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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2014年01月29日

パリ


     詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 2

            パリ


 パリは豪勢にくらす街じゃない。
 パリは、せまいアパルトマンで貧乏ぐらしをしている人たちのもの。
 起きぬけに一杯のコーヒーをひっかけてゆくカフェ、セーヌ河のそぞろ歩き、木の葉ふるリュクサンブール公園でのしずかなひととき。
 それらはこういう人たちのためにこそあるのだ。

 古びた石造りの建物が立ち並ぶ路地を歩きながら、私は見上げる窓ごとに、そこに住む人々をまざまざと思い浮かべることができる。
 志かたい、若き小説家。朝早くから売り込みにいった出版社のことごくに冷たくあすらわれても、自分の才能を信じて疑わない。時にはパンの代わりに希望で命をつなぎながら、今日も貧寒な机に向かってインスピレーションの炎を燃やす。
 あるいはまた、ほっそりと美しい無名の踊り子。日夜きびしい練習にあけくれ、自分の生活を顧みるゆとりもない。ほっと一息つけるのは、楽屋裏で仲間たちとおしゃべりする間だけ。素質の足りないところは、意気ごみと、つややかな亜麻色の髪とが補って余りあるだろう・・・

 いつしか私の空想は過去へさまよいこむ。
 暖房のない安宿からのがれて、一杯五スーのコーヒーでカフェに粘り、冗談まじりに<セナクル・デ・ビュヴール・ドー>を自称していたミュルジェールとその仲間たち。
 仕事帰りの地下鉄で乗り合わせた娘たちの顔を記憶に刻んでは、夜になってからそれをスケッチブックの上に再現するボナール。
 借金取りがやってくると見るや、裏口からこっそり逃げ出すのが常だったバルザック・・・
 しかり、パリは貧乏人の街だ。雑草のように逆境に根を張って生き抜く若者たちに、冬の太陽は微笑む。

 (1993)






  

2014年01月29日

追憶

このころほんとにこういう感じが好きだったな。ほとんど次とかぶるけど。

     詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 3

           追憶


 静かな雨の日の午後。うす暗い室内。
 レースのカーテンのかかった窓。
 窓辺に置かれた書斎机、紙と鵞ペンとインク壺。
 空き瓶にさしたかすみ草。
 鋳鉄製の背の高いベッド。
 部屋の中のものをまるく映し出している石油ランプのほや。
 静寂の中に、遠い記憶がふと呼び覚まされる。

 霧の散歩道。すっかり葉を落とした木々のこずえ。
 雨粒をいっぱい散りばめたくもの巣。
 手をつっこんだポケットのぬくもり。
 ゆっくり歩いてゆくコートの後ろ姿。
 古いレンガの橋。二つのアーチが揺れ動く水に映って眼鏡のように見えるから、眼鏡橋という名前だ。
 手すりに身をもたれて、川の中に石を投げ入れている小さな子供。

 ぬれた石畳。
 灰色の縞猫がたたずんでいる、古風な装飾の窓。
 路上のスミレ売り。
 新聞屋の店頭を飾る絵はがき。

 やわらかなオレンジ色の光を通りに投げかけている街角のカフェ。
 ガラスごしのほおづえ。
 少し曇りの出た銀のミルク入れ。
 流れおちる雨にぼやけてかすむ往来の人影。

 飛び立つ鳩の群れ、びしょぬれの青銅の騎士。
 夕やみの中に浮かびあがる街灯の光。
 大通りを行き交う色とりどりの傘。
 うす灰色の空をふるわせてゆく 時計台の鐘のひびき。

 (1993)






  

2014年01月29日

カフェ・ジュヌヴィエーヴ

このころの夢や愛していたイメージを、ぎゅっと詰めこんだブーケのような小品。そのひとつは<ベルベット・イースター>。

     詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 4

      カフェ・ジュヌヴィエーヴ


日曜日、朝。曇り。
明け方まで降っていた霧雨が、
下町の古びた家並をしっくりと溶けあわせている。
少しくたびれたレースのカーテンごしにさすうす暗い光のなかで、
イレーヌはしばらくまどろんでいた。
それからゆっくりと起き上がり、ベッドの上で片膝を抱えて、
何を見るでもなく 部屋の一隅をぼんやりと眺める。

こういう天気の日には、この部屋の中に沈澱している過ぎ去った時代の感じが殊更強まるように思われる。
祖母の記憶―蜂蜜入り石鹸の匂い。
ここは、祖母が亡くなるまで祖母の部屋だった。
この部屋にあるものも大方はみな祖母のものだ。
鋳鉄製の背の高いベッド、洋服だんす、こわれたランプ。
少し曇りのでた、どっしりとした鏡台―埃をかぶったカスミ草がひと束、
ジャムの空き壜にさしてある。
それから、イレーヌの着ている昔風の白いねまきも。

祖母はおしゃれな人で、そんなに暮らし向きもよくなかったのに、
ブローチやネックレスやレースの手袋など、優雅で古典的な品々をたくさんもっていた。
イレーヌも、時どきはそういうものを眺めて楽しむけれど、
自分で身につけることはめったにない。

イレーヌは、ようやくベッドから降りると、
洋服だんすの中から細身の黒いワンピースと、淡いすもも色のカーディガンを選び出した。
それから、つば広の白い帽子を取り出して、鏡に向かっていろいろかぶり方を試してみる。
やがてジョルジュがやってきて、二人は連れだって出掛ける。
彼らはぶらぶらと街を抜け、野原や小麦畑のあいだの細い小径を通って歩いていく。

   *

こういうおだやかな曇りの日には、ものごとの美しさがもっとも正直に、はっきりと見える。
緑色の海に浮かぶ星々のように、生い茂る雑草にまじって咲くマーガレット。
矢車草、あの少し紫がかった、深く澄んであざやかな青。
咲き乱れる真っ赤なけしの花びら。
農家の庭先にはつるバラ、ライラック、すずらんに色とりどりのアネモネ。
青い菫に忘れな草、足もとにぬれるクローバー。

川岸に芽吹く柳のみずみずしさ。
静かな川面。
遠くの森の微妙な色あい―ところどころ、白っぽい淡い緑がまじる。
遠くからのぞむ街の風景も、たしかに美しい。
彼らは来た道とは別の道を通って街へ戻る。

   *

通りから少し外れた街角にある静かなカフェ、ジュヌヴィエーヴ。
飾り気のない石造りの入り口の両脇には、髪を結い、流れるような衣をまとった美しいブロンズの女性像が据えられて、
それぞれまるいガラスの月を―水瓶をかかげるように片方の肩にのせて―かかげている。
今日のような少しうす暗い日には、昼間からこのガラスの月に灯りがともされて、石畳にやわらかい光を投げかけている。

ジョルジュとイレーヌは窓際に近いテーブルにつき、サンドウィッチとコーヒーを注文する。
古時計がものうげにチクタクいうのをききながら頬杖をついて、道ゆく人々をただぼんやりと眺める。

こころよいざわめき。銀製のポット。
使いこまれた円テーブルのふちのなめらかさ。
カフェ・ジュヌヴィエーヴを出るころ、静かに雨が降り出す。
二人はジョルジュのこうもり傘を広げ、表通りを冷やかして歩く。

絵はがき。ティーセット。レコード。
街角の新聞売り。ベタベタと貼られた広告塔。
うす青いろの夕闇に浮かびあがる街灯の光。
往き交う人びと。
ワルツを踊るようにくるくると流れてゆく雨傘たち。

(1993?)