2013年11月30日

創造的な不幸-25-

創造的な不幸-愛・罪・自然、および芸術・宗教・政治についての極論的エッセイ-
この作品について   目次

-25- 結び


 彼ら、キリスト教の色彩を色濃く落とす作品たちが、実際にキリスト教的であるかという点になると、いかに多くの仕方で道を踏み外してきたかを見るとき--単に書き手と読み手双方の時間と注意力をいたずらに浪費するという仕方のみならず、あるいは神とカエサルとの混同を基盤にものを語るという仕方で、あるいは書き手自身が神を信じられず、神でないものを神の位置に置くことによって神の唯一性やイモータリティーの概念を辱めるという仕方で、あるいは意識的また無意識的に反キリスト教的な価値を持ち込み、それを称賛さえし、あるいはキリスト教的な価値と反キリスト教的なそれとの区別を曖昧にするという仕方で--そういう有り様を見るとき、神を選び取れないでいた頃のAは、深い悲しみと絶望に襲われたものだった。
 一体どうして、かくも偉大な文学を、神は受け入れることができないのか? と言うのは、神を捨てたら捨てたで、文学はまた別の問題に苦しむことになるからだ--悪に対する無力さ。
 宗教は、少なくとも論理的には、この世界の悪や苦悩を克服することができる。だからこそそれは、それに身を捧げる者に清い良心を約束する。「視よ、今われは知る、前に汝らの中を歴巡りて御国を宣伝へし我が顔を、汝ら皆ふたたび見ざるべきを。この故に、われ今日汝らに証す、われは凡ての人の血につきていさぎよし」--Act20:25,26
 しかし、文学には、そんなふうに言うことができないのだ。だから、それに携わる者は、言い訳ができない。文学は、神を捨てるなりこの世の悪に直面し、例のチェスタトンの言葉が真実であるのを見い出す--
「当時の若者の例に洩れず、私もスインバーンの詩句を愛誦したものだった。スインバーンが信仰のもの憂さを突いた一句など、喜びに身をふるわせて口ずさんだものである。
 おお、色蒼ざめしガリラヤ人よ、汝はこの世を征服しつくした。
 汝の言葉に世界は今やことごとく灰色に閉ざされ果てたのだ。
けれども、この同じ詩人が・・・異教世界を描くのを読んでみると、私も妙なことに気がつかざるをえなかった。世界は、『ガリラヤ人』がこの世に言葉を宣べ伝える前から、さらにいっそう灰色だったという印象しか得られなかったからである」--<正統とは何か>
 そして文学は知るようになる、この世界を動かしている力が、ほとんど神と同じくらい残酷で、非合理で、情け容赦ないことを。
 ここにおいてAは再びオースターの絶望の場面に立ち戻り--「彼はこれ以上進めない」--そこから一歩も歩き出せないでいる自分を見い出す。

           *            *

 苦悩のうちにあって、Aは自分の子供時代をひどく羨んだものだった--創造による己れの世界を、確として持っていた子供時代を。その頃のAはミューズの恩寵を受けて自信に満ちていて、自分はずっとこんなふうに書いてゆけるのだと確信していた。
 しかし、同時にAは思い出す。その頃のAが持て余していた、世界に飛び出していきたい、世界を見たい、世界を知りたいというはち切れそうな衝動。当時のAの精神性そのものが、必然的に今のAの迷いと無力さに通じていたのだ。
 Aは自分の創造した世界が形而上学的な悲しみと苦悩に汚されることを拒絶してきた--ところが、その書き手自身が、それらに避けがたく染まってしまったのだ。今となってはどうしたものだろう--Aは自分の創造した世界から追い出されてしまったのだから。
 結局のところ、今までは神が形而上学的問題の一切を引き受けてくれたので、Aはそれらを自分の世界に持ち込まずにすんできたのだ。神の権威はAの世界を抑圧したが、一方でAの世界がかくあるために本質的な役割を果たしていた。それにまた、神の権威に脅かされてこそ、Aの世界はそれに負けじとしてますます力強くはばたいたのかもしれなかった。Aが神を捨てたとき、Aは敵を失ったのかもしれなかった。
 知識の苦い木の実をひとたび味わった者は、二度と後には引き返せない。今やこれが最大の問題となってくるのだ。すなわち、神を捨てたあと、文学は一体何を生み出したらいいのか--悪と苦悩に満ちたこの世界にあって?

