2018年05月06日

雑貨もやっぱり白がいい


服、食器、インテリアと来ましたので、こちらに住んでからの
雑貨たちとのつきあいについても少し、まとめておこうと思います。
これらについても、そんな手厳しい条件を設けてるつもりはないのですがねぇ・・・
ほんとにほしい、使いたいものを手に入れるって、つくづく難しい。



*ノート

この国で売ってるノートは、100%、こまかいマス目が入ってます。
およそパリじゅうのあらゆる文具店を見て歩きましたが、マス目の入ってないものはない。
どんなノートもマス目からは逃げられません。
極小サイズのメモ用紙みたいのですら入ってやがる。

私、このマス目がほんとに苦手です。
邪魔で目障りで書きづらい!!
あんなのが目の前にあるとなんにも考えられません。
ノートにあんなマス目を印刷するなんて頭おかしいんじゃないかと思います。
つねに視界に金網張られてるのと同じことです。

探しまくって辿りついた代用品が、便箋。
これだけはなぜか、マス目なしのまっさらがスタンダードみたいです。
それで、講義のノートを取ったり、色々書くのに使っています。
たまにはじっさい便箋としても使います。




*壁掛け時計

これがいまの部屋の、初代壁掛け時計です。
船室の窓みたいなこういう丸い白い時計を、2年くらい探したかな。
ついに近所の金物屋さんで見つけたものの、行く度に休憩中で店が閉まっていたり、
カードで払おうとしたら現金じゃないとだめだったりして、3回くらい足を運ぶ羽目に。
時計ひとつ買うにも楽じゃないのです・・・。

そして・・・とっても気に入っていたのですがねえ。
買って1年もしないうち、しょっちゅう止まるようになってしまった。
デザインはほんとにいいのですが、やっぱり時計である以上、動いてくれないと困ります。。
そこで仕方なく買い換えることに。

新しく迎えたのは、円形でもふちが丸みを帯びてなくて、かっちりしたデザイン。
アルミ製で銀色だったのを、上からペンキで白く塗った。
アルミってペンキがうまく乗らなくて、塗りづらいのですよ(出た、強硬手段w)
針も銀色で、ぴかぴか反射してしまい見づらかったのでここは黒に。
文字盤の数字のフォントもいまいち気に入らず、修正液でつぶして手直し。(そこまでやるか・・・)

この部屋に迎え入れるためにカスタマイズ、時間もエネルギーもかかりました。
でもこの子はおかげさまで、元気に動いてくれています。




ちょっと分かりづらいですが、壁沿いにおいたテレビ、手前は白くペイントしたノートPC、そのとなりが
もう少し大きなパソコン。これはつくばの家のようす。



こちらがもともと黒のミニノートPC、上の写真の手前と同じもの。キーボードまでペイントしています。
フランス語を打つにはさすがにこっちのほうがやりやすいので、レポートなどはこれで。

*パソコン

パソコンやタブレットも、いまは白がいちばん人気らしい。
それはそうでしょ、と思います。
でも、私の印象では、じっさい店頭なんかでも全体が白のものはあまりない。
せっかく白なのになぜかキーボード部分だけ黒だったり。

私のも、いまのところほかの色んな機能との折り合いがつかず、結局シルバーやブラック。
いちど、こちらで間に合わせに買った小さな黒のノートパソコンを、
白のペンキで塗ってみた。
細かい作業ですがキーボードまで、細い隙間に垂れないよう注意してペイント。
「そこまで!」って人には笑われましたが、私にしてみれば、
「次こそは白がほしかったのに、結局また黒かよ!」って、心底頭にきていたのです。

けっこう満足できる仕上がりだったのですがねぇ、
日本へ行き来するとき、バッグに入れて持ち歩いていたら四隅のところがこすれ、
ペンキがはげてあまり美しくない状態になってしまい。
ふうー・・・ また塗りなおすのめんどくさい・・・
やっぱりパソコンにペンキはやめたほうがいい、と悟ったことでした。

あと、同じくらい気になるのが、パソコンやテレビの液晶モニター。
電源切ると、なんであんなブラックホールみたいに真っ黒になるのでしょう?
あれはほんとにやめてほしい。
せっかく家具を白で統一しても、あの真っ黒いどーんという存在感でぶち壊し。

