2020年10月06日

日本に帰るということ



この夏は帰れないかも、ってなったとき、そんなこと、信じられなかった。
いやいや、冗談じゃない。
そのために今まで、こうして辛いなか頑張ってきたのに。

帰れないことがだんだん確定的になっても、何とかかんとか、帰ることしか考えなかった。
自分の家に帰ることは無理でも、帰国者用のウィークリーマンションみたいなサービスとか、貸家を借りるとか。
何か方法はあるに違いない。
いろいろ探したし、いろいろ問い合わせた。

ほんとに、ほんとにだめなんだってなったとき、呆気にとられた。
びっくりして、コトバもなかった。
何?! って感じで。
何なの?! 何で私がこんな目に遭わなきゃならないの?って。
頭おかしいんじゃないだろうか、って。

落ち込んで起き上がる気力も出ない数日間のあと、それからだんだん、「日本に帰るとは、どういうことか?」って考え始めた。
考えざるをえなかった。
「山を登るとは、どういうことか?」って定義を考え始めるみたいに。

考えてみれば、奇妙なことだ。
6年前は、もう日本には何もない、と思っていた。
私のアートも、認めてくれないし。
これ以上いても仕方ないって。
日本ではもう充分暮らした、何の未練もない、と思っていた。
思っていたというか、単調な日々の繰り返しにほんとに息が詰まりそうで、ほんとに限界だった。
あれ以上、いられなかった。
だからこちらに住んで、さいしょの1,2年は、じっさい、そこまで日本に帰りたいとも思わなかったんだ。。

それがここ数年、毎年夏になって日本に帰れる日を、こんなにも待ち焦がれるようになったのはなぜだろう。
結局、こちらでの暮らしが辛すぎるんだと思う。
常にやらなくちゃならないことに追い立てられる毎日で、やりたいことはろくにできない。
生活の基盤も脆弱で、何かと不自由だし。
部屋も狭くて、環境も悪い。
外国人であることで、不利益や不愉快な思いも被るし。
今ではこちらがすっかり、辛く単調な日々の繰り返しの場になっている。

他方、夏に日本に帰ってるあいだだけは、こちらでの義務や雑務から解放されて(すっかりではないけれど)、わりと自由に羽を伸ばせる。
というか、このあいだにちゃんとリフレッシュしてパワーチャージしておかないと、とてもとても、そのあとまた一年やってくにはエネルギーがもたない。

何でそんなに日本に帰りたかったのかというと、今や自分にとって、
日本=休息、楽しいこと、安心できる場所、になってたからなんだろうな。

日本に帰りたいっていったら、帰りたいのだ。
ほかの何ものも、じっさいに帰ることの埋め合わせにはならない。
それでも…

いちばんほしいものが「休息、楽しみ、安心」なのだとしたら、それを得ることがまず必要だ。
それが手に入れば、じっさいに物理的に日本に帰れないとしても、ひとまずは何とか生き延びられるんじゃないだろうか。
そしてそのために多少は人に聞いたり、頼ったりするとしても、なるだけ自給自足できるといい。

よく自己啓発本とかに書いてあることだけど、「望む仕事を得る」とか、「夢を叶える」とかと同じことで。
その仕事ずばり、その夢そのものを得ることは難しいとしても、
その「仕事」や「夢」を構成するものを分析して、この要素とこの要素と…ってバラバラに分解して、それをひとつずつ実現していくことで、形や方法は違っても、結果オーライで目的に近づいていく、みたいな。
正攻法じゃなく、創意工夫で、塀をよじ登ったり土管をくぐり抜けたりして、そして最終的に、こちらにいても日本に帰ったときと同じような休息や満足を得られるようになれば、まぁOKじゃないだろうか。

これはなかなか哲学的な命題だ。
実際に日本に帰る以外のあらゆる方法で、日本に帰ったときと同じような感情、同じような満足を得ることをめざすこと。
実際に登る以外のあらゆる方法でこの山を登れ的な。

でも、考えてみれば、リモート会議も、オンライン授業も、ズーム飲みも、すべてはこの命題に応えるべく生み出されたのだ。
実際に登る以外のあらゆる方法でこの山を登れ。
自分も、かつて出くわしたことのないこの命題に取り組んで、バーチャル帰国の方法論を編み出さなくては。
自分にとって「日本に帰る」ということを構成する要素をひとつひとつ、こちらにいながら再現できないか、つくり出していけないか考えるのだ。

