2009年06月27日

初演備忘・会場設営、段取り、劇団のあり方を模索/次作の方向性

●会場設営

 管理事務所のありかを突きとめておくこと。
 まさかこんなんがそんな大問題だとは思わなかった。
 電源やら脚立の貸し出しやら、具体的なところについては管理事務所に訊いて下さい、と都市整備課のほうから言われていて、電話番号も聞いていたのに。
 一週間前のドレスリハのとき、はじめて行ったらあちこち聞いて回ってもなかなかたどり着かなくて、電話して場所聞いたのにそれでもたどり着かなくて、うろうろ迷ったあげく先方の職員に出てきてもらって、やっとたどり着いたらもう40分くらいすぎていて。そのあいだみんなのこと待たせっぱなしだし。
 それからまた電源のごたごたとかあってリハに入れず。
 ふ~っ、悪夢のようでしたわ。
 だってなんか、地下の秘密の穴倉みたいなところにあるんだもの。あれじゃ分からないよ。
 いちど場所を知ってからも、また行こうとするとなぜかホテルのレストランの厨房に迷い込んでしまうし。
 期間中は毎日、まず朝ここへ行って延長コードとか脚立とか借り出した。
 道具類はステージ向かって左の格子の独房みたいなところに置かせてもらえたので、とても助かった。

 はじめは野外テントいくつか使う予定だった。おもに雨天時対策、機材用。
 それで、人にきいたり、色々調べてみたりしたのだけれど、リース代、下手すると会場代より高くつくし、組み立てるのも大変そう。
 それに、ちょっとでも降りそうだったら屋内にしてしまうし、ぬれてほんとに困るのは、アンプと照明の制御盤くらいなものらしかったので、なしで済ませてしまうことにした。
 団員さんに呼びかけて、ブルーシートも2,3枚用意したが、これも結局使わなかった。

 団員さんの荷物とか、ごたごたしたもの、円柱のうしろの方に隠しておいたが、やっぱり、ちょっとした荷物置き場ほしい。兼楽屋。できたら鏡つき。
 なんにもないのだもの、あそこ。
 どうせステージやるとなったらそういう場所は必要に決まってるのだから、ちょっとつくっておいたらいいのに。
 あと、すぐそばにトイレがほしい。
 フォーラムを突っ切ってはるか向こうの端のアイアイモールに入ってるトイレまで行かなくてはならないので、直前など時間食って仕方がない。
 この2点については、あの場所を管理してる組織から後日ヒアリングを受けたときに申し立てておいた。

 野外でやることのよしあし。
 天候に左右されるということ。暑かったり寒かったり。
 雨が降ったらできないし、また、風が思いのほか大きな要素であることが分かった。
 あまり条件が悪いとお客さんにも忍耐を強いることになってしまう。
 それに、予測もつかないあらゆるハプニング。
 とくに28日!
 すぐそばで駅の通路の取り壊し工事、何も上演中にやんなくてもいいじゃないか。
 あれはほんとにひどかったな。
 駅の工事なんてどうせ市とつながってるのだから、(低額とはいえ)お金とって会場貸す以上はそういうところも含めてふさわしい環境を整えるべきではないのか? 
(まあたぶん、お互いに知らなかったんだろうな。ほかの課のやってることまで見てられるか! って感じで。)
 あと、こともあろうにすぐそばででかい音で弾き語りしてる人がいた!
 ペデデッキも立ちどまっての演奏は課金対象となるんで、どうせ無届だろう。
 届けてたら、この日にステージやるの、知らされてるはずだし。
 頭に来て仕方なかったが、弾き語りが始まったのは上演がはじまったあとだったので、やめてもらいに行けなかった。
 あれはほんとに情けなかった。
 沈黙の効果もクソもない。
 彼ら、自分らがどんだけ迷惑になってるか分かってなかっただろうな。

