2020年03月20日

小説・アレクサンドルⅢ世橋 6. 幽閉

小説・アレクサンドルⅢ世橋 6. 幽閉


病室の白いガウンを思い出させる消毒液のにおい、気の滅入るような ま四角な石灰岩の建物。
長い廊下がどこまでも続き、突き当たりのいちばん奥の部屋、いちばん広く、調度も大仰なその部屋に、葬り去るようにジュスタンは閉じこめられている。
来る日も来る日も、特別誂えの優美な車椅子に身をもたせたまま、うなだれ、その瞳は生気を宿さぬままに。
そこにいても、そこにはいない、生ける屍だ。
さいしょ発見されたときは、拘束しようとすると大暴れして、六人がかりで取り押さえねばならないほどだった。
混乱のなかでなかのひとりが目を打たれ、重傷を負った。あやうく失明に至るところだった。
以降、ジュスタンはとりわけ凶暴な患者として厳重に隔離されることになった。
だが、それ以降は特に何も問題を起こすことはなかった。というか、奇妙におとなしい。無抵抗というより無反応、無感情なのだ。
精神科医は幾度となく彼に会い、何がしかの話を、少なくとも反応を引き出そうとする。
すべては無駄な試みに終わる、問いかけにも、ロールシャッハのどのイマージュにも、何の反応も示さない…まるで魂を誰かに人質に取られてしまったかのようだ。
これがほんとうに、つい昨日まで社交界の花形で、実業界を牛耳っていた男だろうか?…

いろいろ試みたあげく、ともかく今はどうしようもない、と彼は匙を投げる。
それにしても、こんなふうに籠りきりというのはよくない、少なくとも外気にあて、何がしかの刺激を与えたほうがよいだろう…
そこで専任の介添人があてがわれ、ジュスタンの車椅子を押して散歩に連れ出すことになる。
毎朝、彼はジュスタンに身支度させ、マントに身を通させて出かける。
街のいろいろな光景を目にしても、彼は特別の反応を示さない。彼の眼には何ものも、何の意味も持っていないようだ。
その頭は一方の端に傾いたまま、面差しは虚ろ。
介添人は、指示された病院の近くのコースを毎回巡るのに早々に飽きてしまい、あちこちと、新しい道や通りへ彼を引っぱりまわすようになった。
それでも状況は何ら変わることはなかった。

ただひとつだけ、彼がいつも欲しがるものがあった。病院の門を出てしばらく行ったところ、角を曲がると小さなキオスクがあって、新聞やらボンボンやらこまごまとしたものを売っている。
そこで小さなブーケを見るといつも欲しがるのだった。それも必ず、白い花のブーケだ。それを毎日のように買ってやるのが日課となった。
ブーケを与えられると、彼はたいがい、散歩が終わるまで片手に握りしめ、そのあとは看護婦が小さな壜に水を入れて部屋に飾っておく。
ただ、奇妙な癖が… 街中でもどこでも、小さな虫の死骸を見つけると、彼はブーケの花びらをむしってその上へはらりと落とした。鳩や小鳥が死んでいるのを見つけると、花をひとつ、首のところからちぎってぽとりと落とした。何かの死骸に出くわすと、いつでも同じ反応を見せた。
「自分もまあ、死んでいるようなものだからな」と介添人はひそかに思うのだった。「同病相憐れむってところだろうよ」
それだけだった… 帝政崩壊の混乱のなかで、ジュスタンの存在はたちまち忘れられ、病院の中ですら、その存在は死人のように、しだいにひっそりと忘れ去られていくようだった。

     
















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