2013年11月30日

創造的な不幸-15-

創造的な不幸-愛・罪・自然、および芸術・宗教・政治についての極論的エッセイ-
この作品について   目次

-15- 正義、正当性、道徳的無秩序について、その3


 神の愛は、つねにその原則--principle --、基準--standard--、義--justice --と結びついている。これが神の愛の最大の特色である。
 神の愛は強制的ではない。人がそれに答え応じるかどうかは、各人がその責任において決めなければならない。しかし、それに応えようとする人間には、神は同じ質の愛を要求する。即ち、第一に神を愛し、そのゆえに神の義に固くつき従うことを。人がそれに失敗するとき(そしてまた人は、その不完全さゆえに必ず失敗するのであるが)神は彼を直ちに断罪したりはしない。何度でも助けを延べ、辛抱強く教え続ける。しかし人があくまでその歩みを改めず、神の愛に応えず、その義に従おうとしないとき、神はついにそれを許容することはない。神は必ずこれを滅びに至らしめる。義と結びついた神の愛とはそういうものである。神は情のゆえに義を曲げることはしない---言い換えれば、神にとっては他人の命よりも自分の義のほうが重要なのである。

 紀元前十六世紀、モーセによってエジプトから導き出され、シナイで神との律法契約に入るイスラエル。
「・・・然ば汝らもし善く我が言を聴きわが契約を守らば汝らは諸々の民に愈りてわが寳となるべし全地はわが所有なればなり 汝らは我に対して祭司の国となり聖き民となるべし 是等の言語を汝イスラエルの子孫に告ぐべし
 是においてモーセ來りて民の長老たちを呼びエホバの己に命じ給ひし言を盡くその前に陳べたれば民皆等しく應へて言ひけるはエホバの言給ひしところは皆われら之を爲すべしとモーセすなはち民の言をエホバに注ぐ」---Ex19:5-8
 こうして、スラエルは神に従うことを自ら選び取ったがゆえに、その選択に関して責任を持つようになる。もし心を込めて従うなら大きな祝福を受けること、しかしもし従わないならば呪いと災厄を受けることを、神は予めイスラエルにはっきりと告げる。(Le26:3-45)
 神は彼ら自身の徳のゆえにイスラエルを選んだのではない、という点をもはっきりと告げている。
「エホバの汝らを愛し汝らを選び給ひしは汝らが萬の民よりも數多かりしに因るにあらず汝らは萬の民の中にて最も小き者なればなり 但エホバ汝らを愛するに因りまた汝らの先祖等に誓ひし誓を保たんとするに因りてエホバ強き手をもて汝らを導きいだし汝らを其奴隷たりし家よりエジプトの王パロの手より贖ひいだし給へるなり」Deut7:7,8
「汝の神エホバ汝の前より彼らを逐ひはらひ給はん後に汝心に言ふなかれ云く我の義きがためにエホバ我をこの地に導きいりてこれを獲させ給へりと そはこの国々の民の惡しきがためにエホバ之を汝の前より逐ひはらひ給ふなり 汝の往きてその地を獲るは汝の義きによるにあらず又汝の心の直きによるに非ずこの国々の民惡しきが故に汝の神エホバこれを汝の前より逐ひはらひ給ふなりエホバの斯し給ふはまた汝の先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓ひたりし言を行はんとてなり」---Deut9:4,5
 そしてまさに最初からこの民の性向を、その末路がどうなるかを神は知っている。モーセの死が近づいたとき、神は彼に告げる。
「・・・此民は起ちあがりその往くところの他国の神々を慕ひて之と姦淫を行ひかつ我を棄てて我が彼らと結びし契約を破らん その日には我かれらにむかひて怒りを発し彼らを棄て吾面をかれらに隠すべければ彼らは呑みほろぼされ許多の災害と艱難かれらに臨まん ・・・我いまだわが誓ひし地に彼らを導きいらざるに彼らは早く已に思ひ量るところあり我これを知る」---Deut31:16-21

 さて、その後も神は彼らを導いて荒野を携え上り、命令と食糧と水と衣服とを備え、約束の地まで導く。しかしその間にイスラエルは神に対して何度となく罪を犯す---金の子牛崇拝(Ex32)、食糧をめぐる不平(Num11)、斥候の芳しくない報告によって露顕する信仰の欠如(Deut1)、コラ、ダタン、アビラムの煽動による反逆(Num16)、モアブの女たちとの淫行(Num25)等々であり、その度に相当数が神によって処刑されている。選民といえども神の義に逆らう者は容赦ないのである。
「神かれらを殺したまへる時かれら神をたづね懇ろに神をもとめたり 然はあれど彼らはただその口をもて神にへつらひ その舌をもて神にいつわりをいひたりしのみ そはかれらのこころは神にむかひて堅からず その契約をまもるに忠信ならざりき されど神はあはれみに充ちたまへばかれらの不義をゆるして亡ぼしたまはず屡そのみいかりを轉してことごとくはいきどおりをふりおこし給はざりき 又かれがただ肉にして過去ればふたたび帰りこぬ風なるをおもひいで給へり かれらは野にて神にそむき荒野にて神をうれへしめしこと幾次ぞや かれらかへすがへす神をこころみイスラエルの聖者をはづかしめたり」---Ps78:34-41
 いよいよ約束の地に入るに当たり、神はイスラエルに再度訓戒を与える---従順に対しては祝福を、不従順に対しては呪いと災厄を。
「我今日天と地を呼びて證となす 我は生命と死および祝福と呪詛を汝らの前に置けり 汝生命をえらぶべし然せば汝と汝の子孫生存ふることを得ん 即ち汝の神エホバを愛してその言を聴き且これに附従ふべし 斯する時は汝生命を得かつその日を永うすることを得 エホバが汝の先祖アブラハム、イサク、ヤコブに與へんと誓ひ給ひし地に住むことを得ん」---Deut30:19,20

