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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2014年01月21日

喪失について 2 ―コスモスの娘―



コスモスの花の季節に生まれた。
だからコスモスの花には特別な思い入れがある。

こんなピンクはほかのどこにもない。
独特の、くぐもった、スモーキーな、それでいて石のようなひんやりとした質感があって、月長石や曇りガラスや、桜水晶を思わせる。
凛と冷えた秋の陽射しのもとでは、むしろ青みをおびた陰をのこす。
レース編みのような、翡翠をこまかく彫りこんだような、繊細な茎葉の感じもよい。
小さい頃から、ピンクは嫌いと公言してきた。
でもこのコスモスのピンクだけは。

小さい頃から、コスモスは自分の花だと思っているし、自分はその花から生まれたのだと、半ば本気で思っている。
それはたぶん、8歳の誕生日のときに母親がそういう物語を書いて、私にプレゼントしてくれたときから。
それは私が知る限り、母親が書いた、さいしょでさいごの物語だ。

10月1日の晴れた日の朝、彼女はコスモスの花の中で、小さな女の子が眠っているのを見つける。
彼女はその子を連れて帰り、夫と大切に育てる。
女の子は成長しても10センチくらいしかなかったけれど、どこへ行くにも一緒に連れていって、かわいがった。
それでもしだいに彼女は物足りなさを感じ始める。
やっぱり人間の赤ちゃんがほしいわ。
そんなある日、彼女は起きて驚きの声を上げる。
それまで小人の女の子が眠っていた小さなベッドに、代わりに人間の赤ん坊が眠っていたのだ。

そういうお話だった。
画用紙を横に使って2枚に書き連ねられ、上半分に縦書きで文章、下半分に絵が描かれていた。
絵はボールペンで描かれ、色鉛筆で塗られていた。
ピンクと赤紫で彩られたコスモスの花の色合いも、繊細な葉っぱの感じもとても素敵だった。

実はそれは、6歳くらいのときから物語を書き始めていた私が当時やっていたスタイルで、母親のはそれを踏襲していたのだった。
小人の女の子は、とんがり帽子をかぶって、上下つなぎの黄色い服を着ていた。
それも当時の私がよく描いていたものだった。
書き始めていたら12歳くらいまでは、私は小人の少年の出てくる冒険物語ばかり書いていた。
いちばんさいしょに書いたのは、アルフ・プリョイセンの模倣だった。

そもそも小人の出てくる冒険物語ばかり読んでいたのだ。
メアリー・ノートンのThe Borrowers のシリーズ(<アリエッティ>の原作)も7歳くらいですでに読んでいた。
ただ、そのときにはまだちょっと難しくて、11歳くらいになってからもういちど読んだらめちゃくちゃ面白かった。
12歳のときには<指輪物語>を読破した。
とにかくドラマティックで意味があるのは小人たちの人生で、人間であることなど何の意味もないと思っていた。
当時母親の書いてくれた物語に、かぐや姫よろしく小さな小人の女の子が出てきたのはそういうわけだった。

母親の書いてくれたその物語を、私はとても大切にしていたのだけれど、もらってから2年くらいして捨ててしまった。
今でもとても後悔している。
大切でなくなったから捨てたのではない。
大切なものほど、執着しないで捨てなければならないと教えられたからだ。

バカなことを吹き込まれて、うかうかと従ってしまったものだと思う。
今思い出しても心が痛む。
そんなことをしてはいけなかったのに。
どんなに大きなものを敵に回しても、ほんとうに大切なものは、捨ててはいけなかったのだ。

コスモスの季節がやってくるたび、あの物語のことを考えずにはいられない。それは私に、自分にとってほんとうに大切なものは何かということ、そしてほんとうに大切なものを譲歩せずに守りつづけるということについて考えさせるのだ。





小さい頃、家の庭にコスモスが群生して、森のようになっていた。
私の背丈くらいまであって、それが季節になるといっせいに花を咲かせる。
赤とんぼが羽を休めに来たりして、よく捕まえて遊んだ。

あるとき、9歳くらいのときだったけど、友だちのお母さんが遊びに来て、絵を描きたいからコスモスを少しほしいと言った。
母親はコスモスをとても大切に思っていて、ほんとうは少しでもあげたくなかったのだ。
けれど、そういって断るわけにもいかなかったから、植木ばさみを相手に渡して、好きなだけ切ってお持ちください、と言った。
すると、相手は自分ではうまく切れないから、申し訳ないけど切ってくれませんか、と頼んだ。
そこで母親は、しぶしぶ彼女のために少し切って持たせてあげたけれど、一輪切るたびに自分の身を切られる思いで、心の中で「ああ、かわいそう! かわいそう!」と思いながら切ったのだという。

