2010年02月07日

プロロヲグ

愛蘭土物語(あいるらんどものがたり)
プロロヲグ Prologue
2006 by 中島 迂生 Ussay Nakajima

プロロヲグ

1. 土地が物語をつくる
2. 地霊から託されて
3. 西のさいはての島で
4. イーマとの会話
5. アイルランド人であること

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1. 土地が物語をつくる

「土地が人間をつくるのだ」 - ウィリアム・フォークナー

 波もようを刻まれた貝がらが 真珠をその内に宿す器であり、羽毛を敷きつめたつつましい巣が、小鳥たちの大空へ飛びたつ日まで その揺りかごとなる器であるように、ちょうどそれらと同じように・・・ 詩人たちもただ器であるにすぎない。彼らは自分の語る物語がどこからやって来るのかを知らない。ただ心しづかに待ちつづけ、語らんとする大地のことばに耳を澄ませること・・・ 常に己れを磨いて、あたう限り質の高い器たらんと努めること、それが詩人にできることのすべてである。彼らは知っている、己れはただ何ものでもなく、自分の力で成し遂げられることなど、まるで無きに等しいことを。・・・ それゆえこうした魔法の感覚をつかまえるために、彼らはすすんですべてを擲ち、どこへでも出かけてゆく。・・・

 知っていたはずだった、いやしくも詩人の端くれたらんとすれば、そればかりのことは勿論、とうより知っていたはずだった・・・ にもかかわらず、彼地を訪れるまで、私はじっさいのところ、ぜんぜん知っていないのと同じことだった。そのことが今では分かる、あたかもはじめて知ったがごとく、あらたにはじめて知ったかのごとくだった・・・
 その年の夏、私は西の果てアイルランドの地に旅したのであった。・・・かのめくるめく変幻のたえまない、無限に移ろいゆく空の下、あるときは徒歩で、あるときはらばの背に、はたあるときは辻馬車にゆられて、どこまでも旅をつづけたその夢のような日々は、・・・思い起こすにつけ、ただ思い溢れ、言葉もない・・・
 かの茫々とどこまでもうちひろがる野を、風吹きわたるみどりのメドウを、褐色の荒野を・・・ いくつもの森をぬけ、いくつもの湖をすぎ・・・ 屋根の落ちた石積みの廃屋、羊たち、石垣に群れ咲く野ばらの花さかり、・・・村々ごとの教会の尖塔、埃立つ街道、野ざらしのハイクロス、波がしらの砕け散る淋しい海岸線・・・
 これらの風物のなかを私は旅した、くる日もくる日も、この目に映るもの、この肌にふれるものすべてが心おどる、無上の喜び、ただそれだけがすべてで、すべてで、ほかの何もない・・・

 私はつきあいの悪い旅人だった。宿に居合わせた人々とすらめったに口を利かず、あとまで残った友人関係など、ほぼ皆無にちかい。・・・私はとうより、<人々>にはさしたる関心も抱いていなかったのだ・・・ 資料や書籍を求めることにもさして熱心ではなかった。
 近ごろ、この国に豊富に残る民話や伝説が人々の注意を引くところとなり、民俗学的な目的で、あるいは純粋な興味から、これらを採集しにやってくる者たちの少なくないことを私は知っている。そしてそうしたものに私も関心がないではなかったけれども、それはいわば副次的な関心にすぎなかった。
 私がまず語らいたかった相手、それは大地そのものであった。私が聴きたかったのは、大地そのものの歌であった。・・・この国の詩や音楽がどれほど優れてすばらしいとしても、結局のところ、その大地からでなしに、人がいったい何をつくり出すことができるというのか?・・・
 すべてはここから生まれてくる、この地の野辺や山々の風景から生まれてくるのだ、だからそれらは結局のところ、こうしたものの不完全な報告であり、間接的な体験であるにすぎない・・・ 持ち運びのできる、魂の肖像画ではある、しかしなお、実体のないうつし絵にすぎず、手をのべて触れてみたり、言葉を交わしてみたりするわけにはいかない。まずその源に、母体に注意を向けなければ。・・・