 かくしてカナンの征服が始まる。彼ら自身よりも数が多くて強大な七つの国民を、イスラエルは絶滅に至らせなければならないのである(Deut7,20)。
 カナンが滅ぼされたのは無論、神から見たその悪のゆえである。しかし、神のために弁護しておくと、神の義から見たら一切の異教徒は等しく不義なる者であって、同じだけ滅びに値する、ということにはならない。他ならぬその時代から、他ならぬその国民が滅ぼされたのには、それなりの理由があったのだ。ソドムとゴモラの場合と同じく、その悪が並の悪でなく、桁外れな悪であったからだった。例えばこの七国民に対する以外の戦争においては規定が違っていて、その場合には和平の条件をも告げなければならないことになっていた。(Deut20:10-18)また、それより四百年前にアブラハムに約束の地を見せたとき、神は直ちにそれを彼に与えようとはしなかった。
「時にエホバ、アブラハムに言給ひけるは 爾確かに知るべし 爾の子孫他人の国に旅人となりて其人々に服事へん 彼ら四百年のあひだ之を悩まさん ・・・四代に及びて彼ら此に返りきたらん 其はアモリ人の惡未だみたざれば也と」Ge15:13-16
 つまり、四百年前もアモリ人はそこに住んでいて、そして異教徒であることにも変わりはなかったが、その悪はまだ、絶滅に値するほど甚だしくはなかったのである。しかし時が流れ、イスラエルが戻ってきたとき、彼らの悪はその極みに達していた。
 レビ記十八章と申命記十八章にはその悪が連綿と書き連ねられているが、それを大きく分けると性的非行と心霊術的慣行であって、あらゆる形の近親相姦、姦淫、同性愛、獣姦、人身御供、呪術、占術、魔術、死者との交感などが挙げられている。
「汝らはこの諸の事をもて身を汚すなかれ 我が汝らの前に逐ひはらふ国々の人はこの諸の事によりて汚れ その地もまた汚る 是をもて我その惡のために之を罰す その地も亦自らそこに住める民を吐きいだすなり」
 こうしてヨシュアの指揮のもと、カナンにおける大殺戮が断行されるのである。
 しかし、例外もあった。イスラエルの側に着いた、エリコの娼婦ラハブとその家族(Joh2,6)、及びギベオン人(Joh9,10)は死を免れている。ラハブの名誉のためにちょっと言っておくと、彼女はその信仰のゆえにメシアの家系に連なり(Math1:5)、ギリシャ語聖書においても模範とされている(Heb11:31)。この例が示しているのは、滅びに定められた国民に属してはいても、個々人はやはり「生命と死、祝福と呪詛」のいづれかを選ぶことができた、ということである。

 こうしてイスラエルはカナンの地に定住するようになるが、やがて彼らは(予告された通り)エホバを忘れ、カナンの神々に仕えるようになる---というのも、カナンの民は命令通り、完全に抹殺されたわけではなかったからだ。
「イスラエルの子孫エホバのまへに惡しきことを作してバアリムにつかへ かつてエジプトの地よりかれらを出し給ひしその先祖の神エホバを棄てて他の神すなはちその四周なる国民の神にしたがひ之に跪きてエホバの怒を惹き起せり 即ちかれらエホバをすててバアルとアシュトレテに事へたれば エホバはげしくイスラエルを怒り給ひ 掠むるものの手にわたして之を掠めしめ かつ四周なるもろもろの敵の手にこれを賈り給ひしかばかれらふたたびその敵の前に立つことを得ざりき ・・・エホバ士師を立て給ひたればかれらこれを掠むるものの手よりすくい出したり 然るにかれらその士師にもしたがはず反りて他の神を慕ひて之と淫をおこなひ之に跪き先祖がエホバの命令に従ひて歩みたるところの道を頓に離れ去りてその如くには行はざりき ・・・その士師の死にしのち またそむきて先祖よりも甚だしく邪曲を行ひ他の神にしたがひてこれに事へ之に跪きておのれの行為をやめずその頑固なる路を離れざりき」---Jud2:11-19
 イスラエルの歴史は大体、こんなことの繰り返しだった。

 やがてイスラエルは王を頂くようになって、その中には神を愛しその義につき従った者もいる。ダビデとソロモンがその代表格である。ダビデの時代に領土は飛躍的に拡大し、ソロモンの治世には壮麗な神殿が建てられる。イスラエルの黄金時代である。
「ユダとイスラエルの人は多くして濱の沙の多きがごとくなりしが飲食して楽しめり」---1Kin4:20
 レハベアムの時代に王国が二つに分裂してからは、アサやエホシャファト、ヒゼキヤ、ヨシヤなどの名前が挙げられる。彼らがエホバへの崇拝を推進した間は民も喜んでそれに従い、神は彼らを祝福し、イスラエルは繁栄する。しかし彼らがそれをしなくなると、民もあっさり忘れてしまい、不道徳と偶像崇拝に戻ってゆく。かくして苦境が訪れる。

 イザヤ、エレミヤ、エゼキエルといった預言者たちは、こうした状況にあって神の言葉を伝え民の罪をとがめ、神のもとへ帰ることを促し、でなければ破局が来るべきことを繰り返し警告した。
「ああ罪ををかせる国人 よこしまを負ふたみ 惡をなす者のすえ 壊りそこなふ種族 かれらはエホバをすて イスラエルの聖者をあなどり 之をうとみて退きたり ・・・
 我汝らが手をのぶるとき目をおおひ 汝らがおほくの祈祷をなすときも聞くことをせじ汝らの手には血みちたり 汝ら己をあらひ己をきよくし わが眼前よりその惡業をさり 惡をおこなふことを止め 善をおこなふことをならひ 公平をもとめ 虐げらるる者をたすけ 孤子に公平をおこなひ 寡婦の訴をあげつらへ・・・」---Is1
「汝ら遇ふことをうる間にエホバを尋ねよ 近くい給ふ間によびもとめよ 惡しきものはその途をすてよこしまなる人はその思念をすててエホバに反れ さらば憐憫をほどこし給はん 我等の神にかへれ豊かに赦をあたへ給はん」---Is55:6,7
「エホバかくいひ給ふ汝らの先祖は我に何の惡事ありしを見て我に遠かり 虚しき物にしたがひて虚しくなりしや」---Je2:5
「・・・背けるイスラエルよ帰れ われ怒りの面を汝らにむけじ われはあはれみある者なり 怒を限なく含みをることあらじとエホバいひ給ふ 汝ただ汝の罪を認せ そは汝の神エホバにそむき 經めぐりてすべての青木の下にて異邦人にゆき 汝らわが聲をきかざればなりとエホバいひ給ふ」                                  ---Je3:12,13
「何故にエルサレムにをる此民は恆にわれを離れて帰らざるや 彼らは詐偽をかたく執りて帰ることを否めり われ耳を側だてて聴くに彼らは善きことを云はず一人もその惡を悔いてわがせし事は何ぞやといふ者なし 彼らはみな戰場に馳入る馬のごとくにその途に帰るなり」---Je8:5,6
「エホバいひ給ふ是彼ら我その前に立てしところの律法をすて我聲をきかず之に従はざるによりてなり 彼らはその心の剛愎なるとその先祖たちがおのれに教えしバアルとに従へり この故に萬軍のエホバ、イスラエルの神かくいひ給ふ 視よわれ彼らすなはち斯民に茵陳を食はせ毒なる水を飲ませ 彼らもその先祖たちもしらざりし国人のうちに彼らを散し また彼らを滅盡すまで其後に剣をつかはさん」---Je9:13-16
「主エホバ言給ふ我は活く 我惡人の死ぬるを悦ばず 惡人のその途を離れて生くるを悦ぶなり 汝ら翻り翻りてその惡しき道を離れよ イスラエルの家よ汝ら何ぞ死ぬべけんや」---Ez33:11

