2020年12月20日

高校の話 2020 もくじ

母校・竜ケ崎一高のこと、お世話になった先生方などについて綴ったこのシリーズは、けっこう読んでいただいているし、自分でも好き。
でもカテゴリとしてちょっと全体が見渡しづらいので、ここにまとめておこうと思います。まずは今年書いた分から。
おいおい、おととし書いた分についてもまとめようかと。。

2020/06/25
高校の話~8  地に足をつけて、星を見上げよ~
先日、偶然母校の会報を見ていて、英語のM先生が亡くなったことを知った。しかも半年以上前のこと。突然知って、ショックだった。なにあたし、今頃知ってるんだろう…私たちの学年では、英文法の担当だった。丁寧な分かりやすい授業だったと思うけど、雑談とか一切しない人で、正直、在学中はあまり強い印象…


2020/07/19
高校の話~9 ブルーの庭、自由の王国~
英語のK先生の庭のこと、さいしょに知ったのは、おととし。そのとき、先生、自分のパソコンのファイルを開いて、イギリス時代の色んな写真を見せてくれていた。さいごにファイルをぱちんと閉じると、そこに綺麗な庭の背景画像がぱっと広がった。ピンクの薔薇が一面に咲き乱れて、絵はがきのよう。ほかのどの写…


2020/07/20
高校の話~10  幸せでいてほしい。~
去年の夏、K先生に会いにいったときのこと。その彼の話は、ふとした会話から始まった。「…××扇風機の話はしたっけ?」「いいえ」「あれ、してなかった?」…そう言って先生は、その、ドラマでも有名になった、ちょっと独特な家電メーカーの話を長々と始めた。というか、いやそのドラマ、私も見てたから。…


2020/07/20
高校の話~11  聖職者たち~
人の本質を現すものって何だろう。何が好きか、何にやりがいを感じるか…。たしかにそう。でも、それだけでなく。何がこわいかってこともまた、もしかしたらそれ以上に、人の本質を現すものかもしれない。我々は、何がこわいだろうか。心の奥底で、何をほんとは恐れている?…もう、おととしの夏になる…


2020/07/28
高校の話~12 竜一リヴィジテッド~
他高で校長先生の任期を勤め上げたのち、O先生は母校の竜一高へ戻り、また国語の先生になった。18年ぶりの竜一だそう。そうなるだろうな、と実は思っていた。私も竜一は好きだけど、O先生ときたら、また桁が違う。卒業からしばらくたって、あのときは電話で話したのだっけ。いま○○高に移ったんだよ、と言…


2020/07/28
高校の話~13 甲の薬は乙の毒~
国語のO先生との、ノートをめぐるごたごたについてはこれまでも書いたところ。あの頃の私、ほんとに偏屈だったな、って笑ってたけど。高校時代の教材とかノートは、だいぶ厳選したけど、いまもわりととってある。去年、つくばに帰ったときに、棚の整理をしていて、そのノートを発見した。端から見返して、軽…


2020/07/28
高校の話~14 思い出はネコバスに乗って~
白幡台の上空には、たまにネコバスが出現するらしい。とくに風の強い日には。自転車置き場のうしろには大きなケヤキの木立があって、風が吹くとざわざわさわぐ。あの日、O先生が授業中に窓の外を眺めながら、「今日はネコバスがいっぱい飛んでますねー」と言ってこのかた。風が吹くたび、かなたの空をネ…


2020/08/03
高校の話~15 ○○りん名言録3選~
数学のK先生のところへ、去年も遊びにいった。校長先生を務めていた高校まで、パァーンとどこまでも広がる関東平野の田んぼの一本道。道も綺麗に整備されて、走るのがほんとに気持ちよい。途中で幅の広い橋をわたる。河がうねって地平に消える景色のかなた、えんえんと緑が重なって、はるか遠くまで。不本…


2020/08/03
高校の話~16 友達恐怖症~
おととし、数学のK先生と再会して、のっけからすごく驚いたのは、私のことをめちゃめちゃ正確に覚えてくれてたこと。K先生が担任だったことはないし、私、私立文系に行ってしまったから、数学は2年間しか教わっていないのに。出身中学から、1年のときのクラス、行った大学まで覚えていた。生徒、何百人もいたの…


