2013年11月30日

創造的な不幸-1-

創造的な不幸-愛・罪・自然、および芸術・宗教・政治についての極論的エッセイ-
この作品について   目次

-1- 愛について、その1                       


ヴラジミール 何を言ってるのかな、あの声たちは?
エストラゴン 自分の一生を話している。
ヴラジミール 生きたというだけじゃ満足できない。
エストラゴン 生きたってことを喋らなければ。
ヴラジミール 死んだだけじゃ足りない。
エストラゴン ああ足りない。
---サミュエル・ベケット<ゴドーを待ちながら>


この書物をどういうふうに語り出したものか、語り手はさんざん思い悩んだ末、結局ポール・オースターの<孤独の発明>の語り手に倣って自分のことをAと呼ぶことに決める。

* *

神との出会い。
物心つくかつかないころ---耳の底でベース音みたいに絶えまなく響いていた神の声。
愛、従順、自己犠牲。
人でいっぱいの、暖房が効きすぎて息のつまりそうな集会所。
迫害を耐え忍ぶ婦人たち。
約束の地への旅。石ころだらけの荒野。どんより雲に覆われた空。
一切を支配する神の重圧。
汝・・・すべからず。汝・・・すべからず。
家系図。
アブラハム。
贖い。
真珠やトパーズや、さまざまな宝石で光り輝く黄金のエルサレム。

* *

ものを書きはじめたいきさつ。
それはもうほとんど覚えていない。
読むことを始めたのとほとんど同時に、自分でも書くことを始めていた気がする。それはAにとって空気のように自然なことだった。最初に物語らしきものを書いたのは、六才かそこらだっただろう。それから長らく、ものを書くことはAにとって、生きることとほぼ同義だった。

* *

    献辞。

ケネス・グレアム、A.A.ミルン、メアリー・ノートン、アンリ・ボスコ、アルフォンス・ドーデ、トーベ・ヤンソン、フィリパ・ピアス、アルフ・プリョイセン、オトフリート・プロイスラー、エーリヒ・ケストナー、マデレイン・レングル、イレーナ・ユルギェレビチ、トールモー・ハウゲン、ペイトン、トールキン、トラヴァース、リンドグレーン、A.アトリー、クリアリー、E.L.カニグズバーグ、ルーシー・ボストン、ラーゲルレーヴ、アーサー・ランサム、他にも、たくさん、たくさん、今となってはもう名前も思い出せない、数知れぬたくさんの、すばらしい作家たちに。
彼らからAは学び、インスピレーションを得てきたのだ。
Aは彼らの作品を繰り返し読み、観察し、分解し、研究し、模倣し、消費してきた。Aは彼らに心からの感謝を捧げたいと思う。

* *

十二になる頃には、それは一つの体系といってもいいくらいのものになっていた。
Aはかつて自分の創りだした世界を思い出す。
Aは自分の書く物語のために、舞台そのものから創造した。
それは一つの広大な大陸で、山が連なり川が流れ、田園地帯が広がるなかに町が散在して、みんなそれぞれの地名を持っていた。大勢の登場人物はどれも長い系図を持っていて、それは一寸トールキンの<指輪物語>に似ていた。それはまた皮肉なことに、ヘブライ語聖書の世界にもいくらか似ていた。個人的な感情はどうあれ、影響というのは受けてしまうものなのだ。
長い長いその物語を書くことは、世界でいちばん重要なことだった。明日世界が終わろうが(そしてAは実際そのように脅されてきたのだが)、これを書きながらだったら死ぬのも本望と思ってAは毎日書きつづけた。Aが書くということは、それだけで絶対の価値を持っていた。---何と幸福な自己完結。実際、Aは自分の仕事にあまりにも没頭しすぎて、現実の世界にはほとんど存在していなかった。