いつしかコスモスの群生はあとかたもなく消えてなくなった。

思い出すとやるせない。
個人的には、あんなにどっさり咲いていたのだから別に何本かいいじゃん、と思うのだけど、問題はそういうことじゃなくて。
自分にとってほんとうに大切なものを、屈したり流されたりして手放してしまうというその状況がやるせない。

自分はそうはありたくない。
もしほんとうに大切なら、「切ってくれませんか」と言われた時点で、あらゆる無言の圧力に抗って、「とても大切な花なので、申し訳ないけど自分では切れません」と言えるようでなくては。
それで友だちが離れていくようなら、仕方ない。
いちばん大切なものを守るためには、2番目以降に大切なものを傷つけることを恐れてはいけないのだ。

でも、私の場合はさらに悪かった。犠牲ということをぜんぜん分かっていなかった。
私はとても大切なものを、いちばん大切にすべきだと教えられたもの(でもほんとうは自分にとってぜんぜん大切でないもの)のために捨ててしまった。
あの物語をそのために捨ててしまった神を、少しは愛していたのならそれも意味はあったのだろうけれど。
それがぜんぜん愛してなどいなかったのだから。
そして、その少しも愛していないことに、自分でも気がついていなかった。



ただ、あの物語だけれど、あのときの気持ちを思い出してみると、ちょっと話の終わり方が納得いかなくて、ちょっといやな感じがしないでもなかった。
あの小人の女の子は、体は小さくてもすでに何でも分かっていて、完成していて、一緒に楽しく暮らすにも申し分のない相手だったのに。
それでも人間のほうがいいんだー。
あんな何もわけの分かってない赤ん坊でも、それでも人間のほうがいいの?・・・
あの女の子の、何がいったい不満だったの?・・・
あの女の子はどこへ行ってしまったんだろう?・・・

今になってコスモスの娘の物語の新しい解釈がふと浮かぶ。
それでも人間がいいんだー ってことじゃないのかも。
あなたが小人を好きなのは認める、前世でいちど小人だったのよと。
けれど今は人間なのだから、人間としてこれからどうやって生きるかが大事。
この物語のつづきが今のあなたなのよ、ということなのかも。



逆境ということ。

近所の道端なんかでもよくコスモスの群生は見るのだけど、なんかいつも背景が悪い。
中途半端な新建材の民家が写りこんでしまったり、どうも美しくない網とか柵とかが入ってしまったり。
なんかいつも気の毒な感じだ。
我々もよくそういうことがあるよね。
自分の足で歩いて、自分にふさわしい背景を探しにいけたらいいのに。

それから、10月は台風の多い季節だ。
せっかくいっせいに群れ咲いたコスモスも、台風が来るとなぎ倒されて、葉っぱのみどりも色褪せて、汚なくなって惨めな感じ。
台風が去って晴れ渡ると惨状が日のもとに曝されてよけい。
あぁもう今年も終わりだな。
あんな上品で繊細で、ちょっと線が弱くて、もっと穏やかな季節に咲けばいいのに。
何だってわざわざこんな、台風や雨の多いたいへんな時期に咲くのだろう。

でも数日もすると立ち直って、前よりすごい勢いでワーッと咲いてて。
予想外、何だこのたくましさは。
ぜんぜん終わってなんかいない。
被った打撃を不屈に乗り越えようとするかのように。

あの独特の、青みのあるピンク。
あのただ中に佇んでいると、なんだかものすごいパワーが伝わってくる。
ひ弱なようでいて、こんなに強い花だったんだわ。
自分も、こうでなくては。
何度もなぎ倒されてはまた立ち直って咲きかえり、11月の半ばくらいまでずいぶんと長く咲くのだった。
実はずいぶんとしぶとく、逞しいのだ。





ろうそくの乗ったお誕生日のケーキ。
憧れる前から諦めていた。
手が届かなさすぎて、憧れさえしなかった。。
あのろうそくの火をふっと吹き消すやつ、自分は一生やることはないのだと思ってた。

