2014年01月29日
車窓スケッチ
当時見ていた<世界の車窓から>のなかの気に入ったシーンや、旅行雑誌の印象的なスナップなどなど。
詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 9
車窓スケッチ
窓辺ですすり泣く雨だれ、じっとりと冷えこんだ大地。
霧に溶け入る針葉樹の森の、青みがかったいろ。
古典調のフルートの、物淋しげなしらべ。
列車の通りすぎたあとを行き交う人影。
野辺の羊たち、身を寄せあって立ち尽くす--
行けども行けども果てしない、野辺に群れる羊たち。
ガラス窓にふっと息をふきかける。
給湯室の熱いお湯。清潔な洗面器。
窓辺の小卓、色のさめたばら色のカーテン。
ペーストを塗りたくったパンの切れはし、指をあたためる豆のスープ。
しずかな物思い。
冷たい霧の中に一点、赤く光る信号灯。
・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
* *
村外れの小さな駅舎、ここはほとんど貨物列車しか通らないが、
たった一人の駅員は毎日けっこう忙しい。
壁一面のボタン相手にダイヤグラムを調整し、
列車が通るときには外へ出て小旗を掲げる。
午後三時、やっとひととき、くつろげる時間。
縞模様の木目のなめらかな机に、ほうろう引きの大きな白いやかん。
青い花柄の厚手のコーヒーカップ。
窓辺の花ごしに見える、しずかな駅の光景。
いくらもしないうち、学校を終えた子供たちがやってきて、
彼女に遊んでもらおうと
扉のかげからようすをうかがっている。
* *
うす暗い窓辺の小卓の、一群れの空き瓶、うす青いのや透明のや。
籠に残ったゆで卵、その他、昼食後のちょっとした品々。
腕から腕にわたされる裸の赤ん坊。
ささやかな刺しゅうをほどこした布のカーテン。
寝台に腹ばいになって本を読む、青い服の少女、その組んだやせた足。
何となしに通路に出てきて、後ろにもたれ、窓の外をながめながら、
かったるそうに時々ことばを交わす人たち。
* *
朝早く、深くたちこめる霧の中を、列車はアンボワーズに到着する。
大きなスーツケースの取っ手を片方ずつ持って、
プラットフォームを歩いてゆく双子の老婦人。
葉の落ちたポプラのこずえ、おだやかな虚空を背景に。
黄色いガラスのはまった街灯、鋳鉄細工のアラベスク。
古城の苔むした石壁、竜のかたちのグルゴイユ。
列車は霧ふかい田園地帯のかなたへ。
窓の手すりにもたれる後ろ姿。
* *
愛する友よ、ぼくが死んだら
墓に柳の木を植えてくれ。
しだれ柳に涙のしずくのたまったのが好きなんだ。
やわらかなそのうす緑の葉の色、
その葉影がかろやかにぼくを包んでくれるだろう、
ぼくが眠る土の中で。
ミュッセの墓の傍らで、今日も風になびくしだれ柳。
* *
機関車の黒い鼻づらごしに、プラットフォームを行き交う人々。
背中に波うつ亜麻色の髪。ロマンスグレーに黒のコート。
しずかに降り注ぐ恵みの雨。
灰色にたゆとう河のおもて、両岸の木立、柳にポプラ。
木立の彼方なるシノン城。
線路ぞいの木々のこずえ、車窓を飾るこのこずえ。
深草に覆われた大地、崩れかけた石塀、
その壁に時を刻まれた、典雅なる館のかずかず。
* *
朝日がまぶしく射しこむ入り口のドアの前で、壁にもたれて煙草をふかす、やせぎすの兵士。
外を眺めている肉づきのよい女。
白地に青い花を散らした薄手のワンピースを、白い光が包みこむ。
うっすらとオレンジ色の朝焼けのもやの中で、細いこずえが葉をふるわす。
傾きかけた陽に包まれた野の、なだらかな草地とみどりの木立、
そちこちに積み藁のちらばった。
うす暗い窓辺の、赤い服の少年、淡い金色の髪。
大きな目を見開いて、じっとたたずんでいる。
* *
雨だれのゆれる窓ごしに見える青い風景、暗い車内の天井に据えられた、やわらかい色の豆ランプ。
ひっそりとしずまりかえった農村の家々、ぬかるみの道を傘さしてゆく人びと。
