2009年06月25日
初演備忘・脚本
劇団、立ち上げます! って宣言してから今に至るまで、ちょっと振り返ってみる。 ひとつ、思ったのは。
始めるときは、簡単に考えた方がいい。
難しく考えてると、いつまでも始められないもの。
あまたの困難にぶつかるだろうことは分かってても、はじめはあまり考えない方がいい。
とにかく始めてしまった方がいい。
投げ出すことはいつだってできる。
それが自分にとって強い必然性をもっているなら、ごたごたに直面しても乗り越えていかれるだろう。
こんなに大掛かりになってこんなに大変だとは、もちろん想像もしなかった。
いちいち振り返ったらまたどっと疲れて次に進む力を奪われてしまいそうだ。
でも振り返らずに突き進んだら、たぶんまた同じ問題に繰り返しぶちあたるだろう。
だからどう対処するか考察するために、ぶちあたったごたごたのモデルケースとしても書いておく。
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ここではまず、脚本から。
「頭の中ではだいたいできあがっているのです。あとはディテールと方法論。」
2008年6月8日、サイトに載せた創立企画書より。
イメージはさいしょから頭のなかでできあがってはいたのだが、何しろ脚本を書くということじたい人生ではじめてだった。
日記、2008年10月。
「自作の脚本化といふこと。
すごくしんどいけど、勉強になるし、いろいろと考える機会となります。
自作を別のスタイルに書き改めるということ自体は、はじめてじゃない。
数年前、音楽演奏とのコラボレート企画をやりたいというので友人に頼まれて、散文作品を朗読用に書き改めたことがあります。それで朗読に女性歌手を起用して、2回くらい公演をやりました。
これがほんと・・・ものすごくしんどかった! 新しい作品を書くよりはるかにしんどくて。そのときは正直、「もう二度とできない」と思ったものだけど。
何の因果か今そのしんどさをまた、余すところなく味わっている・・・。
いちど書き上がった散文作品というのはつまり、ガラスのカプセルに閉じこめられたひとつの世界、ひとつの有機体。
それをまた取り出してきてどうこうしようというのには・・・はっきり言って、健康上何の問題もないわが子にメスを入れて生体解剖するような残酷さがあります。
作品を書き上げることを<脱稿>っていう。
今までそのなかでもがいて頑張ってまとめあげて、「よーし終わった!」ってそこからぽっと抜け出る感じ。ガラスのカプセルから外へ。
なのにまたそのなかへ立ち戻ってゆかなくてはならない。
定着液でその風景をもうしっかりと焼きつけたはずの、もう自分の手を煩わさなくていいはずだったその風景の中へ、また戻ってゆかなくては、もういちど自分の感受性を開いて、その物語を細部に至るまで自分で生き直さなくてはならない。
その壮絶な精神的めんどくささたるや!・・・
ひとつの物語になんて手がかかるんだろう、気が遠くなる!
私はもう、心を尽くしてひとたび書いた! あとは受け取り手の役割だろう! って叫びたくなる。
ほかに書くべきものがまだない状態なら、まだいい。
ところが、いま自分は、ほかの新しい作品でこれから書くべきものがまだいっぱいあるのに!
ものすごく大変な思いをして、時間もかかっているのに、何か新しいものが生まれているわけではない、物事が進んでいっていないという焦燥感みたいなもの。
そういう思いにもさいなまれながら。
それでもやっぱり。
いままで積み上げてきたものにここで視覚的な表現を与えなくては、ここで人々との共同作業を通じて立体的な表現を与えなくては、という内的な必然性があるから。・・・ 」
同、2008年10月。
「いやはやしかし。
もの書きたるもの、 どれだけの長きにわたって、ひとつの物語に向き合えばいいのか?
