2014年01月29日

車窓スケッチ

当時見ていた<世界の車窓から>のなかの気に入ったシーンや、旅行雑誌の印象的なスナップなどなど。

     詞華集カフェ・ジュヌヴィエーヴ 9
        車窓スケッチ


 窓辺ですすり泣く雨だれ、じっとりと冷えこんだ大地。
 霧に溶け入る針葉樹の森の、青みがかったいろ。
 古典調のフルートの、物淋しげなしらべ。
 列車の通りすぎたあとを行き交う人影。

 野辺の羊たち、身を寄せあって立ち尽くす--
 行けども行けども果てしない、野辺に群れる羊たち。

 ガラス窓にふっと息をふきかける。
 給湯室の熱いお湯。清潔な洗面器。

 窓辺の小卓、色のさめたばら色のカーテン。
 ペーストを塗りたくったパンの切れはし、指をあたためる豆のスープ。

 しずかな物思い。
 冷たい霧の中に一点、赤く光る信号灯。
 ・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・

           *           *

 村外れの小さな駅舎、ここはほとんど貨物列車しか通らないが、
 たった一人の駅員は毎日けっこう忙しい。
 壁一面のボタン相手にダイヤグラムを調整し、
 列車が通るときには外へ出て小旗を掲げる。
 午後三時、やっとひととき、くつろげる時間。
 縞模様の木目のなめらかな机に、ほうろう引きの大きな白いやかん。
 青い花柄の厚手のコーヒーカップ。
 窓辺の花ごしに見える、しずかな駅の光景。
 いくらもしないうち、学校を終えた子供たちがやってきて、
 彼女に遊んでもらおうと
 扉のかげからようすをうかがっている。

           *           *

 うす暗い窓辺の小卓の、一群れの空き瓶、うす青いのや透明のや。
 籠に残ったゆで卵、その他、昼食後のちょっとした品々。
 腕から腕にわたされる裸の赤ん坊。
 ささやかな刺しゅうをほどこした布のカーテン。
 寝台に腹ばいになって本を読む、青い服の少女、その組んだやせた足。
 何となしに通路に出てきて、後ろにもたれ、窓の外をながめながら、
 かったるそうに時々ことばを交わす人たち。

           *           *

 朝早く、深くたちこめる霧の中を、列車はアンボワーズに到着する。
 大きなスーツケースの取っ手を片方ずつ持って、
 プラットフォームを歩いてゆく双子の老婦人。
 葉の落ちたポプラのこずえ、おだやかな虚空を背景に。
 黄色いガラスのはまった街灯、鋳鉄細工のアラベスク。
 古城の苔むした石壁、竜のかたちのグルゴイユ。
 列車は霧ふかい田園地帯のかなたへ。
 窓の手すりにもたれる後ろ姿。

           *           *

 愛する友よ、ぼくが死んだら
 墓に柳の木を植えてくれ。
 しだれ柳に涙のしずくのたまったのが好きなんだ。
 やわらかなそのうす緑の葉の色、
 その葉影がかろやかにぼくを包んでくれるだろう、
 ぼくが眠る土の中で。

 ミュッセの墓の傍らで、今日も風になびくしだれ柳。

           *            *

 機関車の黒い鼻づらごしに、プラットフォームを行き交う人々。
 背中に波うつ亜麻色の髪。ロマンスグレーに黒のコート。
 しずかに降り注ぐ恵みの雨。
 灰色にたゆとう河のおもて、両岸の木立、柳にポプラ。
 木立の彼方なるシノン城。
 線路ぞいの木々のこずえ、車窓を飾るこのこずえ。
 深草に覆われた大地、崩れかけた石塀、
 その壁に時を刻まれた、典雅なる館のかずかず。

           *           *

 朝日がまぶしく射しこむ入り口のドアの前で、壁にもたれて煙草をふかす、やせぎすの兵士。
 外を眺めている肉づきのよい女。
 白地に青い花を散らした薄手のワンピースを、白い光が包みこむ。

 うっすらとオレンジ色の朝焼けのもやの中で、細いこずえが葉をふるわす。

 傾きかけた陽に包まれた野の、なだらかな草地とみどりの木立、
 そちこちに積み藁のちらばった。

 うす暗い窓辺の、赤い服の少年、淡い金色の髪。
 大きな目を見開いて、じっとたたずんでいる。

           *           *

 雨だれのゆれる窓ごしに見える青い風景、暗い車内の天井に据えられた、やわらかい色の豆ランプ。
 ひっそりとしずまりかえった農村の家々、ぬかるみの道を傘さしてゆく人びと。