明け方の村々。山肌に点在するつつましい家の煙突から、朝もやにまじって白い煙が流れ出る。
まだ青い果実のような空のいろ。
東の空のはしを染めた薄桃色が、ゆるやかに流れる河のおもてに映じる。
朝まだき、列車は鉄橋を走りすぎる。
両岸にねむる大地はなお夜の色。
* *
朝の陽射しをあびた新聞。
あかつきの暗い大地と、むらさきがかったうす青色の空。
汽車は鉄橋を越える。
うす青いもやの中にきらめく街の灯り。
ウラジオストクの凍てつく朝、駅前の露店の熱いピロシキ。
* *
真夜中を少し過ぎたころ、モスクワ行きの列車は出発する。
荷物をひっぱって扉の前に並ぶ人々、
見送りにきた友だちに別れを告げる人々。
通路の混雑、車室の窓が開かれ、寝台の下に荷物が押しこまれる。
よそいきを着せられて、自分のかばんをしっかり抱えこむ女の子、
不安げな目を見開いて窓枠に手をかける、
淡い金髪とひらひらのリボンが、車室のぼんやりした灯りに透けて見える。
にこやかな大柄の婦人、
腕を組んで外の闇を見つめる男、
棚の上で落ちつきはらって食事中の、とび色のペルシャ猫。
列車が動きだして、見送りの人々も歩きだす、
手をふりながら、どこまでもどこまでも、窓と並んで歩いてゆく。
やがてその姿も見えなくなって、かすかな街灯の光に照らされながら、
列車は闇の中へすべり出してゆく。
モスクワまで、九千三百キロの旅が始まる。
* *
夜明け前。まっくらな大地の影をうかびあがらせるすみれ色の空。
湿地帯の霧にかすんで。
空が白む。大地が緑色に染まりはじめる。
窓辺の新聞、黒パンのうす切りに缶詰のシチュー。
思い思いにのんびりすごす朝のひととき。
* *
人ごみに身をまかせて街を漂流しながら、ふとどこかのジャズ演奏を耳にして、
そこはかとない懐かしさが・・・過ぎ去った時代のおもかげが・・・私の底によみがえる。
通りを走り去るT型フォード、ショートヘアにクローシュ・ハット。
きらめくひとみ、真ん中で分けたてかてかの髪、フィッツジェラルドみたいな人生。
熱狂と狂乱と無意味なばか騒ぎのうちに幕を閉じたあの時代、
今はもうモノクロ写真でしか見ることのない--
八月も末のしずかな夕べ、
人気の絶えたセントラル・パークの一角で、練習に打ち込むブラスバンド。
うすもやの中できらめく管楽器のきらめき。
金色の夕陽射す木々の間をぬけて、ゆっくりと街のなかへ流れだしてゆくガーシュウィンの、<サマータイム>のけだるい調べ。
それは地下鉄のざわめきにまじり、ハーレムの喧噪をぬって、いつしか街全体に広がってゆく・・・
人ごみ、警笛、人目を引くサイン。
ブルックリンの高架線。
摩天楼から見渡す風景、黄色いもやに包まれたビルの群れ・・・
・・・いま、静かに夏が終わる。
* *
夜明けのハイウェイ。雑音まじりのカーラジオの、低いつぶやき。
一列に並ぶ、光の消えた街灯の上をこえて、
水の上をとぶ鳩の群れ。
* *
ニューヨークのうすむらさき色の夜明け。
朝六時の始発で発つ。
人もまばらなプラットフォーム、わずかに新聞を広げた背広姿の男たち。
何かと引き離されてゆくように、窓ごしに流れすぎる駅の光景。
さしこむ朝日が細かいほこりを浮かびあがらせ、
寝不足の腫れぼったいまぶたを包む。
しらじらと光を浴びはじめたビルの間を、列車は速度を増して進んでゆく。
* *
両腕を高くかかげて朝日を浴びているみどりのこずえ。
朝の散歩道。
細かいガラスのかけらをぶちまけたような、もえたつみどりのきらめき。
ベネツィアの霧。うかびあがる家並。石段を洗う灰緑色の水。
大橋、小橋、はしけ舟。
舞踏会のごたごたからぬけ出して、ふと見上げると、
びろうどの空に冷たくきらめいて光っていた小さな月。
* *
木もれ陽の散歩道、さざめきうち光るこずえ。
道端のカフェの白テーブル。
小さな氷をたくさんうかべたグラスのカフェオレ。
周りの顔ぶれが何回転かしてから立ち去るとき、