 ベルジャエフは、人の創造性と神の目的との調和を、良心に一点の曇りもなく信じることのできた幸福な人だった。彼の信念によれば、人の創造性はこの世を罪に定め、よりよき世界の到来を求めている。それは神の聖霊と共働してこの世を終わらせ、神の国をもたらすのだ。それゆえに彼にとって、創造性は神の似姿の持つ最大の特長であり、従って全き善である。それはかたちを成してこの世に現れる過程で不幸にも歪められてしまうことが多いが、それにもかかわらず、その本質は神に属するのだ。それゆえに彼は確信に満ちて宣言することができた--「ギリシャ悲劇、レオナルド、レンブラント、ボッティチェルリの絵、ミケランジェロの彫刻、シェイクスピアの劇、ベートーヴェンの交響曲、トルストイの小説、プラトン、カント、ヘーゲルの哲学思想、パスカル、ドストエフスキー、ニーチェの創造の苦しみ、自由を求めて、また社会生活において真なるもの、正しいものを求めての探究--すべて神の国に入るものである」<始原と終末--終末論的形而上学の試み>
 ああ、そんなふうに思えたらどんなにいいだろう! しかし、我々の神はそんな寛大な神ではない。我々はカナンの偶像がどんなに美しかったかについて多くを知らないが、神はそれらについてこう命じているのだ--「必ずやそれを打ち倒し、その聖柱を打ち崩せ」--Ex23:24
 それゆえにまた必ずや、神はミューズ崇拝をも容赦すまい。

 正しいことと好きなこととが一致しないのを、一体我々はどうしたものだろう。
 神に対する問い--怒りとともに。
 一体どうして、このただ一つの生き方によってしか世界の救いに寄与しえないのか。どうして、一つの方法によってしかこの非情な世界に抗しえないのか。神の代わりに何か別のものを愛し、そのために生きるのではだめだというのは、一体なぜなのか。
 神を選び取れずにいた頃のAが、いちばん恐れていたのは、己れのインディサイスィヴゆえに結局なすべき務めを果たせずにしまうかもしれないということだった--つまり、さっさと決定を下して神に仕える人生を送っていれさえすれば救えたはずの魂が、みすみす失われてしまうかもしれないということだった。「人の子の臨在までにあなた方がイスラエルの諸都市をまわり尽くすことは決してないであろう」
 けれど、A自身がそんなふうにして救われたいとは、どうしても思えなかったのだ。自分のやりたいことを捨ててまで、救ってもらいたいとは思えなかった。「あなた方は断念せよ。私が神であることを知れ」Ps46:10
 いや、それでもAは断念したくなかった。

          *            *

 リルケの<マルテの手記>の最後の部分を読んでいたとき、Aは自分がかつて、なぜあれほどホリーの物語に惹きつけられたのかを理解する。Aがそこに、無意識的にそのアーキタイプを見いだしていたもの--それは放蕩息子の物語だったのだ。
 けれども、ホリーは神のもとへ帰らなかった。Aも帰らないだろう。