 神は民を自分のもとに立ち返らそうと執拗に使いを送り続け、民は民で執拗に拒み続ける。そしてついに紀元前六百七年、エレミヤを通して予告された通り、バビロンの王ネブカドネザルはエルサレムに侵攻する。
「其先祖の神エホバその民とその住所とを恤れむが故に頻りにその使者を遣はして之を諭し給ひしに 彼ら神の使者たちを嘲り其御言葉を軽んじその預言者たちを罵りたれば エホバの怒その民にむかひて起り 遂に救ふべからざるに至れり「即ちエホバ、カルデア人の王を之に攻めきたらせ給ひければ 彼その聖所の室にて剣をもて少者を殺し童男をも童女をも老人をも白髪の者をも憐れまざりき 皆ひとしく彼の手に付し給へり 神の室の大小の器皿エホバの室の貨財 王とその牧伯たちの貨財など凡て之をバビロンに携へゆき 神の室を焚きエルサレムの石垣を崩し その中の宮殿を盡く火にて焚き その中の貴き器を盡くそこなへり また剣をのがれし者らはバビロンにとらわれゆきて彼處にて彼とその子らの臣僕となり ペルシャの国の興るまで斯てありき 是エレミヤの口によりて傳はりしエホバの言の應ぜんがためなり 斯この地遂にその安息を享けたり 即ち是はその荒れをる間安息して終に七十年満ちぬ」---2Cro36:15-21
 エルサレムの荒廃が七十年に及ぶこと、そしてその後にバビロンが滅亡し、流刑者たちが戻ってくることを、エレミヤは予め告げている(Je25:1-14,29:1-14)。イザヤはイスラエルの解放者としてキュロスの名を挙げ(当時彼はまだ生まれてもいなかった)、彼がどのようにしてバビロンを攻略するかまで詳述している(Is44:24-45:7)。かくして預言は成就する。
「ペルシャ王クロスの元年に當り エホバ曩にエレミヤの口によりて傳へ給ひしその聖言を成さんとてペルシャ王クロスの心を感動させ給ひければ 王すなはち宣命をつたへ詔書を出して 遍く国中に告示して云く ペルシャ王かく言ふ 天の神エホバ地上の諸国を我に賜へり その家をユダのエルサレムに建つるを我に命ず 凡そ汝らの中もしその民たる者あらばその神エホバの助を得て上りゆけ」    ---2Cro36:22,23
 そこでイスラエルの残りの者たちは、荒廃に帰したエホバの神殿を再建すべくエルサレムへ帰還する。ここにイスラエルの歴史は新たな局面を迎えるのである。

 帰還したイスラエルは、エズラやネヘミヤを中心として神殿の再建に取りかかる。反対者たちの迫害や、イスラエル自身の堕落や無関心にも拘らず、やがて再建は完了する。
 ヘブライ語聖書におけるイスラエルの歴史は、マラキをもって終わっている。ここでは、相も変わらず神殿での崇拝をなおざりにしていることや、不道徳や、隣人愛の欠如が糾弾されている。「汝ら其先祖たちの日よりこのかたわが律例をはなれてこれを守らざりき 我にかへれ われ亦汝らに帰らん 萬軍のエホバこれを言ふ」---3:7
 三章ではメシアの到来についての予告がなされ、そして最後はこういう言葉で結ばれている。「視よ エホバの大なる畏るべき日の来るまへにわれ預言者エリヤを汝らにつかはさん ・・・是は我が来りて詛をもて地を撃つことなからんためなり」
 ここからギリシャ語聖書の時代まで、およそ四世紀の空白がある。
 メディア-ペルシャの支配の下で、イスラエルは発展と人口増加の時期を迎える。しかし、その末期は太守の反乱が頻発した不穏な時代だった。このころ、ペルシャの国教であったゾロアスター教や、ギリシャ文化の影響が色濃く影を落としはじめる。
 紀元前四世紀、アレクサンドロスが中東を席捲し、イスラエルもその配下に入る。セプトゥアギンタ訳の仕事がなされるのはその死後、プトレマイオス二世の時代である。
 紀元前二世紀、アンティオコス四世の時代に、ユダヤ教に対する迫害が起こって神殿が汚される---祭壇の上でゼウスへの犠牲が捧げられるのである。マカベア家を中心としたイスラエルは立ち上がり、激戦の末エルサレムを取り返して、神殿を再びエホバに献納する。
 やがて様々な思想集団が出現することになる。ロ-マを支持したサドカイ派、ギリシャの影響に抵抗し、口頭伝承を重んじたパリサイ派、神秘主義のエッセネ派、ユダヤ独立を至上命題としたゲリラ集団的な熱心党。また、種々の偽典や外典が書かれたのもこのころである。
 紀元前一世紀、ギリシャに代わってローマが支配するころには、ヘレニズムの影響は已に抜きがたく根づいている。イエスが生まれたのはそういう時代だった。

