2016年10月30日

デカルト大迷惑。。フランス語の文法の話


デカルト大迷惑。。フランス語の文法の話 デカルト大迷惑。。フランス語の文法の話

7階の自習室からの眺め。遠くにサン・シュルピス教会が小さく見える。

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フランス語の動詞はとってもめんどくさい。
なかでもやっかいな「接続法」なるもの。
ひとつの文が主節+従属節という二重構造である場合、
主節に使われる動詞によっては、うしろの従属節の動詞を「接続法」にしないといけない。

イメージとしては、英語のDemandとかRecommendとか、高校でやった、
「命令・非難・要求などの動詞のあとでは、従属節は人称にかかわらずすべて原形になる」
というやつ、あれに似ている。
「すべて原形」というところが、仏語の場合、「接続法」になるわけ。

ところが、仏語の場合、ことはそんな2,3種類の動詞ではおさまらない。
正直、全体の半分近くの動詞がその「接続法」をとるんじゃないかという勢い。
どれが接続法をとって、どれが直説法のままでいいのか、
何とひとつひとつ覚えなければならない。
それどころか、動詞だけではおさまらなくて、形容詞とか副詞までこの二派に分かれる。
ほんとに気が遠くなる。

おおまかに言って、現実の状況をあらわすのに直説法。
話し手の頭の中だけで、いまのところ現実には起こっていない状況をあらわすのに接続法。
というふうに考えていいかと思います。
ところがなおも、この限りではないケースも。

たとえば感情をあらわす表現。

「あなたが元気で私はうれしい。」
「あなたが去って私は悲しい。」

というような場合、「私がうれしい」「私が悲しい」のは現実なのだから、
「元気だ」「去る」にあたる動詞は当然直説法と考えておかしくない。
ところがさにあらず、接続法なのです。
いったい、なぜ??

「それはデカルトのせいなんですよ」と、あるとき、文法の授業で教わった。
「その昔は、感情表現のあとの動詞は直説法をとっていたのです。
ところがデカルトが出てから、

 思考のみが現実である! 感情なんてものは、吹けば飛ぶ幻だ!

ということになってしまいましてね、それで感情表現は接続法をとるようになったのです。
文法規則も、時代によってずいぶん変遷してきたのですよ」

なんと! お前かいっ!!!

この先生、17世紀に現代文法の基礎を整えたムッシュー何とかだの、
ことあるごとに歴史的な注釈を入れてくださる。

これまでは、「誰ですかそれ? 知らないし・・・
まぁ、結果として出来上がっている今の文法だけ覚えておけばいいっしょ!」
とテキトーに聞き流してきたのです。
しかし・・・今回ばかりはさすがにのけぞった。

なんとなんと、あのデカルトが。
ヤツの頭でっかちな哲学が、現代の我々にまでこんなダイレクトな影響を及ぼしていたとは。

全くもって、大迷惑!!!

・・・でもやっぱり、歴史に名を残すってすごいなぁ。
私もあんなふうに、末代まで大迷惑をかけてみたい。
などとぼんやり夢想しつつ、雲を眺める秋の日の午後。。

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Posted by 中島迂生 at 06:27│Comments(0)
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