私、あれがほんとにだめです。
パソコンはシャットダウンが完了した瞬間にパタッと閉じるし、
テレビはスイッチ切った瞬間に白いレースのカバーをかけます。
みんなどうしてあれをガマンしてられるのだろう?
インテリアの写真なんかでも、テレビの黒いモニターがそのまま剥き出しになってたりするの、信じられない。

白のモニターってできないものかな?
みんなあればほしいに違いないと思うの、電源切った状態が白いモニター。
絶対探せばあるに違いないと思って検索しまくってみたことがあるのだけど、そのときは見つからなかった。
早く誰か、開発してくれないかしら・・・。



*フェイスタオル&バスタオル

旅行に行くときは、荷物最低限にしたいので、フェイスタオルを1枚だけもっていきます。
たいがいの場合それで何とかなる。
パリに住み始めたときも、そんなノリで、白のフェイスタオル1枚だけ。
タオルくらいその辺に売ってるでしょ、と思ったが・・・

これが思いのほか、ない。
まず白のタオルそのものがなかなかないし、あっても、
なんか硬くてごわごわしたのばかり。
こんなんで顔拭きたくない・・・洗ったあとも乾きづらそうだし。

そんなこんなで、見送りつづけ・・・
結局さいしょの1年くらい、持っていったタオル1枚で乗り切ったかな。
あれはさすがに、ちょっときつかった。
そのあとは、ニトリで白のフェイスタオル、買い足しては持ってきてる。
薄手でやわらかく、軽やか。やはりタオルは、こうでなくては!

今では充分な数がそろったので、色んな用途に使います。
手も拭くし、枕カバーとしても使うし、なんなら椅子のカバーにも。

バスタオルはなかなか大きな問題です。
まぁ、なくても生きていけるよね、と思っていて
パリでは3年間、なしで暮らした。とくに不便でもない。
でも、つくばに戻ったとき久しぶりに使うと、やっぱり便利だな、と思う。
お風呂上りにぱっと体に巻いて、そのままウロウロできるのがいいですよね。

つくばの家にはバスタオルが3枚くらいあったのだけど、
3枚もここにいらないよね、と思い、ちょうどバッグに余裕もあったので、
そのうちの1枚を、4年目にしてこちらに持ってきた。
で、あるとやっぱり便利です。

ただ、バスタオルの問題はね。
バスタオルに限らず、フェイスタオルとかでもそうだけど、
タオル類ってどうも、いただく機会が多いのですよね。
で、自分で選んだのではないから色つきだったり、柄物だったりする。
使ったあとは壁に掛けておいたりするわけだけど、
とくにバスタオルだと面積が大きいので、部屋の中で放つインパクトもなかなかのもの。
嫌いな色じゃなくても、そこにどーんとあると、ときにはうーん・・・と思ってしまう。




*ホチキス&穴あけパンチ

日本だと、圧倒的に青系のが多い気がします。
つくばの家にたまってた彼らもぜんぶ青だった。
フランスでもスーパーなんかの文具コーナーに普通に売ってますが、
なにしろセンスのないうるさい色で、武骨でスマートさのかけらもないやつが多い。

さんざん探したすえ、郊外の量販店でなかなかいいのを見つけました。
小ぶりで無駄のないデザイン、色も半透明の無印良品っぽいもの。
そこでホチキスとパンチとふたつあわせて買ってきたのですが・・・
パンチのほうは、使ってみたら片方の穴がうまく開かない。
パンチの用をなしません。さすがフランス・クオリティー・・・ そう来たか・・・ 
っていうか、そこまで買う前に疑ってかからなきゃいけないのか・・・(切実)

結局パンチのほうは手放し、
たまっていく書類はもう整理して綴じたりせず、いらなくなったら
片っ端から捨てていく方向へシフト。
結果オーライ! ・・・なのか?・・・

*室内履き

白の畳スリッパが理想です。まぁ、真冬以外は。
何年も前にその理想の一足を見つけて、つくばではいまも愛用中。
でも、それ以来またと出会わないのです。
さすがに汚れてすり減ってきて、スペアもほしいし、こちらでも使いたいのですが。