 連綿たる預言者たちの系譜の締めくくりとしての、神の子としての、メシアとしてのイエスを認め、受け入れることは、イスラエルにとって重要なことだった。これが、神の民としてのイスラエルにとっての最後の機会となったからだ。
 イエスをメシアと認めるのに、当時でも根拠には事欠かなかった。その主なものは、ヘブライ語聖書中のメシアについてのたくさんの預言である。
 ダニエル9:25の年代計算によればメシアは西暦二十九年に出ることになっていたが、イエスがヨルダン川でバプテスマを受けたのはちょうどその年のことだった。一般大衆もその頃にメシアの出現を期待していたことがルカの記述に見える。(Lu3:15)
「まずエリヤが来なければならない」との言葉も果たされる---イエスによれば、それはバプテストのヨハネを指していたのである。(Mt17:10-13)他にもイエスが成就した預言として、ダビデの家系に生まれること(Ps133:11,Is9:7,11:1,10--Mt1)、ベツレヘムで生まれること(Mic5:2--Lu2:4-11,Joh7:42)、子ろばに乗ってエルサレムに入場すること(Zec9:9,Ps118:28--Mt21:1-9,Mr11:7-11)、銀三十枚で売られること(Zec11:12--Mt26:15,27:3-10,Mr14:10,11)、その衣のためにくじが引かれること(Ps22:18--Mt27:35,Joh19:23,24)、罪人たちとともに数えられること(Is53:12,Mt26:55,56,27:38,Lu22:37)等々がある。
 しかしながら、結果的にイスラエルはイエスを退けることになる。己れの偽善を暴露されて憤った宗教指導者たちが謀って民衆を煽動し、ローマの総督を動かしてイエスを処刑させるのである。こうした仕打ちのゆえに、一国民としてのイスラエルがついに神の前から退けられることを、イエスは予見する。「噫エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏の己が雛を翼のうちに集むるごとく、我なんぢの子どもを集めんとせしこと幾度ぞや。されど汝らは好まざりき。視よ、汝らの家は棄てられて汝らに遺らん」---Lu13:34,35,Mt23:38
「既に近づきたるとき、都を見やり、之がために泣きて言ひ給ふ、『ああ汝、なんぢも若しこの日の間に、平和にかかはる事を知りたらんには---されど今なんぢの目に隠れたり。日きたりて敵なんぢの周囲に塁をきづき、汝を取囲みて四方より攻め、汝とその内にある子らとを地に打倒し、一つの石をも石の上に遺さざるべし。なんぢ省顧の時を知らざりしに因る』」---Lu19:41-44
 かくて涙を流しながら、イエスは滅亡を予告する。ここに神の愛と義とがある。神はイスラエルを愛した、しかし彼らがその愛に背くとき、神が彼らを無限に許しつづけることはついにない。イエスは陰鬱な滅びを予告して言う、「汝らエルサレムが軍勢に囲まるるを見ば、其の亡近づけりと知れ。その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ、都の中にをる者どもは出よ、田舎にをる者どもは都に入るな、これ録されたる凡ての事の遂げらるべき刑罰の日なり。・・・地に大なる艱難ありて、御怒この民に臨み、彼らは剣の刃に斃れ、又は捕らはれて諸国に曳かれん。而してエルサレムは異邦人の時満つるまで、異邦人に蹂躪らるべし」--Lu21:20-24,Mt24:15-22,Mr13:14-20

 イエスの死後、西暦六十六年、熱心党を中心としてローマに対する叛乱が起こる。これに対してケスティウス・ガルス率いるローマ軍はユダヤとガリラヤに進軍し、やがてエルサレムを包囲する。包囲は五日間にわたり、エルサレムの陥落は必至と思われたが、その後の展開についてフラビウス・ヨセフスはこう記している。
「ケスティウスは、包囲された者たちの絶望感にも、民衆の気持ちにも気づかずに、突如兵を呼び戻し、反撃を受けたわけでもないのに望みを捨て、全く不可解なことに、都から撤退した」---ユダヤ戦記II,540,xix7
 イエスの言葉に心を留めていた者たちにとっては、ここに「山に逃げる」機会が開かれたわけである。キリスト教徒たちが実際にユダヤとエルサレムを出て山地の中立都市ペレアに移住したことをエウセビウスは伝えている。---教会史、III,v3
 しかし、大部分の市民にとってそれは大勝利以外の何物でもなかった。彼らは勝利のたやすさに驚いてもよかったはずだが、それを当然のこととして受けとめた。彼らが新たに獲得した自治にいかに酔い痴れたかを、発掘された記念硬貨は伝えている。しかし、平和は長くは続かなかった。
 西暦七十年、ティトゥス率いるローマ軍が勢力を増して引き返してきて、過ぎ越しの祭りに沸いていたエルサレムを再度攻囲する。ローマ軍は今度は容赦しなかった。五ヵ月にわたる包囲によって市内の食糧は底を突き、人肉嗜食も横行するほどの飢餓状態に陥る。ローマ軍との戦闘のみならず、ユダヤ人同士のファクト間の闘争も激化する。脱走を企てる者は処刑され、ティトゥスによる和平の申し出も頑に退けられる。
 かくしてローマ軍は城壁を打ち破り、エルサレムを陥落せしめる。神殿には火が放たれ、系図も失われる。ユダヤ人の死者は百十万人に上り、剣の刃を逃れた十万人も、あるいは餓死し、あるいは奴隷として遠方へ送られる。ここにおいてイエスの預言のみならず、遠い昔に神によって語られた呪いの言葉が尽く成就を見ることになる。(De28)ここに神の選ばれし民としてのイスラエルは終わりを迎えるのである。

 神が愛であって、愛が利他的であるのならば、人間の救いが第一でないのはなぜか? なぜ神は、己の義を曲げてまでも人間を救おうとしないのか? Aにはそれが、長い間理解できなかった。
 それはまさに正義のためなのである。「世界滅ぶとも正義行わるべし」なのだ。愛の神はまた義の神でもある。結局のところ、神の愛の最大の表明はまた、その義の最大の表明でもあった。アダムが罪を犯したとき、神がその義を曲げてこれをなかったことにしてしまっていたなら、何の面倒もなかったし、人類は引き続きエデンの園で平和に暮らしたかもしれない。けれども神の義はそれを許さなかった。「魂には魂を」という原則に従い、最愛の独り子を自ら贖いとして差し出すことにより、神は再び己れと和解する手だてを人類に与えたわけである。
 エホバはどこまで行っても愛と義のアマルガムだ。誰に対しても「そのままでよいから私のもとに来よ」と言いはしない。常に「あなたの道を改め、私の義を受け入れて私のもとに来よ」と言う。そして、彼のもとに来ることを選ばない者たちについては、これをそっとしておいてくれることもなくて、必ずや滅びが臨むことになる。「あくまでそれを拒むなら、あなた方は生き続けられない。」
 キリスト教の持つ独特の重苦しさはここにある。しかし、突きつめればこれこそ神の言うべきこと、そしてまさに神にのみ言えることなのだ。人間には解決のつけようがないあまたの社会問題を解決し得るのはこの種の正義である。愛であるところの神はまた、剣をも取る。すなわち、正義が力を取るのだ。

 例のカナンに関する記述。キリスト教徒になるということは、その記述を受け入れるということでもある。それがAにはどうしてもできなかった。彼らの道徳的頽廃をどんなに吹き込まれてもだめだった。これだけ多くを殺したというだけで。
 どうしてエホバが殺すのがよくて、ヒトラーが殺すのは悪いのか? 全く単純な理屈だった。エホバは神だが、ヒトラーは人の子でしかないからだ。全治の創造者たる神は絶対的な権威を持っている。つまり、自分で造ったものなのだからどうにでもする正当な権利がある。我々がそのやり方を正当であると認めるかどうかはまた別の問題である。しかし、ヒトラーにその権利はないのだ。ここがポイントである。どれだけ多くを、どれだけ野蛮なやり方で殺すかが問題なのではない---誰の権威で、誰の規準で殺すかが問題なのである。人間同士の殺し合いが不毛なのはつまり、彼らの権威が正義においても力においても相対的でしかないからだ。ジョージ・オーウェルが書いたごとく、彼らの正義が「牡蠣の好き嫌いと同じ種類の問題」であること、これが問題なのである。

