2014年01月29日

眺めのいい岩場

何度か夢のなかで行ったことのある場所。

     夢想集ムーア・イーフォック 1
      眺めのいい岩場


 ここからずっとずっと遠くに、そう、岩山をのぼっていく途中のところに、とてもすてきな岩場があって、私は三回くらい、そこへ行ったことがある。私一人のときもあったし、ヴィクトールが一緒のときもあった。
 そこの岩山は、缶詰をたくさん積み上げてつくったみたいな地形をしていて、岩肌はなめらかだし、自然の山というよりはむしろ、巨大な建造物の廃墟に似ている。実際、その辺に彫刻をほどこされた大昔の柱の一部がうずもれているのを見たこともある。だから、根気さえあれば、ふもとから始めて自分の足でのぼってきてもいい。ずっとのぼってくると、そのうち左はしにスフィンクスの石の翼の片方が見えてきて、それが目印だ。けれど、何しろここはとんでもなく高いところにあるし、岩壁がすごくけわしくて足場を探すのが大変だから、できるなら空を飛んできた方がいい。自分で飛べないのなら、空飛ぶ自転車とか、空飛ぶ藁ぼうきとか、何か飛ぶものに乗って。そして、岩場のふちにのりものを横づけしたら、けっとばしたいきおいでのりものと岩場との間に大きなすきまができないように、注意深く気をつけて足場を移す。
 ここは一見ごくふつうの岩場に見えるけれど、ほんとにすてきなところだ。階段の踊り場と、劇場の二階席のテラスを合わせたような形をしていて、すぐ後ろから岩の根っこがのびているので、柱の台座みたいでもある。あんまり広くはない。むしろ、ちょっと狭いくらい。だから、うっかり眠りこむと、転げ落ちるかもしれない。
 できるだけちぢこまって、下界を見おろす。ここから見おろすと、世界はいつもうっすらと霧がかかっている。女王さまの馬車が岩の間にひっかかっているのが見えることもあるし、向こうのはしから人が歩いてきて、あんまり考えごとに夢中になっているので、こっちのはしから別の人が歩いてくるのに気がつかないで、うっかりぶつかったりするのを見ることもある。ここから見おろすと、万華鏡みたいに、世界中のあらゆるものが見える。望遠鏡で見るように、見たいものを何でも、すぐ近くで見ることができる。モンマルトルの暗い石造りの通りも見えるし、ノートルダムの屋根の上の怪物たちを一匹ずつ、手をのばせばさわれるくらい近くで見ることもできる。私がここを好きなのは、ここにいると世界から超然と孤絶しているという感じと、世界のすべての部分とすごく密接につながっているという感じとを、同時に持つことができるからだ。
 最初にここへ来たのは、飛び方を覚えて間もないころで、はじめて遠出したときのことだった。はじめて遠出するときというのは、はじめてハイウェイに乗るときと同じで、少し緊張するし、少しどきどきする。明け方に出発して、しずかな通りを抜け、黒く広がる森をこえ、岩山の上をずっと飛びつづけて、さいごにここへたどりついた。あのときも石の翼を目印にしたっけ。こんなに長いこと飛んだあとだから、うまく着地できるかどうかちょっと心配だったけど、大丈夫だった。ああ、思い出すなあ! あのときの、わくわくした感じ。もしかしたらヴィクトールも一緒だったかもしれない。でも、もう覚えていない。
 それからも、危険が迫ったときや、追手から逃れる必要があるときにはちょいちょいここへ来たものだ。そうそう、ヴィクトールと一緒に、竜を助け出したとき。この竜は、もともと詩人だったのだが、無韻詩を書いたというので告発され、市の当局によって聖ゲオルグの城に幽閉されてしまったのだ。かわいそうに。それで、ヴィクトールとかわりばんこに、裏庭に面した側の窓のかんぬきを根気よく鉄やすりで切り落としたのはいいが、竜が窓から脱出するとき、うっかりしっぽで壁の一部をこわしてしまったので、すぐさま奴らに気づかれてしまった。あのときは、竜はさっさと自分の国へ飛んで帰ってしまったのでよかったけれど、私たちの方は奴らにさんざん追っかけまわされたあげく、間一髪でここへ這いのぼって、やっと振り切ることができたのだった。あれから数回めのクリスマスまで、竜は毎年きれいなクリスマスカードを送ってきた。今もますます円熟の境に入りつつ、詩作に励んでいるらしい。
 それから、さいころのかたちをした迷路に迷いこんでしまったとき。あのときは、ほんとにうんざりした! あれこそ全然だれの役にも立たない、むだな苦労だった。一生ここから出られないんじゃないかと思ったものだ。それは数学の公式みたいに幾何学的な迷路で、赤、青、黄の三色に塗られていた。ところどころに巨大なトライアングルがあって、カーンとならして、その振動がとまらないうちに中をくぐり抜けなければならなかった。教授と、その一行と一緒に、やっとそこを抜け出したあと、やれやれと言ってみんなでここへ来てコーヒーを飲んだものだ。でも、あれだけいやな目にあったあとでここへたどりつける嬉しさは、また格別だった。
 もう長いこと、あそこへは行っていない。行こうと思って行けるものではないみたいだ。今朝がた、夢の中でスフィンクスの翼がはばたくのを見た。だから、あそこが近いっていうのは分かったが、もう一度たどりつくことはできなかった。

 (1999)







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