2018年08月10日

高校の話~3 おのれを問いつづける~

高校の話~3 おのれを問いつづける~
画像:K先生

前記事をアップしたあと、国語の先生や数学の先生についても書き始めたのですが…
書いてるうちに「やっぱりまた会いたいな」と思って、唐突に先生たちの連絡先を探し始めました。
そして、結果現在までに、今回連絡をとった先生たちみんなにお会いすることができました。
ほんとにラッキーでした。
みんな校長先生になられていてびっくりした…
自分ひとりで思い出してるより、やっぱり全然よかったです。
いろいろお話して、現在のことも知ることができたし、すごく得るものがあったので、ちょっとメモしておこうと思います。

前記事で書いた、英語のK先生。
すごく尊敬していた、大好きな先生でしたから、お会いできてほんとによかった。
けれど同時に、いまも現在進行形で生きてる生の姿を目にして…
そこには、現状を是とせず、いまもどこか迷いを抱えながら、自分に問いながら生きてる姿があって、
ただ会えてよかったね、懐かしいねだけじゃない、なにか考えさせられるものがありました。

いろいろお話して楽しかったけど、とりわけ印象的だったのは…

ほんとうに謙虚な方、というのは前から知ってましたけど、
この人の口から出てくるコトバには、私、毎回驚かされる。
接するたびにカルチャーショックを受けます。あの頃もいまも。

この人の意識のなかで、相手が誰であれ、たとえ元生徒であれ、
常に、対等というよりもっと、相手を自分より少し上においてる感じ。
そう、階段3段分くらい上に。
そしてごく自然に、相手の立場に立っている。
コトバになって出てくるのを聞くと、すごくそれを感じます。

たとえば今回も…
私としては、自分のことを先生が覚えていてくれたっていうだけで充分うれしいのです。
ふつうそうでしょう?
ところが、先生は「よく私のことを覚えていましたね」って。
…は、発想が逆だ…。

お会いする前、日時をやり取りしてる時点で、「田舎で遠くて申し訳ない」って謝ってこられた。
そこからすでにカルチャーショック… っていうか、そういう人だった。そうだった…
そういうとこ、昔と全く変わっていない!!
私のほうから勝手に行きたいと言ったのに、そんなの先生が謝ることでは全くないのに。

そしてじっさいお会いすると、
あの頃の自分の授業、いい授業だと思った? どうだった? と、真面目に聞いてこられました。
えっ… それを私に聞くの?! って、そこでまたびっくりです。
先生だった人にそんなことを聞かれたことなんて、いまだかつてありません。
(というか、いいと思ってなければ、そもそも会いにきてないし…)

私の中では今も、英語といえばK先生。
その後自分が授業やる側になって、やってきたなかでの原点でもあります。
でもあの水準は、そんなふうに「どうだろう?」とたえず自問しつづける姿勢あってこそだったんだ、と改めて思った。

あの頃は、基本的に、ただ日々授業を受けていただけで、
教育に対する考え方とか、授業をするうえでのポリシーだとか
直接そんなお話を聞く機会はありませんでした。
ただ授業を受けるなかで、なんとなく感じていただけで。
なんか今回はじめて、そういう部分を含めて少し立体的に知ることができた気が。

ご自分の高校時代、先生があまり進路のことを面倒見てくれなかったこと。
だからあんなふうに、担任でもなかった私の世話まで焼いてくださったのかな。
ご自分の経験から、生徒たちにできるだけたくさんの扉を開いてやりたいと思ったのかな。

お話しするなかで
「あの頃は未熟だった、でもいまも未熟」とか
「上からものを言うのは好きじゃない」とか
「自分は教師に向いてないんじゃないかって、ずーっと思っていた」
というコトバが出てきて
じっさい何十年も教員をやってこられて、いまは校長先生なのに。
ふつう少しフシギな気がするかもしれないけれど
実はすごく腑に落ちるものがありました。

あの頃も、どこか逡巡しながらやってる感じ、何につけ断定的に言い切らない感じというのはあった。
でもそれは決してネガティヴな意味ではなくて
つまりは自分を過信しない、現状に甘んじない、己れを厳しく吟味しつづける みたいなこと。
そしてそういう姿勢がこの人の人となりを形作ってるのだと 当時も何となく感じていた。

そう…自分のことを決して100%は信じていない感じ、言い切ってしまわずに少し余白を残しておく感じが常にあった気がする。
だからこそ私たちは信頼して、安心してついていけてた。
何かが違ったらきっと先生の方が先に気づいて正してくれる、あるいは何か言えば必ずちゃんと受けとめてくれるって。

そして私は思うのです。
そういう人が先生をやってるのってすごく正しい!
というか、そういう人こそがなるべき、なってほしいって思う。

正直いって、自信満々なタイプにろくな先生いないもの。
間違ってても自分で分からなかったりするし
誰かを傷つけても気づかなかったりするし。
(ええ、私、けっこうこのタイプです。気をつけないと。)
だからたとえ不安定な足場に身を置くとしても、そんなふうに自分に問いつづけることってほんとに大事。

ただ そんなふうに生きていると、
まわりの人たちはめちゃめちゃ恩恵を受けるけど
ご本人は…
正直、それではいつまでたっても満足できないし 幸せになれないのでは。
なかなかキツイ生き方だな…。なんとなく想像がつくだけに複雑な気持ちになります。

あのとき私を、私たちをまるごと信頼してくれたように
時にはご自分のことをまるごと信じてあげてもいいのに って思ったりします。

それでも結局はすべて この人の魂が選び取ってやってきたことで、
これからもずーっとこんなふうに生きていかれるのだろうな。
時にはちょっぴり闇のトンネルに迷い込んだりすることがあっても
現状に安住することなく むしろ迷いながら、自分に問いつづけながら生きていく
というほうに、逆にゆるぎないポリシーをもってる感じがあって。
ええ、そんなわけで今もやっぱり、心から尊敬する先生です。



























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Posted by 中島迂生 at 04:24│Comments(0)高校の話 2018
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