2008年09月02日
詩人W.B. イェイツについて
こちらも、おもに団員の方々向けの記事です。
皆さま、こんばんは。ひきつづき、今日は以下の話題をお届けしたいと思います。
よろしければおつきあいくださいませ。
W.B.イェイツという詩人について
アイルランドは芸術の香り高い国で、とくに文芸・音楽の面で秀でています。
北海道くらいの面積と人口しかない小さな国なのに、ノーベル文学賞受賞者が今までに4人います。
ウィリアム・バトラー・イェイツ、ジェイムズ・ジョイス、サミュエル・ベケット、シェイマス・ヒーニー。
わが劇団にとって、とくに重要なのがこのイェイツ(1865~1939)。
アイルランド独立運動の激動の時代に生きた詩人・文筆家で、アイルランド演劇の確立に力を尽くし、自分でも脚本を書いて上演した人です。
この人の生涯じたいとても興味深いですし、わが劇団の方向性は多分にこの人のやり方を参考にしている部分が多いので、少しかじっておかれるとより楽しいのではないかと思います。
たくさんの仕事を成してきた人ですが、はじめにお断りしておきますと、私はこの詩人をそれほど盲目的に崇拝しているというわけではありません。評伝などいろいろ見ていくと、人間的に必ずしも尊敬できない部分も多々あります。
ただ、「この人の成し遂げてきたことは、自分がやろうとしていることにとても近い」という感じがあるのです。なんか、「他人とは思えない」というか。
ではどういう点で、と言いますと、その最大の点は、「大地の声に心から耳を傾け、それを汲み取ろうとしている」というところでしょうか。
彼は、アイルランドの草深い田舎をまわって老人たちの話をきき、古い民話や伝説を採取してまとめたりしていた人です。
そして、自分自身の泉も同じ源から出ていることを公言している。
「私と農夫たちの信仰を区別・・・したりしないように心がけた。」<ケルトの薄明>
この国で田舎をまわって採話などしていたのは、この人がさいしょではありません。
この人より前にはクロフトン・クローカーやダグラス・ハイドといった人たちが同じような仕事を残していて、イェイツは彼らの仕事を編纂して出したりしています。
さらに言えば、そういう気運というのは、そうですねとくに18世紀くらいから、ヨーロッパの各地に起こってきていたようです。
そのころというのは結局、近代文明が台頭してきて、汽車ができて電気が発明されてものが工場で大量生産されるようになって、それまでの社会(その大部分は農村社会だったわけですが)のあり方が根底からがらっと崩されていった時期だったのですね。大変化の波に押し流されて、人びとの暮らしにそれまで根づいていた意識や感覚や、色んなものが忘れ去られ捨てられていった。
民話や伝説など、その代表だったのでしょう。それで心ある人びとはそのような状態を危惧して、消えてしまう前に集めておかなければと立ち上がったわけです。
私の知っているなかでは、フランスではジョルジュ・サンドがいます。
<愛の妖精>など想像力豊かな創作作品が有名ですが、実は地方に伝わる民話や伝説など聞き書きしてまとめたりもしているのです。それに息子のモーリス・サンドが素晴らしい挿絵を(モノクロの、ギュスターヴ・ドレ調の)つけて、日本語訳ではたしか<フランス田園伝説集>というタイトルで、岩波の赤帯で出ています。
私は14のときにこの本に出会い、以来ずっと愛読していました。
イェイツを読み始めたのはずっとあとになってからで、<ケルトの薄明>がさいしょだったのですが、なんかぜんぜん、はじめて読む気がしなかったのです。
水のように、あまりにもしっくりきて。
あとから考えたら、このサンドの著作と、アプローチの仕方が非常に似ているんですね。そのせいかもしれません。
あと、最近知ったのですが、ドイツではハイネが同じような仕事をしているんですね。
こういうのはほかにも探せばいくらでも出てくるだろうと思います。
ただ、アイルランドの場合は当時イギリスの植民地でしたから、文芸における民族復興運動みたいな側面があって、こうして古い民話や伝説をまとめることによって人々のルーツを思い出させ、愛国心を高揚させて独立運動へ駆り立ててゆく、という目的もあったようです。
でも、ことイェイツについて言えば、彼を動かしていたいちばん大きな力というのは結局のところ、こうしたものに対する純粋な関心であり愛着であったと思います。
彼自身、スライゴーの豊かな自然の中で神秘に触れて育ち、片や毎晩乳母にお話をしてもらってたぐいまれな想像力を培ってきたような人ですから。
農民や漁夫たちの素朴な信仰、妖精譚や幽霊の話やいろいろの不思議な言い伝え・・・ そういうものが自分の源、自分をつくってくれたもの、という強い意識があったのでしょう。
民話の編纂にしろ、彼自身の著作にしろ、評論にしろ、戯曲にしろ、その底流にはつねに同じトーンが響いている。
