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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2018年08月10日

高校の話~5 Xの彼方へ~



引き続き、高校時代にお世話になった先生たちについて書いています。
この記事では、数学の先生の話をします。
英語の先生とかぶってしまうけど、K先生。

私、正直言って数学はほんとにできなかったし、大っ嫌いだったのです。
数学どころか、小学校に上がったばかりで二桁の引き算で挫折して以来、算数については人生諦めてきましたw
だから、そんな私が数学の先生の話をしようってこと自体、驚きです。
そこまでダメだった自分はさておき、ほんとにいい先生だったということですから。

2年間、数学を教わったその先生は、当時はけっこうな強面キャラで通していました。
鋭い眼光に、一部の隙もないスーツ姿。
黒板をバチバチ、棒で猛烈に叩きながら、嵐のような勢いで進んでく授業。
「分かったか?」「お前ら、生意気だからな」が口癖で。
ほかの授業ではだいたい寝ている野球部の面々も、この先生の授業では起きてる率が(比較的)高かったっていう。。

こんなふうに書くと、昔よくいた高圧的なタイプの、ダメな先生みたいですがw
決してそうじゃないのです。
じっさいはとてもチャーミングで、可愛らしい人でした。
いや、ほんとだってば。
だからそんなキャラなのに、あだ名は「○○りん」ですw
生徒たちのほうも、「あの人ああいうキャラでやってるから、俺たちも協力して、乗っかってやろうぜ」みたいなところがありました。

休み時間に職員室へ行くと、その先生が、カップアイスを食べていたことがありました。
夏の暑い日でした。
ふだんの強面な姿とのギャップが激しすぎて、思わず微笑みそうになったのを、
「いやいや、ここで笑ったらあの人のキャラがぶち壊しになる!」って思って、なんとか真面目な顔でスルーしましたw
今でも思い出すとちょっと微笑んでしまいます。
それまでもそれからも、職員室でアイスクリームを食べてる先生って、私、ほかに見たことがありません。

そして、実はめちゃめちゃ気を遣う人でした。
私自身、すごく気を遣われているのを、折に触れ感じていました。
代数のテストで18点を取っても全然怒られなくて、むしろ心配されましたもの。
「…何か悩みがあるのか?」ってw
あぁ、なんか申し訳ないな…と思いつつ、何も言えませんでしたけど。。

とってもセンスある人でした。
体育祭か何かのときに、先生のクラス、おそろいのTシャツをつくったのです。
いえ、私は先生のクラスじゃなかったのですけどね。
とっても印象的だったので覚えているのです。
明るい水色のTシャツで、白の背番号が入っていました。
背番号は、こういう場合、だいたい各自が好きな番号を入れるのです。
で、その先生もその水色のTシャツを着ていたのですが、背番号が、数字じゃなくて
cos60°1/2
って入ってて。
なんか、マルセル・デュシャンの作品を見たようにおおっ!ってなりましたw
そんな素敵な遊び心のある人でした。

数字の世界に、なにか独特な美のあり方を見出していたもよう。
なんか方程式の解を求める? 証明するだったかな?
数式をどんどん書き換えていくやつがありましたよね。
「展開する」だわ。そうだ! この意味でこのコトバ使うの数百年ぶりですw
で、自ら黒板に書き上げると、「な、こうやってまとめると、美しいだろ?」というのです。
当時は、何がどう美しいのかさっぱり…いや、私の計り知れないそういう美しさがこの世のどこかに存在するのだろうなって、想像はつくのですが、やはりピンと来ないまま。
別の星の人にアンドロメダ星雲のどこかの星の絶景ポイントを案内されて「どうだ!」って言われたみたいでした。

