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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2010年02月16日

虹の乙女

瑛瑠洲物語 オグウェン篇5
虹の乙女 The Maiden of Rainbow
2007 by 中島 迂生 Ussay Nakajima


 イドワル・コテッジからちょっとした木立を抜けるとすぐナント・フランコンに出る。
 オグウェンから注ぎこむ滝に穿たれた、広大なU字谷だ。
 眼下に広がるその眺めを味わうのに、いつもきまって腰をおろす岩がある。
 Newborn lams... 仔羊があたらしく生まれたばかりだから、気をつけて脅かさないようにしてくれと、板切れに大書した看板。
 ずっと前から、一年中かけっぱなしだ。そのそばの、ゆったりと大きな肘掛け椅子のような大岩。・・・
 ナント・フランコン、名前のひびきがとても似合っていていい。
 <蛇の谷>という意味だと思っている・・・ほかに考えられない。
 谷底を走るオグウェン川の、銀色の蛇のように曲がりくねった姿が、あまりに印象的なので。
 でも、ほんとは違う、<兵士の谷>という意味らしい。
 正直、いまだにしっくりこない。ひとたび思いこんでしまうと、捨てるのは難しい。・・・

 よく晴れた夏の日、その美しさは格別だ。一時間でも二時間でも眺めていたい・・・ 青と緑とかがやく銀色の、宝石のような眺め。はるか先のベセスダまで一望できる・・・
 見ていると、陵線近くあちこちに、いやほとんど丘のいただきにかかるようにして、短い虹がいくつもいくつも、はかなく現れては消える。手に届くほどそばに、そのたびに角度を変えて、からかうように、遊び戯れるように・・・
 あぁ、彼女だ、私には分かった、あの娘だ、虹の乙女なのだ。はるか昔、羊飼いのアンセルムを不慮の死に追いやった相手だ。・・・

 まじめで実直な若者、羊飼いのアンセルムが羊たちを丘の上に連れ出して番をしていると、虹の乙女がやってきて誘いかけた。
 ついておいで、もっと高い頂きに、雲と接するところまで連れていってあげる。・・・
 アンセルムは、彼女のことを知っている、村の老人たちから、いくども注意されている、彼女に誘い出されて、それまでにどれだけの若者が、高い岩の上から足を踏み外して命を落としたかを。・・・
 だから、さいしょ彼は答えない、何も目に入らない、何も耳に入らないふりをしている。・・・
 けれども、彼女はいたずらっぽくそばまでやってきて、その袖をひっぱって囁きかける。
 彼はつい見てしまう、と、たちまちその虹の衣のこの世ならぬ美しさに、その顔の罪のない愛らしさに魂を奪われてしまう。
 こっちへおいで、いっしょに遊びましょう。・・・言われるまま、アンセルムはそのあとについてゆく、その顔にはもう、この世ならぬ、憑かれたような表情が宿っている・・・
 高い岩山のあちこちを、乙女は自在な軽やかさで飛びめぐる・・・ 気まぐれではかなく、こっちで消えたかと思えば またあっちから現れる、虹そのもの。・・・ 乙女は喜びにあふれて笑いさざめく、さあ、こっちよ、何をためらっているの?・・・ 
 そこは深い亀裂をはさんだ、危険な岩場だ。乙女は手を差し延べる、アンセルムは身を乗り出してその手をつかもうとする、と、一瞬、つかみそこねて足場を失い・・・ そう、定石どおり・・・奈落の底へ落ちてゆく・・・ 
 乙女は降りてきて、悲しむ。
 彼女の遊び相手がどうしてこうもみな鈍重で、ひとたび身を打つと二度とは起き上がらないのか、乙女には分からないのだ。
 この人はどうしたの、ただ眠っているだけ。遊びに飽きて、疲れてしまったのよ。・・・
 彼女は今日も谷のあちこちを、心のままに飛びめぐる・・・ 死んでしまった若者のことは、もう忘れてしまった。
 でも、その面影を、いまも時どき思い出す・・・ あの人は、どうしたのかしら? 綺麗な人だったわ。・・・たぶん、目を覚ましておうちに帰ってしまったのね。またいつか、この谷に羊を追いに来ないかしら?・・・