誕生日を祝ってもらうという習慣がなかった。
あのケーキのろうそくをふっと吹き消すのは、なんだか忘れたけど、例によって異教の悪霊払いのおまじないか何かに起源があって、だからキリスト教徒がやるべきではないのだと。
それから、たとえ一年に一日だけでも、神をさしおいて自分が注目を集めようとするのはクリスチャンとしてふさわしくないのだそうだ。
子供心にも、それを聞いたときにはほんとに、びっくりを通り越して、呆れ返ってしまった。
一年にたった一日すら、人間に自分の栄光を求めることを許さない神って。
全く。

クリスマスの話でも書いたけれど、子供時代からクリスマスと誕生日と、この二つを奪われるということ、それはほんとうに、取り返しのつかないことなのだ。
何を持っても埋め合わすことはできない。
誕生日以外の日に、どれだけ心のこもったプレゼントをもらっても代わりにはならない。
山ほどのプレゼントより何より、自分の誕生日を、「ほかの誰でもない自分の誕生日なのだ!」という実感をかみ締めながら、自分で、きちんと、正当に祝えるということ、それが何よりも大切なことなのだ。



子供時代にも、誕生日にときどき母親が、神の目を盗むようにこっそりと小さなプレゼントを贈ってくれることがあって、それらはいまも大切にとってある。
9歳の誕生日には、手作りの茶色いコーデュロイのお財布で、ビーズとスパンコールで私のイニシャルのAと、私の星座の天秤が刺繍されている。
10歳のときにはダークグリーンに水玉柄の小さな布袋と、その中に親指くらいの色鮮やかな水鳥の置物。
ほかのときにも私が集めていたガラスの動物園を構成するガラスの動物たちなど、こまごまとしたものをいろいろと贈ってくれたけれど、誕生日にもらったものはとりわけ、それをもらったのが誕生日だったという特別さも加わって忘れがたい。

おとなになってからは、鎖を断ち切っただけでしばらく満足していたけれど、それからも誕生日は毎年やってくる。
今はもう、ケーキにろうそく立ててもいいんだな、とふと思うと、やってみたくなった。
正直、ケーキそのものがそれほど好きなわけではなく、ただケーキに立てたろうそくをふっと吹き消す、というのをやってみたいだけ。
生クリームは苦手だし、よくケーキにのってる人工的な味のイチゴも苦手だし。
いろいろ考えて、自分仕様のバースデーケーキを編み出した。
どうせなら私のコスモスをモチーフに。
そして考えたのが、生クリームにブルーベリージャムをまぜるレシピ。
ジャムを多めにするとすばらしく綺麗なコスモス色になる。
ジャムの酸味のせいか、生クリームが苦手な私でも食べられて、甘すぎない。



コスモスケーキのつくり方
*台生地
*生クリーム
*ブルーベリージャム
*フルーツ缶 いろいろな種類の果物がさいころ型にカットされているもの
*ケーキ用ろうそく
1、台となる生地を用意する 自分でスポンジケーキ的なものを焼いてもいいのだけど、めんどうくさいから買ってきてもいい。
スポンジよりブリオッシュ生地がいちばん合う気がする
2、生クリームを泡立てる 泡だて器がない場合は、ここがいちばんたいへん。
音楽を聞くか、DVDでも見ながら気長にカチャカチャやるしかない。
3、泡だったら、ブルーベリージャムを加えてまぜる。
クリームとほぼ同量くらい? 濃いめのコスモス色になるように、けっこう多めに。
クリームには砂糖を入れない。ジャムの甘みで十分。少し酸味も加わってちょうどよい風味に。
4、台生地に横半分にナイフを入れる。
5、生地の下半分の断面にジャム入りクリームを塗る。
6、フルーツ缶を開ける。
汁気を切って、断面に塗ったクリームの上に乗せる。
7、その上にまたジャム入りクリームを塗り固めて、生地の上半分をかぶせる。
8、生地の全体をジャム入りクリームで覆う。
9、ラップかけて冷蔵庫で数時間なじませる。
10、取り出して根元にアルミ箔を巻いたケーキ用ろうそくを立てる。

ほんとは側面のところに本物のコスモスの花でも貼り付けるとさらに綺麗になると思うのだけど、子供のころのことがあって、なんかコスモスを自分で切るってできない。

誕生日になるとまわりの心優しい人たちが、メールを送ってくれたりご飯に誘ってくれたり、いろいろとお祝いしてくれてとてもうれしい。
でも、まさか私がこんな子供っぽいことをいまだにやりがたっているとは誰も考えず。
だからケーキは自分でつくることにしている。
毎年じゃないけど 暇があるときやどうしてもやりたくなったとき。
好きな音楽でもかけながら心しずかにろうそくに火を灯し、しばしその光を楽しんでからふっと吹き消す。
食べ切れない分はまわりの人たちにお裾分け。
そうやって自分の誕生日をきちんと、正当に祝うのだ。