2. 地霊から託されて

 それゆえに、ほかのすべては後回しにして、私はまず野外へ、空の下へ出ていったのだ・・・ 
 さいしょの日から、魔法はすっかり私を捕らえてしまった、私はただ酔いしれて、足の向くまま、風に身をさらしては彷徨い歩いた。ただそれだけでよかった、ただそこに在ること、ただそれだけでよかった・・・
 だからこんなことは、全く予想だにしていなかった、夢見たことすらなかった、こんなにも大それたことは、誓ってもいい・・・私の享けたものすべて、私の何がそれに値したというのか、よそ者の、旅人の身にすぎぬ私に、地霊たちがそんなにも信頼をおいて打ち明けたというのか?・・・
 思いもかけないことが起こったのだ・・・
道ゆくうち、旅をつづけるうちに、しだい風景が透徹してゆき・・・ それはあたかも、地のおもてをかなたへと進みゆくと同時に、時の流れを遡り、積み重なった時間の層を底へ底へと旅していったかの如くであった・・・ 風景の、ただその表層、いま目に映る、いまそこにあるものばかりでなく、かつてそこにあったもの、失われてしまったもの、移ろい変わる景色のなかで忘れ去られていったさまざまな風物や、そこで起こったできごと、五千年、一万年の昔にそこでくり広げられたあまたのできごと・・・ そうしたものが、次々と、なにかふしぎな仕方で私のもとへ訪れてきたのだ。・・・ 大地が憶えていたのだ、その深い記憶の底に刻みこまれて、いくたび雲がゆき交ひ、風が吹きすぎ、地のおもてが変容を重ねても、変わらずにその魂はとどめられていたのだ、いつの日か、だれかの手に、まちがいなく届けるために。・・・
 ここに至って、今更に、打たれたように、私は知ったのだ・・・ これがそれなのだと、ここへ辿りつくために、いままでこの長い道のりを歩いてきたのだと、これらを享け取るために、私は銀河のなかをさまよったすえ この星に生まれてきたのだと。・・・それは・・・ほかに何と言ったらいいのだろう・・・啓示だった!・・・

 だからこれらの物語はすべて、ただ<やってきた>ものを書いたのにすぎない。私がつくったのではない。
 だいいち私ひとりの力で、こんなすべてを創り出せるはずもない。・・・

 旅をつづけるにつれ、しだい物語のなかの王や英雄たち、妖精や女王や乙女たちの面影が、私の頭のなかでひしめきあい、溢れかえってきた。それらすべてをひとりで抱えこむ辛さ、すべての印象を、あらゆるディテールを、ひとつ零さずに運びつづけることの耐えがたさとは!・・・ああ、私の手には余る、だれか力を貸してくれたら・・・ けれどもなお、仮そめにも人に話して聞かせようなどと考えもしなかった。中途半端に話したりしたら魔法が壊れてしまいそうで、とてもそんなことはできなかった・・・ はやくこの旅を終えて、全体を俯瞰したい、だれにも煩わされずにゆっくりと机に向かい、すべての記録や資料をきちんと順序どおり並べ、それ自身の秩序のもとにまとめたい、あの、人の気持ちを落ち着かせる仕事にはやく取りかかりたい・・・ <途上>にあることのもどかしさ、やりきれなさ。・・・
 それでも地平の向こうには、まだ見ぬ丘々が、村々が無限に広がっていて、私に向かって呼びかけていた、私は行かなくてはならなかった・・・ 苦しみながら、引き裂かれながら、私は呼び声に従っていった、どこまでも遥かに旅していった。そうしてついに、西の果て 風の吹きすさぶあの遠い孤島で、私は私を呼んでいたものの正体を見たのだ・・・