白のスリッパがそもそもあまりないです。
で、畳スリッパがあっても、たいがい色もの、柄ものでねー。
さすがにスリッパですから、ペンキで塗っちゃえっていうわけにもいかないし。
売ってればほしい人はいっぱいいると思うのだけどなぁ。

こちらでも探しつづけたすえ、諦めて、
いまでは手持ちのサンダルを畳ソールにリメイクする術を身につけました。
ほしいものは自分で作るしかない。
とはいえ、ここまでやるようになるとは自分でも思ってなかったけれど。。

*ゴミ箱

こちらもさんざん、真っ白で無口なデザインのものを探しつづけた末、
諦めて、扉で隠れる、シンク下のスペースに、
直接ビニール袋を広げておく方法に落ち着きました。
結果、これも持ってるべきだというのは単なる思い込みに過ぎず、
なくても問題なく生きていけることが分かりました。
めでたしめでたし。

そんなこんな、トライアル&エラーを繰り返しては、
創意工夫を凝らしつつ送る日々です。・・・












  

Posted by 中島迂生 at 09:25Comments(0)巴里日記2018-5月

2018年05月07日

言語化することの力




やっと明るい、気持ちのいい季節になりました!・・・
北向きの部屋では、おもては眩しいくらいがちょうどいい。

少し前に、ボディ部分にあまり美しくないロゴの入ったワイングラスのことを書きました。
いまの部屋に、越してきたときからもともとあったもの。
そのひとつを流しのところに置いて、水飲んだりうがいするときにも使っていた。

ロゴといってもそこまで目立たないし、気になったらくるっと回して目に入らないようにすればいい。
けれど、ブログに書いたあとまたそのロゴが目に入ったとき、なんか急に、あぁ、もうこれ見疲れた・・・
もうよくない? って思ってしまい。結局、ほどなく手放してしまった。
そこまでの行動に出たことに、自分でもけっこうびっくりした。

あれ書いたときも、そんな重要事項ではなく、ついでに、って感じだった。
書きながら自分でも、そこまで気にするか、と笑ってしまった。
でも、あのとき書いてなかったら、きっとまだ持ってたと思うの。

言語化することの力って、思いのほか、大きい。
それまで何となくモヤモヤっと感じていただけのこと、言葉にしてはっきり自覚してしまうと、
そのとたんに、もうガマンできなくなる。
すでにだいたい固まっている方向へ、ぐいっとひと押しするような力がある。

だからこんな、息抜きにぽろぽろと綴っているだけのブログでも、
ある意味暮らしのあり方を形づくっているところがあるみたい。



片づけを徹底してモノを絞り込むと、自分の好きなものがはっきりする・・・
って、こんまりさんの本で読んだのかしら。
そういう表現だと素敵な感じですが、正直いって好きじゃないものもはっきりするので、
結果、めっちゃわがままになります。少なくとも私はそうだわ。

モノとの関係って、時間の経過のなかでも変わってきますね。
人との関係もそうだけど、その変わり方がとてもゆっくりなので、
言葉にするまで自分でもその変化に気づかなかったりする。

なにか・・・たとえばスウェードのブーツ。
とても気に入っていたはずなのに、何年か履くうち、微妙にいやな点が1個、2個と増えてきて・・・
あるときふと、「・・・これ、もういいかな」ってなる瞬間ってあります。
なんか経営不振に陥って、社員に言いがかりつけてリストラする社長みたいでいやなんだけど
いちおう、手放すときに「お互いよき第二の人生を送りましょう」って言ってる。

すでに何年か使ってると、飽きもあるのかもね。
「いまの彼女、そろそろ飽きたから乗り換えよっかな」みたいでいやな感じですが、
でもはっきり言って、最終的にはそれは仕方ないと思う。
「飽きてしまった」というのは、ことのほか致命的だ。ほとんど「死んでしまった」くらい、どうしようもない。
モノのほうも、飽きられているのに私のところにいても幸せではないだろう。

まぁ、ワイングラスのひとつやふたつ、あってもなくても大して変わりはありませんが・・・
もっと大きなことでもそれは同じ。

そういう言葉の力って、人間、本能的に分かってるもの。
例えばほんとはものすごくイヤなことでも、はっきりそうと自覚してしまうと生活がぶっ壊れてしまうので、
言語化しないよう、意識の表層に昇ってこないよう自分でブロックしてたりもする。
私も昔はそういうことがあった。
それは本能的に言葉の力というものを分かっていての自己防御なのよね。
まぁ、なんにしてもさいごには、生活がぶっ壊れようが何しようが、イヤなものはイヤと、
はっきり言わざるをえなくなるのだけどね。