 それでも野外はよかった!
 会場のつくりとか雰囲気がよかったのはもちろんだけど、ほんものの光と風のなかでやるすばらしさは何物にも変えがたい。
 見上げた空はアイルランドまでつながってる。
 あのなんともいえない解放感と、ある種原始的な感触と。
 私のなかで、演劇の基本形は、古代ギリシャ悲劇と薪能。
 どっちも共通するのは、「野外で仮面劇」ってところだな、考えてみると。
<エニス>を見て、「古代ギリシャ悲劇みたい」と言ってくれた人と、「能みたい」と言ってくれた人と、両方いて、うれしかった。
 いちどこれを味わってしまうと、ハコの中、息苦しく思えてきて。
 できたらまた野外でやりたい。

●段取り

 稽古を始めたのが10月くらいだったが、あるていど差し迫ってこないと段取りも立たない。
 年が明けて、1月中はレコーディング、衣裳、告知関係を中心に、2月で大道具・小道具類と背景幕、3月は予備、という感じで計画を立てたが、ひとつひとつが時間食ってどんどんずれこみ、結局3月に入ってからが大詰めでいちばん忙しくなった。
 分かったこと。
 段取りで大切なのは、実行可能な範囲で計画を立てること、体力は限りあるものだから、本番のために体力を温存できるだけのゆとりをもっておくこと。
 
 初演の前後一週間くらいの怒涛の日程を記してみる。
 演劇と、フェス関連も含めやったこと。

 14日土曜、合唱のレコーディング→ミキシングしてCDにまとめ、全員分焼く。翌日ぜひともみんなに渡さなければならなくて寝てるひまなかった。 
 15日日曜、なし崩れになったドレスリハ。夜、ラヂオつくばにて初演含めフェスの宣伝。
 16日月、フェスのバナーとリボンの制作。ベランダでスプレー。手縫いで端をかがっていたら朝までかかった。
 17日火、会場デコレーション、バナー+リボン+アイルランド国旗。夜までかかった。夜、セッション。
 18水~20金、イベント保険のお金だけとりあえず払い込み。修道衣のフード、守衛の槍、修道院長の袈裟とか禿げ頭の制作。<エニス>のサイン、アンケート等の作成。できる範囲で精一杯のCD音源改良。パレードのための道路仕様許可申請出す。背景幕のさいごのもの仕上げる。前日には団員各人に確認事項メール。あぶなっかしい人にはひとりずつ電話した。こういうのに時間と手間かかる。それと、メアド分かってる限りの色んなところにさいごの告知メール。CD頭出しの練習。台本に番号ふってナレーションのところ赤いワクで囲っておく。自分の衣裳着てみる。持ち物のリストをつくって玄関に積み上げる。寝たのは4時ちかく。
 21土、ライヴ+初日。天候を確認してフェスサイト日・英、劇団サイト日・英、およびmixiに告知を出す。竹園にキャンセルの電話。センター広場管理事務所に確認の電話。きのう捕まらなかった団員に確認の電話。身支度して荷物を積んで出る。この日は昼と夜の2公演。
 22日、悪天候のためキャンセル。サイトに告知を出し、そのほかあちこち連絡して回る。会場の国旗とかが吹っ飛ばされていないか気になったが、この日はそれ以上体が動かなくてのびていた。

 23月、道路使用許可証取りに行く。保険書類を記入して送る。強風でめちゃくちゃになった旗をぜんぶつけ直す。
 24火~金、第週公演の日程打ち合わせ(どの2回をとるか)。7枚の背景幕のそれぞれ4隅にひもの輪っかを縫いつける。ビデオを借りて、撮り方を習う。電話で団員と、先回至らなかった点の改善を打ち合わせ。CD音源のさらなる改良(全体的な時間を短くする、主題曲のコーラスのバランス、フィドルの長音等)。ふたたび各方面に告知メール。
 28土、ライヴ+第3回公演+パレード。神父さんと電話で確認する。サイトへの告知はパレードサイト日・英も含めた6箇所になった。あとの手順は初日と大体同じ。夜、セッション。
 29日、ライヴ+第4回公演。行きにビデオの電池を買っていく。あとは同じ。終了後、会場デコレーションを撤去。運びきれないので格子のところに置かせてもらう。