その頃でもやはりたくさんの問題があったことを、Aは覚えていたい。神話の霧に包み込んでしまいたいとは思わない。
その頃でも問題はあった---永久に縮まらない、シニフィアンとシニフィエとの距離や、自分の仕事がこの世にあって絶対的な意味においてどんな存在価値を持つのかという問いや、結局は虚空に向かって書かざるを得ないのだという辛い認識など。

* *

Aの文学観。ものを生み出すとはどういうことか。
あるいはミケランジェロの彫刻論。
<孤独の発明>の中でオースターが書いているように---
「姿はすでに素材のなかにある。芸術家はただ、真のかたちが現れるまで余分な物質をそぎ落とすだけだ」
そう、自分で作り出すのではない。
最もすぐれたものは、つねに「やってくる」のである。
自らをミューズの媒介、ミューズの巫女とすること。

それゆえ人は自ら己れを無とし、透明とする。
そこに愛したり苦悩したりする個の存在はない。
あるいはオースターの<幽霊たち>の中でブラックが述べるように---
「書くというのは孤独な作業だ。それは生活を覆い尽くしてしまう。ある意味で、作家には自分の人生がないとも言える。そこにいるときでも、本当はそこにいないんだ」

もの書きは人生の傍観者である。
彼は生きるべき自分の人生を持たない。
それゆえに、それは神への冒瀆であった。
続きは分載。

* *

従順について。
「是すなはち汝らの神エホバが汝らに教へよと命じ給ふところの誡命と法度と律法とにして汝らがその濟りゆきて獲るところの地にて行ふべき者なり 是は汝と汝の子および汝の孫をしてその生命ながらふる日の間つねに汝の神エホバを畏れしめて我が汝らに命ずるその諸の法度と誡命とを守らしめんため又汝の日を永からしめんための者なり 然ばイスラエルよ聴きて謹んでこれを行へ然せば汝は福祉を獲汝の先祖の神エホバの汝に言給ひしごとく乳と蜜の流るゝ國にて汝の數おほいに増さん
「イスラエルよ今汝の神エホバの汝に要め給ふ事は何ぞや惟是のみ即ち汝がその神エホバを畏れその一切の道に歩み之を愛し心を盡し精神を盡して汝の神エホバに事へ 又我が今日汝らに命ずるエホバの誡命と法度とを守りて身に福祉を得るの事のみ」---De6:1-3,10:12,13

我に従え。我に従え。生き続けるために、我に従え。
それは人に対する神の要求の基調を成していた---あまり何度も繰り返されるために、それが聖書全体の主題のように思えてくるほど、それは繰り返される教えだった。
我に従え。そうすれば汝は命と祝福とを得るであろう。
そう、たしかに生きるためには、永遠の命を得るためには、神に服従しなければならない。従順は命の絶対条件だった。いつの時代でもそうだった。
それは一見、生命至上主義のように見えた。
神に従った人間は命を得、そうでない者は滅ぼされる。

あの重苦しさ。神の重圧。
一切は神の絶対的な道徳律のもとにあって、人はおしなべて神を愛し畏れ敬い、その威光の前に頭を垂れ、つねにわが身を制し、罪と戦い、命の日の限り絶対の服従と全き専心をもって歩まねばならなかった。
預言者たちの生き方をAは憎み、かつまた哀れに思った。
可哀相な人たち。屈辱と迫害のもとで身をかがめて生き、ひたすら神に仕え、神の器として預言し続け、たえず縛られ、たえず正され、自分の意志なんかこれっぽっちも持たずに死んでいった人たち。
特に最後の点だ。彼らは己れというものをこれっぽっちも持たなかった。彼らは己れを捨て、神の前に己れを捧げ尽くした。全く、人間の尊厳もへったくれもなかった。
あんなのは願い下げだ、あんなふうにはなりたくない。
ナポレオン---「私は百日羊でいるよりも、一日狼である方を選ぶ」
考えてもみよ、いくら地上の楽園で永遠に生きられるとて、あんな神が一緒ではどうして楽しめよう。想起せよ---アダムとエバでさえ、例の木の実に関する試みを受けたことを。神への従順という枷からは、誰一人逃れられないのだ---そう、命の日の限りずっと。

