2018年05月20日

ヘヤカツ、ハムカツ




「部屋活」っていうのも少しブームになっていたようで。
第一弾の<部屋を活かせば人生が変わる>っていう本、以前に通っていた東神奈川の
本屋の店頭で手にとってぱらぱら目を通したことがあります。

要は、セミナーなんかによって自分を内側から変えていこうとするより、
スムーズにまわる部屋を整えて外側から変えていこう! そのほうが効率的!という話。
そうじのしやすさを考えて家具を配置したりとかね。

コンセプトは、非常に共感。
「部屋活」っていうネーミングのひびきもハムカツみたいでかわいいし。
提唱者(っていうか、実質著者)は岩崎夏海さんという方みたいですね。
いまではシリーズ3冊ほど出されているみたい。

カレン・キングストンなんかの本にも「ソファを動かして人生を変える」
みたいな一節があったから、すごく有効なアプローチなんだと思われます。
だからこの本にもちょっと心惹かれたのだけど、そのときは買わなかった。
それは・・・

この本でアプリオリに、部屋にあることが前提になってるものとして、
炊飯器、電子レンジ、掃除機が挙げられていた。
けど、その3つとも、私は持っていなかったのです。
それで不自由なくやってるのだから、そこまでこの本は私に必要ないのかも、と。

この3つは、かつて一度もほしいと思ったことがない。
鍋で炊けばよいのだし、鍋であっためればよいのだし、床は水拭きすればよい。
とくに、掃除機ってほんとに苦手です。
埃っぽいしやかましいし、めんどくさいし場所取るし、まぁいいことありません。

とくに、埃っぽいのがほんとに苦手なのは、小さいときから鼻炎持ちだったから。
昔はホウキで掃き掃除してから雑巾がけしてたけど、それすら辟易するようになり
いまではもっぱら「いきなり水ぶき」です。
それがいちばん、埃たてずに掃除する方法だと思います。

物理学のことはさっぱり分かりませんが、
エントロピーの概念だけは人一倍、切実によく分かります。
豊洲の土壌汚染から福島まで、たいがいの問題はつまりそこのところ。

ホーキング博士のさいごの宇宙理論が、なぜ既存の法則と矛盾しているか
ってことも感覚的に分かります。
感覚だけだけどね。
でもほんと、あれは鼻炎持ちや花粉症の人のほうがよく分かると思うわ。

話戻ると、
いまの部屋には、越してきたとき、やたらたくさん掃除用具があったのです。
掃除機なんか大小2台もあったし、ほかに箒にモップにちりとりとか・・・
色々あったけど、みんな古くて汚くて、見たとたんに全部捨てた。

そもそも9㎡の極狭部屋で、キッチン台やシャワー、衣裳だんすなど、
塞がっている部分を差し引いたら、掃除できる面積なんて正味6㎡かそこら。
しかも、前にはその狭いとこに机が3台も置かれていたのです。
(全部捨てましたけどね。)
それで掃除機2台って、おかしいわ・・・。

掃除機といえば、私どうも理解しがたいのが、
ダイソンのあの主張の激しいデザイン。
あのなんかガンダムの部品みたいな?
先日実家に帰ったら、そこにも突如出現していてのけぞりましたけど・・・

機能性を追及するとあのデザインになるんでしょうか。
あれでみんな家に置こうという気になるのは、
デザインをカバーして余りあるすばらしい実力ゆえなのかな。
(書きながら改めて気になり、ウィキペディアでダイソンの歴史を勉強。w)

さいきん思い至ったのは、私、ここまで掃除機が苦手なのは、
やっぱりネコだからなんじゃないだろうか。
赤瀬川源平さんなんかも書いてたような気がするけど、
ネコと掃除機って、昔から相性悪いらしいからなー。


















  

Posted by 中島迂生 at 21:13Comments(0)巴里日記2018-5月

2018年05月19日

創造の場はカオス。




以前つくばの部屋に飾っていた、後期カンディンスキーのガラス絵の切り抜き。
創造を生む美しきカオスのイメージって、こんな感じ。

カンディンスキーがどうだったかは知りませんが、
たとえばピカソなんかの大物アーティストたちの仕事場が
とっ散らかっていたっていうのは、有名な話です。
すっきり片づけると創造性を削がれるんじゃないか、と危惧する声もよく聞く。

私、それとってもよく分かります。
だいたい、何かが生まれてくるときは、混沌の中から生まれてきますからね。
つくってる最中は、片づけどころじゃありません。
私だって、劇団やっているときは片づけようなんて考えもしなかったし。
・・・大道具類に寝室を占拠されて、どうにも動きが取れなくなるまでは。

ものすごくすっきり片づいてて美しいのだけど、
どうもいまいち楽しくなさそうな部屋、ってたまにあります。
ここの住人、何が好きでどんな毎日を送ってるのかな、ってなんか見えてこない部屋。
なんかあんまり何も生まれてこなさそうな部屋。
それよりは、多少散らかっててもにぎやかな部屋がいい。