だから逆に、自分がほんとにやりたいこと、起こってほしいことなんかは、
どんどん言葉にしていくといいのかも。

書いていて思い出したのですが、昔、中野に住んでた友達がいてねー。
うちに遊びに行くと、いつも床がピカピカで、すっきり片づいていてキレイ。
住み心地よさそう~
遊びに来てるだけでも居心地よかった。
頭の回転が速くて、話も面白い人。

パパッと買うし、さっさと捨てるし、モノに執着がない感じで、人生のスピードも速い感じがした。
「私、捨てるの得意だから! 要るものまで捨てちゃうもん」と言ってたっけ。
いや、そこは捨てちゃだめでしょう・・・と突っ込みつつも、
それ、ちょっといいな、とどこかで感じていた。
部屋をキレイにキープできるのってこういう人なんだわって。
当時の自分には、なんか次元がちがう気がしたもの。
ようやく今になって、期せずして、あのレベルにちょっぴり近づいたかも。











  

Posted by 中島迂生 at 07:17Comments(0)巴里日記2018-5月

2018年05月08日

妄想力の偉大さ




近所のニャンコ。お腹のふわふわ、タプタプ感がたまりません。

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相変わらずマツコさんが出てる番組はよく見ます。
いまの暮らしのなかでその存在は偉大なるザ・<日本>であり、欠かせない癒しアイテム。
彼女のすごいところは、人への気遣いのこまやかさ、頭のよさ、話の面白さ・・・色々あるけど、
私がさいきんとくにすごいなーと思うのが、その妄想力の力強さ。

それはもうずーっと若い頃からのことだったみたいで、私が知ってる限り
・フィギュアスケーター
プログラムを毎年作る、それを家で踊っている(!)。それ用の、ステージと定めた一角が家にある。
・結婚式
披露宴のテーブルの配置や席次表(!)まで考えている。
・千葉の海辺の豪邸
自分で設計図ひいて、グーグルで勝手に土地探しして、「ここいいな」ってところ見つけて、
地価とあわせて総額の見積もりまで出している(!)。

あと、夢の話もあったっけ。
・パリコレに出てるデザイナー
夢の中ではふつうにフランス語でモデルさんにあれこれ指示していて、
さいごにはわーっと拍手で迎えられてステージへ出て行く、みたいな。
すごい楽しそうだw

私が知らないだけでほかにももっとあるんじゃないかと思って調べてみたら、
さらにいろいろ。
テニスプレイヤー、国際線のスチュワーデス、子持ち・・・

最大8人の人生を、妄想の中で生きていたそうです。
最大8人・・・すごいな・・・
すごい自由だし、可能性だよね。逃げ場でもあるし。
自分の「今」と「ここ」に縛られていない、ほかにもっと広い世界を持っている・・・

8人の人生を自分の中に持っているって、
世界中に家を8軒持ってるのと同じくらいの価値があると思う。
なんかとっても贅沢で、羨ましい。

マツコさん、「あたし無趣味なのよー」って言ってるわりには、車の運転もお好きみたいだし、
東京の地理なんかタモリさんと対等に語れるくらい詳しいし、
あれを趣味と言わないんなら彼女の「趣味」のハードル相当高いんだわって思ってた。

けど、さいきんふと思うに、あの人の最大の趣味は「妄想」じゃないかしら。
あれだけ忙しかったら、「自分」なんか飛んじゃうんじゃないだろうかってふつう思うのだけど、
それとはさらに別に、ちゃんと自分だけの世界をキープしてる。
それってほんとにすごいこと。

近所にときどき遊んでもらいに行く、でっかいニャンコがいるんです。
(ニャンコはでっかいのが好き。必ずしも健康によくはないよね、というのは分かってますが)
かわいいなと思うのは、あんなデカイ図体していまだに遊び心をもってるところ。
よくひとり遊びしてるんだ・・・。
風で枯葉がころころっと転がるのを見るとぱっと立ち上がって追っかけていったり
傘のストラップがぶら下がってるの見るとギラギラした目をして飛びつきたそうにしてたり。