Aが育ってきた環境でもそれは変わらなかった。
神に服せよ、そうすれば汝は来るべきハルマゲドンの際に救出され、楽園で永遠に生き続けるであろう。
それで彼らは聖書を勤勉に研究して古代の模範に学び、従順なる羊たらんとして日々努力を重ねていた。こうして幼き日のAにとって、聖書は机上の哲学論議ではなく、周囲の人間たちを実際に動かしていた現実の力だった。Aの周りには、哀れなヨブやダビデやエレミヤが一杯いた。Aは彼らを軽蔑した---Aの見るところ、彼らが従順という代価を差し出して命を得んと欲しているさまは、金を払ってパンを買おうとしているのと何の変わりもなかったから。
そしてそれを、実際に口に出して言ったのがサタンではなかったか。
彼は神に挑んで言ったのだ、「皮をもて皮に換ふるなれば人はその一切の所有物をもて己の生命に換ふるべし」
要するに彼は言ったのだ、人が神に仕えるのは自分の命のためにすぎず、それが危ういとなったらきっと神を捨てるだろうと。
要するに彼は言ったのだ、人は無償で神を愛し得ないと。
神はこの挑戦を受けて立つ、「エホバ、サタンに言給ひけるは彼を汝の手に任す只かれの生命を害ふ勿れと」
結果としてヨブは苦しみの極限にあって「われ堅くわが正義を持ちて之を棄てじ」と宣言し、かくしてサタンの偽りと中傷とに対して身の証を立てる。それで神はヨブを祝福し、更なる富と栄光と命とを与えるのだ。
「視よ、我らは忍ぶ者を幸福なりと思ふ。なんぢらヨブの忍耐を聞けり、主の彼に成し給ひし果を見たり、則ち主は慈悲ふかく、かつ憐憫あるものなり」
しかしながらどうだろう、死に至るまで貫く神への忠誠と従順のその目的が、ただ将来の復活と永遠の命だけだったとしたら?
そうしたらその従順に、大した意味はないのではないか?
いやそれどころか、やはりサタンは正しかったのだということにならないだろうか?
 シュタイナーの"The Portage To San Cristobal Of A.H." に出てくるヒトラーは、もっと遠慮なく言い放つ。

 ・・・A God of contracts and petty bargains, of indentures and bribes. 'And the Lord gave Job twice as much as he had before.' A thousand she-asses where the crazed, boiled old man had only five hundred to start with. Gentleman, do you grasp the sliminess of it, the moral trickery? Why didn't Job spit at that cattle-dealer of a God? ・・・

他方、神に反逆する人間にとって、命は至上の価値ではない。
ここで想定するのは、意識的な反逆者である。エバのように欺かれて反逆する者もあるし、臆病ゆえに世の流れに迎合し、結果的に反逆者となる者もある---あるいはそれが大部分かもしれない。しかし、ここで想定するのは、木から切り断たれたぶどうの若枝のように、人は神から離反しては生き続けられないことを知りながら、あえてする反逆者である。
彼らは考えるのだ、従順という代価は、命のためにはあまりにも高価すぎると。神からの独立は彼らにとって命よりも価値があるのだ---卑屈にも神の前に膝を折ってまで生き続けたくない。まさに---我に自由を与えよ、しからずんば死を。
それゆえエイハブは冒瀆的に叫ぶ、Who's over me?