2020/08/03
高校の話~17 私がキリスト教をやめた理由~
前の記事で、数学のK先生、いろいろと私のことを覚えてくれてたという話をしたけど、そのひとつ。思いもよらなかったけど、私がキリスト教徒だったことも、知ってくれていた。K先生と宗教について語る日が来ようとは。生物学者から転身して、牧師になったご友人がいらっしゃるそうです。色々と思うところが…


2020/08/03
高校の話~18 コロッケ鉄道~
これはおととしのこと。K先生と話していて、何の流れか、竜鉄の話になった。竜ケ崎鉄道=竜鉄は、佐貫駅と竜ケ崎市内を結ぶ、100年くらいの歴史のある単線鉄道だ。その昔はSLが走っていた。朝のラッシュ時でもようやく2両、ほかの時間は1両編成。100年前からそう変わらない田園のなかをのんびりと走る。高校…






















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Posted by 中島迂生 at 01:00Comments(0)高校の話 2020

2020年08月03日

高校の話~18 コロッケ鉄道~



これはおととしのこと。
K先生と話していて、何の流れか、竜鉄の話になった。
竜ケ崎鉄道=竜鉄は、佐貫駅と竜ケ崎市内を結ぶ、100年くらいの歴史のある単線鉄道だ。その昔はSLが走っていた。
朝のラッシュ時でもようやく2両、ほかの時間は1両編成。
100年前からそう変わらない田園のなかをのんびりと走る。
高校のとき、1年と、2年の前半まで、使っていたかな。
そのあとは、家からオール自転車にしてしまったので、使わなくなった。
竜ケ崎駅から竜一までけっこう歩くので、微妙にめんどくさいんだ。

「さいごに乗ったのいつだろうな、もうずーっと乗ってないな」
って言うと、K先生は言った。
「いま、吊革にコロッケがついてるんだよ」
…?! いやちょっと、イミが分からない。
「けっこう前から、竜ケ崎市では町おこしのためにコロッケを宣伝していて」
うん、それは知ってる。
「それで、竜鉄の吊革にもコロッケを」
…。 
えーと、ちょっと飛躍しすぎてない?
「どうやって、吊革にコロッケをつけるんですか?」
「蝋で造った、食品模型のコロッケをね。吊革の上のところに。
中に混じって、ハートもひとつあるんだ。でも、狭いからな。すぐ見つかっちゃうけどね」

…。なんだか色々とムリがある。
しかし、K先生はその吊革のコロッケのために熱弁を振るった。
「頑張ったんだよ! 前は1両だけだったんだけど、いまは2両ぜんぶについてるんだ」
そして、実は特注なのでかなり高価なものらしかった。
「へーえ。じゃぁこんど見てみますね」…

とは言ったものの、この話をしたのはその年、つくばでの滞在のさいごのほうで。
バタバタして時間がとれず、結局竜鉄には乗れなかった。
けど、K先生の熱弁があまりにも印象的だったので、こちらに戻ってから画像検索してみた。
そしたら、なんと! …ほんとに吊革にコロッケがついている!
爆笑してしまった。
コロッケとピンクのハート、このまったく異質な要素を強引に並べてしまう恐るべきセンス。
これ、次つくばに戻ったときには、ぜったい見に行こう!…



というわけで、数十年ぶりくらいに乗りにいったのが、去年のこと。
駅の近くのスーパーでパンを買って、ぶらぶら歩いて、乗りにいった。
電車がゆれるたびにいっせいに揺れる、吊革のコロッケ。
…シュール…。
まばらな人影。
誰もが、どうということもなく普通の顔して乗っていて、笑わずにいられるのがフシギ。

乗り物に乗ると、つい特等席の、いちばん前かいちばん後ろに陣取って、ガラスいっぱいに景色が広がるのを楽しみたくなる。
夏の田園。
むかしと全然、変わらない。
路線を横切ってちょいちょい現れる、ミニチュアのように小さな踏切。
みどりの野に、時折ぽっつりと、線路ぎわの百日紅があざやか。…

10分足らずで竜ケ崎に着いて、ぶらっと駅のまわりを歩いてみた。
歩道橋も取り払われて、ぽっかりと、何もない。
次の電車を待って、カフカやジェームズ・ヒルトンを立ち読みしていた本屋も、なくなってしまっていた。