 こうして地霊の声を聴くようになってから、私はことさらに用心して当地の民俗学的研究や資料のたぐいから遠ざかった。いくらか買い求めはしたが、多くは目を通さないでそのままくにへ送ってしまった。にわか仕込みのなまなかの知識が妨げとなって、土地そのものがじかに語りかけてくる言葉を、そのままに受け取れなくなることを恐れたのだ。
 世に名高いシングの<アラン島>も、私は一度もきちんと読んだことがない。じっさい、この仕事を終えるまではあえて読まないつもりだ。
 ただ、ほんの一節だけ、ゴロウェイの本屋で立ち読みしたことがあって、そのなかにこんな忘れがたい場面があった・・・ 
 アランの島民が彼に、島に昔から伝わる民話を語り聞かせてくれる。
 ある男が、見初めた娘を嫁にもらいたいのだが、それには、娘の体と同じだけの重量の黄金を、彼女の父親に渡さなくてはならない。男が困っていると、悪魔がやってきて、必要なだけの黄金を貸してやろうと言う。ただし、一年後に返せなかったら、そのときは同じだけの重量の肉を、お前の体から切り取らせてもらうぞ。・・・ 男はそれでいいと言う。一年が過ぎて、また悪魔がやってくるが、男は借りた黄金を返せない。悪魔は男の肉を要求し、男は承諾する。男の体が白い布をひいた台の上にのせられて、あわや切り刻まれるという段になって、今や男の細君となっている娘が入ってきて、悪魔に問いただす、この人はお前に自分の肉を与えると約束したかもしれないが、血は一滴でも与えると言ったか?・・・答えは否。・・・ では、お前は望むだけの肉を、この人の体から切り取るがいい、ただし血は一滴も流してはいけない。・・・もちろんそんなことは、いくら悪魔だってできやしない。それで悪魔は諦めて去っていく。・・・
 こういうグロテスクな話が、何ら感情をまじえることなく、事務的な調子で淡々と語られるのも印象的だが、シングによるとこうした話の起源は古代ペルシャにまで遡るらしい。かの灼熱の砂漠で語られたと同じモチーフを、こんな西のさいはてに見出すとは、と彼は驚嘆をもって書き記している。・・・

かくのごとく、この地のおもてに生まれる物語の魂はすべて地下水脈でつながっているのだと思う。
 類型の最たるものはフォークロアである・・・まったく聞いたこともない話というのは、おそらく別の星にしか存在すまい。・・・そういうわけで、私がここに記す物語の中にも、おそらくはどこかで聞いた憶えがあるようなのもあるだろうし、そちこちで主題やモチーフが重なっている部分もあろう。しかし私はあえてすべてをそのままにして、なにも解釈や説明を加えたり、辻褄をあわせようと試みたりしなかった。そんなことは不可能だし、そもそもそんなことをする資格は私にはない・・・ 誰が不遜にも、神々のために弁護に立とうとするものか?・・・
 それらはただ折り重なるように前後して次々と、私のもとへやってきたのである。それらはそのひとつひとつが、別の種類の真実であって、私のつとめはただ、やってきたものをそのままに書き記すことだけだ。・・・


3. 西のさいはての島で

 これらのことをどんなふうに書き記そうかというのも、ずいぶんと思い悩んだのだった。
 物語が、やってくる、訪れてくるというこの感覚を、どんなふうに説明したものか分からなかったし、たとひ説明したところで、目下のところ私がそれに向けて書いている、わが同邦の人々に、分かってもらえるとはどうも思えなかった。それではじめは、よくあるふうに採話というかたちで、土地の老人たちから聞いた話ということにして発表しようかと考えていたのだった。
 ところが、旅の終わり近くなって、西の果ての小さな島に滞在していたとき、こういうことがあったのだ・・・
 その宿の主人はイーマといふ、ダブリン出身の美しいひとであった。年の頃は三十代半ばばかりであっただろうか、イタリア・ルネッサンスの絵にあるような アラベスクの巻き毛が額をふちどり、瞳は淡い、澄んだ水色、あんなふうに優雅な顔だちを、私はそれまでに見たことがなかった、それで彼女と話すときいつも、不躾でないかと思いつつも、ふつうに見るよりもほんの少し長く、ついその顔に見入ってしまうのだった。
 働きもので、たいへん気もちのよい人で、昼のあいだは精力的にあちこちを磨いたり、片づけたりしてよく働き、晩には炉端でくつろいで、何の他意もなく、今日来ては明日去ってゆく人々と語らい、打ち解けた時を過ごすことを楽しんでいた。その泉は枯れることがないようだった・・・ 人の目をじっと見つめて何か言ったあと、急に弾けるように笑い出すくせがあって、・・・まっくらな夜中など、中庭でだしぬけに高笑いが聞こえてきて、ぎょっとなり、すわバンシイか、と思いきや、そう言えば笑ふバンシイなど聞いたことがないと、ようやくと思い至るのだった。・・・
 詩や小説が好きで、よく何かを読んでおり、宿の壁にはイェイツやほかの詩人たちの詩の一節が美しい書体で書かれたのが、額に入っていくつもかけてあった。当地の風景を描いた私の画集のさいごにイェイツの<さまよえるエインガスの歌>が加えてあるが、これははじめ、この宿の壁から書き写したものだ。・・・