                        *             *

 7月25日、水曜日。・・・
 望みつづけて、決して諦めないことだ。・・・そうすればきっと叶う・・・何ごとも。・・・
 きのうイーサフに着いた。この谷への三度目の訪問を果たしたのだ・・・
 来たかった、もういちど、ヒースの花の咲く季節に。・・・この谷へ!・・・ 荷物を馬車から引っぱり降ろし、流れに渡した低い石橋をわたってトロヴァーンの姿を目にしたとき、私はしみじみとうれしく、懐かしかった。・・・イーサフも何も変わっていない・・・ 勝手知った離れに荷物を運び、窓から谷の向こう側を眺めた。・・・
 ここ数週間ばかり、一滴の雨も降らない。焼けつく日射し、うだるような暑さだ・・・この谷でさえも。・・・
 奇妙に青空が広がり、雲も吹き払われてしまって、この谷らしくない、へんにおとなしい感じがする。
 しずかな青色を湛えたオグウェンは美しいが、なんとなく、スウェーデンの女のように、淡白すぎて面白みに欠ける。
 よそよそしいというか・・・薄いというか。
 それは晴れた日のウェールズの山景色全般にいえる。
 均整がとれていてとても美しいのだが、いまひとつ表情に乏しいのだ。
 本来の、ウェールズらしい感じは、やはり雲の多い日、光と影のまだらがゆたかな表情を与えるとき。・・・

 ・・・それでも、朝、寝ぼけまなこで外へ出てゆくと、激しくてぶっきらぼうな、ウェールズの風だった。風はトロヴァーンの方から吹き降ろしてくる、いつも、必ず。・・・農場の裏手のせりあがった斜面には低い雲が降りてきていたし、反対側の<異界の丘>の方にはむくむくと、厚い雲がかぶさっている・・・
 トロヴァーンはまっすぐ前から朝日を受けて、ほとんど白に近い、淡い灰色だった。とても彫刻的な姿だ・・・おだやかで。・・・
 だいたいあのステアウェイより下の部分から、ヒースの花でうっすら赤紫色に染まって、ゆったりとローブをまとったように見える、羊たちも日の光のなかで平和に寝そべっている・・・
 丘々はあかるいみどり色と若草と灰色の不規則なまだら模様だ。あかるいみどり色はワラビの群落、雨の日のカエルの背中のような、みずみずしいエメラルドグリーン。・・・若草は牧草地、灰色は岩地だ。雲の移りゆくにつれて、何と繊細に、さまざまに光の調子を変え、うつりゆくその色あいを変えてゆくことだろう・・・
 岩々も木立と同じように、光の調子ひとつで千変万化する・・・ほとんど白から黒にまで変わる。・・・まっすぐ正面から受けるとき、あるいはななめ横から光が射して、岩のひとつひとつに長い影をつけるとき、あるいは逆光で暗くなるとき・・・ 青空のもとを雲の群れが横切ってゆくと、その下で岩は青い色に染まる。・・・
 けれど、たいていのときは岩は淡いグレイだ、ヒースの赤紫がよく映える・・・ 岩棚のひとつひとつにこんもりと花を咲かせて、愛らしいといったら・・・ ウェールズのどっしりとした石造りのコテッジの軒に吊り下げた、ヴィオラやなにかの寄せ植えの花籠、あの感じを思い出させる・・・

 ヒースは、花そのものは紫がかった綺麗なピンクだが、葉がモスグリーンで、茎が赤茶色をしているので、ぜんたい少しくすんだ色あい、短調のひびきだ。・・・見ていると同じヒースでもさまざまな種類があるのが分かる。花の大きさ、色の濃さ、それぞれにすいぶん違う。ずっと淡い、淡紫の露玉や、涙のつぶをちりばめたようなのもある。霧のようにこまかな花房のもある。・・・
 ヒースもあまり標高の高いところには生えないようだ。高い山では色別に三層くらいになっている。ふもとの方から、ワラビのみどりとヒースの赤紫と岩の灰色・・・ヒースの赤紫と岩の灰色・・・岩の灰色だけ、というふうに。・・・