           *            *

 しばらくの間--かなり長いこと--Aは暗闇の中に横たわったまま、起き上がることができなかった。そうやって、ずいぶん多くの時間をむだにしてしまった。けれど、人間はいつまでも、無限に絶望していることはできない。人間の精神は、そんなふうにはできていない。多くの時間が過ぎ、それからようやく少しずつ明るくなってきて、やがて灰色の夜明けが訪れる。
 そしてある日、ついにそれが起こる--世界がかつてのように、まばゆい色彩を放って輝き始めるのだ。書かれるべきものは、それでも尚、たくさんあった。その日を境に、あらゆるものが再び、いっせいにAに向かって語り始める。
 あらゆるものがインスピレーションの源だった。Aは立ち上がって両腕を広げ、胸いっぱいに世界を呼吸する。すると、Aの胸に願いがわき上がる、その激しさにAを圧倒せんばかりになる--もう一度、ものを書き始めたいという願いが。Aはかつて自分が書いたものを手に取って読んでみる--例えば中学生のときに書いた小説などを--そして知る、今の自分がその頃の力量にも達していないのを。Aはまだ病み上がりで、筆を取ってみてもかつてのような感覚が戻ってこないのだ。けれど、それはいずれ戻ってくるだろう--ミューズが降りてくるときのあの感覚は。これからなすべき仕事について、もはやためらいはなかった。あの頃よりも技量は衰えたかもしれないが、Aには今や、あの頃の自分の<文学>に何が欠けていたかが分かるのだ。というのは、こうしてAはやっと知るようになったからだ--自分の出会ってきたもの書きたちが表現しようとしたことの、本当の意味。
 その依り処の定義もそっちのけにして、ともかくも道徳的努力の必要性を主張したフランクル。
 全く反対方向に向かう、二つの精神性の英雄的努力を同時に描いたホーソン。 相手が神だろうが自然だろうがこの世の諸悪だろうが、とにかく体ごとぶつかってゆく個人の尊厳を描くことが至上命題だったメルヴィル。
 「勇敢な者には決して何も起こらない」ことを可能にしようとして、あるいは半ば可能にしようとして奮闘したヘミングウェイ。
 人間の努力というものが最大の価値だと考えたウォレン。
 人間の勝利を信じたフォークナー。
「人間が不滅であるのは、人間には魂が、憐れみを感じ、犠牲的精神を発揮し、忍耐することのできる精神があるからなのです。詩人に、作家に課せられた義務は、こうしたものについて書くことなのです。人の心を高めることによって、人が耐えることの手伝いをすることが・・・」
 フォークナーは、神の見地からすれば正しくなかったかもしれない。しかし、いかに真実であったことか! というのは、彼らはもはや、神がヒキガエルと我々のどちらにより似ているかなんてことを問題にはしないからだ。彼らにとっては、神を捨てるも神に捨てられるも大して変わらなかった。神は失われてしまい、いまだ見つかっていない。
 けれども彼らは、そんなことで戦いをやめるわけにいかなかったのだ。人間は、この非情な世界にあっても努力し続けることは可能であり、またそうしなくてはならないこと--Aが彼らからまず学ぶべきは、このことだったのだ。

           *            *

「人間は誰でも、戦争や病院や牢獄のようなところですべてが揺り動かされる時期を経験するものだ。・・・生き延びたら、必ずもう一度仕事を再開しなければならない」--レオス・カラックス

 これから成し遂げたい仕事はどっさりある、Aはそのうちのどれだけを成し遂げることができるだろうか。
 好きなものと正しいものとが一致しないとき、それはもう、どうしようもないことなのだ。好きでもないのに、それが正しいからというので正しい方を選び取ったって、絶対に立ち往かない。それは言い訳せずに引き受けるべき宿命なのだ。我々は好きなものを取ったなら、それに伴うあらゆる不都合と困難とを黙って受け入れて、まっすぐに進んでゆかなければならない。
 それは神に是認されない、それは絶対的な正義と調和しない。けれどもそれを貫くこともまた一つの精神的努力であり、そして神を愛せない場合には、それは人が非情な世界に抗するただ一つの手段なのだ。

 そう、結局のところ、人は自分の好きなようにしか生きられない。そしてそのために、意味や救いや神の是認を失ったとしても、それが何だろう? なぜなら、Aは長い間自分を欺き続けてきたけれど、結局のところ、かつて一度も神を愛したことなんかなかったからだ。Aと同じように迷い苦しんだ末、最終的に神の側を選んだ仲間たちは言う--自分はやっぱり神を愛していたから、と。Aは神を愛していなかった。