Aはそこまではっきりと口に出しては言わなかったかもしれない。
しかし、心情的にはまさにその通りだった。
それでも尚、壇上から繰り返し読み聞かされる神の言葉に、Aは真実の響きを感じないではいられなかった。Aは知っていた---いつかはあのひとに、あのひとの教えに、正面から向き合わねばならない日が来るだろうと。

結局Aを神のもとへひきよせることになったきっかけは、ものを書くことゆえのあまりの孤独だっただろう。Aの存在は、あまりにも無に近く、透明になり過ぎていた。Aにとって、神との和解は人との和解のための正当な手順であると感じられたのだ。その頃、Aはちょうど小学校を卒業したくらいだった。

それから神の言葉に親しむにつれてAはしだいに毒気を抜かれていき、しまいには、もはや神にたてつこうという気にはならなくなった。それはAが、自分を飼い馴らすことに半ば成功したのではないかという錯覚を得た奇妙な一時期だった。それでもキリスト教を自分の生き方とするには至らなかった。なぜなら、Aはその頃でもキリスト教と自分との間に、つまりキリスト教と自分の文学との間に存在する、ある本質的な隔たりを、漠然と感じることができたからだ。そしてあとになって、もちろんAはその問題を、真剣に考えざるをえなくなる。
ここで我々は文学という言葉を定義するつもりはないし、もとよりそんなことは不可能である。Aは自分のやっていることを文学だと思ったことなど一度もない。しかし、いやしくも何かについて云々する以上はどうしても、それを名前で呼ぶ必要が出てくる---それを愛や正義や道徳など、他のあらゆる概念と区別するために---いや、何なら洗濯籠やオイルサーディンと区別するために、と考えてもいい。それで、ここでは便宜上、人がものを書くことに携わる行為全般を広義における文学ということにしておきたいと思う。
この時点でAにとって、文学と宗教とは、互いに何らの関わりも持たない、二つの完結した世界である。本質的な部分でAはキリスト教を嫌ってきたので、それが自分の文学の領域に入り込むことを許さなかった。それで、両者の出会うその境界には、相互不可侵のベルリンの壁がそそりたっている。

ところが、十七の冬になる頃には、Aは神への献身の象徴として洗礼を受けるための準備をしていたのである。
そういうことになったのにはそれなりの経緯があった。
高校生になって、Aは自分の認識に決定的な影響を及ぼす本に出会う。P.オースターの<孤独の発明>だ。それまでにAは同じ著者の<幽霊たち>を読んでいる---エレガントな前衛、アメリカのカフカ、現代におけるゴドー。それを読んで「すごい」とうなりつつ、しかしその無機質さのために、この人の内面が一体どうなっているのか、Aには見当もつかなかった。
ところが<孤独の発明>に至って、オースターは一転して(本当はこっちの方が先に書かれているのだが)己れの痛々しい内面を全面的に吐露している。それはAにとって衝撃的である。己れの存在に意味を見いだし得ず、アウシュヴィッツの苦しみに答えを得られずにいる魂の絶望的な叫びが、Aの底に反響してAをぐらぐらと揺さぶる。
この種の問いは、切実に答えを必要とする。そして真にそれを与えることができるのは、いかなる人間でもなくただ全能の神だけである。ここにおいてAは、自分がそれまで片手間に学んできた事柄の何たるかをはじめて理解したのだった。
やがてAは神の僕として生きるべく決心する。それは生易しいことではない---神に対する献身を全うする道である。「人もし我に従ひ來らんと思はば、己をすて、日々おのが十字架を負ひて我に従へ」---Lu9:23
 そう、中途半端な従い方は許されない。従い方の基準を決めるのは我々でなく神である。
 ここにおいて最大の難関は文学の放棄である。確かに神は「汝書くなかれ」とは命じなかった。しかしAには、自分において文学と宗教とが相立ちゆくことは不可能であることが分かっていた。いみじくもエヒウがエホナダブに言ったように---「ぜひ我と共に行きて我がエホバと張り合う関係を一切認めざるを見よ」
 文学はまさにそれだった、それらは互いに対立するものであって、まさに「二人の主人」だった。どちらを愛するかということになれば、Aは圧倒的に文学の方を愛した。しかし同時に文学は世界を救えないこと、そしてこの世でただ一つ真実なもの、あらゆる根源的な問いに答えを与え得るもの、そのために献身してしかるべきもの、それは神しかいないことを知っていた。それゆえAは文学を捨てた。「もし汝の手なんぢをつまづかせば、これを切り去れ、不具にて生命に入るは、兩手ありてゲヘナの消えぬ火に往くよりも勝るなり」Mr9:43
 しかし、それは、切り捨ててはならない肢体だった。それはA自身だったからだ。それがキリスト教と立ち往かないということは、Aそのものがキリスト教と立ち往かないということだった。