背中に流れるその髪が、傾きかけた日の光に赤っぽく照り輝く。
* *
やまぶき色のカーテンを通して射しこむ光に染められた室内。
小さなビューロー、
白壁にかけられた細長い鏡、
なめらかな木肌のチェストに、白磁の水差しと洗面器。
* *
古城を映じたおだやかな水の岸べ、
ふと腰をかがめる薄紅色の衣の乙女。
はちみつ色のやわらかな髪が肩にかかり、手には昼顔の日傘。
うすもやが日の光をやわらげて<沈鐘>のヒロインを包む。
* *
丘の上から見る海は、一枚の青いコーデュロイのようだ。
少し色あせて、端の方、ひだになったところは白っぽく見える・・・
宿に戻って階段を昇り、部屋のドアを開けると、
ちょうど窓からさしこんだ月の光が、床の上にあかるい四角形をつくっている。
私のうちに、<月光>の調べがしずかに流れだす。
* *
路上のレンブラント。
灰色の城館を映している灰色の水面。
真っ赤なくちばしの黒鳥たち。
ショーウィンドーの表面で、ディスプレイと通りの風景がまじりあう。
* *
ゆるやかに波うつ栗色の髪を後ろで結び、
座席にのびあがって流れ去る風景を眺めている少女の横顔。
ヴェールつきの帽子をかぶり、レースのハンカチを手にした眼鏡の老婦人。
山高帽を引き下ろしてうたたねする紳士のとなりで、
おしゃべりに花を咲かせる着飾った娘たち。
窓の外のまぶしさ。
プラットフォームに満ちるさわめき、あざやかな色のワンピース、
行き交う麦わら帽とガラガラひっぱられてゆくスーツケース。
鋭い笛の音。
・・・ガタンゴトン・・・ゴトン・・・ガタンゴトン・・・
窓の風景が再び流れはじめる。
車内に満ちる、夏の午後のまどろんだ空気。
逆光のしずかな横顔。
・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
* *
フライパンの端にちょっぴり残した、こげたホットケーキ。
綱に干した色とりどりの洗濯物。
庭先のどっしりした古いカフェテーブル。
窓に小石を並べてある低い小屋。
ばらにうずもれた小さな庭。
手づくりのガレージにペンキを塗る。
水の流れ。とびちるしぶき。子供たちの笑い声。
* *
金色に波打つ小麦畑。
石ころとヒースの荒野、どこまでも続く低い石垣。
牧草地帯。生け垣に区切られたつぎはぎ細工の田園風景。
糸杉の木立。
・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
浅い眠りからの目覚め。
かたい座席の上で身を起こす。首すじと背中の痛み。
窓にかけられたほこりっぽいカーテンを開ける。ひんやりと冷たい空気。
夜明け前、すべてが眠っている灰色の時間。
朝陽のさしこむ朝の食卓。
ホットケーキにママレードジャムとひとかけのバター、熱いコーヒー。
果てしなく後方へ流れ去る田園風景。
天をおおって地にふり注ぐ豪雨。
髪をふりみだしてすすり泣いている小麦畑。
はてしない水の広がり。
* *
次の駅で向かいに座った老人は、
私に向かってちょっと微笑みかけると、ナポレオン印の缶ビールを窓にのせ、 ポケットからしわくちゃのリンゴを取り出して、ナイフで皮をむきはじめる。 窓の外をみどりの大地が流れてゆく。
丘の上の木立。
農家の破風を背に、枝を広げるにれの木のこずえ。
草原をつっきってゆく小道。
夕方になると、雲に隠れていた太陽が顔を出し、
大地をオレンジ色に染める。
* *
発車間近の汽車の窓からのばされた手が、フォームからさしのべた手を包み・・・
午後からふり出した雨は、夕方になって霧に変わる。
野は濃厚なみどりの香りに満ち、遠景はしだいに深みをましてゆく青色に包まれる。
ぬれたアスファルト。雨傘の下で口づけを交わす恋人たち。
(1993)
詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 9
車窓スケッチ
窓辺ですすり泣く雨だれ、じっとりと冷えこんだ大地。