 その日の午後、ちょうど宿には誰もいなくて、イーマは屋根裏の自分の部屋にこもっており、私は居間の奥の、つぎのあたったソファに座って、そこの壁に掛かっていたギターを抱え、旅のあいだに聴き覚えたもの悲しいバラッドのいくつかを、たどたどしくつま弾いていた。
 と、戸口の方で、「ごめんください」という声がして、・・・誰も返事する者がいないので、私は自分で出ていったのだった。客は二人の男で、片方はでっぷりと太って恰幅がよく、もう片方は痩せて、くたびれた風情だった。太った方はアメリカ人で、大学の詩学の教授、痩せた方はウェストポートに住む農夫で、ふたりは友人ということだった。
 この二人組とイーマはとりわけうまが合った。三人そろうとのべつ幕なしに詩の話ばかりしていた。そればかりか、ある晩のこと、イーマはそそくさと上着を着こんで仕度すると、宿を我々滞在客に任せて詩人たちと一緒に島の酒場へ出かけてしまった。

アメリカ人の教授は、医療における詩や文学の効用という研究をしているとのことだった。詩のもつ力を、癌やなにかのセラピーのひとつとして用立てようというのだ。
 そういう考えには、私は正直、感心しなかった。どうも私には、それは不遜で倒錯的な発想で、本末転倒と思われた。たとえて言うなら、馬のために蹄鉄を打つのではなく、蹄鉄のために馬を求めるようなものだ。<人間>がいちばん重要であるなどと、何ゆえ疑うこともなく、無邪気に信じていられるのだろう?・・・
 芸術を、人に仕えさせようとすべきではない。・・・人の方が、芸術に仕えるべきなのだ。・・・
 もっとも、これは私自身が詩人だからことさらそう思うのかもしれない。詩人という種族は、いつの世にも人間世界のまん中にいたためしはない。その魂はどちらかというと村境のそとに、妖精や魔物や化け物たちの領域に属していて、人間界にはかろうじて片足でとどまっているにすぎない。・・・
 教授某は、たしかに詩の道については色々と詳しかった。イェイツの詩に使われている修辞について、二、三分からないところがあったのを質すと親切に説明してくれて、それについてはいたく感謝している。にしても、彼のことを私はあまり高く買っていなかった。
 ウェストポートの農夫の方に、私はむしろ詩人の面影を見た。くたびれてみすぼらしい風情で、堂々たるアメリカ人のわきではいかにも影が薄かったけれども。・・・
 ある日の暮れ方、彼は戸口のところにもたれて、しだいに青く暗くなってゆく丘のいただきを眺めていた。冷たい風のなかで、ほとんど色みを失って影のあわいに溶けあいゆかんとするその陵線、時刻はすでに、ずいぶん遅かったのである。私がそこへ通りがかったとき、彼は見ていたものから目を離さずに言った、ごらん、昼と夜のあいだの丘のすがた・・・いちばん美しい刻だ・・・
 ・・・ケルトの薄明。・・・イェイツの書物の題名を思い出して、私は言った。すると彼は私のほうへ顔を向けて、曖昧に微笑んだ・・・ 彼の目は私を見てはいなかった。私の姿を突き抜けて、その向こうに永遠を眺めていた。・・・