何もすることがないので、駅舎の椅子に座って買ってきたパンをかじり、次の電車で帰ってきた。
そういえば、コロッケパンだった気がする。



景色も変わってなくてよかったし、吊革のコロッケも、見られて満足。
しかし、駅まわりのあまりに何もなさが、気になった。
あと、今走ってる車両、竜をアニメ化したキャラクターが描かれているんだけど、あれ、どうも。
まわりの景色と、あまりにちぐはぐ。

車庫に、前世代のレトロなやつが待機していたけど、あっちのほうがいいな。
クリーム色とオレンジの、たぶんキハ532っていうタイプ。

撮った動画を眺めているうち、いろいろと、妄想が膨らんでくる。
いっそのこと、昔のSLみたいに真っ黒に塗っちゃったら、かっこよくないですか。
「ななつ星」みたいな感じで。

少し離れた市の歴史民俗資料館の敷地に、昔竜鉄を走っていたSLが展示してあるんだけど。
どうせならあれ、駅舎の近くにもってきたらいいのに。
竜鉄に乗る人が、待ってる間、楽しめるように。
どう考えてもあれ以上にかっこいい造形は、もう生まれないだろう。
そして、駅舎の一画に<竜鉄カフェ>とかをつくって、
壁には昔の竜鉄の写真を年代順にならべて展示したら。
コーヒーを飲んでひと休みできて、ついでに竜鉄の歴史も学べて。
できればそこでコロッケも食べられて、コロッケパンやコロッケカレーも食べられるといいな。

ちょっと待って、どこかでそういう場所、見た気がする。
…北ウェールズのスノウドンだ。
山のふもとにスノウドン・カフェていうのがあって、コーヒーやお菓子をつまんでひと休みしながら、壁にぐるっと並べられた昔の鉄道やいろいろ、地元の歴史を概観できるようになっていた。
フラップジャック、買ったっけ。シリアルやナッツを蜂蜜で固めたバー。
…そういうのが竜鉄にもあったら楽しいだろうな。
サザコーヒーさんとか、入ってくれないかしら。

コロッケパンは、ぜひとも<竜鉄カフェ>のメニューに加えてほしい。
コロッケクッペでもなく、コロッケサンドでもなく、コロッケパンね。

コロッケクッペは、コッペパンを切ってレタスや何かといっしょにコロッケをはさんだものだけど、個人的にはあのマーガリンが苦手。
だいたい、揚げ物を挟むのだから、さらに油を塗りつけなくていいだろう。
まずレタスとコロッケをいったん取りのけて、パンの切れ目に塗られたマーガリンをこそげ取らなきゃいけないので、手間がかかる。
お皿とナイフが必要になるので、外では無理だし。
しかも、そこまでしてもどうしてもマーガリンの匂いが少し残るし。

コロッケパンは、まったくの別物だ。
揚げたコロッケにソースをかけて、それをパン生地で巻いて、てっぺんにマヨネーズをのせて、こんがりと焼き上げたもの。
両端から少し、コロッケが顔を出している。
焼き上げる過程でパンとコロッケが一体化し、ソースの水分が飛んで、味と甘みがぎゅっと濃縮される。
軽くこげめのついたマヨネーズのトッピングもいいアクセント。
仕上げにパセリを少しふってある。



コロッケパンの原体験は、小さいころ住んでたつくばの近所のパン屋さん<ピーターパン>だったと思う。
コロッケパンとグラタンパンがあって、両方とも大好き。
コロッケパンの方は、スーパーの中に入ってるパン屋さんでもほぼ同じものが売ってるので、つくばに戻ると必ず買う。

コロッケもパンもフランス発祥のはずなんだけど、こういう日本式のコロッケパンは、こっちではまず見ない。
日本人街に、日本人のやってる日本式パン屋さんがあるんだけど、そこでも見ない。

気になって<コロッケパン>で検索してみたら、なんと。…
ウィキペディアには、「パンの間にコロッケを挟んだ調理パンのこと」って、堂々と書かれていた。
写真も、コロッケパンじゃなく、コロッケクッペだ。
えっ。…いや、それ、違うから!挟んじゃダメでしょう、挟んじゃ。…
なんと、正しいコロッケパンは、そこに影もかたちもなかった。