霧に溶け入る針葉樹の森の、青みがかったいろ。
古典調のフルートの、物淋しげなしらべ。
列車の通りすぎたあとを行き交う人影。
野辺の羊たち、身を寄せあって立ち尽くす--
行けども行けども果てしない、野辺に群れる羊たち。
ガラス窓にふっと息をふきかける。
給湯室の熱いお湯。清潔な洗面器。
窓辺の小卓、色のさめたばら色のカーテン。
ペーストを塗りたくったパンの切れはし、指をあたためる豆のスープ。
しずかな物思い。
冷たい霧の中に一点、赤く光る信号灯。
・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
* *
村外れの小さな駅舎、ここはほとんど貨物列車しか通らないが、
たった一人の駅員は毎日けっこう忙しい。
壁一面のボタン相手にダイヤグラムを調整し、
列車が通るときには外へ出て小旗を掲げる。
午後三時、やっとひととき、くつろげる時間。
縞模様の木目のなめらかな机に、ほうろう引きの大きな白いやかん。
青い花柄の厚手のコーヒーカップ。
窓辺の花ごしに見える、しずかな駅の光景。
いくらもしないうち、学校を終えた子供たちがやってきて、
彼女に遊んでもらおうと
扉のかげからようすをうかがっている。
* *
うす暗い窓辺の小卓の、一群れの空き瓶、うす青いのや透明のや。
籠に残ったゆで卵、その他、昼食後のちょっとした品々。
腕から腕にわたされる裸の赤ん坊。
ささやかな刺しゅうをほどこした布のカーテン。
寝台に腹ばいになって本を読む、青い服の少女、その組んだやせた足。
何となしに通路に出てきて、後ろにもたれ、窓の外をながめながら、
かったるそうに時々ことばを交わす人たち。
* *
朝早く、深くたちこめる霧の中を、列車はアンボワーズに到着する。
大きなスーツケースの取っ手を片方ずつ持って、
プラットフォームを歩いてゆく双子の老婦人。
葉の落ちたポプラのこずえ、おだやかな虚空を背景に。
黄色いガラスのはまった街灯、鋳鉄細工のアラベスク。
古城の苔むした石壁、竜のかたちのグルゴイユ。
列車は霧ふかい田園地帯のかなたへ。
窓の手すりにもたれる後ろ姿。
* *
愛する友よ、ぼくが死んだら
墓に柳の木を植えてくれ。
しだれ柳に涙のしずくのたまったのが好きなんだ。
やわらかなそのうす緑の葉の色、
その葉影がかろやかにぼくを包んでくれるだろう、
ぼくが眠る土の中で。
ミュッセの墓の傍らで、今日も風になびくしだれ柳。
* *
機関車の黒い鼻づらごしに、プラットフォームを行き交う人々。
背中に波うつ亜麻色の髪。ロマンスグレーに黒のコート。
しずかに降り注ぐ恵みの雨。
灰色にたゆとう河のおもて、両岸の木立、柳にポプラ。
木立の彼方なるシノン城。
線路ぞいの木々のこずえ、車窓を飾るこのこずえ。
深草に覆われた大地、崩れかけた石塀、
その壁に時を刻まれた、典雅なる館のかずかず。
* *
朝日がまぶしく射しこむ入り口のドアの前で、壁にもたれて煙草をふかす、やせぎすの兵士。
外を眺めている肉づきのよい女。
白地に青い花を散らした薄手のワンピースを、白い光が包みこむ。
うっすらとオレンジ色の朝焼けのもやの中で、細いこずえが葉をふるわす。
傾きかけた陽に包まれた野の、なだらかな草地とみどりの木立、
そちこちに積み藁のちらばった。
うす暗い窓辺の、赤い服の少年、淡い金色の髪。
大きな目を見開いて、じっとたたずんでいる。
* *
雨だれのゆれる窓ごしに見える青い風景、暗い車内の天井に据えられた、やわらかい色の豆ランプ。
ひっそりとしずまりかえった農村の家々、ぬかるみの道を傘さしてゆく人びと。
明け方の村々。山肌に点在するつつましい家の煙突から、朝もやにまじって白い煙が流れ出る。
まだ青い果実のような空のいろ。
東の空のはしを染めた薄桃色が、ゆるやかに流れる河のおもてに映じる。
朝まだき、列車は鉄橋を走りすぎる。
両岸にねむる大地はなお夜の色。
* *
朝の陽射しをあびた新聞。
あかつきの暗い大地と、むらさきがかったうす青色の空。