 けれど、このときのAはまだそれに気づいていない、あるいは気づいていることを認めない。Aはこれからの自分の生き方を見定めるべく、改めて聖書を徹底的に研究する。そして、すればするほど、まるで一部のすきもなく、完全に包囲されているような気持ちになってくる。要求されているのは献身である。そして、Aの全存在のいかなる部分もこの要求から除外されてはいない。Aは窒息しそうになって喘ぐ。

 後年、Aはジョゼフ・シュタイナーの‘The Portage To San Cristobal Of A.H.’に出会い、そこにこのときの自分の感情がそっくり表現されているのを見てひどく心を打たれた。すなわち、彼は登場人物の一人( 人知れず生き延びていた九十才のヒトラー) に、ユダヤ人の神を痛烈に批判させるのである。ここではハンプトンの戯曲版で引用しよう。

・・・Was there ever a crueler invention, a contrivance more calculated to harrow human existence, than that of an omnipotent, all‐seeing, yet invisible, impalpable, inconceivable God?
 ・・・A blank emptier than the desert. Yet with a terrible nearness. Spying on our every misdeed, searching out the heart of our heart for motive.
 ・・・You call me a tyrant, an enslaver. What tyranny and what enslavement have been more oppressive than the sick fantasies of the Jew?

 What tyranny and what enslavement have been more oppressive?
 この耐えがたさ。
 Aは偉大なる神の愛について思う。その愛でさえ、この耐えがたさからAを救い出してはくれない。この耐えがたさからAを救い出す唯一のもの、それは神に対するAの愛である。実際、これこそが求められているものの中で最大の掟なのだ---「『すべての誡命のうち、何か第一なる』イエス答へたまふ『第一は是なり「イスラエルよ聽け、主なる我らの神は唯一の主なり。なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡し、力を盡して、主なる汝の神を愛すべし」』」---Mr12:28,29
 ここに至ってAは、自分のうちにまさにその神への愛が決定的に欠落していることを発見する---それでAは洗礼を受けるのをやめる。
 それからAは再び聖書の研究に打ち込み、「神への愛」を培うべく奮闘する。神よどうかあなたへの愛というものを理解させてください、と一心に祈りつつ。
 自発的献身とは何であろうか?
 Aはそれまでどんなに苦しんでもわからなかった。愛のために己れを捨てるなんてことが、一体どうやってできるのだろうか?
 私の心が、心からあなたに献身したいと望むことを、私は心から望んでいるのです、とAは何度も神に言った。それはあなたのご意志でもあるはずではありませんか。
 自分の心を思いどおりにできないというのは、絶望的な現実だった。
Aはいくたび涙ながらに神に訴えたことだろう---どうか私が本当にあなたを愛することができるようにして下さい、と。
 けれど、どんなに祈っても、どんなに聖書の研究に打ち込んでも、どんなに伝道に精を出しても、献身したいという願いをAが己れのものとすることはついになかった。それはぺナンスによってペニタンスを得られないディムズデールの苦しみだった。

 自己否定とは何か? それは自分の感じ方や考え方や生き方を否定することではないのか---神が命ずる通りに感じたり考えたり生きたりすることではないのか? しかし一体、人間にそんなことが可能なのか?
 Aはあえてそれをしようとした---自分をねじまげてしかるべき型にはめこもうとした。それが正しいことだと知っていたからだ。
 ずっと好き勝手に生きてきたのに、急にそんなことを始めたものだから、すっかり参って、神経がぼろぼろになってしまった。
 しかも尚、すべての動機は神への愛でなければならないのだった。
 一体どうしてこの上、神を愛さなければならないのか?
 それはあまりにも苛酷すぎる要求ではないのか?