毎年、日本に帰るときには、日本でやりたいこと、買うべきもの、読みたい本、食べたいもの、行きたい場所、会いたい人などをリストアップする。
今年もリストは作ってあった。
その項目をひとつずつ、こんどはこちらにいながらなんとか実現できないか、調達できないか、つくれないか、代わりに何かできないか考えてみる。

たとえば「去年の夏の滞在をブログにまとめる」っていうのは、自分にとって、すごく役立った。
去年のことはぜんぜんまとめていなかったので、テーマごとに少しずつまとめていくことで、去年の夏を思い出し、生き直している気もちになった。

まず書いたのは、高校の先生たちに会いに行ったときのこと。

2020/07/19
高校の話~9 ブルーの庭、自由の王国~
英語のK先生の庭のこと、さいしょに知ったのは、おととし。そのとき、先生、自分のパソコンのファイルを開いて、イギリス時代の色んな写真を見せてくれていた。さいごにファイルをぱちんと閉じると、そこに綺麗な庭の背景画像がぱっと広がった。ピンクの薔薇が一面に咲き乱れて、絵はがきのよう。ほかのどの写…



ちょっと原稿を頼まれたので、そのネタを整理する下準備のためというのもあったのだけど、書いてるあいだ、楽しかった時間を思い出してほんとに楽しかった。
色んな話をしたのを、まとめられてよかったな。

それから、大好きな部屋のこと。

2020/08/25
つくばの大好きな部屋(1)
去年の夏の日記を、まだまとめていなかったのでこの機会に。大好きなつくばの自分の部屋に帰ってきて、さいしょの朝。目を覚まして、うーんと身を伸ばして、見上げると、まず目に入るのがこの景色。東向きの窓から、白いカーテンを通してあふれる光。あぁ、これから楽しい夏が始まる!って、こみ上げる…



「つくばの自分の部屋をきれいに掃除する」
「棚とか引出しとか1個1個開けて、色んなモノたちにただいまーって挨拶する」
「部屋で一日ゆっくり過ごす」
っていうのをリストに書いていたのだけど、去年たくさん撮った部屋の写真をじっくり眺め返し、シリーズで記事にまとめることで、気もち的にほぼ同じような満足が得られたと思う。

「部屋で一日ゆっくり過ごす」っていうのは、ほんとは「部屋で一日中テレビをつけっぱなしにしてゴロゴロする」だったのだけど、これは叶わなかった。
テレビに関しては、不完全なアーカイブをyoutubeで探すしかなくて、いちばん不満足なところ。
各番組のサイトの見逃し配信みたいなやつも、海外では見れないのでね、ほんとに困ったもの。
youtubeで探しても見つからなくてイライラすることのほうが多いので、そこははなから諦めていた。

そして、食事やお出かけのこと。

2020/08/29
つくばの家ごはん(1)
つくばの部屋もキッチンがあるので、基本、自炊です。けど、夏だけこちらに戻るようになってからは、滞在のあいだ、しょっちゅう母から差し入れが届くように。せっかくだから、写真を撮るようになった。もちろん自分でもつくるし、ただ買ってきたものもあるし、いろいろ。お米は基本、玄米を食べるので、自分で…



去年の滞在中の家ごはんや外ごはん、出かけたときのことなどブログにまとめるなかで、色々美味しかったこと、楽しかったことなど思い出して幸せな気分になったし、こんなにたくさんのいい経験を得られたことを感謝しなきゃ、という気もちになった。

食に関しては、去年のブログを書くだけでなく、「食べたいものリスト」にあげたものひとつずつ、何とかこちらで探せないか、つくれないかって試行錯誤してきたのは書いた通り。
まだ、ぜんぶは実現できていないけれど。。

そしてこんなふうに、去年のことだけでなく今年の夏のことについても、起こったこと、考えたこと、取り組んだことなどを整理して記事にできてるのはいいなと思ってる。

   ***

本については、例年は帰ってるあいだ、部屋にあるのを読み返すことも多い。
いつも1年留守にしてるから、久しぶりで、新鮮で、また読みたくなるのも多いのだ。
そして、新刊では、読みたいなと思ったのぜんぶ買っているときりがないので、絞って絞って、厳選して4,5冊くらい買うかな。
どのみち、荷物に入れていけるのはそれくらいが限度なので。