 明け方の村々。山肌に点在するつつましい家の煙突から、朝もやにまじって白い煙が流れ出る。

 まだ青い果実のような空のいろ。

 東の空のはしを染めた薄桃色が、ゆるやかに流れる河のおもてに映じる。
 朝まだき、列車は鉄橋を走りすぎる。
 両岸にねむる大地はなお夜の色。

          *            *

 朝の陽射しをあびた新聞。
 あかつきの暗い大地と、むらさきがかったうす青色の空。
 汽車は鉄橋を越える。

 うす青いもやの中にきらめく街の灯り。
 ウラジオストクの凍てつく朝、駅前の露店の熱いピロシキ。

          *             *

 真夜中を少し過ぎたころ、モスクワ行きの列車は出発する。
 荷物をひっぱって扉の前に並ぶ人々、
 見送りにきた友だちに別れを告げる人々。
 通路の混雑、車室の窓が開かれ、寝台の下に荷物が押しこまれる。
 よそいきを着せられて、自分のかばんをしっかり抱えこむ女の子、
 不安げな目を見開いて窓枠に手をかける、
 淡い金髪とひらひらのリボンが、車室のぼんやりした灯りに透けて見える。
 にこやかな大柄の婦人、
 腕を組んで外の闇を見つめる男、
 棚の上で落ちつきはらって食事中の、とび色のペルシャ猫。
 列車が動きだして、見送りの人々も歩きだす、
 手をふりながら、どこまでもどこまでも、窓と並んで歩いてゆく。
 やがてその姿も見えなくなって、かすかな街灯の光に照らされながら、
 列車は闇の中へすべり出してゆく。
 モスクワまで、九千三百キロの旅が始まる。

           *           *

 夜明け前。まっくらな大地の影をうかびあがらせるすみれ色の空。
 湿地帯の霧にかすんで。

 空が白む。大地が緑色に染まりはじめる。

 窓辺の新聞、黒パンのうす切りに缶詰のシチュー。
 思い思いにのんびりすごす朝のひととき。

          *           *

 人ごみに身をまかせて街を漂流しながら、ふとどこかのジャズ演奏を耳にして、
 そこはかとない懐かしさが・・・過ぎ去った時代のおもかげが・・・私の底によみがえる。
 通りを走り去るT型フォード、ショートヘアにクローシュ・ハット。
 きらめくひとみ、真ん中で分けたてかてかの髪、フィッツジェラルドみたいな人生。
 熱狂と狂乱と無意味なばか騒ぎのうちに幕を閉じたあの時代、
 今はもうモノクロ写真でしか見ることのない--

 八月も末のしずかな夕べ、
 人気の絶えたセントラル・パークの一角で、練習に打ち込むブラスバンド。
 うすもやの中できらめく管楽器のきらめき。
 金色の夕陽射す木々の間をぬけて、ゆっくりと街のなかへ流れだしてゆくガーシュウィンの、<サマータイム>のけだるい調べ。
 それは地下鉄のざわめきにまじり、ハーレムの喧噪をぬって、いつしか街全体に広がってゆく・・・
 人ごみ、警笛、人目を引くサイン。
 ブルックリンの高架線。
 摩天楼から見渡す風景、黄色いもやに包まれたビルの群れ・・・
 ・・・いま、静かに夏が終わる。

           *           *

 夜明けのハイウェイ。雑音まじりのカーラジオの、低いつぶやき。
 一列に並ぶ、光の消えた街灯の上をこえて、
 水の上をとぶ鳩の群れ。

           *           *

 ニューヨークのうすむらさき色の夜明け。
 朝六時の始発で発つ。
 人もまばらなプラットフォーム、わずかに新聞を広げた背広姿の男たち。
 何かと引き離されてゆくように、窓ごしに流れすぎる駅の光景。
 さしこむ朝日が細かいほこりを浮かびあがらせ、
 寝不足の腫れぼったいまぶたを包む。
 しらじらと光を浴びはじめたビルの間を、列車は速度を増して進んでゆく。

           *           *

 両腕を高くかかげて朝日を浴びているみどりのこずえ。
 朝の散歩道。
 細かいガラスのかけらをぶちまけたような、もえたつみどりのきらめき。

 ベネツィアの霧。うかびあがる家並。石段を洗う灰緑色の水。
 大橋、小橋、はしけ舟。

 舞踏会のごたごたからぬけ出して、ふと見上げると、
 びろうどの空に冷たくきらめいて光っていた小さな月。

           *           *

 木もれ陽の散歩道、さざめきうち光るこずえ。
 道端のカフェの白テーブル。
 小さな氷をたくさんうかべたグラスのカフェオレ。
 周りの顔ぶれが何回転かしてから立ち去るとき、
 背中に流れるその髪が、傾きかけた日の光に赤っぽく照り輝く。