           *           *

 剣、正義、国家、キリスト教をめぐって。                
 処刑される前夜、敵に討ちかかったペテロを諌めてイエスは言った。「なんぢの剣をもとに収めよ、すべて剣をとる者は剣にて滅ぶるなり」(Mt26:51,52)
 この言葉は「剣」に関して神の民が従うべき、新たな指針を示していた。なぜなら、その時に至るまで彼らは確かに「剣をとって」いたからである。イザヤの預言にはこうある---「斯てかれらはその剣をうちかへて鋤となし その鎗をうちかへて鎌となし 国は国にむかひて剣を上げず 戦闘のことを再びまなばざるべし」---Is2:4
 戦闘のことを「再び」学ばないということは、それまで学んでいた者がある時を境に学ばなくなるということであり、その「ある時」をしるしづけたのがキリストの死に他ならなった。その時に至るまでイスラエルは神の名をもって唱えられた国民であり、その国家は神の主権の地上における政治的表明であった。だから異邦人が彼らの神を崇拝したいと思ったときには、わざわざエルサレムまでやって来て祈らならければならなかった。(1Ki8:41-43)そして、国家が国家である限り、国民は剣を取ることを免れない。実際、彼らはそれを神から命ぜられもした。ところが、キリストの死を境に神の民は国家を持たなくなるのである。マタイ21章にはいわゆる葡萄園の例えがある。家あるじが葡萄園を設け、それを耕作人たちに貸し出して自分は外国へ出掛ける。やがて収穫の時が来て、彼はその実りを得るために自分の奴隷を遣わす。ところが耕作人たちは彼らを捕らえて打ち叩き、殺してしまう。もっと大勢が遣わされるが、彼らもまた同じ目に遭う。最後にあるじの息子が遣わされるが、彼までも殺されてしまう。家あるじは神、耕作人はイスラエル、奴隷は預言者たち、そしてあるじの息子はイエスである。「この故に汝らに告ぐ、汝らは神の国をとられ、其の実を結ぶ国人は、之を與へらるべし」--Mt21:33-46
 キリストの死を境に、国民としての生来のイスラエルに代わってクリスチャン会衆が新たに神の恩寵を得るようになる。そしてこの会衆は、政治的な意味における一つの国民からではなく、キリストの教えを受け入れた個人から、つまり生来のイスラエルと異邦人との双方から成っていた。(Rom9:23-33,11:1-12,15:7-12)彼らはもはや地上に国家を持たず、彼らの「市民権は天に」ある。(Ph3:20)神への崇拝が地上のある場所に限定されることはもはやない。イエスはスカルの泉のそばでサマリア人の女に話してこう言った。「をんなよ、我が言ふことを信ぜよ、此の山にもエルサレムにもあらで、汝ら父を崇拝するとききたるなり。・・・真の礼拝者の、霊と真をもって父を拝する時きたらん、今すでに来れり。父はかくのごとく拝する者を求めたまふ」---Joh4:21-24 そうして、もはや国家を持たないからこそ剣を取らないことも可能になったのである。
 しかしながら、国家を持たないと言っても結局のところ、人はいずれかの国家の中で生きていかなくてはならない。であれば、キリスト教徒は国家に対していかなる態度を取るべきか。一言で言えば、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」ということになる。しかしこれは具体的に言ってどういうことを意味したか。彼らの主はこの問題に関していかなる態度を取ったか。

 宣教を始める前、イエスは荒野で悪魔の誘惑を受けた。「悪魔またイエスを携へのぼりて、瞬間に天下のもろもろの国を示して言ふ、『この凡ての権威と国々の栄華とを汝に與へん。我これを委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。この故にもし我が前に拝せば、ことごとく汝の有となるべし』イエス答へて言ひ給ふ『「主なる汝の神を拝し、ただ之にのみ事ふるべし」と録されたり』」---Lu4:5-8
 イエスは「悪魔と契約を結」ぼうとしなかった。つまり、政治に関わろうとしなかった。それがイエスの一貫した態度であった。しかるに、当時ローマの支配下にあったイスラエルにとっては、国家の独立こそ悲願であり至上命題だった。もちろんそれは単なるナショナリズムだけでなく、神を代表する国家としてかくありたいという宗教的な動機から発してもいただろう。あるいはその二つは彼らにとってほとんど同じものだったかもしれない。それゆえ、メシアとはすなわち国家回復のための革命的指導者であると、彼らは当然のことのように考えた。「人々その爲し給ひし徴を見ていふ『実にこれは世に来るべき預言者なり』イエス彼らが来りて己をとらへ、王となさんとするを知り、復ひとりにて山に遁れたまふ」---Joh6:14,15
 これが、彼らの多くがイエスにつまづいた原因の一つだった。イエスはイスラエルをローマの圧政から救うために革命を起こしたりしなかった。彼はその父から与えられた任務に専念した。「我は之がために生れ、之がために世に来れり、即ち真理につきて證せん爲なり」(Joh18:37)と彼はピラトに言う。宣教の業こそ彼の使命だった。そしてその主題となったもの、それこそ聖書全体の主題でもある「神の王国」だった。「時は満てり、神の国は近づけり、汝ら悔改めて福音を信ぜよ」(Mr1:14)という言葉をもって彼はその宣教を開始し、死に際してはこう言うのである---「わが国はこの世のものならず、若し我が国この世のものならば、我が僕ら我をユダヤ人に付さじと戦ひしならん。然れど我が国は此の世よりのものならず」---Joh18:36,37