でも、ほんとにさいきん…
今行ってるフランスの大学の、分析の授業だったかな。
マリリン・モンローみたいな超絶美人の先生の授業で、「論文の要約ってこんなふうにやるのですよ」というのがあって。
「さすがに論文の要約の仕方くらい分かるわ」と思ってたのですが、その先生が自らまとめられたのを見たら、
「なるほどこれは美しい!! さすがプロ!!」ってなりました。
実にすっきりとして、ムダなく、シンプル。
なにか整った引き出しの中身のような美しさなのです。
機能美と様式美あわせもった…必要なものだけが整然と並び、アイテムのテイストも統一されて、みたいな。
いま思うに、あのときの先生が展開した数式の美しさというのもきっとこんな感じであったであろう、と。
いまだ私には、想像でしかとらえようのない世界ですけど。

そして、この先生というと必ず思い出すのが…

学校で文集をつくるのに、先生たちからの未来へ向けての一言メッセージみたいの、よくありますよね。
ふつう日本語でみんな書くわけです。
まぁ人によっては英語とか漢文っていうパターンもあったけど…
とにかく、「数直線」で書いてたの、この先生だけです。
ゼロから始まって、矢印の先がXで終わってる。こんなふうに。

0 → X

数直線ですから、じっさいは矢印がもっと長いのだけどね。
そのインパクトたるや、まわりのほかのメッセージが(どれも心のこもったものばかりだったのに)一気に吹っ飛んでしまったくらいです。
「数学って、詩なんだわ」って思ったことでした。

私、高校が大好きだったので、卒業後もよく遊びに行っていました。
でも、なぜかこの先生には一度も会えたことがありません。
そのうち他校へ転任されてしまいました。
そのまま、ただ時間だけが流れて。

今回、先生が勤務されているよその学校にコンタクトするの、相当度胸が要ったのですが、思いきってよかったです。
いまはとっても偉くなられていましたが、それ以外はあまり変わっていませんでした。
そして、想像以上に、ほんとに素敵な人でした。

え? でも2年間教わっていたんだよね?
いや、そうなのですけどね。
実は、在学中は、ほとんど話したことがなかったのです。
だって、ああいうキャラだったのですものw
だから、個人的に喋ったのってなんと、ほぼはじめてっていう。(何だそれw)

何となく知ってはいたけれど、今回お話ししてつくづく感じた、
頭のよさ、感性の鋭さ、気遣いのこまやかさ…
とっくに会いに行ってるんだったな、って思いました。
自分が色々な点でノロマな人間であることは知っていたつもりですが、いくら何でもノロマすぎる…
会いたい人にただ会いに行くのに、なに何十年もかかっているのでしょう。

でも、思うのです。
あの日の数直線、思い出すと、いまの私たちはまだ、Xの途上。
こんなに時間が流れても、生き始めた日に「私はこの人生でこのへんまで行きたい!」って思った目標の、まだ何分の1にも達していません。

まぁたしかに、私たちの世代は社会状況的にあまりに条件悪かったけれど。
時代の悪さを言い訳にはしない。
かっこわるくても、私は挑みつづけていきたいのです。
いつだって、心ひとつで、どこまでも行ける!って、信じて生きていきたいのです。
矢印の先の虚空を勇敢に見つめて。Xの彼方へ。…






















  

Posted by 中島迂生 at 09:47Comments(0)高校の話 2018

2018年08月10日

高校の話~4 プロフェッショナルであること~


画像:O先生

高校に入ってさいしょの担任は、国語のO先生でした。
第一印象は、漱石の<坊ちゃん>そのまま。
情熱に溢れ、やたら目力が強くてw
思えば当時のあの高校、ちょっと<坊ちゃん>の舞台のようだった。
いろいろ個性豊かな先生たちがいて。
そういえばいつも赤いジャージを着てる先生や、見た感じタヌキっぽい校長先生もいたっけ。
でも、キャラ的にはそんな感じじゃなかった。みんなほんとにいい人たちでしたよ。