 自分のくにに戻っているとき、もはや身のまわりにないもののことをずっと覚えているのは難しい。・・・ヒースの花ってどんな感じだったっけ?・・・ そう考えたときに、ただぼんやりとしか思い浮かべられないことに気がつくとぞっとする。・・・
 ヒースの花がどんなだか、忘れてしまうなんて恐ろしい。自分が誰だったか忘れてしまうのと同じくらい恐ろしい。
 この谷を去っていたあいだじゅう、これなしに、手の届くところになしで過ごしていたのだ、そう思うと深淵に落ちこむような感じがする・・・

 それでもなお、私には分かっていた・・・そこにずっととどまっている限り、印象はたえず次々と積み重なって、その下にどんどんうずもれてゆき、・・・しだいまじりあい、ぼやけてゆき、曖昧になって、そのうちどうしても避けがたく、ほんとうには見なくなってしまう。・・・ほんとうに見るためには、それはまわりの世界から隔てられた何ものかでなくてはいけない。・・・
 額縁が絵をまわりの世界から隔て、切り取り、そうすることでこれに永遠の相を与えるように、それとまったく同じように・・・ この谷における私の不在は、この谷における私の滞在とともに、私の心のなかのこの谷の映像に永遠の相を与えるため、時のおもてに刻まれたしるしなのだ・・・

 7月27日、金曜日。・・・
 この谷に戻ってさいしょの何日かは、ただそこにいるだけで幸せだったので、特に何もしなかった。
 食料品の買い出しなどに行くほかは、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、気が向くとおもてへ出ていって山を眺め、それからお茶をわかして本を読んだりなんかして暮らしていた。・・・
 ただ、このウェールズの山々に囲まれて過ごせることの贅沢さは!・・・ この厳しくそそり立った岩山、赤紫のヒース、ごろごろ岩のころがった斜面に連々と築かれた石垣、それから私が<トロヴァンおろし>と名づけた冷たい突風に運ばれてくる雲の群れ・・・
 朝いちばんにおもてへ出ていって、石垣の踏み越し段のてっぺんに立ち、両手広げて激しい風に身を曝すときの、荒々しい、凶暴な幸福感・・・

 ときどきは、エーハフの裏をぬけてトロヴァーンのふもとで街道にまじわるトラックをたどって、オグウェンの湖のおもてを眺めにいった。私のいちばん好きな散歩コースだった。
 湖ぞいに西へ向かうと、街道の右手、湖に少し突き出て、折り重なった小さい半島状の岩山がある。ここのてっぺんに登ると、そこからの眺めはほんとうに絵のようだった。ふたつの山にはさまれた湖、空の色が刻一刻と映りゆくにつれ、しずかに澄んだ瞳のように忠実にその色を映す・・・ かなたには、また別のふたつの山の盛り上がったシルエットを背にして、小さいコテッジがひっそりと抱かれている、イドワルだ・・・
 それは何かの舞台立てのようだった、ちょうどこれからここで何かの物語が始まるような、あるいははるか昔、ここで何かの物語が起こったかのような・・・ いや、ここでどんな物語が起こったか、私はすでに知ってるのだが、それでもこの眺めを目にするたび、なおも必ずそういう印象を抱くのだった・・・
 何度もこのコースをたどるうち、私はその場所を<憶いの岩>と呼ぶようになった。ここを歩くとき、私はいつも必ず足をとめて、この岩山のてっぺんまで登ってしばらく時間を過ごす・・・ そうして澄んだ湖のおもてをのぞみながら、乙女オグウェンの耐え忍んだ苦しみに、そのけだかい悲しみに憶いを至すのだった。・・・