 「この世のものならぬ」神の国とは何か。それは「人の心の中に」存在し得る一つの状態であるという考え方もある。その論拠は例えば「視よ、神の国は汝らの中に在るなり」というイエスの言葉にある。しかし、この時彼はパリサイ人に向かって話していたのであり、反対者たちの心の中に神の国が存在すると考えるのはいかにも理不尽である。
 神の国とは文字通りの政府なのである。それは人間でなく神に由来するという意味で「この世のものではない」。それはまた「天の王国」とも呼ばれているから天に所在し、キリストとその追随者たちがその王として神から任命されることになっている。(Lu1:30-33,22:28,29,2Ti2:12)そして、それはやがてはこの地上をも支配する。イエスがかく祈るようにと教えたように--「御国の来らんことを。御意の天のごとく地にも行はれんことを」(Mt6:10)その支配が地上に及ぶとき、人間の政府は平和裡に己が支配をこれに明け渡すのであろうか? そうではない。ダニエルはこう書いている--「この王等の日に天の神一つの国を建て給はん 是は何時までも滅ぶること無からん 此国は他の国に帰せず却ってこの諸の国を打破りてこれを滅せん 是は立ちて永遠にいたらん」(Da2:44)
 そしてこの事は理に適っている。絶対的な正義というものがイエスの説教の中に観念論として存在しても、実際にこの世の不正義がいつまでたっても正されないのであれば、所詮それは虚しいからである。いつまでたっても勝たない正義など、正義と呼べはしない。そして、カナンやイスラエルの不正義を、あるいはモアブやアンモンや、エドムやティルスやバビロンの不正義を許さなかったのであれば、どうして全世界の不正義をも正さないということがあろうか。
 イエスが宣べ伝えたのはこういう王国であった。そして弟子たちにも、この王国を宣べ伝えるようにと教えた。この王国を宣べ伝えるようにと教えたのであって、自分でこの世を終わらせて「神の国」を打ち立てるようにと教えたのではない。神の王国を代表してこの世の不正義を武力で正す権限は、地上のいかなる人間にも与えられていない。後世の人間は、このことを理解していなかったので不正な血を夥しく流す結果になったのである。それらの人々にはこの言葉が当てはまるであろう--「われ彼らが神のために熱心なることを證す、されど其の熱心は知識によらざるなり。それは神の義を知らず、己の義を立てんとして、神の義に服はざればなり」---Rom10:2,3
 神に対する熱心に正確な知識が伴うこと、己の義ではなく神の義に服することは重要であった。そのために例え周囲から腰抜けと見なされようとも、である。それゆえ、神とカエサルに関する神の義とは何か、またイエスの弟子たちはこの問題についてどのような見方をしたか、引き続き聖書から考察しなくてはならない。

「我の世のものならぬ如く、彼らも世のものならず」--Joh17:16
 彼らが「世のものではない」とはどういう意味か。
 その一つは、世の政治に関わらないということである。イエスの場合と同じく、政治に関して彼らが唯一支持するのは「この世のものならぬ」来たるべき神の王国であり、ゆえに地上の他のいかなる政治機構をも、これに代わるものとして支持してはならなかった。少なくとも、キリストの説いたキリスト教にあってはそうだった。では、具体的に彼らはどのように政治に関わらなかったのか、「カエサルのもの」、「神のもの」とはそれぞれ何か、また各々のものを各々に返すとはどういうことを意味していたのか。
「神のもの」について、パウロは次のように書いている。「われら生くるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬ。然れば生くるも死ぬるも我らは主の有なり」(Rom14:8)キリスト教徒とは神に献身した人間であり、従ってその命はもはや己れのものではなく「神のもの」である。だから「剣をとり、剣によって滅ぶ」ことによってカエサルにそれを与えてはならなかった。彼らが剣を取ってはならぬ理由はここにある。それは彼らが絶対的平和主義者もしくは生命至上主義者だからではないのだ。というのは、彼らは、彼らもまた、人の命よりも神の正義の方が、究極的には重要だと考えるからだ。それゆえ、もしも彼らが剣を取って戦場で死ぬなら、それは神に捧げられたものを不正に奪ってカエサルに引き渡すことになるが、もしもそれを拒んで迫害され、殺されるなら、それは「主のための死」であり、かくして彼らは「神のものを神に返した」ことになるのである。それが彼らの生き方だった。「少なくとも、マルクス・アウレリウスの治世(AD161-180)までは、洗礼を受けてクリスチャンとなった後に兵士となる者は一人もいなかった」--C.J.カドゥ-「初期の教会と世界」
 また、悪魔の誘惑に対してイエスが言ったように--「『主なる汝の神を拝し、ただ之にのみ事ふべし』と録されたり」(Lu4:8)崇拝は間違いなく「神のもの」であった。そして、神がもはやこの地上に国家を持たないのであれば、いかなる形態の国家崇拝もキリスト教徒にとって許されるものではなかった。ローマ時代には皇帝像の前に一つまみの香を焚くことを拒んで多くのキリスト教徒が処刑されたものである--というのは、この些細な行為が事実上、儀式としての皇帝崇拝に他ならなかったからだ。
 そして、「神のもの」たる崇拝においてイエスの次の命令は大きな部分を占めていた。「されば汝ら往きて、もろもろの国人を弟子となし、父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ」--Mt28:19,20即ち宣教奉仕である。イエスの場合がそうであったように、宣教の業によって神に仕えることこそキリスト教徒の生き方の中心たらなければならなかった。ゆえにサンヘドリンが使徒たちに、イエスについて宣べ伝えるのをやめるようにと命じた時、彼らは答えて言った、「人に従はんよりは神に従ふべきなり」(Act5:29)

 然り、彼らは常に「人より神に」従わなければならなかった。神の法は至上の法だからである。そして彼らが人の法に従うのは、それが神の法の定めた領域を侵さない限りにおいてのみであった。それでは、彼らは「カエサルのもの」としては何を返したのか?
 この件りの主旨は税を払うべきか否かという質問に答えることにあったので、「カエサルのもの」がまず税を意味することは明らかである。しかし、それだけではない。ローマ13章にはこの点が詳細に論じられている。まず、「凡ての人、上にある権威にしたがふべし」、すなわち、自分の属する国家ないし政府に服するようにと命じられている。「そは神によらぬ権威なく、あらゆる権威 (the power-that-be) は神によりて立てらる」からである。なるほど悪魔は「凡ての権威と国々の栄華と」は「我これを委ねられたり」と豪語し、イエスはそれを否定しなかった。アダム以来このかた、「此人彼人を治めてこれに害を蒙らしむることあり」という状況は変わらなかったかもしれない。それでもやはり、何の秩序もなしに万人が万人に対して闘争しているよりは、不完全でも何らかの秩序があった方がよいのであり、それゆえに今ある秩序は神によってその存在を許されている。そういう意味であらゆる国家もしくは政府は「神の定」なのである。それで、キリスト教徒たる者この「神の定」に敬意を表し、決してこれを攪乱したり革命を企てたりするべきではない。箴言はこう忠告している---「わが子よエホバと王とを畏れよ 叛逆者に交ること勿れ 斯るものらの災禍は速かにおこる この両者の滅亡はたれか知りえんや」(Pro24:21-22)