ナルシストなので、いつでも、コスモスが咲くのは私の誕生日をお祝いしてくれるために咲くのだと思ってきた。

ナルシストなので、自分の姿を写真に残すことに執着してきた。

いつしかその二つが組み合わさって、コスモスと一緒に自分を撮りたい、とずっと思ってきた。
ミュシャの絵みたいに 花に囲まれてその花の精のような女がいて、
で、どちらかというと花じたいのほうがメインテーマであるような。

でもこれがなかなか難しくて、いつも中途半端にしか実現できずにきた。
人に撮ってもらうと、頼んだり日程を調整したりといったことのほか、なかなか微妙な角度だとかフレームワークだとか、こまかいところが伝わらなかったり。
それが自分のカメラでない場合だと、なんだかんだとごちゃごちゃ言ってなかなかデータを渡してもらえなかったり。
いろんな不都合があって懲りてきた。

毎年毎年、コスモスが咲き始めるたびに焦って、心苦しくて、あぁ今年もまた咲き始めてる、なのに私はまだこの子たちといっしょに自分で自分を撮るすべを得られないままにまたひとつ年をとってゆくのだわ、という思いを、毎年毎年、噛みしめて悔しい思いをしてきた。

あるとき、いい加減にしろふざけるな!って。
これはもう自分でやらなくてはって心を決めた。
今までほんとうにごめんね。誓ってぜんぶ取り戻してあげるからねって。

はじめは小さなデジカメでリモコンバンドなるものを締め、エアポンプ式のアナログなリモコンで撮り始めた。
それから、去年のはじめに一眼レフとリモコンシャッターを手に入れた。

自分でぜんぶやるのもほんとにたいへん。
撮影場所の候補を挙げ、下見してまわり、天気予報を睨みつつ撮影日を確保することから始めて、カメラの露出やボケぐあいといった色んな設定や、そのポイントの光の向きから、フレームワークから、近景と遠景の入り方、顔の角度や髪のかかり方にいたるまで、果てしなくいろんな要素が。

でも、この秋はおかげでけっこう満足のいく仕事ができた。
冒頭の一枚は会心の作。
この一枚を撮ることができたことで、これまでの失われたものを辿り直す長い旅のなかでひとつの里程標に到達したっていう手ごたえがあった。

今もなかなか、君たち今年も咲いてくれてありがとう、また会えてうれしいよって、ここの土手やあっちの岸辺に毎年コスモスを蒔いてくれてる市民団体の人たちありがとうございます、っていう心の余裕を持てないでいる。
そこに自分がいて、ちゃんと撮るための色んな手配や労力で精一杯で。

それでも、分かってきたのは。
奪われてきたものを自分なりに取り戻すには、心を決めて、手づから労するよりほかに方法はないんだってこと。
それ以外にはないのだ。



この秋に撮ったコスモスのアルバム。
https://picasaweb.google.com/107799758412385197472/2013_09_27#






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Posted by 中島迂生 at 22:45Comments(2)身辺雑記

2014年01月01日

happy new year 2014


やってみたいニューイヤーの迎え方
その1 セーヌの岸辺、ノートルダムの見えるあたりでシャンペンを抜いてカウントダウン
その2 タイムズ・スクエアでクラッカーを鳴らしてカウントダウン
その3 あゆの年越しライヴでペンライトを振ってカウントダウン

これ全部すごくやってみたかったのだが、今回ひとつ達成!
あいにくペンライトはなかったのだけれど・・・

今年はぜひともカウントダウンライヴ行くぞ! と思っていたのに、あれやこれやで結局チケットが取れず、凹んでいたここひと月。
自分のうかつさを責めたり、運の悪さを嘆いたり。
あれはほんとに凹む。

ライヴビューイングなるものをやるらしいと知ってはいたが、よく分かっていなかった。
Ustreamみたいなものかなと思っていた。
31日の夕方になって、さてちゃんと調べなきゃとネットで見たら・・・
なんと、家で見られるものではないんだ!
全国数十か所の映画館のスクリーンに、中継映像を流すんだって。
ガーン・・・そういうことだったの?!
じゃあ、結局見られないじゃん、あたし?
どう考えたってもう完売だよね?・・・あと4時間したら始まるし・・・