へたくそなやっつけ仕事を十残すよりは、珠玉の一篇を残すほうがいい。
けれど、ひとたびきちんと世界の中にそのための場所を確保したら、さっさと捨てて次へ行きたい。
物語はひとたび書き上げられたら永遠だが、書き手の方は生身の人間だから飽きてくるんだ、じっさい。
こんな地味で湿っぽい話、もういいよ。って思ってしまう。」
こういう思いがあったほか、なお悪いことには、のっけからそもそも舞台化の難しい作品だった。
だから長々と苦しみ、試行錯誤を重ねた。
たぶん人がそろうには時間がかかるだろうと思って先にせっせと団員募集をかけていたら、脚本ができあがるより先に団員が集まってしまい、結果待たせてしまうことになった。
団員メール、2008年9月4日。
「さて、さいしょにお会いしてからかなりの時間がたってしまった方もいらして、たいへん申し訳なく思っております。
決して忘れていたわけではありません! 皆さんは私が劇団の将来をかける、大切な方々です。ただ、私の方で脚本化がうまくはかどらなくて、ほんとに悩んでいたのです。 」
団員メール、2008年9月15日。
「すでにお伝えしている通り、私のアイルランドシリーズ第一作のこの作品を、わがバリリー座の初演にかける予定なわけですが。
皆さま、ご感想はいかがだったでしょうか。
とりあえず、脚本係の方はというと・・・ あー! じっさいやってみて分かったのですが、ほんとに舞台化むずかしいです、この作品は。
今まで放っておいたわけじゃないのです。
いちどはいわゆる一般的な演劇の形式、ステージをフルに使ってセットがあって場面転換があってセリフのかけあいでストーリーが展開してゆく、というかたちで半分くらいまで書いてみたのですが、・・・なんかどうも、そういう現在の一般的なスタイルにはなじまないようなのです。
あー・・・のっけからちょっと間違ったかな、別なの初演にすればよかったかな、という思いがよぎったことも。
たとえば、<大岩>なんかだったらスタンダードな舞台のスタイルでばっちりいけるでしょう。
あれなどはとてもドラマティックで、ハムレットとか、ラシーヌの<フェードル>とかに通じるものがある。
(自慢してるわけじゃありません。どうぞ誤解なく。何度も申し上げるとおり、すべてはもらったものですから。)
だけど、<エニス>の場合、ドラマティックな筋立てというのはあまりなくて、むしろ淡々とした日常の日々が進んでゆくなかで、登場人物の心がしだいに変化してゆく、いわば一種の心理劇みたいなところがあるんですね。
それをいかにしたらふさわしく表現できるか。
ゆきづまり、ゆき悩んだすえ、目下の結論は・・・ 一般的なスタイルではなく、例えば日本の能のようなかたちで、シンボリックにやってみたらどうか、と。
というわけで、目下その方向で検討中。 」
というわけで、久方ぶりにその道の本を読み返し、能について、自分なりにまとめてみた(左カテゴリ<能について>)。
いちおう英文学専修だったので、シェイクスピアはひととおりかじっている。
古典ギリシャ語も少しやっていたので、<オイディプス>の一部は原文でやった。
けれど、日本語で書くとなると私にとってはまず謡曲だ。
典雅で、リズミカルで美しい。日本語の最高峰。
脚本書きにあたって図書館に通い、久しぶりにいくつかの謡曲を読み返した。
ついでに<錦木>もはじめて読んだ。
イェイツがたびたび言及しているので、何でそんなに<錦木>にこだわっているんだろうと不思議に思っていたのだ。
読んで、笑ってしまった。分かりやすすぎ。
日記、2008年10月1日。
「今回は、スタイルという問題でもずいぶん悩んだ。
そもそも自分の散文のスタイルは、読んでくださったことがある方は知ってるけど極端に会話が少ない。ほんとにぎりぎり、必要最低限。だいたい、
プロット3:自然描写7~8:会話1~2
という感じ。食事でいうと、
穀物3:野菜7~8:動物性たんぱく1~2