 そう、問題はいつでもそれだった。
 神の愛は、常に己れを変革することを意味した---己れと戦い、己れを否定し、己れを捨て去ること、全き従順と献身を。
 そして---この最後の点がいちばん重要なのだが---これらすべてを神への愛ゆえにしなければならないということ。

 そう。神は人に対して、その全存在と全生涯とをかけて愛することを要求する。何という暴力だろう、ヒトラーでさえ、そこまでは要求しなかった---ヒトラーでさえ、ただ服従を要求したにすぎない。所詮彼も人の子だった、同じ人の子に対して、どんなわずかな余白も残さず、魂のいちばん奥底までも束縛しようなどとは考えなかった。

 愛とはいったい何なのだろうか?
 愛の定義ならコリント第一の十三章にあるが、それはこの場合、何の役にも立ちそうになかった。神は愛だというのに、その神を愛せなくてこんなに苦しんでいる、この逆説は一体何なのか?

 かくして神を愛そうと努力すればするほどに、Aはどうしようもなく神を嫌悪するようになる。それでもAは神を捨てることを考えない。神を捨てて、人間製のどんな宗教や哲学に帰依したとしても、所詮それは自己欺瞞にすぎないことを感じているからだ。
 それでAはひたすら愚直に苦しみ続ける。これ以上神経が持たないというまでに、自分の苦悩がもはや自分の存在の存続を許さなくなるまでに。
 それからAはついに神を捨てようかと、もう一度文学に生きようかと考えはじめる。ところがそこでAは今だかつてぶつかったことのない問い、すなわち、文学とは一体何なのかという問いにぶつかって立ち往生するのである。
 なぜなら、Aがそのために存在してきた<文学>は、Aの苦悩に際して何らの救いも与えてくれなかった。かくほど脆弱なることを露呈したAの<文学>とは何だったのか?
 それからAは夜も昼もこの問題について考え続け、あらゆる本を片っ端から読みまくる。そうしてだんだんに理解したのである---世の中には、Aがそれまで考えても見なかったような種類の文学観や、そういう文学観を生み出す精神性が存在することを。
 そして、Aはこの時点での自分なりの結論を、カフカ全集の解説の一節に見いだした。すなわち---「文学とは真理の探究である」
 この結論に、Aは打ちのめされてしまった。文学の問題とは、究極的には宗教の問題だったのだ。このとき、Aのうちで十八年間というもの難攻不落を誇っていたベルリンの壁は崩壊する。

 その頃、Aの唯一の慰めとなっていたエミリー・ディッキンソンの研究書。あるいは彼女の抱えていた実存的不安と、それをあえて文字にした勇気。
「さまざまな事柄から意味が消えて、人生がまっすぐに几帳面に立っているのに、内容が何も訪れないような危険な瞬間がだれにでもあるものです。このような瞬間は、もし私たちが生き抜けば私たちの存在を拡大してくれるが、もしそうでなければ死です。そしてこの<もし>は永久にそのままです」
「だが、これらの瞬間はだれも語らない」P-512
 あるいはウィリアム・ジェイムズ。「すべての洞察力のある魂には二つの圧倒的な事実がある。つまり私自身と深淵だ」