ショックに打ちのめされつつ、でも一応、映画館のリストに目を走らせる・・・
行けるとしたら、うーん、品川?
それでも最短2時間・・・。
まぁ、とりあえず紅白のあゆ見て、それから考えるか。

それから紅白の時間まで少し待って、一番手のあゆを見る。
"inspire"。
そして考えた。
カウントダウンライヴ開始まであと3時間。
さあ、どうする私?
はなから諦めて、紅白のつづき見て、近所の神社で打ち上げる花火を見て、そこそこいい感じではあるがのっけからそこはかとない敗北感の滲む新年を迎えるか?
それとも、少しでもチャンスの残っている限りはそこに賭けてみる??

そして私は賭けてみることにした。
品川の映画館に電話をかけて、問い合わせ。
もうネット予約はとっくに打ち切りで、現地に行って買うしかない。
このタイミングで同じ問い合わせが殺到していて、つながらないだろな、と思いこんでいたら、意外にも一回でつながった。
あ、これ人間? 音声案内じゃなくて??
と、一瞬びっくり。
あゆのライヴ、もう埋まってしまっていますよね?
・・・いえ、まだ半分くらいです。
耳を疑った。
例年だと、これから始まるまでに埋まってしまいそうですか?
と聞くと、
さあ、うちはライヴビューイング今回が初めてなので、何とも・・・ でも、あと数時間で全部埋まるってことはなさそうかと。
あ、ほんとに? じゃこれからすぐ出ます。ありがとう。

・・・聞いてみるものだわ。
しみじみと思いながらすぐ出て、夜道を飛ばし、電車にゆられ、2時間後に着く。
何の問題もなくチケット購入。
しかもどまんなかの贅沢な席。
開場までまだ1時間あったので、映画館の入っているホテルの周辺をぶらぶら散歩し、唯一開いていたマックで軽く食事して、ガラスの向こうを行き交う人々すべてに微笑みかけたい気分。

ライヴはほんとに素敵だった。
さいしょのうちはあゆの顔見てるだけで涙が出そうだったけど、そのうちテンションの高さに引き込まれてきて、さいごのほうのMCも面白くて。
個人的には、Because of you 聴けたのが・・・
何よりあゆと、あゆを愛するほかのたくさんの人たちとこの時間をいっしょに過ごせたのが、ほんと、最高。

ライヴのあと近くの席の人たちと横浜まで飲みに行って、朝まであゆを語る。
隣に座ってたK氏は今回の15周年ツアーを、何と4回見に行ったそう。
いろいろとコアな話を聴けて勉強になった。
あゆぱんのフィギュアまでもらってしまった。

都内も横浜も、朝までやってる店が思いのほか少なくて、静かというか閑散というか。
で、地元民御用達のイタ飯屋さんみたいなとこ。
オリーヴとアンチョビのピザ、キューバリブレ、おいしかったー

それから桜木町へ初日の出を見に。
展望台に登ってみたかったのだけど、すでに何百人も並んでいて無理そうなので諦めて、汽車道を海のほうへ。
だんだん明るくなってゆく海の色、空の色、淡い薔薇色に浮かびあがる港の灯り。
この時間、はじめて。来てよかった。。

なかなか日が出ないので飽きてきて、帰りかけるも気を取り直し・・・
歩道橋の上から、赤レンガ倉庫ごしの日の出。
さいしょのオレンジ色の輝きが現れ出た瞬間、やっぱり感動した。
毎日朝日が昇るのって、あらためて奇蹟なんだわ。
これからは時々日の出を眺めよう。

最高のニューイヤーだった。
今年はなんかいいことありそう♪
読んでくれたあなたにもいいことありますように。





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Posted by 中島迂生 at 22:36Comments(2)身辺雑記

2013年12月25日

喪失について 1


これまであれこれ片づけながら、いままで失ったものや手放してしまったものについて、否応なくいろいろと考えた。
そのうち、それはつまり、自分がどういうものに価値を置いているのかということなのだと気がついた。
自分が大切に思うからこそ、忘れられないからこそ、「失った」とか「手放した」とか思うのだと。