という感じ。(そういえば、じっさい自分のふだんの食事の比率もこんなもんだ。)
それで自分的にはまったく問題と思ってはいない。
10歳のとき、「よし、自分は作家を目指すぞ!」って志を立てたときに、まず思ったのは「それにはまず、自然描写を極めなくては」ということだった。それがいちばん大事だと思った。
それはたぶん、自分がこよなく愛してきた先人たちの作品がそういうのにすごく重きを置いていたせいだと思うし、逆にいえばそういう作品を自分が愛して選び取ってきたのだと思うし。で、その路線を今でも自分は正しいと思って守っている。
だけど・・・それを脚本化するとなると。
演劇経験者の方が私の作品を読んで、「これだと会話がすごく少ないね。ふつう、台本ってこんなに分厚いんだぜー」みたいなことを言ってくださって、そうだよな、舞台にかけるからにはもっとセリフを増やさなくては、というのでいちどはいろいろ付け加えてみたりもしたのだけれど。
でも、なんだかしっくりこなかった。
あとから加えたセリフが力を持ってない。必然性をもってない。
これじゃ・・・ない方がいいな、と思えてしまった。
いろんな舞台を見たりもした。
舞台立てがやけにシンプルで、視覚的に面白みがなく、役者が息もつかずにやたらしゃべってばかりいるようなのが、最近けっこう多い気がする。
あのシンプルさっていうのは、ひと昔前のバブルのころのいわゆる「スタイリッシュな」ガラスとコンクリの建築みたいな、ああいうのを演劇の世界が追っかけているような気がするのだけれど、気のせい?
まあ、それはいいとして・・・役者があまりしゃべってばかりだと、なんかうるさいな、と思えてしまったのです。けっしてセリフが多いばかりがいいとは思えなかった。
また一方の極端で、まったくの無言劇っていうのもいくつか見ました。
コトバなしにここまで表現できるのかっていろいろ勉強になった。
けれどやっぱり、全然なしだといまいち話の筋のこまかい部分がつかめないところもあって、うーむ、難しいものだなぁと。
いろいろ悩んだすえ、自分の場合は、ムリしてセリフを増やさないことにした。
むしろそぎ落とす方に考える。
直観にしたがって、ふつうと逆に行く勇気を。・・・ということで、
プロット・・・可能なら、ゼロ
自然描写(ナレーション、詩的なリズムをつけて)・・・5~6
会話・・・1~2
心中セリフ、独白、回想、呼びかけ・・・1~2
沈黙(動作、または動作の停止による表現)・・・3~4
ふむ。こんなもんか。」
スタイルといふ事。 2008年10月14日の日記より。
「Style begins with a sense of who you are and your self-confidence. Kate Spade
これはどういう文脈の話だか、まったく分からないのだけれど。
ある日うちの職場の白板に校長の字で書いてあった。なんかの教材。うちのオリジナルでは見たことないから、たぶん誰かの学校の教科書かな。
でも、いいコトバだと思いません?
色んなことに当てはまりそうだ。
ここではおもに、脚本のスタイルの話ですが。
5日、予定よりひと月遅れでようやく脚本書き上がり、団員へ発送。
会話を無理に増やさず、地の文を取り入れるスタイルでいくと決めたあとは、すんなりいくだろうと軽く考えていた。もともと散文でも音楽的なリズムを大切にしてきたつもりだし。
ところがじっさいにやってみると、つくづく思い知る。地の文を、口に出して朗読する脚本にするっていうのはまた全然別物なのだと。
地の文というもの、難しいなぁ。
決して原作の地の文のすべてを、ただ適当に切ってばらばらにして並べればいいってものじゃない。
まず取捨選択といふことがある。
本を読んでいる状態では、読者は文章が冗長だとか退屈だとか思ったら適当に読み飛ばすことができる。
ところが、舞台を見ている状態では読み飛ばしたり早回ししたりするわけにいかなくて、退屈してもずっと見ていなくちゃならない。