 7月28日、土曜日。・・・
 今日は午前中から一日雨が降った。アルフリストン以来、ほぼ二週間ぶりの雨だ・・・ 今まで川もちょろちょろとしか流れていなかったから、山にとっては恵みの雨だった。それにしても、降ればどしゃ降りとは言ったもので、すごい勢いだ、狙ったように週末に降ったものだ・・・この週末を楽しみに、わざわざ遠くからやってくる人たちもいただろうに。・・・
 だが、これぞウェールズ!・・・ 朝から曇り、山の上にはどっしりと分厚い雲がかかって、ゆっくりと移動してゆく、頂きは暗く、ドラマティックな様相を呈し・・・ この雲なのだ、これがウェールズだ。・・・ 雲がほんとうに、山と見紛うようなシルエットと重量感なのだ・・・
 黒いトロヴァーンのとなりに白いトロヴァーンが、丘の上にはさらに二倍も高い、灰ねず色をしたもうひとつの丘が、急に出現していて、はっとさせられる・・・ そのうちざーっと雨が降り出して、ふっと見ると、今しがたすぐそこにあったトロヴァーンが、真っ白にかき雲って影も形もなくなっている。・・・ そう、きっと昔はこんなふうだったのだ、昔は、山々はいまよりずっと自由な心をもっていて、心のまま、伸び縮みし、形を変え、場所を移っていったのだ・・・

 雨が途切れて一瞬しずかになると、また突風が吹きつけて、次の雨のかたまりを運んでくる・・・ 一日じゅう、そんな調子だった。
 7時くらいに外へ出てみると、すぐそばにくっきり、みごとな二重の虹がかかっていた。向こうの端はあの岩のところから始まって、こちらの端はイーサフの中庭のところで終わっている。あぁ!・・・ けれども、虹ほどはかない命もない。みるまに、端から消えていった。・・・
 雲の群れが次から次へ、丘の斜面をゆっくり這って、びっくりするほど低いところを進んでくる・・・ もう少しでここまで降りてきそうだ。夕方になると太陽が顔を出した・・・雲の切れ目から光が射して、斜面の岩のごろごろ、ぬれた岩の表面が立ちのぼるもやの中でいっせいに輝いた。あいかわらず風が強い・・・ 長靴をはいて、ぐっしょりぬれたスゲガヤを踏み分け、向こうの松の木立のところまで、川ぞいにぶらついた。このへんの石はアイルランドの石垣の石のように、ごろっと丸みを帯びて、白や薄きみどりの苔の斑点がついている。・・・

           *           *

 呪われた週末。・・・
 夏の週末に、田舎にいるものじゃない。
 あとからあとから人がやってきて、水場も料理場も占領されるし、ブレーカーが落ちてお湯は出ないし、どこもかしこもごった返して、一片の平和もない。
 きのうからまた納屋を追い出されてテントを張っている。・・・

 夏のキャンプは気持ちがいいが、それなりの欠点もある。
 ひとつは、虫だ。羽虫や、ブヨや、蚊や、色々いるが、とにかく目についたら片っぱしから殺しておいた方がいい。
 キャンプしたとたんに色んなのに刺された。
 斜面一帯にぐじゅぐじゅと水が滲み出して、ともかく湿気が多いのだ。だから数も種類もものすごい虫がいる。
 冬の結露と同じくらい、こいつらは頭痛の種だ。

 刺しはしなくても、さらに始末の悪いのもいる。
 ある晩、手を伸ばしたらいきなりヌメッとしたものにさわって、ぎょっとなって飛び起きた。
 どうした拍子にか、ばかでかいナメクジがテントの中に入りこんで、枕元に這っていたのだ。
 とっさにティッシュペーパーで掴んで放り出したが、正気に戻るまでにしばらくかかった。

 当地のナメクジはまっ黒くて、しかも手のひらほどもの大きさがある。
 さわったのが手でよかった。
 髪とか服だったら、気がつかずに踏みつぶして寝ていたかもしれない。
 ナメクジの死体ときたら、生きているナメクジよりもなお始末が悪い。
 あんなみっともない体をさらして這っていないで、カタツムリを見習ってなにかまともな殻を背負えばいいのに。
 そうしたら、放り出すにしてもそこを掴んで放り出せる。・・・

 人でごった返す食事どきをやりすごして、誰もいなくなった料理部屋でくつろいで紅茶を入れ、少し書き物をして、ああまた真っ暗なテントに戻るのいやだな、またナメクジなんぞいたらいやだな、と思いながらようやくと腰を上げておもてへ出たら・・・Jesus, 何だこれは!
 恐ろしいほどに空一面の、星、星、星!・・・
 天の川で白くなっている、山々の陵線のところまで、ぎっしり、びっしり・・・
 一日じゅう雨が降って、塵ひとつ残さず空をすっかり払い清めたのだ。・・・