片づけに明け暮れるうち、気がつけばクリスマス。
せっかくだから、クリスマスへの自分の複雑な思いもこの機会に整理を。



クリスマスのことを考えると必ず思い出すのが子供のころに描いた2枚の絵だ。
1枚は、幼稚園のときに描いたもの。
真ん中に、四角いレンガの鉢に植わったクリスマストゥリー。
その上を、トナカイに引かせた橇に乗って飛ぶサンタ。
淡黄色に紫の文字で<メリークリスマス!!>
ふつうにボールペンで輪郭を描いて色鉛筆で塗ってある。

その頃は、よくそういうの描いてたな。
これも幼稚園のころだったけど、12月のカレンダーをつくって、その25日のところに色紙の窓を貼りつけ、窓を開けるとサンタが手を振ってる、みたいのをつくったこともあった。
ステレオタイプだろうが何だろうが、とにかく好きでたまらなかった。

もう1枚は小学校2年生くらいのときに描いたもの。
こちらは虹の七色のクレヨンで画用紙を塗ったうえに、さらに黒のクレヨンで全体を塗りつぶし、尖ったもので引っかいて描いた。
こうすると、黒地に七色のラインが浮かび出るのだ。
描かれているのは、やはり真ん中に、レンガの鉢のクリスマス・トゥリー。
まわりにとんがり帽をかぶり、オーバーオールを着た小人たちが、トゥリーに梯子をかけたりして忙しく飾りつけしている。

子供の頃、描いた絵はわりとすぐ捨てたり人にあげたりしてしまっていた。
けれどこの2枚は手元に残していた。
なぜかレコードプレイヤーの上で、ずっと埃をかぶっていた。

あるとき、小学校4年くらいのときかな、居間の家具を入れ替えるというのでそのレコードプレイヤーを含め、オーディオセット一式が別の部屋に移された。
それからしばらくして、あの2枚の絵がどこにも見当たらないことに気がついた。

「私の絵は?」と聞くと、
「知らないよ。自分がちゃんと管理しとかないのがいけないんでしょ」と言われた。

そのときのショックから立ち直るのにしばらく時間がかかった。
今でも思い出すと心痛む。
それまでも私は奪われていたのに、二度までも奪われた! という思い。
私の家ではクリスマスを祝うことを許されていなかった。

私の家は3代つづいたキリスト教の家系だ。
曽祖父はロシア正教徒だった。
おそらくロシアの血が入っていたのだろう。
「目が青かったのよ!」と、何度も聞かされた。

祖父母と母親はプロテスタント系だ。
なのにクリスマスを祝うことが許されなかった。
クリスマスはキリスト教にローマの異教が融合して生まれた背徳の祝祭で、もとは冬至に行われていた、ローマの太陽神崇拝が起源なのだそうだ。
とか何とか。

そんなわけで、私は学校のクリスマス会なんかにも参加できなくて、しかもそれを自分で言わないといけなかった。
もごもごと口ごもりながら、やっとの思いで「私、クリスマスは祝わないんです」と説明しても、そんな生徒に出くわしたことのない先生のほうは訳が分からない。
「大丈夫よ」とかいう先生もいて、いやアナタが判断できる問題じゃないのよ・・・
でもそんなこと言ったらさすがに失礼だし・・・
それにしても、「祝わない」って言いにくっ!! 「祝う」っていう日本語は、つくづく否定形で使うことを想定してない言葉なんだわ・・・

あとになって、ポール・オースターも子供時代に同じ経験をしたのを知った。
彼の場合はユダヤ人だったからだけど。
こんな経験をした人はたくさんいるにちがいない。

子供時代からクリスマスと誕生日と、この二つを奪われるということは、取り返しのつかないものだ。
どんなに惜しみなく愛を注がれ、それからクリスマスでも誕生日でもないほかの日にいくら心のこもったプレゼントをもらおうとも、決して埋め合わせのできるものではない。
ほかのどの日でもないその日にもらうことにこそ、意味があるのだから。
というか、ほしかったのはプレゼントでさえなかった。

何がほしかったのかっていうと、
クリスマスを祝えるということそのものがほしかった。
後ろ暗い心なしに、トゥリーの輝きを堂々と愛せるということがほしかった。
クリスマスのイデーそのものが。

クリスマスの時期に塹壕で戦っていた兵士たちや、アウシュヴィッツの捕虜たちでさえ、こうしたものまで奪われはしなかった。
クリスマスのイデーを心の中で愛することまで禁じられはしなかった。



