2016年10月30日

ハロウィーンはやらない。。




金曜日、教室の外で前の授業が終わるのを待っていると、
ドアが開いて、さいしょに出てきた女の子が一言、
「リベルテ(自由)!」
と言い放って晴れやかに去っていった。
思わずくすっ。
この週末は、トゥッサン(万聖節)の火曜日まで四連休になる。

ハロウィーンっていうのは、伝統的にはパリではやらないのよ。
と、文法の先生の言。
ただ、トゥッサンの日には、お墓参りをします。
なので、この時期のモンパルナス墓地はお花でいっぱいでとてもきれいよ。

まぁ、さいきんでは、若者たちがあちこちでハロウィーンのイベントをやってるわね。
だから、その気になればアメリカにいるのと同じくらい楽しめるわよ。
ただ伝統的にはね、パリでは、何もしないの。
・・・とのこと。

11月1日のトゥッサンは、言ってみれば「お盆」、死者を迎える日。
もともと、こっちのほうがメインなのですね。
それで、そのイヴであるハロウィーンには、
骸骨とかゾンビとか、死者にちなんだモチーフがセットなわけです。

私は小さい頃から「ヘンリーくん」シリーズとか、「魔女ジェニファとわたし」とかを
愛読していたので、ハロウィーンは身近な存在でした。
「日本では、やらないのね~」と思っていたw
いまでは、すっかり定着しましたね。

いちど、ハロウィーンの語源が気になって調べたことがあります。
「ハロウ」が万聖節の古い言い方、
うしろの「イン」=イヴニングで、つまりイヴということでした。
なるほど! そのまま「万聖節イヴ」ということなのですね。

去年のトゥッサンは、日曜日でした。
おととしは、土曜日でした。
振り替え休日なんてものもなく、ただ祝日だというのでスーパーがふだんより早く閉まって、
買い物途中で追い出されて迷惑しただけ。
その恩恵を受けるのは、今年がはじめて。

いや、「恩恵を受ける」って・・・
じっさいは、祝日であろうとなかろうと、どの日もすべて
私の人生の一日なのだから、私のもの。
カレンダーの恩恵を受けるなんて、変な話なのですがね。。

怒涛の一週間もおわり、そんなわけでこの連休は、
少しのんびりして体を休めたら、
取り掛かれずにいたいろいろの作業にかかろうと思います。。

Happy Haloweeeeeen!!!



これは数年前の原宿ハロウィンパレードにて。。




  

Posted by 中島迂生 at 23:18Comments(0)巴里日記2016-10月

2016年10月30日

デカルト大迷惑。。フランス語の文法の話


 

7階の自習室からの眺め。遠くにサン・シュルピス教会が小さく見える。

*****

フランス語の動詞はとってもめんどくさい。
なかでもやっかいな「接続法」なるもの。
ひとつの文が主節+従属節という二重構造である場合、
主節に使われる動詞によっては、うしろの従属節の動詞を「接続法」にしないといけない。

イメージとしては、英語のDemandとかRecommendとか、高校でやった、
「命令・非難・要求などの動詞のあとでは、従属節は人称にかかわらずすべて原形になる」
というやつ、あれに似ている。
「すべて原形」というところが、仏語の場合、「接続法」になるわけ。

ところが、仏語の場合、ことはそんな2,3種類の動詞ではおさまらない。
正直、全体の半分近くの動詞がその「接続法」をとるんじゃないかという勢い。
どれが接続法をとって、どれが直説法のままでいいのか、
何とひとつひとつ覚えなければならない。
それどころか、動詞だけではおさまらなくて、形容詞とか副詞までこの二派に分かれる。
ほんとに気が遠くなる。

おおまかに言って、現実の状況をあらわすのに直説法。
話し手の頭の中だけで、いまのところ現実には起こっていない状況をあらわすのに接続法。
というふうに考えていいかと思います。
ところがなおも、この限りではないケースも。

たとえば感情をあらわす表現。

「あなたが元気で私はうれしい。」
「あなたが去って私は悲しい。」

というような場合、「私がうれしい」「私が悲しい」のは現実なのだから、
「元気だ」「去る」にあたる動詞は当然直説法と考えておかしくない。
ところがさにあらず、接続法なのです。
いったい、なぜ??

「それはデカルトのせいなんですよ」と、あるとき、文法の授業で教わった。
「その昔は、感情表現のあとの動詞は直説法をとっていたのです。
ところがデカルトが出てから、

 思考のみが現実である! 感情なんてものは、吹けば飛ぶ幻だ!

ということになってしまいましてね、それで感情表現は接続法をとるようになったのです。
文法規則も、時代によってずいぶん変遷してきたのですよ」

なんと! お前かいっ!!!

この先生、17世紀に現代文法の基礎を整えたムッシュー何とかだの、
ことあるごとに歴史的な注釈を入れてくださる。

これまでは、「誰ですかそれ? 知らないし・・・
まぁ、結果として出来上がっている今の文法だけ覚えておけばいいっしょ!」
とテキトーに聞き流してきたのです。
しかし・・・今回ばかりはさすがにのけぞった。

なんとなんと、あのデカルトが。
ヤツの頭でっかちな哲学が、現代の我々にまでこんなダイレクトな影響を及ぼしていたとは。

全くもって、大迷惑!!!

・・・でもやっぱり、歴史に名を残すってすごいなぁ。
私もあんなふうに、末代まで大迷惑をかけてみたい。
などとぼんやり夢想しつつ、雲を眺める秋の日の午後。。

 





  

Posted by 中島迂生 at 06:27Comments(0)

2016年10月28日

・・・でも何ごとも経験。仏語試験TCF SO




久々に早起き。モンパルナス通りにはまだ灯りが。
カフェにもまだ人がいなくて、がらんとしてます。

*****

火曜日はTCF(テーセーエフ)という仏語試験でした。
英語で言うTOEICみたいなもので、自分の現在の仏語能力の判定が出ます。
問題量も、個人的な感覚では、ざっとTOEICくらい。
・・・半端ありません。一刻一秒が勝負!という感じ。

この試験、紙の問題冊子で受けるのと、パソコン上で受けるのと
二通り方法があって、6月にはじめて、紙で受けた。
で、今回はパソコン(SO=Sur Ordinateur)です。

両方受けてみて、やはりそれぞれ、一長一短な印象。
紙では、全体をざっと見渡したり、分からなかったところにまた戻って考えたりが容易。
パソコンでは、一問ごとにポチポチクリックして次へいかなくてはならない。
全体を見渡しづらいし、ボタンのところへマウスを持っていく手間がムダにかかる。
100問近くあるので、しまいには肩が凝固してきた。。

一方、紙では、リスニングのとき教室の前のほうにある音源をみんなでいっせいに聞くので、
席が後ろのほうだとやや聞き取りにくかったり、あとから来た人にバタバタされて気が散ったり。
それに対し、パソコンだと各々がヘッドフォンで聞けるので、とっても聞きやすく集中できた。

しかし、今回はとにかく、準備に限界が。
諸事情あって、受けることが決まったのが5日前くらいだったので・・・。
・・・疲れた・・・。
・・・でもやっぱり、何ごとも経験。








  

Posted by 中島迂生 at 03:33Comments(0)巴里日記2016-10月