 まったく、ウェールズの空は、極端から極端だ。
 テントにもぐりこみ、入口を全開にして空を眺めながらうたた寝におちた。
 星でぎっしり埋め尽くされた空を、また暗い雲むらが次から次へ、いくつも流れすぎていった。・・・

           *            *

 7月29日、日曜日。・・・
 夕べは風が強かった・・・ 急に突風が吹くと、バン! とテントが膨らんで・・・大丈夫だと分かっていたからそのまま寝ていたけれども、朝、起き出してみると、ほかの滞在客のテントで、支柱が交差して天井を支えるタイプでないものには、折れて壊れてしまっているものもいくつかあった。それでなくても、交差式でないものは風が吹くとバタバタして不安定なのだ。・・・
 朝は空気がとても冷たかった。十月末のエニスの感じ・・・ これが本来の夏のウェールズの空気なのだろう。料理部屋には例によって人々がばたばた出入りしているので、テントの中でコーヒーを沸かし、ミューズリとビスケットをかじる・・・ 午前中、また少し雨が降った。・・・

 そのあとは、雲と風と光のドラマティックなウェールズ・・・
 ピナクル・カフェまで買い物がてら、街道に並行して走るトラックをはじめて歩いてみた。トラックの方が、斜面のずっと高いところを走っているので遠くの山々がよく見える。こういう地形になっているのか、というのがよく分かる。街道は谷底を通っているので、そこからだと、遠くの山々は、ほとんど両側のせりあがった斜面の向こうに隠れてしまうのだ。・・・
 風に吹きなびく草のあいだをずっとたどって、ふり返ると、かなたのアル・オウル・ウェンから遥かに広がった斜面は光と影のすじを引いて、雲はあとからやってくるし、文句ない雄大さだ。山々はすこし逆光になって、小さくぽっつりと見える石造りの農家、石垣・・・
 この谷の雲はほんとうに雄弁だ、山と同じほど巨大な雲がむくむくと現れる、人を脅かすような、不吉な暗い色をした雲塊が。・・・それらは恐ろしげで、ぞくぞくさせ、同時に一種抑えがたい原始的な喜びの衝動を、人の内にかきたてる・・・ 丘のあいだからびゅうびゅう吹きつける烈風に両手広げて、このまま鳥になって飛んでゆきたい・・・

 ゆく手はるかに連なる丘々の、石垣がずっとつづいてごつごつと岩の突き出ているようすは、大陸的・・・チベットかどこかのよう。スゲがずっと生い茂って、ヒースが咲いている・・・ そして、岩のあいだで草を食む羊たち。・・・
 その姿を見たとき、私はとつぜん奇妙な感覚に襲われた・・・ 今のこの光景を、まさにこの羊のすがたを、かつてオグウェンもコンスタンティンも見たに違いないという。・・・一万年の時の差が一瞬にしてちぢまり、折り重なってひとつになったような感覚。・・・彼らの面影はこの谷の至るところに満ちていて、忘れることはできなかった。・・・
 
 トラックはピナクル・カフェの裏手のところで丘を下って、街道の三つ辻に交わっている。その裏手の丘のところから、逆光のアル・ヴィズヴァ・・・スノウドンが見えた。この場所からスノウドンを見たのは、三度目の滞在にしてはじめてのことだった。その黒いシルエットにグレイの雲むら、手前から日の光が照り映えて、そのすそを銀色にかがやかせている・・・前景をふちどるメドウは光を受けて、もえたつようにあかるいみどり色だ・・・宝石のような。・・・

 7月31日、月曜日。・・・
 きのうから大きい方の納屋にいる・・・内側は太い梁が剥き出しのまま、積み上げた石壁をしっくいで塗りこめてある。こっちの離れは、がらんと寒くて、窓もないので、あまり好きではなかったのだ。・・・ けれども、こうしてまた戻ってみると、鼻につくペンキの匂いや何かまでが懐かしい・・・
 屋根の上を激しい風が吹きすぎてゆく、それからザーッと叩きつけるような雨が降っているらしいが、壁がとても厚いのでよく聞こえない・・・ 納屋のなかはひっそりとしずか。・・・ 夕べからまた天気がわるい。けさは朝から断続的に降ったりやんだり、降るとどっとすごい勢いで降ってくる・・・
 数日前まで、ずっと晴れ上がったおだやかな天気がつづいていた。こんな調子なら明日あたりカペル・キュリグの向こうの湖まで足を延ばそうか、そう思っていた矢先にこれだ、移り気なことといったら・・・ 急に11月のような寒さ、きのうから腰が冷えて仕方なく、枕をいくつか、クッションがわりに椅子にのせて書いている・・・二年前に戻ったよう。・・・

