けた・・・
 週末が過ぎるとほかの客はみな去って、コテッジには私ひとりだった。
 宿の主人は昼のあいだは宿を私に任せきりにして用足しに出かけてしまう。
 もともと農場の離れの一つであったこのコテッジは、厚い石積みの伝統的な手法で建てられていて、焼けつくような日射しのときも、中にいるとひんやりと涼しい。
 石壁は、外側は漆喰塗りだが、内側はそのままに積み石を残している。
 床も敷石である。
 そこに、塗料を塗っていない木の椅子とテーブル・・・椅子の背もたれには、伝統的な装飾が彫りこまれている。
 椅子の上に置かれた灰色の毛布、ノスタルジックな花模様のスープ鉢・・・日々の暮らしもそのまま絵になるコテッジの毎日である・・・ぜいたくなばかりの孤独と静寂、あれほど心みち足りて過ごした日々はない・・・

 来る日も来る日もとどまるうち、私は谷間のさまざまな表情を見た。
 夏らしい、よく晴れた日が幾日もつづいたが、曇りの日も雨の日もあったし、薄紫の稲光が谷間じゅうを照らし出す、ものすごい雷もあった。
 山の上から、次々と移り変わる舞台の書き割りを眺めているようだった。
 そして、そのすばらしい書き割りのもとで、彼らはまた幾多の物語を送り届けてくれたのだ。・・・





















  

Posted by 中島迂生 at 14:20太陽と4人の娘