4. イーマとの会話

 この二人が帰ってしまうと、宿ではしばらくイーマと私きりになった。晩になると例の炉端に椅子を引き寄せ、ぽつりぽつりと話を交わした。彼女のほうはさほどの気詰まりも感じないらしかった。私のほうがむしろ緊張して、落ち着かなかった・・・そんなにも彼女が美しいので。・・・
 彼らと話して楽しかったの、と、イーマはしみじみと言った。・・・久しぶりに詩の話ができて。私もね、実は少しばかりものを書いてみたりすることがあるの、そう彼女は打ち明けた。・・・だからとっても興味深かった。・・・
 それから彼女は別の、知りあいの詩人の名を挙げた。・・・その人がね、そのうちこの島に住むかもしれないって言ってるの。・・・それから、島の人のなかにも、詩の好きなひとが何人かいるわ。ぜひ来てほしい、そしたら楽しくなる、時どきみんなで集まって、お互いに書いたものを読みあったりして・・・
 詩人たちのコミュニティー、みたいのができますね、と私は言った。
 そう、そうなの!・・・彼女は頬を紅潮させた・・・そういうのをつくりたいのよ。・・・
 美しきイーマ、<ラグラン・ロオド>という古いバラッドを私は今では知っているが、彼女はちょうどそこに出てくる女(ひと)のようだった・・・かのひとの暗き髪、さつき野わたるむら雲のごと。(*1)・・・彼女もまたひとりのレディ・ワイルドであり、同じような萌芽がアイルランドじゅうに育ちつつあるのを、私はつとにそこここに感じたのである。・・・
 夏のあいだは、私とっても忙しかったの、次から次へとお客さんが来て、モップをかけたりその辺を片づけて回ったり、息つくひまもなかった!・・・ 冬になったら少しは時間ができるわ、そうしたらゆっくり、島をひとりで歩きまわって・・・それから、今まで書き散らしたものをまとめたりして過ごすつもり・・・ 彼女がそう話したとき、季節は十月のはじめになっていたと思う。・・・冬はもう遠くなかった。・・・
 
 ところで、それまで幾日か、晩になるといつも炉端で読み耽っていた本があった、島の公共図書館で見つけたもので、この国の人の手になる、アラン諸島についての本なのだ。(*2)研究資料からは遠ざかったといいながら、シングについでふたつめの例外になるが、言い訳するなら、図書館の本だからくにへ送るわけにもいかないし、版元を控えて本土で探そうにも、ずいぶん昔の本だったからまだ流通しているかどうか定かでないし、かといって諦めるにはあまりにも面白くて捨ておけなかったのだ。・・・
 そこでは、歴史学、考古学、地質学といったおもに実証的な見地からの考察が展開されるのだが・・・そしてもちろん、おもに興味深いのはそこのところだが・・・言葉のはしばしに、抜きがたいアイルランド気質が感ぜられるのだった、いかな論理的に明快に筆を進めようと、結局のところ、いわば妖精の存在を、ついぞ疑ったことなどありはしない、というふうな。・・・それが、ただもう、この人の素地なのだった、目に見えぬもの、論理ではとらえられぬものの存在を、とうよりすっかり前提しているのだった・・・ この人自身にしてからが、妖精信仰と分かちがたく育ってきた。工業都市コークの生まれなのだが、そんなところでも慣習は根強く残っていて、・・・新しく生まれた赤ん坊が男だと、妖精にさらわれてしまう危険がある、というのは彼らはいつでも、自分たちの力を増強すべく兵士たちを求めているから。・・・そこでこの地方では、妖精にさらわれぬよう、男の赤ん坊に女の子の服を着せておく習慣があって、このひと自身、女の子の服を着せられて育ったのだそうだ。・・・
 この本は私にとてもしっくりときて、つい夢中になってしまい、じっさい、これを読み終えるまでは島を去るまいとひそかに決めてすらいた。とくに印象的だったのは、ハイ=ブラジルについての数章で、この本で私ははじめてハイ=ブラジルの名前を知ったのだ。
 