 文学とは新しい世界の創造であるなら、Aにとって、反キリスト教的文学とはゾラ、ボードレール、ニーチェではなかった。それらは実に、クマのプーさん、指輪物語、ムーミン全集--あの愛すべき児童書たちだったのだ。
 後になってAはミルンが無神論者であることを知って、驚かなかった。<クマのプーさん>の世界に神はいない。子供心にも、それははっきりと感じ取れた。トールキンについては今さらである。
 特にムーミンは危険だった。その世界精神は、はっきりとキリスト教を無視しているからだ。ムーミン谷は、アガペーなしに立ち往く世界なのだ。そこに形而上学的問題や、道徳的葛藤があるとしても、それらはいつでも人間的努力によって戦われ、人間的解決がもたらされる。それは神の必要性を頑強に拒んでいる。
 ところがAは何にも増してそういう世界を--あの独特な<感じ>を愛してきた。それゆえ神の側を選んだとき、ムーミン全集は、Aがいちばん最初に、永久に放棄しなければならなかった犠牲の一つだったのだ。
 長いときを経て再びそれを手にしたとき、それはAに奇妙な感じを与えた--間に死をはさんで再び生を受けたような、不気味な違和感だった。けれどもひとたびページを開いてみると、Aは再びそれを読み返す必要のないことを知った。何度も何度も読み返したその文章は、Aの記憶の底に拭いがたく刻み込まれていて、本当は、一句たりとも忘れられてはいなかった。
 <彫刻家の娘>、あるいはポスト・ムーミンの短編群に見られる、彼女の若き日の、キリスト教をめぐる内的葛藤。
 自分はムーミンにおいて、人が子供から大人に成長する過程で切り捨ててきた<余剰>を描こうとした--という意味のことを、かつてヤンソンは語っている。それはAにとって、世界がキリスト教を受け入れてゆく過程で切り捨ててきたものをもまた象徴しているように思われた。抑圧され、迫害され、周辺に追いやられてきたものたち。あるいは秘かに存続することを許され、ときには真ん中にとどまることを許されさえしたものの、差し引かれた尊厳しか与えられてこなかったものたち。ノートルダムの屋根の上で物憂げに頬杖つく怪物たち。サグラダ・ファミリアの明らかな異教性。古代や中世の教会彫刻のグルゴイユや、何とも形容しがたい奇妙な生き物たち。アイルランドやウェールズの伝説、北欧のサーガ、ロシアの民話--神が自分自身以外には認めてこなかった、曖昧性、不可知性、訳の分からなさ、変幻自在、夢まぼろし、薄暗がりや暗黒を体現するものたち。
「ギリシャ人やローマ人は陽気な想像力を持っていた。彼らは木々や水や牧場を楽しい神々でいっぱいにした。そういった恵みの力を暗くしたのが中世である。カトリック教は信仰を根絶やしにすることはできなかったので、せいぜいそれらを醜悪にし、悪霊や獣にした。物質を表象するものに対する信仰から人々を遠ざけるためだった。」――ジョルジュ・サンド
「アイルランドの異教の神々が、崇拝も供え物も奪い取られて、一般の人々の想像の中でしだいに小さくなっていき、ついに妖精になってしまったとき・・・」――W. B. イェイツ

 日本で言えば、柳田邦男や宮澤賢治の世界--あと、明らかに能の世界。大理石の模様のように移り変わる空や、古代の森--人を脅かし、圧倒する存在としての自然。Aが本当に好きだったのは、断然、こういうものたちだった。
 そして、こういうものたちというのは、大人に対してよりも子供に対しての方がさらに巨大で、不気味な混沌と目もくらむように鮮やかな色彩に満ち、驚異と力に満ちている。というのは、子供たちは大人たちが知らないよりも、さらに一層知らないからだ。児童文学がしばしば異教の豊かさを持っているのは、そういう感情を表現しようとしているからなのだ。
 さらに積極的な要素--例えば、ただ現在だけに、激しく生きることの喜び。世界は美に囲まれている。誰にだって、時々はそういう観念が訪れる--美に対して目を開かれた、幸福な瞬間には。悪に脅かされたこの世界にあって、そういうものに対する鋭い感覚を失わずにいることもまた、精神的努力を要する一つの技術だった。そして、この種の感覚がすぐれて見い出されるのも、とりわけ児童文学の中においてであった。

