2014年01月30日

灯籠流し


   随想集Down to Earth-わが心 大地にあり- 散文編6

      灯籠流し

     青梅の花火を見にいったときに。

 ・・・そのうす青やみの川べりの道を、せせらぎわたる木立の道を、私たちは連れだって歩いた、忘れえぬ かの 夏の日の夕べ。葦の根洗う川のおもては白く照り映え、耳の底さらさらと たえまなく流れゆく調べ、蜻蛉が羽を休める川原の石は淡い柿色、なめらかな茜色、あるいは白いすじもように波のかたちを刻まれた青むらさき・・・ 小ぶりなのをひとつ、拾いあげて横ざまにつと飛ばせば、水のうねあいに波ひとつたて 岩間の川蝉をおどろかす、まるで光るトルコ石のつぶが、水面(みなも)かすめて飛びすさりゆく・・・
 その宵方の土手の道を、山里とほき浅茅生の道を、私たちは手を取ってそぞろ歩いた、たぐひなく澄める かの おだやかな夕べ。みどりにうち重なった梢は蝉の声を降らせてますます色濃く、琥珀の精のすがしい蜜を、その芳しく野性の香気を地に充たし・・・ 木の葉のひとひら、なかば黄に、なかばみどりに、七宝のこまかなまだらを打ちながら、色あざやかに移りゆく そのみごとさに打ち捨ておけず、それをあなたに手渡した、苔むした小暗い道、羊歯の株、せりだした木の根、黒土の築地に守られたその細道よ。・・・
 いでや、木下闇をうちいでて、流るる瀬のうえ、踏みゆくほどにぎしぎしときしみなる橋の上へ、弧を描いてせりあがったあの橋のうえへ登りゆこう・・・ 木肌なめらかに、すり減った欄干に手を突いて眺めやれば、ごらん、谷あいのこの広がり、眼前にぽっかりとうち開けた、山並みの悠々たるこの連なりよ。・・・ 川のいろいまだほのかなミルク色をたたえ、水の音ひびかせて流れゆく、両の木立はゆきひろがって山を包み、みどりから藍に、藍からあさぎに、かなたへかなたへ、山肌のうち重なってしだいに青くかすみゆく、そのあわいから 昼のあいだの火照りをゆっくりと逃がしてゆく・・・
 空のいろは貝殻の裏がわの にぶい光宿したグラデエション、山ぎわに残るクリイム色のあかるみ、のみこんでのび広がりゆく 淡むらさきから菫色。・・・ その空の高いところを羽ばたいて、鳥たちがねぐらに還ってゆく、うかびあがる白鷺の白き翼、まぎれ沈む青鷺の暗き翼、・・・煤をまき散らしたように乱れとぶ燕たち、・・・烏や椋鳥たちよ。・・・ かくて佇みゆくほどに ゆっくりと宵闇の下りきて、川原の石の色あいもしだいに見分けがたく、両岸の木立のいろも暗く沈み、水のいろ空のいろも、やがてようよう沈みゆく・・・
 かくて民べのつどい来る、橋のたもとへ、川原のもとへ、ぽつりぽつりとつどい来て、橋をわたって下りゆく、幻のごとく、影絵のごとく 私たちのうしろを通りすぎて、腰の折れまがった老婆に手をひかれ、薄地の帯かざり 金魚のひれのようにゆらめかしたわらは女(め)ども、ますらおの羊羹色の甚平や、紅おしろいの若い娘たちが。・・・ そのざわめきのなかに、華やいださざめきのなかに、そこはかとなく湛えられた愁ひの色は、あるいはこの時分、この風の涼みゆえのそら目なりしか、行き交ふ民のはざま、ふり向いたあなたのその象牙色の肌に、そのつややかなる黒髪に、まといつき、漂いながらほぐれていった、湯上がりの石鹸の残り香よ。・・・
 日が沈んでしばらくしたあとの空のいろ、日が沈んでしばらくしたあとの河のいろ、その何ともうち言はれず 深み湛えたふしぎなブルー、ほのかに光宿せる幻惑のブルー、このいろをあなたに着せよう、ちぎれただよう雲の片はし、ゆらめく波の網目もようをも添えて、このいろを浴衣に仕立て、あなたの肩に着せかけよう・・・ 帯にはあの月のいろ、やはらかな乳白色に淡い金で、やや大ぶりの葦の柄を織りこんで、ふるえるように、ためらひがちに、灯の入ったばかりのランプみたいに、山あいからたったいま昇ったあの月のいろを配して。・・・