 イーマと話したその晩、私はまだそこのところまで読み進めていなかったが、そのときも膝の上にはその書物があった。
「あなたもご本がお好きなのね、お見受けするところ」と彼女は言った。「あなたはあまりお話にならないけれども、そうして読んでらっしゃるところを見ると、ずいぶんお好きなんじゃない?」
「とても面白いんですよ、この本。よかったら、ご覧になりますか」
 私は、読んでいたところをそのまま開いて渡した。すぐに彼女も引き込まれて、熱心にぱらぱらめくり出した。
「あら、ほんとうに面白そうね、この本。ハイ=ブラジル!・・・ ハイ=ブラジルについて、お聞きになったことがあって?」
「いいえ」
 そこで彼女は話してくれた。それはずっと昔このあたりにあった大きな島、もしくはひとつづきの陸地の名前で、もうずっと前に海の底に沈んでしまったのだ。けれどもたくさんの伝説に残っていて、今でも時どき、何かの折にその姿を海のおもてに表わすことがある。・・・今でもそれを、見た人もあるのよ。・・・そう彼女は言った。
 見た人もあるのよ。・・・こともなげに、そう言うのだった。
 私は心打たれて、まじまじとその顔を見つめた。・・・こういう人たちは、ほかのどこにもいない!・・・ 己れのうちにひそやかに秘められた夢が、現実を突き破ったことの驚きと、ふっと身の溶けるような 信じがたい安らぎ、・・・ それからまた、避けがたく いつかはまた、あの無上なプラクティカルな世界へ立ち戻ってゆかなくてはならないことの、かすかな予期とおののきと。・・・ そうしたものが複雑に入りまじって、一度に胸に迫ってきたのだった・・・ というのも、我々はかくも長きにわたって流謫の身にあったので、重い鎧をつけることに悲しいかなすっかり慣れてしまい、・・・取り外すのはえらい苦労だし、ましてやそれをまたつけるとなっては! ・・・その不恰好な鉄の塊をしらしらと眺めては、うんざりして吐息をつくばかり・・・

 ところが、話はそれで終わらなかった。私が思いに耽っていると、
「あなたも、ご自分で何かお書きになったりする?」と彼女は水を向けてきた。
「ええ、まあ、少しは」
 私は不意を突かれてぎくりとし、用心しながら答えた。すると彼女は重ねて問うた、まるで何気ないようすで・・・
「物語が<やって来る>なんてこと、おありになる?」
 私は文字通り、椅子のうえで飛び上がりそうになった。・・・
「・・・ええ、まあ、ときどきは」
 何とか気を落ち着けて答えると、・・・彼女は頷いて、言うのだった、
「私もあるわ、ときどきね」
 それを聞いて、私はもはや黙っていられなくなった、かわされるのを承知で求めてみた・・・
「よかったら、あなたの書かれたもの、少し読ませてもらえませんか?」 
 すると、彼女は少し頬を赤めてはにかんでいたが、二度とは催促されずに屋根裏へ上がると、手書きの紙の束をとってきた。
「これ、走り書きだから、ほかのひとには、読めないわ」と言って、彼女は自分で読んで聞かせてくれた。ときどきつかえては、「・・・あら、これ何て書いてあるんだろう?・・・ 自分でも、読めないわ」と笑いながら・・・
 私は黙って、じっと耳を傾けていた。・・・緋と黄金で装った女王、どこか黙示録に出てくる<大いなるバビロン>を思わせる、堂々たる女巨人・・・島の荒涼たる平野をゆく、その色あざやかな姿を、彼女は幻に見たのだった・・・ 色彩の対照は際立ち、登場人物たちの動きは、いきいきと生命をもっていた、話のおわりがやや尻すぼまりな印象ではあったが、ぜんたい、淀みなく流れるような、しぜんな流麗さがあった。・・・
「この女巨人というのは、何かのメタファーなのですか、たとえば・・・」
と私が言いかけると、彼女は、
「あら、知らない、知らないわ!」といって遮った。「私には分かりません。私はただ、<やってきた>ものをその通り書いただけなのよ、ね」
 私はしばし黙った。
「タイプして、本にまとめるといいですね」と言った。
「そうなのよ、私もそう考えているの。でも、困ったことに、なかなか集中力がつづかなくて・・・ ちょっとやるとすぐ、お茶を入れてひと休みしたくなってしまうの!・・・ でも、いつかはね、たぶん・・・」
 それから、彼女は私の目を覗きこんで言った。
「島の北側の丘陵のほう、行かれました?」
 ・・・暴風に吹きまくられる茶色一色の光景、剥き出しの岩はだ、吠えたける海鳴り・・・その映像が一瞬、私のまなかひを往きすぎた。
「ええ」私が答えると、彼女は共犯者めいた微笑を浮かべた。
「私、あそこについての物語もあるのよ」・・・