ショックすぎて、コトバもない。
世の中、かくも不正がまかり通っているのだ。
正しいコロッケパンは、私の育ったつくば近辺でしか、知られていないのかもしれない。

…だがまぁしかし、あんまり言うと、戦争が勃発するから、やめておく。
とりあえず、がんばれコロッケ鉄道。





















  

Posted by 中島迂生 at 19:52Comments(0)高校の話 2020

2020年08月03日

高校の話~17 私がキリスト教をやめた理由~



前の記事で、数学のK先生、いろいろと私のことを覚えてくれてたという話をしたけど、そのひとつ。
思いもよらなかったけど、私がキリスト教徒だったことも、知ってくれていた。
K先生と宗教について語る日が来ようとは。

生物学者から転身して、牧師になったご友人がいらっしゃるそうです。
色々と思うところがあって、学者をやめて牧師になったのだが、こんどは教理上、科学とそぐわない部分が気になって、悩みは尽きないらしい。
面白い人だなぁ。いつか話してみたい。

片や私は逆のパターンで、キリスト教徒をやめてアートに生きる道を選びましたが、おかげさまで、この方のような悩みとは無縁です。
うーん。
キリスト教をやめた人間の精神性って、やっぱりけっこう独特だと思うんですよ。
人によるのかもしれないけど。

私の場合は、いまでも特に、聖書と科学とが矛盾するとは思わない。
それは、必ずしも生物学の専門知識がないからってわけではないんだ。
我々の宗派は、「アミノ酸配列がどーのこーの」とか、けっこう細かいところまで勉強するんですよ。
そのうえで、科学はむしろ創造説を支持していると思う。

たとえば分かりやすいのは、神がどんな順番で地球上の色んな生き物を創っていったかというのが創世記に書いてあるんだけど、地層を掘って出てくる化石の順番って、それとぴったり一致するんですって。
けっこう、説得力ないですか。
正直、進化論とか、「宇宙のすべては無から生まれた」とかのほうが、よっぽど荒唐無稽だと思うわ。
やめたからって、そんな急に進化論なんか信じられませんって。

じっさい、世の大方のひとも、進化論をそう積極的に「信じてる」って感じではないと思うの。
なんとなくそれが前提となっていて。
とくに異論もなく生きてる。

そもそも、なんで世間の大方の人々は、進化論にとくに異論を唱えないんでしょうか。
自分でいろいろ専門書を読んだり、地層を掘り返してみたり、炭素測定法とかを試してみたあげく、結論として信じてるわけじゃないと思うんですよ。
世間一般でそういうことになっていて、受け入れても自分の日常生活に特に差支えもないから、ではないでしょうか。
仮に中世に逆戻りして、「進化論信じたら殺すぞ!」って脅されたら、みんなあっさり捨てると思うの。

神の存在というのも、私がそれを信じるか信じないかとは、あんまり関係ないものです。
たとえば明日も日が昇ることを「私は信じない!」と言い張ったところで、まぁたいがい、日は昇るでしょうよ。
地球上の人間すべてが「信じない!」と言い張っても、やっぱり日は昇るでしょう。
そういうものです。

だからいまも、重力の法則を信じるかっていうレベルで神の存在を信じるかって聞かれたら、そりゃまあ、信じてはいますよ。
だけど、信じるだけなら、悪魔だって神の存在を信じていますからね。
そこに、とくべつ意味はないです。

***

当時私が悩んでいたのは、どっちかっていうと、古代イスラエル史における環境決定論的な問題、ポリティカル・コレクトネス的な問題だった。

人の命の扱われ方が、どうもあまりに行き当たりばったりで、一貫性がないように思われて。
いろいろ調べれば調べるほど、ますます疑問は大きくなった。
でも、当時は、そんなことをまわりに相談できるような空気じゃなかったんだ。
そんなこと、とてもとても。

ミヒャエル・ハネケの<白いリボン>を見たとき、ぞっとした。
私、ここにいたわ、って思った。
私が当時いた会衆、まさにああいう雰囲気だった。
まだ子供だったけど、当時会衆を牛耳っていたクソジジイに自分のそんな悩みを打ち明けないだけの分別はもっていた。