子猫だったら遊ぶのは当たり前だから別にどうとも思わないのだけど、
いい年したオトナがそういうところ失ってないのを見ると、そのギャップがほんとにかわいいなっていうか、
なんか、すごいねって思うの。スバラシイ! 見習わなきゃ。 
マツコさんにも、そのニャンコとちょっと共通するものを感じるのです。



ああして今や「今」「ここ」があんなにも広くなっても、さらに別の世界を持ち続けている。
すごい才能と技術だ・・・
ご自分で「妄想」って言ってるからそう書いてるけど、つまりは空想力、想像力だよね。

空想力ゆたかな人って、自給自足で自分を養える人。
だから自分を養ってるその根っこがすごく滋養分にあふれ、密で深く、確固たる感じがする。
人としてアーティストとしての力量や持久力もたしか。
私が知ってる中では、たとえばフジコ・へミングさん、小林幸子さん、ジョルジュ・サンド・・・
やっぱり女性が多いかしらね。

マツコさんにとって<妄想>って、きっとほんとに本質的なものなのだろうな。
それがあるから自分の世界をもてて、均衡を保てている、みたいな。
それどころか、現実世界でどんどん新しい仕事につながる前哨基地みたいな役割も。

自分の源にもっとも近く接する部分では、いわば仕事に毒されない緩衝地帯・・・
ちょっと遊びがあって、文字通り、自分の中だけで遊んでいる期間がしばらくあって、
そのなかでゆっくり熟していって、満を持しておもてに出てくる、みたいな。

妄想ってしょせん妄想にすぎず、現実には大した影響を及ぼさないのかなと思いがちですが
意外にも、なりたい自分、やりたいことへの橋渡しをしてくれたりするらしい。
しかも、ふつうでは思いも及ばないような世界へも。

マツコさんの<妄想>がすごいのは、ぼやっとしたものではなく、
めちゃくちゃ細部までこまかく具体的であること。
テニスプレイヤーのときなんか、「十年くらい続いた」という、年季の入ったもので、
何年の全豪で何位で、どんな引退の仕方をして、そのときにどの番組に出て話して・・・って、
もう実在のプレイヤーのバイオグラフィーみたいにこまかい。
(それを伊達公子さんが「ふんふん」って聞いてるわけですw)

このこまかさ、具体性、なんかに似てるなぁ・・・と思って、思い出したのが、
ある自己啓発系の作家さんが「ほしいものは、時間を取って具体的に想像しましょう。
たとえば住みたい家だったら、間取りから外観から、入ってく時はどんな感じかとか、
映像を見るように・・・」みたいなことを書いていた一節。
つまり、これ、まさしく「引き寄せ」のやり方と同じだ!w

マツコさんの場合は純粋に楽しんで空想していたので、
別に自分がテニスプレイヤーとかになりたいわけじゃないということでしたが・・・
けど、直接自分がなるわけでなくても、じっさい、かなりの部分が現実化してる印象。

自分の好きなものや、妄想について折々番組なんかで語ることで、
結果として「ぜひお会いしたい」と、安藤美姫さんが番組に来てくれたり、
伊達公子さんが来てくれたり、都内の結婚式場でセレモニー体験したり、
現実世界でかなり近いところまでいってるし、しかもそれがお仕事になってるっていう。

もちろんそれにはほかにも、キャラやお人柄や、築いてこられた実績とか、
いろいろあるのは分かってます。
けど、そのもようをずっとリアルタイムで、テレビを通してみてるわけですよ我々は。
妄想力というか、空想力というか、そういう力が人をどれだけ遠くまで運んでいくか
ってことのリアルな証人として見てるわけです。
これはほんとにすごいこと。

私も寝るときくらいは楽しいことを考えようかなと思うのですが、
どうもさいきん、寝るときでさえ書きかけのレポートのつづきとかを考えてしまって
どうもほんとに自分でもつまんない人生だなと思います。
時間の使い方を考えないと・・・

子供のころなんか妄想のなかで生きてたようなもの。
そのなかから当時書いていたたくさんの物語も生まれてきたのです。
あらためて私も、また意識して妄想する時間を大切にしよう・・・。











  

Posted by 中島迂生 at 08:09Comments(0)巴里日記2018-5月