 その晩、驚きに打たれて呆然としたまま、私は寝床へ戻った。・・・私だけではなかったのだ!・・・ ほかにもいたのだ、物語が<やってくる>ことを知っている人びとが。・・・ 私だけではない、少なくともこの国においては、・・・分かってくれる!・・・
 それは途方もなく大きな安堵だった、急に肩の荷が半分も降りた気もちだった。・・・
 彼女がアイルランド人であったことが、またふさわしく思えた。自分が異邦人でありながら、こんなふうに土地のいにしえの秘密を次々と開示される身となったのが、どうも彼らに対して不公平であるような気が、それまでずっとしていたのだった。どうも何かの手違いで身に余る栄誉を受けてしまったようで・・・信じがたく、落ち着かなかった、だれかに問い詰められたら、いったいどうやって言いぬけしようかと・・・それこそ宝石をちりばめたタラのブローチを、道ですれ違った人からいきなり預けられて、やむを得ず、人知れずこっそりと持ちまわっているような気持ちでいたのだった。・・・けれども、ここに至って私はようやく知ったのだ、実のところ、この土地はかくもゆたかに黄金を産するので、だれにでもそれを惜しみはしないこと、地霊が、この土地にじっさい生を享けた人びとにも、そうでない人にもひとしく語りかけるのだということを。・・・


5. アイルランド人であること

 アイルランド人たち。・・・
 以前は私はアイルランドとアイルランド人というものを、あまり厳密に区別していなかった。アイルランドが好きだからというので、当然のようにアイルランド人びいきであった、リンボクや石垣や羊たちのように、彼らもまたかの大地の懐から、生み出されてきた子供たちであるというので。・・・
 ヘンリー・デイヴィッド・ソローの古典的名著<ウォールデン>、その清浄で健康な世界、簡素で力強い生き方、自然界に向けた限りない畏敬と驚嘆を、私は心より愛するものだが、そのなかでただひとつ同調しえなかったのは、当時かのコンコード村近くで掘っ立て小屋に住み、鉄道敷設の仕事に従事していた貧しいアイルランド移民についての記述だった。そのなかで彼は、彼らの精神性が惨めたらしく、ただ働くことばかりを美徳として、あと先考えずに苦労を背負いこんでばかりいるというので、さんざんにけなしているのだ。移民の苦労というものを、いったいどれだけ分かっているといえるのか?・・・
 ところが今や時代が移り、いざ自分がじっさい当地を旅してみると、私は少しくものの見方が変わらざるを得ないことに気がついたのだった。それはおもに、大地の様相にあらわれるのだ・・・ 大飢饉をのりこえて、力を回復したアイルランドが、かつて鉄道を敷設することでアメリカじゅうに利便と効率をゆきわたらせ、また一方では至るところで大地の調和を掻き乱し分断した、その同じがむしゃらな熱心さを、今やこの自国に振り向けつつあるのではないかという おそろしい危惧を、払いのけることができなくなった。・・・
 ・・・あまり詳しく語る気になれぬ事柄もある。・・・ただひとつ、はっきり言えることには、我々はなおも、そして永久に、大地にすべてを負っている。こればかりは、はっきり言っておかなくてはならない。土地を剣の刃にかけて征服することはできても、決してその魂を従わせることはできない。かえって土地を剣の刃にかけるとき、我々は自分自身の魂を剣の刃にかけているのだ。・・・
 アイルランド人であれ、異邦人であれ、それは同じことである。我々はだれも、大地に対して権利などもってはいない。それゆえ我々は旅人としてあるときに、もっともよくその声を聴くことができるのかもしれない。アイルランドがこれ以上変わってしまう前に、誰かがそれを書き記しておいた方がいいのかもしれない。・・・