高校3年間で、いちばんお世話になった(というか迷惑をかけた)のはこのO先生だと思う。
O先生といえば、まず思い出すのは、1年のとき、私と先生のあいだを白ヤギさんの往復書簡のように行ったり来たりしていた国語のノート。
時々、ノートを提出しなくてはならなかったのね。
なんか色々こまかく書かなくてはならない決まりがあって、ちゃんと書けていない人は再提出になった。
でも、私はことごとく無視して、わが道を行っていた。
「これで充分分かるのだから、これ以上必要ない。むしろ時間とエネルギーのムダだ」くらいに思っていた。
で、当然、再提出に。
ところが私、頑なに「これで充分」と押し通し、何も直ってないそのままのノートをただ再提出したのだった。
で、またまた再提出だ。
それが5回くらい、行ったり来たりして、ついに先生の方が諦めて、それ以上言ってこなくなった。
…こんな生徒イヤだわー! O先生、ほんとにお気の毒だったw

私、そんなめんどくさい生徒だったのに、先生からは、いいことしかしてもらっていない。
なんか、教科書の単元がひとつ終わるごとに短い作文みたいのを書かされるのだけど、先生、それを同僚に見せていたみたいで。
国語と全く関係のないほかの先生たちから、「君の文章、読んだよ」とニコニコしながら言われた。

受験のときには小論文の個人指導をしてもらった。
私も後年、小論文の指導というのは何度もやることになったが、あれ、大変なのよね。
ひとりひとり、思考回路も違えば文体のクセも違う。
そこに寄り添っていかなくはならない。すごくエネルギーを使う。
小論文を受ける生徒なんて山ほどいただろうに、先生、全部ひとりひとり見ていたのだろうか。
公立高校でここまでしてもらっていいの?と、生徒ながらに驚きだった。

受験の直前には、電話してきて弱音を吐いた私に、すごく言葉を選びながら励ましをくれて。
私、おかげで気が楽になって、当日、落ち着いて取り組めた。

まるで進学する気のなかった私が、そもそも何で受験しようと思ったかっていうと…
国語に限らず、それまでほんと勉強していなかった。
反発してた授業もあったし、めんどくさいだけだったものも。
でも3年の秋くらいになって急に、あと半年くらいしかいられないんだな…と思ったら寂しくなって。
とくに望んだ方向へじゃないにしても、今までやってもらってきたことがいろいろ、身に浸みた。
なんか、そういう瞬間があった。

今まで色んな先生たちに、こんなにしてもらってきたことに、何のお返しができるだろう?
って考えたときに、自分にできることって、せいぜい大学に受かるくらいかなって。
…まぁ、そんな理由で受験しようと思った人ってあまりいないとは思うわw

日々受けてきた授業を思い返すと、
それはこの国語の先生だけでなく、ここで出会った先生たちみんなに共通することなのだけど
浮かぶのは優しい雨のイメージだ。
日に日に土壌を潤すしずかな雨のように。
日々、倦まずたゆまず、たえまなく注ぎつづける感じ、
豊かに注がれて、地中深く浸みこんで、いつのまにか木々が緑濃く枝を広げてゆくように。
それはもう至れり尽くせりで、ただ座って聞いてるだけで、たいがいのことはだいたい身に着いてく感じ。…
それはもちろん知識だけではなく、教養や、パッションや、愛情や、気づかいや。
色んなものが渾然一体となって。…

いえね、分かっていますよ。
いまの教育の現場の流れが、上から一方的に教えるんじゃなく、インタラクティヴな動きを大切にしましょう、みたいになってるのは。
その一方、反動で(?)「寺子屋方式」を再評価する動きもあるし、個人的にはむしろそっちに一票なのですけど…それはさておき。
私に言わせれば、そのあたりはみな方法論の問題で、しょせん副次的な要素にすぎない。
わが竜一の先生たちは、時代の流れに応じていくらでもやり方を変え、同じクオリティの授業を提供できるスキルを持っていたはず。
いま私が言ってるのは、そんなことじゃなく、心意気の問題なのです。
私があそこでほんとうに学んだのは、勉強じゃない。仕事への取り組み方なのです。

