2014年01月29日
アップル&ティース
これは当時NYハーレムあたりのドキュメンタリー番組をたまたま見て、ほぼそのままに書き留めたもの。
夢想集ムーア・イーフォック 7
アップル・アンド・ティース
ネオンのきらめく雑踏の一隅に、安食堂兼酒場の<アップル・アンド・ティース>はある。歯医者の歯型みたいながっちりした歯が、大口あけてリンゴを一かじりしようとしている図のサインがかかげられている。都会の喧騒のあいまを縫って、いっときの憩いを求める者たちがここへやってくる。
「・・・戻ってきたら、金を預けた奴の姿が消えていた」
数日前のできごとを、静かな調子でジョンは語る。
「焦って、どうしようもなくてね、一時間ばかり、この店で粘っていたんだ。そしたら、奴は戻ってきたよ、『君の金は腹ぺこのヒッチハイカーにあげちゃったよ』って言うのさ」
少しブラックの血が混じった、端正な顔だち。
彼は穏やかに続けた。
「僕は金や何かを盗られても、あまり怒らないようにしてるんだ。『僕より必要だから盗るんだ』って考えることにしている」
しゃべり終えると、彼はおもむろに具をはさんだうす焼きのパンケーキをほおった。一口一口、ゆっくりと噛む。
「賭け事はあんまり得意じゃないんだ。あれは、それほど上等な趣味とは言えんと思うがね」
灰色の口ひげをたくわえた、恰幅のいいベンジャミンは、カネロニの皿を前にむしゃむしゃやりながら意見を述べる。
「わしは釣りをやるんだ。あれはいいよ--人生に通じるんだ。一つ、やっかいなのは仕事に時間を取られることだが・・・まあ、釣りをやる金を稼ぐためだと割りきってやってるよ」
彼はいかにもおいしそうに食べ、むしゃむしゃやるたびに口ひげが上がったり下がったりする。
エドワードはカウンターに座ってスープとコカ・コーラを注文する。
「二人の男に、バーン! って殴られてさ。一瞬、意識がなくなったよ」
自分のほおを殴るまねをしながら、エドワードは語る。
「時計と、全財産を奪われた。このバッグだけは無事だったよ。うん、中身は服だったんだ。この人が、スープをおごってくれた」
そう言って、彼はバーテンのトマスを指し示す。
「全く、ぶっそうなご時世だよ。毎日、どっかしらでこの手のごたごたがあるんだ」
ヒスパニック系の顔に愛想のよい笑いを浮かべて、トマスは言った。
「彼の場合はほんとに大変だったみたいだな。嘘をつく奴もいるが、だいたい分かるんだ、話し方やなんかでね。でも、食事とお金はあげるよ、真実は分からないからな」
大きなコップにジャーッとコーラを注ぎ、カウンターの上に置く。
「で、今はどうやって暮らしてるの?」
と、私はたずねてみた。
「その日暮らしさ」
エドワードは言った。
「大家が同情してくれて、幸い、アパートは追い出さないでくれてるんだ。警察にも、一応盗難届けを出したけど、まあ・・・彼らも忙しいからな」
しゃべる合間に、忙しくスープを口に運ぶ。
食事を終えると、彼は金を払い、小太りの背中に古ぼけたショルダーバッグをしょいあげて、バーテンと私に
「じゃあ」
と言って出ていった。ガラス戸を押し開けて、通りへ出ていく後ろ姿を私たちは見送った。
しだいに客は少なくなった。からっぽの椅子に囲まれて、私はスコッチをもう一杯注文し、トマスとひとしきり世間話をした。
そろそろ腰を上げようかと思ったころだった。けさ、ここで朝飯を流しこんでいたピーターが、息せききって店に飛び込んできた。
「きいてくれ、仕事が見つかったんだ」
「おめでとう!」
トマスが、すかさず応じる。
ピーターは手近の椅子を引き寄せて腰かけると、喜びに我を忘れ、
「幸せだ・・・とても幸せだ・・・」
とくり返した。
トマスは彼にマティーニをごちそうしてやる。
「長かったよ」
と言って、ピーターは笑った。
「でも、それももうおしまいさ。今度のは、建設会社の仕事だ。トラクターの操縦で、時給十ドル。悪くないだろう?」
「うん。いつから始めるの?」
「明日からさ」
カウンターの周辺はにわかにお祭り気分に包まれた。
店に残っていた全員からお祝いの言葉を浴びせられてピーターが帰ってゆくと、私もそろそろ引き上げることにした。
「朝は何時から店を開けるんだい?」
「七時だ」
「七時! ・・・いくらも寝るひまがないじゃないか」
トマスは笑った。
「ここらじゃ、腹がへる時間も、一休みしたい時間も、みんなまちまちだからな。大丈夫さ、心配すんなって」
夜が更けてゆく・・・グラスの底にわずかに残ったスコッチの、琥珀色のきらめき。心にしみ入るトランペットのひびき。
なりやまぬざわめき。行き交う車のヘッドライト。
街の灯にふちどられた、うすむらさき色の空。
夜が更けてゆく・・・
(1992-3?)