 30月、置かせてもらった備品類を取りに行く。それでも運びきれず、半分だけ。
 31火、国旗21枚を洗濯して干す。
 4月1水~ 国旗の返送、サイトに終了報告、各方面にお礼のメール、mixiにお礼、あちこちに挨拶回り、会場使用料の払い込み、備品類のさいごの便を取りに行く、会計報告、カンパ箱の制作。
 <まだ終わってないこと>→アルバム制作・ビデオの編集とコピー。

 あと、どの時点だったか、パレードの2週間前くらい、神父さんに二度目の手紙を送った。
 これは完全に私の考えの足りなさだったんだけど、これが入ったのでよけい忙しくなった。
 私の単純な認識では、<エニス>の提示している宗教的な問題っていうのは、キリスト教がちゃんと機能している社会では問題となるだろうけれど、今の日本でやる分には、大して受けもしない代わりに文句を言われることもないだろうと。
 ところが、ふっと気づいたらものすごく近いところに、まさにキリスト教道徳を体現している立場の人がいて。それが誰あろう、パレードで主役を務めていただく神父さん。
 しかも、<エニス>の上演とパレードは同じ場所で同じ日にやり、時間的にもごく接近している。<エニス>の内容を知ったら、神父さんは、こんなのとタイアップした催しに出ることは自分の宗教的良心が許さないと思うかもしれない。だからやっぱり、事前に、ちゃんと説明しておかなければならないだろう。
 こんなことにそれまで気がつかなかったなんて、ダメだった。
 とにかく、もう差し迫っていたけれど、急いで手紙を書いて<エニス>の内容を説明した。いつかは英訳しなきゃと思っていたのだが、せっぱつまった勢いでざっとした英訳ができてしまった。それで、もし貴方の良心が許すようでしたらパトリック役をお願いします、問題あるようでしたら無理にとは言いません、と書いておいた。
 当日、公演を終えて客席に神父さんの顔を見つけたとき、ほっとして気が抜けそうになった。駆け寄っていってお礼を言うと、にこにこして「ワンダフル、ワンダフル!」と言ってくれた。・・・ほ、ほんとかいな。
 とにかく、この人の寛大さのおかげでパレードにも支障なく、無事出ていただけて成功裡に終了。もっとごたごたしていてもおかしくなかった。その辺も、アイリッシュの国民性ですかね。にしても、ちょっと気づくのが遅かったな。あれこれ気を回して万事抜かりなく、というのはなかなか大変であります。

 2週間にわたって4公演打ったことの、

 悪かった点。
 団員全員の予定を合わせるのが大変である。それに、みんな、疲れる。

 よかった点。
 お客さんが、都合がつく可能性が高くなる。あの日だめでもこの日なら来れる、とか。
 あと、至らなかった点の改善をすぐ次の公演に反映できる。これは非常によかった。
 2週目に改善した点、具体的には、役者の演技、ジェスチャー、登場・退場のタイミング、全体的にもっと前方へ出てきてしゃべること、それから背景幕の固定のしかた、等々。

●劇団のあり方を模索する

 立ち上げてからずっと考えてきた。
 今までやったことのない挑戦。人の動かし方ということ。
 そのスタンス。基準をどこに定めるか。どこまで求めるか。どこまで譲歩するか。

 人にはそれぞれ得手不得手があって、意識やモチベーションの度合いにも差があるわけで、一律に一定レベルを要求するとなかなかうまくいかない。
 それに、あんまり無理を言ったり、過度の負担をかけたりしたくないし。