それは、作り手の方が気をつけて、観客を退屈させたりうんざりさせたりしないようにしなくてはならないのだ。
つまり原文の剪定作業というものがあるイミどうしても必要になってくる。
もとよりすべてはもらったものであれば、依怙地にすべてを抱え込んだりする気はもうとうないのだが、それにしてもひとたび自分の描いた文章を客観的に見るというのはなかなか難しく、その部分を削った方がいいのか残した方がいいのか、いちいち悩む。
そのうえ一文がすごく長いのだ私の文章は。・・・いい悪いは別としてね。
簡潔さを追い求めるのが昨今のはやりだが、私はここ数年ずっとこんな。<じゅずかけばと>という作品を書いた時点で「・・・なんか、一文長すぎ」という意識はあったのだが、「いや、この方がいい」「これでいいのだ」という意見があったりして、だったら無理に変えることもないか、と。
ただ、同じ音楽性といっても、散文用と朗読用ではやっぱり違う。
脚本の場合、ひと息分が、ひと息で読める長さでないといけない。
そしてできたら一文がひと息で読める長さであるのがやはり望ましい。ひとつの文を2回も3回も息つぎして読まれるようだと、聴いてても疲れる。
朗読される前提で書いた地の文をじっさい朗読してみたときに、そらぞらしかったり、違和感があったりするのは、どこかに問題があるのだ。
たとえば、まんま叙述文(最後が述語で終わる)だと、ちょっと間の抜けた感じがすることがある。それは、日常的な文章の型をそのまま舞台という詩的非日常的空間に持ちこんだことからくるずれだ。
詩的な調子にするには、王道としては倒置と体言どめ。
これは決して和歌だけの、または日本語だけの修辞じゃない。おそらく世界中で使われているほとんどの言語にあてはまることだろう。
物語世界に没頭して詩的な気分になっていると、ひとはしぜんこうしたスタイルに傾くものだ。
それから、私だけではないと思うのだけれど、書いていて興が乗ってくると文語調に近づいてくる傾向がある・・・さらに七五調に。
やはり、日本語というコトバそのもののなかに、そういう<型>に向かう遺伝子が、脈々と息づいているのだと思う。
一般的に言って、日本語として朗読したとき映えるのはこういうスタイルだ。
だが、それにしてもおよそスタイルというもの全般において、適当に加減するということは大切だ。
なんでもそう。
たとえば服のスタイルでもそれは同じ。きめすぎはイタイ。
植木の刈り込みかげんなんかでもそう。ほったらかしでぼうぼうでも見苦しいけれど、きっちり刈り込みすぎてもつまらない。
ひとつのスタイルで統一してしまうことはいくらだってできるのだけれど、体言どめがひたすら続くっていうのもくどくてわざとらしいし、終始文語の七五調っていうのも肩がこる。
物語の流れじたいの中での、部分部分による温度差っていうのもあるわけだし、いろいろあっていいのではないだろうか・・・それこそファーガスの流れにも、淵と瀬といろいろあるように?
そう考えたあげく、今回はふつうの叙述文、倒置・体言どめ、七五調など入り混じって粒のそろわないまま、あるていどのラフさを残しておいた。
書き上げたあと、世阿弥の謡曲の何篇かをつくづくと読んでみた。
彼もまた、ほとんどひと世代のうちに色んな意味でひとつのスタイルを作り上げた人だ。
おこがましいけれど、ふと、自分も世阿弥と同じような道を通って、似たような場所に至りつつあるのではないかと思う。
自分でスタイル上のこうした問題に悩まされたあとで読んでみると、謡曲のなかでもやっぱり、ふつうの叙述文と韻文と混淆しているのに気づく。ふと思いついて韻文(七五調)のところだけ線を引きながら読んでみると、それがアルファ波のような不規則な頻度であらわれているのが分かる。
彼もまた、いろいろ試行錯誤していくうちに耳で聞いて心地よいスタイルとして、こんなふうなかたちに行き着いたのではあるまいか。