だから、何かを夢中になってつくってる人は、
片づけなんか考えなくていいと思う。
・・・ただ、混沌も度が過ぎるとかつての私のように、
どこに何があるか分からなくなって、穴あけパンチを3個も4個も
買い込むはめになりますから、そこはほどほどにね。

私の場合、片づけるタイプかそうでないタイプかってことじゃないと思うの。
季節によっていろいろ変わる。
片づけることにシフトしてる時期、「持たない」ことに重きを置いてる時期はすっきりしてるし、
「ストックする」「コレクションする」「記録を残す」ことにシフトしてる季節はごちゃごちゃする。
あとやはり、「何かをつくってる」時期ね。
昔から、それが数年周期できてる感じ。

いまの住まいはおかげさまでわりと片づいていますけど、
たいがい、部屋がすっきり片づいてる時期って、
はっきり言ってあんまり創造的じゃなくなってる時期なのです。
えぇ、残念ながら。

「アーティスト」と「片づけ」ってのは、
あんまり両立しないものなのかもね。

ただ、子供のころからわりと好き嫌いははっきりしていたし、
好きなおもちゃと義理で置いてるだけのおもちゃもはっきりしていた。
(昔のほうが義理堅かったな。
いまは、好きじゃないものはさっさと捨ててしまいますからねw)

とりわけお気に入りの<宝物>をまとめていたし
(ビー玉とか、色とりどりのプラスチックの宝石とか、きれいな石とかね)、
その中でもとくにどれが好きか、選んでみたり並べてみたりも好きだった。
もういいやっていうのはよくほかの子にあげてしまったり、後悔もほぼない。
だから好きなモノ基準で選んだり片づけたりする素質はあったと思う。

劇団やってると、とにかく演目ごとに、大道具小道具衣裳なんかが溜まっていく。
そしてそれらを収納するスペースは有限だ。
その問題にはやってた頃から気づいていて、道具類も、
デザインの時点から極力、使わないときは畳んでおけるように考えていた。

いまも収納を工夫することでおさめ、かなりのところは捨てずにとってある。
でも、それは根本的な解決にはならないわな。それも分かってはいた。
できるだけ、モノを増やさずに創作をつづけたい・・・
それが今後の大きな課題だ。

それもあって、いまは映像にシフトしたり、執筆に戻ったり、
いろいろと試行錯誤しているところ。













  

Posted by 中島迂生 at 21:23Comments(0)巴里日記2018-5月

2018年05月18日

買い物に行くときは




さいきんさいごにガッツリ買い物したのは、
こちらの、2016年夏、つくばにて。
楽しかったな~。全部いまでもお気に入り。
全部セールだし(時期的にどうしてもそうなる)、
バッグはリサイクルショップだけど。。

買い物に行くときは、スーパーへ行くときと同じように
買うものをリストアップしていくことが多い。

とくに服を買うときは、流されて妥協で買うことのないよう、
さいきんは、「こういうのがほしい!」というものを、
イラストで描いていきます。
素材なんかも限定で、色まで塗ったりして。

普段着にはだんぜん、着心地のよい天然素材。
色や柄の美しいプリント地はポリエステルなんかが多いですが、
残念ながら着心地はあんまりよくないので、
「お出かけ用」もしくは部屋に飾っておく「鑑賞用」として。

ふしぎなもので、ほしいものが具体的なほど、
ドンピシャ!なものが見つかる確率も高い気がする。
それは住まい探しや、仕事探しも同じみたい。
具体的な条件を絞り込むって大切。

あとは、何度でも根気強く試着できるよう、
歩きやすい靴、脱ぎ着しやすい服で行く。
あわせようと思ってる服や靴があったらそれを履いていくとか。

たま~に「ひと目ぼれ」っていうこともあります。
私は少なくともその日は帰り、少し考えてまた足を運ぶ。
最悪「鑑賞用」でもほしいと思えるか、というのが判断基準かな。
そうすれば、着心地が悪かったり、長いこと歩けなかったりして
身に着ける用は果たせなくてもOKと思えるから。



これ、実はワンピースなんですよね。
Pink Mix だったかな。
でっかいシャンデリアがどーんと下がってたりして、
妙にバブリーなショップの雰囲気もよい感じです。
これもひと目ぼれ。トップス部分のきれいな色合いが好き。
そもそも足が太くてぜんぜん似合わないのでw
おもに壁に飾って鑑賞用。



こちらの美しいブーツは、今年の冬のソルドで買ったもの。
パリで買うのは、2015年のソルド以来ですわ。
近所の店頭で、ひと目ぼれ。
といっても、1年半くらい前にすでにいちどひと目ぼれしてたみたい。
あとで確認したら、写真が残っていた。
(こちらでは、商品の写真とってもあんまり怒られません。)

フォルムの美しい靴ってたいてい痛くなるんだよね・・・と思いつつも、
履かせてもらって店の中を少し歩き回ったら、おや、意外にいける!
そんなに高くなかったし(30ユーロほど)、最悪「鑑賞用」で、と購入。
結果、意外にも駅まで行き来しても問題なく、
ふだん履きのワードローブの一員として活躍してくれています。












  

Posted by 中島迂生 at 19:50Comments(0)巴里日記2018-5月