 ゆく夏のおわり、灯籠流し。・・・ 今宵人びとはつどい来て、せせらぎひびく川のほとり、とりどりに美しく染めつけられ、叶えられた祈り、遂げられた願い、もたらされた日の光と雨と刈り入れのときとに礼して 篤心のことば書きつけられたる紙灯籠を、川の神に手向けて流す・・・ 思い思い、川原に下りては水の瀬に置かんとて身をかがむ、その姿は祈るひとのそれにも似て 静謐な叙情をたたえ。・・・ ぽっつりとやわらかな光を放つ灯籠がその手からはなたれ、今しもひとつ、ふたつ、流れにのって流されてゆく・・・ 子供らは声をあげ、飛沫をけちらして瀬のなかへ走りこむ、岸づたひに並んで走ってゆく、そのよび声が川風にのってかすかに届く・・・
 闇のまさりゆくほど、しだいしだいに灯籠の数はふえ、あるいはたゆたいつ、あるいは流れにのって、川はばいっぱいに広がって流れゆく・・・ あるいはけざやにうち光り、あるいは心ぼそげにふるえつつ、そこの赤いの、向こうの青いの、手前の桔梗色、橙色、・・・檸曚色。 ・・・その光が水のおもてにうつってちろちろゆれる、どれもこれも、きっとあかるく灯しつづけよ、ゆめ その途上にやみ果てるなよ。・・・
 とおく川上から しじまを渡ってくる笛太鼓の調べ、いくえに連ねた赤いぼんぼりを背に、ゆるやかに踊るシルエット、えいえいと伝えられてきた流儀、はるかな昔から変わることのない 山あいのひそやかな祭り。・・・ 山のかたちの移ることなく、月の満ち欠けのたゆむことのないように、彼らの暦もまた同じ、悠久の相をたたえてつづいてゆく。・・・
 この村を私たちはゆき過ぎた、この山並みを私たちは宿した、数知れずふりつもった景色の底に。せまい山里に肩寄せあって暮らし、草深き通ひ路、そだの束 うず高く積みあげては往き来し、・・・鉈で打ち割る井戸の氷、うち傾いたわらぶきの屋根、わずかに切り開かれた花豆の畑。・・・
今も瞼によみがえる、柳の魚籠を腰に下げ、きらめくしぶきの間で釣り糸ひいた遠い夏の日、その光、いくたび通った草いきれの土手の道。・・・ 少年の日の私がよこぎって走りすぎたそのあとを、幼いあなたは自転車の荷台に揺られ、木もれ陽あびて揺られていった・・・ 月が大地をめぐるように、川の支流が出会うように、はるかな道のりを経めぐって いまひとたび、私たちはめぐりあった。・・・
 ゆく河の流れ、灯籠流し。・・・ 生々流転の営みのなかで、混沌と青くうずまく銀河のなかで、いまひとたび めぐりあったことの奇蹟よ。・・・ どんな宿世の契りが結ばれたので、つひにあやまたず、ゆきたがふこともなく、かく互いの腕のなかへ辿り着くことができたのだろう・・・ 己れのうちに宿せる火を私たちは守りぬいた、その紅きほむらを葦風に吹き散らすこともなく、さかまく滝壺に呑みこまれてしまうこともなかった。・・・
 ひと夏に燃えあがった恋を彩って花火があがる、いくつもいくつも大ぶりの菊が、そのやはらかな白金の花びらを夜空にひらき、すうと絵筆を走らせて 谷いっぱい、のびやかなその花びらを 藍染めの夜ぞらにひらき、・・・あとからあとから、それらはやがて天穹をおおふ枝垂れ柳となり、降りそそぎ流れくだる黄金色の驟雨となって、つひにはなごりの星のいくつぶとなりはてるまで、きらきらと 漂いながら、うち光りながら、その裾をひいて やがてしずかに消えてゆく・・・
 橋の下をかいくぐって灯籠が流れ、私たちの恋が流れる、この川の瀬にうかべて流れゆく、あなたはいちばんあざやかに、皓々と光を放つあの灯籠だ、いかな巡りあわせからかその速水をそれて ひととき淀みのなかにとどまった、私はあの小さな葦の入り江だ・・・ 欄干に佇んであなたの背を抱き、そのあたたかみをこの肌に感じ・・・ 願はくは、あな 往かずもがな、ゆかずもがな、今宵もあすも、願はくは あたうかぎり長きにわたっていつの日までも、この比類なきともしびがきっと この腕のうちにとどまるようにと。・・・

                          03.Aug.

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