 ローマ13章の続きの部分では、権威に服すべき他の幾つかの理由が挙げられている。即ち、それに逆らうならば身に裁きを招くこと、しかし服するならば誉れを得ること、また、人は誰でもそれから恩恵を受けているということ(例えば治安や秩序や幾多の公共事業)、及び良心のためである。そして7節でこう結ばれている、「汝らその負債をおのおのに償へ、貢を受くべき者に貢ををさめ、税を受くべき者に税ををさめ、畏るべき者をおそれ、尊ぶべき者をたふとべ」彼らは国家に対して税と貢を納め、畏れと誉れとをこれに帰すべきであった。一言で言えば、よき市民であるべきだったのである。この指針はギリシャ語聖書中に繰り返し示されて、テトスへの手紙の中でもパウロは「汝かれらに司と権威ある者とに服し、かつ従ひ、凡ての善き業をおこなふ備をなし、人を謗らず、争はず、寛容にし、常に柔和を凡ての人に顕すべきことを思ひ出させよ」(3:1、2)と書いているし、ペテロもまた「なんぢら主のために凡て人の立てたる制度に服へ」(1Pe2:13)と書き送った。「上にある権威」への服従に関して、人徳のいかんは問題にならなかった。ペテロが「王に服へ」と書いたのはカエサル・ネロについてだったのである。
 それでもやはり、神の法は至上の法であった。何物もこれを侵すことは許されなかった。ゆえに彼らはカエサルを敬いその権威に服しても、これを崇拝することばかりは肯ぜなかったのである。こうして彼らは「神のもの」と「カエサルのもの」との間に明確な一線を引き、かつ注意深く両者の均衡を保った。そのような態度はローマ人とユダヤ人との双方の誤解と偏見に遭い、実際のところ彼らは「社会の縁で生活する」(A.アマン)ことを余儀なくされた。しかしながら、古代世界にキリスト教が着実に浸透してゆくにつれ、キリスト教にもまたその哲学や物の見方が着実に浸透してゆき、やがてキリスト教は教理においても国家との関係においても世俗化の道をたどることになるのである。

 キリスト教史の始めの四百年間は、その後の方向性を決定づける点で極めて重要な時期となった。西暦二世紀、ローマの異教やギリシャ哲学に染まった人々が大挙してキリスト教に入ったが、そのとき彼らは自らを培ってきたそれらの考えを捨てる代わりに、何とかしてキリスト教と融合させようとした。結果として、本来キリスト教のものでない様々な概念や習慣がキリスト教に持ち込まれ、やがて定着する事になった。その中には三位一体、霊魂不滅、あるいは聖職者の独身制などがある。

 聖書にも、初期の教会教父の著作にも、三位一体という概念はない。全能の神はただ一人であり(「イスラエルよ聴け我らの神エホバは唯一のエホバなり」De6:4,Mr12:29),神の子であるイエスは神とは別個の人格で、神よりも下位の存在である(「父は我よりも大なり」Joh14:28,「キリストの頭は神なり」1Co11:3)。聖霊は人格ではなくて、神の力もしくはエネルギーである。聖霊に相当する語はヘブライ語でルーアハ、ギリシャ語でプネウマであり、共に「息、風、霊」といった意味を持っていて、以下の事例におけるように、神によって送り出されて神の意志をなし、あるいは人がそれによって満たされて神の意志をなすべく鼓舞されたりする(Ps104:30,Mt3:16,Joh20:22,Act7:55,56)。
 三位一体の教理はニケア、コンタンティノープル両会議を経て、尚しばらくもめた末に何世紀かしてやっと定式化された。こうして非聖書的な教理が強引に打ち立てられたのは大方政治的な動機によったが、実際のところ、三つ組みの神という概念はギリシャ・ローマのみならず、世界のあらゆる宗教の中に見い出すことができる。その源泉を辿って行き着くのは、異教のバビロンやアッシリアである。

 霊魂不滅という概念も聖書にはない。人間の存在を肉体と霊魂に二分して考えるということがそもそもなくて、人間は全体で一個の魂とされている(「エホバ神土の塵を以て人を造り生気(いのちのいき)を其鼻に嘘入れ給へり 人即ち生霊(いけるもの)となりぬ」Ge2:7)。だから人間である魂は死ぬし、死ぬと、生まれる前と同じ無意識無存在の状態に戻る(「汝は塵なれば塵に皈(かへ)るべきなり」Ge3:19,「罪を犯せる霊魂(たましひ)は死ぬべし」Ez18:4,「生者はその死なんことを知る 然ど死ねる者は何事をも知らずまた応報をうくることも重ねてあらず・・・」Ec9:5)。聖書の中でシェオルまたハデスと呼ばれているのはこの状態である。「それ罪の拂ふ價は死」(Rom6:23)であって、ゆえに地獄の責め苦なるものも存在しない。黙示録に出てくる火は永劫の責め苦ではなく、それ自身が説明しているように永劫の滅亡の象徴であって(「此の火の池は第二の死なり」Re20:14)、聖書で言うゲヘナがこれにあたる。ゲヘナとは「ヒンノムの谷」の意味であり、もとはエルサレム郊外のごみ焼却場を指したが、転じて徹底的な荒廃、希望のない永遠の死の象徴となった。許されない罪を犯した人間がそこへ行くことになっている(Mt25:41,46参照)。一方、同じ死でもシェオルやハデスには希望があって、それは不滅の魂として生き続けることではなく(何しろもう死んでいるのだから)、将来における復活(ギリシャ語、アナスタシス)である。この概念はヘブライ語聖書中に見られ(「願はくば汝われを陰府(原語、シェオル)にかくし 汝の震怒の息むまで我を掩ひ我がために期を定め而して我を念ひ給へ 人もし死なばまた生きんや ・・・汝我を呼び給はん而して我こたへん」(Job14:13,14)、ギリシャ語聖書にも引き継がれている(「をはりの日、復活のときに甦へるべきを知る」(Joh11:24),わが父の御意は、すべて子を見て信ずる者の永遠の命を得る是なり。われ終の日にこれを甦へらすべし」Joh6:40)。明らかに復活と霊魂不滅は相容れない。地獄の火も霊魂不滅も共に非キリスト教的教理である。

 あるいは、僧職者の独身制。「それ監督は責むべき所なく、一人の妻の夫なるべし」--1Ti3:2.もっともこれは、妻は一人でなくてはならないということであって、結婚が必要条件であるわけではない。結婚と独身に関する指針は例えばコリント第一の6章に縷々述べられている。要約すればこういうことである--結婚も独身も共に神の賜物であって、よきものである。但し、結婚には往々にして、神に仕える上で障害となる面倒なごたごたが伴うから、心してかかるようにと。だから結婚そのものは罪ではなく、むしろそれを禁ずることの方が罪として糾弾されている。「されど御霊あきらかに、或人の後の日に及びて、惑す霊と悪鬼の教へとに心を寄せて、信仰より離れんことを言ひ給ふ。・・・彼らは良心を焼金にて烙かれ、婚姻するを禁じ、食を断つことを命ず」1Ti4:1-3