汽車は鉄橋を越える。
うす青いもやの中にきらめく街の灯り。
ウラジオストクの凍てつく朝、駅前の露店の熱いピロシキ。
* *
真夜中を少し過ぎたころ、モスクワ行きの列車は出発する。
荷物をひっぱって扉の前に並ぶ人々、
見送りにきた友だちに別れを告げる人々。
通路の混雑、車室の窓が開かれ、寝台の下に荷物が押しこまれる。
よそいきを着せられて、自分のかばんをしっかり抱えこむ女の子、
不安げな目を見開いて窓枠に手をかける、
淡い金髪とひらひらのリボンが、車室のぼんやりした灯りに透けて見える。
にこやかな大柄の婦人、
腕を組んで外の闇を見つめる男、
棚の上で落ちつきはらって食事中の、とび色のペルシャ猫。
列車が動きだして、見送りの人々も歩きだす、
手をふりながら、どこまでもどこまでも、窓と並んで歩いてゆく。
やがてその姿も見えなくなって、かすかな街灯の光に照らされながら、
列車は闇の中へすべり出してゆく。
モスクワまで、九千三百キロの旅が始まる。
* *
夜明け前。まっくらな大地の影をうかびあがらせるすみれ色の空。
湿地帯の霧にかすんで。
空が白む。大地が緑色に染まりはじめる。
窓辺の新聞、黒パンのうす切りに缶詰のシチュー。
思い思いにのんびりすごす朝のひととき。
* *
人ごみに身をまかせて街を漂流しながら、ふとどこかのジャズ演奏を耳にして、
そこはかとない懐かしさが・・・過ぎ去った時代のおもかげが・・・私の底によみがえる。
通りを走り去るT型フォード、ショートヘアにクローシュ・ハット。
きらめくひとみ、真ん中で分けたてかてかの髪、フィッツジェラルドみたいな人生。
熱狂と狂乱と無意味なばか騒ぎのうちに幕を閉じたあの時代、
今はもうモノクロ写真でしか見ることのない--
八月も末のしずかな夕べ、
人気の絶えたセントラル・パークの一角で、練習に打ち込むブラスバンド。
うすもやの中できらめく管楽器のきらめき。
金色の夕陽射す木々の間をぬけて、ゆっくりと街のなかへ流れだしてゆくガーシュウィンの、<サマータイム>のけだるい調べ。
それは地下鉄のざわめきにまじり、ハーレムの喧噪をぬって、いつしか街全体に広がってゆく・・・
人ごみ、警笛、人目を引くサイン。
ブルックリンの高架線。
摩天楼から見渡す風景、黄色いもやに包まれたビルの群れ・・・
・・・いま、静かに夏が終わる。
* *
夜明けのハイウェイ。雑音まじりのカーラジオの、低いつぶやき。
一列に並ぶ、光の消えた街灯の上をこえて、
水の上をとぶ鳩の群れ。
* *
ニューヨークのうすむらさき色の夜明け。
朝六時の始発で発つ。
人もまばらなプラットフォーム、わずかに新聞を広げた背広姿の男たち。
何かと引き離されてゆくように、窓ごしに流れすぎる駅の光景。
さしこむ朝日が細かいほこりを浮かびあがらせ、
寝不足の腫れぼったいまぶたを包む。
しらじらと光を浴びはじめたビルの間を、列車は速度を増して進んでゆく。
* *
両腕を高くかかげて朝日を浴びているみどりのこずえ。
朝の散歩道。
細かいガラスのかけらをぶちまけたような、もえたつみどりのきらめき。
ベネツィアの霧。うかびあがる家並。石段を洗う灰緑色の水。
大橋、小橋、はしけ舟。
舞踏会のごたごたからぬけ出して、ふと見上げると、
びろうどの空に冷たくきらめいて光っていた小さな月。
* *
木もれ陽の散歩道、さざめきうち光るこずえ。
道端のカフェの白テーブル。
小さな氷をたくさんうかべたグラスのカフェオレ。
周りの顔ぶれが何回転かしてから立ち去るとき、
背中に流れるその髪が、傾きかけた日の光に赤っぽく照り輝く。
* *
やまぶき色のカーテンを通して射しこむ光に染められた室内。
小さなビューロー、
白壁にかけられた細長い鏡、
なめらかな木肌のチェストに、白磁の水差しと洗面器。
* *
古城を映じたおだやかな水の岸べ、
ふと腰をかがめる薄紅色の衣の乙女。
はちみつ色のやわらかな髪が肩にかかり、手には昼顔の日傘。