 この日一日、<魔の山>を書いて過ごすという贅沢を味わった。・・・今まではあまりこういうことをしなかったのだ、そんな余裕もなかった・・・ゆく先々でゆたかな物語の訪れを受けたとしても・・・文章にまとめるのは旅を終えてからでいい、いられるうちにめいっぱい、歩きまわってこの土地の力を受け、この土地の空気を吸っておかなくては・・・ それは正しかったと思う。
 でも、この日ばかりは・・・屋根打つ雨のひびきと壁にごうっと打ちつける風の音とを聴きながら、一日降りこめられて書いていた・・・
 降りこめられるのは好きだ。とても落ち着く。・・・時どき、疲れると腰をのばしてお茶を入れた。・・・
 雨が降り出すと羊が鳴き出す・・・降ってきたよ、冷たいよ、んんんメエエ・・・ 雨がやむと羊が鳴き出す・・・日が出たよ、またすてきになったよ、んんんメエエ・・・ 
 夕方までこもっているとさすがに頭が痛くなってきて、外の空気を吸いにいく。折りしもいっとき雨もやみ、吹きすさぶ風に時折霧雨がまじるていどになっている・・・

 書いている最中の精神状態というのは、それがどこであっても大して変わらない。いま取り組む物語の世界に没入し、ほかの一切を閉め出して・・・ それだけがすべてで、すべてで、ほかに何もない・・・一切は遠く、霞のなか。・・・ 書いて、書いて、書きくたびれ、・・・ペンを置いてはじめて、現実の「今」と「ここ」に戻ってくる。・・・
 「いま」と「ここ」が、自分の紡ぐ物語世界と異質なのは当然のことだと思っていた。それが書くということなのだと思っていた、・・・つまり書くとは、人の心を砕くこの醜い現実世界にあって、己れのペンひとつでもって全く別な、美しいもうひとつの世界を打ち立てんとして挑むことなのだ、と。・・・
 ところがそれがここでは違う、ほとんど不可能に思えていた世界のあり方が現前する・・・ 外へ出てゆく、するとそこは、同じ世界のつづきなのだ。・・・扉を開けて一歩出れば、トロヴァーンの黒い姿が千年前と変わらずに聳えて、スゲとごつごつした岩の斜面では、羊たちが、コンスタンティンとオグウェンの時代と同じ姿で草を食んでいる!・・・
 何という調和、何という恩寵だろう・・・そして心から思うのだ、いつかはこういう境地に辿りつきたいと・・・いまみたいに、ほんの数週間ではなくて、まさに生のぜんたいが、こんなふうであるような状態に。・・・

 見渡してはるかに遠く広がる地平に、人もなく、人の手になるものもほとんどなくて、安んじてひとりきりになることができる・・・物語が訪れてくるのは、そういう場所だ。・・・ 
 その夕べ、私は谷の反対側、イーサフの向かいの斜面をどこまでも登ってゆき、ひと足ごとに振り返っては、雲をまとうたトロヴァーンの姿を眺めながら 岩地やヒースや羊たちを眺めながら 風に身をさらしてひとり彷徨った・・・ はるか下界に小さく、イーサフの石造りの棟々がぽつんと見えた・・・ 幸福な思いに心充たされて、ほかに何もいらない・・・ これが平和というものだった・・・
 ・・・すべての仕事をなし終えたあかつきには、たぶん、あの兄弟の兄の方のように、私はこの谷へ、あるいはもしかしたらこの谷ではないかもしれないが、ほかのどこかの・・・イェイツにとってのベン・ブルベンのような・・・私の真の心のふるさとへ、還ってゆくことができるだろう・・・
 

  

Posted by う at 07:22Comments(0)虹の乙女