そこで、もっと偉い人が巡回してくるまで待っていて、そしてそのことを相談してみたの。
そしたらまぁ、色々もっともらしいことを言われたんだけど、さいごにこう言われたんだ。
アナタのそういうたぐいの疑問は人をつまずかせるから、あんまり他のひとには言わないようにって。

…お前もか、って感じだった。
分かってますよそんなこと!!
だからアナタが来るまで待ってたんじゃないの。
そんなこと言わずにいられないほど、この人は私を信じていないのか。…

結局、大学に入ってからやっと、自分がそれまで考えていた同じようなことを考えている本たちに出会った。
ジョージ・シュタイナーの The Portage to San Cristobal of A. H. とかね。たとえば。
それで、それまでに自分が考えてきたこと、思い悩んできたことすべて、最終的に、卒論にぶちこんだのです。

(興味ある方は、こちらどうぞ。でも、あんまり面白くはないと思うよ。)

***

あの頃、高校生やりながらキリスト教もやるって、けっこうきつかった。
週に3回、集会があって、こればかりは「私、予習はしない主義なんで」ってわけにいかない。
めっちゃ時間とエネルギーを食う。
週に一度か二度は、伝道にも行かなきゃいけないし。
自由になる時間のほとんどを、持っていかれた。

キリスト教って、それ自体が、すごくラディカルな思想なんです。
とくにうちの宗派がってことではなく、本来それ自体がね。
聖書を読めば、それは自明。
マイルドに見えてるとすれば、それは人間が薄めているだけのこと。

とにかく極端に、要求が大きすぎる。
片手間にやれるものじゃない。
求められるのは、献身だ。
魂の全体をそっくり丸ごと、ぜんぶ差し出すことを要求される。
さいごのひとかけらまで。
ひとかけたりとも、自分の手には残らない。
息の根も、止められそう。
それで、24時間、毎日毎日、土日も祝日もなく毎日、死ぬまで体を張って、キリスト教の宣伝搭でいなくちゃいけない。

最悪なのは、例の、キリスト教最大の掟というやつ。
「思いを尽くし、力を尽くし、魂を尽くして神を愛せ」
…あと一つくらい何か尽くすものがあったような気がするけど、まぁいいや。

私の場合、結局、そこだった。
いちばん中核の、核心だった。

愛せって命令してくるような相手を、一体どうやって愛せる?
献身なんて途方もないことを要求してくる相手を、どうやって愛したらいい?…

***

神にとってはただそういう人間だけが意味があって、あとはぜんぶ排除。
「あれか、これか」なんです。
中途半端は許されない。

だがじっさい、そこまでの根性はないけど、きっぱり捨てるだけの勇気もない、って人はたくさんいる。
あたりまえだ。
で、まじめな人ほど思い悩んで、うつ病になってしまったりする。
とくに、自ら選んでそういう家庭に生まれてきたわけではないいわゆる<二世>に、そういう人は多い。

年端もいかない頃から、そんなキツイ選択を、突きつけられて育って。
そこしか知らないから、逃げ場もない。
生きていくのが辛くなってしまったとしても、ふしぎじゃない。

そしてね、あえて言うとするなら。
そういう子たちが何とか死を選ばずに踏みとどまってるとしても、
それは、しかるべきときに助けを得られたから、ではないかもしれない。

では、それ以外の理由って?
たとえば、ひとつには、キリスト教では自殺を禁じているから。
あるいは、自殺なんかしたら組織に非難が及ぶから。

もちろん、本人にとっては、何の助けにもならない理由だ、そんなの。
死ぬほど苦しいのにそれでも生きなきゃいけないって、
死ぬよりもっと苦しいだろう。

だったらさっさとやめろ!って話ではある、もちろん。
でも、キリスト教をやめるって、思いのほか、大変なんだ。
なんだろ、室内飼いで育ったネコが、いきなり外に出て野良猫としてやってくみたいなもの。
遮断されて、育ってるからね。
いまから、あえてそっちを選ぶとなると。
環境も価値観もまるでがらっと違うし、あらゆる場面で適応異常を起こして、自分の根底が揺らぐ。
なにかとてつもない、生身の人間には耐えがたい、次元の乖離を感じるんだ。

さいきん知ったけど、二世会みたいの、あるらしい。
そうやってトラウマを負った人たちが、傷を舐めあ…いや失礼、お互いを支えあう、みたいな。
まぁ、そういうものが生まれるのも分かるし、それで救われてる人たちもいるのだろうな。