うすもやが日の光をやわらげて<沈鐘>のヒロインを包む。
* *
丘の上から見る海は、一枚の青いコーデュロイのようだ。
少し色あせて、端の方、ひだになったところは白っぽく見える・・・
宿に戻って階段を昇り、部屋のドアを開けると、
ちょうど窓からさしこんだ月の光が、床の上にあかるい四角形をつくっている。
私のうちに、<月光>の調べがしずかに流れだす。
* *
路上のレンブラント。
灰色の城館を映している灰色の水面。
真っ赤なくちばしの黒鳥たち。
ショーウィンドーの表面で、ディスプレイと通りの風景がまじりあう。
* *
ゆるやかに波うつ栗色の髪を後ろで結び、
座席にのびあがって流れ去る風景を眺めている少女の横顔。
ヴェールつきの帽子をかぶり、レースのハンカチを手にした眼鏡の老婦人。
山高帽を引き下ろしてうたたねする紳士のとなりで、
おしゃべりに花を咲かせる着飾った娘たち。
窓の外のまぶしさ。
プラットフォームに満ちるさわめき、あざやかな色のワンピース、
行き交う麦わら帽とガラガラひっぱられてゆくスーツケース。
鋭い笛の音。
・・・ガタンゴトン・・・ゴトン・・・ガタンゴトン・・・
窓の風景が再び流れはじめる。
車内に満ちる、夏の午後のまどろんだ空気。
逆光のしずかな横顔。
・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
* *
フライパンの端にちょっぴり残した、こげたホットケーキ。
綱に干した色とりどりの洗濯物。
庭先のどっしりした古いカフェテーブル。
窓に小石を並べてある低い小屋。
ばらにうずもれた小さな庭。
手づくりのガレージにペンキを塗る。
水の流れ。とびちるしぶき。子供たちの笑い声。
* *
金色に波打つ小麦畑。
石ころとヒースの荒野、どこまでも続く低い石垣。
牧草地帯。生け垣に区切られたつぎはぎ細工の田園風景。
糸杉の木立。
・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
浅い眠りからの目覚め。
かたい座席の上で身を起こす。首すじと背中の痛み。
窓にかけられたほこりっぽいカーテンを開ける。ひんやりと冷たい空気。
夜明け前、すべてが眠っている灰色の時間。
朝陽のさしこむ朝の食卓。
ホットケーキにママレードジャムとひとかけのバター、熱いコーヒー。
果てしなく後方へ流れ去る田園風景。
天をおおって地にふり注ぐ豪雨。
髪をふりみだしてすすり泣いている小麦畑。
はてしない水の広がり。
* *
次の駅で向かいに座った老人は、
私に向かってちょっと微笑みかけると、ナポレオン印の缶ビールを窓にのせ、 ポケットからしわくちゃのリンゴを取り出して、ナイフで皮をむきはじめる。 窓の外をみどりの大地が流れてゆく。
丘の上の木立。
農家の破風を背に、枝を広げるにれの木のこずえ。
草原をつっきってゆく小道。
夕方になると、雲に隠れていた太陽が顔を出し、
大地をオレンジ色に染める。
* *
発車間近の汽車の窓からのばされた手が、フォームからさしのべた手を包み・・・
午後からふり出した雨は、夕方になって霧に変わる。
野は濃厚なみどりの香りに満ち、遠景はしだいに深みをましてゆく青色に包まれる。
ぬれたアスファルト。雨傘の下で口づけを交わす恋人たち。
(1993)
2024年1月 さいきん発表した作品たちまとめ
さいきん発表した作品たちまとめ
Les tableaux peints pour mon projet de film
<モネの庭の想い出>シリーズの制作メモ
祖父について補足 思い出すままに
モネの庭の想い出:私の家族を描いた映像作品のためのスクリプト
さいきん発表した作品たちまとめ
Les tableaux peints pour mon projet de film
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