 この他様々な点でキリスト教は変質していったが、とりわけ重要なのは、前述のとおり国家との関係で、「神のもの」と「カエサルのもの」との境界が次第に不明瞭になっていったという点である。コンスタンティヌスによってキリスト教が国教化されるや、キリスト教は公に社会へ迎えられ、然るべき誉れを得るようになり、教会は公的機関として政治機構の中に組み込まれるようになった。それから暫くしてアウグスティヌスが出るのだが、彼がこの問題に関して「神の国」の中で示している考察は興味深い。この書物では、神の国と地上の国という二元論のもとで広範囲に渡る論議が展開されている。しかしながら、その両者の実体についての説明は多分に曖昧かつ多義的である。大雑把に言って神の国とは聖と善と恩寵の具象であり、地上においては巡礼に過ぎないが、とりあえずは教会がそれを代表する。地上の国については、ローマ共和国を含む諸国家がこれを代表する。しかし教会も不完全なる人間の集まりである以上全き善ではあり得ないし、世界に平和と秩序をもたらしたローマ帝国が全き悪であるはずももちろんない。結局のところ、両者は観念上の存在である、要約すればそういうことになる。こと最後の点に関しては、ただ観念の世界だけが真実であるとするプラトン主義の影響を、アウグスティヌスも多大に受けていた、ということになっている。ここに、神の国とはやがて来たるべき、神による現実の政府であるとの認識は奇妙にも欠落している。彼が抽象概念としての神の国と、現存する組織としての教会とをどこまで同一視していたかは明らかでない。しかし、もしもその神の国なるものが所詮観念上の存在に過ぎないのであれば、現実問題としてそれは力を持たないゆえに大した役には立たないわけである。そうであれば、そんなものをいつまでも待っていても仕方ない。それよりも今既に機能している教会、これが神の国というものに近いらしいではないか。それではこれこそがこの世において力を持つに如くはない、さらばこの世はよりよい世界となるであろう。こういう結論になるのは避けられない。政治思想はまさにそのような流れに向かった。
 アウグスティヌスも時代の子、パックス・ロマーナに生きた生粋のローマ人だった。彼は神を愛すると同時にローマを愛して、神のものとカエサルのものをあまり手厳しく区別しなかった。「善良な人はその王国を拡大しようと絶えず望むことができるか。・・・事実としては、戦いを交え、他の国民を征服することによって国を拡張することは、邪悪な者にとっては楽しみであり、善良な者にとっては必然であるように思われる。しかし、悪をなす者が正しい者を征服するようなことがあってはならないので、その意味では、善良な者が支配権を持つときに喜びを表現するのは全く不都合というわけではない。」(ibid.IV.15)それで必然の結果として、剣を取ることを非とするわけにもいかなくなった。「・・・賢人は正義の戦いにしか参加しないと言われる。しかし、もし彼が人間であることを忘れないのであれば、例え正義の戦いといえども戦いに加わらなければならないことを、一層悲しむであろう。」(ibid.XIX.7)剰え彼は人間の支配者がこの世において神の正義を実現する可能性を信じたのである。「真の神が礼拝され、真の祭儀と善き道徳とを持って神に奉仕がなされる場合には、全世界の統治が善人の手中に長く留まることには益がある。」(ibid.IV.3)「真に敬虔な者が国家の支配者となるならそれほど幸いなことはない。」(ibid.V.19)かかる論議に反対する理由は何一つなさそうに思えた、ただイエスの、「我の世のものならぬ如く、彼らも世のものならず」という言葉を除いては。そしてその掟はいとも簡単に無視された。神の教えによって世界を変革できる可能性が現にあるというのに、どうしてそれをやってはいけないのか。
 時代が時代だった、誰もがその幻想を信じた。キリスト教はますます勢力を拡げ、中世に至っては遂に文字通りこの世を支配するに至る。教会は教区を組織し、民衆を教化し、政治に宗教的権威を与えた。こうしてキリスト教は国家と結びつき、国家が国家である以上剣を取ることを免れないから、それは世に知られるところの血なまぐさい歴史に身を汚す結果になった。十字軍や異端審問の略奪、拷問、大量虐殺も、すべては宗教が世俗の権威と結びついたことから生み出されたのである。イスラエルも同じことをやったではないかと、人は問うであろうか? 彼らは神から権威を与えられていた、しかしこれらの者たちは与えられていない。それゆえに、これもまた正義の問題なのである。'The Nazarene said his kingdom was not of this world. Honeyed lies. It was here on earth he founded his slave-church.' しかし、イエスはそれを命じはしなかった。ここに、篤信のアウグスティヌスが自らそれと気づかずに犯した過ちがある。彼が思い描いたのはこんなのではなかっただろう、そしてそれは彼だけの責任ではなかったかもしれない。しかし、「世のものならぬ」筈のキリスト教が世を支配していいのだろうか。キリストが「この世の君」と呼んだのは悪魔のことではなかったのか。(Joh14:30)いかによき意図をもってしようと、神の義を踏み越えた企ては遅かれ早かれ必ず破綻する。神を頂点として厳格に組織された中世社会体制が結局は破綻したのも必然の事であった。この世において神の正義を実現しようといくら頑張っても、無理なものは土台無理なのである。

 それでは一体、神の国はいかにして支配を始めることになっていたのか?
 我々は黙示録の記録にその大まかな素描を見ることができる。それは終末と共に到来する。まもなくハルマゲドンの戦いにおいて地上のあらゆる悪と共にこの世の体制全体は一掃され(Re16:16)、神の正義が敷衍される(Re21:3,4)。人類のうち神に従う者たちは新秩序に生き残り、かつて忠実に仕えた者たちは神の記憶によって復活させられ、ここにおいてキリストの贖いの価値が適用され、ついに彼らは完全性と永遠の命とを享受する。ごく大雑把に言ってこれが聖書の描く神の王国のあり方であり、かつまた世界の将来像である。言ってみればそれは神による世界の変革であり、人の務めはそれを辛抱強く待ち続け、それについて宣べ伝えることにある。ゆえに人はもはや自分でこの世を正そうとして己の非力に絶望したり、血を流したりする必要はない。

 それでも尚、神の国を待たずに自分で正義を実現しようとした人々に、我々は同情を禁じ得ないのではないか? 何しろ、イエスが神の王国を説いてから二千年経った現在なお、それはこの地上を支配していないのだから。二千年も忍耐して待ち続けるのは容易なことではない。' ・・・let the kingdom of justice come here and now, next Monday morning.' ゆえにまた、我々は忍耐をも試されているのである。我々は問われている---我々は今なお続く流血と災禍のゆえに神を呪わないだろうか、そしてまた、今の命において手にし得る全ての快楽や栄誉を捨ててまでも、来たるべき神の王国の方を取るだろうか、と。「天国は畑に隠れたる宝のごとし。人見出さば、之を隠しおきて、喜びゆき、有てる物をことごとく売りて其の畑を買ふなり。また天国は良き真珠を求むる商人のごとし。値たかき真珠一つを見出さば、往きて有てる物をことごとく売りて、之を買ふなり」---Mt13:44-46

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