 以上のようなことをよくよく考えたすえ、私は結局、ただすべてを正直に、ありのままに記しておくことにした。我邦にもあるいは分かってくれる人があるかもしれない。あるいは、今はまだ望めないとしても、いつか分かってくれる人が現れるかもしれない。いや、よし誰の心にも届かないとしても、・・・それでもなお、私にはつとめがあるのだ・・・地霊から受け取ったつとめが・・・かの地で享けたものを書き伝えるつとめが。・・・
 我々はなおもすべてを大地に負っている。それゆえに、選び取るのは人間ではなく、常に大地の方である。・・・大地が、その声を伝えるべき巫女として、人間を選び取るのだ・・・この国のひとであれ、あるいは異邦の民であれ。・・・結局のところ、同じひとつの土地から、同じひとつの魂から発してくるものであるから、誰が受け取っても本質的に大した違いがあるはずもない・・・ただその受け取り方をあやまたずさえあれば。・・・
 詩人たちは、ただ器であるにすぎない。・・・うはべのアイルランド人がアイルランド人ではなく、我々の律法は心の書き板に、消えることなく永久に刻まれているのだ・・・(*3)

 この地を旅したさいしょのころ、私は正直、もっと疎外感を感じるだろうと思っていた。よそ者の身で、ついにこの土地とつながれはしないだろうと。・・・ところが、否、さにあらず・・・ 一歩踏み入れたときから、不安定な曇り空にも、ヒースの花咲く岩だらけの荒野にも、心がすっと広がって溶けこみ、滲みこんでゆくのを感じた・・・ 私は知った、結局これらの風景を今までずっと、私は心の瞳で見つづけてきたのだと。・・・
 我々は詩人として旅人として愛するときに、もっともよく愛せるのだろう・・・ ある意味では我々の生そのものが旅なのであって、我々は大地をただ享け、生きている限り愛して、そして次にくる世代に引き渡すのだ。・・・ そしてそれがかつてのようにできなくなりつつあるとすれば、あまり遅くならぬうちに、誰かがそれを書き残しておいた方がいいだろう。・・・
 私の魂は、彼ら太古の詩人たちの時代に属しているのだろう。私が語るとき、私の力はそこからやってくるのだろう。そして、この肉体が滅びたら、きっとそこへ帰ってゆくのだろう。・・・

 あれから長いときがたって、私のまわりでは色々なことが変わってしまった。だが、なおも私は忘れないだろう、日ごろは日々の塵あくたにうづもれつつも、ふとした瞬間、突如として涙ぐむばかりのあざやかさをもって甦る、あの日の景色、あの日の旅空を。・・・
 私の心はなおもかの地にある、王者の栄華も金銀の財宝も、はた乙女らの優しい胸も、今となっては何になろう、ただ、心おきなく彷徨ふことのできる ひと拡がりの無垢の大地があれば、私はほかに何もいらない、汝、愛蘭土よ、お前はそれを私に与えてくれたのだ・・・
 そして私の心は今もなおそこにあって、夜昼さまよいつづけている、岩の突き出たヒースの荒野を、石垣のどこまでもつづく緑翠の平野を、深い森を抱いた丘陵地帯を、しぶき散る曇天の淋しい海辺を・・・今なお そしてとわに。・・・ 私は決して忘れないだろう・・・ かくて限りない感謝と尽きせぬ思いをこめて、大地から享けたものを大地に返す。・・・

 *1 原詞 "...and her black hair like clouds over the fields of May."
Raglan Road by Thomas Moore (1779-1852)
 
 *2 "Arran Island" by P.A.OSiochain, Kells publishing Co. Ltd, 1962.

*3 「それ表面(うはべ)のユダヤ人はユダヤ人たるにあらず」
     ロマ書第二章二八節。























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Posted by 中島迂生 at 23:46│Comments(0)プロロヲグ
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