夢想集ムーア・イーフォック 7
アップル・アンド・ティース
ネオンのきらめく雑踏の一隅に、安食堂兼酒場の<アップル・アンド・ティース>はある。歯医者の歯型みたいながっちりした歯が、大口あけてリンゴを一かじりしようとしている図のサインがかかげられている。都会の喧騒のあいまを縫って、いっときの憩いを求める者たちがここへやってくる。
「・・・戻ってきたら、金を預けた奴の姿が消えていた」
数日前のできごとを、静かな調子でジョンは語る。
「焦って、どうしようもなくてね、一時間ばかり、この店で粘っていたんだ。そしたら、奴は戻ってきたよ、『君の金は腹ぺこのヒッチハイカーにあげちゃったよ』って言うのさ」
少しブラックの血が混じった、端正な顔だち。
彼は穏やかに続けた。
「僕は金や何かを盗られても、あまり怒らないようにしてるんだ。『僕より必要だから盗るんだ』って考えることにしている」
しゃべり終えると、彼はおもむろに具をはさんだうす焼きのパンケーキをほおった。一口一口、ゆっくりと噛む。
「賭け事はあんまり得意じゃないんだ。あれは、それほど上等な趣味とは言えんと思うがね」
灰色の口ひげをたくわえた、恰幅のいいベンジャミンは、カネロニの皿を前にむしゃむしゃやりながら意見を述べる。
「わしは釣りをやるんだ。あれはいいよ--人生に通じるんだ。一つ、やっかいなのは仕事に時間を取られることだが・・・まあ、釣りをやる金を稼ぐためだと割りきってやってるよ」
彼はいかにもおいしそうに食べ、むしゃむしゃやるたびに口ひげが上がったり下がったりする。
エドワードはカウンターに座ってスープとコカ・コーラを注文する。
「二人の男に、バーン! って殴られてさ。一瞬、意識がなくなったよ」
自分のほおを殴るまねをしながら、エドワードは語る。
「時計と、全財産を奪われた。このバッグだけは無事だったよ。うん、中身は服だったんだ。この人が、スープをおごってくれた」
そう言って、彼はバーテンのトマスを指し示す。
「全く、ぶっそうなご時世だよ。毎日、どっかしらでこの手のごたごたがあるんだ」
ヒスパニック系の顔に愛想のよい笑いを浮かべて、トマスは言った。
「彼の場合はほんとに大変だったみたいだな。嘘をつく奴もいるが、だいたい分かるんだ、話し方やなんかでね。でも、食事とお金はあげるよ、真実は分からないからな」
大きなコップにジャーッとコーラを注ぎ、カウンターの上に置く。
「で、今はどうやって暮らしてるの?」
と、私はたずねてみた。
「その日暮らしさ」
エドワードは言った。
「大家が同情してくれて、幸い、アパートは追い出さないでくれてるんだ。警察にも、一応盗難届けを出したけど、まあ・・・彼らも忙しいからな」
しゃべる合間に、忙しくスープを口に運ぶ。
食事を終えると、彼は金を払い、小太りの背中に古ぼけたショルダーバッグをしょいあげて、バーテンと私に
「じゃあ」
と言って出ていった。ガラス戸を押し開けて、通りへ出ていく後ろ姿を私たちは見送った。
しだいに客は少なくなった。からっぽの椅子に囲まれて、私はスコッチをもう一杯注文し、トマスとひとしきり世間話をした。
そろそろ腰を上げようかと思ったころだった。けさ、ここで朝飯を流しこんでいたピーターが、息せききって店に飛び込んできた。
「きいてくれ、仕事が見つかったんだ」
「おめでとう!」
トマスが、すかさず応じる。
ピーターは手近の椅子を引き寄せて腰かけると、喜びに我を忘れ、
「幸せだ・・・とても幸せだ・・・」
とくり返した。
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夜が更けてゆく・・・
(1992-3?)
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