 できるだけムリなくムダなく、自らすすんでやってもらえる範囲で、めいめいの得意とするところをうまい具合に組み合わせてひとつのものをつくりあげられたら、とずっと模索してきた。
 この人はどういう点に長けているんだろうか、何をやりたいんだろうか、どこまでやる気があるんだろうか。
 
 でも、やってきたなかで見えてきたのは。
 ただ各人の得意なところを寄せ集めるだけでは、私のつくりあげたいものはつくれないし、そうすると足りないところをぜんぶ、がんばって埋めなきゃいけないのは私なのだ。

 私は彼らに何を求めているんだろうか。
 稽古にちゃんと来てくれて、役をちゃんと演じてくれて、
 衣裳や道具作りもできる範囲で手伝ってくれて、
 金銭的にも少しは負担してくれて(っていうか、ふつうは団費とか公演費があるもんだろう)、
 告知にも協力してくれて(っていうか、ふつうはチケットのノルマがあるもんだろう)、
 私といっしょに、お客さんを迎える側に立ってくれること。
 それって求めすぎなんだろうか?

 人にはそれぞれ得手不得手があって、意識やモチベーションの度合いにも差があって。
 けど、だからといってできない人ややる気のない人のあり方をそのまま受け入れてしまっていいものだろうか?
 それでがんばってる人のモチベーションまで下げられたり、結託して叛乱を起こされたりするのは困る。
 それに、やらない人がやってくれないところを、結局やることになるのは私なのだ。

 これは人間関係の絡んでくる部分で、正直、いちばん苦手なところ。
 この項目を書くのが、いちばんムズカシイ。
 いちばんイヤな思いをしたのがこの分野で、思い出すだに頭にくることも多いし、書くとネガティヴな調子になってしまうのは避けられない。
 でも、いま、これを考えておかなくてはならないと思う。
 それを避けてると、たぶんまた同じ問題にぶつかる。

 人を束ねるってさぞかし大変だろうな、とは分かってたけど、あるイミ今の自分にはそれが必要なんじゃないかとも思ってた。
 生身の人間関係のなかに自分を放りこんで揉まれてみて、そこから得たり感じたりするものがこのあとの自分に必要になってくるだろうなと。
 でも、振り返ってみると問題は思いのほか単純でもあった。
 つまり、基準をどこに設けるか、どこまで私が我慢するか、ってことね。
 ・・・私の立場からすれば。
 彼らにしてみればまた色々言い分はあるんだろうけど。
 こういうのほかの劇団はどうしてるのかな、訊いてみたい。

 まず言っとくべきは、そもそもいちばんの問題児は私自身なのだ。
 それは自分もよく分かってた方がいい。
 短気で自分勝手ですぐぶち切れるし。
 協調してやってゆくことができるものなら、ひとのつくった組織のなかで収まってたはず。

 それが分かってたから、劇団を立ち上げるにあたってはすごい、自分で気をつけてた。
 人を束ねる立場にある者としての自覚と責任感をもつこと、いつでもテンションを高く保って明確なヴィジョンを示せるようであること。
 安定感と方向性をもってること。
 色んなことのすみずみにまで気を回すこと、こまめに連絡すること。
 いつでも穏やかに優しく接すること、感謝の気持ちを忘れないこと。
 とくにさいごの点。

 結局私がいちばん、素の自分とかけ離れた役柄を演じようとしてもがいてきたのかもしれない。
 素じゃないから、すごいきつかった。
 ほんとはすごい、色んなことで頭にきては、心の中で毒づいてた。

 この社会で不都合なことのひとつは、怒りという感情が許容されないこと。
 悲しみなら寛大に許されるし、何かしら高尚なものと見なされさえする。
 疲れたとか凹んだとかなら、笑って許される。
 困ったとかもそう。ひたすら困ってると誰かが同情して助けてくれたりする。
 ところが怒りはすべてをぶち壊す。大人気ないとか自己中心的だといって非難される。
 だからさいきんは、頭にきたとき、とりあえず婉曲表現として「悲しい」とか「凹んだ」とか言うことにしてる。
 ちゃんと認めておこう。みんなそれぞれに、いいとこあるんだ。
 役柄にはまってたか、ちゃんと果たしてくれたかというのもそうだけど、それ以外のところでも。
 すごく素直で気立てがよくて、いろいろと雑用を率先して手伝ってくれたり。
 機材を貸してくれて、運搬もしてくれたり。
 道具類貸してくれたり、ほかの団員さんたちを駅まで送ってくれたり。