・・・というようなこういうこまかいこと、ディテールや方法論、忘備録として、いちいちまとめておくことにする。
たぶんほかの演目にも、順次適用してゆけると思うので。
かりにシナリオライター養成学校とか行ったとしても、たぶんこんなようなことを習うはずだ。
いや、能のことなんかは習わないかもしれないな。」
そんなわけで<エニス>脚本のさいしょのバージョンは謡曲調で書いた。
ト書きに堂々と<地謡>とか書いてある。
原文前半の長々とした情景描写も、かなり残している。
口語、文語、韻文がそれぞれ三分の一くらいずつ、不規則なリズムで入りまじる。
(謡曲ってそんな感じなのだ。あのリズムを科学的に分析したら、さしずめアルファ波ということになるのではないだろうか。)
とにかく、耳で聞いて快い響きであることに重きをおいた。
(・・・が、同時に、これを耳だけで例えば子供なんかが聞いたらあんまり分かんないだろうな、というのも分かっていた。)
いちばんさいしょのイメージは野外劇だった。それ自体は最終的に実現した。
ただ、さいしょの設定を書いたときはずっと前衛的な演出で、照明や舞台装置に色々と凝り、そういう装置あっての効果にかなりの重きをおいていた。(自分的にも、いろいろやってみたかったので。)
それが、技術的な問題でできなかったり、会場の構造的な問題もあって、変更、変更、紆余曲折を重ね、結局はすごくシンプルな、ギリシャの古代劇みたいな感じになった。
限界に規定された感じだったけど、いま、そこに至った流れをよくよく思い返してみると、実はいちばんさいしょに、心の目に見えていたかたちにとても近い。
ぐるっとひとまわりして振り出しに戻ってきたような感じだが、自分にとっては一億光年くらいの長い模索の旅だった。
原作では、おもな登場人物が三人くらいしかいない。
能ならそれでもいいのだけど、演劇となるとやっぱりもうちょっとにぎやかな方が、お客さんも見ていて楽しいだろう。
そこで修道士仲間と水の精仲間の場面を入れ、登場人物を増やし、セリフも入れた。
それでさいごまで役者が集まらなくて苦労することになった。
でもやっぱり、増やしてよかったと思っている。
原文では、エルダの耳にとまったのはアマナンの歌ではなく、朗誦である。
それもそのままにした。
(ただ、具体的に何を朗誦するのか考えなくてはならなかったので、埃をかぶった聖書を久方ぶりに引っぱり出してくることになった。前にも書いたけど。)
そんな感じでいちおう仕上がったのが去年の9月くらいかな。
たしか9月か10月あたりから稽古に入った。しばらくそれでやっていた。
でも、それから色々あって考え直したのだった。
ひとつには、10月に薪能(楊貴妃)を見にいったこと。
すっごい楽しみにしていたのに、後半、寝てしまった。
そういう自分と、あまりに退屈だった舞台との両方にショックを受けた。
こんなにも世阿弥を尊敬している自分でさえ寝てしまうってことは、やっぱり能というのはよくよく退屈なのに違いない。
舞台の動きも、話の展開もたいしてないのに、しかもよく聞き取れない語りをえんえんとやられたら、やっぱり誰だって寝ちゃうよなぁ。
それと同じ頃、舞台が修道院なのでミサのあげ方を研究する必要があって、これまた久しぶりに教会の礼拝に行った。
これも前にここに書いたけれど、改めて、カトリックのミサって変化に富んでいて人を飽きさせないなって思った。
つくばのカトリック教会は英語ミサと日本語ミサがある。
英語ミサの方で英語で詠唱やってるのもびっくりだったが(元来は世界のどこでもラテン語でやってたものなのだ)、日本語ミサで日本語で詠唱やってるのにはもっとびっくりした。
そしてつくづく考えてしまった。
教会でさえこうやって時代の流れにあわせ、人に歩み寄る努力をしている。
そのために己れのかたちを変えることを辞さないのだ。
しかもその伝えんとする明確なメッセージの力強さは少しも損なわれていない。
自分もこれを見習うべきではないだろうか?