           *            *

 文学は神と調和しない。創造性はベルジャエフが信じたように、聖霊と一体となってこの地に神の国をもたらすために働いたりしない。それはモータルなこの世界に属しているのだ。同時にそれは、それ自体の力によって世界を悪や苦しみから救うこともできない。
 そんなこと、分かっている。始めから分かっていた。けれど、もうそんなことで書くのをやめたりしない。なぜなら、ものを書くとは一つの生き方だからだ。すべてをかけて貫くべき、一つの生き方なのだ。
 というのは、Aは知るようになったからだ--重要なのは文学がそのために生きるだけの価値を持っているかどうかではなく、自分自身が、文学のために生きるだけの強さを持っているかどうかなのだということを。
 いろんなことがあった--幾つかの新しい概念との出会いがあり、幾つかの恋があり、幾つかの心惹かれる別の分野もあった。けれど、最後にはいつだって、理屈ではなくて愛が勝利する。それゆえ、Aはかつて愛したもののもとへと戻っていった。否、ものを書くという仕事はAにとって、愛する恋人のようなものですらなかった。それは懐かしの我が家だった。
 収容所から解放された人々が、それまでにどんな苦しみを忍び、何を経験し、どんなふうに変わってしまったとしても、どんな恒久的な障害を背負わされたとしても、ともかくも自分がもといた家をまず目指して、それ以外のところに帰ることなんか考えもしないように、それがどんなぼろ家であろうと、空襲で壁が崩れ落ちてしまっていようが、暴徒によって一切合財持ち去られてしまっていようが、家族が死んでしまっていようが、それでも尚、ともかく自分の家目指してまっすぐ帰ってゆくように、Aもまた一切のごたごたと瓦礫の山をのりこえ、過ぎ去った長い年月と、その間にあったあらゆる出来事を敢然と無視して、昔愛していた世界へ、一直線に戻っていった。
 もう一度、そこから始めるために。
「別れではなく もっと強くなって 君を愛しにいくよ」という歌にあるように。

           *            *

 Aが子供の頃、神の不可侵や献身という概念を踏み越えて、その向こう側からこっちを眺めることなど決してないだろうと思っていた。けれども同時に知っていた、いつの日か--考えるだけでも眩暈を覚えたが--いつの日か、この巨大な暗黒に、知性の剣をもって決闘を挑まねばならないことを。
 それは冒瀆的な夢想だった、けれどもそれはまた、必然の宿命だったのだ。そして今、ここに、Aはやっとそれを果たしたわけだった--多くの時間を費やし、そして、無傷ではすまされなかったが。
 フランクルの書物を読む者は、彼がしばしば幸福というものを二つの種類に分けていることに気づく。すなわち、享受的な幸福と、創造的な幸福とに。そして我々は経験に照らしてみて、たしかにそのように類別できることに思いあたるのである。そして恐らくは、後者の方がより力強く、持続性を持つものであることにも。
 Aは今、不幸もまた同じ二つの種類に分けられるのではないかと考えるのである。すなわち、フォークナーの作品に出てくる敗北主義者たちのように、あらゆる努力を放棄し、不幸の惨めさが自分を形作るままになっている受動的な不幸と、うちひしがれ、あるときはもはや立ち上がれないと感ずるまでに苦しんでも、それでも尚戦い続ける創造的な不幸とに。Aは自分の経験が後者のようであることを願った。それゆえ、Aはこの書物を書き上げることを願ったのである。
 いまこうして振り返ってみると、この書物を書くために読むべきだった本のうち、読んだ本より読まなかった本の方が、書くべきだったことのうち、書けた事柄よりも書けなかった事柄の方がはるかに多いことが分かる。けれどもどういうわけか、この事実はAに大きな慰めと安らぎを与えるのだ--丘の上に立って巨大な星空を眺めたときに、自分がいかにちっぽけな存在であるかをつくづくと感じるときのように。
 というのは、Aにとって、この書物においてやってきたようなことは「書く」ことではなかった。苦しんだり、考えたり、研究したり、結論を出したり、それを記録したりするのは「書く」ことではなかった。
 Aにとって「書く」とは常に、創造することであり、それ以外の何物でもなかったのだ。いつだって、創造すること以上の価値を、他のどんなことにも認めたことはなかった--ただ一つ、神に仕えることを除いては。

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中島 迂生 著


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