私にとって、クリスマスは何よりもクリスマストゥリーだ。
トゥリーさえあればほかはいらないくらい。
トゥリーにこそクリスマスのイデーが凝縮されている。

見上げるように背の高いのもいいけど、どっちかっていうと1メートルとか50センチくらいの小ぶりのやつが好き。
綿の雪がちぎってところどころに乗せてあって、星の飾りや針金モールのトムテみたいなサンタが下がっていて、昔ながらのろうそくの炎の形をした、ピンクや青やオレンジのあたたかい色合いの電飾が、・・・ちかっ、・・・ちかっ、て光っているのがいい。

・・・って、なんでそこまで具体的なんだろう?
書きながら、ふと考えたら、思い出した・・・
そういうのがピアノの先生のうちにあって、自分ちにはなかったからだな。
外を歩いていて、人のうちの窓辺から、そういうのが・・・ちかっ、・・・ちかっ、てカーテン越しに見えるのもいい。

それよりもっと好きなのが、20センチくらいの高さのガラスのクリスマストゥリー。
カットグラスより種からつくる吹きガラスのがいい。
脆いけれど、ずっと有機的なラインをもっていて、ちょっとした具合で枝のひとつひとつが全部ちがう。
トゥリーそのものはもちろん緑。
で、ぜんぶの枝の先がくるんと跳ね上がって、そこに飾りを下げられるようになっていて、やっぱり吹きガラスでできた、ひとつひとつちがう色々な飾りを下げる。

そういうのを小さい頃お店で見て、世の中にこれほど綺麗なものがあるだろうかと思った。
そういえば、いちどそんなのを紙粘土でつくろうとしたのだっけ。
でも、形は似せても、質感がまるでちがった。
あの透明な輝きがないと意味がなかった。
ガラスでないと、意味がなかった。

おとなになってから、友だちと京都へ行ったとき、雑貨屋の片隅で偶然そんなのを見つけた。
その場で即買い。2000円くらい。
しかも夏だった。

それからしばらくの間、クリスマスの時期になると取り出して飾って、いつも2月くらいまで出していた。
てっぺんに赤い星がついているのだけど、何度目かの冬に水道の蛇口にぶつけてそこをちょっとだけ欠いてしまった。

ひとつひとつ、セットの小さな飾りを枝の先に下げていくのが好き。
リース、ミニトゥリー、雪だるまはとてもよくできていてお気に入り。
ろうそく、サンタ、クロス、ブーツ、キャンディーあたりまでまぁいい。
けれど、ベル、天使、星は不恰好でちょっと失敗作じゃないかな。
いくつかのフルーツに至っては・・・なんでここにブドウの房が?みたいな。

こだわりだすときりがない。
時にはセットのガラスの飾りのかわりにピアスとか指輪とかペンダントトップとか、いろいろ吊り下げて気分を変えてみた。
金銀の細いチェーンをまとわせてみるのも楽しいが、それには緑のじゃなく、クリアなトゥリーのほうがいいかも。
やっぱりガラスのトゥリーにはガラスの飾りがいちばん合うみたい。

そのうちめんどうになって必ずしも毎年出さなくなり、出さなくてももっているだけで満足だった。
今年久しぶりに出してきてまた飾ってみた。
うーん、前からうっすら思ってはいたけど、ガラスの赤い部分がちょっとオレンジっぽいのが気になる。
クリスマスの赤はほんとは真紅って感じの赤だといいのだけどな。
・・・こだわりだすときりがない。



普通の大きなトゥリーに飾るオーナメントを見て歩くのもいい。
シーズンになると大きなデパートなんかで実にバラエティー豊かな色んなオーナメントをおいている。

なかでもいちばん心惹かれるのは、星や雪の結晶のモチーフで、やはりガラスとかラインストーンとかのキラキラしたクリアな素材のものが好き。
こうしたモチーフなら吹きガラスじゃなくてカットガラスのほうが好きかも。
もともとが鋭角的なモチーフだし、それにぎざぎざした形をしているので、吹きガラスだと実に壊れやすいのだ。

まるい飾り玉で、上品なパステルカラーの地に金銀で細いアラベスクが入ったようなのもいい。
掠れたような金色のクラシックな天使たちもいい。
金銀に染められた松ぼっくりもいい。
柊の飾りなんかもいい。

あまりにいろいろ見て歩きすぎて目が肥えてしまい、さいきんは完璧に気に入ったといえるものになかなか出会わない。
というか、そろそろ見て歩くことに「気が済んで」しまったのかも。