文学でも音楽でも芸術全般において、ひとにものを生み出させる、そのひとを超えた力。
フォークロア的なもの、歴史的文化的言語学的伝統、ユングの言葉でいえば集合的無意識、あるいはまた風土景観的要素、ゲニウス・ロキ、地霊、つまるところは大地そのもの。
そういう、個を超える「より大きなもの」へのリスペクト。
アーティストひとりひとりはなにものでもないのだという素直さ謙虚さ。
健全な意味でのアンチ個人主義、アンチ近代主義。
彼の姿勢にはつねにそういうところがあって、そこのところに私はいちばん共感するのです。
もっともこういうのは彼ひとりではないけれど。
私の好きな作家たち(山ほどいますが)には多かれ少なかれ、みなこういうところがある気がします。
私自身長年ものを書いてきて、とりわけ当地アイルランドでかくも偉大なインスピレーションを与えられた後では、こうしたことの真実さが骨身にしみて分かるのです。
ワタクシは何ものでもありません。
ワタクシは器にすぎない。
大地が語って聞かせてくれた物語を、ただ人間のコトバに紡いでゆくだけ。
人間の無力さ、我々がいかに大地にすべてを負っているか。
現代人が忘れていて、思い出そうとしている感覚。
結局こうした感覚の欠如ゆえに、現代人の精神的不均衡とかいろいろの社会問題だとかひいては環境問題だとか、が生み出されてきたのではないだろうか。
こういうお話、ぴんと来ない方は、どうぞとりあえずスルーしといてください。
別に劇団活動を楽しむのにさしさわりはありませんので。
でももしもいつかそのうち、こういう気分を分かち合えるようになれたらうれしいな、と。
イェイツについて語りだすとエンドレスになってしまうので、とりあえずはこのへんで。
またどこかに書くと思いますが。
イェイツの文筆作品
○世界の怪奇民話8 イェイツ 編 西山清 訳 評論社
彼の編纂になる民話集。のちに戯曲に書き改められた<キャサリン伯爵夫人>等も収録。
○ケルト妖精物語 Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry, 1888
○ケルト幻想物語 Irish Fairy Tales, 1892
イェイツの先駆者たち、クロフトン・クローカーやダグラス・ハイドといった人々が収集・再話したアイルランドの詩・民話等をイェイツが編纂しまとめたもの。
○ケルトの薄明 The Celtic Twilight - Myth, Fantasy and Folklore, 1893
イェイツ自身が採集した民話等+イェイツ自身の文章。
上記3冊、いずれも 井村君江 訳 ちくま文庫
○神秘の薔薇 The Secret Rose
井村君江+大久保直幹 訳 国書刊行会 (世界幻想文学大系24)
<ケルトの薄明(抄)>、「神秘の薔薇」「錬金術の薔薇」収録
また、この後ろの方の大久保氏による<人と作品>という章で、イェイツの生涯がわりと分かりやすく、簡潔にまとめられています。
○筑摩世界文學体系71 イェイツ エリオット オーデン
平井正穂・高松雄一 編
おもな詩作品、日本の能の形式を意識して書かれた<鷹の井戸>を含む戯曲、評論、文学論、ノーベル文学賞受賞講演にもとづく<アイルランドの演劇運動>等所収
○WB Yeats - A Biography with Selected Poems
Andrew Lambirth, Brockhampton Press, 1999
たいへん的確で読みやすい評伝だと思います。
アイルランドの田舎を描いた素晴らしい油絵が随所に添えられて、装丁も美的センスにあふれてすばらしい。
私はこの本にさいしょイニシュ・ボフィンという最果ての島で出会い、そのあとエニスに戻ってきたときに書店で見つけて買い求めました。(そう、<エニスの修道士>のエニスです。)
アマゾンとかで入手できるかも。今のところ日本語訳は出ていないようです。
版権とかの問題さえなければ、私、これ、訳したい。
この本の巻末に Selected Further Reading というページを見つけたので、いちおう転記してみます。
○The Complete Works of WB Yeats
(especially Collected Poems and Autobiographies)
○ WB Yeats by Michael MacLiammoir and Eavan Boland (London, 1971)
○ Yeats: The Man and the Masks by Richard Ellmann (London, 1979)
○ WB Yeats: A Life by Stephen Coote (London, 1997)
○ WB Yeats: The Man and the Milieu by Keith Alldritt (London, 1997)
以上。
中島迂生