あそこの先生たちが、身をもって教えてくれたこと。
与えること。惜しみなく注ぎつづけること。
常に自分にできる最高の授業をしつづけること。
磨きつづけること、学びつづけること、省察しつづけること。
ああいう人たちの仕事の仕方、自分の仕事に対するしずかなプライドが、後年、講師をやるうえでの私の基準になっているのです。
竜一クオリティ。
私はあそこで学んだのです。
プロフェッショナルであるとはそういうことなんだって。

私、竜一高へは、卒業後もよく遊びに行っていました。
なかなか会えない先生もいたけど、O先生とはわりとお会いできていた。
でも、今回はほんとに久しぶり。
10年くらいかな、もっとかな。
それでも昨日も会ったみたいなテンションで、喜んで迎えてくださった。
私、なんというか「久しぶりに帰省した」みたいな気分になりました。

ちょうど季節は夏で、広~い田んぼの中をぬけてきて。
緑濃い里山のなかの学校で、さるすべりは鮮やかに咲いてるし。
広大な敷地内をぐるっと案内してくれて、戻ってきて、冷蔵庫をゴソゴソやってアイスキャンデーをくれたりして。
なんか私、完全に里帰りモードになっていましたw

色々忘れてたこともあったのだけど、先生のほうが全部覚えててくれてる。
色々こっぱずかしいことも全部、いいほうに取ってくれてるし。
ほんとに、つくづくと奇特な人だ。

思えば、私が教わった竜一高の先生たち、わりとみんなそういうところがあったな。
なんというか、無条件に私を肯定してくれていた。
じっさいは、ダメなところは山ほどあるし、それは自分で分かっている。
というか、出会う人みんなにぜんぶ肯定されていたら、逆にダメだよね。
でもこうやって、かつて世界のどこかに自分のことを無条件で受け入れてくれた人たちがいるって、知っていることがどれだけ力になるか。
それがほんとに大きな財産だったなって思って、いまも感謝してるのです。

あの頃の校舎はもうないし、みんなあちこちへ散ってしまったけれど。
私の心の中の竜一高は、いまもそういう場所。
ひととき翼を休めて、パワーをもらえる港のような。





















  

Posted by 中島迂生 at 09:34Comments(0)高校の話 2018

2018年08月10日

高校の話~3 おのれを問いつづける~


画像:K先生

前記事をアップしたあと、国語の先生や数学の先生についても書き始めたのですが…
書いてるうちに「やっぱりまた会いたいな」と思って、唐突に先生たちの連絡先を探し始めました。
そして、結果現在までに、今回連絡をとった先生たちみんなにお会いすることができました。
ほんとにラッキーでした。
みんな校長先生になられていてびっくりした…
自分ひとりで思い出してるより、やっぱり全然よかったです。
いろいろお話して、現在のことも知ることができたし、すごく得るものがあったので、ちょっとメモしておこうと思います。

前記事で書いた、英語のK先生。
すごく尊敬していた、大好きな先生でしたから、お会いできてほんとによかった。
けれど同時に、いまも現在進行形で生きてる生の姿を目にして…
そこには、現状を是とせず、いまもどこか迷いを抱えながら、自分に問いながら生きてる姿があって、
ただ会えてよかったね、懐かしいねだけじゃない、なにか考えさせられるものがありました。

いろいろお話して楽しかったけど、とりわけ印象的だったのは…

ほんとうに謙虚な方、というのは前から知ってましたけど、
この人の口から出てくるコトバには、私、毎回驚かされる。
接するたびにカルチャーショックを受けます。あの頃もいまも。

この人の意識のなかで、相手が誰であれ、たとえ元生徒であれ、
常に、対等というよりもっと、相手を自分より少し上においてる感じ。
そう、階段3段分くらい上に。
そしてごく自然に、相手の立場に立っている。
コトバになって出てくるのを聞くと、すごくそれを感じます。

たとえば今回も…
私としては、自分のことを先生が覚えていてくれたっていうだけで充分うれしいのです。
ふつうそうでしょう?
ところが、先生は「よく私のことを覚えていましたね」って。
…は、発想が逆だ…。