今年は、前の記事にも書いたように、紙の新刊だと日本の3倍くらいしてしまうので、古本と電子書籍。
やっぱり厳選して、古本で10冊くらい、電子書籍は7,8冊。
例を挙げると、

*トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズのうち2冊
「ムーミン全巻を読み直す」っていうのをリストに書いていたので、古本で見つけてうれしかった。

*ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことをやりなさい2」
1のほうは持ってる。2のほうは前に読んだけど、持ってはいなくて、また読みたいなと思っていた。

*こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法2」
同じパターンw 

*勝間和代さんの「ネオライフハック」
youtube のほうは見ていたので、「本にまとめてくれたんだー」っていう感じ。

*ギャラップ社の幹部の人たちの書いた「さあ、才能に目覚めよう」
前からいちど読みたいと思ってたやつ。
などなど。

何冊か買い込んで帰っても、たいていその日のうちにぜんぶ読んでしまう。
止まらなくなって、次の本、また次の本と手に取って、ふと我に返って時計を見ると、平気で4時間とか5時間とかたっている。。
そんなのも、ふだんは日本にいるときしかなかった。
それをこっちにいても味わえたのはよかったな。

   ***

会いたいなと思っていた人たちにも、すべて連絡がとれた。
メールでやり取りした人が多いかな。
何というか、みんな私が今年帰れないことをきちんと悲しんでくれてるのがうれしかった。
それも大きなパワーになった。

ビデオ通話したいと言ったら応じてくれた人もいて、めちゃめちゃうれしかった。
自分もあまりやったことがなかったのだけれど、やってみたら、じっさい会って話しているのと何ら変わりがないばかりか、今の状況ではそれ以上にいいなと思った。
というのはね、画面越しだったらマスクをつける必要もないし、距離を取る必要もないし、感染の危険とかも100%ないわけですからね。

   ***

そんなこんなで、今年の夏は「絶賛、脳内日本月間!!」みたいになりました。
得られた満足のほどは、じっさいに帰れた場合と比べてどれくらいかな? と考えてみると…
そうだな、項目ごとに違うけど、ぜんたいならすと7割くらいかな?
まあまあ、それほど悪くないかな。

ただこの夏は、少し仕事もしていたし、まだ書いてないけどすごく厄介な問題にずっと悩まされていたので…
そのせいで、日本云々は関係なく幸せ度3割くらいダウン。
なので単純に比較はできないけれどね。。

ともかく、いろいろな考察を得る機会とはなりました。
別にこんな考察など得なくとも、ふつうに例年通りに帰れていたら、その方がよっぽどよかった。
でもとにかく、今まで考えなかった色んなことを考える機会とはなりました。

バーチャル帰国、脳内日本月間、いい点もあるのです。
会いたくない人にはぜんぜん会わずに過ごせます。
戻る飛行機を手配する手間もない。
何しろ、じっさいに帰ってませんからね。
夏の日が過ぎて、だんだんフランスに戻る日が近づいてきて、切なくなるってこともありません。
その日までにこれをしなきゃ、あれをしなきゃと焦ることもなし。
これらのことは、夏が終わってもいつでもできることばかりです。
移動の手間もなければ、発つ前の掃除や点検も、着いてからまた掃除することもなし。

そんなわけで、もう10月になろうというのに、まだひっぱって夏のブログを書いています。
その気になればいつまでだって夏です。
他方、怒涛の日常も始まっている。

区切りがないっていうのは、やっぱり辛いものがあります。
いつも、フランスで過ごす10カ月は、水に潜って息を止めているようなものだった。
日本に帰る2カ月の間だけ息が吸えて、そのあいだに一年分の息を吸い込んでおく。
そしてまた水に潜る。
ここ数年、ずっとそんな感じでした。

それが今年は息が吸えない。
長い潜水を終えて水から上がってきて、でも息は吸っちゃいけなくて、そのまままた水に潜らなきゃいけない。
今年はそんな感じです。

いつまで怒っていても疲れるだけなので、そんなエネルギーもないから最近は淡々と過ごしていますが、
ほんとは今もずっと怒っている。
ほんとは今も、冗談じゃないふざけんな!って思っている。
「怒ってる」とかそういうことをあまりブログに書くのはおとなげないからやめておこうと思っていたのですが、
こうして10月になってもやっぱり怒っているので、仕方ないから正直に書きます。
この夏日本に帰れなかったことを、私は今もあいかわらず怒っています。


















































  

Posted by 中島迂生 at 09:27Comments(0)巴里日記2020夏