逆に言えば、伝えるべき物語の筋立てさえしっかりしているなら、スタイルを変えてもその本質に変わりはないのではなかろうか。
とかいろいろ考えたすえ、大幅に書き改めた。おもに語りの部分を。
自分にとっては大切でも、聴く人にとってはたぶん退屈であろう前半と後半の長々とした語りはほぼばっさりカットしてしまい、物語中の語りも装飾的な詩的表現みたいのぜんぶとっぱらって、典雅もへったくれもなく、子供が聞いても分かるように、とにかくシンプルに平易に、口語のみの敬体に統一した。
いわばエッセンスだけに絞りこんだのだ。
結果、ラジオドラマのテープみたいな語りになった。
それが初演でやったバージョン。
語りを担当してくれた女性は、短くなって楽になったと喜ぶいっぽうで、「前のバージョンの方が好き」とももらした。私もほんとうはそうだったので、うれしかった。
ともあれ、ナレーションを取り入れたのはそういうわけで能の地謡からの発想である。
これはよかったと思う。
今の演劇は一般的に言って、とにかく役者のセリフと動きだけでストーリーを表現しなければならないという思い込みに取りつかれてしまっている気がする。
その結果、聞き苦しいいわゆる「説明ゼリフ」をえんえん聞かされるはめになったりして、私はあまり好きでない。
上手にやっても、どこか不自然さが残る。
それより、ストレートに説明してしまった方がはるかにいい。
・・・音響トラブルが持ち上がんないかぎり。
アマナンとエルダの朗誦のところも考え直して、賛美歌を歌う設定に変えた。
お客さんの身になって考えてみると、演劇見に来て、えんえん聖書の朗誦を聞かされても困るだろう、歌の方が聞いてて楽しいだろう、と思ったのだ。
さいしょは、もとからある賛美歌を拝借して使うつもりだった。
それも前に書いたけど、そのつもりであるとき教会に行ったらたまたま閉まっていて出鼻をくじかれたのと、よくよく考えたらお芝居で使うのに本物の賛美歌を拝借するっていうのはやっぱりちょっと、まじめにキリスト教やってる人に失礼だよな、と思ったのだ。(ついでに神様にも、一応。ただ、この話自体が実は相当冒瀆的であることを私は知ってるので、ここでいまさら偽善ぶってみてもあまり意味はない。)
それで、結局、自分で曲を書いた。書いてるうちに曲が増えて、全体がだいぶ長くなってしまった。
これらについては<音楽・ナレーション>の項でまた詳述。
女の子の役は好評だったけど、この子はかなりあとの方になってから、豆台風のように登場したのだった。
利発で元気いっぱいの子で、お父さんの手を引っぱってきた。
もともと子役はなかったのだが、もっとセリフをしゃべりたいというので、それからまたこの子のためにセリフをあて書きしたり、あらたな場面を増やしたりして、また全体が長くなった。
(それで相手役の大人の方がセリフを覚えきれずに苦しむことになってしまった。)
あて書きそのものはそんなに苦労しなかった。会ってどういう子かすぐに分かったので。
ただ、それを出来上がった脚本の中に組み入れて打ち直してプリントアウトしてまた人数分刷って配って、というのが手間だった。結局、ぜんぶで4バージョンくらい配りなおしたんじゃないだろうか。
色々大変ではあったけど、まぁ、あの子が入ってよかったと思う。
全体、あまり楽しい話じゃないので、あの子の役が適当に風穴をあけてくれて、大マジメにおませなセリフを言うところで笑いがとれたり。全体、ちょっと明るくなった。
自信たっぷりで演技もうまく、セリフもダンスも覚えるのが早かった。
セリフ覚えは子供の方がよっぽど早い。
初演で最終的に上演したのは、そんなかたちだった。
通して一時間半ほど。 ・・・ながっ!!
いかんせん長い。こんなに長くなる予定じゃなかった。
たいした話の展開もないのに、これではお客さんが飽きてしまう。
2週めには何とか縮められないかと思ってCD音源のあちこちをいっしょうけんめい削ったが、結局、2分ちょっとしか縮まらなかった。
それが味わい深いと言ってくださった感受性豊かな方もいるが、それに甘えてはいけないだろう。
ほどよい長さというのが今後の課題だ。
初演の脚本が書かれた経緯は、そんな感じだった。
さいしょだからしょうがないかもしれないが、いかんせん、要領悪くじたばたもがきすぎ。
次からは、もう少しさくっといきたいものだ。