 でもさ。・・・

 (以下、具体例、省略)

 ・・・そんななか、しっかり自分の分を(あるいはそれ以上を)果たして、力強くサポートしてくれたほかの団員さんたち。
 どんなにありがたかったことか。
 彼らのこと心配しないですんだからこそ、何とかやり遂げられたようなもの。

 アマチュア劇団をとりまとめるって大変だな。
 立場も意識もみんなほんとにばらばらで。
 演劇学校を出たプロの卵とかを演出してる方がよっぽど楽に違いない。
 なんたって基本のところの粒がそろってるもの。

 さいしょからスポンサーとかを探そうとせずに、まったくのアマチュアで始めたのは、自由にやりたかったから。
 スポンサーがいるとその言うことを聞かなきゃならなくてイヤだろうなと思ったから。
 だけど、結局だれかしらとはもめなくちゃいけないんであって、要は誰ともめるかの違いなのかなっていう気もしてきた。
 不愉快な団員のことガマンしてるよりは、スポンサーともめてる方がまだましかもしれない。

 でも、こうしたごたごたは、もとから、出くわすだろうなと思ってた。
 イェイツだって、自分の劇団の俳優たちとさんざんごたごたしてきたのだ。
 私がこれから乗り越えてゆくだろうごたごたなど、偉大な先人たちによってとっくに乗り越えられたものにすぎない。
 でも、彼らにはグレゴリー夫人の理解ある援助があって、おかげで役者たちに給料を払えていた。
 私もこのレベルを目指さなきゃいけないのだ。
 いつまでもボランティアでやるつもりはない。
 そのへんもこれから考えていかなくてはと思う。

●次作の方向性

 こうやって振り返ることで時間食ったけど、思ったとおり、見えてくるものは大きかった。
 このところ、最終的にカタチになったものしか自分にも見えてなかったけど、立ち上げから今までほぼ一年近くなる、さいしょの頃は、四方八方にいろいろ考えてたんだなぁということ。もう忘れかけてるけど。
 色んな方向性、可能性をとりあえず考えてみて、そのなかで、現実に可能なことのなかで、どんどん選択され、切り捨てられ、絞られてきて、そうして結果としてこの初演のカタチになったのだということ、つまり何かをカタチにするとはそういうことなのだということ。

 次作の方向性、どういうので行こう。
 第2作って重要なのだ。失敗するとそこで終わってしまう。
 ストーン・ローゼスは Second Coming で終わってしまったし(文字通りだ!)、サヴェッジ・ガーデンは Affirmation で終わってしまった。演劇のことはよく知らないけど、音楽と似たようなもんだろう。
 逆に第2作をうまく切り抜けて、第3作でヒットを飛ばすことができれば確たる地位を築ける、U2の Joshua Tree みたいに。だから第2作をどうするかは重要なのだ。

 一度成功したやり方を繰り返さないことが、成功し続けることの秘訣だ、と言った人がいた。
 ダブリンフェスのドナルさんは、毎回、常になにか新しいものを付け加えるようにしている、と言っていた。
<エニス>でたどりついた方法論はすっかり忘れて、また一からやり直した方がいいかしら? それとも、まずはバリリー調とも言うべき、ひとつのパターンを確立したほうがいい?
 この問題に答えを出すのに、またちょっとじたばたするだろう。・・・

 後記・けっこう固まってきた、と思う。


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Posted by 中島迂生 at 05:00│Comments(0)初演備忘
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