 Aは、自分には神に祈る資格がない、と感じたことはないが、神には自分が祈る価値がない、と感じたことはある。
 Aがあれほど苦しんでいたのに、祈っても祈っても何の助けも与えてくれなかったからだ。それも、Aは自分の為に何かを求めていたのではなく、どうか心から神を愛せるように、自分の心を変えてくれるようにと祈っていたのだ。
 Aはそれでもやっぱり祈りつづけた。他にどうしようもないではないか?
 捨てられても捨てられても祈りつづけるしかない人間の弱小さを見せつけられて、Aは神に腹を立てていた。神に侮辱された気がして、すっかりうんざりしていた。苦悩の底にあって、Aは絶望的にもがきつづけていた。
 あとになってAは思う---あれを地獄と呼ぶのではないか?
 人間があれほどまでに無によって生きているのを見たのははじめてだった。

 例えばフロイト用語のウンハイムリヒ--unheimlich--自分の家を遠く離れてさまよっている状態。
 その頃のAはどこにいても何をしていても、一瞬も心の安まるときがなかった。
 不安、恐怖、存在の不可能性。四六時中、つかまるものも何もなくて、深い闇の中をただ果てしなく落ちつづけているような感覚。
 その頃にはもう、聖書が目に触れただけで吐き気を催した。
 発狂の恐怖---手のつけられないすさまじさ。

 後年になってAは、V.フランクルの<夜と霧>の中に自分とよく似た経験を見いだして大きな慰めを得た。この書がすさまじい外的状況を扱っているのに対し、Aが取り組んでいたのはすさまじい内的状況だという違いはあったが、共通する点も確かにあったのだ。
 例えば収容所生活の大きな特色の一つであった未来の絶対的な消失の感覚を、Aもまた味わったのである。
「・・・収容所において最も重苦しいことは囚人がいつまで自分が収容所にいなければならないか全く知らないという事実であった。彼は釈放期限などというものを全く知らないのである。釈放期限は---もしそれが問題になるとしたら(たとえばわれわれの収容所では一度だってこんなことは論じられたことはなかった)---全く不明で、収容期限は限りなく長いものになるのであった。ある著名な心理学者が、収容所における存在様式は「仮りの存在」と名づけられ得るということを指摘したが、われわれはこの特徴の指摘を次のように言って補いたいと思う。すなわち強制収容所における囚人の存在は「期限なき仮りの状態」と定義されるのである。
「ラテン語のfinis という言葉は周知のごとく二つの意味をもっている。すなわち終りということと目的ということである。ところで彼の(仮の)存在形式の終りを見究めることのできない人間は、また目的に向かって生きることもできないのである。彼は普通の人間がするように将来に向かって存在するということはもはやできないのである」
 それゆえAにとってもまた、苦悩のただ中にあって一秒ごとに取り組まねばならない課題と言えば、まず「鉄条網に向かって走らない」ことであった。
 収容所生活から解放された後に彼らが取り組まねばならなかった問題についても、Aはいたく共感を覚えるのである。すなわち、すさまじい苦しみから解放されたあとの自由に、人はなかなか適応することができないのだ。
 「あらゆるものは非現実的であり、不確実であり、単なる夢のように思われるのである。まだ人はそれを信じることができないのである。全く余りにも屡々ここ数年の間、夢は人を欺いたのである」
 そして、語らざるを得ないという衝動---
「今や彼は何時間も語り始めるのであった。かくして彼の上に積み重ねられてきた年来の圧迫が融けてくるのであり、そうなると彼の語り方たるや恰も一種の心理的強迫であるかのような印象を与えるのであった。すなわちそれほど彼等の話は、語らざるを得ないといったとどめることのできない衝動であったのである」
 結局のところこの書全体は、この種の衝動ゆえに書かれたのである。この書の大方の部分はそれこそAの語りたいという欲求を満たす以外の何も成し遂げていないが、それでもAはすっかり語らないではいられなかったのだ。語り尽くしてはじめて安んじて忘れ去り、また新しく生き始めることができると感じているのである。
「・・・そして一歩一歩とこの新しい生活へ足をふみ出して行く。再び人間になってゆくのである」
 
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