電飾をつけるなら、昔ながらのあたたかい光のやつがいい。
あまりめまぐるしくパターンが変わるやつじゃなく、ゆっくりおだやかにチカチカするのがいい。
淡い金色一色のもいいけど、マルチカラーのもいい。

発光ダイオードは偉大な発見だと思うが、あのクールな輝きはむしろマリブのビーチバーなんかに似合いそうだ。
正直、クリスマスにはどうかと思う。
とくに青系のイルミネーションはいけない。
ただでさえ寒い季節なのに、見ているとよけい寒くなる。
いま、私の住んでいるつくばの駅の近くの遊歩道の街路樹が目の覚めるようなブルー一色に飾り立てられていて、見られたものじゃなく、目に入るとあわててそらしてしまう。

それから、あくまで一般論だけど、大きいと大きいほどどうもディテールが適当な感じが。
駅前の大きな<トゥリー>なんかだと、かんじんの木がなくて、ただ巨大な円錐形に枠組みをつくってイルミネーションを這わせ、飾り玉やリボンで隙間を埋め尽くしただけ、というのも。
まぁ綺麗だからいいか、と思う一方、・・・っていうかそもそもこれをトゥリーというのか? というかすかな疑問が。



ふつうにお店で手に入るトゥリーの本体はもちろん本物のトウヒではなくイミテーションだが、それはそれでいいと思う。
フェイクファーをそれはそれでいいと思うのと同じことだ。
それで本物の木が切られないですむのなら。

昔ランダル・スチュアートが、キリストの自己犠牲の、現代に残る数少ないアナロジーとしてクリスマストゥリーをあげていたのを読んで驚いた。
というか、そのことを、さいきん論文を読み直していて思い出した。

本物の木を使う場合に、ふつう切ってきて使うことは知っていたけど、信じられなかった。
だいたい木は、人間どもの犠牲となることにいつ同意したのだろう。

あ、そっか。それで私が子供の頃描いたトゥリーはいつも、レンガの鉢に植わっていたんだな。
切られてしまった木に飾りつけするなど、考えただけでぞっとするもの。
死に装束じゃあるまいし。

木は、人間たちよりよほど格の高い種族だ。
我々はもっと木から学び、木をふさわしく尊ぶことを学ぶべきだ。

クリスマストゥリーのあり方というのも、だから、木を切ってきて家の中に飾りつけるのではなく、できれば我々のほうが雪を踏み分けて森へ出ていって飾らせてもらうべきだと思う。
焚き火でも焚きながらね。
古代の太陽神崇拝もそんな感じだったのかもしれない。

古代の人々がトウヒやヤドリギを不滅の生命の象徴として崇めたのはまったく正しい。
木は我々よりよほど神に近い種族なのだ。



やれやれ、これでようやく、どこへ行っても逃げられないあの能天気なクリスマス・ソングから解放される。
あれは音の暴力だわ。
いいかげんにしてほしい。
といって、お正月の雅楽も苦手だけど・・・。

今年は横浜のクリスマスを味わえたのがよかったな。
3月から念願のスケートクラスに通い始めて、これまで都内だったのが、12月から横浜のリンクへ。
毎週土曜、朝5時半に起きてまだ暗いなかを飛ばして6時半の電車に飛び乗り、8時すぎに着いて、駅前のカフェで軽い朝食のあと、9時からのクラス。
だいたい昼過ぎまで滑って、そのあと桜木町へ散歩に出かける。
まず日本丸を眺め、それから気分次第でぶらぶらしながら赤レンガ倉庫のところまで歩く。

12月からこっちっていうのがよかった。
赤レンガ倉庫のところにクリスマスのイルミネーションとトゥリーと、ヒュッテというドイツ式の屋台が出ていて、プレッツェルやホットワインなんかを売っている。
夕暮れまで時間をつぶして、水上バスの切符を買い、虹色の孔雀みたいに綺麗な観覧車のネオンを眺めながら横浜駅まで帰ってくる。
夢のようなひととき。



いつかパリでクリスマスを過ごしてみたいな。
イルミネーションに輝くシャンゼリゼを歩きたい。

マディソン・スクエアのクリスマスも体験してみたい。
あ、でもこっちはニュー・イヤーのほうが有名かな。

クリスマスのイデーを求める旅路はまだまだ終わらない。

「喪失をのりこえるには、まずきちんと悲しまなければならない。
 そうしてはじめて乗り越えることができる」-ジュリア・キャメロン





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Posted by 中島迂生 at 21:54Comments(0)身辺雑記