でも、個人的には思うの。
どうせ生きるなら、パキッと生きないと。
キライなものはキライでいい、逃げ出して全然いいんだけど、逃げるなら後ろを振り返らない、キッパリあとにしないとダメ。
ふり返ったらいつまででもつきまとわれる。
前に何が待ち受けていても、もう、後ろを見ちゃダメ。
そして、逃げ出したことで身に受けるどんなことも引き受けていかなくては。
「あれか、これか」なのだ。
どっちかにしないと。

***

たとえば、いま先生たちが、生徒のカウンセリングをしているなんて話を聞くと、いいなー、羨ましいなと思うけれど。
仮に当時、先生たちに相談できたとして、私はそんな話をしただろうか?

だいいち、先生たち含めて、会衆の輪の中以外はぜんぶ、「に対して看板を掲げておかなきゃならない、外の世界」だったし。
それにじっさい、「古代イスラエル史における環境決定論の問題で悩んでいるんです」とか、「神を愛せない」とか打ち明けたところで、先生たち、困ったんじゃないかと思うの。
たぶん、ふだんそんな問題意識ないじゃないですか。
当たり前だけど。
そんな、自分のふだんの思考領域の外のことを相談されてもね。

というかむしろ、当時は先生たち見ていて、忙しそうだな、大変だな、と思っていたからな。
自分の問題に巻き込んで、先生たちの仕事を増やそうなんて考えもしなかった。

***

あの頃、私と聖書の勉強をしてくれていたクラスメートもいて、そういう人たちがこれを読んでたらまことに申し訳ないのですが。
もし、その中でいまキリスト教徒になってる人がいたら、あの時点ではあなたに届けるために、私がパイプとして、神の器として用いられていた、と考えてほしい。
じっさいそうだと思うし。

私が結局キリスト教をやめたのは、それが「間違ってるから」じゃない。
当時だってそれが「正しい」ことに異存はなかったし、何なら今だってありませんさ。
私はどうしても「好きじゃない」から、イヤだったからやめたのです。

「正しい」ことだから「やらなくちゃいけない」と思ってやっていた。
そう教え込まれてきた。
けど、ほんとのほんとは、さいしょからキライだった。
2歳くらいのころ、はじめてキリスト教徒がうちにやってきたその頃から。
うわっ、なんかイヤなものがうちの中に入ってきたな、って、本能的に思った。
それから長いこと、軋みあいのなかでずいぶんと頑張ったけど。
結局、ここまでキライなことを、一生続けることはできないと思ったの。
この世を救うものがキリスト教のほかに何もないとしても。
それでも、やっぱり。

今でも宗教の話をあまりしないのは、捨てた罪悪感からじゃない。
ただただ、「好きじゃない」から。
牛乳とか納豆とかが、話題に上るだけでも我慢できないように、キリスト教もそうなんです、私にとっては。

だからほんとはこの記事も、正直、あんまり筆が進まないんだ。
でも、このブログを読む人にはこういうところまで含めて私のことを知ってほしいから、こうして書いている。

K先生みたいな、ニュートラルな立場の人とこういう話をするのはいいんだ。
むしろ楽しい。
でも、同じ宗派のキリスト教徒とはもう、話したくない。
隙あらば引っぱり戻そうとするからイヤ。

今でも何年かに一度、夢を見るんだ。
とっくの昔にやめたはずなのに、なぜかまたキリスト教の集会に出ていたり、伝道に出ていたりする夢。
そのたびに、あれ、何で私またこれやってるんだろう、って。
そのたびに、その場で私、もうやめますって宣言する。
そのたびにまた、家族とかコミュニティーの色んな人たちを巻き込んで大騒ぎになって。

で、目が覚めて、あれ、夢だったんだ、ってなる。
なんだ私、またよけいなエネルギー使っちゃった。
ふーっ、疲れた! ってなる。
それでもやっぱり、何度でも、戦わないわけにはいかない。
どうせ夢なんだから、覚めるまで適当にやってよう、とは思わないんだ。
だってイヤなんだもの。
もうこれ以上、1秒だってそんなことやっていたくないんだもの。





















  

Posted by 中島迂生 at 19:32Comments(0)高校の話 2020