お会いする前、日時をやり取りしてる時点で、「田舎で遠くて申し訳ない」って謝ってこられた。
そこからすでにカルチャーショック… っていうか、そういう人だった。そうだった…
そういうとこ、昔と全く変わっていない!!
私のほうから勝手に行きたいと言ったのに、そんなの先生が謝ることでは全くないのに。

そしてじっさいお会いすると、
あの頃の自分の授業、いい授業だと思った? どうだった? と、真面目に聞いてこられました。
えっ… それを私に聞くの?! って、そこでまたびっくりです。
先生だった人にそんなことを聞かれたことなんて、いまだかつてありません。
(というか、いいと思ってなければ、そもそも会いにきてないし…)

私の中では今も、英語といえばK先生。
その後自分が授業やる側になって、やってきたなかでの原点でもあります。
でもあの水準は、そんなふうに「どうだろう?」とたえず自問しつづける姿勢あってこそだったんだ、と改めて思った。

あの頃は、基本的に、ただ日々授業を受けていただけで、
教育に対する考え方とか、授業をするうえでのポリシーだとか
直接そんなお話を聞く機会はありませんでした。
ただ授業を受けるなかで、なんとなく感じていただけで。
なんか今回はじめて、そういう部分を含めて少し立体的に知ることができた気が。

ご自分の高校時代、先生があまり進路のことを面倒見てくれなかったこと。
だからあんなふうに、担任でもなかった私の世話まで焼いてくださったのかな。
ご自分の経験から、生徒たちにできるだけたくさんの扉を開いてやりたいと思ったのかな。

お話しするなかで
「あの頃は未熟だった、でもいまも未熟」とか
「上からものを言うのは好きじゃない」とか
「自分は教師に向いてないんじゃないかって、ずーっと思っていた」
というコトバが出てきて
じっさい何十年も教員をやってこられて、いまは校長先生なのに。
ふつう少しフシギな気がするかもしれないけれど
実はすごく腑に落ちるものがありました。

あの頃も、どこか逡巡しながらやってる感じ、何につけ断定的に言い切らない感じというのはあった。
でもそれは決してネガティヴな意味ではなくて
つまりは自分を過信しない、現状に甘んじない、己れを厳しく吟味しつづける みたいなこと。
そしてそういう姿勢がこの人の人となりを形作ってるのだと 当時も何となく感じていた。

そう…自分のことを決して100%は信じていない感じ、言い切ってしまわずに少し余白を残しておく感じが常にあった気がする。
だからこそ私たちは信頼して、安心してついていけてた。
何かが違ったらきっと先生の方が先に気づいて正してくれる、あるいは何か言えば必ずちゃんと受けとめてくれるって。

そして私は思うのです。
そういう人が先生をやってるのってすごく正しい!
というか、そういう人こそがなるべき、なってほしいって思う。

正直いって、自信満々なタイプにろくな先生いないもの。
間違ってても自分で分からなかったりするし
誰かを傷つけても気づかなかったりするし。
(ええ、私、けっこうこのタイプです。気をつけないと。)
だからたとえ不安定な足場に身を置くとしても、そんなふうに自分に問いつづけることってほんとに大事。

ただ そんなふうに生きていると、
まわりの人たちはめちゃめちゃ恩恵を受けるけど
ご本人は…
正直、それではいつまでたっても満足できないし 幸せになれないのでは。
なかなかキツイ生き方だな…。なんとなく想像がつくだけに複雑な気持ちになります。

あのとき私を、私たちをまるごと信頼してくれたように
時にはご自分のことをまるごと信じてあげてもいいのに って思ったりします。

それでも結局はすべて この人の魂が選び取ってやってきたことで、
これからもずーっとこんなふうに生きていかれるのだろうな。
時にはちょっぴり闇のトンネルに迷い込んだりすることがあっても
現状に安住することなく むしろ迷いながら、自分に問いつづけながら生きていく
というほうに、逆にゆるぎないポリシーをもってる感じがあって。
ええ、そんなわけで今もやっぱり、心から尊敬する先生です。


























  

Posted by 中島迂生 at 04:24Comments(0)高校の話 2018