           *           *

 やまぶき色のカーテンを通して射しこむ光に染められた室内。
 小さなビューロー、
 白壁にかけられた細長い鏡、
 なめらかな木肌のチェストに、白磁の水差しと洗面器。

           *           *

 古城を映じたおだやかな水の岸べ、
 ふと腰をかがめる薄紅色の衣の乙女。
 はちみつ色のやわらかな髪が肩にかかり、手には昼顔の日傘。
 うすもやが日の光をやわらげて<沈鐘>のヒロインを包む。

           *           *

 丘の上から見る海は、一枚の青いコーデュロイのようだ。
 少し色あせて、端の方、ひだになったところは白っぽく見える・・・

 宿に戻って階段を昇り、部屋のドアを開けると、
 ちょうど窓からさしこんだ月の光が、床の上にあかるい四角形をつくっている。
 私のうちに、<月光>の調べがしずかに流れだす。

           *           *

 路上のレンブラント。

 灰色の城館を映している灰色の水面。
 真っ赤なくちばしの黒鳥たち。

 ショーウィンドーの表面で、ディスプレイと通りの風景がまじりあう。

           *           *

 ゆるやかに波うつ栗色の髪を後ろで結び、
 座席にのびあがって流れ去る風景を眺めている少女の横顔。
 ヴェールつきの帽子をかぶり、レースのハンカチを手にした眼鏡の老婦人。
 山高帽を引き下ろしてうたたねする紳士のとなりで、
 おしゃべりに花を咲かせる着飾った娘たち。

 窓の外のまぶしさ。
 プラットフォームに満ちるさわめき、あざやかな色のワンピース、
 行き交う麦わら帽とガラガラひっぱられてゆくスーツケース。
 鋭い笛の音。
 ・・・ガタンゴトン・・・ゴトン・・・ガタンゴトン・・・
 窓の風景が再び流れはじめる。
 車内に満ちる、夏の午後のまどろんだ空気。
 逆光のしずかな横顔。
 ・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・

           *           *

 フライパンの端にちょっぴり残した、こげたホットケーキ。
 綱に干した色とりどりの洗濯物。
 庭先のどっしりした古いカフェテーブル。
 窓に小石を並べてある低い小屋。

 ばらにうずもれた小さな庭。
 手づくりのガレージにペンキを塗る。
 水の流れ。とびちるしぶき。子供たちの笑い声。

           *           *

 金色に波打つ小麦畑。
 石ころとヒースの荒野、どこまでも続く低い石垣。

 牧草地帯。生け垣に区切られたつぎはぎ細工の田園風景。
 糸杉の木立。

 ・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・
 浅い眠りからの目覚め。
 かたい座席の上で身を起こす。首すじと背中の痛み。
 窓にかけられたほこりっぽいカーテンを開ける。ひんやりと冷たい空気。
 夜明け前、すべてが眠っている灰色の時間。

 朝陽のさしこむ朝の食卓。
 ホットケーキにママレードジャムとひとかけのバター、熱いコーヒー。
 果てしなく後方へ流れ去る田園風景。

 天をおおって地にふり注ぐ豪雨。
 髪をふりみだしてすすり泣いている小麦畑。

 はてしない水の広がり。

           *            *

 次の駅で向かいに座った老人は、
 私に向かってちょっと微笑みかけると、ナポレオン印の缶ビールを窓にのせ、 ポケットからしわくちゃのリンゴを取り出して、ナイフで皮をむきはじめる。 窓の外をみどりの大地が流れてゆく。
 丘の上の木立。
 農家の破風を背に、枝を広げるにれの木のこずえ。
 草原をつっきってゆく小道。
 夕方になると、雲に隠れていた太陽が顔を出し、
 大地をオレンジ色に染める。

           *            *

 発車間近の汽車の窓からのばされた手が、フォームからさしのべた手を包み・・・

 午後からふり出した雨は、夕方になって霧に変わる。
 野は濃厚なみどりの香りに満ち、遠景はしだいに深みをましてゆく青色に包まれる。
 ぬれたアスファルト。雨傘の下で口づけを交わす恋人たち。

 (1993)








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